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論語詳解243郷党篇第十(8)食は精を厭わず*

論語郷党篇(8)要約:後世の創作。孔子先生の食事の作法について、何を食べ何を食べてはならないかのべからず集。傷んだものを食べないのは現代と同じですが、「寝言を言う」まで禁止するのは、儒者にも出来なかった芸当です。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

食不厭精膾不厭細食饐而餲魚餒而肉敗不食色惡不食臭惡不食失飪不食不時不食割不正不食不得其醬不食肉雖多不使勝食氣唯酒無量不及亂沽酒市脯不食不撤薑食不多食祭於公不宿肉祭肉不出三日出三日不食之矣食不語寢不言雖䟽食菜羹瓜祭必齊如也

  • 「精」字:〔青〕→〔靑〕。
  • 「肉」字:〔内人〕→〔丶冂久〕。

校訂

諸本

東洋文庫蔵清家本

食不厭精膾不厭細食饐而餲/魚餒而肉敗不食/色惡不食臭惡不食失飪不食/不時不食/割不正不食不得其醬不食/肉雖多不使勝食氣唯酒無量不及亂沽酒市脯不食不撤薑食/不多食/祭於公不宿肉/祭肉不出三日出三日不食之矣/食不語𥨊不言雖䟽食菜羹瓜祭必齋如也

慶大蔵論語疏

食不〔广猒〕1精/膾不〔广猒〕12/食饐/而餲/魚餒/而〔宀二八〕3敗/不食/色𢙣4不食/臰5𢙣4不食/失飪不(食)6/不時不食/割不正不食/不得其将7不食/〔宀二八〕3〔口衣隹〕8多不使勝食氣/唯(雖)9酒无10量不及〔禾乚三〕11/沽〔氵一丷目〕12市脯不食/不撤薑食/不多食/祭扵13公不宿〔宀二八〕3/祭〔宀二八〕3不出〻三〻日〻不食之〔厶土〕14(矣)9/食不語〔穴彳𠬶〕15不言/〔口衣隹〕8〔艹口正爪〕(蔬)9食菜羹〔艹𧘇〕16祭必〔丿齊〕17如(也)9

  1. 「厭」の異体字。「隋張濤妻禮氏墓誌」刻。
  2. 崩し字。
  3. 「肉」の異体字。「魏孫遼浮圖銘」(北魏)刻字近似。
  4. 「惡」の異体字。「隋龍藏寺碑」刻。
  5. 「臭」の異体字。「魏冀州刺史元壽安墓誌」(北魏)刻。
  6. 上書き。
  7. 「醬」の略字。「張表碑」(後漢)に「將」として刻。
  8. 「雖」の異体字。「魏內司楊氏墓誌」(北魏)刻。
  9. 傍記。
  10. 「無」の異体字。原字。
  11. おそらく「亂」の異体字。未詳。
  12. 「酒」の異体字。「唐霍漢墓誌銘」刻。
  13. 「於」の異体字。「唐王段墓誌銘」刻。
  14. おそらく「矣」の略字。未詳。
  15. 「寝」の異体字。『干禄字書』(唐)所収。
  16. 「蔬」の異体字。未詳。
  17. 「瓜」の異体字。「唐建陵縣令席泰墓誌」刻。
  18. 「齊」の異体字。「斛斯祥墓誌」(唐)刻。

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

……[敗,不食]。248……肉雖多,不使勝食249……[唯酒]毋a量,不及亂。沽酒250……食,不多食。[祭於公,不宿]肉。祭肉251……[]不語,寢不言。雖踈b252

  1. 毋、今本作”無”。可通。
  2. 踈、今本作”疏”。音義同。

標点文

食不厭精、膾不厭細。食饐而餲、魚餒而肉敗不食。色惡不食、臭惡不食。失飪不食、不時不食。割不正不食、不得其醬不食。肉雖多、不使勝食氣。唯酒毋量、不及亂。沽酒市脯不食。不撤薑食、不多食。祭於公、不宿肉。祭肉不出〻三〻日〻不食之矣。食不語、寢不言。雖踈食菜羹瓜、祭必齊如也。

復元白文(論語時代での表記)

食 金文不 金文厭 金文 会 金文不 金文厭 金文 食 金文而 金文 魚 金文而 金文肉 甲骨文敗 金文 不 金文食 金文 色 金文䛩 金文不 金文食 金文 臭 金文䛩 金文不 金文食 金文 失 金文不 金文食 金文 不 金文時 石鼓文不 金文食 金文 割 金文不 金文正 金文不 金文食 金文 不 金文得 金文其 金文不 金文食 金文 肉 甲骨文雖 金文多 金文 不 金文使 金文偁 金文食 金文气 乞 金文 唯 金文 酒 金文無 金文量 金文 不 金文及 金文弟 金文  沽 金文 酒 金文市 金文不 金文食 金文 不 金文食 金文 不 金文多 金文食 金文 祭 金文於 金文公 金文 不 金文宿 金文肉 甲骨文 祭 金文肉 甲骨文不 金文出 金文論語 二 金文三 金文論語 二 金文日 金文論語 二 金文 不 金文食 金文之 金文矣 金文 食 金文不 金文語 金文 寝 金文不 金文言 金文 雖 金文食 金文菜 金文祭 金文 必 金文斉 金文如 金文也 金文

※膾→會・肉→(甲骨文)・勝→偁。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。「敗」「色」「失」「其」「沽」「語」「寢」「必」「如」「也」の用法に疑問がある。本章は漢帝国の儒者による創作である。

書き下し

いひしらげいとなますほそきをいといひくづれ、うをあざにくやぶれたるはくらいろしきはくらにほひしきはくらにかたうしなへるはくらときならざるはくらきりめただしからざるをくらびしほるはくらにくおほしといへども、いひまさ使たださけはかりきも、みだるるにおよ沽酒うりざけ市脯うりほじしくらはじかみしてくらふ、おほくらおほやけまつれば、にく宿よひごまつりのにく三日みつかいだ〻〻みつかでたるはこれくらなりくらふにかたぬるにあらいひあつものうりいへども、まつるにかならしたたまるがごとたり

論語:現代日本語訳

逐語訳

漢儒

ご飯は精白したものでもかまわない。刺身は細切りでもかまわない。ご飯の変な臭いがして形が崩れたもの、魚の腐って形が変わりその肉の腐ったものは食べない。色がおかしなものは食べない。においが悪いものも食べない。煮方を失敗したものも食べない。季節外れの食材も食べない。切り方が悪いものも食べない。食材に合ったたれが無いものは食べない。肉は多い時でも、ご飯の味わいより多くは食べない。ただし酒は量を定めないが、酒乱にならない。売っている酒、市場に並んだ干し肉は飲み食いしない。薬味は取りのけないで食べるが、多くは食べない。国公の祭りのお下がりの肉は、その日の内に食べる。(自家の)祭りの肉は、三日以内に食べ、三日を過ぎたら食べない。

食事の時はおしゃべりしない。寝て喋らない(=寝言を言わない)。粗末なご飯、おかず、スープ、瓜であっても、お供えする時には必ずきちんと整える。

意訳

同上

従来訳

下村湖人

米は精白されたのを好まれ、膾(なます)は細切りを好まれる。飯のすえて味の変つたのや、魚のくずれたのや、肉の腐つたのは、決して口にされない。色のわるいもの、匂いのわるいものも口にされない。煮加減のよくないものも口にされない。季節はずれのものは口にされない。庖丁のつかい方が正しくないものは口にされない。ひたし汁がまちがっていれば口にされない。肉の料理がいろいろあっても、主食がたべられないほどには口にされない。ただ酒だけは分量をきめられない。しかし、取乱すほどには飲まれない。店で買った酒や乾肉は口にされない。生姜(しょうが)は残さないで食べられる。大食はされない。君公のお祭りに奉仕していただいた供物の肉は宵越しにならないうちに人にわかたれる。家の祭の肉は三日以内に処分し、三日を過ぎると口にされない。口中に食物を入れたままでは話をされない。寝てからは口をきかれない。粗飯や、野菜汁のようなものでも、食事前には必ず先ずお初穂を捧げられるが、その御様子は敬虔そのものである。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

