論語詳解133雍也篇第六(16)祝鮀の佞あらず゚

論語雍也篇(16)要約:隣国・衛の霊公はやり手の殿様でしたが、夫人には弱く不倫を黙認していました。それがやり手ならではの太っ腹だったのか、殿様といえど男は存外アホウであるのか、何とも言い難くなるお話。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「不有祝鮀之佞而、有宋朝之美、難乎免於今之世矣。」

復元白文

子 金文曰 金文 不 金文有 金文論語 祝 金文它 金文之 金文論語 寧 金文而 金文 有 金文論語 宋 金文論語 朝 金文之 金文論語 美 金文 論語 難 金文乎 金文論語 免 金文於 金文論語 今 金文之 金文論語 世 金文已 矣金文

※鮀→它・佞→寧・矣→已。

書き下し

いはく、祝鮀しゆくだねんごろらずし宋朝そうてううるはしらば、いままぬかれるかたなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子別像
先生が言った。「祝鮀シュクダの丁寧さなしに、宋朝の美貌をそなえるのは、今の世で免れるのが難しい。」

意訳

論語 孔子 不気味
あぶないぞ、美貌で出世した衛の宋朝どのは。祝鮀どのほどの細やかな気遣いがないから、今の世では老けたらクビだぞ。

従来訳

論語 下村湖人
 先師がいわれた。――
祝鮀しゅくだほど口がうまくて、宋朝(そうちょう)ほどの美男子でないと、無事にはつとまらないらしい。何というなさけない時代だろう。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「沒有祝鮀的口才、卻有宋朝的美貌,一生難免災禍。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「祝鮀の弁舌の才が無く、それなのに宋朝の美貌があると、一生災難を免れない。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

祝鮀(シュクダ)

論語 祝 金文 它 金文
「祝它」(金文)

生没年未詳。論語時代の、衛国の家老の一人。字は子魚。衛国の大神官(大祝)を務めたので氏を祝とした。

鮀の字の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音は不明。語義は『説文解字』はナマズだと言い、『爾雅』はハゼだと言い、『神農本草経』はワニだと言う。要するに何の魚かわからない。部品の它はヘビ。

衛国は孔子もしばしば滞在し、中原諸侯国の中でも文化程度の高い国だったが、小国のためしばしば大国の圧迫を受けた。それでも滅ばなかった理由の一つを、孔子は「祝鮀が祭礼を取り仕切っていたからだ」と論語憲問篇20で言っている。

それゆえ、後述するように、もし祝鮀の口車を孔子が讃えたとするなら、それは論語全体に矛盾を引き起こす。そうではなく、祝鮀は丁寧な祭祀と心遣いで、弱小の衛国を盛り立てた、と考えるべきだろう。

武内本には、「祝鮀は衛の才人、宋朝は衛の淫人、此の時祝鮀既に死してただ宋朝のみ存す、故にこの言あるなり」とある。

佞(ネイ)

論語 佞 金文大篆
(金文大篆)

論語の本章では”丁寧さ”。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はnieŋで、同音の寧”ねんごろ”が音通する。つまり”細やかな気遣い”と解する場合に限り、論語の時代にあり得たと判断すべきで、”口車”の意味ではない。

どういうことかと言えば、もし本章が史実ならば、孔子は「寧」と言ったのだが、後世の儒者が勝手に、「佞」と書き換えたのだ。そうではなく、はじめから「佞」だったとするなら、そもそも本章は、後世の儒者によるでっち上げ、ということになる。

詳細は論語語釈「佞」を参照。

宋朝

論語 宋 金文 論語 朝 金文
(金文)

生没年未詳。孔子と同時代の、衛国の大夫。美貌で知られた。もとは宋の公子で、衛国公・霊公の夫人南子と恋仲だった。南子が衛に輿入れしたのち、南子の要望で呼び寄せられ、その後も密通を繰り返したことになっている。

その頃衛の太子・蒯聵(カイカイ)が公務で宋の郊外を通りがかると、宋の農民が歌を歌っていた。

論語 豚
既に定まらんかな、爾(なんじ)の豬(めすぶた)を婁(めと)らんこと。盍(なん)ぞ帰さざる、吾(わ)が艾(みめよ)き豭(おすぶた)を。
(南子のメス豚を受け取ったのに、なんでオス豚宋朝を帰さないのか。)
蒯聵は恥じて、南子暗殺を謀って失敗した(『左伝』定公十四年=BC496)。その後宋朝も追放されたという(『左伝』哀公十一年条)。だが『左伝』を読む限り、春秋時代の貴族が不義密通にふけるのはむしろ当たり前で、論語時代でもそれは変わらない。
楚王が息子の嫁を横取りし、いろんないきさつを経た後に伍子胥ゴシショの復讐を招いて国を滅ぼす話、魯の亡命中の斉の公子が帰国して即位し、亡命中にめとった季氏の娘はすでに叔父と密通していて一悶着あった話などがある。

これはむしろ蒯聵の政治力の無さを示したと見ていいだろう。暗殺に失敗した蒯聵は諸国を放浪したあげくに、なんと衛の宿敵である大国晋の実力者、趙簡子の手駒となって暗躍した。論語との関係では、子路が死んだのも蒯聵の乱によるものである(『史記』衛世家・出公)。

