論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「君子和而不同、小人同而不和。」
復元白文
書き下し
子曰く、君子は和ぎ而同まず、小人は同み而和がず。
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逐語訳
先生が言った。「貴族は和み合うが意見が同じにしない。平民は意見を同じにするが和まない。」
意訳
貴族たる者には主体性が必要だ。だから人と和んでつまらない争いは避けるが、意見の違いはあって当然と認めている。しかし平民は主体性がないから、誰かと言うことがそっくりだったりするが、意見が違うからと言ってケンカになる。
従来訳
先師がいわれた。
「君子は人と仲よく交るが、ぐるにはならない。小人はぐるにはなるが、ほんとうに仲よくはならない。」
現代中国での解釈例
孔子說:「君子和睦相處而不同流合污,小人同流合污而不能和睦相處。」
孔子が言った。「君子は穏やかに互いと付き合い、つるんで悪さをしないが、小人はつるんで悪さをし、穏やかに互いと付き合わない。」
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君子
論語の本章では”貴族”。孔子の生前は徹頭徹尾この意味でしかなく、”教養ある人格者”などという面倒くさい語義をつけ加えたのは、孔子より一世紀のちの孟子である。詳細は論語における君子を参照。
和
(金文)
論語の本章では”角を立てず、つまらないことで争わない”。『字通』によると原義は和平のことであり、『学研漢和大字典』も丸くて角が立たないことを原義という。詳細は論語語釈「和」を参照。
刃物を持ちだして暴れる通り魔が必ずひ弱な者である事の裏返しとして、腕に自信がある者は刃物など持ち出さないし、そもそもつまらないことで争わない。下らぬ事を仕掛けてくる者相手なら、勝てるに決まっているからである。
春秋時代の君子とは、素手で人を殴り殺せるえげつない暴力が条件の一つであり、もちろんひとかどの君子はみな武術の心得があった。孔子塾の必須科目に弓と戦車の操縦が入っているのはそれゆえである。
同
(金文)
論語の本章では”意見を同じにする”。
『学研漢和大字典』による原義は複数の板を連ね通すことと言うが、『字通』によると金文以前の字体は「凡+口」であり、『字通』のいう口=𠙵(祈祷文を入れた器)には賛成しがたいが、凡=盤”平たい器”はその通りだろうし、「会同のとき、酒を飲み、神に祈り誓ったものと思われ、会同の儀礼をいう」というのも頷ける。
いわゆる日本史で言う一味神水であり、酒を回し飲むことによって結束を固める=意見を同じくするのはあり得ることだ。日本史と中国史の安易な混同は控えるべきだが、神水や酒や茶や煙草など、何かしら精神に作用を及ぼすものを共に摂取することによって和合を図るのは、西洋の乾杯儀礼(→youtube)やネイティブアメリカンの煙草の回し飲みなど、人類に普遍的な現象と言っていいだろう。
詳細は論語語釈「同」を参照。
論語:解説・付記
論語の本章は、論語衛霊公篇17と合わせて考えると、意図をくみ取りやすい。
子曰く、「群居して終日、言いて義に及ばず、好みて小慧を行う、難いかな。」
バカどもが一日中わあわあと集まって議論し、そのくせまっとうなやり方は誰ひとり言わず、小細工ばかり自慢し合っている。救いようがないな。
孔子は弟子に、主体性を要求した。だから論語為政篇12で「君子は器ならず」と言った。主体性がない人間は、全てを他人や環境のせいにするので、どんなひどいことでもやりかねないし、いつもびくびくと怯えていなければならない(論語述而篇36)。
そのような人間に治められては、民が迷惑する。論語の本章とほぼ同じ教えを、孔子は論語為政篇14でも説いている。つまり孔子はこの教えを繰り替えし説き、それだけその教えをメモした弟子が多く、派閥を越えて、伝授すべき教えとして論語に載せられた。
意見が異なる者と和むには、まず自分は自分だという意識があり、それゆえに他人もまた他人の都合があるだろう、だから意見が違って当然だ、と得心できる。しかしそこに思いが至る智力のない者=凡人は、意見の違いを認められない。勢い、ケンカの一つも始まることになる。
だが手段の如何を問わず、みなが同じ意見になってしまったらどうだろう。人間全てが地球を中心に宇宙が回っていると思っている内は、科学技術は発展しなかった。同様に論語時代の学問でも、意見の相違があればこそ学問を議論でき、議論できるからこそよりよい結論が出る。
個人にとっても、まわりと意見が同じというのは実は恐ろしいことで、智力や技能の進歩が止まってしまう。しかし環境は容赦なく、ひとときも止まらず変化する(論語子罕篇17)。それなのに技能や智力が旧来のままであっては、人間は自然に振り回されるだけになってしまう。
孔子はそれを恐れた。革命運動に参加するにせよ、ひたすら学問に励んで仕官を目指すにせよ、止まってしまった者は自分もまわりも不幸にする。現代でも独裁政権下の国を見れば分かる。論語時代も同じで、孔子は自身も変化することを恐れない人だった(論語為政篇11)。
