論語詳解245郷党篇第十(10)郷人の飲酒には*

論語郷党篇(10)要約:礼法の大きな目的の一つは、弱者へのいたわりでした。老人や目の見えない人などを丁重に扱うことは、その場からいじめや卑屈を消し去るためでもあったのです。そうした場でこそ対等な議論が出来、和むのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

鄕人飮酒、杖者出斯出矣。鄕人儺、朝服而立於*阼階。

校訂

武内本

唐石経立下於の字あり。

定州竹簡論語

……坐。鄉人飲酒,杖者253……


→鄕人飮酒、杖者出斯出矣。鄕人儺、朝服而立阼階。

復元白文

郷 金文人 金文飲 金文 酒 金文 者 金文出 金文 斯 金文出 金文已 矣金文 郷 金文人 金文難 金文 朝 金文 服 金文而 金文立 金文於 金文阜 甲骨文論語 階 金文

※矣→已・儺→難・阼→𨸏。論語の本章は杖の字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

書き下し

鄕人さとびと飮酒さかもりに、つえものづればここづるなり鄕人さとびとおにやらいすれば、おほやけころもき阼階ひむがしのきざはしつ。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 肖像
村の酒盛りに、杖をついた者がいれば退席するのを待って、自分も席を立った。村で鬼やらいが行われる時は、正装して母屋の前の階段に立って出迎えた。

意訳

同上

従来訳

論語 下村湖人

村人と酒宴をされる時でも、老人が退席してからでないと退席されない。村人が鬼やらいに来ると、礼服をつけ、玄関に立ってそれをむかえられる。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

鄉親們的飲酒儀式結束時,要等老人出去後,才能出去。鄉親們舉行驅鬼儀式時,要穿朝服站在東邊的臺階上。

中国哲学書電子化計画

故郷の村の衆と酒宴の儀礼を執り行うとき、老人が席を立って宴会場を出てから、やっと自分も宴会場を出ることができた。村の衆が鬼遣らいを行うときには、必ず正装して東の階段に立った。

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

鄕(郷)人飮(飲)酒

論語 飲 金文 論語 酒 金文
「飲酒」(金文)

『学研漢和大字典』によると、周代、郷校(村の学校)で三年間学んだ者から優秀な者を選び、中央政府に推薦するとき、郷大夫(キョウタイフ)(村長)が主人となって開く送別の宴会をいう。郷飲酒礼。

ただし郷校の存在は確認されておらず、村の寄り合い所としての「校」が『左伝』で確認出来るだけで、漢代のでっち上げである。そのもったいぶった細かな作法が、『礼記』郷飲酒儀に載っている。

論語の本章では、”…したなら…する”。詳細は論語語釈「斯」を参照。

杖者出、斯出矣

論語 杖 金文大篆 論語 杖 篆書
「杖」(金文大篆・篆書)

”杖ついた者が宴会場から出てから、自分も出た”。年長者を敬う態度を示すため。

「杖」の初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はdʰi̯aŋ(上)。同音は長、萇”姓”、腸、場、丈。部品の「丈」は”つえ”の語義を持つが、初出は楚系戦国文字。古くは「枝」と書体が同じで、論語の時代は区別されていなかった可能性があるが、「枝」の初出は秦の隷書で、論語の時代に存在しない。

『学研漢和大字典』によると、「杖」は会意兼形声文字で、丈は「十+攴(て)」の会意文字で、手尺の幅(=尺)の十倍の長さをあらわす。杖は「木+〔音符〕丈」で、長い棒のこと。詳細は論語語釈「杖」を参照。

論語 枝 篆書
「枝」(篆書)

また「枝」は、会意兼形声文字で、支(キ)・(シ)は「竹のえだ一本+又(手)」の会意文字で、えだを手に持つさま。枝は「木+〔音符〕支」で、支のもとの意味をあらわす。

「矣」は完了の意。詳細は論語語釈「矣」を参照。

鄕(郷)人儺(ダ)

論語 儺 金文大篆 論語 なまはげ 儺
「儺」(金文大篆)

