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論語語釈「シ」

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語釈 urlリンクミス

士(シ・3画)

士 金文
士上卣・西周早期

初出:「小学堂」による初出は西周早期の金文。下掲「漢語多功能字庫」によると、甲骨文までは「王」と未分化だったという。

字形:「王」と字源を同じくする字で、斧を持った者=戦士を意味する。

音:カールグレン上古音はdʐʰi̯əɡ(上)。

用例:西周早期「貉子卣」(集成5409)に「王令士道歸(饋)貉子鹿三」とあり、”士族”と解せる。

備考:条件の厳しい野営の経験者には同意して貰えると思うが、ちゃちなナイフに重ナイフの仕事をさせれば簡単に折れるし、重ナイフにナタの真似は出来ない。ナタをオノの代用にするとえらく手間暇と筋力が要る。

そしてオノはナポレオン戦争直前まで、軍隊の実用武器たりえた。また硬度と粘りを兼ね備える金属精錬と鍛冶が出来るまでは、オノは戦士のメインウェポンたり得た。長さがありつつ折れない金属の剣は貴重なのに対し、オノは石を欠いたり磨いたりすれば作れたからである。

のち「士」の大なる者を区別するため一本線を加え、「王」の字が出来た、はずだが、「王」が甲骨文より確認出来るのに、「士」は西周初期の金文が初出。「漢語多功能字庫」王条によると、甲骨文の「王」は「士」をも意味しているという。

甲骨文「王」、「士」用同一個字形來表示(林澐),因為斧鉞既是王權的象徵,又是武士所執持的器具。

それが正しいなら、殷代まで「王」と「士」は未分化で、周になって分化し、「王」から一画引いて作字したことになる。論語語釈「王」を参照。

春秋時代の身分秩序も参照。論語では、塾生達が目指す貴族の最下級である士族のこと。孔子の生前では、道徳的な意味は全くない。道徳的な面倒くさい意味を塗り付けたのは、孔子より一世紀のちの孟子と、儒教の国教化作業に便乗した、前漢帝国の儒者である。

漢語多功能字庫」によると、金文では男子の通称(師㝨簋・西周末期、沇兒鐘・春秋末期)、ほか官職名に用いた。戦国の竹簡では”男性”の意に用い、漢代の金文では”兵士”を意味した(新郪虎符・前漢)。

学研漢和大字典

象形。男の陰茎の突きたったさまを描いたもので、牡(おす)の字の右側にも含まれる。成人して自立するおとこ。事(旗をたてる、たつ)と同系。また、仕(シ)・(ジ)(身分の高い人のそばにたつおとこ→つかえる)とも同系。

語義

  1. {名詞}おとこ(をとこ)。青年のおとこ。ひとりだちする成人したおとこ。《対語》⇒女。「士女(若い男女)」「士与女、方秉拂兮=士と女と、方し拂を秉る」〔詩経・鄭風・溌粘〕
  2. {名詞}中堅の役人層。▽周代の支配層には、天子*の直轄地は、卿・大夫・士の禄位があり、長官や将軍を卿と称した。諸侯は、大夫・士の二層で、上大夫を卿と称した。士は上士・中士・下士にわかれた。「執鞭之士(シツベンノシ)」〔論語・述而〕
  3. {名詞}春秋・戦国時代以後に生じた知識人。のち広く、学問や知識によって身をたてる人のこと。「士不可以不弘毅=士はもって弘毅(こうき)ならざる可からず」〔論語・泰伯〕
  4. {名詞}身分で、士・農・工・商の四階層の最上の層、官僚の母体となる知識人の層。「無論大家小家、士農工商=大家小家、士農工商を論ずる無し」〔曾国藩・家訓〕
  5. {名詞}「士師(昔の司法官)」の略。
  6. {名詞}りっぱな男子。「人士」「壮士」。
  7. {名詞}兵隊。近代は特に、士官のこと。「兵士」「士兵」。
  8. 《日本語での特別な意味》
    ①さむらい(さむらひ)。武士のこと。
    ②一定の職業、または資格のある人。「弁護士」「代議士」。
    ③自衛隊で、最下級。「陸士」「一士」。

*「天子」の言葉が中国語に現れるのは西周早期で、殷の君主は自分から”天の子”などと図々しいことは言わなかった。詳細は論語述而篇34余話「周王朝の図々しさ」を参照。

字通

[象形]鉞(まさかり)の刃部を下にしておく形。その大なるものは王。王・士ともにその身分を示す儀器。〔説文〕一上に「事(じ)なり」と畳韻を以て解し、「數は一に始まり、十に終わる。一と十とに從ふ。孔子曰く、十を推して一に合するを士と爲す」と孔子説を引くが、当時の俗説であろう。士は戦士階級。卿は廷礼の執行者。大夫は農夫の管理者。この三者が古代の治者階級を構成した。

子(シ・3画)

子 甲骨文 子 金文
甲骨文/頌鼎・西周晚期

初出:初出は甲骨文

字形:赤ん坊の象形。

音:カールグレン上古音はtsi̯əɡ(上)。

用例:殷の甲骨文で、”子供”を意味した。

辛丑卜,亘鼎(貞)。王(占)曰:“好其㞢(有)子,孚。”


辛丑卜い、亘貞う。王て曰く、“(婦)好其れ子有り、孚まん。”

子○で”殷王室の一員”を意味した。

…□亥子漁㞢(有)求(咎)。 一(『甲骨文合集』2993)


…□亥、子漁に咎有らんか。 一(『甲骨文合集』2993)

甲骨文を発明した殷王朝の末裔である春秋諸侯の一国である宋国は、戦国時代の半ばに滅ぼされるまで、姓を「子」とした。つまり上古、「子」とは”王族”を意味し得た。

西周以降の金文では、「子子孫孫」の用例が多く見られる。

春秋末期までに貴族への敬称に用いた。知識人への敬称でもあるが、その初出は事実上孔子。孔子のような学派の開祖や、孟子(魯国政界での孔子の友人)のような大貴族は、「○子」と記し”○先生・○様”。弟子の子貢のような学徒や、一般貴族は「子○」と記し、あざ名で”○さん・○どの”の意。開祖でもないのに「○子」と敬称される曽子や有子は、存在字体が疑わしい場合がある。

香港中文大学が運営する「漢語多功能字庫」では、「父」の対語だという。ただしそれが貴族への敬称に変わった経緯を、次のように説明する。

早くから人類は、”子供”を意味する言葉を男性貴族の敬称に用いてきた。古代ローマやマヤ文明がそうである。だから甲骨文の「子」は、殷王家の同族の族長を意味し得た。

論語集釋』には顧炎武の『日知録』を引用してこう言う。

周制公侯伯子男為五等之爵而大夫雖貴不敢稱子春秋自僖公以前大夫並以伯仲叔季為稱

周の制度では、公侯伯子男の五等爵があったが、それでも大夫(閣僚級の領主貴族)は身分の高さにかかわらず「子」と呼ばれようとはしなかった。『春秋』では、僖公以前の大夫はみな、某子ではなく、生誕順を示す伯仲叔季を某の後ろに付けて名乗った。(『日知録』巻四85)


春秋自僖、文以後,執政之卿始稱子。其後匹夫爲學者所宗亦得稱子,老子、孔子是也。

それで『春秋』では、僖公・文公からあとになって、執政の卿(城郭都市を領する大貴族)が「子」と呼ばれ始めた。さらに時代が下ると、貴族でもない者が学問をすると、「子」と呼ばれるようになった。老子や孔子がその例である。(『論語集釋』学而)

しかし西周早期の金文「子殷乍父丁尊」の例があり、殷周革命直後から貴族の敬称になっていたことを読み取れる。

学研漢和大字典

子 解字

象形文字で、Aは小さい子どもを描いたもの。Bは子どもの頭髪がどんどん伸びるさまを示し、おもに十二支の子(シ)の場合に用いた。のちAとBは混同して子と書く。絲(シ)(=糸。小さく細いいと)と同系で、小さい意を含む。また、茲(ジ)(ふえる)・字(親字から分化してふえた文字)と同系で、繁殖する意を含む、という。

語義

  1. {名詞}こ。親のうんだこ。《対語》⇒父・母。《類義語》孫(まご)。「老而無子曰独=老いて子無きを独と曰ふ」〔孟子・梁下〕
  2. {名詞}むすこ。男のこ。▽狭い用法では男のこを子といい、女のこを女という。「子女(シジョ)」。
  3. {名詞}成人した男子に対する敬称。あなた。「二三子(ニサンシ)(あなたたち)」「子奚不為政=子奚(なん)ぞ政(まつりごと)を為さざる」〔論語・為政〕
  4. {名詞}…をする者。ひと。「読書子」。
  5. {名詞}学問があり、人格のすぐれた人の名につける敬称。▽特に「論語」の中では孔子を子という。「孟子」「老子」「諸子百家(あまたの古代の思想家)」。
  6. {名詞}中国の書籍を、経・史・子・集の四部に分類したうちの子部のこと。→子部。
  7. {名詞}公・侯・伯・子・男の五等爵の第四位。のち日本でも用いられた。「子爵」。
  8. {動詞}こたり。こどもらしくする。子としての役を果たす。「子不子=子子たらず」〔論語・顔淵〕
  9. {動詞}ことする(ことす)。自分のこどもとみなす。「子庶民=庶民を子とす」〔中庸〕
  10. {名詞}み。実・種・動物のたまご。《同義語》哽(シ)。「鶏子」「桃子(もものみ)」。
  11. {名詞}こ。もとになるものから生じてできてきたもの。▽「母財(元金)」に対して、「子金(利子)」という。《対語》母。
  12. {名詞}ね。十二支の一番め。▽時刻では夜十二時、およびその前後二時間、方角では北、動物ではねずみに当てる。
  13. {助辞}小さいものや道具の名につけて用いる接尾辞。「帽子(ボウシ)」「椅子(イス)」「金子(キンス)」「払子(ホッス)(ちりはらい)」。
  14. {動詞}ふえる。また、繁殖する。▽滋(ジ)に当てた用法。
  15. {動詞}いつくしむ。▽慈(ジ)に当てた用法。

字通

幼子の象。〔説文〕十四下に十二支の「ね」と解し、「十一月、陽气動き、萬物滋入す。以て稱と為す。象形」と子・滋(滋)の畳韻を以て解するが、卜文の「ね」にあたる字は、別の字で示されている。卜文では子は「巳」(み)にあたる字として用いる。十二支の字の用法は字の初義と関係なく、もちろん十二支獣とも関係はない。

字通 将

子は幼子の象形。卜文・金文において、左右の手を一上一下する形のものがあり、それは王子の身分を示す。卜辞に見える子鄭・子雀は、おそらく鄭・雀の地に封ぜられた王子の称であろう。のち字(あざな)にこの形式を用いるのはその遺法であるが、所領の関係が失われたのちは、名と字義の対待による。仲由、字は子路、路は人の由る所。顔回、字は子淵、淵は回水の意。子は本来王子・公子など、貴族身分の身分称号的に用いられたもので、のち一般の児子にもいう。子を代名詞に用いるのは、その身分称号からの転用である。

之(シ・3画)

之 甲骨文 之 金文
甲骨文/邾公華鐘・春秋末期

初出:初出は甲骨文

字形:字形は”足”+「一」”地面”。足を止めたところ。原義は”これ”。同じ指示詞でも、「此」が直近の事物を指し、「其」がやや遠い事物を指すのに対して、足元に「これ」と指さすような、強調して指し示す場合に用いる。

音:カールグレン上古音はȶi̯əɡ(平)。

用例:「先秦甲金文簡牘詞彙資料庫」は、甲骨文の用例を全て指示代名詞・人称代名詞に分類している。

殷代末期の『新收殷周青銅器銘文暨器影彙編』NA1636に「王之女□」とあり、”ゆく”の意である可能性がある。

春秋早期の金文「者󱜷鐘」に「工䱷王皮㸐之子」とあり、”…の”の用法が確認できる。

隹正月初吉丁亥。工䱷王皮㸐之子睪其吉金。自乍󱜸鐘。


隹れ正月初吉ついたち丁亥。工漁(漁業監督官?)王皮然之子睪、其れ吉き金もて、自ら󱜸鐘を作る。

「郭店楚簡」五行8では「志」”思う”に、老子甲29では「治」”治める”に、語叢二52では”ゆく”に用いた。

漢語多功能字庫」によると、甲骨文の段階で音を借りて”この・これ”を意味した。

備考:「之」が指示(代名)詞となる場合は、必ず以前に示すべき内容があり、以後には存在しない。『大漢和辞典』にもそのような語釈は無い論語衛霊公篇33新注で朱子が以後にあるかのように言っているが、頭の悪い宋儒のオカルトと高慢ちきを猿まねするのは、間抜けだからやめた方がいい。

「之」を英語の関係代名詞のように解するのは賛成しない。漢語で関係代名詞を明記する辞書を一つしか知らないし、そのただ一つである『字通』は、「所を関係代名詞や受身に用いるのは後起の用義法で、音の仮借によるものである」といい、「之」ではなく「所」、それも「後起の用義法」というから(論語語釈「所」)、春秋時代の論語に当てはめるべくもない。

もっとも『大漢和辞典』には、「上を承け、下を導く辞」という語釈がちらほらあるが、「之」の語釈にはそのようなことを書いていない。

学研漢和大字典

象形文字で、足の先が線から出て進みいくさまを描いたもの。進みいく足の動作を意味する。先(跣(セン)の原字。足さき)の字の上部は、この字の変形である。「これ」ということばに当てたのは音を利用した当て字。

是(シ)・(コレ)、斯(シ)・(コレ)、此(シ)・(コレ)なども当て字で之(シ)に近いが、其‐之、彼‐此が相対して使われる。また、之は客語になる場合が多い。

語義

  1. {動詞}ゆく。いく。…に至る。「孔子之衛=孔子衛にゆく」〔礼記・檀弓上〕。「之死=死にいたるまで」。
  2. {指示詞}これ。→語法「②-1」。
  3. {指示詞}これ。→語法「②-2」。
  4. {助辞}の。→語法「①-1」。
  5. {助辞}の。→語法「①-2」。

語法

①「~の…」とよみ

  1. 「~」が「…」を修飾する関係を示し、名詞節となる。「万乗之国、弑其君者、必千乗之家=万乗の国、その君を弑(しい)する者は、必ず千乗の家なり」〈兵車一万台を出せるほどの大国でその主君を殺す者は、決まって兵車千台を出せる領地をもつ大臣である〉〔孟子・梁上〕
  2. 「~が…するさま」「~が…するとき」「~が…すること」と訳す。主述関係がある文の主語の直後に「之」をはさむと、その文は名詞節となる。「丘之祷久矣=丘之祷ること久し」〈自分のお祈りは久しいことだ〉〔論語・述而〕
  3. 「~のような…」と訳す。比喩を示す。「不有祝衵之佞、而有宋朝之美、難乎免於今之世矣=祝衵(しゅくだ)の佞(ねい)有らずして、宋朝の美有るは、難いかな今の世に免(まぬか)れんこと」〈祝衵(シュクダ)のような弁説がなくて、宋朝のような美貌があるだけなら、難しいことだよ、今の時世を無事に送るのは〉〔論語・雍也〕

②「これ」とよみ、

  1. 指示代名詞となる。「虎求百獣而食之=虎百獣を求めてこれを食ふ」〈虎はさまざまな獣を求めて、それを食らいます〉〔戦国策・楚〕
  2. 直前の語が動詞であることを示す。▽何をさすかは明示されない。「頃之、襄子当出、予譲伏於所当過之橋下=これを頃(しばら)くして、襄子出づるに当たり、予譲当(まさ)に過ぐべき所の橋下に伏す」〈しばらく経ち、襄子の外出を知り、予譲はその道筋の橋の下に待ち伏せた〉〔史記・刺客〕

③「~之…也」は、「~の…するや」とよみ、「~が…したとき」と訳す。時間・空間のある一部分を提示する意を示す。「君子之至於斯也、吾未嘗不得見也=君子のここに至るや、吾未だ嘗(かつ)て見ることを得ずんばあらざるなり」〈ここに来られた君子がたはね、私はまだお目にかかれなかったことはないのですよ〉〔論語・八佾〕→「也」語法「⑤」。

④「~之…」は、「~をこれ…す」とよみ、「~を…する」と訳す。倒置・強調の意を示す。「父母唯其疾之憂=父母にはただその疾(やま)ひをこれ憂へしめよ」〈父母にはただ自分の病気のことだけを心配させるようになさい〉〔論語・為政〕

字通

足あとの形。步(歩)の上半にあたり、左右の足あとを前後に連ねると步となる。足が前に進むことを示し、之往の義。〔説文〕六下に「出づるなり。艸のてつを過ぎ、枝莖益〻大にして、く所有るに象るなり。一なる者は地なり」という。地より屮・艸の伸びゆく形として、之往の意を導くが、あしの進む形。之を代名詞・語詞に用いるのは仮借であるが、代名詞としては卜文・金文に見え、語詞の用法は〔詩〕〔書〕にみえ、古くからその義に用いる。

大漢和辞典

之 大漢和辞典

尸(シ・3画)

