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論語詳解167述而篇第七(20)子は怪力乱神を’

論語述而篇(20)要約:孔子先生は古代人には珍しく、無神論に近い立場を取りました。極めて合理的な精神で、神を語らなかっただけでなく、怪しげな化け物ばなしやあり得ない怪力、反乱などの秩序崩壊も、弟子に説教しませんでした。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子不語怪力亂神

校訂

東洋文庫蔵清家本

子不語恠力亂神

  • 「恠」字:京大本同。宮内庁本「怪」。「怪」の異体字、『玉篇』所収。「怪 クワイ」と傍記。

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

……[不語怪,力,亂],162……

標点文

子不語、怪、力、亂、神。

復元白文(論語時代での表記)

子 金文不 金文語 金文 圣 甲骨文 力 金文 亂 金文 神 金文

※怪→圣(甲骨文)。

書き下し

けしきものうけるちからみだれかみかた

論語:現代日本語訳

逐語訳

先生は、あり得ない事柄、得体の知れない怪力、無秩序、神霊を語らなかった。

意訳

孔子 黙る
先生は、オカルトを話さなかった。

従来訳

下村湖人
先師は、妖怪変化(へんげ)とか、腕力沙汰とか、醜聞とか、超自然の霊とか、そういったことについては、決して話をされなかった。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子不談論:怪異、暴カ、變亂、鬼神。

中国哲学書電子化計画

孔子は、妖怪、暴カ、変乱、鬼神について語らなかった。

論語:語釈


子(シ)

子 甲骨文 子 字解
「子」

論語の本章では”(孔子)先生”。初出は甲骨文。論語ではほとんどの章で孔子を指す。まれに、孔子と同格の貴族を指す場合もある。また当時の貴族や知識人への敬称でもあり、孔子の弟子に「子○」との例が多数ある。なお逆順の「○子」という敬称は、上級貴族や孔子のような学派の開祖級に付けられる敬称。「南子」もその一例だが、”女子”を意味する言葉ではない。字形は赤ん坊の象形で、もとは殷王室の王子を意味した。詳細は論語語釈「子」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。

語(ギョ)

語 字解
(金文)

論語の本章では”語る”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は春秋末期の金文。「ゴ」は呉音。字形は「言」+「吾」で、初出の字形では「吾」は「五」二つ。春秋末期以前の用例は1つしかなく、「娯」”楽しむ”と解せられている。詳細は論語語釈「語」を参照。

恠(カイ)→怪(カイ)

怪 秦系戦国文字 圣 甲骨文
(秦系戦国文字)/「圣」(甲骨文)

初出は秦系戦国文字。出典は戦国最末期の「睡虎地秦簡」。字形は〔忄〕”こころ”+「圣」。「圣」(音読みはコツまたはセイ)は「又」”手”+「土」”位牌”で、精霊を祭るさま。全体で得体の知れない精霊を怪しむこと。「恠」は異体字で、俗字と『字通』『大漢和辞典』は言う。同音は存在しない。「ケ」は呉音。戦国の竹簡に”普通でない”の意で用いた。論語時代の置換候補は部品の「圣」。詳細は論語語釈「怪」を参照。

中国伝承の京大蔵唐石経・宮内庁蔵南宋本『論語注疏』、また日本伝承の古注懐徳堂本は「怪」と記す。日本伝承の清家本正平本は「恠」と記す。定州竹簡論語は「怪」と記す。

原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→
             ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→
→漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓
       ・慶大本  └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→
→(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在)
→(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)

力(リョク)

力 甲骨文 力 字解
(甲骨文)

論語の本文では”暴カ”。初出は甲骨文。「リキ」は呉音。甲骨文の字形は農具の象形で、原義は”耕す”。論語の時代までに”能力”の意があったが、”功績”の意は、戦国時代にならないと現れない。詳細は論語語釈「力」を参照。

亂(ラン)

亂 金文 乱
(金文)