年に数回、土地に住み着いた悪霊を追い払う儀式があった。村人が家々を回り、お祓いをするのだが、その行列を正装して出迎えたのである。

「儺」は論語では本章のみに登場。初出は後漢の説文解字。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はnɑr(平)。同音は那”多い・美しい”、臡”肉の叩き”。部品で近音の「難」nɑn(平)は西周末期の金文から存在し、「儺に通ず」と大漢和辞典は言う。「ナ」は呉音。

『学研漢和大字典』によると、会意兼形声文字で、セン(=難)は、ひでりや落雷・山火事などによる災難のこと。儺は「人+〔音符〕闡(ダ)」で、人が火で、悪鬼を払う災難よけの行事をあらわした。詳細は論語語釈「儺」を参照。

また『論語之研究』によると、「儺」は斉の方言で、鄭玄の注によると魯論語では「獻」(献)と書き、孔子宅から発掘された古論語では「獻」と書いてあったのだろうと推測している(p.92)。

立於阼(ソ)階

論語 阼 金文大篆 論語 階 金文大篆
「阼階」(金文大篆)

「阼階」は、母屋の東側の階段。

「阼」は論語では本章のみに登場。初出は戦国中期の金文。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はdzʰɑɡ(上)。同音は祚”さいわい”、胙”ひもろぎ”。藤堂説では同音の「祚」が同義というが、初出は楚系戦国文字。白川説によると部首の「阝」=「𨸏」に階段の語義があるといい、初出は甲骨文。詳細は論語語釈「阼」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章もまた、この論語郷党篇6から引き続いた「君子」が主語であり、孔子生前の記録と捉える理由はない。また上掲の検証にかかわらず、村人が集まって飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをやったことは、太古の昔からあったに違いない。

それが一々堅苦しいお作法で縛られるようになったのは、戦国末期の荀子に始まる

また追儺の記録は、戦国末期の『呂氏春秋』にならないと現れない。

是月也,乃合纍牛騰馬游牝于牧,犧牲駒犢,舉書其數。國人儺,九門磔禳,以畢春氣。(『呂氏春秋』三月紀)

この三月、牛や馬は盛りが付くので、メスのいる牧場へ放つ。子馬と子牛を犠牲に捧げ、その合計を記録する。都市住民は追儺を行い、都城周囲の九つの門に、悪魔を取り憑かせた犬を磔にして、それで春の気を払う。

何だか『狼と香辛料』を思わせる記述だが、これもまた、悪魔払いの儀式は太古の昔からあったと見るべきだろう。だが意外にも、儒者で追儺を論じたのは後漢の『独断』になってからで、前漢では礼法をでっち上げた以外は時に議論はしなかった。

史書でも追儺を扱ったのは『後漢書』が最初で、あまり儒家のかかわる儀礼ではなかったことが分かる。

なお吉川本によると、母屋の正面の階段ではなく東の階段で出迎えたのは、家に住まう先祖の霊やよき精霊を、脅かさないためだと古注にあるという。そこで古注を見てみる。どうでもいいウンチクしか書いていないので、非趣味人の方は読み飛ばして下さい。

論語 古注 何晏 論語 孔安国 古注
注。孔安国曰く、杖者とは老人である。郷人飲酒の礼は、老人を主賓にする。老人が宴会を終えて帰った後、孔子はその後で帰ったのだ。

付け足し。席不正不坐というのは、旧説では座布団が整っていなければ敷き直し、そのまま座るのではないという。だからハンネイは、座布団が整っていれば恭しく座る、と言った。

別の説では、礼の定めによると、諸侯の座布団は三重、家老は二重。これが礼にかなった敷き方である。郷人うんぬんというのは、村人の酒盛りを郷飲酒之礼と言うのである。杖者とは老人である。

礼によれば、五十歳は自宅で杖をつき、六十歳は村中で杖をつく。だから老人を杖者と言うのである。郷人飲酒では、高齢者を尊ぶ。だから出入するのに老人を優先する礼を尽くすのである。飲酒礼が終わって、杖者が先に退出し、宴会の参加者はその後に続いて退出する。だから杖者出でて斯に出ずる矣、という。
注。孔安国曰く、鬼やらいは疫病の鬼を追い払うのである。先祖を驚かすことを恐れる。だから朝服を着てみたまやの東の階段に立つ。

(『論語集解義疏』)

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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