PRあり

論語詳解305子路篇第十三(3)衛君子を待ち*

論語子路篇(3)要約:後世の創作。亡命して隣国に向かう孔子先生と子路。師弟で政治の要点を問答しますが、「名を正す」と言った先生に「回りくどい」と子路。「知ったような口を利くな」と叱った先生が、お説教を始めたという作り話。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子路曰衞君待子而爲政子將奚先子曰必也正名乎子路曰有是哉子之迂也奚其正子曰野哉由也君子於其所不知蓋闕如也名不正則言不順言不順則事不成事不成則禮樂不興禮樂不興則刑罰不中刑罰不中則民無所措手足故君子名之必可言也言之必可行也君子於其言無所苟而已矣

  • 「苟」字:〔艹〕→〔十十〕。

校訂

諸本

  • 武内本(中井)履軒云、事不成より手足に至る六句、疑うらくは後人の竄入、削るべし。

※甲金文、戦国竹簡に見えず。現伝『史記』孔子世家、『漢書』刑法志、『後漢書』張奮伝にあり。「後人の竄入」の論拠不明。懐徳堂本校勘記に何ら注記無し。よって従う理由がない。

東洋文庫蔵清家本

子路曰衛君待子而爲政子將奚先/子曰必也正名乎/子路曰有是哉子之迂也奚其正/子曰野哉由也/君子於其所不知蓋闕如也/名不正則言不順言不順則事不成事不成則禮樂不興禮樂不興則刑罰不中/刑罰不中則民無所措手足故君子名之必可言也言之必可行也/君子於其言無所苟而已矣

  • 「苟」字:〔艹〕→〔十十〕。

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

……路曰:「衛君待324……[也]!何a其正?」子曰:325……

  1. 何、今本作”奚”。二字可通、『史記』作”何”

標点文

子路曰、「衞君待子而爲政、子將奚先。」子曰、「必也正名乎。」子路曰、「有是哉。子之迂也。何其正。」子曰、「野哉、由也。君子於其所不知、蓋闕如也。名不正、則言不順。言不順、則事不成。事不成、則禮樂不興。禮樂不興、則刑罰不中。刑罰不中、則民無所措手足。故君子名之必可言也、言之必可行也。君子於其言、無所苟而已矣。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文路 金文曰 金文 衛 金文君 金文 待 金文子 金文而 金文為 金文政 金文 子 金文將 甲骨文奚 金文先 金文 子 金文曰 金文 必 金文也 金文正 金文 名 金文乎 金文 子 金文路 金文曰 金文 有 金文是 金文哉 金文 哉 金文之 金文迂 金文也 金文 何 金文其 金文正 金文 子 金文曰 金文 野 金文哉 金文也 金文 君 金文子 金文於 金文其 金文所 金文不 金文智 金文 蓋 金文如 金文也 金文  名 金文不 金文正 金文 則 金文言 金文不 金文順 金文 言 金文不 金文順 金文 則 金文事 金文不 金文成 金文 事 金文不 金文成 金文 則 金文礼 金文楽 金文不 金文興 金文 礼 金文楽 金文不 金文興 金文 則 金文刑 金文罰 金文不 金文中 金文 刑 金文罰 金文不 金文中 金文 則 金文民 金文無 金文所 金文手 金文足 金文 故 金文君 金文子 金文 名 金文之 金文必 金文可 金文言 金文也 金文 言 金文之 金文必 金文可 金文行 金文也 金文 君 金文子 金文於 金文其 金文言 金文 無 金文所 金文而 金文已 矣 金文矣 金文

※將→(甲骨文)。論語の本章は「闕」「措」「苟」の字が論語の時代に存在しない。「待」「奚」「何」「必」「也」「乎」「之」「蓋」「如」「中」の用法に疑問がある。本章は漢帝国の儒者による創作である。

書き下し

子路しろいはく、衞君ゑいくんむかまつりごとなさしまば、まさなにをかさきにせむ。いはく、かならたださむ子路しろいはく、かなまはれるなんたださん。いはく、あらかないう君子よきひとところては、なんくがごとからざるただしかららば、すなはことしたがことしたがらば、すなはことことらば、すなはゐやもののねおこゐやもののねおこらば、すなは刑罰つみのさだめあた刑罰つみのさだめあたらば、すなはたみあしはからところし。ゆゑ君子よきひとは、これづくらばかならなりこれはばかならおこななり君子もののふそのことては、かりそめにするところくし

論語:現代日本語訳

逐語訳

子路 孔子
子路が言った。「衛の国君が先生を招いて政治をゆだねたら、先生は最初に何をしますか。」先生が言った。「必ず物事の名前を正すだろう。」子路が言った。「これだから。先生は回りくどい。どうしてなんとまあ正すのですか。」先生が言った。「粗野だな由(子路)は。君子は知らない事については、どうして知識が欠けているありさまでいられずに済むだろうか。名前が正しくなければ、言葉が事実と合わない。事実と合わなければ、仕事は出来ない。仕事が出来なければ、とりもなおさず礼法と音楽が盛んにならない。礼法と音楽が盛んでなければ、刑罰が適正ではない。刑罰が適正でなければ、(恐ろしくて)民は手足で何もできない。だから君子は、名付けたら、名づけたとおりに言えなければならない。名づけを言うなら、必ず実行できなければならない。君子は発言については、一時的であることが無くなりきっている。

意訳

子路 ニセ 論語 孔子 人形
孔子と子路が衛国に赴いたときのこと。
子路「殿様が政治を任せると言ったら、何から始めます?」

孔子「決まっている。物事の名前を事実と一致させる事だ。」
子路「あれま、だから先生は回りくどいと言うのです。そんな事してどうなります。」

孔子「いつまでたっても粗野だなお前は。悟ったようなことを言いやがって。君子は知らない事は知らないと、正直に言えと教えただろう(論語為政篇17)。今から教えてやるからよぉく聞け。

説明してやろう。世間は物事に勝手な名前を付けるが、犬肉屋が”ひつじ”と看板出してたら客ともめるだろう。名前が正しくないと、話をしても互いに誤解が深まるばかりだ。誤解したまま仕事を進めたら、滅茶苦茶になるだろう。そんな滅茶苦茶で、教育なんか出来るか。

民への教育が不出来だと、民はしていいいこと・いけない事が分からんから、どんなに取り締まろうと治安は良くならないし、刑罰もむやみに厳しくしなくちゃならなくなる。そうなると民は怖じ気づいて、政治どころじゃなくなってしまうだろうが。

だから君子は、良いなら良い、犬なら犬と、事実と一致した名前を付けるのだ。それなら話に誤解はないし、言った事は実行できる。何でも適当に名付けておけばいい、あとで辻褄が合えばいい、そんなわけにはいかないのだよ。」

