論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子不語、怪*、力、亂、神。
校訂
武内本
恠、唐石経怪に作る。
定州竹簡論語
……[不語怪,力,亂],162……
→子不語、怪力、亂神。
復元白文
怪
※論語の本章は怪の字が論語の時代に存在しない可能性が高い。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である可能性がある。
書き下し
子は怪力・亂神を語らず。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生は、あり得ない力と如何わしい神霊を語らなかった。
意訳
先生は、オカルトを話さなかった。
従来訳
先師は、妖怪変化とか、腕力沙汰とか、醜聞とか、超自然の霊とか、そういったことについては、決して話をされなかった。
現代中国での解釈例
孔子不談論:怪異、暴力、變亂、鬼神。
孔子は、妖怪、暴力、変乱、鬼神について語らなかった。
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
恠→怪
恠の字は『説文解字』にすら記載が無い。音カイ、「怪」の俗字と『大漢和辞典』はいう。
怪の初出は戦国文字。論語の時代に存在しない。論語では本章のみに登場。カールグレン上古音はkwæɡ。同音は存在しない。部品の「圣」は”精出して耕す”。近音に「鬼」ki̯wərがあり、甲骨文から存在する。『字通』は「卜文に土主の形である土の左右に手を加える字があり」とあり、つまり甲骨文からあったと言うが、字形を載せていない。
詳細は論語語釈「怪」を参照。
怪・力・亂(乱)・神
論語の本章では、”常識を越えた怪しげな力や存在”。それぞれ四つと取るか、「怪力」=常識外れの力・「乱神」=いかがわしい神々と、二組と取るかでやや解釈が変わるが、要するに孔子はオカルトを語らなかったわけ。
ただし本章が戦国時代以降の創作であるとすると、熟語の存在を認め得るので、「怪力」「乱神」と解することに根拠が出来る。一方上掲『字通』の主張通り、”土地の霊魂”として甲骨文より「怪」が存在したとすると、「怪」「力」「乱」「神」の四語と読む根拠が出来る。
ただ、孔子塾は「力」を鍛える武芸道場でもあり、革命を目指すというれっきとした反「乱」集団でもあるから、史実と異なってしまう。従って史実だとしても、「怪しい力」「乱れた神」という、修飾語と名詞のセットと考える事に理があると思う。
「怪」(金文大篆)
「怪」は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、圣(カイ)は「又(て)+土」からなり、手でまるめた土のかたまりのこと。塊(カイ)と同じ。怪は「心+(音符)圣」で、まるい頭をして突出した異様な感じを与える物のこと。
鬼(キ)(まるい頭をした奇怪なもの)・瘣(カイ)(まるく突き出たこぶ)などと同系のことば、という。
「力」(金文)
「力」は『学研漢和大字典』によると象形文字で、手の筋肉をすじばらせてがんばるさまを描いたもの。仂(ロク)(ちからを入れる)・勒(ロク)(ぐいと力を入れて引く手綱)と同系のことば。
また「すじめを入れる」という点では、阞(ロク)(山のすじ→稜線(リョウセン))・里(田や町のくぎり)・理(すじめ)・陵(山のすじめ)と縁が近い、という。詳細は論語語釈「力」を参照。
「亂(乱)」(金文・篆書)
「乱」は『学研漢和大字典』によると”乱れる”が原義で、もつれた糸のこと。それを整えるので、”おさめる”という反対の意味が派生したという。一方『字通』では字形の意義はほぼ同じとしながらも、”おさめる”方が原義だという。
正反対の語義が生まれたのは、行為の為し手と受け手の立場から「乱」である状態を言うからで、矛盾ではないと『字通』はいう。詳細は論語語釈「乱」を参照。
「神」(金文)
「神」は『学研漢和大字典』によると雷のような不可思議な自然の威力、という。詳細は論語語釈「神」を参照。
論語:解説・付記
上記の検証に拘わらず、論語の本章は史実である可能性を残している。本章のような伝承があった可能性を、否定できないからだ、論語の本章は、もしかすると論語憲問篇6で、怪力伝説を聞いて孔子が答えなかったことの別伝かも知れない。

南宮适が孔子に問うて言った。「羿は弓の達者で、奡は舟を動かすほどの力士だったが、いずれもふさわしい死に方ができなかった。禹と稷は自ら田仕事をして天下を保有した。」先生は黙っていた。南宮适が先生の部屋から出た。先生が言った。「貴族らしいなあ、このような人は。人格力を尊んでいるなあ、このような人は。」
孔子が暴力沙汰を語らなかったという解釈は、「大成至聖文宣先師孔子」(大きな業績を成し遂げた万能の文化伝達者で万人の教師である孔子)として神格化された後の儒者のへつらいと思われ、訳者は賛成できない。論語時代の貴族とは、まさに暴力で国に仕える者だからだ。
歴代の儒者が武人をバカにし切っていたことは、それこそ例証の枚挙にいとまがないが、だからといって孔子は儒者が望むような、ひょろひょろの本の虫では全然無かった。むしろ猛々しい武人であり、2mを超す身長でポールウェポンをブンブン振り回す危険な人だった。
従って孔子が語らなかったのは、武人としての現実主義から、あり得ない怪力伝説の類で、そのような夢想にふけるようでは、戦場に出ると真っ先に殺されてしまう。ラノベやファンタジーが好きだからといって、戦場がそんなものだろうと思う者は、君子になれないのである。
これは理解して貰えないかも知れないが、暴力はそれを身につけるほど、幻想が打ち砕かれる。現伝の中国武術にはハッタリが多いが、それは素人を驚かせて追っ払うためで、一種の現実主義だと訳者は見ている。一方日本武術は一般に、できるだけ目立たぬ事を事とする。
それも一種の現実主義で、徹底的に手の内を見せないことから、戦いがもう始まっている。足の置き方にもそれが現れ、有段者なら相手の歩き方を見るだけで、ケンカの強弱は分かるものだ。孔子が怪力を言わなかったのもリアリズムからで、別に暴力を毛嫌いしたわけではない。
孔子について語るべき事は多いが、古代人として群を抜いていたのは、おそらく神の存在を否定していたことで、自分は決して祈らず(論語述而篇34)、ただ世人は信じているから敬ってはおく、という態度を取った(論語雍也篇22)。自然の猛威は恐れたが、その背景に人格神がいるなどとは言わなかった(論語述而篇12)。同時代のブッダと並び、世界を理性で見つめようとした、最初の人ではなかったか。
むやみに異民族を捕らえていけにえにした殷とは違った、周の人間主義を賛美した孔子は(論語八佾篇14)、極めて明るく、そして冷徹に世界を眺めた。もし論語を読むことに今日的意義があるなら、それは孔子の人間主義、人間賛歌を我がものとして受け入れる事にある。
『礼記』の編纂は漢代まで下るから、これは孔子の肉声ではないだろうが、孔子の人間主義をよく表しているには違いない。
コメント
[…] 「子は怪力乱神を語らず」と論語述而篇に言う。「鬼神を敬して遠ざく」と論語雍也篇に言う。孔子の回復を神頼みする子路を、論語述而篇ではたしなめた。「神に仕える法など知らん」と論語先進篇では突き放した。孔子は、その目に神が見える人ではなかったのだ。 […]
[…] さらに言えば、孔子の立場は無神論ではなく、神の有無を論じないことだった。ゆえに「怪力乱神」を語らないのであり(論語述而篇20)、大事の前の潔斎は慎重に行った(論語述而篇12)。無神論者にも落雷はあるように、自然の猛威は孔子もまた、大いに認めた現象だった。 […]