尸 甲骨文 尸 金文
合33039/大盂鼎・西周早期

初出:初出は甲骨文

字形:人のあぐらをかいた横姿。「人」の甲骨文とほとんど変化が無い。上掲の例を除くと、甲骨文は膝を曲げ座った姿。

音:カールグレン上古音はɕi̯ər(平)。

用例:「甲骨文合集」6459.1に「壬午卜卜𡧊貞王惟婦好令征尸」とあり、民族名と解せる。

西周の金文では甲骨文とおそらく同義で、「夷」と釈文し”異族”と解せる例が多い。また人名の一部に用いた。また「祀」dzi̯əɡ(上)に通じて”祭る”・”位牌”の意に用いた。

学研漢和大字典

象形。人間がからだを硬直させて横たわった姿を描いたもの。屍(シ)の原字。また、尻(シリ)・尾の字におけるように、ボディーを示す意符に用いる。シは、矢(まっすぐなや)・雉(チ)(まっすぐ飛ぶきじ)のように、直線状にぴんとのびた意味を含む。

語義

  1. {名詞}しかばね。人間の死体。ぴんと硬直して伸びた人体。《同義語》⇒屍。「魂去尸長留=魂は去りて尸は長く留まる」〔古楽府・焦仲卿妻〕
  2. {名詞}かたしろ。古代の祭りで、神霊の寄る所と考えられた祭主。▽孫などの子どもをこれに当て、その前に供物を供えてまつった。のち肖像や人形でこれにかえるようになった。「尸主(シシュ)」「弟為尸則誰敬=弟尸と為せば則ち誰をか敬せん」〔孟子・告上〕
  3. (シス){動詞}死体のように硬直して横たわる。「寝不尸=寝ぬるに尸せず」〔論語・郷党〕
  4. {形容詞}死人のように動かない。「尸解(シカイ)」。

字通

[象形]屍体の横たわる形。屍の初文。屍は尸と死とを合わせた字。〔説文〕八上に「陳(つら)ぬるなり。臥する形に象る」という。尸陳は後起の義。〔論語、郷党〕に「寢(い)ぬるに尸せず」というように、偃臥するとき、その姿勢を避けるべきものとされた。祭祀のとき、かたしろとなることを尸主という。〔礼記、郊特牲〕に「尸は神像なり」とあり、祖の尸主には孫が代わってつとめた。それで祭祀を司ることを「尸(つかさど)る」という。

巳(シ・3画)

巳 甲骨文 巳 金文
合17736/毛公鼎・西周末期

初出:初出は甲骨文。

字形:ヘビの象形。

音:カールグレン上古音はdzi̯əɡ(上)。「ミ」は呉音。

用例:甲骨文から十二支の「み」を意味した。

西周早期「大禹鼎」(集成2831)に「古(故)喪𠂤(師)巳」とあり、句末で完了の意を示すと解せる。つまり「已」と混用されている。

西周末期「毛公鼎」(集成2841)に「父□,巳曰及(茲)卿事寮」とあり、”ああ”の意だと解されている。

西周末期「井姜大宰巳𣪕」(集成3896)に「井姜大宰巳鑄其寶𣪕」とあり、「己」”自分”の一用いている。

春秋の金文「新收殷周青銅器銘文暨器影彙編」NA1251に「它它巳巳」とあり、「怡」”楽しませる”の意で用いている。

春秋末期「吳王光鑑」(集成10298)に「往巳弔姬」とあり、「祀」”まつる”の意に解されている。

学研漢和大字典

象形。原字は、頭とからだができかけた胎児を描いたもので、包(ホウ)(胎児をつつむさま)の中と同じ。種子の胎のできはじめる六月。十二進法の六番めに当てられてから、原義は忘れられた。もと胎と同系。

語義

{名詞}み。十二支の六番め。▽時刻では午前十時、およびその前後の二時間、方角では南南東、動物では蛇(ヘビ)、五行では火に当てる。「上巳」。

字通

[象形]蛇の形。十二支の第六「み」に用いる。〔説文〕十四下に「已(や)むなり。四月、陽气巳(すで)に出で、陰气巳に臧(をさ)まる。萬物見(あら)はれて文章を成す。故に巳を蛇と爲す。象形」といい、十二支獣の意によって説を成しているが、卜文では「み」にあたる字に子の字を用いており、〔説文〕の説は根拠がない。字は蛇の象形であるが、金文では〔大盂鼎(だいうてい)〕「巳(ああ)」、〔呉王光鑑(ごおうこうかん)〕「往け巳(や)」、また〔欒書缶(らんしよふ)〕に「巳(すで)に其の吉金を斁(えら)ぶ」、〔蔡公盤(さいこうばん)〕に「祐受すること巳(や)むこと毋(な)し」のように用いる。古くは巳・已の字の区別が明らかでなく、金文の用義例によっていえば、巳はのちの巳・已の字に用いられている。おそらく声義の通ずる字であったのであろう。

止(シ・4画)

止 甲骨文 止 金文
合33193/琱生簋・西周晚期

初出:初出は甲骨文

字形:足の象形。

音:カールグレン上古音はȶi̯əɡ(上)。

用例:甲骨文から部首としての用例が多く見られる。また原義の”あし”のほか、”とどまる”・”やめる”と解しうる用例がある。

学研漢和大字典

象形。足の形を描いたもので、足がじっとひと所にとまることを示す。趾(シ)(あし)の原字。歯(ものをかんでとめる前歯)・阯(シ)・址(シ)(じっととどまったあと)などと同系。類義語の留は、溜(リュウ)(たまる)と同系で、一時そこにとまること。滞は、帯(長いおび)と同系で、長びくこと。停は、棒だちにたちどまること。泊は、舟がひと所にとまること。駐は、車馬がとまること。

異字同訓にとまる・とめる 止まる・止める「交通が止まる。水道が止まる。笑いが止まらない。息を止める。通行止め」 留まる・留める「小鳥が木の枝に留(止)まる。ボタンを留める。留め置く・書留」 泊まる・泊める「船が港に泊まる。宿直室に泊まる。友達を家に泊める」。

付表では、「波止場」を「はとば」と読む。▽草書体をひらがな「と」として使うこともある。▽草書体からひらがなの「と」ができた。また、初二画からカタカナの「ト」ができた。▽「やむ」「やめる」は「已む」「罷む」「已める」「罷める」とも書く。

語義

  1. {動詞}とまる。とどまる。じっとひと所にとまる。《対語》⇒進。《類義語》留・滞。「停止」「或五十歩而後止=或いは五十歩にして而後に止まる」〔孟子・梁上〕。「知止而后有定=止まるを知りて后に定まる有り」〔大学〕
  2. {動詞}とめる(とむ)。とどめる(とどむ)。じっとひと所にとめる。行こうとするのを押さえてとめる。「制止」「止子路宿=子路を止めて宿せしむ」〔論語・微子〕
  3. {動詞}やめる(やむ)。進行をやめる。仕事をとりやめる。役目をやめる。《類義語》已。「中止」「止吾止也=止むは吾が止む也」〔論語・子罕〕
  4. {名詞}たちどまった姿。転じて、姿。「容止」「人而無止=人にして止無し」〔詩経・眇風・相鼠〕
  5. {副詞}ただ。それだけ、わずかにの意をあらわすことば。▽それだけにとどまるの意から。《類義語》只(タダ)。「止一人耳=止だ一人耳」「止可以一宿=止だ以て一宿すべし」〔荘子・天運〕
  6. {助辞}句末にそえることば。「百室盈止、婦子寧止=百室盈ちて止、婦子寧し止」〔詩経・周頌・良耜〕

字通

[象形]趾(あし)あとの形。歩の上半。もと之と同形であった。〔説文〕二上に「下基なり。艸木の出でて址(あし)有るに象る。故に止を以て足と爲す」とあり、止・基の畳韻を以て解する。〔説文〕は止・之をともに草木初生の象と解するが、いずれも趾あとの形である。〔礼記、曲礼上〕「何(いづ)くにか止(あし)せんかと問ふ」とは、寝臥のとき、趾を向ける方向を問う意。また強く趾あとを印するのは、そこに止まる意。副詞の「ただ」や終助詞に用いるのは、仮借の用法である。

氏(シ・4画)

氏 甲骨文 氏 金文
甲骨文/頌壺・西周末期

初出:初出は甲骨文

字形:甲骨文の字形は「以」zi̯əɡ(上)と同じで、人が手にものを提げた姿。論語語釈「以」を参照。原義は”提げる”。「提」は「氏」(→wiki「氏」)と同音。論語語釈「姓」も参照。

音:カールグレン上古音はȡi̯ĕɡ(上)。同音は論語語釈「是」を参照。平声は不明。

用例:甲骨文の用例は、欠字が多くて判読できない。

金文では「眂」と記し「視」と釈文される例がある(西周早中期「員方鼎」集成2695)。

西周末期の「蔡𣪕」(集成4340)に「女母弗善效姜氏人。」とあるのは、”氏族”の意かも知れない。

漢語多功能字庫」によると、金文では官職の接尾辞(令鼎・西周早期)、夫人の呼称(乎簋・西周中期)、”氏族”(𠫑氏鐘・戦国早期)、”だから”(中山王方壺・戦国早期)、「是」”これ”(中山王鼎・戦国末期)の意に用いられた。戦国の竹簡では、”氏族”の意に用いられた。

備考:下記藤堂説にかかわらず、氏は血統を同じくしなくても名乗れた。例えば山賊は血統を共有しなくとも、みな同じ氏を名乗り得た。それゆえ令鼎のように、氏に職能集団や財団法人の語義がある。春秋時代の政党である孔子一門も同様だった(論語憲問篇41)。

「氏」は「是」とカールグレン上古音が全く同音同調で、論語憲問篇42の定州竹簡論語は「氏」を「是」と記す。

ただし下掲藤堂説は、「氏」の語源を「逓」とからめて説くが、「氏」のカールグレン上古音がȡi̯ĕɡ(上)に対して「逓」は不明。藤堂上古音は「氏」dhieg:「逓」degという。近音と言えば近音だが、「逓」の字形が見られる初出は、分からないほど新しい。従って逓の字を理由に語源を説くのは、無理があるように思う。

そもそも女系や男系と言った、ローマの氏姓制度が念頭にあるから、かえって中国古代の姓氏が分からないのであって、氏はもとから血統と関係なかったと解すれば、姓氏の違いがはっきりする。氏は共同でなにがしかの作業に当たる集団であり、血統が重なる場合はたまたまだ。

学研漢和大字典

象形。氏はもと、先の鋭いさじを描いたもので、匙(シ)(さじ)と同系。ただし古くより伝逓の逓(テイ)(つぎつぎと伝わる)に当て、代々と伝わっていく血統をあらわす。類義語に族。

語義

シ(上声)
  1. {名詞}うじ(うぢ)。中国で、同じ女性先祖から出たと信じられた古代の部族集団(姓)のうち、住地・職業、または兄弟の序列などによってわかれた小集団のこと。また、その小集団の名の下につけることば。「太史氏」「孟孫氏」。
  2. {名詞}うじ(うぢ)。古代には貴族の家がらの者の家の名の下につけることば。また、のち姓と氏とを混同し、すべて家の血統をあらわす名の下につけることば。
  3. {名詞}王朝名や国名の下につけることば。その王朝や国をたてた家の名の下につけたり、また、王朝名や国名そのものに氏をつけたりして呼ぶ。「劉氏(リュウシ)(漢の王朝)」「李氏(リシ)(唐の王朝)」。
  4. {名詞}結婚した女性の実家の姓の下にそえて、出身を示すことば。「焦仲卿の妻劉氏(リュウシ)」。
シ(平声)
  1. 「閼氏(アツシ)・(エンシ)」とは、匈奴(キョウド)の単于(ゼンウ)(君主)や王侯の正妻の称号。
  2. 《日本語での特別な意味》
    ①うじ(うぢ)。家の名の下につけることば。
    ②うじ(うぢ)。その土地の神社に奉仕する共同体の仲間。「氏子(ウジコ)」。
    ③し。人の名字または氏名の下につけて、敬意をあらわすことば。▽普通は、男につける。
    ④し。人をあらわすことば。「両氏」。

字通

[象形]小さな把手のある刀の形。共餐のときに用いる肉切り用のナイフ。その共餐に与(あずか)るものが氏族員であったので、氏族の意となる。族は㫃(えん)(はたあし)と矢に従い、矢は誓約に用い、氏族旗の下で誓約に加わる者の意。氏は祭祀、族は軍事、ともにその氏族儀礼に与るものをいう。〔説文〕十二下に「巴蜀、山岸の脅(むね)の𠂤(たい)(堆)、旁箸して落𡐦(らくだ)せんと欲する者を、名づけて氏と曰ふ。氏の崩るる聲、數百里に聞ゆ。象形」(段注本)とし、揚雄の〔解嘲〕「響くこと氏隤(したい)の若(ごと)し」の句を引くが、それは氏の本義本訓とも思われず、氏族の意と全く関するところがない。氏の音は是と近く、段玉裁は是を氏の本字とするが、是は匙(さじ)の象形字。先端がスプーンの形である。氏族共餐の儀礼としては、廟祭に長老が牲肉を頒(わか)つのを宰(廟屋の形と、牲肉を切る曲刀の形)というように、共餐の肉を頒つ氏の方がふさわしい。氏の大なるものは厥(けつ)、いわゆる剞劂(きけつ)(ほりもの刀)の劂の初文で、これは彫刻などに用いる。古代の氏族は、王朝との関係において、職能的に組織されることが多く、〔周礼〕の官制には保氏・媒氏・射鳥氏・方相氏のように、氏を官名とするものが多い。その古礼を伝承する氏族の名であろう。

示(シ/キ・5画)

示 甲骨文 示 金文
甲骨文/亞干示觚・殷代末期

初出:初出は甲骨文

字形:位牌または祭壇の姿で、原義は”祭る”・”神霊”。

音:カールグレン上古音はi̯ər(去)。語頭の子音は示されていない。平声の音は不明。漢音「シ」(去)は”しめす”を意味し、「キ」(平)は「祇」”神霊”を意味する。

用例:「甲骨文合集」に551.32「癸丑卜貞小示有羌」とあり、”まつる”と解せる。「小示有羌」とは、ちょっとした祭祀に羌族の奴隷を生け贄にすること。

殷代末期の「󺵿且乙爵」(集成8837)に「示丁、且(祖)乙。」とあり、”まつる”または”霊魂”と解せる。

西周中期の「豦𣪕」(集成4167)に「易(賜)衣示冑」とあり、”あたえる”と解せる。現代中国語で到来物を「賜示」という。

春秋中期の「新收殷周青銅器銘文暨器影彙編」NA0724には、「察」と釈文する例がある。

春秋の金文には、「嘗」「盟」と釈文する例がある。

漢語多功能字庫」によると、甲骨文では”神霊”・”位牌”を意味し、金文では氏族名・人名に用いた。

備考:『大漢和辞典』で「くにつかみ」と訓読する字に「示」「社」(社)「祇」がある。「申」(神)がいかづちの象形で「あまつかみ」を意味したのに対し、「示」は広く神霊一般を指した。のち、天の神と地の神を区別するため、「示」には「土」「氏」を付けて「うぶすながみ」「うじがみ」を表し、「申」には「示」を付けて変わらず「あまつかみ」を表した。論語語釈「社」論語語釈「神」論語語釈・「祇」も参照。

文字史上、甲骨文から「申」”天神”・「土」”大地神”に”かみ”の意があるのに対し、「氏」にはその意が無いことから、太古の中国ではまず天神と大地神の概念が生まれ、鉄器と小麦栽培の実用化により社会が発展・複雑化した春秋時代になって、血統に拠らない同族集団である「氏」が生まれ、その結束をはかるため「祇」”氏神”が作られたと見られる。

語義 西周 春秋 戦国 語釈
まつる・かみ
いかづち・あまつかみ 語釈
つち・土地・うぶすながみ 語釈
うじ △* 語釈
神(神) あまつかみ 語釈
社(社) うぶすながみ・くにつかみ 語釈
うじがみ・くにつかみ 語釈
まつる・かみ →** 語釈

*”携える”の語義で甲骨文に存在。
**西周以降は主に”天神”を指した。”まつる”の意も並行して存在した。

”天神”を西周になったとたんに「神」と書き始めたのは、殷王朝を滅ぼして国盗りをした周王朝が、「天命」に従ったのだと言い張るためで、文字を複雑化させたのはもったいを付けるため。「天子」の言葉が中国語に現れるのも西周早期で、殷の君主は自分から”天の子”などと図々しいことは言わなかった。詳細は論語述而篇34余話「周王朝の図々しさ」を参照。

「指」のカールグレン上古音はȶi̯ər(上)。初出は西周中期だが、”ゆび(さす)”の用例が見られるのは戦国時代の竹簡から。『大漢和辞典』に「脂」ȶi̯ər(平)の語釈として”ゆび”があるが、初出は戦国時代。「旨」が”しめす”を意味する初出は戦国の「郭店楚簡」緇衣42から。論語語釈「旨」を参照。

学研漢和大字典

象形。神霊の降下してくる祭壇を描いたもの。そこに神々の心がしめされるので、しめすの意となった。▽のち佶印に書かれ、神・社など、神や祭りに関することをあらわす。

語義

シ(去)
  1. {動詞・名詞}しめす。しめし。外にあらわして見せる。人に見せる。さしず。また、おしえ。「指示」「顕示」「訓示」「其如示諸斯乎=其れ諸を斯に示すが如きか」〔論語・八佾〕
キ(平)
  1. {名詞}くにつかみ。地の神。祭壇にまつる神。《同義語》⇒祇・祁。