従来訳

下村湖人

子路がいった。――
「もし衛の君が先生をおむかえして政治を委ねられることになりましたら、先生は真先に何をなさいましょうか。」
先師がこたえられた。――
「先ず名分を正そう。」
すると、子路がいった。――
「それだから先生は迂遠だと申すのです。この火急の場合に、名分など正しておれるものではありません。」
先師がいわれた。――
「お前は何というはしたない男だろう。君子は自分の知らないことについては、だまってひかえているものだ。そもそも名分が正しくないと論策が道をはずれる。論策が道をはずれると実務があがらない。実務があがらないと礼楽が興らない。礼楽が興らないと刑罰が適正でない。刑罰が適正でないと人民は不安で手足の置き場にも迷うようになる。だから君子は必ず先ず名分を正すのだ。いったい君子というものは、名分の立たないことを口にすべきでなく、口にしたことは必ずそれを実行にうつす自信がなければならない。あやふやな根拠に立って、うかつな口をきくような人は、断じて君子とはいえないのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子路說:「如果衛國的君主等待您去執政,您首先要做的是什麽?」孔子說:「一定是糾正名分呀!」子路說:「是這樣的嗎?你太迂腐了,糾正名分有什麽用?」孔子說:「你太粗野了!君子對於不懂的事情,一般都採取保留意見。名分不正當,說話就不合理;說話不合理,事情就辦不成。事情辦不成,法律就不能深入人心;法律不能深入人心,刑罰就不會公正;刑罰不公正,則百姓手足無措,不知如何是好。所以領導做事必須說得通、說話必須行得通。領導說話,絕不隨便、馬虎。」

中国哲学書電子化計画

子路が言った。「もし衛国の君主があなたを迎えて政治を執らせたら、あなたはまず何をしますか?」孔子が言った。「必ず、言葉とその意味を修正しよう!」子路が言った。「そんなことですか?あなたはどうにも回りくどい。言葉とその意味を修正して、何の意味があるのですか?」孔子が言った。「お前はおおざっぱが過ぎる。君子はよく知らないことについて、原則として意見をいわないものだ。言葉とその意味が正しくないと、ものを語っても理に合わなくなる。理に合わないと、話が分からない。分からないと、法律が人々に理解されない。理解されないと、刑罰が不正になる。すると人々は行動の基準が分からず、何をすればいいのか分からない。だから為政者は事を行う際、話が通じるように言い、通じた話なら必ず実行される。指導者の話は、絶対にいい加減であってはならず、デタラメでもいけない。」

論語:語釈


子路(シロ)

子路

記録に残る中での孔子の一番弟子。あざ名で呼んでおり敬称。一門の長老として、弟子と言うより年下の友人で、節操のない孔子がふらふらと謀反人のところに出掛けたりすると、どやしつける気概を持っていた。詳細は論語人物図鑑「仲由子路」を参照。

子 甲骨文 子 字解
(甲骨文)

「子」の初出は甲骨文。論語ではほとんどの章で孔子を指す。まれに、孔子と同格の貴族を指す場合もある。また当時の貴族や知識人への敬称でもあり、孔子の弟子に「子○」との例が多数ある。なお逆順の「○子」という敬称は、上級貴族や孔子のような学派の開祖級に付けられる敬称。「南子」もその一例だが、”女子”を意味する言葉ではない。字形は赤ん坊の象形で、もとは殷王室の王子を意味した。詳細は論語語釈「子」を参照。

路 金文 路 字解
「路」(金文)

「路」の初出は西周中期の金文。字形は「足」+「各」”あし𠙵くち”=人のやって来るさま。全体で人が行き来するみち。原義は”みち”。「各」は音符と意符を兼ねている。金文では「露」”さらす”を意味した。詳細は論語語釈「路」を参照。

曰(エツ)

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

論語で最も多用される、”言う”を意味することば。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

衞君(エイクン)

論語の本章では”衛の殿さま”。もちろん世襲制で時と共に変わるから、個人の特定には二説ある。

  1. 第29代国公、霊公(位BC534-BC493)。没年が孔子の14年前だから、一世代は上と思われる。孔子が最初に衛へ亡命したときの君主。衛に縁故のある子路が、この亡命を手引きしたと思われ、その口から「衛君子を待ちて」と発言があるのは素直に理解出来るし、衛国政界に詳しくないから言えたことでもある。対して霊公は孔子に高禄を与えたが、官職は与えなかった。
    訳者はこの説を取る。
  2. 第30代国公、出公(位BC292-BC480/BC476-BC470)。霊公の孫。のちに荘公となるカイカイの子。蒯聵が霊公夫人南子と対立して晋に亡命したため、霊公のあとを継いだ。孔子とどう関わったかは史料が沈黙している。この時子路は衛の蒲に領地を与えられており、孔子は南方諸国の放浪を終えて衛に戻った。霊公と違い、今度こそ、と子路が意気込んで「子を待ちて」と言った可能性はあるが、すでに衛の政界に不案内とは言えず、人材が揃っていて孔子の居場所はないと知っていただろう。
    この説を言いだしたのは宋儒で、北宋朝廷の肝いりで編まれた邢昺『論語注疏』にそう書かれてから通説化した。『論語注疏』は『史記』孔子世家を参照して、孔子が衛に戻ったときの君主が出公だからそう言うのだし、のちにクーデターで父から一時的に位を追われた出公は、国内の支持基盤が弱くて孔子を「待つ」可能性はある。しかし実際に官職を与えた記録は無いから、子路が期待したとしても空振りに終わったことになる。つまり「待」たれていなかったわけで、すでに領主として衛国政界の情報を持っている子路が、傘張り浪人のような期待をするとは考えがたい。

衛霊公 南子
というわけで論語の本章では、衛の第29代国公、霊公(位BC534-BC493)。孔子が衛国に滞在中の夫人は南子(論語雍也篇28)。

孔子はBC497、55歳で魯の官職を辞して亡命の旅に出、真っ直ぐ衛国在住の顔氏の族長(孔門十哲の謎)、斉国などに戦力を提供する、国際傭兵団の頭領でもある顔濁鄒親分の屋敷を目指した。顔濁鄒は弟子の子路の義兄で、おそらく孔子の母・顔徴在や弟子の顔回子淵と同族。

弟子の子路や冉求も孔子の亡命に同行したと思われる。衛は孔子の生国・魯とは、のちに水滸伝の舞台となる湖・大野沢を挟んだ隣国で、諸侯としての規模や成立過程が似通った国だった(論語子路篇7「魯衛の政治は兄弟なり」)。

おくり名が霊公(=国を滅ぼしたバカ殿)というのは、恐らくは後世の儒者がでっち上げた嘘っぱちで、家臣は優秀、将軍は勇敢、領民もよく懐いたやり手の殿さまで(『春秋左氏伝』定公八年)、人材がよく揃っていたから孔子に仕事は与えなかったが、ポンと現代換算で111億円もの捨て扶持を与えた(論語憲問篇40)。

孔子はそれに飽き足らず、顔濁鄒親分の屋敷を拠点に、衛国乗っ取りを謀ったらしい。それが霊公にバレると、一目散に衛国を逃げ出している(『史記』孔子世家)。その後孔子は南方諸国などを放浪するのだが、霊公在位中にも衛国に何度か舞い戻っている。たぶん「もう悪さを致しません」と霊公に一筆書かされたのだろう。滞在先も衛の家老の屋敷に変えている。

子路は衛領蒲邑の領主に取り立てられている(『史記』弟子伝)が、時代が特定できない。孔子が南方諸国から衛に戻ろうとしたとき、蒲邑で足止めされたと『史記』孔子世家はいい、突破して霊公に「討伐したらどうです」と言ったが、晩年の霊公は面倒くさがってしなかった。

