論語詳解243郷党篇第十(8)食は精を厭わず

論語郷党篇(8)要約:戒律としての礼法は、食べ物にも細かな規則を設けました。それは神霊や自然界の精霊に対する畏敬の念を持たせるためであると同時に、医学の未発達な古代では、健康を守るためにも欠かせなかったのです。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

食不厭精、膾不厭細。食饐而餲、魚餒而*肉敗不食。色惡不食、臭惡不食。失飪不食、不時不食。割不正不食、不得其醬不食。肉雖多、不使勝食氣。唯酒無量、不及亂。沽酒市脯不食。不撤薑食、不多食。祭于公、不宿肉。祭肉不出三日、出三日不食之矣。食不語、寢不言。雖疏食菜羹瓜、祭必齊如也。

校訂

武内本:史記而の字なし。

書き下し

いひしらげいとはず、なますほそきをいとはず。いひくづれ、うをくさにくやぶれたるはくらはず、いろしきはくらはず、にほひしきはくらはず、にかたうしなへるはくらはず、ときならざるはくらはず。きりめただしからざればくらはず、びしほざればくらはず。にくおほしといへども、いひたしめず、唯〻たださけりやうきも、みだるるにおよばず。沽酒うりざけ市脯うりほじしくらはず。はじかみらずしてくらふ、おほくらはず。おほやけまつれば、にく宿やどせず。祭肉さいにく三日みつかいださず、三日みつかでたらばこれくらはざるなりくらふにかたらず、ぬるにはず。疏食あらいひ菜羹なのあつものうりいへども、まつるにかなら齊如さいじよたり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 肖像
ご飯は精白したものでもかまわない。刺身は細切りでもかまわない。
ご飯の変な臭いのするもの、味がおかしくなったもの、魚の腐ったもの、肉の腐ったものは食べない。色がおかしなもの、においが悪いものも食べない。煮方が悪いものも食べない。時分時でないと食べない。切り方が悪いものも食べない。食材に合ったたれが無ければ食べない。
肉は沢山食べるが、ご飯より多くは食べない。ただし酒は多く飲むが、酔いつぶれるほどは飲まない。売っている酒、市場に並んだ干し肉は食べない。肉や魚に添えられた薬味は取りのけないで食べるが、多くは食べない。公の祭りのお下がりの肉は、その日の内に食べる。自家の祭りの肉は、三日以内に食べ、三日を過ぎたら食べない。

食事の時はおしゃべりしない。寝る時も喋らない。粗末なご飯、野菜のスープ、瓜であっても、お供えする時には必ず整える。

意訳

同上

従来訳

論語 下村湖人

米は精白されたのを好まれ、膾(なます)は細切りを好まれる。飯のすえて味の変つたのや、魚のくずれたのや、肉の腐つたのは、決して口にされない。色のわるいもの、匂いのわるいものも口にされない。煮加減のよくないものも口にされない。季節はずれのものは口にされない。庖丁のつかい方が正しくないものは口にされない。ひたし汁がまちがっていれば口にされない。肉の料理がいろいろあっても、主食がたべられないほどには口にされない。ただ酒だけは分量をきめられない。しかし、取乱すほどには飲まれない。店で買った酒や乾肉は口にされない。生姜(しょうが)は残さないで食べられる。大食はされない。君公のお祭りに奉仕していただいた供物の肉は宵越しにならないうちに人にわかたれる。家の祭の肉は三日以内に処分し、三日を過ぎると口にされない。口中に食物を入れたままでは話をされない。寝てからは口をきかれない。粗飯や、野菜汁のようなものでも、食事前には必ず先ずお初穂を捧げられるが、その御様子は敬虔そのものである。

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 食 金文 論語 雑穀 食
(金文)

論語の本章では”ご飯”。論語当時の華北には米はめったになく、キビやアワのご飯だった。

不厭精

論語 不 金文 論語 厭 金文大篆 論語 精 金文大篆
(金文)

論語の本章では”精白したご飯でもかまわない”。

「精」は会意兼形声文字で、青(セイ)は「生(はえたばかりの芽)+丼(井戸にたまった清い水)」の会意文字で、よごれなく澄んだ色をあらわす。精は「米+(音符)青」で、よごれなく精白した米。清(すみきった)・靜(セイ)(=静。しんとすみきった)・睛(セイ)(すんだひとみ)・晴(すみきった空)などと同系のことば、という。