字通

[象形]神を祀る祭卓の形。〔説文〕一上に「天、象を垂れて吉凶を見(しめ)す。人に示す所以(ゆゑん)なり。二(古文上)に從ふ。三垂は日月星なり。天文に觀て、以て時變を察す。示とは神事なり」という。天が三垂を以て人に示す意の字とするが、卜文の字形は祭卓の象。ドルメン・石主・神桿・陽茎の形とする説などもあるが、卜文にはこの上に鳥牲をおく形があり、金文の祭は、この上に肉をおく形。卜文に殷の祖神を五示・十示のようによび、神霊の意とする。示の大なるものは下に締脚を加えて帝という。また祭卓を廟中におく形は宗。示は寘と通用し、寘は癲死者(てんししや)(行き倒れ)を葬ること。また音を以て視(視)とも通用する。

四(シ・5画)

四 甲骨文 四 金文
甲骨文/徐王子同鐘・春秋末期

初出:初出は甲骨文。

字形:横線を四本引いた指事文字。現行字体の初出は春秋末期の金文。

音:カールグレン上古音はsi̯əd(去)。

用例:甲骨文の時代から数字の”4”を意味し、戦国時代では人名の一部を構成した例がある。

備考:「四十」をまとめて「卌」で記す例は甲骨文から見られる。「卌」は『新字源』によると、会意文字で「十」+「十」+「十」+「十」の省略形。

卌 金文
「卌」曶鼎・西周中期

学研漢和大字典

会意。古くは一線四本で示したが、のち四と書く。四は「囗+八印(分かれる)」で、口から出た息が、ばらばらに分かれることをあらわす。分散した数。呬(キ)(ひっひと息を分散させて笑う)の原字。死(生気が分散し去る)・西(昼間の陽気が分散し去る方向)と同系。証文や契約書などで、改竄(カイザン)や誤解をさけるために「肆」を用いることがある。

語義

  1. {数詞}よつ。よっつ。「有君子之道四焉=君子の道四つ有り」〔論語・公冶長〕
  2. {数詞}よ。順番の四番め。「四月四日」。
  3. {動詞・副詞}よたびする(よたびす)。よたび。四度する。四回。「四遷荊州刺史=四たびして荊州の刺史に遷る」〔後漢書・楊震〕
  4. {副詞}よもに。四方に。四方から。あちこち。「四嚮=四もに嚮(むか)ふ」「乱者四応=乱者四もに応ず」〔欧陽脩・伶官伝叙論〕
  5. 《日本語での特別な意味》
    ①よつ。午前十時、または午後十時。▽江戸時代のことば。「四つ時」。
    ②野球で、「四球」の略。「四死球」。

字通

[指事]初文は籀文(ちゆうぶん)の字形が示すように四横画を重ねた形で、数の四を示す。〔説文〕十四下に「陰の數なり。四分形に象る」とするが、四の形は〔石鼓文〕に至ってはじめてみえる。四は■(口+四)(し)の省文を仮借して用いるもので、口の形に従う。

司(シ・5画)

司 甲骨文 司 金文
合集32050/㝬鐘・西周晚期

初出:初出は甲骨文

字形:「𠙵」”口に出す天への願い事”+”幣のような神ののりしろ”。原義は”祭祀”。

音:カールグレン上古音はsi̯əɡ(平)。同音の「思」の論語時代の置換候補。

用例:「甲骨文合集」13559.1に「壬辰卜貞鑿司室」とあり、「鑿司室」とは祭祀に用いる穴蔵を掘ることだろう。”祭祀”と解せる。

殷代末期或いは西周早期の「龏㚸方鼎」(集成2433)に「龏㚸商易貝于司」とあり、”役人”と解せるが、「后」とも釈文されている。”王夫人”または”君主”と解せる。論語語釈「后」を参照。

西周末期「弔向父禹𣪕」(集成4242)に「余小子司朕皇考」とあり、「嗣」”継ぐ”と解せる。

春秋末期「滕司徒戈」(集成11205)に「滕司徒□之戈。」とあり、”役人”と解せる。

学研漢和大字典

会意文字で、「人+口」。上部は、人の字の変形、下部の口は、穴のこと。小さい穴からのぞくことをあらわす。覗(シ)(のぞく)や伺(うかがう)・祠(シ)(神意をのぞきうかがう→まつる)の原字。転じて、司察の司(よく一事を見きわめる)の意となった。

類義語の宰は、主任者として仕事をあずかる。掌は、手中におさめて処置する。職は、一定の仕事の責任を負う。主は、中心となって処理する。

語義

  1. {動詞}つかさどる。役目を担当する。一つの仕事に通じる。▽一事に通じてそれを担当する者を「有司(役人)」と称した。▽訓の「つかさどる」は、「つかさ+とる」から。「司法=法を司る」「司書」。
  2. {名詞}つかさ。役目を担当する人。役人。▽昔は担当官を「有司」「所司」といい、近代では「司事」「司務」という。《類義語》官。「漁豆之事則有司存=漁豆(へんとう)の事には則(すなは)ち有司存す」〔論語・泰伯〕
  3. {名詞}役目の名。▽周代の制では、司馬(兵馬を担当)・司徒(教育を担当)・司空(土地・人民のことを担当)などの役を置いた。のち、姓ともなる。「司馬遷」。
  4. {名詞}役所。▽清(シン)代には布政司(藩司ともいい、税務担当)や按察司(アンサツシ)(帋司(ゲッシ)ともいい、刑法担当)などの役所を置いた。
  5. 《日本語での特別な意味》
    (1)つかさ。役目の名。▽奈良・平安時代には、国司(コクシ)・(クニツカサ)を置いた。
    (2)「下司(ゲス)」とは、下役人の意から、転じて、卑しい者の意。

字通

[会意]シ 外字(し)+口。口は祝禱を収める器の形で𠙵(さい)。シ 外字はこれを啓(ひら)くもの。そこに示される神意を伺いみることを示す。神の啓示を受けることを司ることから、司の意となる。〔説文〕九上に字を后の反文(反対の左向きの形)とし、「臣にして事を外に司る者なり」とするが、卜文では后の初文は毓(いく)の形にしるされている。司はおそらくもと祭祀に関する字で、卜辞に「王の廿祀」を、また「王の廿司」としるしているものがあり、祀と声義の近い字であろう。金文に、長官として政を司ることを「死𤔲(しし)」といい、死は尸(し)で尸主、また司る意があり、𤔲は治める意。𤔔(らん)は亂(乱)の初文で、架にかけた糸のもつれ。それをシ 外字の形のもので紛(もつ)れを解く形である。司にまた「司(つ)ぐ」意があり、嗣の初文とみてよい。

仕(シ・5画)

仕 金文
仕斤徒戈・戦国早期(斉)

初出:初出は甲骨文。「小学堂」による初出は戦国早期の金文

字形:「士」+「人」で、原義は”役人”。

音:カールグレン上古音はdʐʰi̯əɡ(上)。藤堂上古音はdzïəg。

用例:「甲骨文合集」4025.2に「乙卯卜貞仕󱩾令比󱩾󱩾」とあるが、欠損が激しく判読不能。

戦国の「得工仕鏃」(集成11986)に「得工仕。」とあり、人名の一部と思われる。

戦国最末期の「睡虎地秦簡」為吏20伍に「三󱩾(世)之後,欲士(仕)士(仕)之」とあり、「士」を「仕」と釈文している。

論語時代の置換候補:同音異調の「事」dʐʰi̯əɡ(去)が論語時代の置換候補となる。”臣従する”の語義が春秋時代以前に確認できる。論語語釈「事」を参照。

部品の「士」に”つかえる”の語釈を『大漢和辞典』が載せるが、この語釈は春秋時代以前では確認できない。論語語釈「士」を参照。

学研漢和大字典

会意兼形声。士は、男の陰茎の直立するさまを描いた象形文字。男、直立するの二つの意味を含む。仕は「人+(音符)士(シ)」で、まっすぐにたつ男(身分の高い人のそばにまっすぐたつ侍従)のこと。事(ジ)や榎(ジ)(まっすぐたつ)と通じ、事君(君に事(ツカ)ふ)と仕君(君に仕ふ)とは同じことである。

語義

  1. {動詞}つかえる(つかふ)。身分の高い人のそばにたって世話する。広く、役目につく。また、役目についてサービスする。《類義語》事。「給仕」「仕官」。
  2. {名詞}つかえ(つかへ)。役人としてつかえること。また、役目につくこと。「退而致仕=退きて而致仕す」〔春秋公羊伝・宣元〕
  3. 《日本語での特別な意味》「す(為)」の連用形「し」に当てて用いる。「仕事」「仕儀」。

字通

[形声]声符は士(し)。〔説文〕八上に「學ぶなり」というが、その義に用いた例がない。古くは仕えることを宦(かん)といい、宀(べん)部七下に「宦(くわん)は仕なり」という。〔礼記、曲礼上〕に「宦學して師に事(つか)ふ」という語がみえ、仕官のために学ぶ意であろうが、仕にその意があるのではない。士は鉞頭の形で、戦士階級の身分を示す儀器。そのような身分のものとして、出仕することをいう。〔詩、小雅、四月〕に「盡瘁(じんすい)して以て仕ふ」という句がある。

史(シ・5画)

史 甲骨文 史 金文
甲骨文/史秦鬲・殷代末期

初出:初出は甲骨文

字形:「𠙵」”口”+「コン」”筆”+「又」”手”で、人の言葉を書き取るさま。原義は”書記”。

音:カールグレン上古音はsli̯əɡ(上)。

用例:「漢語多功能字庫」によると、甲骨文では官職名・氏族名・人名に、また”事情”、”使者”を意味した。金文では氏族名(史尊・殷代末期)、官職名(內史龏鼎・西周中期)、”出来事”(𠑇匜([亻賸]匜)・西周中期或末期)、”使者”(中甗・西周)の意に用いた。

備考:字源について、四角を見れば何でも「祈祷文の容れ物である𠙵さい」とパブロフ犬のように言う白川説には賛成できない。「史」はくちふでの会意文字で、口から出た言葉を、筆を手に取って書き記すことや記す行為者やその成果物を言い、漢字は占い文の記録から始まった経緯から、史は神官を兼任したし、記録を与ることから、歴史官や天文官を兼務した。

甲骨文には又を欠いた字形があり、やはり口から出た言葉を書き記すことを言う。筆に墨を付けて記すのを史 甲骨文と書き(鐵82.4・合10550)、先の尖った筆刀で刻むのを史 甲骨文と書いた(京津2016・合19137)。後者からは事・吏・使という派生字を生んだ。

学研漢和大字典

会意。「中(竹札を入れる筒)+手のかたち」で、記録をしるした竹札を筒に入れてたてている記録役の姿を示し、特定の役目をあずかる意を含む。使(役目をあずかるつかい)・事(旗をたてる旗本、その仕事を役目としてあずかる)と同系。

語義

  1. {名詞}ふびと。記録をつかさどった役目。歴史官。▽昔は、天文・暦法・祭祀(サイシ)をもあわせてつかさどる聖なる職で、内史・外史・左史・右史などがあった。周代、天子*の左右にいる秘書官を御史といい、秦(シン)・漢代のころには、歴史官を太史といった。隋(ズイ)・唐代以後は、御史は監察の役目となる。「巫史(フシ)(神官と歴史官)」「吾猶及史之闕文也=吾なほ史の闕文に及びたり」〔論語・衛霊公〕
  2. {名詞}ふみ。歴史の書。▽勅撰(チョクセン)や公認の歴史を正史、民間でつくられたのを外史または外伝という。「史伝」「二十四史」。
  3. {名詞}あやのある文章。「文勝質則史=文質に勝れば則ち史なり」〔論語・雍也〕
  4. 「女史」とは、もと、妃の教養や礼法について担当した役。のち学問のある女性を呼ぶ尊称。
  5. 《日本語での特別な意味》さかん(さくゎん)。四等官で、神祇(ジンギ)官の第四位。

*「天子」の言葉が中国語に現れるのは西周早期で、殷の君主は自分から”天の子”などと図々しいことは言わなかった。詳細は論語述而篇34余話「周王朝の図々しさ」を参照。

字通

[会意]中+又(ゆう)。中は祝禱を収める器である口(𠙵(さい))を木に著けて捧げ、神に祝告して祭る意で、卜辞にみえる史とは内祭をいう。卜辞に「又史」という語としてみえる。外に出て祭ることを「事(まつ)る」といい、その字はまた使の意にも用いる。事は史に吹き流しをつけた形で、史が内祭であるのに対して、外祭であることを示す。王使が祭の使者として行うことが王事であり、その王事に服することが祭政的支配の古い形態であった。史・使・事はもと一系の字である。祝詞を扱うものを巫史(ふし)といい、その文章を史といい、文の実に過ぎることをまた史という。巫史の文には史に過ぎることが多かったのである。祭祀の記録が、その祭政的支配の記録でもあった。〔説文〕三下に「史は事を記す者なり。又(手)の、中を持するに從ふ。中は正なり」とあって、史官が事を記すのにその中正を守る意であるとするが、中正のような抽象的観念を手に執ることは不可能である。それで江永は中を簿書にして簿書を奉ずる形とし、また王国維や内藤湖南は中を矢の容器の形とし、郷射礼などにおける的中の数を記録するものが史であるとする。卜辞に史を内祭とし、また史・使・事の系列字の用義から考えると、史が祭祀を意味する字であったことは疑いがない。

矢(シ・5画)

矢 甲骨文 矢 金文
甲骨文/小盂鼎・西周早期

初出:初出は甲骨文

字形:矢の象形。原義は”矢”。

音:カールグレン上古音はɕi̯ər(上)。

用例:「甲骨文合集」26889に「不矢眾。(衆にちかわざらんか)」「其矢眾。(それ衆に矢わんか)」とあり、”ちかう”と解せる。

論語雍也篇28では”誓う”と語釈されている。

漢語多功能字庫」によると、甲骨文では原義で、また”並べる”の意に用いた。金文では原義のほか国名に用いた(矢白隻乍父癸卣・西周早期)。戦国の竹簡では「屎」にも通じてその意に用いた。

学研漢和大字典

象形。まっすぐな矢を描いたもの。尸(シ)(まっすぐで短いからだ)・指(まっすぐで短いゆび)・屎(シ)(短い棒状のくそ)・雉(チ)(矢のようにまっすぐ飛ぶきじ)と同系。類義語の箭(セン)は、揃(セン)(そろえる)・剪(セン)(そろえて切る)と同系で、長さをそろえて切った矢。「や」は「箭」とも書く。

語義

  1. {名詞}や。直線をなしたや。▽まっすぐ直進する、ずばりと直言することなどにたとえる。《類義語》箭(セン)。「弓矢斯張=弓矢斯に張る」〔孟子・梁下〕。「邦有道如矢=邦に道有れば矢のごとし」〔論語・衛霊公〕
  2. {名詞}直線状で短いくそ。《同義語》屎(シ)。「馬矢(馬のふん)」「以筐盛矢=筐を以て矢を盛る」〔荘子・人間世〕
  3. (シス){動詞}ちかう(ちかふ)。神前に直言してちかう。ずばりと言いきる。《類義語》誓。「矢口=口に矢す」「夫子矢之=夫子これを矢ふ」〔論語・雍也〕
  4. {動詞}つらねる(つらぬ)。一直線状に並べる。《類義語》陳。「公、矢魚于棠=公、魚を棠に矢ぬ」〔春秋左氏伝・隠五〕

字通

[象形]矢の鏃(やじり)のある形。〔説文〕五下に「弓弩の矢なり。入に從ひ、鏑(たく)・栝羽(くわつう)の形に象る」とするが、〔説文〕にいう入の形は鏃(やじり)。字の全体が象形である。「矢(ちか)ふ」とよむのは、古く誓約のときに矢を用いることがあったのであろう。誓は矢を折る形に従い、知・智も矢に従う。また「矢(つら)ぬ」とよむのは、施・肆と同音で、その義に通用するのであろう。

市(シ・5画)

市 甲骨文 市 金文
合27641/兮甲盤・西周末期

初出:初出は甲骨文とされるが、語義は異なる。”市場”系統の語義は、「待」(初出西周早期金文)の音を持つゆえの仮借。

字形:甲骨文に比定されている字形は、「夂」”あし”+「一」”地面”+「丨」水流+「水」で、足を止めざるを得ないにわか雨を示す。「沛」の原字。現行字形は戦国時代になって現れた略字。

音:カールグレン上古音はȡi̯əɡ(上)。同音は「時」「塒」(平)、「恃」(上)、「侍」(去)。

用例:「甲骨文合集」28751に「乙卯卜今日市王其〔辶戈〕無□ 大吉」とあり、”にわか雨”と解せる。

西周末期「兮甲盤」(集成10174)に「其賈毋敢不即次即市」とあり、”いちば”または”売る”と解せる。

備考:「市」の語義が多様化したため、原義を示すために漢代になって「沛」pʰwɑd/pʰwɑd(共に去)の字形が作られた。漢高祖劉邦の出身地「沛」としても知られる。また周になって原義系統の漢語は、「巿フツ」pi̯wət(入)に置き換わった。