そののち出公がクーデターで一時位を追われた際、子路は蒲邑の領主になっており、出公に味方して命を落とす。だが出公ではなく面倒くさがりの霊公が子路に蒲邑を与えた可能性があるのは、放浪中の孔子一行程度の軍勢で、蒲邑の町人一揆を負かした実績を見込まれたと考えるからだ。

ちなみに霊公の妃の一人を南子といい、司馬遷は「孔子を誘惑しようとした」と見てきたようなウソを書き、儒家はこぞって淫乱呼ばわりしたが、外国出身の南子にとって頼るべきは夫の霊公だけであり、別の妃やその子らという敵を大勢抱えていた。従って顔濁鄒親分との交友と、文武両道に優れた弟子たちを抱えた孔子は、何としてでも味方につけねば身が危なかったからで、ごく当たり前の自己防衛だった。実際、他の妃が産んだ霊公の子に、南子は殺されてしまっている(論語雍也篇27)。

衛 甲骨文 衛 字解
(甲骨文)

「衞」の新字体は「衛」。初出は甲骨文。中国・台湾・香港では、新字体がコード上の正字として扱われている。甲骨文には、「韋」と未分化の例がある。現伝字体につながる甲骨文の字形は、「方」”首かせをはめられた人”+「行」”四つ角”+「夂」”足”で、四つ角で曝された奴隷と監視人のさま。奴隷はおそらく見せしめの異民族で、道路を封鎖して「入るな」と自領を守ること。のち「方」は「囗」”城壁”→”都市国家”に書き換えられる。甲骨文から”守る”の意に用い、春秋末期までに、国名・人名の例がある。詳細は論語語釈「衛」を参照。

君 甲骨文 君 字解
「君」(甲骨文)

「君」の初出は甲骨文。甲骨文の字形は「コン」”通路”+「又」”手”+「𠙵」”くち”で、人間の言うことを天界と取り持つ聖職者。「尹」に「𠙵」を加えた字形。甲骨文の用例は欠損が多く判読しがたいが、称号の一つだったと思われる。「先秦甲金文簡牘詞彙資料庫」は、春秋末期までの用例を全て人名・官職名・称号に分類している。甲骨文での語義は明瞭でないが、おそらく”諸侯”の意で用い、金文では”重臣”、”君臨する”、戦国の金文では”諸侯”の意で用いた。また地名・人名、敬称に用いた。詳細は論語語釈「君」を参照。

待(タイ)

待 金文 待 字解
(金文)

論語の本章では”迎える”。初出は西周早期の金文。字形は「彳」”みち”+「止」”あし”+「又」”手”。行こうとする者を引き止める様。春秋末期までの用例は二件しか見つかっておらず、語義が明らかでない。詳細は論語語釈「待」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”そして”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

爲(イ)

為 甲骨文 為 字解
(甲骨文)

論語の本章では”させる”。その地位や仕事に就くこと。新字体は「為」。字形は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”ある”や人名を、金文の段階で”作る”・”する”・”~になる”を意味した。詳細は論語語釈「為」を参照。

上古の漢語には、同じ動作の仕手と受け手との両義を持つものがある。論語の本章の場合の「爲」はその一つで、誰かが政治を摂るという客観的風景は、摂らせる方から見れば”させる”、摂らされる方から見れば”する”ことになる。同様の例に「亂」(乱)があり、もつれた糸をヘラで整える様だが、”乱れる”・”整える”の両義がある。論語語釈「乱」を参照。

政(セイ)

論語の本章では”政治の要点”。

政 甲骨文 政 字解
(甲骨文)

「政」の初出は甲骨文。ただし字形は「足」+「コン」”筋道”+「又」”手”。人の行き来する道を制限するさま。現行字体の初出は西周早期の金文で、目標を定めいきさつを記すさま。原義は”兵站の管理”。論語の時代までに、”征伐”、”政治”の語義が確認できる。詳細は論語語釈「政」を参照。

正 金文 論語 始皇帝
「正」(金文)

論語の本章では欠いているが、通例、定州竹簡論語では「正」と記す。文字的には論語語釈「正」を参照。理由は恐らく秦の始皇帝のいみ名「政」を避けたため(避諱ヒキ)。『史記』で項羽を本紀に記し、正式の中華皇帝として扱ったのと理由は同じで、前漢の認識では漢帝国は秦帝国に反乱を起こして取って代わったのではなく、正統な後継者と位置づけていた。

つまり秦帝国を不当に乗っ取った暴君項羽を、倒して創業した正義の味方が漢王朝、というわけである。だから項羽は実情以上に暴君に描かれ、秦の二世皇帝は実情以上のあほたれ君主に描かれると共に、寵臣の趙高は言語道断の卑劣で残忍な宦官として描かれた。

將(ショウ)

將 甲骨文 将 字解
(甲骨文)

論語の本章では”今すぐ~しようとする”。近い将来を言明する言葉。新字体は「将」。初出は甲骨文。字形は「爿」”寝床”+「廾」”両手”で、『字通』の言う、親王家の標識の省略形とみるべき。原義は”将軍”・”長官”。同音に「漿」”早酢”、「蔣」”真菰・励ます”、「獎」”すすめる・たすける”、「醬」”ししびしお”。春秋末期までに、”率いる”・”今にも~しようとする”の語義を確認できる。詳細は論語語釈「将」を参照。

奚(ケイ)→何(カ)

論語の本章では”なぜ”。「奚」「何」ともに、この語義は春秋時代では確認できない。カールグレン上古音も「奚」ɡʰieg(平):「何」gʰɑ(平/上)で近音とは言い難く、なぜに書き換えたか分からない。

奚 甲骨文 奚 字解
(甲骨文)

「奚」の初出は甲骨文。字形は「𡗞」”弁髪を垂らした人”+「爪」”手”で、原義は捕虜になった異民族。甲骨文では地名のほか人のいけにえを意味し、甲骨文・金文では家紋や人名、”奴隷”の意に用いられた。春秋末期までに、疑問辞としての用例は見られない。詳細は論語語釈「奚」を参照。

何 甲骨文 何 字解
「何」(甲骨文)

「何」の初出は甲骨文。字形は「人」+”天秤棒と荷物”または”農具のスキ”で、原義は”になう”。甲骨文から人名に用いられたが、”なに”のような疑問辞での用法は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「何」を参照。

先(セン)

先 甲骨文 先 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”先に”。始めに行うこと。初出は甲骨文。字形は「止」”ゆく”+「人」で、人が進む先。甲骨文では「後」と対を為して”過去”を意味し、また国名に用いた。春秋時代までの金文では、加えて”先行する”を意味した。詳細は論語語釈「先」を参照。

子曰(シエツ)(し、いわく)

問答

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

必(ヒツ)

必 甲骨文 必 字解
(甲骨文)

論語の本章では”必ず”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。原義は先にカギ状のかねがついた長柄道具で、甲骨文・金文ともにその用例があるが、”必ず”の語義は戦国時代にならないと、出土物では確認できない。『春秋左氏伝』や『韓非子』といった古典に”必ず”での用例があるものの、論語の時代にも適用できる証拠が無い。詳細は論語語釈「必」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章、「必也」「迂也」「由也」「言也」「行也」では「や」と読んで詠嘆の意。「闕如也」では「なり」と読んで断定の意。この語義は春秋時代では確認できない。「吾少也」では”…はまさに”。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

