論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子路曰、「衞君待子而爲政、子將奚先。」子曰、「必也正名乎。」子路曰、「有是哉。子之迂也。奚其正。」子曰、「野哉、由也。君子於其所不知、蓋闕如也。名不正、則言不順。言不順、則事不成。*事不成、則禮樂不興。禮樂不興、則刑罰不中。刑罰不中、則民無所措手足。故君子名之必可言也、言之必可行也。君子於其言、無所苟而已矣。」
校訂
武内本
(中井)履軒云、事不成より手足に至る六句、疑うらくは後人の竄入、削るべし。
定州竹簡論語
……路曰:「衛君待324……[也]!何a其正?」子曰:325……
- 何、今本作”奚”。二字可通、『史記』作”何”。
→子路曰、「衞君待子而爲政、子將奚先。」子曰、「必也正名乎。」子路曰、「有是哉。子之迂也。何其正。」子曰、「野哉、由也。君子於其所不知、蓋闕如也。名不正、則言不順。言不順、則事不成。事不成、則禮樂不興。禮樂不興、則刑罰不中。刑罰不中、則民無所措手足。故君子名之必可言也、言之必可行也。君子於其言、無所苟而已矣。」
復元白文
措
※將→(甲骨文)・矣→已。論語の本章は措の字が論語の時代に存在しない。也の字を断定で用いている。本章は少なくとも一部が漢帝国の儒者による捏造である。
書き下し
子路曰く、衞君、子を待め而政を爲めば、子將に奚をか先にせむ。子曰く、必ず也名を正さむ乎。子路曰く、是れ有る哉、子之迂なる也。何ぞ其れ正しうせむ。子曰く、野なる哉由也。君子は其の知らざる所於於て、蓋し闕如也。名正しからざれば、則ち言順はず、言順はざれば、則ち事成らず、事成らざれば、則ち禮樂興らず、禮樂興らざれば、則ち刑罰中らず、刑罰中らざれば、則ち民手足を措く所なし。故に君子は、之名づくらば必ず言ふ可き也、之言はば必ず行ふ可き也、君子其言に於て、苟にする所無き而已矣。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
子路が言った。「衛の国君が先生を招いて政治を改革したら、先生は最初に何をしますか。」先生が言った。「必ず物事の名前を正すだろう。」子路が言った。「これだから。先生は回りくどい。どうして正すのですか。」先生が言った。「粗野だな由(子路)は。君子は知らない事については、そもそも黙っているものだ。名前が正しくなければ、言葉が事実と合わない。事実と合わなければ、仕事は出来ない。仕事が出来なければ、とりもなおさず礼法と音楽が盛んにならない。礼法と音楽が盛んでなければ、刑罰が適正ではない。刑罰が適正でなければ、まさしく民はどう行動すればいいか分からない。だから君子は、名付けたらそれが何か言えるように名付ける。ものを言うなら、必ず実行できる事を言う。君子の口に出した事は、その場限りの話であってはいけない。」
意訳
孔子と子路が衛国に赴いたときのこと。
子路「殿様が政治を任せると言ったら、何から始めます?」
孔子「決まっている。物事の名前を事実と一致させる事だ。」
子路「あれま、だから先生は回りくどいと言うのです。そんな事してどうなります。」
孔子「いつまでたっても粗野だなお前は。君子は知らない事については黙っているものだ。だから黙っていろ。
説明してやろう。世間は物事に勝手な名前を付けるが、犬肉屋が”ひつじ”と看板出してたら客ともめるだろう。名前が正しくないと、話をしても互いに誤解が深まるばかりだ。誤解したまま仕事を進めたら、滅茶苦茶になるだろう。そんな滅茶苦茶で、教育なんか出来るか。
民への教育が不出来だと、していいいこと・いけない事が分からんから、どんなに取り締まろうと治安は良くならないし、刑罰もむやみに厳しくしなくちゃならなくなる。そうなると民は怖じ気づいて、政治どころじゃなくなってしまうだろうが。
だから君子は、良いなら良い、犬なら犬と、事実と一致した名前を付けるのだ。それなら話に誤解はないし、言った事は実行できる。何でも適当に名付けておけばいい、そんなわけにはいかないのだよ。」
