論語詳解183述而篇第七(36)君子はやわらかに°

論語述而篇(36)要約:立派な人は立派に、そうでない人はそれなりに振る舞うという、孔子先生のつぶやき。しかしこの短い言葉の裏には、先生没後の弟子たちが、激しく火花を散らしていがみ合ったことの証拠がチラリ…。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「君子坦蕩蕩、小人長戚戚。」

校訂

定州竹簡論語

……「君子靼蕩a,小人長戚b。」188  ……曰c:「溫而厲,威而d189……

  1. 靼蕩、今本作「坦蕩蕩」。鄭注「魯読”坦蕩蕩”為”坦湯”、今従古」。「蕩」従古文。
  2. 長戚、今本作「長戚戚」。
  3. 曰、阮本・『釋文』作「子」、『釋文』云「一本作”子曰”」、皇本作「君子」。
  4. 而、皇本無。

→子曰、「君子靼蕩、小人長戚。」

復元白文

子 金文曰 金文 君 金文子 金文旦 金文宕 金文 小 金文人 金文論語 長 金文論語 戚 金文

※靼→旦・蕩→宕。

書き下し

いはく、君子くんしやはらかにして蕩蕩たうたうたり、小人せうじんとこしへに戚戚せきせきたり。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 切手
先生が言った。「君子は感情の起伏が少なくのびのびしている。凡人はいつもこせこせしている。」

意訳

同上

従来訳

論語 下村湖人
先師がいわれた。――
「君子は気持がいつも平和でのびのびとしている。小人はいつもびくびくして何かにおびえている。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「君子總是胸懷寬廣,小人總是憂愁悲傷。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「君子とはつまり、胸の内が広々としており、小人とはつまり、愁いに沈んで悲しがっている。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 。」


坦→靼

論語 坦 金文大篆 論語 坦
(金文)

論語の本章では”やわらか”。「坦」は論語では本章のみに登場。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はtʰɑnで、同音は嘽”あえぐ”と炭のみ。嘽の字の初出は後漢の『説文解字』で、炭の字の初出は戦国文字。部品の旦(カ音tɑn)の字に”やわらぐ”の語釈がある。
旦旦 大漢和辞典

『学研漢和大字典』によると形声文字で、旦(タン)は「日+━(地平線)」の会意文字で、太陽が地上に顔を出すさま。誕生の誕(赤ん坊が母体から顔を出す)と同系。坦は「土+(音符)旦」で、旦の原義には関係がない。単(薄くたいら、一重で二重ではない)・墠(セン)(たいらな土の壇)・壇(たいらな土の台)・氈(セン)(たいらな敷物)などと同系のことば、という。

『字通』によると形声文字で、声符は旦(たん)。〔説文〕十三下に「安らかなり」とあり、地が平坦であること。〔論語、述而〕「君子は坦蕩蕩(たんたうたん)たり」のように、心のやすらかなことをもいう、という。

「靼」の初出は後漢の『説文解字』で、カールグレン上古音は不明。『大漢和辞典』での語釈は以下の通り。
靼 大漢和辞典

蕩(トウ)

論語 蕩 金文大篆 論語 蕩
(金文大篆)

論語の本章では、大量の水が流れるようにのびやかなこと。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はdhɑŋで、同音に唐とそれを部品とする漢字群、堂、棠、宕”広い”など。唐の字にも”おおげさ”の意がある。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「艸+(音符)湯(ゆれうごく水)」で、大水で草木がゆれうごくこと、という。詳細は論語語釈「蕩」を参照。

なお2012年の中国のテレビドラマ、「恕の人 -孔子伝-」では、エンディングテーマの歌詞に「坦蕩蕩」を取り入れており、”タンタンターン!”と繰り返し歌い上げる。坦の北京語音はtǎn、蕩はdàngで、全然違う音だというのが立て前だが、外国人の耳には滑稽に聞こえる。

孔子はたびたびテレビドラマ化されているが、この作品について言うなら、脚本の点ではこれといって目新しさは無いが、前世紀末までの中国ドラマによく見られた、京劇じみた田舎くさい演技が払拭されており、それなりに見せる。

また主役の孔子は台湾の趙文瑄が、顔回は日本のいしだ壱成が、南子は韓国の女優が演じるなど、国際色豊かだった。だがこうまで中共が乱暴を繰り返し、朝鮮半島を除く周辺諸国から嫌われに嫌われたこんにち、あのようなドラマは、もうできないのではないだろうか。