正(セイ)

正 甲骨文 正 字解
(甲骨文)

論語の本章では”正しくする”。初出は甲骨文。字形は「囗」”城塞都市”+そこへ向かう「足」で、原義は”遠征”。論語の時代までに、地名・祭礼名、”征伐”・”年始”のほか、”正す”、”長官”、”審査”の意に用い、また「政」の字が派生した。詳細は論語語釈「正」を参照。

名(メイ)

名 甲骨文 名 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”名称”。事物に対する言語的呼び名。初出は甲骨文。「ミョウ」は呉音。字形は「夕」”夕暮れ時”+「𠙵」”くち”で、伝統的には”たそがれ時には誰が誰だか分からないので、名を名乗るさま”と言う。甲骨文では地名に用い、金文では”名づける”、”銘文”の意に用い、戦国の竹簡で”名前”を意味した。詳細は論語語釈「名」を参照。

乎(コ)

乎 甲骨文 乎 字解
(甲骨文)

論語の本章では、「か」と読んで”…しようか”、疑問の意。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は持ち手の柄を取り付けた呼び鐘を、上向きに持って振り鳴らし、家臣を呼ぶさまで、原義は”呼ぶ”こと。甲骨文では”命じる”・”呼ぶ”を意味し、金文も同様で、「呼」の原字となった。句末の助辞として用いられたのは、戦国時代以降になるという。詳細は論語語釈「乎」を参照。

有(ユウ)

有 甲骨文 有 字解
(甲骨文)

論語の本章では”存在する”。字の初出は甲骨文。ただし字形は「月」を欠く「㞢」または「又」。字形はいずれも”手”の象形。原義は両腕で抱え持つこと。詳細は論語語釈「有」を参照。

是(シ)

是 金文 是 字解
(金文)

論語の本章では”これ”。初出は西周中期の金文。「ゼ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。字形は「睪」+「止」”あし”で、出向いてその目で「よし」と確認すること。同音への転用例を見ると、おそらく原義は”正しい”。初出から”確かにこれは…だ”と解せ、”これ”・”この”という代名詞、”…は…だ”という接続詞の用例と認められる。詳細は論語語釈「是」を参照。

哉(サイ)

𢦏 金文 哉 字解
(金文)

論語の本章では「かな」と読み”…だよ”。詠嘆の意。初出は西周末期の金文。ただし字形は「𠙵」”くち”を欠く「𢦏サイ」で、「戈」”カマ状のほこ”+「十」”傷”。”きずつく”・”そこなう”の語釈が『大漢和辞典』にある。現行字体の初出は春秋末期の金文。「𠙵」が加わったことから、おそらく音を借りた仮借として語気を示すのに用いられた。金文では詠歎に、また”給与”の意に用いられた。戦国の竹簡では、”始まる”の意に用いられた。詳細は論語語釈「哉」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章、「子之迂」では”…の”。それ以外は”まさに…”。直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持たない。後者の語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

迂*(ウ)

迂 金文 迂 字解
(金文)

論語の本章では”回りくどい”。遠回りで効果が見込めない、の意。論語では本章のみに登場。初出は春秋時代の金文。字形は「大」”人”+「于」”突き立てた刃物”+「止」”足”。足止めされて迂回する様。初出の画像が見つからないため、春秋時代の語義は不明。再出は前漢の隷書。文献上の初出は論語子路篇3。次いで戦国中期の『荘子』、戦国末期の『荀子』。詳細は論語語釈「迂」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”まことに”、またはそこから派生した”なんとまあ”という詠嘆をこめた反語。

たとえば子路の「何其正」=「何ぞそれ正さん」とは、”なんで、なんとまあ正すなんて(ことを考えるんですか)”。漢語は古来より一貫してSVO型の言語で、語順が「何正其」=「何ぞそれ正さん」ではないから、”なんで、そんなこと正すんですか”の意ではない。そういうことを言いふらしている者は、世間をたばかる詐欺師である(論語雍也篇27余話「そうだ漢学教授しよう」)。

宇野哲人 ニセ論語指導士養成講座 ニセ論語教育普及機構
今日どうして名を正すことなどにかかわっておられましょう(宇野哲人『論語新釈』)
どうして名を正すなどという〔悠長な〕ことでいいものですか(加地伸行『論語』)

字の初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詠嘆の意は西周の金文から見られ、派生して反語や疑問に解するのにも無理が無い。詳細は論語語釈「其」を参照。

野(ヤ)

野 甲骨文 野 字解
(甲骨文)

論語の本章では”もの知らずな田舎者”。初出は甲骨文。ただし字形は「埜」。「ヤ」(上)の音で”のはら”、「ショ」(上)の音で”田舎家”を意味する。字形は「林」+「土」で、原義は”原野”。春秋末期までに確認できる語義は、原義のほか”野人”のみ。詳細は論語語釈「野」を参照。

由(ユウ)

論語の本章では、仲由子路のいみ名=本名。師の孔子からの呼称であるため、いみ名を呼んでいる。

由 甲骨文 由 字解
「由」(甲骨文)

「由」の初出は甲骨文。上古音は「油」と同じ。字形はともし火の象形だが、甲骨文では”疾病”の意で、また地名・人名に用いた。金文では人名に用いた。”よって”・”なお”・”すじみち”の意は、戦国時代の竹簡から。平芯の石油ランプが出来るまで、人間界では陽が落ちると事実上闇夜だったから、たしかに灯火に”たよる・したがう”しかなかっただろう。詳細は論語語釈「由」を参照。

君子(クンシ)

論語の本章では、”地位教養身分人情のある立派な人”。

論語 貴族 孟子
「君子」は孔子の生前は単に”貴族”を意味するか、孔子が弟子に呼びかけるときの”諸君”の意でしかない。それが後世、”情け深い教養人”などと偽善的意味に変化したのは、儒家を乗っ取って世間から金をせびり取る商材にした、孔子没後一世紀の孟子から。詳細は論語における「君子」を参照。

於(ヨ)

烏 金文 於 字解
(金文)

論語の本章では”~で”。初出は西周早期の金文。ただし字体は「烏」。「ヨ」は”~において”の漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)、呉音は「オ」。「オ」は”ああ”の漢音、呉音は「ウ」。現行字体の初出は春秋中期の金文。西周時代では”ああ”という感嘆詞、または”~において”の意に用いた。詳細は論語語釈「於」を参照。

所(ソ)

所 金文 所 字解
(金文)

論語の本章、「其所不知」「無所苟」では”ものごと”。「無所措手足」では”場所”。初出は春秋末期の金文。「ショ」は呉音。字形は「戸」+「斤」”おの”。「斤」は家父長権の象徴で、原義は”一家(の居所)”。論語の時代までの金文では”ところ”の意がある。詳細は論語語釈「所」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。

知(チ)

知 智 甲骨文 知 字解
(甲骨文)

論語の本章では”知る”。現行書体の初出は春秋早期の金文。春秋時代までは「智」と区別せず書かれた。甲骨文で「知」・「智」に比定されている字形には複数の種類があり、原義は”誓う”。春秋末期までに、”知る”を意味した。”知者”・”管掌する”の用例は、戦国時時代から。詳細は論語語釈「知」を参照。

