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論語詳解326子路篇第十三(24)郷人皆これ好む’

論語子路篇(24)要約:村八分、いじめは現代的問題ですが、論語時代でも同じでした。人を観察するのが好きな孔子先生は、そのからくりに気付いています。善人が誉めるのが本当の善人で、悪党にも嫌われるのが本当の悪党だと。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子貢問曰郷人皆好之何如子曰未可也郷人皆惡之何如子曰未可也不如郷人之善者好之其不善者惡之

校訂

東洋文庫蔵清家本

子貢問曰郷人皆好之何如子曰未可也郷人皆惡之何如子曰未可也不如郷人之善者好之其不善者惡之也

定州竹簡論語

貢 外字a曰:「鄉人皆好之,[何如]?」354……何如?」子曰:「未可也。不如鄉□之善者好之,其不善355……

  1. 今本貢 外字下有”問”字。

標点文

貢 外字曰、「郷人皆好之、何如。」子曰、「未可也。」「郷人皆惡之、何如。」子曰、「未可也。不如郷人之善者好之、其不善者惡之也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文貢 甲骨文曰 金文 郷 金文人 金文皆 金文好 金文之 金文 何 金文如 金文 子 金文曰 金文 未 金文可 金文也 金文 郷 金文人 金文皆 金文䛩 金文之 金文 何 金文如 金文 子 金文曰 金文 未 金文可 金文也 金文 不 金文如 金文郷 金文人 金文之 金文善 金文者 金文好 金文之 金文 其 金文不 金文善 金文者 金文䛩 金文之 金文

貢 外字→貢(甲骨文)。論語の本章は、「未」字の用法に疑問がある。

書き下し

貢 外字しこういはく、郷人さとびとみなこれこのまば何如いかんいはく、いまよろしからざるかな郷人さとびとみなこれにくまば何如いかんいはく、いまよろしからざるかな郷人さとびとものこれこのみ、からものこれにくむにかな

論語:現代日本語訳

逐語訳

子貢 孔子
子貢が問うて言った。「近所の者がみな大げさに褒める人物はどうですか。」先生が言った。「まだ判断が出来ないな。」子貢が言った。「近所の者がみな大げさに憎む人物はどうですか。」先生が言った。「まだ判断が出来ないな。近所でも善良な者が大げさに好み、不善な者が大げさに嫌うのには及ばない。」

意訳

子貢 遊説 孔子 ぼんやり
子貢「ある村です。”この人ですこの人です、この人いい人です”とみなが言います。」
孔子「それだけじゃ分からんよ。」
子貢「別の村です。”こいつですこいつです、こいつ悪党です”とみなが言います。」
孔子「それだけじゃ分からんよ。村の善人がいいと言うなら本物の善人だろうし、悪党までが嫌うなら本当の悪党だ。」

従来訳

下村湖人

子貢がたずねた。
「その土地の人みんなにほめられるような人でございましたら、りっぱな人といえましょうか。」
先師がこたえられた。――
「必ずしもそうとはいえまい。」
子貢――
「では、土地の人みんなに憎まれるような人が却ってりっぱな人でございましょうか。」
「そうはいえまい。土地の善人にほめられ、悪人ににくまれるような人が、一番りっぱな人なのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子貢問:「週圍的人都喜歡的人,怎樣?」孔子說:「不好。「週圍的人都討厭的人,怎樣?「不好。不如週圍的好人喜歡、週圍的壞人討厭的人。」

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子貢が問うた。「周りの人が喜ぶ者はどうでしょう?」孔子が言った。「よくはない。」「周りの人が嫌がる者はどうでしょう?」「よくはない。周りの善人が喜び、周りの悪党が嫌がる者には及ばない。」

論語:語釈

貢 外字(貢) () 、「 。」 、「 。」「 。」 、「 。」

子貢(シコウ)→子貢 外字(シコウ)

孔子の弟子。論語の人物:端木賜子貢参照。

子貢は孔子にものを尋ねる際、本章のように「その次は?」と問うくせがある(論語詳解285顔淵篇第十二(7)子貢政を問うなど)。子路にもその例がある(論語詳解303子路篇第十三(1)子路政を問う)。二人のように年長組の弟子は、「はい、はい」とお説教を伺うだけでなく、言い返したりするなど問答が成り立っていると分かる。