学研漢和大字典

会意兼形声。「平+(音符)止」で、うり手・かい手が集まって、足をとめ、平衡のとれた価を出すところの意をあらわす。止は、趾(あし)の原字で、そこに行ってとまる意をあらわす。類義語に都。

語義

  1. {名詞}いち。市場。おおぜいの人が物品の売買に集まる所。「門前成市=門前市を成す」「商賈皆欲蔵於王之市=商賈皆王の市に蔵せんことを欲す」〔孟子・梁上〕
  2. {動詞}うる。かう(かふ)。取り引きする。「沽酒市脯(コシュシホ)(うり物の酒やほし肉)」〔論語・郷党〕。「願為市鞍馬=願はくは為に鞍馬を市はん」〔古楽府・木蘭辞〕
  3. {名詞}うりかい。取り引き。「市価」「市面(取り引きの状況)」。
  4. {名詞}人の集まるにぎやかな町。「市街」。
  5. {名詞}今日では行政区の一つ。

字通

[象形]市の立つ場所を示す標識の形。交易の行われる場所には高い標識を樹て、監督者が派遣された。〔説文〕五下に「買賣するものの之(ゆ)く所なり」とし、字形について「市に垣有り。冂(けい)に從ひ、𠄎(きふ)に從ふ。𠄎は古文及なり。物の相ひ及ぶに象るなり。之(し)の省聲」とする。金文の字形は朿(し)と同じく標木を樹(た)てた形で、上に止(之)を加える。止が声符であるのか、意符であるのかは明らかでない。〔唐六典〕に市を「建標立候、陳肆(ちんし)辨物」というように、公認の場所に標識を樹て、監督官をおいた。城外近郊の広場などがその地にあてられ、古くはそこで歌垣なども行われた。〔詩(韓)、陳風、東門之枌(とうもんしふん)〕に「穀旦(こくたん)(よあけ)に于嗟(うさ)(雨乞いの祈りの声)す 南方の原に 其の麻を績(つむ)がず 市に婆娑(ばさ)す」というのは、その場所での歌垣を歌うものである。〔周礼、地官〕に「司市」の職があり、その規制の方法が詳しく記されている。またそこで、公開処刑が行われることがあった。

自(シ・6画)

自 甲骨文 自 金文
甲骨文/令鼎・西周早期

初出:初出は甲骨文

字形:原義は人間の”鼻”。

音:「ジ」は呉音。カールグレン上古音は不明。藤堂上古音はdzied。

用例:『甲骨文合集』11506に「貞有疾自」とあり、「貞う、はなに疾い有らんか」と読め、”はな”の語義を確認できる。24951に「惟王自正」とあり、「これ王自ら征かんか」と読め、”自ら”の語義を確認できる。24228に「王步自商,亡𡿧(災)。」とあり、「王商より行く、災い有らんか」とあり、”…より”の語義を確認できる。

西周・春秋の金文では、「自ら/自りて…を乍(作)る」の用例が数多くあり、”自分で”・”ゆえに”の語義を確認できる。

学研漢和大字典

象形。人の鼻を描いたもの。「私が」というとき、鼻を指さすので、自分の意に転用された。また出生のさい、鼻を先にしてうまれ出るし、鼻は人体の最先端にあるので、「…からおこる、…から始まる」という起点をあらわすことばとなった。類義語の親(シン)(みずから)は、じかに、直接にの意。躬(キュウ)(みずから)は、自分の身での意。

語義

  1. {副詞}みずから(みづから)。→語法「①」。
  2. {副詞}おのずから(おのづから)。→語法「②-1」。
  3. {副詞}おのずから(おのづから)。→語法「②-2」。
  4. {前置詞}より。→語法「③」

語法

①「みずから」とよみ、「わたし」「自分」と訳す。

  1. 自分が自分自身を行為・動作の対象にする。動詞の前に置かれて、主語・目的語を兼ね、一種の再読文字のような形になる。「自殺=(みずからが)みずからを殺す」《類義語》親。「寧信度、無自信也=寧ろ度を信ずるも、自(みづか)ら信ずる無(な)きなり」〈寸法書きは信用できても、自分(の足)を信用できない〉〔韓非子・外儲説左上〕
  2. 自分が他を行為・動作の対象にする。主語と目的語は異なる。「項伯許諾、謂沛公曰、旦日不可不蚤自来謝項王=項伯許諾し、沛公に謂ひて曰く、旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざる可からずと」〈項伯は承諾して沛公に、明朝早く、ご自身おいでになって、項王に詫びていただかねばなりませんと言った〉〔史記・項羽〕
  3. 一般論として、自分自身を行為・動作の対象にする。「自」は目的語となるが、必ず動詞の前に置かれる。

②「おのずから」とよみ、

  1. 「自然に」「ひとりでに」と訳す。「故得天時則不務而自生=故に天時を得れば則(すなは)ち務めずして自(おのづか)ら生ず」〈それゆえ、天の時にかなえば、特別に努力しなくても自然に(穂は)生える〉〔韓非子・功名〕
  2. 「もともとから」と訳す。「檻外長江空自流=檻外(かんがい)の長江空(むな)しく自(おのづか)ら流る」〈手すりの向こう、濺江が、むなしく自然と流れ行く〉〔王勃・滕王閣〕

③「より」とよみ、「~から」と訳す。時間・場所の起点・経由の意を示す。《類義語》従・由。「有朋自遠方来、不亦楽乎=朋(とも)の遠方自(よ)り来たる有り、また楽しからずや」〈友達が遠い所からも訪ねて来る、いかにも楽しいことだね〉〔論語・学而〕

④「自非」は、「~にあらざるよりは」とよみ、「~でない限りは」「もし~でないならば」と訳す。仮定・限定の意を示す。「自非攀竜客、何為棟来遊=竜に攀(よ)づるの客に非(あら)ざる自(よ)りは、何為(なんす)れぞ棟(たちま)ちに来り遊ばん」〈高貴の人に取り入って出世を望む人でない限り、どうしてあわててやって来ることがあろうか〉〔左思・詠史〕

⑤「よりす」とよみ、「~から始まる・来る」と訳す。▽「③」を動詞化したもの。「晨門曰、奚自=晨門曰く、奚(いづ)れ自(よ)りすと」〈門番が、どちらからですかと言った〉〔論語・憲問〕

字通

[象形]鼻の形。鼻は自に畀(ひ)を声符としてそえた形。〔説文〕四上に「畀なり。鼻の形に象る」という。卜辞に「~自(よ)り~に至る」の用法があり、「従(よ)り」と同義。金文に「自ら寶ソン 外字彝(はうそんい)を作る」のように自他の自の意に用いる。〔書、皋陶謨〕に「我が五禮を自(もち)ふ」とあり、その用義は、もと犠牲を用いるとき、その鼻血を用いたことからの引伸義であろう。〔穀梁伝、僖十九年〕に「之れを用ふとは、其の鼻を叩(たた)きて、以て社に衈(ちぬ)るなり」とみえる。

至(シ・6画)

至 甲骨文 至 金文
甲骨文/啟卣・西周早期

初出:初出は甲骨文

字形:甲骨文の字形は「矢」+「一」で、矢が到達した位置を示し、原義は”いたる”。

音:カールグレン上古音はȶi̯ĕd(去)。

用例:「甲骨文合集」5111.3に「貞自今至于庚戌不其雨」とあり、「とう、今より庚戌に至るまで其れ雨ふらざるか」と読め、時間的に”至る”と解せる。

西周早期「啟卣」(集成05410)に「王出獸南山。󻇭󻇮山谷。至于上𥎦滰川上」とあり、空間的に”いたる”と解せる。春秋末期「九里墩鼓座」(集成429)にも「余以宅東土,至于淮之上,世萬子孫永保。」とあり、空間的に”いたる”と解せる。

漢語多功能字庫」によると、甲骨文では原義の他、祭礼の名を意味した可能性があったという。金文では「致」の字が派生し、原義のほか人名、伝達、また武勇を意味し得たという。ただし「致」の字は「至」とは別の字体で、すでに甲骨文が比定されている。

論語語釈「致」も参照。

学研漢和大字典

会意。「矢が下方に進むさま+━印(目ざす線)」で、矢が目標線までとどくさまを示す。室(いきづまりの奥のへや)・抵(いたる)・致(そこまでとどける)と同系。

語義

  1. {動詞}いたる。目ざす所までとどく。また、自分の所までやってくる。《類義語》到。「必至(必ずそうなる)」「風雨驟至=風雨驟かに至る」「斯天下之民至焉=斯に天下之民至らん焉」〔孟子・梁上〕
  2. {形容詞・副詞}いたれる。いたって。ぎりぎりの線までとどいたさま。最高の。このうえなく。「至大」「至聖」「中庸之為徳也、其至矣乎=中庸の徳為るや、其れ至れるかな」〔論語・雍也〕
  3. {接続詞}いたるまで。「以至A=以てAに至るまで」「乃至A=乃ちAに至るまで」「至若A=Aのごときに至るまで」などの形で用い、Aまでも含めてそこまでの意。「自耕稼陶漁、以至為帝=耕稼陶漁より、以て帝為るものに至るまで」〔孟子・公上〕
  4. {名詞}太陽がぎりぎりの線までとどいた日。夏至(ゲシ)・冬至(トウジ)を至日という。
  5. {名詞}いたり。「…之至」という形で用い、手紙や奏上文に用いられる。「恐懼之至=恐懼之至りなり」。

字通

[会意]矢の倒形+一。一は矢の到達点。矢の至るところをいう。〔説文〕十二上に「鳥飛んで高きよりし、下りて地に至るなり。一に從ふ。一は猶ほ地のごときなり。象形」といい、鳥が地に下る象とする。この字解は、不字条十二上に「鳥飛んで上翔し、下り來(きた)らざるなり。一に從ふ。一は猶ほ天のごときなり。象形」とあるものと対応するものであるが、不は萼柎(がくふ)の象。そのふくらむものは胚胎(はいたい)の丕(ひ)、実ってはじけるのは剖判の咅(ほう)。不・丕・否は一系をなす字である。至は矢の至るところによって地を卜し、そこに建物などを営んだ。それで室・屋・臺(台)などの字は至に従い、また一系をなす。〔説文〕は不・至の両部を連ね、字義に関連があるとするが、字の初形に即するものではない。

死(シ・6画)

死 甲骨文 死 金文
甲骨文/大盂鼎・西周早期

初出:初出は甲骨文

字形:「𣦵ガツ」”祭壇上の祈祷文”+「人」で、人の死を弔うさま。原義は”死”。

死 異体字
慶大蔵論語疏では「夕乙」のみ記した箇所があり、「死」と傍記してある。また「〔一𠂎匕〕」と記す。『敦煌俗字譜』所収。

音:カールグレン上古音はsi̯ər(上)。

用例:「漢語多功能字庫」によると、甲骨文では、原義に用いられ、金文では加えて、”消える”・”月齢の名”(夨令簋・西周早期)、”つかさどる”(卯簋蓋・西周中期)に用いられた。戦国の竹簡では、”死体”の用例があるという。

学研漢和大字典

会意。死は「歹(ほねの断片)+人」で、人がしんで、骨きれに分解することをあらわす。呬(シ)(息がばらばらに分散する)・撕(シ)(分解する)・細(こまかく分かれたさま)などと同系のことば。類義語の逝(セイ)は、あの世に行く。歿(ボツ)は、姿が見えなくなること。亡は、いなくなること。崩は、山がくずれるようになくなることで、天子*の死に用いる。薨(コウ)は、見えなくなることで、諸侯の死に用いる。「屍」の代用字としても使う。「死体」。

*「天子」の言葉が中国語に現れるのは西周早期で、殷の君主は自分から”天の子”などと図々しいことは言わなかった。詳細は論語述而篇34余話「周王朝の図々しさ」を参照。

語義

  1. (シス){動詞}しぬ。生物が命を失って、その機能やからだが分解する。《対語》⇒生・活。「死活」「死生、有命=死生、命有り」〔論語・顔淵〕
  2. (シス){動詞}死刑にする。「殺人者死=人を殺す者は死す」〔史記・高祖〕
  3. {名詞}しぬこと。また、死んだ人。死者。「臣死且不避=臣は死すら且つ避けず」〔史記・項羽〕。「事死如事生=死に事ふること生に事ふるがごとし」〔中庸〕
  4. {形容詞}しんだように、活動しなくて、現実には役だたないさま。「死灰(消えはてた灰)」「死文」。
  5. {形容詞}いのちがけの。しにものぐるい。「死守」「死力」。
  6. {形容詞・副詞}《俗語》はなはだ。とことんまで。「死恨(スーヘン)(あくまでも恨む)」。
  7. 《日本語での特別な意味》野球でアウト。「二死満塁」。

字通

[会意]𣦵(がつ)+人。𣦵は人の残骨の象。人はその残骨を拝し弔う人。〔説文〕四下に「澌(つ)くるなり。人の離るる所なり」とし、死澌(しし)・死離の畳韻の字を以て解する。死の字形からいえば、一度風化してのち、その残骨を収めて葬るのであろう。葬は草間に死を加えた字で、その残骨を収めて弔喪することを葬という。いわゆる複葬である。高はその骨格を存するもので、枯槁の象。口は祝詞の形(𠙵(さい))で、弔う意。草間においてするものを蒿(こう)といい、墓所を蒿里という。死の音は、尸陳(しちん)(連ねる)の意であろう。また屍と通じ、漢碑に「死、此の下に在り」とみえる。金文に主司することを「死𤔲(しし)」というのは、おそらく尸主の意に用いたものであろう。

此(シ・6画)

此 甲骨文 此 金文 此 隷書
甲骨文/叔之仲子平鐘・春秋末期/孫臏34・前漢

初出:初出は甲骨文

字形:「止」”あし”+「人」で、人が足を止めたところ。原義は”これ”。

慶大蔵論語疏は異体字「〔山乚〕」と記す。初出は前漢の隷書。「漢會稽冢地刻石」の譚延闓による(清~民国)添え書きにも記すが、刻石本文ではなく、民国時代の筆記。

音:カールグレン上古音はtsʰi̯ăr(上)。

用例:「甲骨文合集」27389に「惟牛王此受祐」とあり、「だた牛もて王此にさちを受けんか」と読め、”それをもちいて”と解せる。犠牲獣を変えて同様の祭祀を行った例が複数あり、「漢語多功能字庫」は祭礼の名と解している。

西周末期「此鼎」(集成2821)に「此其萬年無彊」とあり、甲骨文と同様に解せる。その他西周の金文では人名の用例がある。

学研漢和大字典

会意。「止(あし)+比(ならぶ)の略体」で、足を並べてもうまくそろわず、ちぐはぐになること。ただし普通には、その音を借用して、斯(シ)・是(シ)・之(シ)などとともに、近いものをさす指示詞に当て、その本義は忘れられた。眥(シ)(上下のまぶたがじぐざぐに交差したまなじり)・茨(シ)(ふぞろいに並べた草)などと同系。

語義

  1. {指示詞}これ。この。→語法「①②③」。
  2. {接続詞}ここに。→語法「④」

語法

①「これ」とよみ、「これ」「この人」「このもの」「このこと」と訳す。《同義語》是・之・斯。《対語》彼(ヒ)。「出一編書曰、読此則為王者師矣=一編の書を出して曰く、これを読まば則(すなは)ち王者の師と為らん」〈一編の書物を取り出して、これを読めば王者の師となれると言った〉〔史記・留侯〕

②「この」とよみ、「この」と訳す。「此時孟嘗君有一狐白裘=この時孟嘗君一の狐白裘(こはくきう)を有す」〈この時孟嘗君は白狐の皮衣を持っていた〉〔史記・孟嘗君〕

③「ここ」とよみ、「ここ」と訳す。「得復見将軍於此=また将軍をここに見ゆるを得んとは」〈ここで再び将軍にお目に掛かることができるなどとは〉〔史記・項羽〕

④「~此…」は、「~ここに…」とよみ、「~ならば…である」と訳す。前節と後節がすらりとつながる関係を示す。《類義語》則・斯。「有徳此有人=徳有ればここに人有り」〈徳があれば、人々がつき従う〉〔大学〕

⑤「於此」は、「ここにおいて」とよみ、「そこで」と訳す。「事君勇謀、於此用之=君に事(つか)へて勇謀あるは、ここにおひてこれを用ひん」〈君主に事えて勇気があり知謀がある者は、この際にこそ用いましょう〉〔国語・呉〕

⑥「如此」「若此」は、「かくのごとし」とよみ、「このようである」「このとおりである」と訳す。「求剣若此、不亦惑乎=剣を求むることかくの若(ごと)きは、また惑はず」〈剣をこのようにして探すのは、何とおろかなことであろう〉〔呂氏春秋・慎大〕

字通

[形声]声符は止(し)。〔説文〕二上に「止まるなり。止と匕(ひ)とに從ふ。匕は相ひ比次(ならべる)するなり」と会意に解するが、匕は相比次する意ではなく、牝牡の牝の初文。此は雌の初文。此に細小なるものの意がある。之と同声で、代名詞の近称として用いる。〔詩〕〔書〕にも、また金文では戦国期の〔南疆鐘(なんきようしよう)〕にも、代名詞としての用法がみえる。

旨(シ・6画)