論語の本章はやや意味が分からない。「精(しらげ)を厭わず」はどう読んでも、精白した穀物は好きではないが嫌がりはしない、としか解せない。孔子は玄米のようなよく搗かない穀物を好んだのだろうか。

孔子在世当時の君子とは、戦時には武人であり、論語の時代は戦乱の世であり、武人の基本は体であり、体の基本は食事であり、口の楽しみに任せてヘンなものを食わないことが心得だから、孔子は玄米ならぬ玄キビ玄アワを好んだと解釈したくなる。

膾不厭細

論語 膾 金文大篆 論語 細 金文大篆
「膾」「細」(金文)

論語の本章では”刺身は細く切ったものでもかまわない”。現代の中国では生肉・生魚を食べないが、孔子の生きた論語の時代や、朱子の生きた宋代(つまり千年前)まではよく食べたようだ。元や清のような遊牧民の王朝になって、生ものを食べなくなったのだろうか。

『学研漢和大字典』によると「膾」は会意兼形声文字で、會は「△(あわせるしるし)+增の略体」の会意文字で、あわせてふやす意を含む。膾は「肉+(音符)會(カイ)」。會(=会)と同系のことばで、赤や白の肉を細く切り、それを彩りよくとりあわせた刺身(サシミ)、という。

「細」は会意兼形声文字で、空は、小児の頭にある小さいすきまの泉門を描いた象形文字。細は「糸(ほそい)+(音符)空(シン)・(セイ)」で、小さくこまかく分離していること。先(小さく分離した足さき)・洗(水をほそく分離して流す)・私(小さくわける)・汚(シ)(息が小さくわかれて出る)などと同系。セン(sen)とセイ(ser→sei)の音は、語尾の転じた形で、もと同系のことば。

類義語の繊は、先がほそくて物の中にはいりこむこと、という。

食饐(イ)而餲(アイ)

論語 饐 篆書 論語 餲 古文
「饐」(篆書)・「餲」(古文)

論語の本章では”食品が腐って嫌な臭いがする”。「饐」は”饐(す)える”、変な臭いがすること。「餲」も”餲(す)える”で、腐ること。

『学研漢和大字典』によると「饐」は会意兼形声文字で、「食+(音符)壹(中につまる、こもる)」、という。

「餲」は会意兼形声文字で、「食+(音符)曷(カツ)(つかえてとまる)」という。

魚餒而肉敗

論語 餒 金文大篆 論語 敗 金文
「餒」「敗」(金文)

論語の本章では”魚が腐って肉がただれる”。「餒」の『大漢和辞典』の第一義は”飢える”だが、腐ることも意味する。「敗」は「腐敗」。

『学研漢和大字典』によると「餒」は会意兼形声文字で、「食+(音符)妥(タ)(上から下へ垂れる)」。食物が足りず、からだがぐったりと垂れること。

「敗」は会意兼形声文字で、貝(ハイ)・(バイ)は、二つに割れたかいを描いた象形文字。敗は「攴(動詞の記号)+(音符)貝」で、まとまった物を二つに割ること、または二つに割れること。六朝時代までは、割ることと割れることの発音に区別があった。

廃(二つに割れる)・敝(ヘイ)(割れてだめになる)と同系のことば。類義語の負は、背を向ける、まけて逃げること、という。

失飪(ジン)不食

論語 飪 金文大篆 論語 煮物 飪
「飪」(金文)

論語の本章では”煮方が正しくないと食べない”。「飪」は”煮ること”。煮方が悪いとたべなかったのである。

『学研漢和大字典』によると「飪」は会意兼形声文字で、「食+(音符)壬(ニン)・(ジン)(中に入れこむ、ふんわりとする、柔らかい)」。

不時不食

論語 時 金文 
「時」(金文)

論語の本章では”時間が正しくないと食べない”。間食しないのは健康体の基礎だろう。「旬でないものは食べない」と速読では解したが、旬でないものが論語時代に食膳に登るはずもないから、訳し直した。

割不正不食

論語 割 金文 論語 刺身 割
「割」(金文)

論語の本章では”切り方が正しくないと食べない”。

食材にはそれにふさわしい食べ方、調理法、切り方があるとされ、それは食糧事情が悪く、疫病が頻繁に流行った論語時代でも同様に考えられた。

『食経』*の解説によると、『礼記』に「それ礼の初めは、これを飲食に始まる」といい、『書経』には政治の要点として挙げた八箇条の内、「一に曰く食」とあるという。正しい食べ物を正しく調理し正しく食べるのは、文明人のあかしでもあった。

『学研漢和大字典』によると「割」は形声文字で、害(ガイ)は、かご状のふたを口の上にかぶせることを示し、遏(アツ)と同じくふさぎ止めること。割は「刀+(音符)害」で害の原義とは関係がない。

契(ケイ)(きる)・穐(カイ)(二つにわける)・介(カイ)(二つにわける)・界(二つにわける)と同系のことば、という。

不得其醬(醤)不食

論語 醬 金文大篆 論語 醤油
「醤」(金文)

論語の本章では”食材にふさわしいソースがかかっていないと食べない”。なお現代中国語では、可愛らしい者を意味する日本語の接尾語「…ちゃん」に、「醤」(チァン)の字を当てることがある。

『学研漢和大字典』によると「醤」は会意兼形声文字で、「酉+(音符)將(細長い)」。細長くたれる、どろどろとした汁、という。現代中国料理でもチアンは”たれ”で、これは液体に限定されない。少しとろみのある、旨味の詰まった何かで、もはや”たれ”としか表現できない。

例えばエビ料理の始めには殻とワタを抜くが、出来上がり前にはそれを炒めたものを中華包丁で粉砕して、醤=たれを作って料理本体にかける。

もし関東の住人なら銚子や野田に出かけると、お願いすると醤油工場の中を詳しく見せて頂ける。なるほど、どろどろになった大豆の粒が、大きなステンの桶の中で汁になっているのが見える。

論語の本章では”より多量にする”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はɕi̯əŋで、同音は存在しない。詳細は論語語釈「勝」を参照。

肉雖多、不使勝食氣(気)

論語 肉 金文大篆 論語 気 金文
「肉」「気」(金文)

論語の本章では”肉は多く食べても、ご飯より多くは食べない”。古来難解とされている句で、食「気」の意味が分からない。宮崎本では、「食氣」=「餼」(キ、穀物)の誤りではないかとする。

唯酒無量、不及亂(乱)

論語 酒 金文
「酒」(金文)

論語の本章では”酒は飲む量に限りがないが、乱れない”。身長2mを超す大男だった孔子は、さぞ飲みっぷりがよかったろうが、お作法の先生でもあるから、飲んでも飲まれはしなかったようだ。

『学研漢和大字典』によると「酒」は会意文字で、酋(シュウ)は、酒つぼから発酵した香りの出るさまを描いた象形文字で酒の原字。酒は「水+酉(さけつぼ)」で、もと、しぼり出した液体の意を含む。就(シュウ)(引きしめる)などと同系のことば。

類義語の酪(ラク)は、乳を発酵させた飲料。醇(ジュン)は、精製したこい酒。醪(ロウ)は、どぶろく、という。

沽酒市脯不食

論語 沽 金文 論語 脯 金文大篆
「沽」「脯」(金文)

論語の本章では”売り物の酒と干し肉を食べない”。

『史記』『孔子家語』によると、孔子が代官になるまで、市場では平然と不正が行われていたようだから、それを警戒したのだろうか。酒も干し肉も、手間さえ掛ければ自宅で作れるものだから、「賤しき故に多芸」(論語子罕篇7)だった孔子も、せっせと肉を細切りしたり、ご飯に麹をまぶして甕に漬け込んだのかも知れない。

『学研漢和大字典』によると「脯」は会意兼形声文字で、「肉+(音符)甫(フ)(平らにひろげる)」という。

不撤薑(キョウ:姜)食

論語 姜 金文 論語 生姜
「姜」(金文)

論語の本章では”薬味を取り去らずに食べる”。

儒者の注釈によると解釈が二通りあって、古注では斎戒中には取り除き、普段の食事では食べたと解している。

古注
云不撤薑食者撤除也齊禁薰物薑辛而不薰嫌亦禁之故明食時不除薑者也
論語 古注 何晏
不撤薑食と云う者、撤りて除く也。斉、薫う物を禁じ、薑辛くし而薫いのしから不るも、亦た之を禁ず。故に明食の時、薑を除け不る者也。(『論語集解義疏』)

このひねくれた?解釈のために、「不撤薑食」を「はじかみりて食らわ不」という、珍無類の語順で読む羽目になる。ゆえにこの説には賛成しかねる。

新注では本章を斎戒の時の食事とし、斎戒中でも「薑」(はじかみ。生姜のたぐい)は邪気を払うから食べたと言う。

新注
薑,通神明,去穢惡,故不撤。
論語 朱子 新注
薑は神明に通じ、穢れて悪しきを去る。故に撤ら不。(『論語集注』)

「不撤薑食」を素直に「薑を撤ら不して食らう」と読めるのはいいのだが、斎戒中の食事に限らねばならない理由は、朱子の個人的思い付き以外の何物でも無い。

『学研漢和大字典』によると「姜」は会意兼形声。「女+(音符)羊」。太古の西北中国で羊を放牧していた民族が羊にちなむ姓をつけたものであろう。周代のはじめ、この一族の頭領であった太公望呂尚(リョショウ)が山東の斉(セイ)に封ぜられた、という。

本字の「薑」は会意兼形声文字で、「艸+(音符)余(キョウ)(ひとこまずつわかれる)」。根茎がひとこまずつ区切れることからいう。疆(キョウ)(区切った境)と同系のことば、という。

食不語

論語 語 金文
「語」(金文)

論語の本章では”黙って食べる”。黙って食べるのがお作法なのである。現代日本でも、武道人が会食すると、食器のぶつかる音さえ立たない。

寢(寝)不言

論語 寝 金文
「寝」(金文)

論語の本章では”寝る前におしゃべりしない”。寝る前にしゃべるのか、それとも寝言を言わないことなのか不明だが、ここでは前者と解した。

齊(斉)如

論語 斉 金文
「斉」(金文)

論語の本章では「斉」の原義、三本のかんざしを並べて整える、の通り、”ととのえる”。武内本は「厳敬の貌」=厳しく敬意を表すというが、根拠不明。

論語:解説・付記

なおこのほかにも、孔子が食べ物に強いこだわりを持っていたことが、モモとキビのお話に見える。

*『食経』:中村璋八・佐藤達全 中国古典新書『食経』明徳出版社 昭和58年三版

さてここでもう一度、「食は精を厭わず、膾は細きを厭わず」の意味を考えたい。『学研漢和大字典』によると、「厭」とは脂こくしつこい肉「くま+犬=エン」を押し付けられる「カン」ことであり、それにうんざりする気持という。つまり「厭わず」とは、”消極的に受け入れる”。

「精を厭わず」とはおそらく、古くなるなどして変質した穀物を、それでももったいないから研いで食べた、と言うことでは無かろうか。放浪中に食を断たれて難儀した話は有名だし(論語衛霊公篇2)、帰国後も息子の葬儀費用に事欠くほど孔子は貧乏した(論語先進篇7)。

「膾は細きを厭わず」も同様で、傷んだ膾も細く切って、食べられる部分だけ選り分けたのだろう。「食の饐えて…」以降はそれを示しており、だからこそ「きりめ正しからざらば食わず」であり、毒消しの意味も込めてたれなしでは食べず、薬味のはじかみは取り去らずに食べたのだろう。

「市場で売る酒や干し肉を食べない」のもその用心で、あきんどの売る食物には、全く油断がならなかったのに違いない。以上が正しいとするならば、孔子の食に対するこだわりは、礼儀作法や美意識というよりは、古代人らしい病気への恐れを反映していると見るべきだろう。

余談ながら「ボウ」とは『学研漢和大字典』によると熊肉のことであり、孔子が住み漢字が生まれた華北では、現在ヒグマはいないがツキノワグマはいるという。秋から冬にかけて恐らく冬眠のためだろう、ツキノワグマは脂身が付くらしく、「脂の旨味がたまりません」という

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。

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