論語 長 金文
(金文)

論語の本章では、”長い間”。詳細は論語語釈「長」を参照。

既存の論語の解説では、宮崎本によれば、「長」は「悵」(チョウ)の誤りではないかと言う。「君子・小人」「蕩蕩・戚戚」が対になっているのに、「坦」「長」は対句になっておらず、”なげく・憂える”の「悵」とすれば、この問題が解決すると言う。

すると読み下しは「小人は悵(うれ)いて戚戚たり」となる。ただし悵の字の初出は『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はthi̯aŋ。同音で論語の時代に存在する字に鬯”匂い酒・伸びる”、韔”弓袋”があり、鬯の派生語がウツ。原義は”匂い酒・茂る”だが、”うつ”でもあるのはご存じの通り。だが音が違い過ぎ、音通するとは言えない。

やはり「とこしへに」と読むので正解ではないか。

論語 戚 金文 論語 戚 析
(金文)

論語の本章では、”おびえたようなさま”。『大漢和辞典』の第一義は”まさかり”。まさかりは論語時代、斬首刑の刑具だった。そこから”おそれる・憂える”の意に転用された。詳細は論語語釈「戚」を参照。

論語:解説・付記

論語の前章「ぢっと手を見る」話に比べると、もやがサァーッと晴れたような孔子の言葉。本章は論語述而篇の一節として、曽子派→孟子派による記録とみてよいが、むしろ前章への山びことして、子貢が答えた話と考えた方がいい。すくなくとも、その方が論語が面白い。

論語 子貢 問い
論語時代きってのアキンドである子貢の一派は、すでに官界での栄達も果たし、財産にも困らなかった。だから魯国で曽子一派がキャンキャン吠えていようと、無視していればそれで済んだ。強者の特権である。しかしあまりに曽子一派がしつこいので、うんざりしたのだろう。

現伝の論語の成立は、後漢の末まで時代が下るから、子貢一派が論語の前半に、手を加える時間は十分あった。あるいは金の力で、曽子があずかり知らぬ所で、本章を紛れ込ませた可能性もある。なにせ曽子一派は金に困っているから、金で転ぶ者はいくらでもいただろう。

まさに「金は万能の宝貝パオペエ=秘密兵器」(安能務)である。その視点でこの論語述而篇を読み直すと、論語中屈指に長く、つまらないつぶやきが多い述而篇に、面白い別のストーリーが立てられるかも知れない。しかし子貢の手を借りずとも、本章の挿入説は成立するだろう。

存外、曽子の人の悪さにうんざりした後漢の儒者が、面白がって入れたのかも知れない。

論語 石川啄木
以下は全くの余談だが、「ぢっと手を見」た石川啄木は、女郎屋通いに金を使い果たし、国語辞典の編者として名高い金田一京助博士の家に押しかけては、金をせびっていたという。その光景を見た息子の春彦氏は、「啄木は大泥棒の石川五右衛門の末裔か」と思っていたという。

他国他時代は知らないが、明治以降日本の文人墨客には、人間のクズが多いようである

ついでに儒者の御託を記しておく。

古注『論語集解義疏』

子曰君子坦蕩蕩小人長戚戚註鄭𤣥曰坦蕩蕩寛廣貎也長戚戚多愛懼貎也疏子曰至戚戚 云君子坦蕩蕩者坦蕩蕩心貎寛曠無所憂患也君子內省不疚故也云小人長戚戚者長戚戚恒憂懼也小人好為罪過故恒懐憂懼也江熙曰君子坦爾夷任蕩然無私小人馳競於榮利耿介於得失故長為愁府也

本文「子曰君子坦蕩蕩小人長戚戚」。
昼食。鄭玄「坦蕩蕩とは、緩やかでゆったりとしたさまを言う。長戚戚とは、ビクビクと怯え心配するさまを言う。」

付け足し。先生は怯えの極致を言った。「君子坦蕩蕩」とは、平で広々とした心のさまを言い、緩やかで広々しているので、心配が無い。君子は自分を反省しても後ろ暗い事が無いからだ。「小人長戚戚」とは、びくびく。おどおどしていつも心配しているさまを言い、小人は好き好んで悪さをするので、いつも怯えることになる。

江熙「君子は伸び伸びとしていつもなすがままに任せ、私心が無い。小人は利益や名誉にこせこせして、一儲けばかり考えている。だから身から出た錆で憂いてばかりいるのだ。」

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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