旨 金文
殳季良父壺・西周末期

初出:初出は甲骨文

字形:「人」+「曰」。原義は人の言葉。

音:カールグレン上古音はȶi̯ər(上)。同音は以下の通り。

初出 声調 備考
あぶら 楚系戦国文字
つつしむ 西周中期金文
うまい 甲骨文
ゆび 西周中期金文
と・みがく 前漢隷書
といし 前漢隷書

用例:「甲骨文合集合集」39492.4に「貞旨獲羌」とあり、「とう、ただ羌を獲んか」と読め、「只」”まことに”と解しうる。

西周早期「匽𥎦旨鼎」(集成2628)に「王賞旨貝廿朋。」とあり、”よい”と解せる。

西周の金文には「𩒨」としての用例が複数あり、”頭を下げる”の意。

西周末期の「新收殷周青銅器銘文暨器影彙編」NA0857に「用旨食大□」とあり、”美味い”と解せる。

”しめす”を意味するのは戦国の「郭店楚簡」緇衣42から。

学研漢和大字典

会意。もと「匕+甘(うまい)」の会意文字。匕印は人の形であるが、まさか人肉の脂ではあるまい。匕(さじ)に当てた字であろう。つまり「さじ+甘」で、うまい食物のこと。のち指(ゆびで示す)に当て、さし示す内容の意に用いる。脂(こってりしたあぶら肉)と同系。類義語に甘。

語義

  1. {名詞}むね。さし示した内容・物事。転じて、そうしようと思う考えや意向。▽指に当てた用法。「主旨」「趣旨」「其旨遠=其の旨は遠し」〔易経・壓辞下〕
  2. {名詞}天子*の考え・意向。「特旨(特別のおぼしめし)」「先意承旨=意に先んじて旨を承く」。
  3. {形容詞・名詞}うまい(うまし)。こってりとしてうまい。うまみ。うまい食物。《類義語》甘。「旨酒」「食旨不甘=旨きを食らへども甘しとせず」〔論語・陽貨〕
  4. 《日本語での特別な意味》
    ①むね。述べたことの意向・意味。「右の旨、伝えておく」。
    ②むね。それを主な目標とすること。▽本来は「宗」と書く。「旨とする」。

*「天子」の言葉が中国語に現れるのは西周早期で、殷の君主は自分から”天の子”などと図々しいことは言わなかった。詳細は論語述而篇34余話「周王朝の図々しさ」を参照。

字通

[会意]氏+曰(えつ)。曰は器中にものを収めた形。氏は把手のある小刀の形で、氏族共餐のときに用い、のち氏族の意となる。器中のものを、この小刀で切って食することをいい、美旨の意となる。〔説文〕五上に「美(うま)し」とし、「甘に從ひ、匕(ひ)聲」とするが声が合わず、また甘匕とするのも字形に合わない。甘は拑入(かんにゆう)の象で、旨とは関係がない。金文には斉器の〔国差𦉜(こくさたん)〕に「以て旨酒を實(みた)す」とあり、もと神に供するものなどに用いる語であった。

絲/糸(シ・6画)

糸 甲骨文 絲 甲骨文
合21306・合3337

初出:初出は甲骨文

字形:糸束の象形。

音:カールグレン上古音は、「糸」は不明、「絲」はsi̯əɡ(平)。『学研漢和大字典』『大漢和辞典』は「糸」の漢音として、「ベキ・ミャク」を載せる。

用例:甲骨文「糸」の語義は判然としない。西周から春秋末期の金文では、主に人名に用いた。春秋末期「叔尸鐘」(集成285)の用例は「職」と釈文されている。

甲骨文「絲」の語義も判然としない。西周中期「曶鼎」(集成2838)に「絲束」とあり、”いと”と解せる。

学研漢和大字典

会意。絲は、糸(ベキ)を二つ並べたもので、よりいとのこと。いま、ベキ(糸)をシ(絲)の略字に使って、シと読む。小さく細かい意を含む。子(小さいこども)・巳(シ)(小さい胎児)・思(こまごまと考える)などと同系。類義語の縷(ル)は、ほそぼそと連なった糸。絮(ジョ)・(ショ)は、やわらかい綿の繊維。線は、細長いいと。誤解を生じやすいが、総画数は六画で、七画、八画ではない。

語義

絲(シ)平
  1. {名詞}いと。もと、蚕の繭の繊維をよったもの。きぬいと。のち、織物の原料になるよりいとをすべて糸という。「絹糸」「抽糸=糸を抽く」「乱如糸=乱れて糸のごとし」。
  2. {名詞}いと。いとのように細い線をなしたもの。《類義語》条。「柳糸(柳の細い枝)」「菌糸」「雨糸(細い雨)」。
  3. {名詞}管楽器に対して琴や琵琶(ビワ)など、弦楽器のこと。《類義語》絃。「糸竹(弦楽器と管楽器。楽器)」「宴酣之楽非糸非竹=宴酣なるの楽は糸に非ず竹に非ず」〔欧陽脩・酔翁亭記〕
  4. {単位詞}割合をあらわすことば。一糸は、一毫(ゴウ)の十分の一で、一の一万分の一。「糸毫」
糸(ベキ・ミャク)入
  1. {名詞}蚕の繭からとった細い原糸。
  2. 《日本語での特別な意味》いと。ぬいいと。▽中国では、綫(セン)・線といい、糸(シ)とはいわない。

字通

[会意]旧字は絲に作り、二糸(べき)に従う。糸は糸たばの形。〔説文〕十三上に「蠶(かひこ)の吐く所なり」とあり、生糸をいう。卜文に、桑の葉の上に蚕をかくものがあり、また「蠶示(さんじ)」としてその神を祀ることが行われた。〔礼記、祭義〕に、王后の親蚕、また蚕室の儀礼のことなどがしるされている。神衣はその糸で作られ、祭服を「絲衣」という。金文に絲を「絲(こ)の」の義に用いるものがあり、兹と声近く通用したのであろう。

志(シ・7画)

志 金文
中山王□鼎・ 戦国末期

初出:初出は戦国末期の金文

字形:字形は「止」または「之」”ゆく”+「心」で、心の向かう先。

音:カールグレン上古音はȶi̯əɡ(去)。同音に之、芝、止、誌、織、識など。

用例:戦国末期「中山王□方壺」に「󱠲渴志盡忠」とあり、「□こころをつくし忠を尽くし」と読め、”こころ”の語義が確認できる。

論語時代の置換候補:結論として存在しない。

同訓「思う」のカールグレン上古音はsi̯əɡ(平/去)で、音素の共通率は75%、音通すると判断する。ただし「思」に”おもう”の用例が、春秋末期以前に確認できない。論語語釈「思」を参照。

「識」に”かんがえ”の語釈を『大漢和辞典』が載せ、初出は西周早期の金文。ただし”こころざす”の語義は春秋時代では確認できない。論語語釈「識」を参照。

国学大師サイトが載せた李学勤『字源』に春秋時代の字形を載せるが、出典を書いていないから、その淵源を求めることも出来ない。李学勤は先年死んだが、曲学阿世の見本のような中共の御用学者で、でたらめを平気で言うのでなおさら信用できない。

『大漢和辞典』に”こころざし”の語義で分pi̯wən(平)、”こころざす”で𢡒(音不明)・gʰi̯əɡ(去)がある。諅の初出は春秋の金文。ただしその字形は丌+言で、『説文解字』による原義は”忌む”。”こころざす”の語義は春秋時代では確認できない。

諅 金文
「諅」子諆盆・春秋
志:ȶi̯əɡ(去)
諅:gʰi̯əɡ(去)

学研漢和大字典

この士印は、進み行く足の形が変形したもので、之(いく)と同じ。士女の士(おとこ)ではない。志は「心+音符之」の会意兼形声文字で、心が目標を目指して進み行くこと。詩(何かを志向する気持ちを表した韻文)と同系のことば。また止(とまる)に当て、書き留める意にも用いる。

語義

  1. {動詞}こころざす。ある目標の達成を目ざして心を向ける。▽「こころ(心)+さす」に由来する訓。「志向」「吾十有五而志于学=吾十有五にして学に志す」〔論語・為政〕
  2. {名詞}こころざし。ある目標を目ざした望み。また、あることを意図した気持ち。「大志」「立志=志を立つ」「願夫子輔吾志=願はくは夫子吾が志を輔けよ」〔孟子・梁上〕
  3. {動詞}しるす。書き留める。メモする。《同義語》⇒誌。「為之文以志=これが文を為りて以て志す」〔柳宗元・始得西山宴游記〕
  4. {名詞}書き留めた記録。▽止(とまる)に当てた用法。《同義語》⇒誌。「芸文志(ゲイモンシ)(書籍の目録)」。
  5. 《日本語での特別な意味》
    ①さかん(さくゎん)。四等官で、兵衛府(ヒョウエフ)・衛府門の第四位。
    ②シリング。英国で使われていた貨幣の単位。▽shillingの音訳。二十シリングで一ポンドになる。「五志」。
    ③「志摩(シマ)」の略。「志州」。

字通

字の初形は之に従い、之声。士はその楷書化した形。〔説文〕十下に「意なり」と訓する。大徐新修十九文の一として徐鍇が加えたもの。次条に「意は志なり」とあるので、互訓したものである。〔詩序〕に「詩は志の之く所なり。心に在るを志と爲し、言に發するを詩と爲す」とあり、それで志を「心の之往する(ゆく)」意の会意とする説もあり、〔段注本〕にも之の亦声とする。古くは誌・識の意に用い、むしろ心にある意こそが初義であろう。之はもと止と同形であった。

私(シ・7画)

私 金文 戦国末期 厶 楚系戦国文字
「私」(秦虎形轄・戦国末期)「厶」(楚系戦国文字)

初出:初出は戦国末期の金文

音:カールグレン上古音はsi̯ər(平)。同音は「死」のみ。

用例:「上海博物館蔵戦国楚竹書」內豊06に「君子事父母,亡厶(私)□(樂),亡(無)厶(私)𢚧(憂)。父母所樂=(樂樂)之,父母所𢚧=(憂憂)之。」とあり、”自分一人で”と解せる。

論語時代の置換候補:結論として存在しない。

音「シ」訓「わたし」で検索しても、他の漢字が『大漢和辞典』ではヒットしない。訓「わたくし」でようよう「厶」(カ音不明)が出てくる。

「厶」の初出は孔子より約一世紀前の「ラン書缶」で、㠯(シ・すき、カ音不明)と同じ形で記された。ただし「以」”用いる”の意で使われており、論語の時代に”わたし”を意味した証拠が無い。「厶」が”わたし”の語義を獲得するのは、燕系戦国文字からになる
㠯 以 金文 厶 䜌書缶
「㠯」(金文)・「厶」(䜌書缶)

結論として、もし孔子の時代にあった言葉だとすれば、下記『字通』を参考に、㠯(シ・すき、カ音不明)と書かれていたと考えるしかないが、それは無理というものである。㠯の同義語に耜があるが、そのカールグレン上古音はdzi̯əɡで、「私」si̯ərとは似ても似付かない。

備考:「漢語多功能字庫」には、論語の読解に関して見るべき情報が無い。

学研漢和大字典

会意兼形声。厶(シ)は、自分だけのものをうででかかえこむさま。私は「禾(作物)+(音符)厶」で、収穫物を細分して、自分のだけをかかえこむこと。ばらばらに細分する意を含む。四(細かい)・細(こまかい)などと同系。類義語に我。「ひそか」は「密か」「窃か」とも書く。

語義

  1. {名詞}わたくし。自分ひとりのこと。ひとり分ずつ別になったもの。《対語》⇒公。「私人」「反公為私=公に反するを私と為す」〔賈子・道術〕
  2. {名詞}わたくし。自分ひとりの利益や考え。わがままかってな好ききらい。《対語》⇒公。「排私=私を排す」「無信多私=信無くして私多し」〔春秋左氏伝・昭二〇〕
  3. {形容詞}ひとりだけの。また、かってな。《対語》⇒公。「私見」「私欲」「私有」。
  4. (シス){動詞}わたくしする(わたくしす)。自分だけのものにする。自分かってにする。《対語》⇒共・同。「不得私=私するを得ず」「八家皆私百畝、同養公田=八家皆百畝を私し、同じく公田を養ふ」〔孟子・滕上〕
  5. {名詞}わたくし。秘密の事がら。また、人に隠して内通すること。「陰私(ないしょ事)」「有私=私有り」。
  6. {形容詞}えこひいきの。よこしまなさま。「私曲」。
  7. {副詞}ひそかに。ないしょで。また、ひとりでこっそり。《類義語》窃。「私語」「私通」。
  8. {名詞}みうち。妻や子ども。また、姉妹の夫。「私喪(みうちの喪式)」。
  9. (シス){動詞・名詞}こっそり小便する。また、小便。《類義語》溲(ソウ)。「将私焉=まさに私せんとす」〔春秋左氏伝・襄一五〕
  10. {名詞}小さいもの。
  11. {名詞}男女の陰部。
  12. 《日本語での特別な意味》わたくし。わたし。自称の人称代名詞。

字通

会意、。厶はすき(㠯)の象形。耜を用いて耕作する人をいう。〔説文〕七上に「禾なり」とするが、その用例はない。私とは私属の耕作者をいう。〔韓非子、五蠱〕に「私に背く、之れを公と謂う」と公私対待の義とするが、公の字は祭祀儀礼の行われる公廷の平面形。公はその廟所を守る族長、私は私属の隷農で、本来対待の義をなすものではない。公私の観念を持つに至って、「ひそかに」の意を生じた。

忮(シ・7画)

忮 篆書 忮 古文
説文解字・後漢/集篆古文韻海所収古文・北宋

初出:初出は後漢の説文解字

字形:「忄」+「ボク」”打つ”。心に打撃を与えるさま。つくりを「支」とし、音を「シ」とするのはおそらく誤字が発端で、先秦時代は字形も音も異なっていたと思われる。上掲古文は「伎」”わざ”の字形で、おそらく編者か「小学堂」の誤り。

攴 甲骨文 支 秦系戦国文字
「攴」甲骨文合集27742/「支」睡虎地秦簡_法25

「攴」の初出は甲骨文。対して「支」の初出は春秋末期の金文だが、「比」”ならぶ”と釈文され、明確に確認できるのは、戦国最末期の「睡虎地秦簡」からになる。

慶大蔵論語疏では、格内に「忟」と記し、誤字。「忞」の異体字で、音ブン訓つとめる。カールグレン上古音mi̯ən(上)、同中古音mi̯ĕn。「忮」と傍記している。

音:カールグレン上古音はȶi̯ĕɡ(去)。同音は支とそれを部品とする漢字群、「枝」、「祇」”くにつかみ”、「肢」・「胑」”てあし”、「禔」”さいわい”、「坁」”とまる・さか”。

用例:論語子罕篇28が文献上の初出。戦国末期『荀子』栄辱篇にも用例がある。「察察而殘者、忮也。」とあり、”相手の事情をよく分かっているのに、ひどいことをするのを、忮という”の意。論語の古注『論語集解義疏』に「馬融曰忮害也」とあり、新注『論語集注』に「忮害也」という。

「もとる」と読んで”さからう”の意だと言い出したのは、『説文解字』と清儒の段玉裁による注釈で、根拠の無い出任せと考察無しのウンチク語りだから、従うに値しない。

『説文解字』段注「忮」条

𢓼也。很者,不聽從也。雄雉、瞻卬傳皆曰:忮,害也。害卽很義之引申也。或叚伎為之。伎之本義為與。許人部伎下引詩𥷚人伎忒,言叚借也。從心支聲。之義切。十六部。


「𢓼」”もとる”の意である。もとるとは、聞いて従わないことである。『詩経』の「雄雉」「瞻卬」の解説では、どちらも「忮」を”そこなう”と説いている。そこなうとはもとるからの派生義である。あるいは「伎」に”そこなう”の語義があるから、その仮借字である。「伎」の原義は”ともに”だった。また人部伎条に『詩経』を引いて「𥷚人伎忒」”人を傷付けてそこない変わる”とあるが、『詩経』の原文は「鞫人忮忒」であり、仮借であることを示している。字形は心に順い、音は支。之-義の反切である。第十六部に属す。

論語時代の置換候補:近音同義に「抵」tiər(上)があるが、初出は秦系戦国文字。『大漢和辞典』での同音同訓に「恎」(初出不明)、「牭」(初出甲骨文)、「蚩」(初出戦国金文)、「鷙」(初出説文解字)。「牭」の甲骨文はなぜ「牭」と釈文されたかわけが分からず、「鬳」の字形で、肉のシチューを作るかなえの意で、置換候補になり得ない。

学研漢和大字典

会意兼形声。支(シ)は、竹の枝を手に持つ姿で、分かれた枝、つかえるなどの意を含む。枝(シ)の原字。忮は「心+(音符)支」で、心中につっかかる気持ちを生じてじゃますること。支障の支(つかえる)と同系。

語義

  1. {動詞}そこなう(そこなふ)。心にひっかかる。ねたんでいじわるをする。「不淑不求=淑は不求めず」〔論語・子罕〕

字通

[形声]声符は支(し)。支に芰・跂(き)の声がある。〔説文〕十下に「很(もと)るなり」とあり、さからい、そこなうことをいう。

似(シ・7画)

似 金文 似 金文
󱡒盂・西周中期/伯康簋・西周末期

初出:初出は西周中期の金文。「小学堂」による初出は春秋末期の玉石文

字形:〔㠯〕”農具のスキ”+「司」から「𠙵」”くち”を欠いた形。スキに手をかざすさま。「又」「屮」の形が”実際に手に取って行う”意を表すのに対し、「司」-「𠙵」は”そのふりをする”の意か。