糧食儘量精,肉類儘量細。變質的東西不吃;變色的東西不吃,變味的東西不吃;烹飪得不好不吃;不是吃飯的時間不吃;切的不好看不吃;調味品不好不吃。肉類雖多,但不要吃過量。衹有酒不限量,但不要喝醉。從集市上買來的酒肉不吃;每餐必有姜,但不多吃。參加國家的祭典,分得的祭肉不留過夜;家裏的祭肉,不留過三日。過了三日,就不吃了。吃飯時不說話,睡覺時不說話。即使是粗茶淡飯,飯前也要祭一祭,象齋戒一樣嚴肅。

中国哲学書電子化計画

ご飯はできる限り精白する。肉類はできる限り細切れにする。変質したものは食べない。変色したものも食べない。味が変わったものも食べない。よく煮えていないものは食べない。食事どきでないと食べない。切り方が悪いものも食べない。調味料が良くなければ食べない。肉類は多くするが、食べ過ぎはしない。ただし酒だけは底なしに呑むが、酔い潰れるほどは呑まない。市場で買った酒や肉は摂らない。毎食必ず薬味を添えるが、薬味を摂りすぎはしない。国の祭祀に参加した際、お下がりの肉は宵越しさせない。自宅での祭祀の肉は、三日を超さない(前に食べる)。三日を過ぎたら、必ず食べない。食事の際はしゃべらない。眠るときもしゃべらない。粗末な料理でも、必ず食べる前に神前に供え、そのさまは物忌みと同様に厳かに行う。

論語:語釈

食(ショク)

食 甲骨文 食 字解
(甲骨文)

論語の本章では(穀物の)”めし”・”食べる・飲む”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「シュウ」+点二つ”ほかほか”+「豆」”たかつき”で、食器に盛った炊きたてのめし。甲骨文・金文には”ほかほか”を欠くものがある。「亼」は穀物をあつめたさまとも、開いた口とも、食器の蓋とも解せる。原義は”たべもの”・”たべる”。詳細は論語語釈「食」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。

厭(エン)

厭 金文 厭 字解
(金文)

論語の本章では”いやがる”→”避ける”。初出は西周早期の金文。漢音「エン」で”あきる”、「オウ」で”押さえる”の意を示す。字形は「𠙵」”くち→あたま”+「月」”からだ”+「犬」で、脂の強い犬肉に人が飽き足りるさま。原義は”あきる”。金文では”満ち足りる”の意に用いた。異体字の「猒」を含めて、”厭う”の意は確認できないが、”満ち足りる”の派生義としては妥当と判断する。詳細は論語語釈「厭」を参照。

厭 異体字
慶大蔵論語疏は異体字「〔广猒〕」と記す。「隋張濤妻禮氏墓誌」刻。

精*(セイ)

精 楚系戦国文字 精 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”精白した穀物”。論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。初出の字形は「米」”穀物”+”石臼”+「口」。戦国最末期の秦系戦国文字からは現行通り、「米」+「青」”透き通った”。同音に「菁」”ニラの花”、「晶」”ひかり”、「旌」”はた”。戦国文字では、”くわしい”・”きよい”の意に用いた。詳細は論語語釈「精」を参照。

膾*(カイ)

膾 篆書 膾 字解
(篆書)

論語の本章では肉や魚の”刺身”。論語では本章のみに登場。初出は後漢の説文解字。ただし春秋中期の金文で「會」(会)を「膾」と釈文する例がある。字形は「月」”にく”+音符「會」。同音に「襘」”帯の結び目”「檜」「旝」”旗、弩”「澮」”小川”「廥」”まぐさ藏”「鬠」”髪を束ねる”。文献上の初出は論語の本章。『孟子』『荘子』にも用例がある。詳細は論語語釈「膾」を参照。

中国人は生ものを食べないと巷間言われてきたが、歴史的に見ると宋代までは肉や魚の刺身をよく食べており、元代に何かが変わったことを思わせる。

細*(セイ)

細 秦系戦国文字 細 字解
(秦系戦国文字)

論語の本章では”ほそい”。論語では本章のみに登場。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形の由来は不明。同音は諸説あって一定しない。「サイ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。秦系戦国文字の用例は破損がひどく、しかも占いの部分なので何を言っているか分からない。文献上の初出は論語の本章。『墨子』『荘子』『荀子』にも用例がある。詳細は論語語釈「細」を参照。

慶大蔵論語疏は「糸」を崩して書いている。引き続く疏(注の付け足し)も「細」で始まるのだが、「L」形を重文号(繰り返し記号)として用いている。あるいは「〻」の崩し字かも知れない。

〻
「子〻孫〻」史頌鼎・西周末期

重文号は金文の時代では小さく「二」を記し、慶大本もそう記している箇所がある。現行では「〻」と記す。wikipediaによると「二」を重文号に用いたのは殷代に始まり、周以降も受け継がれたという。訳者が確認した初出は西周早期「㢭白鬲」(集成697)で、「其萬年子〻孫〻永寶用」とある。

饐*(イ)

饐 篆書 饐 字解

論語の本章では”発酵する”。穀物のめしが鍋釜の中で発酵して甘酒のようになること。論語では本章のみに登場。初出は後漢の説文解字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「食」+音符「壹」。同音は「懿」”うるわしい”のみ。文献上の初出は論語の本章。『墨子』『呂氏春秋』にも用例がある。詳細は論語語釈「饐」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”そして”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

餲*(アイ)

餲 晋系戦国文字 餲 字解
(晋系戦国文字)

論語の本章では(穀物が発酵した)”においがする”。論語では本章のみに登場。初出は晋系戦国文字とされる。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。初出の字形は、「食」+蓋+ざる+桶。穀物を醸造するさま。現行字形は「食]+音符「曷」。同音は「瘞」”埋める”(初出説文解字)。文献上の初出は論語の本章。『墨子』にも用例があるが、儒家では後漢初期の『論衡』まで時代が下る。おそらく『墨子』の用例は後世の書き換え。詳細は論語語釈「餲」を参照。

食饐而餲

慶大蔵論語疏では「食饐/而餲」と分割して間に疏が記されているが、根本本以降では「食饐而餲」と結合され疏も結合されている。

魚*(ギョ)

魚 甲骨文 魚 字解
(甲骨文)

論語の本章では”さかな”。初出は甲骨文。字形は釣り上げた魚の象形。春秋時代までに、”さかな”・”めでたい”の意に、また『春秋左氏伝』では、人名に用いた。詳細は論語語釈「魚」を参照。

餒*(ダイ)

餒 楷書 餒 字解

論語の本章では”腐る”。初出は不明。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「食」+音符「妥」。同音は存在しない。文献上の初出は論語の本章、論語衛霊公篇32。『墨子』『孟子』『荘子』にも用例がある。詳細は論語語釈「餒」を参照。

肉(ジク)

肉 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では食材としての”肉”。「ニク」は呉音。初出は甲骨文。初出の字形は「月」によく似ており、切り分けた肉の象形。戦国では木に吊して血抜きをする字形が見られる。甲骨文から”肉”を意味した。詳細は論語語釈「肉」を参照。