「子」は貴族や知識人への敬称。子貢のように学派の弟子や、一般貴族は「子○」と呼び、孔子のように学派の開祖や、上級貴族は、「○子」と呼んだ。原義は殷王室の一族。詳細は論語語釈「子」を参照。

「貢」は甲骨文からあるが金文は未発掘。定州竹簡論語は「貢 外字」と記す。「貢 外字」は『大漢和辞典』はじめ日中の漢字字典に記載がなく、「貢」の異体字として扱うしかない。「子貢」は「子贛」とも書かれる(『史記』貨殖列伝)。字形は「工」+「貝」”財貨”で、原義は”貢ぐ”。殷墟第三期の無名組甲骨文に「章ケキ」とあり、これは「贛」”献上する”を意味するという。詳細は論語語釈「貢」を参照。

問(ブン)→×

唐石経・清家本は記すが、現存最古の論語本である定州竹簡論語ではこの字を欠く。従って無いものとして校訂した。論語の伝承について詳細は「論語の成立過程まとめ」を参照。

原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→
             ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→
→漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓
       ・慶大本  └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→
→(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在)
→(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)

問 甲骨文 問 字解
(甲骨文)

論語の本章では”質問する”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。「モン」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。字形は「門」+「口」。甲骨文での語義は不明。西周から春秋に用例が無く、一旦滅んだ漢語である可能性がある。戦国の金文では人名に用いられ、”問う”の語義は戦国最末期の竹簡から。それ以前の戦国時代、「昏」または「𦖞」で”問う”を記した。詳細は論語語釈「問」を参照。

曰(エツ)

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

論語で最も多用される、”言う”を意味する言葉。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

鄕(キョウ)

卿 甲骨文 郷 字解
(甲骨文)

論語の本章では”住まう所の隣近所”。”さと”・”むら”と解してもよい。要するに居住地の地域共同体を指す。初出は甲骨文。新字体は「郷」、「鄕」は異体字。周初は「卿」と書き分けられなかった。中国・台湾・香港では、新字体に一画多い「鄉」がコード上の正字とされる。定州竹簡論語も「鄉」と釈文している。唐石経・清家本は新字体と同じく「郷」と記す。「ゴウ」は慣用音、「コウ」は呉音。字形は山盛りの食事を盛った器に相対する人で、原義は”宴会”。甲骨文では”宴会”・”方角”を意味し、金文では”宴会”(曾伯陭壺・春秋早期)、”方角”(善夫山鼎・西周末期)に用い、また郷里・貴族の地位の一つ・城壁都市を意味した。詳細は論語語釈「郷」を参照。

人(ジン)

人 甲骨文 人 字解
(甲骨文)

論語の本章では”人”。初出は甲骨文。原義は人の横姿。「ニン」は呉音。甲骨文・金文では、人一般を意味するほかに、”奴隷”を意味しうる。対して「大」「夫」などの人間の正面形には、下級の意味を含む用例は見られない。詳細は論語語釈「人」を参照。

皆(カイ)

皆 甲骨文 皆 字解
(甲骨文)

論語の本章では”誰もみな”。初出は甲骨文。「ケ」は呉音。上古音の同音は存在しない。字形は「虎」+「𠙵」”口”で、虎の数が一頭の字形と二頭の字形がある。後者の字形が現行字体に繋がる。原義は不明。金文からは虎が人に置き換わる。「ジュウ」”人々”+「𠙵」”口”で、やはり原義は不明。甲骨文・金文から”みな”の用例がある。詳細は論語語釈「皆」を参照。

好(コウ)

好 甲骨文 好 字解
(甲骨文)

論語の本章では”好む”。初出は甲骨文。字形は「子」+「母」で、原義は母親が子供を可愛がるさま。春秋時代以前に、すでに”よい”・”好む”・”親しむ”・”先祖への奉仕”の語義があった。詳細は論語語釈「好」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章、「郷人之善者」では”~の”。それ以外では、「之」以前に指示内容がないため、直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持っていない。あえて訳せば強意で、”まさに”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