音:カールグレン上古音はdzi̯əɡ(上)。「ジ」は呉音。

用例:西周中期「□孟」(集成10321)に「𨺝諆各似」とあり、「𨺝」が語義不明と『大漢和辞典』はいう。金文では「各」を”いたる”と解する例が多いので、「似」は地名か。

西周末期「伯康簋」(集成4160)の文末に「用𡖊夜無似」とあり、金文の文末で「無○」とあるのはほぼ”おこたるなかれ”の意だから、”おこたる”の意か。または”似せる”の意で、”ニセモノであざむく”の意か。この例では「怠」とも釈文される。詳細は論語語釈「怠」を参照。

学研漢和大字典

会意兼形声。曲がった木のすきを手に持ったさまを示すのが以の字で、道具を用いて作為を加える意を含む。似は「人+(音符)以(ジ)」で、人間が作為や細工を加えて、物の形を整えることを示す。うまく細工して実物と同じ形をつくることから、にせる、にるの意となった。類義語の類は、同じグループに属する意。

語義

  1. {動詞}にる。類似する。「望之、不似人君=これを望むに、人君に似ず」〔孟子・梁上〕
  2. {動詞}にたり。…らしい。…のようだ。《類義語》如。「壱似重有憂者=壱に重ねて憂ひ有る者に似たり」〔礼記・檀弓下〕
  3. {指示詞}ごとし。→語法「①」。
  4. {助辞}より。→語法「②」。
  5. {動詞}つぐ。▽嗣に当てた用法。

語法

①「~のごとし」とよみ、「~のようだ」と訳す。《同義語》若・如。「白髪三千丈、縁愁似箇長=白髪三千丈、愁ひに縁(よ)りてかくの似(ごと)く長し」〈白髪が三千丈、愁いのためにこのように長くなってしまった〉〔李白・秋浦歌〕

②「~似…」は、「…より~」とよみ、「…より~である」「…に比べて~である」と訳す。比較の意を示す。《類義語》於。▽唐代より使用され、現代中国語でも使用されている。「本寺遠於日、新詩高似雲=本寺は日より遠く、新詩は雲似り高し」〈この寺は日より遠く、新しい詩は雲より高い〉〔姚合・贈供奉僧次融〕

字通

[形声]声符は以(い)。以は耜(し)(すき)の象形𠂤(し)ともと同形で、また厶(し)とも釈する形である。厶(すき)を祓うために祝詞の𠙵(さい)を加えた形は台。それで始と娰とはもと同形、通用の字であった。〔説文〕八上に「象(に)るなり」とするが、〔詩、周頌、良耜〕に「以て似(つ)ぎ以て續(つ)がん」と似続の意に用いるのが古い用法で、おそらく〔台+司〕(し)(嗣)と通用したものであろう。

兕(シ・7画)

兕 甲骨文
甲骨文・殷(佚518背)

初出:初出は甲骨文。金文は発掘されていない。殷周革命で一旦滅んだ漢語である可能性がある。再出は戦国最末期「睡虎地秦簡」。

字形:頭が大きく、角の生えた動物の象形。現行字形は凹んだ頭を持つ動物で、横から見たサイは耳と角が突出し頭が凹んで見える。

音:カールグレン上古音はdzi̯ər(上)。「ジ」は呉音。

用例:甲骨文では200件ほど用例があるが、ほぼ全て象形したような大型動物を指すと解せる。

戦国最末期「睡虎地秦簡」日甲157背に「大夫先㪇兕席」とあり、甲骨文同様の大型動物の皮を指すと解せる。

備考:先秦両漢の辞書・字書には語釈が無い。ただし前漢ごろ編まれた『爾雅』は「兕似牛」という。戦国初期『墨子』に「犀兕麋鹿滿之」とあり、戦国末期『荀子』議兵篇に「楚人鮫革犀兕以為甲,鞈堅如金石」とあり、サイとは類似するか、別の動物であることになる。

また戦国から漢にかけて編まれた『小載礼記』には「天子之棺四重;水兕革棺被之」とあり、wikipediaサイ条には「スマトラサイとジャワサイは、特に河川や沼の周辺に好んで生息する」といい、現在も東南アジアに分布するサイはスマトラサイとジャワサイという。「水兕」がそれにあたり、そうでない「兕」はインドサイかもしれない。

初期仏典に「犀の角のように一人歩め」というように、インドサイの角は一本、スマトラサイは二本、ジャワサイは一本という。

学研漢和大字典

象形。古代の中国の山野に野生していた、ジという一本の角がある獣の姿を描いたもの。

語義

  1. {名詞}一本の角がある、野牛に似た動物。犀(サイ)の一種ともいう。▽一角獣(イッカクジュウ)ともいう。「臥虎(ジコ)(ジと、とら。野獣の代表)」。

字通

[象形]〔説文〕九下に正字を𧰽に作り、「野牛の如くにして青色、其の皮は堅厚、鎧(よろひ)を制(つく)るべし。象形」(段注本)という。上部は角の形。〔周礼、考工記、函人〕に兕甲六属の名がみえ、武具の材とした。また角は酒器に用いて「兕觥(じこう)」という。〔詩、周南、巻耳〕に「我姑(しばら)く彼の兕觥に酌む」の句がある。いま青銅器の兕觥とよばれるものには、兕觥という器名をしるすものはなく、巵(し)の上に獣形の蓋(ふた)のあるものを、その名でよんでいる。

使(シ・8画)

使 金文 使 甲骨文
𦅫鎛・春秋中期/(甲骨文)

初出:初出は甲骨文

字形:甲骨文や春秋時代の金文の形は「事」と同じ。「口」+「筆」+「又」”手”で、口に出した言葉を、小刀で刻んで書き記すこと。つまり事務。論語語釈「事」を参照。

音:「ジ」は呉音。カールグレン上古音はsli̯əɡ(上/去)。

用例:西周早期の「小臣守𣪕」に「王吏(使)小臣守吏(使)于夷」とあり、「王、小臣をして夷に使いせしむ」と読め、”させる”・”事務”・”使者(に出す・出る)”の意が確認できる。

漢語多功能字庫」によると、「史」「吏」「事」「使」は同じ原字から派生した。春秋時代以前は「吏」を用いて”使者(に出す・出る)”の意で、「使」の語義については戦国時代以降について記すのみ。

学研漢和大字典

会意。吏は、手に記録用の竹を入れた筒をしっかり持った姿を示す。役目をきちんと処理する役人のこと。整理の理と同系のことば。使は「人+吏」で、仕事に奉仕する人を示す。公用や身分の高い人の用事のために仕えるの意を含む。また、他動詞に転じて、つかう、使役するの意に専用されるようになった。仕・事と同系のことば。類義語に遣。異字同訓に使う「機械を使って仕事をする。重油を使う」 遣う「気遣う。心遣い。小遣い銭。仮名遣い」。

語義

  1. {動詞}つかう(つかふ)。使用する。「使役」「使民以時=民を使ふに時を以てす」〔論語・学而〕
  2. {名詞}つかい(つかひ)。使者。▽去声に読む。「特使」「私見漢使=私かに漢の使ひを見る」。
  3. {動詞}つかいする(つかひす)。人のために用事をする。▽去声に読む。「子華使於斉=子華斉に使ひす」〔論語・雍也〕
  4. {助動詞}しむ。せしむ。→語法「①」。
  5. {助動詞}しめば。→語法「②」

語法

①(1)「使~…」は、「~(をして)…せしむ」とよみ、「~に…させる」と訳す。使役の意を示す。《類義語》令・教・遣・俾。「使子路問津焉=子路をして津を問は使む」〈子路に渡し場を尋ねさせた〉〔論語・微子〕
(2)「使…」は、「…せしむ」とよみ、「…させる」と訳す。▽使役の対象が省略される。

②(1)「使~…」は、「~(をして)…せしめば」とよみ、「もし~すれば」と訳す。順接の仮定条件の意を示す。「使人之所悪、莫甚於死者、則凡可以辟患者、何不為也=人の悪(にく)む所をして、死より甚しき者莫(な)から使めば、則(すなは)ち凡そもって患(わずら)ひを辟(さ)く可き者は、なんぞ為さざらん」〈人の嫌うものに死以上のものがないとすると、死に壓がる患難を避けるためなら、しないことがあろうか〉〔孟子・告上〕▽「もし~、…すれば」とよんでもよい。「使趙不将括即已=使(も)し趙括を将とせずんば即(すなは)ち已(や)む」〈もし趙が(趙)括を将軍に起用しなければ、それでよい〉〔史記・廉頗藺相如〕▽「向使」「嚮使」「仮使」「縦使」「藉使」も、「もし」とよみ、意味・用法ともに同じ。
(2)「向使」「嚮使」「仮使」「縦使」「藉使」は、「たとい~、…すれども」とよみ、「たとえ~が…であっても」と訳す。逆接の仮定条件の意を示す。「仮使棄数百人、何苦而将軍以身赴之=仮使(たと)ひ数百人を棄つるとも、何を苦しみてか将軍身をもってこれに赴かん」〈たとえ数百人を見捨てようとも、何を苦しまれて、将軍はみずから(窮地に)赴くのでしょう〉〔魏志・曹仁〕

字通

声符は史。史・吏・使(事)はもと同系。〔説文〕八上に「伶なり」とあり、使令の意。金文では史を使役の意に用い、「令~使~」(~をして~せしむ)という形式を「~史~事~」という形式でしるす。事は遠くに使して史(祭の名)を行うことで、まつりの使者を意味する字であった。

始(シ・8画)

始 金文 始 金文
者㚸爵・殷代末期/叔向父簋・西周末期

初出:初出は殷代末期の金文。ただし字形は「㚸 外字」。現伝字形の初出は西周末期の金文。ただし部品が左右で入れ替わっている。

字形:初出の字形は「司」+「女」+〔㠯〕”農具のスキ”。女性がスキをとって働くさま。原義は不詳。

音:カールグレン上古音はɕi̯əɡ(上)。

用例:金文では「姒」”あね”と釈文される例が複数ある。

西周中期の「大矢始鼎」(集成2792)に「王才邦宫。始獻工。易□。易章。」とあり、「王邦宮にあり。はじめてつかさにすすめ、□をたまい、璋をたまう」と読め、”はじめて”と解せる。

漢語多功能字庫」によると、金文で姓氏名に用いられたという(頌鼎・西周)。また金文で字形に「司」si̯əɡ(平)を含んだものについて、「司は始の音符である」という。

学研漢和大字典

会意兼形声。厶印はすきの形。台は以と同系で、人間がすきを手に持ち、口でものをいい、行為をおこす意を含む。始は「女+(音符)台(イ)・(タイ)」で、女性としての行為のおこり、つまりはじめて胎児をはらむこと。胎と最も近い。転じて、広く物事のはじめの意に用いる。類義語の初は、はじめて衣料を裁断すること。創も、素材に切れ目を入れることから、はじめてつくり出すの意となった。元は、人間の頭で、先端にあるのではじめの意となる。原は、水源のことで、「みなもと」から、はじめの意となる。異字同訓に初。

語義

  1. {動詞}はじまる。はじめる(はじむ)。《対語》⇒終。《類義語》初。「開始」「千里之行、始於足下=千里の行も、足下より始まる」〔老子・六四〕
  2. {名詞}はじめ。→語法「②」。
  3. {副詞}はじめて。→語法「①」

語法

①「はじめて」とよみ、「~してやっと」「~してはじめて」と訳す。「十九世至寿夢、始称王=十九世にして寿夢に至り、始めて王と称す」〈十九代で寿夢(ジュボウ)に至り、はじめて王を称した〉〔十八史略・春秋戦国〕

②「はじめ」とよみ、「以前」「むかし」と訳す。「始嘗与蘇秦倶事鬼谷先生、学術=始め嘗(かつ)て蘇秦と倶(とも)に鬼谷先生に事(つか)へ、術を学ぶ」〈かつて蘇秦とともに鬼谷先生について、弁論術を学んだことがあった〉〔史記・張儀〕

③「未始~」は、「いまだはじめより~せず」とよみ、「~したことがない」「最初から~のためしはない」と訳す。「未嘗」と同じ。「有以為未始有物者=もって未だ始めより物有らずと為す者有り」〈(世界の)始めから物が存在していたわけではないと考えるものがあった〉〔荘子・斉物論〕

字通

[形声]字の初形は姒に作る。以は初形㠯(し)、耜(し)の初文。〔説文〕十二下に「女の初なり」とし、台(たい)声とするが、声が異なる。台は厶(し)(㠯・耜(すき))を、祝禱を収める器𠙵(さい)の前におく形で、耜を清める儀礼をいう。その儀礼に女子があずかるのは、農耕儀礼と生子儀礼との相関を示すものであろう。農耕の開始にあたって耜を清める儀礼があり、それがまた生子儀礼としても用いられて、始生・初生の意となる。

事(シ・8画)

事 金文 事 甲骨文
匽侯旨鼎・西周早期/(甲骨文)

初出:初出は甲骨文

字形:甲骨文の形は「使」と同じで、「口」+「筆」+「又」”手”で、口に出した言葉を、小刀で刻んで書き記すこと。つまり事務。論語語釈「使」を参照。

音:カールグレン上古音はdʐʰi̯əɡ(去)。同音は士、仕、戺”戸軸を持つ木”、俟、涘”みぎわ”。去声の志-荘の音は不明。

用例:西周早期の「匽𥎦旨鼎」に「匽𥎦旨初見事于宗周。王賞旨貝廿朋。用乍又始寶󰓼彝。」とあり、第一句は「燕侯旨初めて宗周于見え事う」と読め、”臣従する”の意が確認できる。

「漢語多功能字庫」によると、金文の時代に”仕事”・”命じる”・”出来事”の語義が確認できる。ただし”奉仕する”の初出は上博竹書という。

学研漢和大字典

会意。「計算に用いる竹のくじ+手」で、役人が竹棒を筒(ツツ)の中にたてるさまを示す。のち人のつかさどる所定の仕事や役目の意に転じた。また、仕(シ)(そばにたってつかえる)に当てる。草書体をひらがな「し」として使うこともある。

語義

  1. {名詞}こと。用事。仕事。事がら。「大事小事」「有事、弟子服其労=事有れば、弟子其の労に服す」〔論語・為政〕
  2. {名詞}こと。出来事。「事件」「四方無事=四方に事無し」。
  3. {動詞}こととする(こととす)。問題として扱い、処理する。「吏及賓客見参不事事=吏及び賓客参の事を事とせざるを見る」〔史記・曹相国〕
  4. {動詞}つかえる(つかふ)。そばにたって雑用をする。用命に応ずる。《類義語》仕。「事之以犬馬=これに事ふるに犬馬を以てす」〔孟子・梁下〕

字通

[会意]史+吹き流し。史は木の枝に祝詞の器(𠙵(さい))をつけて捧げる形。廟中の神に告げ祈る意で、史とは古くは内祭をいう語であった。外に使して祭るときには、大きな木の枝にして「偃游(えんゆう)」(吹き流し)をつけて使し、その祭事は大事という。それを王事といい、王事を奉行することは政治的従属、すなわち「事(つか)える」ことを意味した。史・使・事は一系の字。卜辞には「人を河に事(つかひ)せしめんか」「人を嶽に事せしめんか」のようにいい、河岳の祭祀はいわゆる外祭である。金文に使役の形式を「~史(せ)しむ」のように、史を使役に用いる。

侍(シ・8画)

論語 侍 金文 侍 秦系戦国文字
「𢓊」呂方鼎・西周中期/「睡虎地秦簡」封61(隸)

初出:初出は西周中期の金文。ただし字形は「𢓊」(カールグレン上古音不明。「止」はȶi̯əɡ上)。「小学堂」による初出は秦系戦国文字

字形:初出の字形は「彳」”通路”+「止」”足”。通路に立つさま。現行字形は「亻」+「寺」。戦国時代以降、「寺」に”貴人の命を待つ”の意があり、全体で貴人のそば近く仕えること。原義は”はべる”。「上海博物館蔵戦国楚竹簡」には「𠱾」の字形が見られる。

音:「ジ」は呉音。カールグレン上古音はȡi̯əɡ(去)。

用例:西周中期「呂方鼎」(集成2754)に「。王󱡫𠯑大室。呂𢓊于大室。」とあり、”はべる”と解せる。中国の漢文業界では「𢓊」を「延」と釈文するが、”つらなる”と解するのだろうか。いずれにせよ王に従って、祭祀に列席することには違いない。

論語に次ぐ文献上の用例は、『墨子』『孟子』に見える。

備考:西周中期「師虎𣪕」(集成4316)に「王才杜󱤯。𢓜于大室。」とある。現画像を確認すると「彳」+「各」”いたる”であり、「各」に”足を止める”の意は西周の時代からある。また「王各大室」の文例は西周の金文にあまたある。

『字通』は「𢓊」(=徒/延:dʰo平・初出は甲骨文・”しもべ”)の異体字という。ただし中国・台湾・香港では「𢓊」は「徙」の異体字とする。「漢語多功能字庫」延条は「”延”甲金文皆作”𢓊”」といい、白川説とは異なっている。部品の「寺」はdzi̯əɡ(去)で、原義は”手に持つ”。