肉 異体字
慶大蔵論語疏は異体字「〔宀二八〕」と記す。「魏孫遼浮圖銘」(北魏)刻字近似。

当時普段から肉を食べられるのは、士分以上の貴族だけだった。そして戦場に出るのも士分以上の貴族だけである。『左伝』には貴族を指して、「肉を食べる者」という表現がある(『春秋左氏伝』荘公十年)。

敗(ハイ)

敗 甲骨文 敗 字解
(甲骨文)

「敗」は論語の本章では”腐敗する”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「貝」または「鼎」+「丨」”棒”+「又」”手”。貴重なものを棒で叩き壊すさま。春秋末期までに、”殺害する”、”ダメにする”、”打破する”の意に用いた。詳細は論語語釈「敗」を参照。

魚餒而肉敗不食

慶大蔵論語疏は「魚餒/而肉敗/不食」と分割し、間に疏を記す。根本本以降は統合している。

色(ソク)

色 金文 色 字解
(金文)

論語の本章では”色合い”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は西周早期の金文。「ショク」は慣用音。呉音は「シキ」。金文の字形の由来は不詳。原義は”外見”または”音色”。詳細は論語語釈「色」を参照。

惡(アク)

䛩 金文 悪 字解
(金文)

論語の本章では”悪い”。現行字体は「悪」。初出は西周中期の金文。ただし字形は「䛩」。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「アク」で”わるい”を、「オ」で”にくむ”を意味する。初出の字形は「言」+「亞」”落窪”で、”非難する”こと。現行の字形は「亞」+「心」で、落ち込んで気分が悪いさま。原義は”嫌う”。詳細は論語語釈「悪」を参照。

慶大蔵論語疏は異体字「𢙣」と記す。「隋龍藏寺碑」刻。

臭*(シュウ)

臭 甲骨文 臭 字解
(甲骨文)

論語の本章では”におい”。現伝論語では本章のみに登場。慶大蔵論語疏では論語郷党篇19にも登場。初出は甲骨文。字形は「自」”鼻”+「犬」。犬が臭いを嗅ぐさま。新字体は「臭」(下部が「犬」でなくて「大」)。同音は「充」など。甲骨文では氏族名に用いた。春秋末期の金文にも用例があるが、解読不能。詳細は論語語釈「臭」を参照。

慶大蔵論語疏は異体字「臰」と記す。「魏冀州刺史元壽安墓誌」(北魏)刻。

失(シツ)

失 金文 失 字解
(金文)

論語の本章では”よくなくする”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は殷代末期の金文。同音は「室」のみ。字形は頭にかぶり物をかぶり、腰掛けた人の横姿。それがなぜ”うしなう”の意になったかは明らかでないが、「キョウ」など頭に角型のかぶり物をかぶった人の横姿は、隷属民を意味するらしく(→論語語釈「羌」)、おそらく所属する氏族を失った奴隷が原義だろう。西周早期の金文に、”失敗する”と読めなくもない例があるが、確定しない。”うしなう”の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代以降になる。詳細は論語語釈「失」を参照。

飪*(ジン)

飪 篆書 飪 字解
(篆書)

論語の本章では”煮る”。論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。ただし字形が確認できない。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「食」+音符「壬」”ふくれる”。同音に「壬」とそれを部品とする漢字群など多数。戦国文字の用例は、欠損により語義不明。文献時代の初出は論語の本章。再出は前漢中期の『塩鉄論』。詳細は論語語釈「飪」を参照。

失飪不食

慶大蔵論語疏は「失飪不飪食…」とあるのを上書きして「失飪不食飪…」と記す。「不食」までが経で、「飪」以降は疏。誤記を訂正したものと判断できる。

時(シ)

論語 時 甲骨文 時 字解
(甲骨文)

論語の本章では”旬である”。初出は甲骨文。「ジ」は呉音。甲骨文の字形は「之」(止)+「日」で、その瞬間の太陽の位置。石鼓文の字形はそれに「又」”手”を加えた形で、その瞬間の太陽の位置を記録するさま。詳細は論語語釈「時」を参照。

「不時不食」は「不時」は「不食」であり、「不時」に「不食」なら語順が「不食不時」になるのが通例。つまり「不時不食」は”季節外れのおかしなものは食べない”。

漢語は助詞や前置詞に当たる言葉がほとんど無く、格変化もしないので、語順は語の意味を決定づけるが、前漢儒がでたらめに漢文を解して以降、とりわけ文語は滅茶苦茶になってしまった。だがそれでも、語順通りに解するのが適切であるには違いない。

割*(カツ)

割 金文 割 字解
(金文)

論語の本章では”切り分ける”。初出は西周早期の金文。初出の字形は「害」”車輪にくさびを入れる”の四隅に「十」”切り込み”を加えた形。現行字形は「害」+「刂」”刀”。春秋末期までに、”分割する”・”願う”の意に用いた。詳細は論語語釈「割」を参照。

正(セイ)

正 甲骨文 正 字解
(甲骨文)

論語の本章では”正しい”。初出は甲骨文。字形は「囗」”城塞都市”+そこへ向かう「足」で、原義は”遠征”。論語の時代までに、地名・祭礼名、”征伐”・”年始”のほか、”正す”、”長官”、”審査”の意に用い、また「政」の字が派生した。詳細は論語語釈「正」を参照。

帝政儒教以降、食材にはそれにふさわしい食べ方、調理法、切り方があるとされた。『食経』*の解説によると、『礼記』に「それ礼の初めは、これを飲食に始まる」といい、『書経』には政治の要点として挙げた八箇条の内、「一に曰く食」とあるという。正しい食べ物を正しく調理し正しく食べるのは、文明人のあかしでもあった。

*『食経』:中村璋八・佐藤達全 中国古典新書『食経』明徳出版社 昭和58年三版

得(トク)

得 甲骨文 得 字解
(甲骨文)

論語の本章では”手に入れる”。初出は甲骨文。甲骨文に、すでに「彳」”みち”が加わった字形がある。字形は「貝」”タカラガイ”+「又」”手”で、原義は宝物を得ること。詳細は論語語釈「得」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”その”という指示詞。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

醬*(ショウ)

醤 晋系戦国文字 醤 字解
(晋系戦国文字)

論語の本章では”醤油”のたぐい。論語では本章のみに登場。初出は戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は各種戦国文字まで「爿」”寝床”+「酉」”酒甕”。よく寝かせた醤油のたぐい。同音に「將」「漿」「蔣」”まこも・励ます”、「獎」。戦国文字から”穀物を醸造した調味料”の意に用いた。詳細は論語語釈「醤」を参照。

慶大蔵論語疏は略字「将」と記す。「張表碑」(後漢)に「將」として刻。

現代中国語では、可愛らしい者を意味する日本語の接尾語「…ちゃん」に、「醤」(チァン)の字を当てることがある。現代中国料理でもチアンは”たれ”で、これは液体に限定されない。少しとろみのある、旨味の詰まった何かで、もはや”たれ”としか表現できない。

雖(スイ)

論語 雖 金文 雖 字解
(金文)

論語の本章では”たとえ…でも”。初出は春秋中期の金文。字形は「虫」”爬虫類”+「隹」”とり”で、原義は不明。春秋時代までの金文では、「唯」「惟」と同様に使われ、「これ」と読んで語調を強調する働きをする。また「いえども」と読んで”たとえ…でも”の意を表す。詳細は論語語釈「雖」を参照。

慶大蔵論語疏は異体字「〔口衣隹〕」と記す。「魏內司楊氏墓誌」(北魏)刻。

多(タ)