従来訳
子路がいった。――
「もし衛の君が先生をおむかえして政治を委ねられることになりましたら、先生は真先に何をなさいましょうか。」
先師がこたえられた。――
「先ず名分を正そう。」
すると、子路がいった。――
「それだから先生は迂遠だと申すのです。この火急の場合に、名分など正しておれるものではありません。」
先師がいわれた。――
「お前は何というはしたない男だろう。君子は自分の知らないことについては、だまってひかえているものだ。そもそも名分が正しくないと論策が道をはずれる。論策が道をはずれると実務があがらない。実務があがらないと礼楽が興らない。礼楽が興らないと刑罰が適正でない。刑罰が適正でないと人民は不安で手足の置き場にも迷うようになる。だから君子は必ず先ず名分を正すのだ。いったい君子というものは、名分の立たないことを口にすべきでなく、口にしたことは必ずそれを実行にうつす自信がなければならない。あやふやな根拠に立って、うかつな口をきくような人は、断じて君子とはいえないのだ。」
現代中国での解釈例
子路說:「如果衛國的君主等待您去執政,您首先要做的是什麽?」孔子說:「一定是糾正名分呀!」子路說:「是這樣的嗎?你太迂腐了,糾正名分有什麽用?」孔子說:「你太粗野了!君子對於不懂的事情,一般都採取保留意見。名分不正當,說話就不合理;說話不合理,事情就辦不成。事情辦不成,法律就不能深入人心;法律不能深入人心,刑罰就不會公正;刑罰不公正,則百姓手足無措,不知如何是好。所以領導做事必須說得通、說話必須行得通。領導說話,絕不隨便、馬虎。」
子路が言った。「もし衛国の君主があなたを迎えて政治を執らせたら、あなたはまず何をしますか?」孔子が言った。「必ず、言葉とその意味を修正しよう!」子路が言った。「そんなことですか?あなたはどうにも回りくどい。言葉とその意味を修正して、何の意味があるのですか?」孔子が言った。「お前はおおざっぱが過ぎる。君子はよく知らないことについて、原則として意見をいわないものだ。言葉とその意味が正しくないと、ものを語っても理に合わなくなる。理に合わないと、話が分からない。分からないと、法律が人々に理解されない。理解されないと、刑罰が不正になる。すると人々は行動の基準が分からず、何をすればいいのか分からない。だから為政者は事を行う際、話が通じるように言い、通じた話なら必ず実行される。指導者の話は、絶対にいい加減であってはならず、デタラメでもいけない。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
子路
記録に残る孔子の最初の弟子、仲由子路のこと。
衞君
論語の本章では、衛の第29代国公、霊公(位BC534-BC493)のこと。孔子が衛国に滞在中の霊公夫人は南子(論語雍也篇28)。
孔子はBC497、55歳で魯の官職を辞して亡命の旅に出、真っ直ぐ衛国在住の顔氏の頭領(→孔門十哲の謎)、顔濁鄒親分の屋敷を目指した。弟子の子路や冉求もそれに同行したと思われ、子路は霊公在位中に蒲邑の領主に取り立てられている(『史記』弟子伝)から、次代の出公に関して、「衛君子を待ちて」と孔子に語ることは考えづらい。孔門はすでに衛国政界で一部を為しているからである。
霊公はやり手の殿様で、国内の賢臣をよく用い(論語憲問篇20)、領土を削り取りに来る西北の大国・晋によく対抗していた。
待
(金文)
論語の本章では”待遇する”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、寺は「寸(て)+(音符)之(足で進む)」の会意兼形声文字。手足の動作を示す。待は「彳(おこなう)+(音符)寺」で、手足を動かして相手をもてなすこと。侍(はべる)と同系。
また止まる意にも用いる。その場合は、止(とまる)・持(止めてもつ)・俟(シ)(まつ)・峙(ジ)(じっと止まってたつ)と同系のことば。語義は論語語釈「待」を参照。