定州竹簡論語は、普段は「智」の異体字「𣉻」と記すが、本章では簡を欠いている。文字的には論語語釈「智」を参照。

蓋闕如也(コウケツジョヤ)(なんぞかくがごとからざるや)

論語の本章では、”どうして無い状態でなくていられようか”。知らないものは知らない、とはっきり、ありのままの姿をみせないでいられようか、の意。「けだしケツジョたり」と、音読みを読み下さない通説的訓読は、訓読=漢語の日本古語訳になっていないし、「けだし」は”思うに”・”そもそも”・”つまり”など多様な現代日本語訳があってわけがわからない。

おじゃる公家 盗人
こうなった理由は、漢文を読める振りをして世間を欺してきた奈良平安のおじゃる公家や江戸儒者や漢学教授の怠慢にある。

論語の本章は文字史から後世の偽作は明らかだが、偽作者は論語為政篇17で子路が孔子に説教された「知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなせ、これ知るなり」を踏まえているわけで、政治の上で「名を正す」ことの重要性を説いた孔子を、「回りくどい」と悟ったように笑った子路を、笑っているのである。

蓋 金文 蓋 字解
(金文)

「蓋」は論語の本章では、”どうして…しないでおられるか”。「なんぞ…ざる」と読む再読文字。この語義は春秋時代では確認できない。初出は春秋早期の金文。「ガイ」は慣用音。「カイ」(去)の音で”覆う”を、「コウ」(入)の音で”草葺き屋根”、”どうして…ないのか”の意を示す。字形は「艹」+「盍」”ふた・覆う”で、原義は”草葺き屋根”。初出の金文は”器のふた”の意で用いた。詳細は論語語釈「蓋」を参照。

漢文の読解では、句頭にある時は”考えて見ると”・”そこで”・”そもそも”の意と、再読文字として「なんぞ~ざる」”どうして~しないのか”を、句中に動詞としてある時は”覆う”の意味を知っておくと便利。

闕 秦系戦国文字 欠 甲骨文
「闕」(秦系戦国文字)/「欠」(甲骨文)

「闕」は論語の本章では、”欠けている”。その部分が存在しないこと。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。『大漢和辞典』によると第一義は”宮門の両側に立つ台”。音が「缼」(欠)と通じるので転用されたという。「缼」の初出は前漢の隷書。略体「欠」の初出は甲骨文。甲骨文「欠」の字形は「𠙵」”くち”を大きく開けた人。原義は”あくび”だったと思われる。甲骨文では人名に、金文でも人名に用いられたという。ただし”かく”・”かける”の用例が無い。春秋末期までに「缼」の部品「夬」の初出は甲骨文で、推測される原義は”壊す”。「缼」も「缶」”容器のかめ”を”壊す”こと。詳細は論語語釈「闕」論語語釈「欠」を参照。

如 甲骨文 如 字解
「如」(甲骨文)

「如」は論語の本章では”~であるような状態でいる”。この語義は春秋時代では確認できない。

字の初出は甲骨文。字形は「口」+「女」。甲骨文の字形には、上下や左右に部品の配置が異なるものもあって一定しない。原義は”ゆく”。詳細は論語語釈「如」を参照。

則(ソク)

則 甲骨文 則 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”…ならばすぐさま”。初出は甲骨文。字形は「テイ」”三本脚の青銅器”と「人」の組み合わせで、大きな青銅器の銘文に人が恐れ入るさま。原義は”法律”。論語の時代=金文の時代までに、”法”・”のっとる”・”刻む”の意と、「すなわち」と読む接続詞の用法が見える。詳細は論語語釈「則」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ことば”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

順(シュン)

順 甲骨文 順 字解
「順」(甲骨文)

論語の本章では”従う”→”元の通りである”。初出は甲骨文。初出は甲骨文。「ジュン」は呉音。字形は人が川をじっと眺める姿で、原義は”従う”だったと思われる。甲骨文での語釈は不詳。金文では原義のほか、”教え諭す”(𣄰尊・西周)の用例がある。論語語釈「順」を参照。

事(シ)

事 甲骨文 事 字解
(甲骨文)

論語の本章では”仕事”。字の初出は甲骨文。甲骨文の形は「口」+「筆」+「又」”手”で、原義は口に出した言葉を、小刀で刻んで書き記すこと。つまり”事務”。「ジ」は呉音。論語の時代までに”仕事”・”命じる”・”出来事”・”臣従する”の語義が確認できる。詳細は論語語釈「事」を参照。

成(セイ)

成 甲骨文 成 字解
(甲骨文)

論語の本章では”成し遂げる”。初出は甲骨文。字形は「戊」”まさかり”+「丨」”血のしたたり”で、処刑や犠牲をし終えたさま。甲骨文の字形には「丨」が「囗」”くに”になっているものがあり、もっぱら殷の開祖大乙の名として使われていることから、”征服”を意味しているようである。いずれにせよ原義は”…し終える”。甲骨文では地名・人名、”犠牲を屠る”に用い、金文では地名・人名、”盛る”(弔家父簠・春秋早期)に、戦国の金文では”完成”の意に用いた。詳細は論語語釈「成」を参照。

禮樂(レイガク)

論語の本章では”行儀作法”。本章の偽作が確定しているので、後世の語義で解釈してかまわない。

孔子生前では、肉体的技能を除いた”貴族の教養”。孔子塾での必須科目は六芸と呼ばれ、礼(貴族の社会常識)・楽(音楽と詩歌)・射(弓術)・御(戦車の操縦)・書(歴史と古典)・数(算術)だった。いずれも当時の役人と戦士を兼ねた君子に必要な技能教養で、詩歌が必要だったのは、当時の国際語として古語が話せないと、外交交渉をしくじったからだった。

いわゆる儒教の国教化が進んだ漢帝国では、「礼」は礼儀作法だけになり、君子が戦士だったことも忘れられ、「射」と「御」は抜け落ちて、「書」に加えて「春秋」が「五経」に加えられ、楽譜は散逸したから歌詞だけ「詩経」として残り、「数」の代わりに「易」が入った。

六芸

貴族の社会常識

音楽と詩歌

弓術

戦車の操縦

古典と歴史

算術
五経
礼経
礼儀作法
詩経
ポエム
書経
古典と歴史
春秋
歴史
易経
占い

つまり儒学が儒教または儒術に、武術を伴う技芸からからひょろひょろの口車に、語学からメルヘンに、数理からオカルトになったのである。

礼 甲骨文 礼 字解
(甲骨文)

「禮」の新字体は「礼」。しめすへんのある現行字体の初出は秦系戦国文字。無い「豊」の字の初出は甲骨文。両者は同音。現行字形は「示」+「豊」で、「示」は先祖の霊を示す位牌。「豊」はたかつきに豊かに供え物を盛ったさま。具体的には「豆」”たかつき”+「牛」+「丰」”穀物”二つで、つまり牛丼大盛りである。詳細は論語語釈「礼」を参照。

孔子の生前、「礼」は文字化され固定化された制度や教科書ではなく、貴族の一般常識「よきつね」を指した。その中に礼儀作法「ゐや」は含まれているが、意味する範囲はもっと広い。詳細は論語における「礼」を参照。