論語の本章では、”無秩序”。新字体は「乱」。初出は西周末期の金文。ただし字形は「イン」を欠く「𤔔ラン」。初出の字形はもつれた糸を上下の手で整えるさまで、原義は”整える”。のち前漢になって「乚」”へら”が加わった。それ以前には「司」や「又」”手”を加える字形があった。春秋時代までに確認できるのは、”おさめる”・”なめし革”で、”みだれる”と読めなくはない用例も西周末期にある。詳細は論語語釈「乱」を参照。

神(シン)

神 金文 神
(金文)

論語の本章では、あらゆる神や超自然的存在。新字体は「神」。台湾・大陸ではこちらがコード上の正字として扱われている。初出は西周早期の金文。字形は「示」”位牌”・”祭壇”+「申」”稲妻”。「申」のみでも「神」を示した。「申」の初出は甲骨文。「申」は甲骨文では”稲妻”・十干の一つとして用いられ、金文から”神”を意味し、しめすへんを伴うようになった。「神」は金文では”神”、”先祖”の意に用いた。詳細は論語語釈「神」を参照。

怪、力、亂、神

「怪力」と「亂神」と解して、”怪しい力とみだらな神”と訳す場合があるが、春秋時代の漢語は一字一語が原則で、熟語はほぼ存在しない。「怪力」「亂神」ともに修飾語+被修飾語と言えるから、必ずしも春秋時代の文法に反してはいないが、一字一語で解釈出来るなら、そのように訳すのが妥当と思う。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は春秋戦国の誰一人引用していない。再出は前漢中期の『史記』孔子世家。文字史上はなんとか論語の時代にまで遡れるので、孔子の史実の様子として扱って良い。

解説

論語の本章は、もしかすると論語憲問篇6で、怪力伝説を聞いて孔子が答えなかったことの別伝かも知れない。

南宮括 子容
南宮适ナンキュウカツが孔子に問うて言った。「羿ゲイは弓の達者で、ゴウは舟を動かすほどの力士だったが、いずれもふさわしい死に方ができなかった。ショクは自ら田仕事をして天下を保有した。」先生は黙っていた。南宮适が先生の部屋から出た。先生が言った。「貴族らしいなあ、このような人は。人格力を尊んでいるなあ、このような人は。」

孔子が暴カ沙汰を語らなかったという解釈は、「大成至聖文宣先師孔子」(大きな業績を成し遂げた万能の文化伝達者で万人の教師である孔子)として神格化された後の儒者のへつらいと思われ、訳者は賛成できない。論語時代の貴族とは、まさに暴カで国に仕える者だからだ。

歴代の儒者が武人をバカにし切っていたことは、それこそ例証の枚挙にいとまがないが、だからといって孔子は儒者が望むような、ひょろひょろの本の虫では全然無かった。むしろ猛々しい武人であり、2mを超す身長でポールウェポンをブンブン振り回す危険な人だった。
孔子 TOP

従って孔子が語らなかったのは、武人としての現実主義から、あり得ない怪力伝説の類で、そのような夢想にふけるようでは、戦場に出ると真っ先に殺されてしまう。ラノベやファンタジーが好きだからといって、戦場がそんなものだろうと思う者は、君子になれないのである。

これは理解して貰えないかも知れないが、暴カはそれを身につけるほど、幻想が打ち砕かれる。現伝の中国武術にはハッタリが多いが、それは素人を驚かせて追っ払うためで、一種の現実主義だと訳者は見ている。一方日本武術は一般に、できるだけ目立たぬ事を事とする。

それも一種の現実主義で、徹底的に手の内を見せないことから、戦いがもう始まっている。足の置き方にもそれが現れ、有段者なら相手の歩き方を見るだけで、ケンカの強弱は分かるものだ。孔子が怪力を言わなかったのもリアリズムからで、別に暴カを毛嫌いしたわけではない。

孔子について語るべき事は多いが、古代人として群を抜いていたのは、おそらく神の存在を否定していたことで、自分は決して祈らず(論語述而篇34)、ただ世人は信じているから敬ってはおく、という態度を取った(論語雍也篇22)。自然の猛威は恐れたが、その背景に人格神がいるなどとは言わなかった(論語述而篇12)。同時代のブッダ以上に、世界を理性で見つめようとした、最初の人ではなかったか。