衛の霊公は亡命した孔子を迎えて、特に仕事も与えないまま、現代換算で約111億円の年俸を与えた。しかし孔子は仕事がない=政治権力を握れないことに不満で、逗留先の顔濁鄒親分の屋敷を拠点に政治工作を始めた。親分にも手下が大勢いたから、好都合だっただろう。
これが衛国政界の総スカンを食らい、屋敷に監視が付いたので、「バレたか」と思った孔子は衛国を逃げ出した。
爲政
論語の本章では”政治を改革する”。
『学研漢和大字典』に、「{動詞}なる。ある物事がもとの姿をかえて、他の物事に変化する。」の語釈を載せる。『大漢和辞典』に、「此の状から彼の状に移り替わる」の語釈を載せる。
”政治をする”でもよいが、孔子は諸侯の政治改革と、それに伴う自分の登用を求めていたのだから、衛の霊公が孔子を迎えて、単に政治を”する”のではなく、”意見を取り入れて政治を改める”と解した方が実情に合う。詳細は論語語釈「為」を参照。
必也正名乎
「正名」(金文)
論語の本章での「也」は、A也Bで”AはB”。全体で”必ずするのは名前を正すこと”。
『学研漢和大字典』によると「名」は会意文字で、「夕(三日月)+口」。薄暗いやみの中で自分の存在を声で告げることを示す。よくわからないものをわからせる意を含む。鳴(鳥が自分の所在をわからせる→声を出してなく)・命(自分の気持ちや意志を声でわからせる)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「名」を参照。
有是哉
「哉」(金文)
論語の本章では”これだよ”。孔子と付き合いの長い子路には、「また言ってるよ」とうんざりする答えだったわけ。
『学研漢和大字典』によると「哉」(サイ)は会意兼形声文字で、才は、裁の原字で、断ち切るさま。それに戈を加えた𢦏(サイ)も同じ。哉は「口+(音符)𢦏(サイ)」で、語の連なりを断ち切ってポーズを置き、いいおさめることをあらわす。
もといい切ることを告げる語であったが、転じて、文末につく助辞となり、さらに転じて、さまざまの語気を示す助辞となった。また、裁断するとは素材にはじめて加工することであるから「はじめて」の意の副詞ともなった、という。詳細は論語語釈「哉」を参照。
迂
(金文)
論語の本章では”回りくどい”。論語では本章のみに登場。
初出は春秋時代の金文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声。「辵+(音符)于(ウ)(つかえてまがる)」。宇(⌒型にまがった屋根)・盂(ウ)(∪型にまがった器)・紆(ウ)(曲線をなす)と同系、という。詳細は論語語釈「迂」を参照。
野
(金文)
論語の本章では”教養がない”・”荒削りだ”。詳細は論語語釈「野」を参照。
闕(欠)如
(古文)
論語の本章では”黙っている”。欠けたようにないさま。武内本は「蓋闕如は區闕如と同じ、言わざる貌」という。「闕」の詳細は論語語釈「闕」を参照。
言不順
(金文)
論語の本章では”言葉が順調でない”。つまり”誤解を生む”ということ。「言」について詳細は論語語釈「言」を参照。
『学研漢和大字典』によると「順」は会意文字で、「川+頁(あたま)」。ルートに沿って水が流れるように、頭を向けて進むことを示す。循(ジュン)・巡(ジュン)(したがう)・馴(ジュン)(おとなしくしたがう)などと同系のことば、という。語義は論語語釈「順」を参照。
禮(礼)樂
(金文)
論語では礼法と音楽のことだが、両者が合わさると”教育”を意味する。論語語釈「礼」・論語語釈「楽」も参照。
刑罰不中
「刑罰」(金文)
論語の本章では”刑罰が適正でない”。「中」は矢が的の真ん中を射貫くように当たる事。詳細は論語語釈「中」を参照。
「罰」は論語では本章のみに登場。初出は西周早期の金文。「ハツ」が漢音、「バツ・バチ」は呉音。
『学研漢和大字典』によると会意文字で、「詈(ののしる)+刀」。その罪をしかって刀で刑を加えることを示す。バツという語は、伐(バツ)(悪者を切ってこらす)・撥(ハツ)(はね返す→相手の罪にむくいを与える)などと同系のことば、という。詳細は論語語釈「罰」を参照。