多 甲骨文 多 字解
(甲骨文)

論語の本章では”多い”。初出は甲骨文。字形は「月」”にく”が二つで、たっぷりと肉があること。原義は”多い”。甲骨文では原義で、金文でも原義で、戦国の竹簡でも原義で用いられた。詳細は論語語釈「多」を参照。

使(シ)

使 甲骨文 使 字解
(甲骨文)

論語の本章では”~させる”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「事」と同じで、「口」+「筆」+「手」、口に出した事を書き記すこと、つまり事務。春秋時代までは「吏」と書かれ、”使者(に出す・出る)”の語義が加わった。のち他動詞に転じて、つかう、使役するの意に専用されるようになった。詳細は論語語釈「使」を参照。

勝(ショウ)

勝 晋系戦国文字 勝 字解
(晋系戦国文字)

論語の本章では”増やす”→”より多い”。初出は晋系戦国文字で、論語の時代に存在しない。同音は存在しない。字形は「甘」”重荷”二つ+「力」で、負担に耐えるさま。原義は”耐える”。論語時代の置換候補は、”あげる”・”増やす”の語義で「偁」。詳細は論語語釈「勝」を参照。

氣(キ)

乞 甲骨文 気 字解
(甲骨文)

論語の本章では”精髄”。ものから混ざり物を取り去って作用を現す成分のみを取り出したもの。生命活動を支える根源。横文字で「エキス」「エッセンス」に相当するもの。初出は甲骨文。その字形は「气」。雲が垂れ下がって消えていくさま。原義は”終わる”。初文は「氣」ではなく「气」で、「氣」は「餼」の初文。論語語釈「餼」を参照。甲金文では「气」と「乞」の書き分けは明瞭でない。甲骨文では”終わる”または”気配”、また「乞」”求める”と解せる。金文では語義が明確でない。あるいは”生きる”を意味するか。また”終わる”・”求める”と解せる例がある。

唯(イ)

唯 甲骨文 唯 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ただ~だけ”。初出は甲骨文。「ユイ」は呉音。字形は「𠙵」”口”+「隹」”とり”だが、早くから「隹」は”とり”の意では用いられず、発言者の感情を表す語気詞”はい”を意味する肯定の言葉に用いられ、「唯」が独立する結果になった。古い字体である「隹」を含めると、春秋末期までに、”そもそも”・”丁度その時”・”ひたすら”・”ただ~だけ”の語義が確認できる。詳細は論語語釈「唯」を参照。

慶大蔵論語疏は論語の本章では「雖」と傍記し、「いえども」と読む伝承があったことを窺わせる。

酒(シュウ)

酒 甲骨文 酒 字解
(甲骨文)

論語の本章では”酒”。春秋時代では甘くて色の濁った濁り酒「レイ」に対し、それを布袋で”チュウ”と絞り、漉して作った清酒を指す。「シュ」は呉音。初出は甲骨文。甲骨文の字形には、現行字体と同じ「水」+「酉」”酒壺”のものと、人が「酉」を間に向かい合っているものがある(上掲)。原義は”さけ”。甲骨文では原義のほか、地名に用いた。金文では原義のほか、十二支の十番目に用いられた。さらに氏族名や人名に用いた。詳細は論語語釈「酒」を参照。

酒 異体字
慶大蔵論語疏は異体字「〔氵一丷目〕と記す。上掲「唐霍漢墓誌銘」刻。

無(ブ)→无(ブ)→毋(ブ)

無 甲骨文 無 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…ない”。初出は甲骨文。「ム」は呉音。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。

无 金文 无 秦系戦国文字
庚兒鼎・春秋中期/睡虎地簡54.43

慶大蔵論語疏では「无」と記す。初出は春秋中期の金文。ただし字形は「𣞤」で「無」の古形。現行字形の初出は秦系戦国文字。初出の字形は両端に飾りを下げた竿を担ぐ人の姿で、「無」の原義と同じく”舞う”姿。「ム」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。春秋の金文では”ない”の意に、戦国最末期の秦系戦国文字に「先冬」とあり、「先」は「无」と釈文されている。詳細は論語語釈「无」を参照。

毋 金文 毋 字解
(金文)

定州竹簡論語は「毋」と記す。戦国時代以降「無」を意味する言葉として用いられた。初出は西周中期の金文。「母」と書き分けられていない。現伝書体の初出は戦国文字。論語の時代も、「母」と書き分けられていない。同訓に「無」。甲骨文・金文では「母」の字で「毋」を示したとし、西周末期の「善夫山鼎」にもその用例が見られる。詳細は論語語釈「毋」を参照。

量*(リョウ)

量 甲骨文 量 字解
(甲骨文)

論語の本章では”かさ”。初出は甲骨文。字形は上下に「口」”くち”+「東」”中身の詰まった袋”。中身の詰まった袋を開けたさま。金文以降「口」が「日」になるのは、開けてみて確かにものが入っていたことを示すため、横に一画加えた形。甲骨文にも上部を「田」とするものが「量」字に比定されている。同音は「良」など。春秋末期までに、地名・氏族名、”はかる”の意に用いた。詳細は論語語釈「量」を参照。

及(キュウ)

及 甲骨文 及 字解
(甲骨文)

論語の本章では”至る”。初出は甲骨文。字形は「人」+「又」”手”で、手で人を捕まえるさま。原義は”手が届く”。甲骨文では”捕らえる”、”の時期に至る”の意で用い、金文では”至る”、”~と”の意に、戦国の金文では”~に”の意に用いた。詳細は論語語釈「及」を参照。

亂(ラン)

亂 金文 乱
(金文)

論語の本章では、”みだれる”。新字体は「乱」。初出は西周末期の金文。ただし字形は「イン」を欠く「𤔔ラン」。初出の字形はもつれた糸を上下の手で整えるさまで、原義は”整える”。のち前漢になって「乚」”へら”が加わった。それ以前には「司」や「又」”手”を加える字形があった。春秋時代までに確認できるのは、”おさめる”・”なめし革”で、”みだれる”と読めなくはない用例も西周末期にある。詳細は論語語釈「乱」を参照。

乱 亂 異体字
慶大蔵論語疏はおそらく異体字「〔禾乚三〕」と記す。未詳。

沽(コ)

沽 金文 沽 字解
(金文)

論語の本章では”売られた”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は西周末期の金文。字形は「水」+”水たまりに立てた標識”。深さのある川や湖の意。上古音は声調は違うが「賈」”うりかいする”と同音。春秋末期までの用例は一件のみで、”みずうみ”の意に用いた。論語では”うる・かう”など商売系の意に用いられたが、いずれも後世の偽作で、この語義の初出は前漢初期で、戦国最末期から前漢初期になって現れた。詳細は論語語釈「沽」を参照。

市*(シ)

市 甲骨文 市 字解
(甲骨文)

論語の本章では”売られた”。初出は甲骨文だが、語義は現在と異なる。”市場”系統の語義は、「待」(初出西周早期金文)の音を持つゆえの仮借。周になって原義系統の漢語は、「巿フツ」に置き換わった。甲骨文に比定されている字形は、「夂」”あし”+「一」”地面”+「丨」水流+「水」で、足を止めざるを得ないにわか雨を示す。「ハイ」の原字。現行字形は戦国時代になって現れた略字。同音は「時」「塒」「恃」「侍」。甲骨文では”にわか雨”に、西周の金文では”いちば”または”売る”の意に用いた。詳細は論語語釈「市」を参照。

『史記』『孔子家語』によると、孔子が代官になるまで、市場では平然と不正が行われていたとする。本章はその元ネタというより、二篇と口裏を合わせるために、同じ前漢初期に偽作されたと考える方が筋が通る。

