論語詳解145雍也篇第六(28)子、南子にまみゆ°

論語雍也篇(28)要約:孔子先生は2m超の大男でしたが、さて顔の方は? 一説には、悪霊払いのお面そっくりだったとも言います。では女性にモテなかったのか? いやいや、男の価値は顔だけで決まるのではないのですよ。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子見南子。子路不說。夫子矢之曰、「予所否者、天厭之。天厭之。」

校訂

定州竹簡論語

]a子見南子,子路不說。夫子矢[之曰:「予所否者,天厭之!天厭之]!」134

  1. 孔、今本無。

→孔子見南子。子路不說。夫子矢之曰、「予所否者、天厭之。天厭之。」

復元白文

論語 孔 金文子 金文見 金文南 金文子 金文 子 金文路 金文不 金文兌 金文 夫 金文子 金文論語 矢 金文之 金文曰 金文 論語 余 金文所 金文否 金文者 金文 天 金文厭 金文之 金文 天 金文厭 金文之 金文

※說→兌・予→余。

書き下し

孔子こうし南子なんしまみゆ。子路しろよろこばず。夫子ふうしこれちかうていはく、われいなめるところものは、てんこれいとはん、てんこれいとはん。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 南子 論語 孔子
孔子が南子に会った。子路は喜ばなかった。先生がこれに誓って言った。「私を否定するようなことは、天が嫌うだろう、嫌うだろう。」

意訳

論語 子路 あきれ 論語 孔子 焦り
先生が衛国滞在中、殿様の奥方で美貌で知られた南子さまに、「どうしても」と呼ばれ、仕方なくサシで会った。終えて出てきた先生を、子路さんが疑いの目つきででジロジロ眺めるから、先生は慌てて言った。
「誓ってもいい。何もなかった。何もなかったと言っておろうが!」

従来訳

論語 下村湖人
 先師が南子(なんし)に謁見された。子路がそのことについて遺憾の意を表した。先師は、すると、誓言するようにいわれた。――
「私のやったことが、もし道にかなわなかったとしたら、天がゆるしてはおかれない。天がゆるしてはおかれない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子會見了風流大美人南子,子路不高興。夫子發誓說:「若我有歪心,老天討厭我吧!老天討厭我吧!」

中国哲学書電子化計画

孔子が浮名の高い大美人の南子と会見したが、子路が喜ばなかった。先生は誓いを掛けて言った。「もし私にやましい心があるなら、お天道様が嫌うだろう!お天道様が嫌うだろう!」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

南子

論語 南 金文 論語 子 金文
(金文)

?-BC480。衛霊公のきさきで、宋国出身。嫁ぐ前から付き合っていた公子・子朝(宋朝)を呼び寄せて貰い、不倫を続けたことになっているのは(論語詳解133雍也篇第六(16)祝鮀の佞あらずして)にも出てきた通り。これを理由に、やれ南子が淫乱だの、霊公が暗君だのと儒者は言うが、この程度の不道徳は当時の王侯貴族にむしろ普通のことで、とりたてて悪く言うべき人物ではない。

霊公の太子・蒯聵(カイカイ)とはほぼ間違いなく実の親子でなく、その上ウマが合わず、蒯聵は南子の暗殺を企てたが失敗し、国外逃亡の憂き目を見る。しかし蒯聵は西北の大国・晋国の実力者、趙簡子に拾われ、以後この蒯聵を軸に、衛国の政情不安が続くことになる。その意味では悪女なのだろう。

霊公がBC493に死去すると後継の国君が立ったが、その13年後に趙簡子の後押しで蒯聵が帰国、気の毒にも南子は殺されてしまった。さてその南子が孔子に会いたがったについては、古来憶測があるが何も史料はない。「孔子を誘惑しようとしたのだ」とも言われるが、はて。

外国から来たきさきの地位とは不安定なもので、夫の霊公の寵愛だけが頼りだから、政治力が天下に響いていた孔子を味方に付けようとするのは当然に見える。霊公の寵愛は変わらなかったようだが、戦乱の世のこととて保険は必要になる。

夫の霊公は儒者連が言うような暗君ではなく、家臣もそこそこ優秀で、弱小の衛国を率いて、大国晋が領土をがりがりと削り取りに来るのを前に、何とか抵抗できていた。流浪の孔子にポンと年に111億円もの捨て扶持を呉れてやったりもしている。あまり悪く言っては気の毒だ。

それは南子も同様に思う。

子路

論語 子路

記録に残る中での孔子の一番弟子。一門の長老として、弟子と言うより年下の友人で、節操のない孔子がふらふらと謀反人のところに出掛けたりすると、どやしつける気概を持っていた。詳細は論語人物図鑑「仲由子路」を参照。

說/説

論語の本章では兌に通じて”喜ぶ”。詳細は論語語釈「説」を参照。

夫子(フウシ)

直訳すると”あの人”。貴族や師匠を遠回しに言う敬称。論語の本章では、孔子のこと。論語語釈「夫」論語語釈「子」も参照。

論語 矢 金文 論語 宣誓 言

論語の本章では”誓う”。当時誓約には矢を用いた。

『学研漢和大字典』によると象形文字で、まっすぐな矢を描いたもの。尸(シ)(まっすぐで短いからだ)・指(まっすぐで短いゆび)・屎(シ)(短い棒状のくそ)・雉(チ)(矢のようにまっすぐ飛ぶきじ)と同系のことば。

類義語の箭(セン)は、揃(セン)(そろえる)・剪(セン)(そろえて切る)と同系で、長さをそろえて切った矢、という。詳細は論語語釈「矢」を参照。

初出は戦国時代の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はdi̯o。同音に、野などで、「余・予をわれの意に用いるのは当て字であり、原意には関係がない」と『学研漢和大字典』はいう。「豫」は本来別の字。詳細は論語語釈「予」を参照。