無所措手足
「措」(古文)
論語の本章では、”手足の置き所がない”、つまりどう行動していいか分からないこと。
「措」は論語では本章のみに登場。意味は”置く”。初出は戦国末期の金文。論語の時代に存在しない。部品の「昔」に”おく”の語釈は無い。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、昔(セキ)は「かさねるしるし+日」からなる会意文字で、日数を重ねた昔のこと。措は「手+(音符)昔」で、手を物や台の上に重ねておくこと。錯(地金の上に金をぬり重ねること)・籍(セキ)(重ねておく竹の冊子)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「措」を参照。
敗戦の詔勅に「拳々措カサル所」とあるのは、”拳を丸めるように体を丸めるような恭しい態度で、放置しない”の意。罪の無い大勢の人を死に追いやり、壊滅的な敗戦を仕出かしたというのに、まだこんなふざけた呪文をラジオで垂れ流し、国民を煙に巻いていた。旧制中学の漢文の先生以外、一体誰が聞いて分かったのだろう。
名之必可言也、言之必可行也
ここでの「之」は直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持たない。詳細は論語語釈「之」を参照。
苟
論語の本章では、”口先だけ”。”一時的に”という語義からの派正義。
通説では、この文字の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しないが、西周早期の金文に遡り得る。詳細は論語語釈「苟」を参照。
而已矣
直訳すれば”…であるんである”。定州竹簡論語と現伝論語を比較すると、こういうアルツハイマー老人のようなもったい付けは後漢時代に行われたと思われ、本章の成立に対して一定のヒントを与える。後漢の儒学界の低劣ぶりは、後漢というふざけた帝国を参照。
論語:解説・付記
論語の本章の成立については、定州竹簡論語に存在すること、論語の時代に存在しない言葉を使っていることから、原文は前漢帝国の儒者の手に成ると思われる。恐らく元ネタは論語子路篇9だろう。
孔子「人が大勢いるなあ。」
冉有「そうですね。どうしてやります?」
孔子「財布を膨らませてやるとするかな。」
冉有「ふふ。膨らんだらどうしてやります?」
孔子「ものを教えてやるとするかな。」
これを元に帝国儒者は、いわゆる「正名論」を正当化するために本章をこしらえた。正名論とは本章にあるように、名前と意味内容を一致させることで、「羊頭狗肉」=高価で美味しいヒツジの看板を掲げて、安価な犬肉を売るような事はするな、という主張。元はそうだった。
が、儒者はもちろん自分らの儲けのために作り替えた。つまり儒者に都合のよい名前を付け、現実をそれに合わせようと社会に強要したのである。通貨や物品の固定相場制と同じで、出るサヤは莫大になるが、利益が出れば儒者が貰い、損失が出れば社会に押し付けた。
話の聞き手を子路にしたのも儒者の常套手段で、「頭の悪い」子路を「聖人の」孔子がやり込める、という筋書きは、論語ならずとも儒教関連の典籍でいくらでも見られる。子路の「バカ」を描くことで、「偉い」孔子を世間に説教する儒者自身になぞらえているのだ。
些細なことが重大事である、と人に強制する言い口もサディストならではで、もっともらしい前提にもっともらしい仮定を積み重ね、最後にはとんでもない結論を導くのは、まるで数理的な思考の出来ない馬鹿者のすることで、儒者の脳みその程度を露呈している。
同様の理屈で昭和の末年、「服装の乱れは心の乱れ」「髪の乱れは心の乱れ」とか言って、サド教師が男子生徒を押さえつけて丸刈りにしていた残忍の元ネタは、古代の中国儒者にある。教師の皮を被った犯罪者ども共々、ろくでもない連中だ。
論語は趣味に留めておけ、という訳者の主張を、ご理解頂けるだろうか。