論語:原文・書き下し
原文(唐開成石経)
齊必有明衣布齊必變食居必遷坐
校訂
東洋文庫蔵清家本
齊必有明衣布也/齊必變食/居必遷坐
慶大蔵論語疏
〔齊丿〕1必有明衣〔丆巾〕2(布)3也/〔文日〕4必〔亠幺言幺犮〕5𩙿6/〔尸ユ凵〕7(居)3必〔辶衆〕8〔口二土〕9
- 「齊」の異体字。「韓顯宗墓誌」(北魏)刻。
- 「布」の異体字。未詳。
- 傍記。
- 「齊」の異体字。「魏懷令李超墓誌銘」(北魏)刻字近似。
- 「變」の異体字。「魏傅母杜法真墓誌」(北魏)刻。
- 「食」の異体字。
- 「居」の異体字。「魏元乂墓志」(北魏)刻。
- 「遷」の異体字。「魏郭顯墓誌」(北魏)刻。
- 「坐」の異体字。「唐左羽林軍長史姚重曒墓誌」刻。
後漢熹平石経
(なし)
定州竹簡論語
(なし)
標点文
齊必有明衣布也。齊必變食、居必遷坐。
復元白文(論語時代での表記)
變 坐
※論語の本章は赤地が論語の時代に存在しない。「必」「也」の用法に疑問がある。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。
書き下し
齊には必ず明衣の布なる有る也。齊には必ず食を變え、居るに必ず坐を遷す。
論語:現代日本語訳
逐語訳
身を清める時は、必ず明るい色の衣で、麻で作ったのを着る。清めの時には必ず通常とは食事を変え、座る場所も必ず普段の場所から移す。
意訳
同上
従来訳
ものいみする時には清浄潔白な衣を着られる。その衣は布製である。また、ものいみ中は食物を変えられ、居室をうつされる。下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
齋戒沐浴時,必有布做的浴衣。齋戒時,一定要改變平時的飲食,一定要改變住處。
潔斎のために水浴びするときは、必ず麻布で作った浴衣を着た。潔斎の時は、何が何でも普段とは違う飲食物を摂り、何が何でも住まいを移した。
論語:語釈
齊(セイ)
(金文)
論語の本章では「潔斎」と言うように”ものいみ”のこと。初出は甲骨文。新字体は「斉」。「シ」は”ころものすそ”の意での漢音・呉音。それ以外の意味での漢音は「セイ」、呉音は「ザイ」。「サイ」は慣用音。甲骨文の字形には、◇が横一線にならぶものがある。字形の由来は不明だが、一説に穀粒の姿とする。甲骨文では地名に用いられ、金文では加えて人名・国名に用いられた。詳細は論語語釈「斉」を参照。
慶大蔵論語疏は異体字「〔齊丿〕」と記す。「亠」を「广」に変えた形。上掲「韓顯宗墓誌」(北魏)刻。
また異体字「〔文日〕」と記す。「魏懷令李超墓誌銘」(北魏)刻字近似。
必(ヒツ)
(甲骨文)
論語の本章では”必ず”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。原義は先にカギ状のかねがついた長柄道具で、甲骨文・金文ともにその用例があるが、”必ず”の語義は戦国時代にならないと、出土物では確認できない。『春秋左氏伝』や『韓非子』といった古典に”必ず”での用例があるものの、論語の時代にも適用できる証拠が無い。詳細は論語語釈「必」を参照。
有(ユウ)
(甲骨文)
論語の本章では、”持つ”→”使う”。初出は甲骨文。ただし字形は「月」を欠く「㞢」または「又」。字形はいずれも”手”の象形。金文以降、「月」”にく”を手に取った形に描かれた。原義は”手にする”。原義は腕で”抱える”さま。甲骨文から”ある”・”手に入れる”の語義を、春秋末期までの金文に”存在する”・”所有する”の語義を確認できる。詳細は論語語釈「有」を参照。
明衣(メイイ)
論語の本章では”ものいみ専用の服”。漢語に「明衣」が見えるのは論語の本章を除けば前漢の『淮南子』が初出で、ほか『儀礼』にも見えるが文字史から『儀礼』が前後の漢帝国時代に作られたのは明らか。『穆天子伝』にも見えるが出所不明のファンタジー小説に過ぎない。
そして『淮南子』にも『儀礼』にも、どのような服だか書いてない。一般的に中国では葬礼のたぐいで白衣を着るし、「明」とあるからには暗い色ではあるまいが、本章を創作した漢儒がどのような衣類を想定していたのか、もはや誰にも分からない。
「明」(甲骨文)
「明」の初出は甲骨文。字形は太陽と月の組み合わせ。原義は”明るい”。呉音(遣隋使・遣唐使より前に日本に伝わった音)は「ミョウ」、「ミン」は唐音(遣唐使廃止から江戸末期までに伝わった音)。甲骨文では原義で、また”光”の意に用いた。金文では”清める”、”厳格に従う”、戦国の金文では”はっきりしている”、”あきらかにする”の意に用いた。戦国の竹簡では”顕彰する”、”選別する”、”よく知る”の意に用いた。詳細は論語語釈「明」を参照。