学研漢和大字典

会意兼形声。寺は「寸(手)+(音符)之(シ)(足)」の会意兼形声文字で、手足を動かして雑用を弁じるの意。身分の高い人の身辺を世話する人を古く寺人と称したが、のち寺人の寺は、役所や仏寺の意に転用されたため、侍の字がその原義をあらわすようになった。侍は「人+(音符)寺」。

語義

  1. (ジス){動詞}はべる。身分の高い人のそば近くに仕える。「侍従」「顔淵、季路侍=顔淵、季路侍す」〔論語・公冶長〕
  2. (ジス){動詞}そばに控える。「侍坐」「沛公北嚮坐、張良西嚮侍=沛公北嚮(ほくきょう)して坐し、張良西嚮(せいきょう)して侍す」〔史記・項羽〕
  3. {名詞}身分の高い人のそばに控えている人。「女侍(ジョジ)」。
  4. 「侍生」とは、先輩に対して後輩がへりくだっていうことば。
  5. 《日本語での特別な意味》
    ①さむらい(さむらひ)。武士のこと。御前にさぶらう人の意。
    ②はべり。「あり」「居(ヲ)り」のていねい語。

字通

[形声]声符は寺(じ)。寺に侍の意がある。〔説文〕八上に「承くるなり」とあり、尊長の人に仕えて、その意を承けることをいう。金文には「大室に𢓊(じ)す」のように𢓊を用い、神に侍する意。〔論語、先進〕「閔子(びんし)(孔子の弟子)側に侍す」、〔礼記、曲礼上〕「先生に侍坐す」のように近侍すること。侍講・侍従のように、宮中の諸職に用いることが多い。

是(シ・9画)

是 金文 是 金文
毛公旅方鼎・西周早期/毛公鼎・西周末期

初出:初出は西周早期の金文

字形:部品の「早」は「睪」の古形と酷似しており、「睪」の語義は”向かってくる矢をまっすぐ見つめる”。よって字形は「睪」+「止」”あし”で、出向いてその目で「よし」と確認すること。同音への転用例を見ると、やはりおそらく原義は”正しい”。

音:「ゼ」は呉音。カールグレン上古音はȡi̯ĕɡ(上)。同音は下記の通り。

初出 声調 備考
テイ/シ ひっさげる 秦系戦国文字
さいはひ 説文解字 →語釈
ただしい 西周中期金文
うぢ 甲骨文 →語釈
ただす 説文解字
テイ/シ なまづ 不明

用例:上掲『殷周金文集成』02724「毛公旅方鼎」に「是用壽考」とあり、「これもちいていのちながし」と読めるが、「是」は無意味な発語の字ではなく、”たしかにこれで”の意。

論語で「~これ…」と読む例が多数あり、”~は…だ”と訳すことがある。認定の意を示し、英語のbe動詞にあたる。この語義は所出からあったことになる。

備考:「漢語多功能字庫」は、原義を不明としながらも、西周末期の「虢季子白盤」で、すでに”これ”・”この”の語義があるという。また春秋末期の「侯馬盟書」では、「氏」に通じて”氏族”を意味する例があるという。戦国時代の竹簡でも同様。

学研漢和大字典

会意文字で、「まっすぐなさじ+止(あし)」。匙(さじ)の原字。止(=趾)を添えたのは、まっすぐ進むことを示す。また、その音を借りて、之(シ)とともに、「これ」という近称の指示詞をあらわす。

適(まっすぐ進む)・提(まっすぐひっさげる)・題(ダイ)・(テイ)(まっすぐなひたい)・正・征(まっすぐ)などと同系のことば。

語義

  1. {指示詞}これ。この。→語法「①④⑤」。
  2. {指示詞}これ。→語法「③」。
  3. {指示詞}これ。→語法「②」。
  4. (ゼナリ){形容詞・名詞}正しい。ずぼしにあたっている。正しいこと。《対語》⇒非。「是非(正しいか誤りか。転じて、日本では、いずれにせよ、きっとの意の副詞に用いる)」「偃之言、是也」〔論語・陽貨〕
  5. (ゼトス){動詞}正しいと考える。「非而是之=非にしてこれを是とす」〔晏子春秋・不合経術者〕
  6. {名詞}正しい方針。「国是(国の政治の方針)」。

語法

①「これ」とよみ、「これ」「この人」「このこと」と訳す。《対語》其(ソレ)・彼(カレ)。《類義語》此・之・斯。「由是観之=これに由(よ)りてこれを観る」〈このことから考えてみて〉〔孟子・公上〕

②「~是…」は、「~これ…」とよみ、「~は…だ」と訳す。認定の意を示す。▽英語のbe動詞にあたる。もとは主語をさしていたが、六朝から認定をあらわす壓詞(ケイシ)となり、現代中国語でも用いられている。「自称臣是酒中仙=自ら称す臣はこれ酒中の仙と」〈自ら称している、わたくしは酒の中の仙人であると〉〔杜甫・飲中八仙歌〕

③「A(=主語)B(=述語)C(=目的語)=AはCを(に)Bする」という文で「C(目的語)」を強調する場合、「AC是B」となり、「A、Cを(に)これBす」とよむ。倒置して強調したことを明示するために「是」を入れる。▽限定の意を示す「唯」などとともに多く用いる。「孔徳之容、唯道是従=孔徳の容、ただ道にこれ従ふ」〈大いなる徳をそなえた人の姿は、ただ道にのみ従っている〉〔老子・二一〕

④「この」とよみ、「この」「その」と訳す。「子於是日哭、則不歌=子この日に哭すれば、則(すなは)ち歌はず」〈先生(孔子)はこの(葬儀の)日に声をあげて泣いたら、歌を一日歌わなかった〉〔論語・述而〕

⑤「ここ」とよみ、「ここ」と訳す。「今其人在是=今その人ここに在り」〈いま、その人はここにいる〉〔史記・魯仲連〕

  1. 「以是」は、「これをもって」とよみ、「この点から」「これにより」と訳す。前節での具体的内容を指示する。「陰以兵法部勒賓客及子弟、以是知其能=陰(ひそ)かに兵法をもって賓客及び子弟を部勒(ぶろく)す、これをもってその能を知る」〈ひそかに兵法を応用して子分や若者たちを動かしたので、彼らの能力をよく知ることができた〉〔史記・項羽〕
  2. 「以是観之」は、「これをもってこれをみれば」とよみ、「この点からみれば」と訳す。前節の事例をふまえて、結論を導く意を示す。「以是観之、夫君之直臣、父之暴子也=これをもってこれを観れば、かの君の直臣は、父の暴子なり」〈こういうことから考えてみると、あの君に対してまっすぐな臣は、父に対しては乱暴な子といういことになる〉〔韓非子・五蠹〕▽「用此観之」も、「これをもってこれをみれば」とよみ、意味・用法ともに同じ。

⑦「是以」は、「ここをもって」とよみ、「それゆえに」「だから」と訳す。前節で原因・理由を述べ、後節で結果・結論を述べる場合に用いる接続句。「敏而好学、不恥下問、是以謂之文也=敏にして学を好み、下問を恥ぢず、ここをもってこれを文と謂ふなり」〈利発なうえに学問好きで、目下のものに問うことも恥じなかった、だから文というのだよ〉〔論語・公冶長〕

⑧「於是」は、「ここにおいて」とよみ、「そこで」と訳す。時間的前後・因果関係がある場合に用いる接続句。「於是、信孰視之、俛出袴下蒲伏=ここにおひて、信これを孰視、俛(ふ)して袴下(こか)より出で蒲伏(ほふく)す」〈そう言われたので、韓信はじっとその男を見つめていたが、腹ばいになって股の下をくぐった〉〔史記・淮陰侯〕

  1. 「如是」「若是」は、「かくのごとし」とよみ、「このようである」「このとおりである」と訳す。「如是者則身危=かくの如(ごと)き者は則(すなは)ち身危し」〈こういう場合は身が危険になる〉〔史記・韓非子〕
  2. 「かくのごとくんば」とよみ、「このようであるならば」と訳す。仮定の意を示す。「夫如是、則四方之民、襁負其子而至矣=それかくの如(ごと)くんば、則(すなは)ち四方の民、その子を襁負(きょうふ)して至らん」〈まあそのようであれば、四方の人民たちもその子供を背負ってやってくる〉〔論語・子路〕

字通

[象形]匙(さじ)の形で、匙(し)の初文。のち是非の意や代名詞などに用いられ、その原義を示す字として匙が作られた。匙は是の形声字である。〔説文〕二下に「直(ただ)しきなり。日と正とに從ふ」とし、〔段注〕に「天下の物、日より正しきは莫(な)きなり」と説くが、日の部分は先端の杓(しやく)のところ、下部は止に近い形であるが、その柄。是非の非も、もと非櫛(すきぐし)の象形。これを是非の意に用いるのは、ともに仮借である。

指(シ・9画)

指 金文
乖伯簋・西周中期

初出:初出は西周中期の金文

字形:「旨」+「手」。「旨」は「人」+「曰」で、”人の意向”。下掲『学研漢和大字典』のいう、単なる音符であるとの説を支持する。

慶大蔵論語疏は異体字「𢫾」と記す。「白石神君碑」(後漢)刻。

音:カールグレン上古音はȶi̯ər(上)。同音に「脂」「祗」”つつしむ”(以上平)「旨」「厎」”みがく”「砥」”といし”(以上上)。一覧は論語語釈「旨」を参照。

用例:「先秦甲金文簡牘詞彙資料庫」では、戦国以降の例しか見られない。

上掲初出例は、「国学大師」では「羋白拜手𩒨首」の「𩒨」と釈文され、「先秦甲金文簡牘詞彙資料庫」でも同様。

戦国最末期の「睡虎地秦簡」法律答問90に「拳指傷人」とあり、”ゆび”と解せる。

「指」は「漢語多功能字庫」によると、金文では”頭を下げる”の意に用いた(乖伯簋・西周中期、集成4331。「羋白歸苑𣪕」「羌白𣪕」とも)。

学研漢和大字典

形声。「手+(音符)旨」、まっすぐ伸びて直線に物をさすゆびで、まっすぐ進む意を含む。旨(シ)(うまいごちそう)は、ここではたんなる音符にすぎない。至(シ)(まっすぐ届く)・矢(シ)(直進する矢)などと同系。異字同訓に差。

語義

  1. {名詞}ゆび。「屈指(指を曲げる)」「今有無名之指、屈而不信=今無名の指、屈して信びざる有り」〔孟子・告上〕
  2. {動詞}ゆびさす。さす。さし示す。「指示」「指其掌=其の掌を指さす」〔論語・八飲〕
  3. {名詞}あらわし示す内容。考えの向かうところ。《同義語》⇒旨。「意指(イシ)(=意旨)」「願聞其指=願はくは其の指を聞かん」〔孟子・告下〕

字通

[形声]声符は旨(し)。旨に旨肉の意がある。〔説文〕十二上に「手指なり」という。第二指を食指というように、指は肉を執って食すべきものであった。また恉と通用する。恉は趣旨というときの旨にあたる字。

語系

指・恉・旨tjieiは同声。趣旨の意では三字みな通用する。古くは旨・指の字を用いた。

思(シ/サイ・9画)

思 金文 思 金文
五年龏令思戈・戦国末期/鮑子鼎・春秋末期

初出:下掲「漢語多功能字庫」には春秋末期の「鮑子鼎」に鋳込まれた金文を載せ、春秋末期の産だと言うが、鮮明な画像が手に入らない。確実な初出は晋系戦国文字。画数が少なく基本的な動作を表す字だが、意外にも甲骨文には見えない。

字形:「」”人間の頭”+「心」で、原義は頭で思うこと。ただし春秋末期までにその出土例がない。

音:カールグレン上古音はsi̯əɡ(平/去)。漢音「シ」で”思う”を、「サイ」で”あご”を意味する。

用例:「先秦甲金文簡牘詞彙資料庫」では、戦国時代以降の例しか載らない。

「漢語多功能字庫」によると、金文では人名に(鮑子鼎・春秋末期)、戦国の竹簡では「使」”派遣する”の意に用いられたという。

備考:同音に「司」があり”うかがう”・”まもる”などの語釈を『大漢和辞典』は載せ、甲骨文から存在する。他の置換候補は「止」で、カ音はȶi̯əɡ。◌̥は無声音を示し、ə(シュワー)は”あいまいなe”で、音素の共通率は75%、sとtが近いと評価するなら音通する。ちなみに「知」はti̯ĕɡで、「志」はȶi̯əɡになる。

s ə ɡ
ȶ ə ɡ

学研漢和大字典

会意。㐫(シン)は、幼児の頭に泉門(㐫門)のある姿。俗にいうおどりこのこと。思は「㐫(あたま)+心(心臓)」で、おもうという働きが頭脳と心臓を中心として行われることを示す。小さいすきまを通して、ひくひくとこまかく動く意を含む。鰓(シ)・(サイ)(ひくひくする魚のえら)・崽(サイ)(小さい)と同系。

類義語の念は、心中深くおもうこと。想は、ある対象に向かって心でおもうこと。憶は、さまざまにおもいをはせること。懐は、心の中におもいをいだくこと。慮は、次から次へと心をくばること。虞(グ)は、あらかじめ心をくばること。

意味〔一〕シ

  1. {動詞}おもう(おもふ)。こまごまと考える。また、なつかしんでおもう。細かく心をくだく。《類義語》慮。「思慮」「思親=親を思ふ」「学而不思則罔=学んで思はざれば則ち罔し」〔論語・為政〕
  2. (シナリ){形容詞}物おもいに沈んでいるさま。憂いを帯びているさま。「亡国之音哀以思=亡国之音は哀にして以て思なり」〔詩経・大序〕
  3. {名詞}おもい(おもひ)。心でいろいろおもいめぐらすこと。▽去声に読む。「属思=思ひを属く」「焦思=思ひを焦がす」「独上江楼思渺然=独り江楼に上れば思ひ渺然たり」〔趙強・江楼書感〕
  4. 「相思(ソウシ)」は、男女が恋愛すること。「相思病(恋わずらい)」。
  5. {助辞}語調を整えることば。句末にあるときは読まない。▽「詩経」に用いられている。「不可泳思=泳ぐべからず思」〔詩経・周南・漢広〕

意味〔二〕サイ

  1. 「于思(ウサイ)」とは、あごひげのたれたさま。▽腮(サイ)(あご)に当てた用法。

字通

[形声]正字は囟(し)に従い、囟声。囟は脳蓋の象形。人の思惟するはたらきのあるところ。〔説文〕十下に「容なり」とあり、恵棟の説に「䜭(ふか)きなり」の誤りであろうという。深く思慮することをいう字である。〔詩〕では終助詞に用いることが多いが、〔魯頌、駉(けい)〕「思(ここ)に邪(よこしま)無し」のように句首に用いることがある。

施(シ/イ・9画)

施 秦系篆書 𢼊 甲骨文
「施」戦国秦篆書/「𢼊」甲骨文

初出:初出は殷代末期あるいは西周早期の金文。現行字体の初出は秦の篆書。”ほどこす”場合の漢音は「シ」(平/去)、呉音は「セ」。”のびる”場合は漢音呉音共に「イ」(去/平)。同音同義に「𢼊」(𢻱)が甲骨文から存在する

字形:甲骨文「𢼊」の字形は”水中の蛇”+「ボク」(攵)”棒を手に取って叩く”さまで、原義はおそらく”離れたところに力を及ぼす”。後漢の『説文解字』により、「施」と同音同義とされる。ただし論拠が書いていない。

𢻱:𢾭也。从攴也聲。讀與施同。(『説文解字』攴部)

ゆえに後漢の時代に「𢼊」を「施」と解釈したとは言えるが、論語の時代に「𢼊」が直ちに「施」である証拠はない。別系統の字だが、同義と判断するのが妥当。

現行の字体「施」は「㫃」”吹き流し”+「也」で、はたがたなびくさまを言うのだろうが、「也」は音符と解するほか無く、原義はおそらく”およぼす”。

音:カールグレン上古音はɕia(平声/去声)/dia(去声)。同音は以下の通り。

ɕia
初出 声調
おなもみ 不明
みぢかいほこ 西周末期金文
ゆるめる 前漢隷書
dia
初出 声調
うつる 秦系戦国文字
うつる 楚系戦国文字
まがき 前漢隷書
衣摳いかう(ころもかけ) 説文解字
ななめ 説文解字
きびざけ 説文解字
ひさげ(水差し) 西周中期金文
へび 甲骨文
旗のなびくさま 戦国篆書

藤堂上古音は”ほどこす”の場合は平声又は去声に読んでthiar。”のびる・のばす・およぶ”の場合は去声に読んでḍiar。このため現在でも前者の場合は、セ/イ、後者の場合はイと読むのが正確。

用例:西周末期「白康𣪕」(集成4160)に「它它受𢆶永令。」とある「它」は「施」と釈文されており、”引き延ばして”・”代々”と解せる。

西周末期「㝬𣪕」(集成4317)に「墜于四方。」とある「墜」は「施」と釈文されており、”およぼす”と解せる。

2022年1月現在、これ以降、戦国時代までの用例は無い。

論語時代の置換候補:”およぼす”の語義に限り、日本語音で同音同訓の「𢻫」。

殷代末期あるいは西周早期の「󱟢爵」(集成7645)の「󱟢」は「施」と釈文されている。ただし一文字だけで、何を意味しているかは分からない。

日本語音で同音同訓の「𢻫」(シ)”ほどこす・しく”の初出は甲骨文。カ音・藤音不明だが董同龢系統上古音はɕja、周法高系統上古音はstʰjia、いずれも(平)で「施」と同じ。「𢻫」は「𢼊」とともに、小学堂では「施」の異体字とされる。ただし金文以前に何を意味したかは不明。