むやみに異民族を捕らえていけにえにした殷とは違った、周の人間主義を賛美した孔子は(論語八佾篇14)、極めて明るく、そして冷徹に世界を眺めた。もし論語を読むことに今日的意義があるなら、それは孔子の人間主義、人間賛歌を我がものとして受け入れる事にある。

孔子 怒り
「副葬品として、つたないわら人形を作らせた者はよろしい。だが写実的な土人形を作らせた者にはあわれみの心がない。そんなことをするから、本物の人を生き埋めにするようになるのだ!」(『礼記』檀弓下)

『礼記』の編纂は漢代まで下るから、これは孔子の肉声ではないだろうが、孔子の人間主義をよく表しているには違いない。

論語の本章、古注は前章と分けていない。

古注『論語集解義疏』

子不語怪力亂神註王肅曰怪怪異也力謂若奡盪舟烏獲舉千鈞之屬也亂謂臣弒君子弑父也神謂鬼神之事也或無益於教化也或所不忍言也

論語 孔子家語 王粛
本文「子不語怪力亂神」。

注釈。王粛「怪とは妖怪変化のことだ。力とは、伝説の力士ゴウが舟を動かし(論語憲問篇6)、烏獲が千鈞の鼎を持ち上げたような、桁外れの腕力のたぐいを言う。乱とは、臣下が君主を殺し子が父を殺す事を言う。神は亡霊や神霊を言う。こうしたものは時に教化の邪魔になる。時に言うに耐えられない場合もある。

新注は次の通り。

新注『論語集注』

子不語怪,力,亂,神。怪異、勇力、悖亂之事,非理之正,固聖人所不語。鬼神,造化之跡,雖非不正,然非窮理之至,有未易明者,故亦不輕以語人也。謝氏曰:「聖人語常而不語怪,語德而不語力,語治而不語亂,語人而不語神。」

論語 朱子 新注 謝良佐
本文「子不語怪,力,亂,神。」

妖怪変化や、粗暴な力や、道理に外れた事は、理屈によって正された事柄ではない。だから聖人は決して語らなかった。鬼神とは、あつて形有ったものの名残で、必ずしも正しくないものばかりでないが、それでも宇宙の根本原理に背いており、今なおはっきりとわかり尽くした対象でないから、軽々しく人に語らなかったのだ。

謝良佐「聖人は当たり前の話は説いたがいかがわしいことは話さなかった。道徳を語っても暴カを語らなかった。安定を語っても混乱を語らなかった。人は語っても神は語らなかった。」

余話

タカにタカをくくる

孔子が論語の本章のような冷徹を語った後、中華文明史はそれとは全然違う方向へと進んでいった。幼児が妖怪変化話を好むように、大多数の人間は年齢を重ねてもさほど賢くならず、むしろ退化する者までおり、社会の大勢は妖怪話を大いに好んで熱中までした。

妖怪変化もぶっ飛ばすには、かめはめ波の強さが要るからだ。

その結果前章論語述而篇19余話で記したように、中華帝国史上に秘密宗教結社が絶えることは無かった。孔子の弟子を名乗る儒者も同様で、論語雍也篇3余話に記したように、宋儒は互いにオカルトであることを競った。教養の有無にかかわらず、人は化かされるのが好きらしい。

孔子は母親が巡業の拝み屋だから、馬鹿げた仕草に一般人がどれほど怯えるか、拝み屋の立場からさんざん見てきただろうから、妖怪変化も神霊も、鼻でせせら笑うことができた。人を作るのは環境である。例えば戦国の殺し合いが激しくなっても、個人の環境で考えが違う。