論語の本章では”非難する”。論語では本章だけに登場。『字通』によると、神による否定が原義だという。語源・語法共に記述量が膨大なので、詳細は論語語釈「否」を参照。

論語の本章では漠然とした”摂理”。詳細は論語語釈「天」を参照。

最高神、天の神と解してもよいが、それには別に「帝」の字がある。孔子は「怪力乱神を語らず」(論語述而篇20)と言われるとおり、古代にあっては例外的に無神論的人物で、極めて明るい視野を持っていた。

それゆえに、大自然の猛威に対しては敬虔で、人格神ではない抽象的な摂理を「天」と呼んで恐れたと思われる。

厭(ヨウ・エン)

厭 金文 論語 厭
(金文)

論語の本章では”嫌う・とがめる”。『大漢和辞典』の第一義は”せまる・押さえる”。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、猒(エン・ヨウ)は熊の字の一部と犬とをあわせ、動物のしつこい脂肪の多い肉を示す。しつこい肉は食べあきていやになる。厂印は上からかぶさるがけや重しの石。

厭は「厂+猒」。食べあきて、上からおさえられた重圧を感じることをあらわす。壓(=圧。上からおさえつける)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「厭」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章が創作としても、孔子と南子の会見は広く史実として受け入れられている。

論語 吉川幸次郎 論語 衛霊公
吉川本によると、「孔子五十七歳であり、霊公はその在位の三十八年目で、四十四歳、夫人も脂ぎった年増であっただろう」とある。霊公は映像にすると常にヒヒじじいに描かれるが、いくら古代のこととて、王侯だからそこまでじいさんではなかろう。

「夫人も脂ぎった年増であっただろう」とは、たかが地方の公務員に過ぎない男のねたみでしかなく、権力とはそんな貧乏くさいものではない。千万人相手に一人を引き出して、「死ぬか。従うか」を強制できる君主が、脂ぎった年増にいつまでも付き合う必要は無い。

南子は今様に言えば、におうような絶世の美少女だったのだ。天寿を全うできなかったから生年や孔子との会見時の年齢は確定できないが、霊公没後に猛烈な生き残り活動を逞しくしたことを思えば、年増どころか精気に満ち満ちた大人になりかけの少女だったと想像してよい。

本章のけしきについては、『史記』孔子世家に以下のように描く。

衛霊公の夫人に南子という者がいて、人をつかわして孔子に言った。「四方の君子で、我が殿と兄弟になろうとして、偶然を頼まない者は、必ず私と会見します。私は会見を願います。」

孔子は辞退したが、やむを得ず南子と会った。南子は薄い葛布のとばりの中にいた。孔子は門より入り、北面して頭を地に付けて挨拶した。夫人はとばりの中から挨拶を返し、身につけた宝石の音がコロコロと鳴った。

孔子が言った。「私は以前、お会いしませんでしたが、今お目にかかって挨拶を申し上げます。」会見を終えて出たが、子路は不満顔だった。孔子が天に誓って言った。「私に後ろ暗いことがあれば、天が嫌って罰するだろう。罰するだろう。」

司馬遷はまるで見てきたように書いている。どうも史記は、記録というには面白すぎる。

このもようを、藤堂明保博士はこう書いている。

昔、孔子が衛の国を訪れたことがある。衛の王室には南子という絶世の美人がいた。孔子が参内すると、南子が腰元たちを連れてしずしずと現われ、この哲人に向かって嫣然ニッコリと笑いかけたからたまらない。さすがの孔子も、心中少しは嬉しかったであろう。(藤堂明保『漢文概説』)

だが藤堂先生の筆達者は賞賛すべきながら、史実の孔子はそれほど「嬉し」がらなかった。孔子は当時の貴族には珍しく、実の息子が孔鯉の一人しか居ない。当時の常識としてはあり得ないことで、それだけ孔子が女色に対して、淡泊だったことを示すものに他ならない。

論語 孔子 せせら笑い
管仲は奥さんを三人めとった程度で、女色にかまけて政務を放り出した。器の小さいお人だ。(論語八佾篇22

そう言い切った孔子には、それだけ色事に関して本能を統御できる自信があったのだ。

なお清の趙翼が書いた『陔余叢考』に以下のような記事があるが、折を見て訳したい。

〔清〕趙翼『陔余叢考』巻四

子見南子
《論語》惟「子見南子」一章最不可解。聖賢師弟之間相知有素,子路豈以夫子見此淫亂之人為足以相浼而慍於心,即以此相疑,夫子亦何必設誓以自表白,類乎兒女子詛咒者?楊用修謂矢者,直告之也;否者,否塞也。謂予之道不行,乃天棄之也。其說似較勝。按此說本《史記索隱》,謂天厭之者,言我之屈否乃天命所厭也,則固不自用修始矣。然用修謂子路以孔子既不仕衛,不當又見其小君,是以不悅,則夫子之以否塞曉之者,又覺針鋒不接。竊意子路之不悅,與在陳慍見君子亦有窮乎之意正同,以為吾夫子不見用於世,至不得已作如此委曲遷就,以冀萬一之遇,不覺憤悒侘傺,形於辭色。子乃直告之曰:予之否塞於遇,實是天棄之,而無可如何矣。如此解似覺神氣相貫。《晉書·夏統傳》:子路見夏南,憤恚而慷愾。夏南蓋即南子之誤,而所謂憤恚慷愾,亦只侘傺無聊之意,非以見淫人而不悅也。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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