「麗」も甲骨文から存在するが、上古音がlieg/iārで音通は微妙。音シ訓いたるの「至」も甲骨文からあるが、上古音はȶi̯ĕd/tiedで音通しているとは言いがたい。「矢」は甲骨文から存在するが、カールグレン上古音がɕi̯ər(上)/藤堂上古音thierで音通するかは微妙な所。せいぜい置換候補として「矢」(大漢和に”ほどこす”の語釈有り)が挙がる程度と言えようか。

それも音節副音(◌̯。弱い音)は一致率半分とすると、音素の共通率は37.5%しかない。aとə(アとエの中間)が一致率半分とみなしても、やっと共通率50%。

ɕ i a
ɕ ə r

しかも語義が”およぼす”の場合、カ音の同音で論語の時代に存在したのは、匜”水差し”、蛇だけ。『字通』には金文以前への言及が無く、独自採集と思われる金文の字形を載せるが、その姿は戦国期の金文に特有な流麗な書体で(下掲)、おそらく春秋時代にさかのぼるものではない。

施 金文
『字通』所収金文

白川説的にこの字形を解釈すると、左のへん﹅﹅は阝で、神が天から降りてくる神梯であるはずだが、『字通』にその言及が無い。右のつくり﹅﹅﹅は髪の長い巫女が、神梯に向かって拝礼する様に見え、なんらかの土俗宗教的行為を言う、と白川博士なら言いそうなところ。だがそのようなことはやはり『字通』に書いていない。いったい何があったのだろう。

学研漢和大字典

会意兼形声文字で、也は長いへびを描いた象形文字で、長くのびる意を含む。施は「はた+〔音符〕也」で、吹き流しが長くのびること。挓(タ)(長くひっぱりのばす)・迆(イ)(のびる)・移(イ)(横にのびていく)などと同系のことば。

意味〔一〕シ

  1. {動詞}ほどこす。手前の物を向こうへ押しやる。また、自分の金品を広く他人に与える。「博施(ハクシ)(広くほどこす)」「施舎」「施餓鬼(セガキ)」。
  2. {名詞}ほどこし。他人に与えるもの。
  3. {動詞}平らにのばす。「施粉(おしろいをのばしてぬる)」「施采(シサイ)(色彩をぬる)」。
  4. {動詞}ほどこす。技(ワザ)を展開する。また、計画を実際に行う。「実施」「施工」。

意味〔二〕イ

  1. {動詞}のびる(のぶ)。のばす。うつる。長くのびる。また、のびてうつっていく。《類義語》移。「施于中谷=中谷に施る」〔詩経・周南・葛覃〕
  2. 「施施(イイ)」とは、のびのびとするさま。また、ゆるゆるとするさま。▽平声に読む。「施施従外来=施施として外より来たる」〔孟子・離下〕

字通

[形声]声符は也(や)。也に弛(し)の声がある。〔説文〕七上に「旗の皃なり」とあり、旗のなびくことをいう。「齊の欒施(らんし)、字(あざな)は子旗と。施なる者は旗なることを知る」というように、施・旗は名字の対待に用いる。他に施すということから、移る・及ぶ意となり、〔詩、周南、葛覃〕に「中谷に施(うつ)る」の句がある。また〔左伝、昭十四年〕「乃ち邢侯を施(ころ)す」、〔国語、晋語三〕「秦人、冀芮(きぜい)を殺して、之れを施(さら)す」など、施を刳裂(これつ)陳尸(ちんし)の意に用いる。おそらく𢻫(し)と通用の義であろう。〔説文〕三下に𢻫を「𢾭(ふ)なり。~讀みて施と同じうす」とみえ、𢻫は蛇霊を殴(う)つ形。禍を他に転ずる㱾攺(かいし)の儀礼で、刳裂陳尸の意をもつのであろう。

時(シ/ジ・10画)

時 甲骨文 時 石鼓文
『字通』所収甲骨文/石鼓文「吾車」・春秋末期または戦国早期

初出:初出は甲骨文。「小学堂」では初出は春秋末期または戦国初期の秦の石鼓文。『甲骨文合集』4603正に「鼎(貞):乎(呼)時于。二月。」とある。「先秦甲金文簡牘詞彙資料庫」に春秋末期の金文が一件ある。

唯正月初吉丁亥甫□(辶虎),甚六之妻夫□(足欠)申□(擇)氒(厥)吉金,乍鑄飤鼎。余台(以)火者皿(煮)台(以)弓弓羔(享),台(以)伐四方,台(以)從□(攻)□(吳)王,枼萬子孫,羕(永)寶用弓弓羔(享)。(「甚六之妻夫□(足欠)申鼎」『新收殷周青銅器銘文暨器影彙編』NA1250)

石鼓文とは陝西省で出土した花崗岩に刻まれた文字(→waikipedia)であり、彫り込むには鋼鉄の硬度とねばりが必要なことから、まだ軟鉄・鋳鉄しか存在しない青銅器時代の春秋時代のものではない、とされている。ただし異論もあり、wikipediaが「有力視されている」と言っている年代は、いずれも孔子の人生より前になる。

字形:甲骨文の字形は「之」(止)+「日」で、その瞬間の太陽の位置。石鼓文の字形はそれに「又」”手”を加えた形で、その瞬間の太陽の位置を記録するさま。

音:「ジ」は呉音。カールグレン上古音はȡi̯əɡ(平)。同音に塒(ねぐら)、市、恃、侍。市は甲骨文から存在するが”とき”の意が無く、他は金文以前に遡れない。

時 金文 中山王鼎
中山王鼎:戦国末期

用例:『甲骨文合集』4603正の用例は「貞う、時にに呼ばんか」と読める。「甚六之妻夫□(足欠)申鼎」の例も「とき」と読める。「漢語多功能字庫」は戦国の「中山王鼎」で”常に”と解している。また戦国以降、「寺」、「詩」、「侍」、「是」などの字と相互に通用したとする。

論語時代の置換候補:音ジ訓ときの漢字は『大漢和辞典』に「時」しかない。

学研漢和大字典

「時」は会意兼形声文字で、之(シ)(止)は、足の形を描いた象形文字。寺は「寸(て)+(音符)之(あし)」の会意兼形声文字で、手足を働かせて仕事すること。

時は「日+(音符)寺」で、日が進行すること。之(いく)と同系で、足が直進することを之といい、ときが直進することを時という。

語義

  1. {名詞}とき。時間。また、春・夏・秋・冬を四時という。「経時=時を経」「時移事去=時移り事去る」〔陳鴻・長恨歌伝〕
  2. {名詞}とき。昔は一日を十二分し、十二支の名を当てて、「子時(シジ)・(ネノトキ)」「丑時(チュウジ)・(ウシノトキ)」などと呼んだ。今は二十四分して、「一時」「二時」という。「午時(ゴジ)・(ウマノトキ)(正午)」。
  3. {名詞}とき。時代。そのころ。その時代の状況。「時不利兮騅不逝=時に利あらず騅逝かず」〔史記・項羽〕
  4. {名詞}とき。適当な時機。ころあい。機会。「得其時=其の時を得」「農時(農作をすべき時)」「使民以時=民を使ふに時を以てす」〔論語・学而〕。「好従事而亟失時=事に従ふことを好みて亟時を失ふ」〔論語・陽貨〕
  5. {形容詞}とき。適時の。よいしおどきの。「時宜」「時雨(ジウ)(しおどきの雨)」「夫子、時然後言=夫子、時にして然る後言ふ」〔論語・憲問〕
  6. {名詞}とき。暦。「行夏之時=夏の時を行ふ」〔論語・衛霊公〕
  7. {副詞}ときに。ときどき。おりふしに。あるときには。「学而時習之=学びて時にこれを習ふ」〔論語・学而〕。「時大時小=時には大なり時には小なり」〔漢書・匈奴〕
  8. {動詞}うかがう(うかがふ)。よいしおどきをうかがう。《類義語》伺(シ)(うかがう)。「時其亡也而往拝之=其の亡きを時ひ往きてこれを拝す」〔論語・陽貨〕
  9. {指示詞}これ。この。▽之や是(コレ)・(コノ)に当てた用法。「時日害喪=時の日害か喪びん」〔孟子・梁上〕
  10. 《日本語での特別な意味》ときに。話題を転じるときに用いることば。ところで。

字通

声符は寺。寺に、ある状態を持続する意があり、日景(ひかげ)・時間に関しては時という。〔説文〕七上に「四時なり」と四季の意とする。〔書、堯典〕「つつしんで民に時を授く」は農事暦の意。古文の字形は中山王鼎にもみえ、と日に従う。之にものを指示特定する意があり、〔書、舜典〕「百揆れ叙す」、〔詩、大雅、緜〕「ここに止まり 曰にる」のような用法がある。また〔石鼓文、吾(吾)車右〕に「卽ち吾ふせぎ卽ちうかがふ」とあって、そのときを持つ意に用いている。

茲(シ・9画)

茲 甲骨文 茲 金文
合11606/毛公鼎・西周末期

初出:初出は甲骨文。ただし字形はくさかんむりを欠く「𢆶」。現行字形の初出は春秋末期の秦の石鼓文。

字形:甲骨文は「𢆶」だが、通説では”糸束二つ”と解するが、二葉を上から見た形×2で、植物が繁るさま。現行字形は「艹」+「𢆶」”糸束二つ”。殷周交替で原義が忘れられた可能性がある。

茲 異体字
慶大蔵論語疏は「慈」と記し、「茲」と傍記している。慶大本が筆写されたとされる隋代のカールグレン中古音は、「茲」tsi(平)に対して「慈」dzʰi(平)。従ってうっかりの結果による誤字と言うより、ギャル文字同様の意図的な遊び。似た字に上掲「〔艹𢆶灬〕」があり、「魏相州刺史元宥墓誌」(北魏)刻。

音:カールグレン上古音はtsi̯əɡ(平)。「ジ」は呉音。

用例:「甲骨文合集」5684.2に「丁未卜貞亞勿往庚在茲祭」とあり、”ここ”と解せる。

甲骨文には「茲」に続けて「風」「雨」「雲」と記す例が多数あり、”激しい”の意に解しうる。

学研漢和大字典

会意。「艸+幺二つ(細く小さい物が並ぶ)」で、小さい芽がどんどん並んで生じることをあらわす。また、此とともに、近称の指示詞に当てて用いる。

語義

シ(平zī)
  1. {動詞}しげる。草木が繁茂する。
  2. {副詞}ますます。どんどん増えるさま。《同義語》⇒滋。「賦斂茲重=賦斂茲重し」〔漢書・五行志〕
  3. {名詞}わらの敷物。むしろ。《類義語》蓐(ジョク)。
  4. {指示詞}ここ。ここに。これ。この。《類義語》此・斯。「築室于茲=室を茲に築く」〔詩経・大雅・緜〕
  5. {接続詞}すなわち(すなはち)。前後の節がすらすらとつながることをあらわす。《類義語》則。「君而継之、茲無敵矣=君にしてこれを継がば、茲ち敵無からん」〔春秋左氏伝・昭二六〕
  6. 「今茲(コンジ)」とは、今年のこと。「今茲美禾、来茲美麦=今茲は禾に美しく、来茲は麦に美し」〔呂氏春秋・任地〕
  7. 「茲其(シキ)」とは、鋤のこと。
シ(平cí)
  1. 「亀茲(キュウジ)・(クジ)」とは、西域にあった国の名。現在の新彊ウィグル自治区庫車県。

字通

(条目無し)

俟(シ・9画)

俟 隷書
武威簡.士相見13・前漢

初出:初出は戦国の竹簡。ただし字形が明らかでない。「小学堂」による初出は前漢の隷書

字形:「亻」+「矣」”去る”。立ち去る者に人が付き従うさま。

音:カールグレン上古音はdʐʰi̯əɡ(上)。同音に「士」「仕」「戺」”戸軸を持つ木”、「涘」”水際”、「事」。

用例:文献上の初出は論語郷党篇14。『墨子』『孟子』『列子』にも用例がある。

「清華大学蔵戦国竹簡」清華一・皇門11に「(善)夫莫達才(在)王所。乃隹(惟)又(有)奉俟(疑)夫」とあり、「俟」は「疑」”疑わしい”と釈文されているが、字形から”へつらう”と解するべき。

論語時代の置換候補:『大漢和辞典』で同音訓まつに「止」ȶi̯əɡ(上)、初出甲骨文。ただし春秋末期までに”まつ”の用例が無い。ほかに「𥏳」(初出説文解字)、「竢」(初出前漢隷書)、「逘」(初出不明)。上古音の同音に”待つ”の語義を持つ漢字は無い。

学研漢和大字典

会意。矣(イ)は、人が後ろを向いて、何かが来るのをまち、足を止めたさまを描いた象形文字。のち、文末について断定や感嘆の意に転用されたため、俟の字がその原義をあらわすようになった。俟は「人+矣」。仕(シ)・(ジ)(そばにじっとたつ→つかえる)と同系。

語義

  1. {動詞}まつ。止まって何かが来るのをまつ。たち止まる。《同義語》⇒竢。「不俟駕行矣=駕を俟たずして行く」〔論語・郷党〕

字通

[形声]声符は矣(い)。矣は喩(ゆ)母の字で、也(や)に施(し)、羊(よう)に祥(祥)(しよう)の声があるように、矣に俟(し)の声がある。矣は厶(し)(耜(すき)の象形字㠯(し)の楷書形)に呪器としての矢を加えたもので、厶を清める意。字はまた竢に作り、立は位、儀礼の場所をいう。〔詩、邶風、静女〕「我を城隅に俟つ」とあり、それが正訓であろう。〔説文〕八上に「大なり」とするのは、〔詩、小雅、吉日〕「儦儦(へうへう)俟俟(しし)として 或いは群し或いは友(つれだ)つ」のように用いる状態詞からの訓であろう。

垐(シ・9画)

垐 篆書 垐 楷書化篆書
「垐」説文解字(篆書)・後漢/(楷書化篆書)

初出:初出は後漢の『説文解字』。

字形:現行字形「次」+「土」。『説文解字』所収字は〔主〕+〔欠〕。位牌の前であくびをすること。尊崇すべき対象に飽き、いとうさま。『説文解字』に「以土增大道上」とあり”土を盛る”と解するが、『説文解字』を除く先秦両漢の文献に用例が一切見られない。

堲 古文
「堲」説文解字(古文)・後漢

音:カールグレン上古音は不明。異体字とされる「堲」はtsi̯ət(入)またはdzʰi̯ək(入)。音節職-精の上古音は不明。”にくむ”の語義を持つ「疾」はdzʰi̯ət(入)で近音。

用例:『説文解字』を除く先秦両漢の文献に見られない。

「堲」は『小載礼記』檀弓に「有虞氏瓦棺,夏后氏堲周,殷人棺槨,周人墻置翣。」とあり、”土を盛る”と解せる。

『書経』舜典に「帝曰:「龍,朕堲讒說殄行,震驚朕師。」とあり、”いとう”と解せる。

備考:論語公冶長篇25、定州竹簡論語は現行本の「憾」を「憾 外字」字に記しており、この字は『大漢和字典』にもunicodeにも無い。現行「憾」と語義を共有し、字形が近い字として「垐」、「堲」は前漢代での「垐」字の原字と思われる。

大漢和辞典


咨(シ・9画)

初出は戦国中期の金文。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はtsi̯ər(平)。同音は下記の通り。

初出 声調 備考
はかる 戦国中期金文
たから 楚系戦国文字
きび 説文解字
はかる 後漢隷書
黍稷を盛る祭器 殷代末期金文
セイ/シ もたらす 楚系戦国文字
あね 西周末期金文
量の名 西周中期金文
ほしいまま 説文解字

学研漢和大字典

会意兼形声。次は、ざっと並べる意を含む。咨は「口+(音符)次」で、意見を並べそろえて、もみあうこと。

語義

  1. {動詞}はかる。意見を並べ出して相談する。《同義語》⇒諮。「営中之事事無大小悉以咨之=営中の事事大小と無く悉く以てこれに咨る」〔諸葛亮・出師表〕
  2. {感動詞}ああ。感嘆の舌打ちをあらわす擬声語。▽中国では、よしあしどちらの場合にも舌打ちをする。《類義語》嗟(サ)。「咨爾舜=咨爾舜よ」〔論語・尭曰〕

字通

[会意]次+口。次は口を開いてなげき訴える形。口は𠙵(さい)、祝詞を収める器。咨とは、祝詞を奏し、神にうれえ申し、訴えることをいう。〔説文〕二上に「事を謀るを咨と謂ふ」とし、字を形声とするが、次は咨嗟する意。そのうれえ申すさまを姿という。うれえ嘆きながら神に謀るのである。謀は某に従い、某は木の先に曰(えつ)(祝詞を収めた器)をつけ、神意に問うことで、字義は似ているが、咨にはなげき訴える意がある。

論語語釈
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