何如(いかんぞ)

何如 字解 如何 字解

論語の本章では”どうでしょう”。「何」が「如」=”そのようである”か、の意。対して「如何」は”どうしましょう”・”どうして”。

  • なにしたがう」→何が従っているか→”どう(なっている)でしょう”
  • したがうなに」→従うべきは何か→”どうしましょう”・”どうして”。

「いかん」と読み下す一連の句形については、漢文読解メモ「いかん」を参照。

何 甲骨文 何 字解
「何」(甲骨文)

「何」は論語の本章では”なに”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「人」+”天秤棒と荷物”または”農具のスキ”で、原義は”になう”。甲骨文から人名に用いられたが、”なに”のような疑問辞での用法は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「何」を参照。

如 甲骨文 如 字解
「如」(甲骨文)

「如」は論語の本章では”…のような(もの)”。この語義は春秋時代では確認できない。字の初出は甲骨文。字形は「口」+「女」。甲骨文の字形には、上下や左右に部品の配置が異なるものもあって一定しない。原義は”ゆく”。詳細は論語語釈「如」を参照。

未(ビ)

未 甲骨文 未 字解
(甲骨文)

論語の本章では”まだ…ない”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。「ミ」は呉音。字形は枝の繁った樹木で、原義は”繁る”。ただしこの語義は漢文にほとんど見られず、もっぱら音を借りて否定辞として用いられ、「いまだ…ず」と読む再読文字。ただしその語義が現れるのは戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「未」を参照。

可(カ)

可 甲骨文 可 字解
(甲骨文)

論語の本章では”~に値する”。どうこうであると認定すること。初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”~できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”~できる”・勧誘”~のがよい”・当然”~すべきだ”・認定”~に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

也(ヤ)

論語の本章、章末部分を定州竹簡論語は欠損し、唐石経は「也」を記さず、清家本は記す。清家本の年代は唐石経より新しいが、より古い古注系の文字列を伝えており、唐石経を訂正しうる。従って章末に「也」があるものとして校訂した。

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、”…だよ”。「かな」と読んで詠嘆の意。「なり」と読む断定の語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

惡(オ)

䛩 金文 悪 字解
(金文)

論語の本章では”にくむ”。現行字体は「悪」。初出は西周中期の金文。ただし字形は「䛩」。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「アク」で”わるい”を、「オ」で”にくむ”を意味する。初出の字形は「言」+「亞」”落窪”で、”非難する”こと。現行の字形は「亞」+「心」で、落ち込んで気分が悪いさま。原義は”嫌う”。詳細は論語語釈「悪」を参照。

善(セン)

善 金文 善 字解
(金文)

論語の本章では”よい”。「善」はもとは道徳的な善ではなく、機能的な高品質を言う。「ゼン」は呉音。字形は「譱」で、「羊」+「言」二つ。周の一族は羊飼いだったとされ、羊はよいもののたとえに用いられた。「善」は「よい」「よい」と神々や人々が褒め讃えるさま。原義は”よい”。金文では原義で用いられたほか、「膳」に通じて”料理番”の意に用いられた。戦国の竹簡では原義のほか、”善事”・”よろこび好む”・”長じる”の意に用いられた。詳細は論語語釈「善」を参照。

者(シャ)

者 諸 金文 者 字解
(金文)

論語の本章では”~である者”。「者」の旧字体は〔耂〕と〔日〕の間に〔丶〕一画を伴う。新字体は「者」。ただし唐石経・清家本ともに新字体と同じく「者」と記す。現存最古の論語本である定州竹簡論語も「者」と釈文(これこれの字であると断定すること)している。初出は殷代末期の金文。金文の字形は「木」”植物”+「水」+「口」で、”この植物に水をやれ”と言うことだろうか。原義は不明。初出では称号に用いている。春秋時代までに「諸」と同様”さまざまな”、”~する者”・”~は”の意に用いた。漢文では人に限らず事物にも用いる。詳細は論語語釈「者」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は、文字史的に全文春秋時代に遡ることが出来、内容的にも孔子の経説と矛盾しない。後世の儒者が創作する動機も見当たらない。よって史実の孔子と子貢の問答とみてよい。