脯*(ホ)

脯 楚系戦国文字 脯 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”干し肉”。論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。初出の字形は音符「父」+「月」”にく”。現行字形は秦系戦国文字からで、「月」+音符「甫」。「甫」の原義は畑にまいた種が芽を出すことで、”大きい”の意があり、干し肉の中でも大きなものをいう。また『大漢和辞典』甫条は「斧に通ず」という。同音に部品の「甫」”ますらお・大きい・畑”、「父」、「斧」、「夫」など多数。戦国文字から、”干し肉”の意に用いた。詳細は論語語釈「脯」を参照。

酒も干し肉も、手間さえ掛ければ自宅で作れるものだから、「賤しき故に多芸」(論語子罕篇7)だった孔子も、せっせと肉を細切りしたり、ご飯に麹をまぶして甕に漬け込んだのかも知れない。

撤*(テツ)

撤 古文 撤 字解
(古文)

論語の本章では”取り去る”。論語では本章のみに登場。初出は不明。論語の時代に存在しない。字形は「扌」+「徹」”取り去る”の略体。同音に「轍」、「徹」、「澈」”水が澄む”。戦国最末期「睡虎地秦簡」田律10の「徹」は「撤」と釈文されている。文献上の初出は論語の本章。再出は前漢初期の『新書』まで時代が下る。論語時代の置換候補は「徹」(初出甲骨文)。詳細は論語語釈「撤」を参照。

薑*(キョウ)

薑 古文 薑 字解
(古文)

論語の本章では”植物系の薬味”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。初出の字形は未公開だが、上掲「𧅁」と釈文されている。「𧅁」を『大漢和辞典』では「薑に同じ」という。現行字形は「艹」+音符「畺」。台湾では「姜」(太古の西北中国で羊を放牧していた民族のうち、女性)は薑の異体字として扱われる。同音に「疆」「姜」「僵」”行き倒れ”「繈」”ふしいと”「襁」。戦国の竹簡では、”植物系の薬味”の意に用いた。詳細は論語語釈「薑」を参照。

「薑を去らなかった」理由は儒者が色々と想像を並べている。古注では斎戒中には食べ、普段の食事では取り除いたと解している。

古注『論語集解義疏』
云不撤薑食者撤除也齊禁薰物薑辛而不薰嫌亦禁之故明食時不除薑者也
古注 何晏
不撤薑食と云う者、撤りて除く也。斉、薫う物を禁じ、薑辛くし而薫わ不るは、嫌いて亦た之を禁ず。故に明食の時、薑を除け不る者也。

新注では本章を斎戒の時の食事とし、普段は食わなかったが、斎戒中でも薑は邪気を払うから食べたと言う。

新注『論語集注』
薑,通神明,去穢惡,故不撤。
朱子 新注
薑は神明に通じ、穢れて悪しきを去る。故に撤ら不。

「不撤薑食」を素直に「薑を撤ら不して食らう」と読めるのはいいのだが、斎戒中の食事に限らねばならない理由はない。

祭(セイ)

祭 金文 祭 字解
(金文)

論語の本章では”祖先の祭祀”。「チンチンドコドン」の”お祭り”ではない。祈願にせよ定期的な供養にせよ、中国の霊魂は供え物という具体的なブツがないと言うことを聞かないと思われていたし、不足を感じれば祟ったりした。字形は〔示〕”祭壇”の上に〔月〕”供え物の肉”を〔又〕”手”で載せるさま。「サイ」は呉音。甲骨文から春秋末期の金文まで、一貫して”祖先の祭祀”の意に用いた。中国では祖先へのお供え物として生肉などが好まれた。そのような祖先への供物を「血食」という。詳細は論語語釈「祭」を参照。

於(ヨ)→扵(ヨ)

烏 金文 於 字解
(金文)

論語の本章では”~に”。慶大蔵論語疏では「於」の異体字「扵」と記す。「唐王段墓誌銘」刻、『新加九経字様』(唐)所収。字の初出は西周早期の金文。ただし字体は「烏」。「ヨ」は”~において”の漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)、呉音は「オ」。「オ」は”ああ”の漢音、呉音は「ウ」。現行字体の初出は春秋中期の金文。西周時代では”ああ”という感嘆詞、または”~において”の意に用いた。詳細は論語語釈「於」を参照。

于 甲骨文 于 字解
(甲骨文)

版本によっては「于」と記す。初出は甲骨文。字形の由来と原義は不明。甲骨文から春秋末期まで、”~に”の意に用いた。詳細は論語語釈「于」を参照。

公(コウ)

公 甲骨文 公 字解
「公」(甲骨文)

論語の本章では”国公”。春秋諸侯国の君主。初出は甲骨文。字形は〔八〕”ひげ”+「口」で、口髭を生やした先祖の男性。甲骨文では”先祖の君主”の意に、金文では原義、貴族への敬称、古人への敬称、父や夫への敬称に用いられ、戦国の竹簡では男性への敬称、諸侯への呼称に用いられた。詳細は論語語釈「公」を参照。

宿(シュク)

宿 甲骨文 宿 字解
(甲骨文)

論語の本章では”宵を超す”。時間を一晩経過させること。初出は甲骨文。字形は「宀」”やね”+「人」+「因」”寝床”。宿舎の意。甲骨文では”宿る”の意に用い、春秋末期までの金文では、”早朝”の意に、また人名に用いた。詳細は論語語釈「宿」を参照。

出(シュツ/スイ)

出 金文 出 字解
(甲骨文)

論語の本章では”はみ出る”→”過ぎる”。初出は甲骨文。「シュツ」の漢音は”出る”・”出す”を、「スイ」の音はもっぱら”出す”を意味する。呉音は同じく「スチ/スイ」。字形は「止」”あし”+「カン」”あな”で、穴から出るさま。原義は”出る”。論語の時代までに、”出る”・”出す”、人名の語義が確認できる。詳細は論語語釈「出」を参照。

三(サン)

三 甲骨文 三 字解
「三」(甲骨文)

論語の本章では数字の”さん”。初出は甲骨文。原義は横棒を三本描いた指事文字で、もと「四」までは横棒で記された。「算木を三本並べた象形」とも解せるが、算木であるという証拠もない。詳細は論語語釈「三」を参照。

日(ジツ)

日 甲骨文 日 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ひにち”。初出は甲骨文。「ニチ」は呉音。原義は太陽を描いた象形文字。甲骨文から”昼間”、”いちにち”も意味した。詳細は論語語釈「日」を参照。

出三日出三日→出〻三〻日〻

慶大蔵論語疏では、「出三日」の繰り返しを一字ごとに重文号を記して表記している。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”…してしまう”。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。

慶大蔵論語疏ではおそらく略字の「〔厶土〕」と記し、「矣」と傍記する。未詳。

語(ギョ)

語 字解
(金文)

論語の本章では”言葉を交わす”。誰かとおしゃべりすること。この語義は春秋時代では確認できない。初出は春秋末期の金文。「ゴ」は呉音。字形は「言」+「吾」で、初出の字形では「吾」は「五」二つ。「音」または「言」”ことば”を互いに交わし喜ぶさま。春秋末期以前の用例は1つしかなく、「娯」”楽しむ”と解せられている。詳細は論語語釈「語」を参照。また語釈については論語子罕篇20余話「消えて無くならない」も参照。

寢(シン)

寝 甲骨文 寝 字形
(甲骨文)

論語の本章では”寝る”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。新字体は「寝」。字形は「宀」”屋根”+「帚」”ほうき”で、すまいのさま。原義は”住まい”。甲骨文では原義で用い、金文では原義、”祖先廟”、官職名を意味した。詳細は論語語釈「寝」を参照。

