論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子貢問曰、「鄕人皆好之、何如。」子曰、「未可也。」「鄕人皆惡之、何如。」子曰、「未可也。不如鄕人之善者好之、其不善者惡之*。」
校訂
武内本
清家本により、文末に也の字を補う。
定州竹簡論語
子a曰:「鄉人皆好之,[何如]?」354……何如?」子曰:「未可也。不如鄉□之善者好之,其不善355……
- 今本
下有”問”字。
→子曰、「鄕人皆好之、何如。」子曰、「未可也。」「鄕人皆惡之、何如。」子曰、「未可也。不如鄕人之善者好之、其不善者惡之。」
復元白文
※→江・惡→亞。論語の本章は也の字を断定で用いているなら、戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。
書き下し
子曰く、鄕人皆之好まば何如。子曰く、未だ可しからざる也/也。鄕人皆之惡まば何如。子曰く、未だ可しからざる也/也。鄕人の善き者は之好み、其の善からざる者は之惡むに如かず。
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逐語訳
子貢が問うて言った。「近所の者がみな大げさに褒める人物はどうですか。」先生が言った。「まだ判断が出来ないなあ。」子貢が言った。「近所の者がみな大げさに憎む人物はどうですか。」先生が言った。「まだ判断が出来ないなあ。近所でも善良な者が大げさに好み、不善な者が大げさに嫌うのには及ばない。」
意訳
子貢「ある村です。”この人ですこの人です、この人いい人です”とみなが言います。」
孔子「それだけじゃ分からんよ。」
子貢「別の村です。”こいつですこいつです、こいつ悪党です”とみなが言います。」
孔子「それだけじゃ分からんよ。村の善人がいいと言うなら本物の善人だろうし、悪党までが嫌うなら本当の悪党だ。」
従来訳
子貢がたずねた。
「その土地の人みんなにほめられるような人でございましたら、りっぱな人といえましょうか。」
先師がこたえられた。――
「必ずしもそうとはいえまい。」
子貢――
「では、土地の人みんなに憎まれるような人が却ってりっぱな人でございましょうか。」
「そうはいえまい。土地の善人にほめられ、悪人ににくまれるような人が、一番りっぱな人なのだ。」
現代中国での解釈例
子貢問:「週圍的人都喜歡的人,怎樣?」孔子說:「不好。「週圍的人都討厭的人,怎樣?「不好。不如週圍的好人喜歡、週圍的壞人討厭的人。」
子貢が問うた。「周りの人が喜ぶ者はどうでしょう?」孔子が言った。「よくはない。」「周りの人が嫌がる者はどうでしょう?」「よくはない。周りの善人が喜び、周りの悪党が嫌がる者には及ばない。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
子貢→子
孔子の初期からの弟子で、政財界で活躍した人物。は貢の異体字。その古形は贛だったと『字通』が言い、『史記』貨殖列伝では子貢を子贛と書いている。詳細は論語の人物・端木賜子貢を参照。
鄕/郷人
論語の本章では”村人・近所の者”。詳細は論語語釈「郷」を参照。
皆好之・皆惡之
論語の本章では”誰もが大変に好く/嫌う”。
ここでの「之」は、それ以前に対象となる名詞がないため、指示代名詞ではなく副詞。意味内容を持たないが、直前の動詞を強調する。詳細は論語語釈「之」を参照。
何如
論語の本章では”どうであるか”。状態を問う。「如何」との区別は、論語語釈「いかん」を参照。
未可也
論語の本章では”それだけでは断定できない”。
「可」は日本古語の「よろし」と同じく、”悪くない”の意味があるから、”まだ悪くないとは言えないな”とも訳せるが、論語の本章では人気者・嫌われ者双方に対する孔子の答えが同じなので、”まだできない”、つまり人格の判断は出来ないということ。詳細は論語語釈「可」を参照。
惡/悪
論語の本章では”嫌う”。原義は穴へ落とされたような気持で、”わるい”よりも古い。論語ではほぼ、”嫌う”の意で用いる。
善者
論語の本章では”善人”。論語時代に一般的な語義では、「善」は人柄の善し悪しではなく有能無能を言うのだが、本章では人柄と解さないと文意が通じない。詳細は論語語釈「美」・「善」を参照。
不如鄕人之善者好之、其不善者惡之。
この部分の構造は以下の通り。
子貢曰 | 孔子曰 | |||
郷人皆 | 好之 | 不如 | 郷人之善者 | 好之 |
悪之 | 其(=郷人之)不善者 | 悪之 |
