論語:原文・書き下し
原文(唐開成石経)
子曰南人有言曰人而無恒不可以作巫醫善夫不恒其德或承之羞子曰不占而巳矣
校訂
諸本
- 武内本:礼記緇衣篇此語をのす作巫醫を爲卜筮に作る。巫醫は古占筮を掌る、故に作巫醫は爲卜筮と同意。
東洋文庫蔵清家本
子曰南人有言曰人而無恒不可以作巫醫/善夫/不恒其德或承之羞/子曰不占而已矣
後漢熹平石経
(なし)
定州竹簡論語
……德,或承之羞。」子曰:「不[占]而已矣。」353
標点文
子曰、南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫。善夫。不恆其德、或承之羞。子曰、不占而已矣。
復元白文(論語時代での表記)
※醫→殹・占→(甲骨文)。論語の本章は、「夫」「或」「羞」の用法に疑問がある。「可以」は戦国中期にならないと確認できない。
書き下し
子曰く、南人言ふ有り、曰く、人にし而恆なきは、以て巫の醫を作す可から不と。善い夫。其の德を恆にせ不らば、或は之羞を承くと。子曰く、占は不り而已む矣。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「南方の人が言った言葉がある。”不動心がない者は、それなら呪術医の仕事をしてはならない”と。意味のある言葉だなあ。”能力に安定が無いと、時としてまさに呪術医の仕事で恥をかく”とも言った。」先生が言った。「呪術を行わないでおけばよい。」
意訳
南方のことわざでは、情緒不安定な者は呪術医になるな、という。全くだ。『易』にも書いてある。腕が安定しないまま占うと、外して恥をかくと。そんな時は占わなければよろしい。
従来訳
先師がいわれた。
「南国の人の諺に、人間の移り気だけには、祈祷師のお祈りも役に立たないし、医者の薬もきかない、ということがあるが、名言だ。また、易経に、徳がぐらついていると、いつかは、だれかに恥辱というお土産をいただくだろう、という言葉があるが、これもまちがいのないことだ。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「南方人有句話:『人無恆心,巫醫也當不好。』說得好啊!易經上說:『不能堅守德操,就會蒙受羞辱。』這句話是說,沒恆心的人註定一事無成,求卦也沒用。」
孔子が言った。「南方人にはこういう話がある。”不動心の無い者は、呪術医であろうと当たらない”と。よく言ったものだな!易経にこうある。”堅く道徳を守れないと、必ず恥をかかされる事になる”と。この言葉も正しいし、不動心の無い者は、何も完成できないに決まっているから、占っても意味が無い。」
論語:語釈
子曰(シエツ)(し、いわく)
論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。
「子」(甲骨文)
「子」は貴族や知識人に対する敬称。初出は甲骨文。字形は赤ん坊の象形で、古くは殷王族を意味した。春秋時代では、貴族や知識人への敬称に用いた。孔子のように学派の開祖や、大貴族は、「○子」と呼び、学派の弟子や、一般貴族は、「子○」と呼んだ。詳細は論語語釈「子」を参照。
(甲骨文)
「曰」は論語で最も多用される、”言う”を意味する言葉。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。
南(ダン)
「南」(甲骨文)
論語の本章では”南方の”。初出は甲骨文。「ナン」は呉音。字形は南中を知る日時計の姿。甲骨文の字形の多くが、「日」を記して南中のさまを示す。「楽器の一種」とか言う郭沫若や唐蘭の説はあまりに程度の低い胡説で聞くに耐えない。甲骨文では原義に用い、金文でも原義に用いた。詳細は論語語釈「南」を参照。
南人には、楚や呉・越、陳・蔡の人などがあたる。
人(ジン)
(甲骨文)
論語の本章では”人”。初出は甲骨文。原義は人の横姿。「ニン」は呉音。甲骨文・金文では、人一般を意味するほかに、”奴隷”を意味しうる。対して「大」「夫」などの人間の正面形には、下級の意味を含む用例は見られない。詳細は論語語釈「人」を参照。
有(ユウ)
(甲骨文)
論語の本章では”存在する”。字の初出は甲骨文。ただし字形は「月」を欠く「㞢」または「又」。字形はいずれも”手”の象形。原義は両腕で抱え持つこと。詳細は論語語釈「有」を参照。
言(ゲン)
(甲骨文)
論語の本章では”発言”。初出は甲骨文。字形の由来は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。
而(ジ)
(甲骨文)
論語の本章では”それで”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。
無(ブ)
(甲骨文)
論語の本章では”無い”。初出は甲骨文。「ム」は呉音。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。
恆(コウ)
(甲骨文)
論語の本章では”不動であること”。状態や能力を保ち続けて変化が無いこと。新字体は「恒」。ただし定州竹簡論語は「恒」と釈文し、清家本も「恒」と記す。初出は甲骨文。ただし字形は「亙」(亘)。甲骨文の字形は、上下に横線、間に「月」。原義は不明。現伝字形は〔忄〕”こころ”+「亙」。「亙」のような心理状態を意味するが、「亙」の原義が分からないからどんな心理状態か分からない。満ち欠けに従って増減する月の横幅と違い、変化しない縦幅のような不動心を言うか。
仮にそうだとすれば、新字体「恒」は原義を失っているというべく、旧字体「恆」を正字と見なすのにはそれなりに理が通っているのかもしれない。