論語 衛霊公 論語 南子
また南子も当時の貴族女性と比べてそれほど淫乱だったわけでもなく、夫君の霊公はやり手の殿様として聞こえていた。二人は孔子に好意を持ったにも関わらず、孔子の方が嫌って論語に悪く書かれているので、儒者が口を揃えて暗君だの淫婦だの言ったが、それを現代人が真に受ける必要はさらさらない。まじめに史料を読めば、そうでないと分かるからである。

難乎

伝統的には「難いかな」と読むが、「乎」には「~に」「~を」「~より」と読んで、起点・対象・比較・受身の意を示す働きもある。

論語 免 金文 論語 免
(金文)

論語の本章では”天罰を免れること”。『大漢和辞典』の第一義は”まぬがれる”。『学研漢和大字典』による原義は”安産”。

論語:解説・付記

世の中には、馬のションベンのように、いつまでもベラベラとしゃべり続ける人がいる。一種の病気で、自分が客観視できていたら、入りたくなる穴がいくつあっても足りないはずだが、病気だから当人は気付かない。論語の全章が史実だとすると、孔子はそれに相当する。

ところが論語では、本章の「佞」を”口車”と解した従来訳のように、多弁を戒める言葉が少なからずある。矛盾に他ならないが、洗脳装置としての儒教はそもそも差別の体系だから、矛盾とはされない。聖人である孔子は多弁でも許され、小人である読者は口を慎まねばならない。

孔子の学派は、孔子の生前、庶民が貴族に成り上がるための、教養体系として出発した。つまり儒学である。孔子没後、一旦事実上滅びた儒学は、希代の世間師である孟子によって、諸侯をたぶらかすための詐術=儒教として再出発した。だが何ら世俗的機能を持たなかった。

だからまともに相手をした諸侯が、事実上ただの一人も出なかったのだ。ただし孟子儒教には、のちに帝国儒教の公認理由となる、儒術の種が宿っていた。それが差別の体系である。目上は好き勝手していいが目下はいけないという、権力にとってまことに都合の良い概念だ。

だから儒者嫌いだったはずの漢の高祖劉邦が、儒教を公認したのだ。儀式の席では、皇帝は偉そうにふんぞり返っていてよいが、臣下はいかなる功臣であろうとも、沈黙を守り這いつくばらねばならなかった。要するに差別の体系を、儒術として支配の道具に役立てたのである。

儒術という言葉は、早くは『墨子』に見られる。だがその姿は判然とせず、現伝の『墨子』が思想家墨子の肉声とも言えない。孟子と少し世代が下がる『荀子』にも儒術は見られる。だが社会を富ます技として記され、おそらく差別・洗脳装置としての儒教・儒術ではない。

漢帝国が、建国当初から儒教帝国だったわけではない。漢代儒教はあくまで支配の舞台装置として、道具の一つとして出発したに過ぎない。だがその影響力は徐々に帝国の隅々に行き渡り、武帝時代にいわゆる儒教の国教化と言われる待遇を権力から受けるようになった。

その司祭である儒者は、論語を差別の論拠として書き変え、再解釈せねばならなかった。そのためなら、儒者はでっち上げも平気でやった。それを見破ることが出来ないから、本章の従来訳のような解釈が、今なおまかり通っているのである。

訳者は一個人としての下村先生を、立派な方だと認めているが、だからといってデタラメのままの論語の翻訳まで、立派と認めるわけにはいかない。世の論語読者も、従来訳のようなデタラメを真に受ける前に、自前の常識に照らし合わせ、少しは考えてみればよいのだ。

春秋の世は、情けない時代だったかも知れない。だがそれへの泣き言ばかり垂れ流す師匠に、大勢の弟子がついていくかどうか。命の危険もあった放浪の旅に、我から従って供をするかどうか。古代人も現代人も人間である。現代でも無茶なら、たいてい古代でも無茶なのだ。

孔子が本章で語ったのは、美男美女は老けない間はわがままであるという、現代でも当たり前に見られるけしきに他ならない。容姿に恵まれないフィギュアの選手が、一生懸命飛んだり跳ねたりするように、外見でたぶらかせないから、人は懇ろな態度を他人にとるのである。

相手がはいはいと従うなら、誰が機嫌など取ろうとするだろうか。団塊がそうであるように、甘やかされて育った者は、必ず横暴な化け物と化す。いくら年齢を重ねても変わらない。どんなに嫌われても気付かない。そして嫌う他世代の方がケシカランと説教するのである。

バカに付ける薬は無い、と孔子が言ったとおりになる。本章で挙げられた宋朝の例ではないが、同じく霊公に仕えた弥子瑕は、美貌をいい事に好き勝手を極めたが、容姿が衰えた途端に悲惨な目に遭わされた、という逸話を韓非子が記している(→余桃の罪)。

論語 吉川幸次郎
さて既存の論語本では吉川本に、衛霊公の先代にも同名で同様の所行に至った美男子が居たことになっているが、「いかに美男であっても、二代のきさきの若い燕であったとまではきめにくい」と言う。どうでもいいことだが記しておく。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
このナイスガイについてはこちら

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)