解説

孔子は論語里仁篇3で、「仁者だけが人を好み、憎む事が出来る」と言った。仁者とは孔子の生前、貴族らしい常識を身につけた人物を指すが(論語における「仁」)、貴族と言っても古代だから、従軍義務のある都市の商工民も含まれる。つまり他文明圏で言う自由人で、判断の自由を社会から認められると同時に、その判断の結果は自分が背負わなければならない。

これに対して非自由人は、論語ではあるいは「小人」と表現される庶民で、多かれ少なかれ貴族の庇護を受けて生活している。それは閉じた「郷人」の社会ではなおさらだろう。所領として「郷」=防壁を巡らせた集落を持つ者を「卿」と呼んだが、「郷人」の多くはその隷属民だった。

つまり自由がない代わりに、都合次第で好き嫌いを言ってよい人々で、移ろいやすい感情に支配されるそうした判断を、いくら束になっても孔子は信用しなかった事が分かる。

郷人とはたわいのないもので、主体性がないから簡単に人の意見に流されるし、閉じた村では権力者がたった一言言うと、聖者も悪党にされかねない。そんな村からは出て行けと孔子は言った可能性がある(論語里仁篇1)。
里仁篇 孫子 脱兎

学校でも寒村でもいじめが流行る理屈は簡単で、閉じた空間だからこれ以上発展の余地が無く、限られた人口しか資源を受け取れない。しかも閉じられているだけに意見の相違が生まれにくく、新たな道を切り開こうとする思考は出来ず、仮にやれば目立ち者として吊し上げ。

村人には主体性がないから、自分がどんな無残をやっているかの自覚もない。それどころか、率先していじめに励まないと、いつ自分が吊し上げられるかわからない。従っていじめの手段もより残酷に、陰険にとエスカレートする。そこで一番得をするのは、村長に他ならない。

村長には村を発展させる能などないし、仮に新しいことを始めようにも、無知で頑固な村人を説得するのは不可能だ。さらに元々村には資源不足の恐れが常にあるから、いつ村長自身が生け贄にされないともとも限らない。だから進んでよそ者・目立ち者をやってしまえと唆かす。

誰かがいじめられている間に限っては、個別の村人同様、村長もまた安泰だからだ。かくして閉じた村というのは、実際の山奥に限らず、都会の職場でもご近所でも全く同じ事が起きる。論語時代も同様で、古代ならばなおさらで、孔子はそのからくりに気付いていたわけ。

いったいいじめという現象は、動物に普遍的で、社会学や心理学より、動物行動学の扱うべき対象だし、昆虫の共食いに至っては、ともすると物理学の対象にすらなりかねない。孔子がこうした科学に通じたわけがないが、少なくとも群集心理のあてにならなさは知っていた。

くしりとし、むなしくしてりとし、つづまりやすらかなりとす、かたかなつねなんこと」”無いものを存在すると見なし、欠乏したものを十分だと見なし、差し迫ったことをまだ猶予があると見なす、こんなふうに不動心を保つのは、難しいことだよ。”と論語述而篇25に言う。

残念ながらこの部分は後世の創作を疑うのだが、それでも閉じた村人と、視野の長く広くあるべき貴族との断絶を埋めるのが”難しい”事実を語っている。その村が飢饉でも、山一つ向こうの村では大豊作かもしれない。為政者たるべき君子の役割は、そんな時に最も発揮されるだろう。

清儒の宦懋庸は、それに即したことを書いている。

清儒
村人は他人の公的な行動だけを見て善悪の評価をしているのであり、皆が善人だと褒める者は、一国単位でもそういう者が出得る。だが一国の人間の好悪は、時によってコロコロ変わって信用ならない。田舎の村人の評判ならなおさらだ。

子貢の誤りは、安易にスパリと二分したがるところにある。善人はよい、悪党は悪いというが、その中間にこそ実は賢者がいたりするのだ。田舎者のたわごとを真に受けて、決めつけてしまってはものが見えない。(『論語稽』巻五92)

余話

(思案中)

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