寢 寝 異体字
慶大蔵論語疏は異体字「〔穴彳𠬶〕」と記す。『干禄字書』(唐)所収。

論語郷党篇6に「必ず寝衣有り」といい、論語郷党篇17に「寝るにしかばねせず」という。いずれも”寝た最中”を指し、”寝入る前”の意ではない。従って「寝るに語らず」とは、”寝言を言わない”。新注が「自言曰言」”独り言を言という”というのは例外的に当たっている。「例外」という理由は論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ものを言う”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

䟽(ソ)→踈(ソ)

疏 楚系戦国文字 疏 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”質素な”。この文字の初出は楚系戦国文字で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「疋」”足”+「㐬」”吹き流し”。「疋」は音符。「疏」・「䟽」は異体字。戦国の竹簡での語義はよく分からない。原義は”通じる”の意とも言われるが不明。詳細は論語語釈「疏」を参照。

蔬 篆書
「蔬」(篆書)

慶大蔵論語疏はおそらく「蔬」の異体字「〔艹口正爪〕」と記し、未詳。また「蔬」と傍記している。「蔬」の初出は後漢の『説文解字』。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「艹」+「疏」”荒い”・”粗末な”。質素な植物性の食品を言う。詳細は論語語釈「蔬」を参照。

定州竹簡論語は「踈」と記す。「疏」の異体字。

菜*(サイ)

菜 金文 菜 字解
(金文)

論語の本章では”おかず”。主食の穀物めしに添える料理のこと。論語では本章のみに登場。初出は西周中期の金文。字形は「爪」”手”+「艹」+「木」。手で菜を摘むさま。西周の金文では”野草”の意に用いた。春秋時代の用例はない。詳細は論語語釈「菜」を参照。

羹*(コウ)

羹 秦系戦国文字 羹 字解
(秦系戦国文字)

論語の本章では”汁物”。スープの類。論語では本章のみに登場。初出は秦系戦国文字。ほか楚系戦国文字で「肓」を「羹」と釈文する例がある。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は上下に「羔」x2つ。「羔」はヒツジを火に掛けて料理するさま。楚系秦系共に「羊」と「羔」の書き分けは明確で、「羔」は「羊」+「火」。ようかんの「カン」は唐音(遣唐使廃止から江戸末期までに日本に伝わった音)。同音に「庚」”かのえ”「更」「賡」”継ぐ・償う”」「梗」”ヤマニレ”」「哽」”どもる”」「綆」”つるべの縄”」「鯁」”魚の骨”。戦国最末期「睡虎地秦簡」に「御史卒人使者,食粺米半斗,醬駟(四)分升一,采(菜)羹,給之韭蔥。」とあり、飯米である「粺米」、調味料の「醬」、薬味である「韭蔥」”ニラとネギ”に加えて「采羹」とあるので、”汁物”と解するのは妥当と判断する。詳細は論語語釈「羹」を参照。

瓜*(カ)

瓜 金文 瓜 字解
(戦国金文)

論語の本章では”うり”。初出は戦国早期の金文。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形はつるに瓜がみのったさま。ただし初出の字形は「狐」と釈文されている。戦国文字・戦国金文で、「瓜」単独で”うり”を示すと解せる漢字は無い。同音は「寡」のみ。「上海博物館蔵戦国楚竹簡」に「〔木苽〕」とあり、それ以前に「瓜」の字があったことを示す。詳細は論語語釈「瓜」を参照。

瓜 異体字
慶大蔵論語疏は異体字「〔艹𧘇〕」と記す。「唐建陵縣令席泰墓誌」刻。

踈食菜羹瓜

「踈」が”質素な”という形容詞なので、「食菜羹瓜」は修飾される名詞になる。「瓜の羹」”ウリのスープ”はありうるが、「菜の食」”葉野菜の穀物めし”は考えづらい。混ぜご飯のたぐいと言い張ることは出来るが、葉野菜は穀物ではないからだ。「食菜羹瓜」はそれぞれ独立して「踈」の被修飾語と考えるのに理がある。

必(ヒツ)

必 甲骨文 必 字解
(甲骨文)

論語の本章では”必ず”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。原義は先にカギ状のかねがついた長柄道具で、甲骨文・金文ともにその用例があるが、”必ず”の語義は戦国時代にならないと、出土物では確認できない。『春秋左氏伝』や『韓非子』といった古典に”必ず”での用例があるものの、論語の時代にも適用できる証拠が無い。詳細は論語語釈「必」を参照。

齊(セイ)

斉 金文 斉 字解
(金文)

論語の本章では「潔斎」と言うように”ものいみ”のこと。原義”整える”の派生義。初出は甲骨文。新字体は「斉」。「シ」は”ころものすそ”の意での漢音・呉音。それ以外の意味での漢音は「セイ」、呉音は「ザイ」。「サイ」は慣用音。甲骨文の字形には、◇が横一線にならぶものがある。字形の由来は不明だが、一説に穀粒の姿とする。甲骨文では地名に用いられ、金文では加えて人名・国名に用いられた。詳細は論語語釈「斉」を参照。

齊 斉 異体字
慶大蔵論語疏は異体字「〔丿齊〕」と記す。上掲「斛斯祥墓誌」(唐)刻。

武内本は新古の注そのままに、「厳敬の貌」=厳しく敬意を表すという。

如(ジョ)

如 甲骨文 如 字解
(甲骨文)

論語の本章では”~であるさま”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。年代確実な金文は未発掘。字形は「女」+「口」。甲骨文の字形には、上下や左右に「口」+「女」と記すものもあって一定しない。原義は”ゆく”。詳細は論語語釈「如」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「なり」と読んで断定の意に用いている。この語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章の句で、後世に引用があるものは少ない。「割不正,不食」は前漢初期の『韓詩外伝』に孟子の母の胎教として載る。「肉不勝食氣」は後漢末の『申鑒』に見える。また前漢中期の『史記』孔子世家に、「魚餒、肉敗、割不正、不食。」とある。

「飪」「沽酒市脯」は前漢中期の『塩鉄論』に「古者不粥飪,不市食。及其後,則有屠沽,沽酒市脯魚鹽而已。」とあるが、論語の引用とは断定できない。

論語の本章は前漢中期の定州竹簡論語に見え、初出が後漢の説文解字である語が複数あることから、前漢儒によって創作され、後漢儒によっていじられたと判定できる。

解説

食に関する孔子のこだわりは、論語と同じく原形が定州漢墓竹簡に収められた『孔子家語』子路初見にも見られるが、文字史から後世のでっち上げである。

孔子が殿様に説教した。

「キビは五穀のかしらであり、天地や祖先の祭には最高のお供えです。ところがモモは果物六種のなかで最も下等で、お供えには用いません。よろしゅうござるか、君子たるもの、貴いものを汚れのぬぐいに使うのを避けます。貴いもので賤しいものをぬぐってはなりませぬ。いま五穀のかしらで下等なモモをぬぐうのは、殿の手で下人の足をぬぐうようなもの。これは礼法の妨げになります。正義がないがしろになります。」(『孔子家語』子路初見3)