楽 甲骨文 楽 字解
(甲骨文)

「樂」の初出は甲骨文。新字体は「楽」原義は手鈴の姿で、”音楽”の意の方が先行する。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「ガク」で”奏でる”を、「ラク」で”たのしい”・”たのしむ”を意味する。春秋時代までに両者の語義を確認できる。詳細は論語語釈「楽」を参照。

興(キョウ)

興 甲骨文 興 字解
(甲骨文)

論語の本章では”盛んになる”。「コウ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)で、漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)の方が拗音な珍例。初出は甲骨文。字形は「同」”乗り物のこし”+「又」”手”四つ。四人でこしを担ぎ挙げるさま。甲骨文から”勢いが盛んになる”の意があり、このほか地名氏族名人名に用いた。詳細は論語語釈「興」を参照。

刑(ケイ)

刑 金文 牢屋 刑
(金文)

論語の本章では”刑罰”。初出は西周中期の金文。字形は「井」”牢屋”+「刂」”かたな”で、原義は刑罰。ただし初出の「史牆盤」は「荊」”いばら”と解釈されており、「荊」=楚国のことだとされる。詳細は論語語釈「刑」を参照。

罰(ハツ)

罰 金文 罰 字解
(金文)

論語の本章では”罰”。初出は西周早期の金文。字形は「网」”あみ”+「言」”ことば”+「刂」”刑具の刃物”。ことばをとらえて刑罰を加えるさま。「バツ・バチ」は慣用音。呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)は「ボチ」。西周の金文から、”罰する”・”訴訟”の意に、また人名に用いた。

中(チュウ)

中 甲骨文 子貢 大当たり
「中」(甲骨文)

論語の本章では”あたる”。判決や量刑が妥当である、の意。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。甲骨文の字形には、上下の吹き流しのみになっているものもある。字形は軍司令部の位置を示す軍旗で、原義は”中央”。甲骨文では原義で、また子の生まれ順「伯仲叔季」の第二番目を意味した。金文でも同様だが、族名や地名人名などの固有名詞にも用いられた。また”終わり”を意味した。詳細は論語語釈「中」を参照。

民(ビン)

民 甲骨文 論語 唐太宗李世民
(甲骨文)

論語の本章では”民衆”。初出は甲骨文。「ミン」は呉音。字形は〔目〕+〔十〕”針”で、視力を奪うさま。甲骨文では”奴隷”を意味し、金文以降になって”たみ”の意となった。唐の太宗李世民のいみ名であることから、避諱ヒキして「人」などに書き換えられることがある。唐開成石経の論語では、「叚」字のへんで記すことで避諱している。詳細は論語語釈「民」を参照。

無(ブ)

無 甲骨文 無 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…がない”。初出は甲骨文。「ム」は呉音。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。

措*(ソ)

措 金文 措 字解
(戦国金文)

論語の本章では「はからう」と読んで”用いて行為をする”。通説では「おく」と読んで”置く”と解するが、「無所措手足」で”手足の置き所が無い”では、何を言っているか分からない。”手足を使ってする行為が無い→何も出来ない”と解せば文意が明らかになる。つまり「刑罰不中、則民無所措手足」とは、”どんな罪をかぶせられるか分からないから、民は恐ろしくて手足で何ひとつ出来ない”。

論語の本章と同時期に創作された『礼記』中庸篇に「措」の用例があり、いずれもいわゆる”措置をする”の意。

有弗學,學之弗能,弗措也;有弗問,問之弗知,弗措也;有弗思,思之弗得,弗措也;有弗辨,辨之弗明,弗措也,有弗行,行之弗篤,弗措也。


学ばざるありて、これ学びて能わざらば、措わざるなり。問わざるありて、これ問いて知らざらば、措わざるなり。思わざるありて、これ思いて得ざらば、措わざるなり。ことわけざるありて、これことわけて明らかならざらば、措わざるなり。行わざるありて、これ行いて篤からざらば、措わざるなり。(『中庸』22)

性之德也,合外內之道也,故時措之宜也。


さがの徳たるや、外内の道を合わすなり、故に時これ措わば宜しきなり。(『中庸』26)

『中庸』は例によって宋儒がオカルトを混ぜ込んだデタラメな注をつけてこんにちの儒学業界に流布しているが、自分で読み下せばぜんぜん、とはいわないまでも、大いに違うことが書いてあるのがわかる。何事も元データに当たることの重要性は、論語も漢文読解も同じ。

「措」は論語では本章のみに登場。初出は戦国の竹簡や金文。ただし字形は「散」「惜」「㪚」などと記された。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。現行字形の初出は後漢の『説文解字』。金文の字形は「昔」”農地”+「攴」”手で作業する”で、”植える”の意。同音は無し。呉音は「ス」。戦国時代から”地位に就ける”の意に用いた。詳細は論語語釈「措」を参照。

この部分は定州竹簡論語では欠いているが、唐石経を祖本とする中国伝承論語では「錯」と記し、日本伝承の古注系論語では「措」と記す。現伝最古の公開古注系論語である宮内庁蔵清家本も、年代上は唐石経や宋版論語注疏より新しいのだが、古注は隋代に日本に伝承してのち中国では滅び、唐石経は文字列を相当にいじくっている。従って「措」→「錯」へと校訂しなかった。文字的には論語語釈「錯」を参照。

原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→
             ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→
→漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓
       ・慶大本  └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→
→(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在)
→(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)

なお敗戦の詔勅に「拳々カサル所」とあるのは、”拳を丸めるように体を丸めるような恭しい態度で、放置しない”の意らしい。壊滅的な敗戦を仕出かしたというのに、日本帝国はまだこんな呪文をラジオでまき散らしていた。旧制中学の漢文教師以外、一体誰が聞いて分かったのだろう。

いや、「おく」と読み読ませていたからには、現実はもっと不愉快で、テ冫丿-も文武の役人どもも、だれも何を言っているか理解せず、わけわからん呪文で自分の責任を逃れようとしていたわけで、刻一刻と失われつつある日本人の生命などどうでもいいというわけだ。

つくづく帝政など権威主義的支配というものは、ろくなものではない。論語子罕篇8余話「辛味漬物臭い帝国の主」を参照。

手(シュウ)

手 金文 手 字解
(金文)

論語の本章では”て”。指とてのひら・甲のある、腕の先についた部分。初出は西周中期の金文。「シュ」「ス」は呉音。甲骨文では一般に「又」と記すが、金文になって「手」の字形が現れた。字形は五本指を持つ手の象形で、原義は”て”。金文では原義に、”くび”の意に用いた。詳細は論語語釈「手」を参照。

足(ショク)

足 疋 甲骨文 足 字解
「疋」(甲骨文)

論語の本章では”あし”。初出は甲骨文。ただし字形は「正」「疋」と未分化。”あし”・”たす”の意では漢音で「ショク」と読み、”過剰に”の意味では「シュ」と読む。同じく「ソク」「ス」は呉音。甲骨文の字形は、足を描いた象形。原義は”あし”。甲骨文では原義のほか人名に用いられ、金文では「胥」”補助する”に用いられた。”足りる”の意は戦国の竹簡まで時代が下るが、それまでは「正」を用いた。詳細は論語語釈「足」を参照。