(甲骨文)
「衣」の初出は甲骨文。ただし「卒」と未分化。金文から分化する。字形は衣類の襟を描いた象形。原義は「裳」”もすそ”に対する”上着”の意。甲骨文では地名・人名・祭礼名に用いた。金文では祭礼の名に、”終わる”、原義に用いた。詳細は論語語釈「衣」を参照。
布*(ホ)
(金文)
論語の本章では”麻布”。この語義は春秋時代では確認できない。論語では本章のみに登場。初出は西周早期の金文。字形は「丨」”棒”+「又」”手”+「巾」”垂れ下がった布”。織り上がった布をぶら下げて叩くさま。「フ」は呉音。春秋末期まで”ぬの”の意に用い、”しく”と明らかに解せる用例は、戦国最末期の「睡虎地秦簡」から。詳細は論語語釈「布」を参照。
慶大蔵論語疏では未詳字「〔丆巾〕」と記し、「布」と傍記する。
也(ヤ)
(金文)
論語の本章では、「なり」と読んで断定の意に用いている。この語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。
變(ヘン)
(戦国金文)
論語の本章では”変える”。新字体は「変」。初出は戦国早期の金文。ただし釈文は□のままで語義が明瞭でない。論語の時代に存在せず、論語時代の置換候補もない。同音は存在しない。初出の字形は字形は「占」+「又」”手”+「言」で、先を占うさま。現行字体の字形は「絲」”糸→つながる”+「言」+「攵」”打つ”で、「䜌」は音符とされ、”乱れる”の語釈が『大漢和辞典』にある。詳細は論語語釈「変」を参照。
慶大蔵論語疏は異体字「〔亠幺言幺犮〕」と記す。「魏傅母杜法真墓誌」(北魏)刻。
食(ショク)
(甲骨文)
論語の本章では”食べもの”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「亼」+点二つ”ほかほか”+「豆」”たかつき”で、食器に盛った炊きたてのめし。甲骨文・金文には”ほかほか”を欠くものがある。「亼」は穀物をあつめたさまとも、開いた口とも、食器の蓋とも解せる。原義は”たべもの”・”たべる”。詳細は論語語釈「食」を参照。
慶大蔵論語疏は異体字「𩙿」と記す。
居(キョ)
(金文)
論語の本章では”座る”。座布団にすること。初出は春秋時代の金文。字形は横向きに座った”人”+「古」で、金文以降の「古」は”ふるい”を意味する。全体で古くからその場に座ること。詳細は論語語釈「居」を参照。
慶大蔵論語疏は異体字「〔尸ユ凵〕」と記す。「魏元乂墓志」(北魏)刻。
遷(セン)
(金文)
論語の本章では”移す”。初出は西周早期の金文。字形は「⺽」”両手”+「囟」”鳥の巣”+「廾」”両手”+「口」二つだが、あとは字の摩耗が激しく全てを判読できない。おそらく鳥の巣を複数人で大事に移すさまで、原義は”移す”。金文では”移す”を意味した。詳細は論語語釈「遷」を参照。
慶大蔵論語疏は異体字「〔辶衆〕」と記す。上掲「魏郭顯墓誌」(北魏)刻。
坐*(サ)
(甲骨文?)/(楚系戦国文字)
論語の本章では”座る場所”。初出は甲骨文とされるが字形がまるで違う。その後は戦国文字まで絶えており、殷周革命で一旦失われた漢語と解するのが理に叶う。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。甲骨文の字形は「㔾」”跪いた人”+「因」”敷物”。楚系戦国文字の字形は「月」”肉体”+「土」。秦系戦国文字では上半分が背中合わせの「月」。同音は「痤」”腫れ物”のみ。「ザ」は呉音。戦国時代から、”すわる”・”連座する”の意に用いた。詳細は論語語釈「坐」を参照。
慶大蔵論語疏は異体字「〔口二土〕」と記す。「唐左羽林軍長史姚重曒墓誌」刻。
論語:付記
検証
論語の本章は前漢中期の定州竹簡論語に無く、「明衣」の初出は上記の通り前漢の『淮南子』。文字史から見ても、春秋時代の漢語ではなく、本章は戦国時代以降、「明衣」の用例からおそらく前漢儒による創作。
解説
論語の本章、新古の注は次の通り。古注は本章を前章と次章に分割するが、本章部分のみまとめて記す。
古注『論語集解義疏』齊必有明衣布註孔安國曰以布為沐浴衣也齊必變食註孔安國曰改常食也居必遷坐註孔安國曰易常處也
本文「齊必有明衣布」。
注釈。孔安国「麻布で作った水浴び用の衣類である。」
本文「齊必變食」。
注釈。孔安国「普段の食事を改めたのである。」
本文「居必遷坐」。
注釈。孔安国「普段の座り場所とは変えたのである。」
新注『論語集注』