論語の本章、新規の注は次の通り。古注は前章の「齊必變食」を含むが、本章部分のみ記す。

古注『論語集解義疏』

食不厭精膾不厭細食饐而餲註孔安國曰饐餲臰味變也魚餒而肉敗不食註孔安國曰魚敗曰餒也色惡不食臰惡不食失飪不食註孔安國曰失飪失生熟之節也不時不食註鄭𤣥曰不時非朝夕日中時也割不正不食不得其醬不食註馬融曰魚膾非芥醬不食肉雖多不使勝食氣唯酒無量不及亂沽酒市脯不食不撤薑食註孔安國曰撤去也齊禁薰物薑辛而不薰故不去也不多食註孔安國曰不過飽也祭於公不宿肉註周生烈曰助祭於君所得牲體歸則以班賜不留神惠也祭肉不出三日出三日不食之矣註鄭𤣥曰自其家祭肉也過三日不食是褻鬼神之餘也食不語寢不言雖蔬食菜羮苽祭必齊如也註孔安國曰齊嚴敬貌也三物雖薄祭之必敬也


本文「食不厭精膾不厭細食饐而餲」。
注釈。孔安国「饐餲とは悪いにおいがして味が変わったことである。」

本文「魚餒而肉敗不食」。
注釈。孔安国「魚の腐ったのを餒という。」

本文「色惡不食臰惡不食失飪不食」。
注釈。孔安国「失飪とは生ものが煮える頃合いを間違えたものをいう。」

本文「不時不食」。
注釈。鄭玄「不時とは朝夕日中の食事時でない時分を言う。」

本文「割不正不食不得其醬不食」。
注釈。馬融「魚や刺身は、辛子やたれが無いと食べないのである。」

本文「肉雖多不使勝食氣唯酒無量不及亂沽酒市脯不食不撤薑食」。
注釈。孔安国「撤とは取り去ることである。もの忌みでは臭いのきつい食物を避ける。はじかみや辛子は臭わないので、取り去らないのである。

本文「不多食」。
注釈。孔安国「飽きるほどには食べないのである。」

本文「祭於公不宿肉。」
注釈。周生烈「主君の祭礼に介添えすると、生け贄の肉を貰えるが、家に持って帰ると”お下がり”と呼び、もうカミサマのご加護が無い(から腐りやすい)のである。」

本文「祭肉不出三日出三日不食之矣」。
注釈。鄭玄「これは自分の家での祭礼の肉を言う。三日を超したら食べないのは、精霊や神サマのお下がりを汚すことになるからだ。」

本文「食不語寢不言雖蔬食菜羮苽祭必齊如也」。
注釈。孔安国「齊とは硬い表情で敬意を示すことである。三つのものは粗末なお供えではあるが、必ず敬って供えた。」

孔安国は「蔬食菜羮苽」を「三つ」と言っているから、”粗末な穀物めし”・”菜っ葉のスープ”・”おかずのうり”のつもりで読んでいたのだろうか。いずれにせよ孔安国は架空の人物である可能性が高く、後漢儒の想像を反映したと考えてよい。

新注『論語集注』食不厭精,膾不厭細。食,音嗣。食,飯也。精,鑿也。牛羊與魚之腥,聶而切之為膾。食精則能養人,膾麤則能害人。不厭,言以是為善,非謂必欲如是也。食饐而餲,魚餒而肉敗,不食。色惡,不食。臭惡,不食。失飪,不食。不時,不食。食饐之食,音嗣。饐,於冀反。餲,烏邁反。飪,而甚反。饐,飯傷熱濕也。餲,味變也。魚爛曰餒。肉腐曰敗。色惡臭惡,未敗而色臭變也。飪,烹調生熟之節也。不時,五穀不成,果實未熟之類。此數者皆足以傷人,故不食。割不正,不食。不得其醬,不食。割肉不方正者不食,造次不離於正也。漢陸續之母,切肉未嘗不方,斷蔥以寸為度,蓋其質美,與此暗合也。食肉用醬,各有所宜,不得則不食,惡其不備也。此二者,無害於人,但不以嗜味而苟食耳。肉雖多,不使勝食氣。惟酒無量,不及亂。食,音嗣。量,去聲。食以穀為主,故不使肉勝食氣。酒以為人合歡,故不為量,但以醉為節而不及亂耳。程子曰:「不及亂者,非惟不使亂志,雖血氣亦不可使亂,但浹洽而已可也。」沽酒市脯不食。沽、市,皆買也。恐不精潔,或傷人也。與不嘗康子之藥同意。不撤薑食。薑,通神明,去穢惡,故不撤。不多食。適可而止,無貪心也。祭於公,不宿肉。祭肉不出三日。出三日,不食之矣。助祭於公,所得胙肉,歸即頒賜。不俟經宿者,不留神惠也。家之祭肉,則不過三日,皆以分賜。蓋過三日,則肉必敗,而人不食之,是褻鬼神之餘也。但比君所賜胙,可少緩耳。食不語,寢不言。答述曰語。自言曰言。范氏曰:「聖人存心不他,當食而食,當寢而寢,言語非其時也。」楊氏曰:「肺為氣主而聲出焉,寢食則氣窒而不通,語言恐傷之也。」亦通。雖疏食菜羹,瓜祭,必齊如也。食,音嗣。陸氏曰:「魯論瓜作必。」古人飲食,每種各出少許,置之豆閒之地,以祭先代始為飲食之人,不忘本也。齊,嚴敬貌。孔子雖薄物必祭,其祭必敬,聖人之誠也。此一節,記孔子飲食之節。謝氏曰:「聖人飲食如此,非極口腹之欲,蓋養氣體,不以傷生,當如此。然聖人之所不食,窮口腹者或反食之,欲心勝而不暇擇也。」


本文「食不厭精,膾不厭細。」
食の音は嗣である。食とは穀物めしのことだ。精は研ぐことである、牛や羊、魚などなまぐさ物は、調理して切ってなますにする。穀物めしのエネルギーは人を生かすが、なまぐさ物の強い味は人を傷付ける。厭わないとは、それでよいという意であり、必ずそうしなければならないわけではない。

本文「食饐而餲,魚餒而肉敗,不食。色惡,不食。臭惡,不食。失飪,不食。不時,不食。」
食饐の食は、嗣の音である。饐は、於-冀の反切で読む。餲は、烏-邁の反切で読む。飪は、而-甚の反切で読む。饐とは、穀物めしが発酵して熱を持ちとろけるようになった状態である。餲とは、味がおかしくなることである。魚がただれたのを餒という。肉が腐ったのを敗という。色が悪くにおいが悪いのに、まだ腐らず色だけが臭そうに見えるのを變という。飪とは、煮物で生ものが煮える頃合いである。不時とは、五穀でまだ実らず、果実でまだ熟さないたぐいをいう。ここに上げられたあれこれは、全て健康を損なう。だから食べない。

本文「割不正,不食。不得其醬,不食。」
真っ直ぐに切っていないものを食べないのは、慌ただしいときも作法から外れないためである(論語里仁篇5)。後漢の陸続の母親は、肉を切って真っ直ぐでないことが無く、ネギやニラを切って正しい長さでない事が無かった。この美点は、たぶん論語のこの話から暗に基づいている。肉を食べるにはたれを用いるが、それぞれにふさわしいたれがある。手に入らなければ食べないのは、料理として不完全なのを嫌うからである。この二つについては、健康を損なうわけではないが、ただ腹を満たすだけで味わうことにはならない。

本文「肉雖多,不使勝食氣。惟酒無量,不及亂。」
食の音は嗣である。量は尻下がりに読む。食事は穀物を主食にし、だから肉はめしより多く食べない。酒は人と共に楽しむのによいから、特に限度を決めない。ただし酔っても無作法はせず乱れてはならない。

程頤「乱れるに及ばないというのは、ただ思考を乱さないだけでなく、血の気も乱さないことをいう。ひたすらほどのよさを保つのである。」

本文「沽酒市脯不食。」
沽も市も、どちらも買ったもののことである。清潔でないものもあるから、時折あたってしまうから避ける。だから孔子は季康子から薬を貰っても飲まなかった(論語郷党篇12)。