故(コ)

故 金文 故 字解
(金文)

論語の本章では”だから”。初出は西周早期の金文。ただし字形が僅かに違い、「古」+「ボク」”手に道具を持つさま”。「古」は「𠙵」”くち”+「中」”盾”で、”口約束を守る事”。それに「攴」を加えて、”守るべき口約束を記録する”。従って”理由”・”それゆえ”が原義で、”ふるい”の語義は戦国時代まで時代が下る。西周の金文では、「古」を「故」と釈文するものがある。詳細は論語語釈「故」を参照。

可(カ)

可 甲骨文 可 字解
(甲骨文)

論語の本章では”できる”。初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”~できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”~できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

行(コウ)

行 甲骨文 行 字解
(甲骨文)

論語の本章では”行う”。初出は甲骨文。「ギョウ」は呉音。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。詳細は論語語釈「行」を参照。

苟(コウ)

苟 隷書 苟 字解
(前漢隷書)

論語の本章では”かりそめにも”。初出は戦国の竹簡または金文。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「艹」+「句」で、原義は不明。「敬」の古形である「茍」とは別字。『大漢和辞典』の第一義は”かりそめ・かり”。伝統的読み下しでは「いやしくも」と読むが、もはや誤解を招くだけの読みと思う。戦国の竹簡では、”少しでも”の意に用いた。詳細は論語語釈「苟」を参照。

而已矣(ジイイ)

座敷わらし 大隈重信

論語の本章では、”~して終わり切る”。訓み下しによっては「のみ」と読み、強い断定の助字とする。二文字「已矣」でも「のみ」と読み下す、漢文業界の座敷わらしになっている。「而已」はもとは「而」”それで”+「已」”…し終える”の意で、「已」は論語の時代までに”終える”の意があるが、”やめる”の意は確認出来ない。

「而已」はさらに完了の意を持つ「矣」を加えて断定の意を強めた表現だが、何のことはない、アルツハイマーにかかった大隈重信が「あるんであるんである」と演説をしたのと同じのもったい付けで、前漢ごろには少なかったが、後漢の漢語になると頻繁に見られる。

已 甲骨文 已 字解
(甲骨文)

「已」の初出は甲骨文。字形と原義は不詳。字形はおそらく農具のスキで、原義は同音の「以」と同じく”手に取る”だったかもしれない。論語の時代までに”終わる”の語義が確認出来、ここから、”~てしまう”など断定・完了の意を容易に導ける。詳細は論語語釈「已」を参照。

矣 金文 矣 字解
(金文)

「矣」の初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

検証

論語の本章は、文字史的に論語の時代に遡れず、「闕」字に”欠ける”の意が明瞭に確認出来るのは、前漢の辞書『爾雅』になる。また定州竹簡論語に一部が残ること、古注に前後の漢帝国の交代期を生きた包咸が注をつけていることから、前漢前半までに漢儒の手により偽作されたと考えるのが筋が通る。

解説

論語の本章、元ネタは論語子路篇9だろう。

先生が衛に行った。冉有が馬車の手綱を取っていた。
孔子「人が大勢いるなあ。」
冉有「そうですね。どうしてやります?」
孔子「財布を膨らませてやるとするかな。」
冉有「ふふ。膨らんだらどうしてやります?」
孔子「ものを教えてやるとするかな。」

これを元に帝国儒者は、いわゆる「正名論」を正当化するために本章をこしらえた。正名論とは本章にあるように、名前と意味内容を一致させることで、「羊頭狗肉」=高価で美味しいヒツジの看板を掲げて、安価な犬肉を売るような事はするな、という主張。元はそうだった。

現代日本で雑炊を「リゾット」と言い換えるとその方が高く売れるように、「名」を誤魔化すのは商売人の常套手段であり、君主や政治家や役人も商材が政治なだけで商売人には違いないから、綱領を「マニフェスト」とか言って世間を欺す。もっとも横文字が流行る前は、漢語を使った。

上掲敗戦の詔勅がその一例。儒者ももちろん自分らの儲けのために、中身と合わない名付けをやった。しかも現実をそれに合わせようと社会に強要した。通貨や物品の固定相場制と同じで、出るサヤは莫大になるが、利益が出れば儒者が貰い、損失が出れば社会に押し付けた。

話の聞き手を子路にしたのも儒者の常套手段で、「頭の悪い」子路を「聖人の」孔子がやり込める、という筋書きは、論語ならずとも儒教関連の典籍でいくらでも見られる。子路の「間抜け」を描くことで、「偉い」孔子を世間に説教する儒者自身になぞらえている。

論語の本章、新古の注は次の通り。

古注『論語集解義疏』

子路曰衛君待子而為政子將奚先註苞氏曰問往將何所先行也子曰必也正名乎註馬融曰正百事之名也子路曰有是哉子之迂也奚其正註苞氏曰迂猶遠也言孔子之言疏遠於事也子曰野哉由也註孔安國曰野猶不逹也君子於其所不知蓋闕如也註苞氏曰君子于其所不知當闕而勿據今由不知正名之義而謂之迂遠也名不正則言不順言不順則事不成事不成則禮樂不興禮樂不興則刑罰不中註苞氏曰禮以安上樂以移風二者不行則有淫刑濫罰也刑罰不中則民無所措手足故君子名之必可言也言之必可行也註王肅曰所名之事必可得而明言也所言之事必可得而遵行也君子於其言無所苟而己矣


本文「子路曰衛君待子而為政子將奚先」。
注釈。包咸「行ったらまず何をするか問うたのである。」

本文「子曰必也正名乎」。
注釈。馬融「あらゆる物事の名を正しくしようというのである。」

本文「子路曰有是哉子之迂也奚其正」。
注釈。包咸「迂とは遠いのような意味である。孔子の答えが実務と比べて遠回りだと言うのである。」

本文「子曰野哉由也」。
注釈。孔安国「野とはもの知らずのような意である。」

本文「君子於其所不知蓋闕如也」。
注釈。包咸「君子は知らない事柄については、知識がないように振る舞い、何かにかこつけて出任せを言わないのである。この時由(子路のあざ名。包咸は子路を呼び捨てにしている)は名を正すことの意義を知らなかった。そしてその行為を回りくどいと言った。」

本文「名不正則言不順言不順則事不成事不成則禮樂不興禮樂不興則刑罰不中」。
注釈。包咸「礼儀作法は上流階級の社交界を安らげ、音楽は風俗を高尚にする。二つが行われないと、必ずむやみに刑罰を宣告しデタラメな罰がはびこる。」

本文「刑罰不中則民無所措手足故君子名之必可言也言之必可行也」。
注釈。王粛「名づけたからにはその名付けを明らかに言うことが出来る。言った事は必ずその通り実行することが出来る。」

本文「君子於其言無所苟而己矣」。

言えばその通りになると言う。儒者は間抜けではあったがまるまるのバカでは無かったので、自分が全能の神だと言っているわけではない。ただし権力者として口に出せば、どんな無理難題も庶民が「手足のうごかしようが無く」恐れおののいて従うことを知っていただけだ。