あるいは別の観点から、人はなぜ怒るのかを考えるとよい。怒りの原因は他人にあることが多いが、怒りそのものは実は、他人に対抗できない自分のふがいなさに怒っているとわかる。ゆえに能力があればあるほど怒りは減らすことが出来、暴力もまた能力の一つだ。
孔子一門が暴れ者の集まりでなかったことは当然だが、暴れることが出来なければ貴族が務まらなかった。だが孔子は論語の本章で言うように、そうした能力を超えて、人はなぜ和むことが出来るのか、という視点に立つことが出来た。だから本章は、誤解されやすいとも言える。
「何事もお平らに」と言い回る小者のたわごととは、全く次元を異にしているからだ。「和」とはそんなお花畑ではないことを、別伝が示している。
鄭子產有疾,謂子太叔曰:「我死,子必為政。唯有德者能以寬服民,其次莫如猛。夫火烈,民望而畏之,故鮮死焉。水濡弱,民狎而翫之,則多死焉。故寬難。」子產卒,子太叔為政。不忍猛、而寬。鄭國多掠盜。太叔悔之,曰:「吾早從夫子,必不及此。」孔子聞之,曰:「善哉!政寬則民慢,慢則糺於猛;猛則民殘,民殘則施之以寬,寬以濟猛,猛以濟寬,寬猛相濟,政是以和。《詩》云:『民亦勞止,汔可小康。惠此中國,以綏四方。』施之以寬。『毋縱詭隨,以謹無良。式遏寇虐,慘不畏明。』糺之以猛也。『柔遠能邇,以定我王。』平之以和也。又曰:『不競不絿,不剛不柔;布政優優,百祿是遒。』和之至也。」子產之卒也,孔子聞之,出涕,曰:「古之遺愛也。」
鄭の名宰相・子産が死病の床に就き、遺言を子太叔に言った。
「わしはもうすぐ死ぬ。後釜は君が継ぐだろう。だから言っておく。ぬるい統治はよほどの腕利きだけが出来ることで、凡人は厳しい統治を心掛けねば民が言うことを聞かない。誰もが火を恐れるのと同じだ。だから焼け死ぬ者はそれほどはいない。だが一見穏やかに見える水に溺れて、死ぬ者は多い。よいかな、ぬるい統治をしてはいかんぞ。」
子産が世を去り、子太叔があとを継いだが、「むごいお人じゃ」と言われるのが嫌で、ぬるい統治を行った。するとあっという間に、鄭国では盗賊が横行するようになった。太叔曰く、「ああ、子産どのの言った通りにしておけばよかった。」
伝え聞いた孔子「全くその通りだ。ぬるい統治では民がつけ上がる。つけ上がったらギリギリ厳しく縛る。厳しすぎると民が弱る。弱ったらまたぬるくしてやる。ぬるいのが厳しさを救い、厳しさがぬるさを救うのだ。どちらもかたより無く揃って、やっと政治が”和”になる。
詩経に言う。”民が弱っている。少しはぬるくして欲しい。中華も蛮族ももろともに”と。これはぬるさの効果を言ったのだ。また言う。”言い逃れを見逃さず、DQNどもを震え上がらせ、馬鹿者どもを大人しくさせるのだ”と。これは厳しさの効果を言ったものだ。
また言う。”蛮族を大人しくさせ、領民を教育し、それで王位が安定する”と。安定には「和」が必要なのだ。また言う。”争わない、求めない。いかつくもないしヤワでもない。政治に余裕があってこそ、天の恵みは訪れる”と。これが”和”の窮極だ。」
子産が亡くなると、伝え聞いた孔子は、涙を流してしのんだ。「そのかみ洛邑留学の途中、本当によくして下された。」(『孔子家語』正論解12)
ところが案の定、儒者は古注も新注も、小人は利益を争うから和むことが出来ないのだ、と書いた。つまりは論語の本章を誤解した。利益を争わずに済む者は原理的に存在しないから、論語の本章を絵空事にする感想と断じてよい。
古注『論語集解義疏』
子曰君子和而不同小人同而不和註君子心和然其所見各異故曰不同小人所嗜好者同然各爭其利故曰不和也
本文「子曰君子和而不同小人同而不和」。
注釈。君子は心穏やかに人と付き合うが、意見はそれぞれ違っている。だから「不同」なのだ。小人は好みが皆似ているが、互いに利益を争うから、「不和」なのだ。
新注『論語集注』
和者,無乖戾之心。同者,有阿比之意。尹氏曰:「君子尚義,故有不同。小人尚利,安得而和?」
和とは、はねのけ背く心がないことを言う。同とは、機嫌を取って横並びになることを言う。
尹焞「君子は正義を尊び、だから同じでないところがある。小人は利益を尊ぶから、どうやって和むことがあろうか?」
尹焞は北宋滅亡の際、家族を皆殺しにされ、自分も大けがを負って一時人事不省となり、弟子が担ぐ戸板に載せられて山に逃げ、何とか蘇生したという(『宋史』尹焞伝)。新注の儒者の中では比較的ひどい目に遭った人物だが、高慢ちきや絵空事からは離れられなかったようだ。
それとも遭難前の作文だろうか?
話を論語に戻し、「儲かるなら露払いだってやる」(論語述而篇11)と言ってのけた孔子の視点に立てば、君子だろうと小人だろうと、大いに利益を争ってよいのである。ただし、無能なうちはつまらない争いをすることになる、だから精出して学び、稽古せよと弟子に言った。
それが本章の文意である。
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