『史記』は法治を秦王に採用させた商鞅の伝記に言う。

孝公既用衛鞅,鞅欲變法,恐天下議己。衛鞅曰:「疑行無名,疑事無功。且夫有高人之行者,固見非於世;有獨知之慮者,必見敖於民。愚者闇於成事,知者見於未萌。民不可與慮始而可與樂成。論至德者不和於俗,成大功者不謀於眾。是以聖人茍可以彊國,不法其故;茍可以利民,不循其禮。」孝公曰:「善。」


秦の孝公(BC361-BC338)は商鞅を召し抱え、商鞅は政治を法治主義に切り替える変法を目論んでいた。だが天下の人間は変法の意義を分からず嫌がるだろうと暗い見通しを立てていた。そこで孝公に謁見を願い出で上申した。

「おっかなびっくり仕事をすれば、よくできたものだと評判は立たず、何事もダメなんじゃないかなと思ってやれば、失敗するに決まっています。頭のいい人間のすることを、世間の連中は理解出来ません。よくよく思慮をめぐらす習慣づけのある者だけが、しょせん民衆など馬鹿者の集まりと理解出来ます。

愚人はどうすれば成功するかを知らず、知者はわずかな兆しに未来を見て取ります。民衆とは所詮語るに値する連中ではなく、政策が自分に得をもたらしたと分かった後で、わあわあと喜ぶのがせいぜいです。

本当に有効な策を知る者は、欲の皮が突っ張った連中とは相性が悪く、大きな業績をやり遂げる者は、有象無象に相談などしません。だから万能の聖人が自国を強めるには、過去の慣例を斬って捨て、民の福祉を図るには、染みついた習慣を斬って捨てるのです。」

孝公は「そちの申す通りじゃ」と言った。(『史記』商君伝3)

この商鞅の物言いを、傲慢極まると非難するのは簡単だ。だが人は誰でも、宇宙で一番賢いのは自分だと思っており、それを口に出さないのは、金儲けか怖いからかのどちらかだ。儲かりもせず怖くもない者だけが、正直にものを言うのだが、図星がカンに触らない者もいない。

言われた者も、自分が宇宙で一番賢いと思っているからだ。人界とはそうした精神的にも「欲の皮の突っ張った者」の集まりで、その中で成功する者の多くは、黙って人を見下げ果てている。その結果大勢の人間に利益を与えもする。世のお貰いはこういう仕組みで出来ている。

恵む者の沈黙=恵まれる者への蔑視に気付かないから、なおさら銭をまく者を賞賛する。さまざまな意味で力を持つ者が、自分より劣りの者を心でせせら笑わないわけがない。言い換えるなら聞くに堪えないおべっかを言う者こそ、最も聞き手をバカにしていると言って良い。

「バカにされているとは気付くまい」と、高をくくっているからだ。だがその程度では処世訓にならない。おべっかを見え透いていると気付く者は必ず居るからで、冷徹と冷酷は別物だ。冷徹でないと強くなれず、強くないと優しくなれない。だが強い者は必ずしも優しくない。

論語における「恕」が、人をだます言葉に作り替えられたのはそれゆえだ。

他人に文句をつけるのは、つまり他人に期待しているからに他ならない。人を愚者だというのはたやすいが、心底見下げるのは容易ではない。もしそれに成功したなら、世の中に腹が立つことが消え果てる。愚者が愚行を繰り返す、何の不思議も無いと心底納得できるからだ。

孔子が中華文明史上、空前絶後の偉人になれたのはここに秘密がある。ペニシリンの無い古代に70過ぎまで生き、身長は2mを超え、武術の達人で、知識は同時代人の誰よりも多く、異性の誘惑をもはねつけた(論語雍也篇28)。誰も自分に及ぶ者が居ない。そう確信できたわけ。

砂糖はま薬同然の効果を脳にもたらすという。「恕」はもともと”お互い様”の意だったが、大勢の人間をたぶらかして食い物にするために、”相手を自分のように思って情けをかける”と定義が書き換えられた。口に飴玉をしゃぶらせて、腹を割いて取って食おうというのである。

それは中華文明の精華でもある。だから孔子の教えと儒教は、実はまるで関係が無い。

殷 金文
「殷」(金文)。論語語釈「殷」を参照。

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