従って「村の人気者」<「善人の人気者」かつ「村の嫌われ者」<「悪党の嫌われ者」と言っているのであり、「村人を一緒くたにして判定しないで、ちゃんと場合分けしなさい」と子貢に説教したわけ。孔子の論理性は、当時の水準から群を抜いていたことが分かる。
従って従来訳が言う、”土地の善人にほめられ、悪人ににくまれるような人が、一番りっぱな人なのだ”は誤り。これはおそらく新注の受け売りでもある。
新注『論語集注』
一鄉之人,宜有公論矣,然其間亦各以類自為好惡也。故善者好之而惡者不惡,則必其有苟合之行。惡者惡之而善者不好,則必其無可好之實。
ある村にはその村なりの共通見解があるが、村人それぞれの好みは派閥ごとに分かれる。だから善人に好かれて悪党が憎まない者は、たまたま村人の人気を得ているに過ぎない。悪党が嫌って善人が好まない者も、好かれる理由がないに過ぎない。
村の善人 | 村の悪党 | 朱子の見解 |
好き | 嫌いでない | 則必其有苟合之行 =仮善人。きっとたまたま受けのよいことをしただけ |
好きでない | 嫌い | 則必其無可好之實 =仮悪党。きっと好きになる理由が無いだけ |
言い方が回りくどいが、朱子の挙げた人物はいずれもかりそめの人気者や嫌われ者であり、これを敷衍すれば、「善人に好まれ悪党に嫌われるのが真の善人だ」ということになろうか。善悪判定のスイッチは、村の善人の好意と同列になり、悪党の嫌悪の弱態であるようだから。
現代中国での解釈はまるきり新注のコピペだが、従来訳は下村先生の判断がいくぶん加わっているのか。先生が新注を読めなかったとは思いたくない。ただし好きの反対は無関心で、必ずしも「嫌い」ではない。数理的論理の出来ない儒者に、そこまでの考えがあったかどうか。
その証拠か、古注に至ってはどうでもいいことしか書いていない。
註孔安國曰善人善己惡人惡己是善善明惡惡著也
注釈。孔安国「善人は自分をよくする。悪党は自分を悪くする。善行はますます善を輝かせ、悪行はますます悪を目立たせる。(『論語集解義疏』)
バカでも言えることである。他にもっとましなことが書けなかったんだろうか。
論語:解説・付記
本章は論語の前章と合わせ考えるべき話。村人=凡人とはたわいのないもので、主体性がないから簡単に人の意見に流されるし、閉じた村では権力者がたった一言言うと、聖者も悪党にされかねない。そんな村からは出て行けと孔子は言った可能性がある(論語里仁篇1)。
学校でも寒村でもいじめが流行る理屈は簡単で、閉じた空間だからこれ以上発展の余地が無く、限られた人口しか資源を受け取れない。しかも閉じられているだけに意見の相違が生まれにくく、新たな道を切り開こうとする思考は出来ず、仮にやれば目立ち者として吊し上げ。
村人には主体性がないから、自分がどんな無残をやっているかの自覚もない。それどころか、率先していじめに励まないと、いつ自分が吊し上げられるかわからない。従っていじめの手段もより残酷に、陰険にとエスカレートする。そこで一番得をするのは、村長に他ならない。
村長には村を発展させる能などないし、仮に新しいことを始めようにも、無知で頑固な村人を説得するのは不可能だ。さらに元々村には資源不足の恐れが常にあるから、いつ村長自身が生け贄にされないともとも限らない。だから進んでよそ者・目立ち者をやってしまえと唆かす。
誰かがいじめられている間に限っては、個別の村人同様、村長もまた安泰だからだ。かくして閉じた村というのは、実際の山奥に限らず、都会の職場でもご近所でも全く同じ事が起きる。論語時代も同様で、古代ならばなおさらで、孔子はそのからくりに気付いていたわけ。
いったいいじめという現象は、動物に普遍的で、社会学や心理学より、動物行動学の扱うべき対象だし、昆虫の共食いに至っては、ともすると物理学の対象にすらなりかねない。孔子がこうした科学に通じたわけがないが、少なくとも群集心理のあてにならなさは知っていた。
清儒の宦懋庸は、それに即したことを書いている。
村人は他人の公的な行動だけを見て善悪の評価をしているのであり、皆が善人だと褒める者は、一国単位でもそういう者が出得る。だが一国の人間の好悪は、時によってコロコロ変わって信用ならない。田舎の村人の評判ならなおさらだ。
子貢の誤りは、安易にスパリと二分したがるところにある。善人はよい、悪党は悪いというが、その中間にこそ実は賢者がいたりするのだ。田舎者のたわごとを真に受けて、決めつけてしまってはものが見えない。(『論語稽』巻五92)
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