齊,必有明衣,布。齊,側皆反。齊,必沐浴,浴竟,即著明衣,所以明潔其體也,以布為之。此下脫前章寢衣一簡。齊,必變食,居必遷坐。變食,謂不飲酒、不茹葷。遷坐,易常處也。此一節,記孔子謹齊之事。楊氏曰:「齊所以交神,故致潔變常以盡敬。」
本文「齊,必有明衣,布。」
斉は側-皆の反切で読む。ものいみには水浴びが付き物で、浴び終えたらすぐに明衣を着、体を清めたことを示すのである。麻生で作る。この部分の下から、前章の「寢衣…」の一簡が脱落した。
「齊,必變食,居必遷坐。」
食を変えるとは、酒を飲まない、ネギ類を食べないことを言う。坐を遷すとは、普段とは居る場所を変えたのである。この一節は、孔子のものいみの様子を記す。
楊時「もの忌みをすれば神と交信できる。だから綺麗さっぱり体を洗って、普段とは違う自分になる。それで神への敬意をし尽くすのだ。」
「脱落」の事情については前章語釈を参照。頭のお目出度いことを説いている楊時は、宋儒でも極めつけの悪党だが、他の連中も余り変わらない。論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」を参照。なお『孔子家語』によると、潔斎の意義を孔子は以下のように説いている。
子夏問於夫子曰:「凡喪,小功已上,虞祔練祥之祭,皆沐浴,於三年之喪,子則盡其情矣。」孔子曰:「豈徒祭而已哉!三年之喪,身有瘍則浴,首有瘡則沐,病則飲酒食肉。毀瘠而為病,君子不為也。毀則死者,君子為之,且祭之沐浴,為齊潔也,非為飾也。」
子夏「服喪では、小功(五ヶ月の服喪に用いる喪服。五ヶ月はおおむね曾祖父母の服喪に当たる)以上の場合、虞(埋葬を終えた日の祭祀)・祔(亡霊を祖先祭殿に合祀する祭祀)・練(一年忌)・祥(忌み開けの祭祀)を機会として水浴びします。三年の服喪(親の服喪)でも先生はその通りにしますか?」
孔子「別に祭祀にかこつけなくとも、必要なら水浴びするさ。三年の喪中でも、出来物が出来れば浴びるし、頭に腫れ物が出れば浴びる。病気になったら酒を呑み肉を食べて体力を付ける。痩せ衰えるのも病気のうちだぞ? 国軍将校を務める貴族たる者、その間に戦でもあったらどうする。悲しみのあまり痩せ衰えて死にました、などというでっち上げの美談は、貴族が真に受けるべきではないのだ。また祭祀の水浴びだって、あれは清潔を保つためで、見せ物にやるんじゃないぞ。」(『孔子家語』曲礼子夏問)
余話
何で織った
通説では「布」→「麻布」とされるが、語釈の明瞭な初出は戦国最末期の『呂氏春秋』。
戎人見暴布者而問之曰:「何以為之莽莽也?」指麻而示之。
中国人が一生懸命織り上がった布を陽に晒して仕上げていると、蛮族が来て言った。「あんたは一体、なんでそんな一生懸命になっているんだ。」麻を指さした。(『呂氏春秋』知接)
たぶんそれに先行するだろう『墨子』では「多く麻絲葛を治り、捆布縿を緒る」とある。表記揺れがあるものの、「麻→捆」「絲→布」「葛→縿」となっており、通説は「絲」は絹とする。論語語釈「麻」・論語語釈「糸」・論語語釈「葛」・論語語釈「捆」を参照。
多治麻絲葛緒綑布縿(『墨子』非楽上6)
多治麻絲葛緒捆布縿(同非命6)
字形から「麻」が”アサ”であるのは確実で、出現年時と消去法で「絲」を”きぬ”と解釈するのは妥当。木綿が中国に現れるのは唐末~宋の十世紀で、比定対象には入らない。それでもなお、繊維材料には複数の動植物があるし、『孟子』にはこうある。
布帛長短同,則賈相若;麻縷絲絮輕重同,則賈相若
布と帛は長さが同じなら、売値も同じにし、麻と縷と絲と絮は重さが同じなら、売値も同じにする。(『孟子』滕文公上4)
ここで「麻→布」、「縷→帛」としてしまうと、「絲と絮はどうなるんだ」という事になる。一つ覚えで儒者の注を参照してしまえば、一層わけワカメになるだけ。『孟子』も後世相当いじくられているし、当人や論敵もあまり論理的な人々ではないから、根拠とは致しかねる。
例によって『礼記』ではウンチクを書き付けて「麻→布」と主張するが、文字史から周代の礼法ではありえず、董仲舒の『春秋繁露』にも同じように書いてあり、漢儒のでっち上げと判断するのが理に叶う。なお上掲『孟子』の章は、墨家らしき者との口げんかとして有名。
…ある者は心で働き、ある者は筋力で働く。心で働く者は人を治め、筋力で働く者は人に治められる。人に治められる者は人を養い、人を治める者は人に養われる。
孟子の論理の滅茶苦茶がわかって面白い話でもある。全訳はこちら。
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