本文「不撤薑食。」
はじかみは気分をすがすがしくし、けがれを除くから、取り去らない。

本文「不多食。」
適切な量でやめておくのである。食い過ぎようとはしないのである。

本文「祭於公,不宿肉。祭肉不出三日。出三日,不食之矣。」
国公の祭礼を介添えし、もらったお下がりの肉は、家に帰ってみなに分ける。宵越しさせないのは、神の加護がもうないからだ。自家の祭の肉は、三日以内に全部皆で分ける。三日過ぎると必ず腐るからだ。それを誰も食べないのは、精霊や神に文句をつけることになりかねないからだ。ただし主君からのお下がりよりは、扱いが緩くてよい。

本文「食不語,寢不言。」
会話を語といい、独り言を言という。

范祖禹「聖人が思ったのはほかでもなく、食べる時には食べるのに専念し、寝る時には寝ることに専念すべきことだ。口を利いている場合ではない。」

楊時「肺は息の出入りに働いて声を出す。寝る・食う時はただでさえ息がつまって出入りが少ない。しゃべったらいっそうつまるのを恐れたのである。」
この意見もよく分かる。

本文「雖疏食菜羹,瓜祭,必齊如也。」
食の音は嗣である。

陸元朗「魯論語では瓜を必と書いてある。」
昔の人が飲み食いするに当たっては、どの料理も少量を小鉢に分けて添えた。小鉢を自分の食器の間に置いて、祖先と食事を共にする作法を示したが、自分の生まれたゆえんを忘れないためである。齊とは、厳しく敬いを示す表情である。孔子は粗末な食べ物でも、必ず祖先と共食する作法を忘れなかった。感謝を示すためであり、聖人の誠実を表している。この一節は、孔子の飲食に関わる作法を示す。

謝良佐「聖人の飲食はこの通りで、食い道楽に走り腹を膨らましはせず、この通り気分と体を養うことを主にして、寿命を縮めないよう気を付けた。だから聖人が食べなかったものを、飢えた者は時折聖人に従わずに食うのだが、どうしようもなく食欲がつのるので、えりごのみしていられないのである。」

陸元朗(=陸徳明)は「魯論語では瓜を必と書いてある」というが、この言い分は現伝の『経典釈文』に無く、そもそも存在しない魯論語について何でそう言っているか、もはや誰にも分からない。朱子も投げたような書き方をしているのは、陸徳明の論拠を知らなかったからだ。

余話

音を立てるな

西遊記

夏王朝と殷王朝の滅び方が、妃の名前まで「末喜バッキ」(藤堂上古音*muat入・hɪəg上)と「妲己ダッキ」(tat入・ḍiəg上)でそっくりなことから、創作した儒者の想像力不足をあらわにしているが、足りないのは儒教で自縄自縛になっていた分、割り増してやらねばならない。

*カールグレン上古音では「末喜」mwɑt入・xi̯əɡ上だが、「妲己」は「妲」が不明で「己」がki̯əɡ上。漢語の古代再建音は、カールグレン音が世界で最も通用しているが、ない場合は、訳者がそれなりに著書を読んだ藤堂博士の所説に従うのが適切だと思っている。知らない説を無批判に取り込むのは、間違いの元だからだ。論語郷党篇5余話「間違っているとも知らないで」参照。

実際モンゴルに征服されて儒者が乞食同然に扱われる(鄭思肖『心史』「九儒十丐」)と、儒者は売文業に転職せざるを得なくなり、『漢宮秋』のようなオペラの傑作が作られた。事情*あって儒教に冷静だった明帝国で、『西遊記』『水滸伝』『封神演義』が書かれたのも同様。

*明は歴代皇帝の中で最も熱心に儒教を説教した洪武帝が建てたが、次代では孫の建文帝を叔父の永楽帝が殺して帝位を奪った。その結果、科挙を除いて「儒教? 何それ?」という社会になり、科挙も清代に比べてずいぶんゆるいし、劇作や落語に傑作が出た。

従って論語の本章で一生懸命、机の前で無い想像力を絞って「理想の食事」をこしらえている儒者のけしきを想像すると、偽作の罪深さを忘れるほどには微笑ましい。その上何らかの孔子の史実を伝えるものと仮定すれば、食事に気を付けるのは武人として当然に思える。

論語における「君子」に記したように、春秋の君子は何よりまず戦士だった。機械力の無い古代では、戦闘はひとえに戦士の肉体が頼りになる。体に有効な臨機応変をさせるのは頭脳だが、頭脳も肉体の一部に他ならない。そして肉体はひとえに食事が頼りだ。

Jリーグの草創期、海外から指導者として招かれた、実績豊富な元選手が、ろくでもないものを食うJリーガーを叱ったという話を聞いたことがある。日本武道にこうした保健学は聞かないが、それは戦前まで日本では、平時でも餓死者が珍しくなかったことの反映でもある。

食えるものがあるだけ幸せ。昭和恐慌で田舎の子供が大根をかじっている写真が教科書に載っていたが、大根でもあるだけまし*で、江戸期には本当に人間同士で食い合った記録がある。中国史ではよくあることだが、日本史でも江戸時代の記録となると、信憑性は高い。

*事は日本に限らない。一次大戦中の1916年、ドイツは海運を絶たれて食糧危機に陥り、「(兵士を除き)76万2千人が餓死した」とwiki「カブラの冬」条にある。開戦前年の1913年の人口が6,800万人というから、現代日本に例えると、総人口1.2億人と仮定すれば132万人ほどが餓死したことになる。3.11の死者行方不明者が、2021年時点で18,425人とされることから、惨劇の大きさを推し量ることができる。

ただし武道に食事の作法がないわけではない。武道の基本は気を付けることで、気を付けないと無駄のない体の動きを実現できないからだ。食事にも無用の音を立てるのが無作法とされるのは、音を立てることすら無駄であり、無駄の量に従って敗率が上がるからに他ならない。

だから酒宴を除いた会食のさまを見れば、その一門の技量が知れもするわけだ。訳者は武道の世界に入ってすぐの頃、合宿の食事でそれを思い知らされた。範士八段の師範先生以下、先達いずれもごく当たり前のように、かすかも食器の当たる音を立てず、すする音も極めて静か。

話を論語に戻せば、「礼」を含め史実の孔子が語ったのは、武道同様に徹頭徹尾実用的な話で、絵空事の所作を説教しなかった(論語における「礼」)。「礼」とは政争戦争を生き延びるための、文字に出来ない知恵に他ならなず、文章ではないから、後世の偽作が可能だった。

だが帝国の儒者も、食にはウソをつく余裕が無かった。ペニシリン無き時代に、腐ったものを食えば命に関わったからだ。新注の宋儒が言うような、食にえり好みが出来なかったのは、庶民だけとは限らない。前近代では戦争や政変だけが、餓死の原因ではなかったからだ。

臭い悪しくとも本章を読むのは、それが偽作の臭さを、多少和らげているからだろうか。ただしそれでも、「…しちゃいけません」という人を縛るための堅苦しい説教であること、「不」の字を染めるだけで一目瞭然ではある。

厭精、膾厭細。食饐而餲、魚餒而肉敗食。色惡食、臭惡食。失飪食、食。割食、得其醬食。肉雖多、使勝食氣。唯酒毋量、及亂。沽酒市脯食。撤薑食、多食。祭于公、宿肉。祭肉出三日、出三日食之矣。食語、寢言。雖踈食菜羹瓜、祭必齊如也。

参考動画

『論語』郷党篇:現代語訳・書き下し・原文
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