犬肉を並べて「ひつじ」と書いてはいけないし、正直に「いぬ」と書いておけば犬肉を指さして「いぬだ」と言うことは出来るだろう。だが「いぬだ」と言えば犬が品切れになっていても犬肉を店頭に並べることは出来ない。この程度の子供でも分かるような理屈を、儒者は分からなかったのではない。他人の頭をクルクルパーにして、罪や責任をなすりつけ、財貨を搾り取るためにこう言った。

肉屋「いらっしゃい」儒者「犬肉はあるか」肉屋「ヘイいくらお求めで」儒者「あるかどうかを聞いておる」肉屋「ヘイございますとも」儒者「そうではない、犬肉はあるかと聞いておる。その通り答えよ」肉屋「ヘイ犬肉はございます」儒者「では百匹分貰おうか」肉屋「そんな無茶な」儒者「いま犬肉はあると申したではないか。”言う所の事必ずしたがい行うべきなり”と王粛先生が言われたのを知らないのか」肉屋「肉屋の手前が、知るわけがございません」儒者「そうか、そういうのを無学というのだ。間違っておるから正してやる」肉屋「何をなさるおつもりで」儒者「わからんやつだな。その筋にしょ引かれたくなければ、出すものを出せといっておる」

…こういう話は『水滸伝』のような小説ばかりでなく、『後漢書』のような正史にも書かれている。論語解説「後漢というふざけた帝国」を参照。

近くはマルクス=レーニン主義が明らかにしたように、この世に生きた立派な人間などいないし、党幹部のような特権階級は必ず腐敗堕落するし、無産階級がつるんでも破壊と暴行と殺戮を繰り返した挙げ句、スターリンや毛沢東のような独裁者を嬉しがる。自己救済など出来ない。

新注『論語集注』

子路曰:「衛君待子而為政,子將奚先?」衛君,謂出公輒也。是時魯哀公之十年,孔子自楚反乎衛。子曰:「必也正名乎!」是時出公不父其父而禰其祖,名實紊矣,故孔子以正名為先。謝氏曰「正名雖為衛君而言,然為政之道,皆當以此為先。」子路曰:「有是哉,子之迂也!奚其正?」迂,謂遠於事情,言非今日之急務也。子曰:「野哉由也!君子於其所不知,蓋闕如也。野,謂鄙俗。責其不能闕疑,而率爾妄對也。名不正,則言不順;言不順,則事不成;楊氏曰:「名不當其實,則言不順。言不順,則無以考實而事不成。」事不成,則禮樂不興;禮樂不興,則刑罰不中;刑罰不中,則民無所措手足。中,去聲。范氏曰:「事得其序之謂禮,物得其和之謂樂。事不成則無序而不和,故禮樂不興。禮樂不興,則施之政事皆失其道,故刑罰不中。」故君子名之必可言也,言之必可行也。君子於其言,無所苟而已矣。」程子曰:「名實相須。一事苟,則其餘皆苟矣。」胡氏曰:「衛世子蒯聵恥其母南子之淫亂,欲殺之不果而出奔。靈公欲立公子郢,郢辭。公卒,夫人立之,又辭。乃立蒯聵之子輒,以拒蒯聵。夫蒯聵欲殺母,得罪於父,而輒據國以拒父,皆無父之人也,其不可有國也明矣。夫子為政,而以正名為先。必將具其事之本末,告諸天王,請于方伯,命公子郢而立之。則人倫正,天理得,名正言順而事成矣。夫子告之之詳如此,而子路終不喻也。故事輒不去,卒死其難。徒知食焉不避其難之為義,而不知食輒之食為非義也。」


本文「子路曰:衛君待子而為政,子將奚先?」
衛とはいわゆる出公輒である。この時魯の哀公の十年(BC485)であり、孔子は楚から衛に帰った。

本文「子曰:必也正名乎!」
この時出公の父(カイカイ)は晋に亡命中だが存命しており、出公は父を差し置いて即位し、祖先の祭も済ませていなかった。国公の名だけあって実質が伴っていなかったのである。だから孔子は、「まず名を正す」と言った。

謝良佐「名を正すとは、衛国公のために言ったのだが、もともと政治の基本は、全て必ずここから始まるのである。」

本文「子路曰:有是哉,子之迂也!奚其正?」
迂とは、実情から遠ざかっているという事である。今すぐやらねばならない急務ではないと言ったのである。

本文「子曰:野哉由也!君子於其所不知,蓋闕如也。野,謂鄙俗。責其不能闕疑,而率爾妄對也。名不正,則言不順;言不順,則事不成」
楊時「名前が実質と異なっていたら、つまり言葉はありのままを言えない。ありのままを言えないなら、事実うかがい知る手立てが無くて、仕事が出来ない。」

本文「事不成,則禮樂不興;禮樂不興,則刑罰不中;刑罰不中,則民無所措手足。」
中は尻下がりに読む。

范祖禹「仕事が秩序だっているのを礼といい、物事に調和があるのを楽という。仕事が出来ないのはつまり秩序が無く調和していないからである。だから礼儀作法はさかんにならない。礼儀作法が盛んにならなければ、政治がうまく回らず、無茶な刑罰が横行する。」

本文「故君子名之必可言也,言之必可行也。君子於其言,無所苟而已矣。」
程頤「名前と実質は必ず対応していなければならない。ただ一つのことだけでもデタラメな名をつけると、その他も全部デタラメになってしまう。」

胡寅「衛の世子だった蒯聵は、義母の南子が淫乱なのを恥じて、殺そうとしたが失敗して亡命した。衛の霊公は公子郢を世継ぎに立てようとしたが、郢は断った。霊公が世を去り、南子が郢を衛国公に即かせようとしたが、やはり断られた。そこで蒯聵の子である輒を即位させ、蒯聵が戻ってくるのを防いだ。そもそも蒯聵は義母を殺そうとして、父の霊公からとがめられたのだが、輒を国公に就けてその父である蒯聵を防げば、輒も蒯聵も敬うべき父を持たないのだから、国公の地位が安定するわけが無い。だから孔子先生は政治に当たって、まず名を正そうとした。お家争いの詳細を調べ尽くして、その結果を周王に報告し、お目付の派遣を求めて、その後ろ盾を得て公子郢を国公に即けようとした。そうすれば人の世の道徳が正され、天のことわり通りに国体が整い、名付けは実質通りになり、言葉はありのままを言えるようになり、政治の目的は達成された。だから孔子先生が本章で事細かに説教したのだが、子路はついにその意義を分からぬままで終わってしまった。だから公子輒=出公の治世には難事がつきまとい、子路はそれに巻き込まれて急死するはめになった。ただ食い扶持を選るだけの知恵しか持たず、災難を避けることわりを知らなかったから、公子輒から食い扶持を貰うようなことをして、それが正義に反しているのを知らなかったのだ。」

宋儒は安定して出任せを言っているだけなので(論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」)、本章での言い分もまじめに受け取る必要は無い。そもそも本章は史実の問答ではなく、偽作した漢儒が時期をいつに設定したかについても、出公の時だと断定できる根拠があるわけでは無い。

訳者としては上掲語釈通り、漢儒は霊公を想定して偽作したと考えている。

余話

(思案中)

『論語』子路篇:現代語訳・書き下し・原文
スポンサーリンク
九去堂をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました