論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「已矣乎。吾未見能見其過而、內自訟者也。」
校訂
定州竹簡論語
……見能見其106……
復元白文
※矣→以。論語の本章は、也の字を断定で用いているなら、戦国時代以降の儒者による捏造である。
書き下し
子曰く、已ん矣乎。吾未だ能く其の過を見而、內に自ら訟むる者を見ざる也/也。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「おしまいだ。私は今なお、自分の過ちを見て、心中自分を責める者を見たことがないなあ。」
意訳
あーあ。世も末だ。自分で自分を責める者がどこにも居ないではないか。
従来訳
先師がいわれた。――
「何ともしようのない世の中だ。自分の過ちを認めて、自ら責める人がまるでいなくなったようだ。」
現代中国での解釈例
孔子說:「這個社會完了!我沒見過明知有錯而能自我批評的人。」
孔子が言った。「この社会はもう終わっているな。私は、間違いを見つめて間違いであると明らかに知り、自分から批判できる人を見たことが無い。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
已矣乎(イイコ)
(金文)
論語の本章では、”もうおしまいだ”。已・矣はともに完了を、乎はため息のような息を意味する。『大漢和辞典』には「ああもうだめだ。絶望の辞」とある。
訟
(金文)
論語の本章ではでは”責める”。訴訟の「訟」。『大漢和辞典』の第一義は”訴える”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、公は、松(ショウ)・頌(ショウ)の場合と同じでショウの音をあらわし、あけすけに通るの意を含む。訟は「言+〔音符〕公」で、ことばであけすけにいうこと。頌(ショウ)(あけすけにとなえる)・誦(ショウ)(あけすけにいいとおす)・松(葉があけすけに離れ、すきまが通っているまつ)などと同系のことば、という。
詳細は論語語釈「訟」を参照。
論語:解説・付記
論語の本章は、孔子が言ってもおかしくはないが、その押しつけがましさから、おそらくは戦国時代の孟子による創作だろう。論語に含まれた偽作には、作者によって作風があり、他罰的な物言いは孟子の作風と思って良い。それは次に挙げる例でも明らかだ。
(斉の宣王が孟子を重用しないので、孟子は王にタンカを切って斉を出た。しかしそのふりをしただけで、国境近くのまちに三日も居座り、斉王から呼び戻しの使者が来るのを待っていた。それを見て、孟子を尊敬していた尹子は失望した。)
孟子曰く、尹子は私という人物が分かっていない。遠く旅をして王に会ったのは、確かに私が望んだことに違いない。だが重用されないのは、私のせいではない。仕方なく国を出たのだ。あのまちで三日留まったが、私に言わせればこれでも早い方だ。
斉王のためを思って、使者が来たら私はすぐさま戻れるようにしてやったのだ。ところが来ないから、私はさっぱりした気分でまちを去った。だが今でも、斉王を見捨ててはいないぞ。そのうち王が自ら私の所へやってきて、心を入れ替えて善事に励むだろう。
もし王が私を重用するなら、斉の民ばかりでない、天下の民が安らぐ。だから王が反省して使者を寄こすのを、今も毎日待っている。これは願いではない。期待だ。私は小僧ではないからだ。王に意見して容れられなければ、怒りもする。傲然と睨み付けてやる。
だが私が我が身かわいさに逃げ出したなら、それで力一杯やったと言えるだろうか?
この話を伝え聞いた尹子は言った。「実に下らない。」(『孟子』公孫丑下篇)
※テキストによって、尹子→尹士になっている。これは最後の「士誠小人也」”(孟子のような士を名乗る奴は)実に下らない”を、尹子の反省の弁”私めはまことに間違っておりました”へと解釈をねじ曲げ、孟子を神格化しようとした後世の儒者による改造。おそらくは北宋の儒者が下手人だろう。
既存の論語本では吉川本で、「已矣乎」について、「イイ、イイ、フという唐音で読めば、一層良く分かるように、深い嘆息」とある。ふざけたハッタリにも程がある。珍妙な唐音(宋元明清の発音)で読めば、一層分からなくなるだけだ。一字ずつ読み下した方が理解が早い。
”終わってしまったなあ”、ということで、現存する書物としては中国最古の論語は、平安朝の文章博士や江戸の儒者のこしらえた熟語を出来るだけ使わないようにして読まないと、時に読み誤る。熟語は慣用された時間が長いから成立するので、古い論語の言葉では必要がない。
ひとまとめにして漢文と言うが、論語を頭に2、500年の歴史があって、その間中国語は相当に変化したし、音も意味も変わった。例えば論語で「乱」と言えば”おさめる”ことだが、ご存じのように今では”みだれる”と反対の意味になっている。
語源から言えば論語の方が正しいので、もつれた糸を手やヘラで整える象形文字だった。従って論語と同じ文法や語法は、漢代になるともう通じない事が多い。せいぜい読み破れるのは隋唐帝国の時代までで、宋になると儒者のこしらえたでっち上げが染み込んで、もう抜けない。
訳者はたびたび明代の『笑府』を引用するが、そこには俗語や口語が多数あって、いわゆる読み下しが不可能な場合が多い。宮崎市定博士が現代の林彪の演説を、あえて書き下した読解力には敬服する。現代中国語(白話)は熟語だらけで、熟語を知っていないと読み下せない。
訳者の限られた経験から言うと、清末の『李文忠公全集』を卒論で読んだが、筆者の李鴻章が科挙を通った正統的な儒者だから読み下せる古文で書いたので、同時代の電文となると手の着けようがなかったことを覚えている。このサイトで論語に手を付けたのも、理由は同じ。
論語の文体は古いから素直だ。一字一語の、古い中国語の形をそのまま残している。だから辞書を引けば誰でも読める。誰でも辞書が引けるとは言わないが、引けないからと言って根拠が実にいい加減な儒者の注釈に頼ると、あらぬ方向へ連れて行かれてしまう。
ただし儒者は論語の本章については、ほとんど何も言っていない。
古注『論語義疏』
子曰已矣乎吾未見能見其過而內自訟者也註苞氏曰訟猶責也言人有過莫能自責者也疏子曰至者也 已止也止矣乎者歎此以下事久已無也訟猶責也言我未見人能自見其所行事有過失而內自責者也
本文「子曰已矣乎吾未見能見其過而內自訟者也」。
注釈。苞氏「訟とは責めるようなことだ。人が間違いを犯したのに自分で反省することが出来ない事だ。」
付け足し。先生は人間の限りを言った。已とは止である。矣とは乎である。以後の内容を歎いて随分たってから仕方が無いと諦めたのである。訟は責めるようなことである。過失を犯した者が反省する所を見たことが無い、と言っている。
新注『論語集注』
已矣乎者,恐其終不得見而歎之也。內自訟者。口不言而心自咎也。人有過而能自知者鮮矣,知過而能內自訟者為尤鮮。能內自訟,則其悔悟深切而能改必矣。夫子自恐終不得見而歎之,其警學者深矣。
已矣乎は、とうとうそれを見ないで終わるのを恐れて言ったのである。反省する者は、口では言わず心でとがめている。自分の間違いに気付く者は少ない。間違いを知って反省する者はもっと少ない。先生はとうとうそうした者を見ないで終えることを歎いたのだ。学ぶ者はよく反省するように。
さてもののついでに、上掲した吉川の唐音なるものについて記しておこう。普通の日本人が唐音と聞けば、遣唐使の頃の中国語と思うことはあるにせよ、何かしら学問風味の利いた言葉として、ちょっとした威圧感を感じるだろう。だが玄人同士で、唐音を振り回す者はいない。
「私はバカです」と言うのと同じだからだ。唐音とは遣唐使廃止後、明治になって国交を成立させるまでの間、日本に入ってきた中国音を意味する。その期間は約千年で、地域もさまざま、従ってある漢字の唐音は、一つに確定しない。実にいい加減な範疇なのである。
だから唐音をもとに、論理など組み立てられようはずが無く、まともな論文で、唐音を語れば脳みそを疑われるのだ。ただし吉川の場合、高校生程度の知識も無いことが判明しているから、唐音の定義すら知らない可能性まである。ただバカでもハッタリは言えるということだ。
その唐音は、江戸の日本人には実に珍妙に聞こえたらしく、意味はさっぱり分からないながら、「かんかんのう」などの歌舞音曲として流行した。決してあこがれたり敬ったりしたのではない。「唐人の寝言」という言い廻しがあるように、唐音とはふざけた音でもあったのだ。
諸賢はどうか、吉川のような人間のクズ(→理由)に、恐れを抱かないで頂きたい。
コメント
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