甲骨文では人名に用い、春秋末期までの金文では人名のほか”つねに”の意で用いた。詳細は論語語釈「恒」を参照。
不(フウ)
(甲骨文)
漢文で最も多用される否定辞。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。初出は甲骨文。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義。詳細は論語語釈「不」を参照。現代中国語では主に「没」(méi)が使われる。
可以(カイ)
論語の本章では”~できる”。定州竹簡論語では欠いている。現代中国語でも同義で使われる助動詞「可以」。ただし出土史料は戦国中期以降の簡帛書(木や竹の簡、絹に記された文書)に限られ、論語の時代以前からは出土例が無い。春秋時代の漢語は一字一語が原則で、「可以」が存在した可能性は低い。ただし、「もって~すべし」と一字ごとに訓読すれば、一応春秋時代の漢語として通る。
「可」(甲骨文)
「可」の初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”~できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”~できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。
「以」(甲骨文)
「以」の初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。
作(サク)
(甲骨文)
論語の本章では”作る”→”する”。初出は甲骨文。金文まではへんを欠いた「乍」と記される。字形は死神が持っているような大ガマ。原義は草木を刈り取るさま。”開墾”を意味し、春秋時代までに”作る”・”定める”・”…を用いて”・”…とする”の意があったが、”突然”・”しばらく”の意は、戦国の竹簡まで時代が下り、”立つ”の語義は、事実上論語が初出。詳細は論語語釈「作」を参照。
巫醫(ブイ)
論語の本章では、占い師を兼ねる古代の医師。「醫」の異体字に「毉」があるように、古代医師と占い師とは不可分だった。
上恃龜筮,好用巫醫,則鬼神驟祟。
殿が亀の甲羅占いを当てにし、好き好んで占い医者に頼るものですから、悪霊がわんさかやってきて祟るのです。(『管子』権修)
「巫」(甲骨文)
「巫」の初出は甲骨文。「フウ」の読みはどこから出てくるのか明らかでない。呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)は「ム」。「フ」は慣用音。字形の由来ははっきりしない。みこが持つ呪具だったとする説が根強い。春秋末期までに、”みこ”の意に用いた。詳細は論語語釈「巫」を参照。
睡虎地簡48.56・戦国末期/「殹」倗生簋・西周中期
「醫」の初出は秦系戦国文字。論語では本章のみに登場。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は部品の「殹」。字形は「殹」=〔医〕”囲いに収容された人”+〔殳〕”手術を加える”+〔酉〕”酒壺”を加えた形で、薬酒を与えて医療を行う姿。異体字「毉」は占いで医療を行う姿。上古音の同音に「噫」、「醷」”梅酢”、「意」、「鷾」”ツバメ”。詳細は論語語釈「医」を参照。
不可以作巫醫
論語の本章では”呪術医の仕事を行ってはならない”。
古注では、”巫医の手にも負えない”とし、新注では”巫医の仕事をしてはならない”という。これは新注の方に理があり、「巫医」は「作」の目的語だから、「作巫医」は”巫医をする”と解するのが妥当。
武内本に言う『小載礼記』の引用は以下の通り。
子曰:「南人有言曰:『人而無恒,不可以為卜筮。』古之遺言與?龜筮猶不能知也,而況於人乎?《詩》云:『我龜既厭,不我告猶。』《兌命》曰:『爵無及惡德,民立而正事,純而祭祀,是為不敬;事煩則亂,事神則難。』《易》曰:『不恒其德,或承之羞。恒其德偵,婦人吉,夫子凶。』」
子曰く、南人言う有り、人にし而恒無くば、以て卜筮を為す可から不と。古之言を遺せる與。亀筮猶お知る能わ不る也、し而況んや人に於ける乎。詩に云く、我亀えども既に厭き、我に告げ不るが猶しと。兌命に曰く、爵無くして徳を悪むに及ばば、民立ち而事を正正し、純も而祭り祀るも、是れ不敬為り。事煩しからば則ち乱れ、神に事えて則ち難しと。易に曰く、其の徳恒なら不らば、或いは之を承けて羞じるあり。其の徳を恒にして偵わば、婦人は吉し、夫子は凶し。
詩に云く:『詩経』小雅・小旻から。
善(セン)
(金文)
論語の本章では”よい”。「善」はもとは道徳的な善ではなく、機能的な高品質を言う。「ゼン」は呉音。字形は「譱」で、「羊」+「言」二つ。周の一族は羊飼いだったとされ、羊はよいもののたとえに用いられた。「善」は「よい」「よい」と神々や人々が褒め讃えるさま。原義は”よい”。金文では原義で用いられたほか、「膳」に通じて”料理番”の意に用いられた。戦国の竹簡では原義のほか、”善事”・”よろこび好む”・”長じる”の意に用いられた。詳細は論語語釈「善」を参照。
夫(フ)
(甲骨文)
論語の本章では「かな」と読んで詠嘆の意、”~だなあ”。この語義は春秋時代では確認出来ない。初出は甲骨文。「フウ」は慣用音。字形はかんざしを挿した成人男性の姿で、原義は”成人男性”。「大夫」は領主を意味し、「夫人」は君主の夫人を意味する。固有名詞を除き”成人男性”以外の語義を獲得したのは西周末期の金文からで、「敷」”あまねく”・”連ねる”と読める文字列がある。以上以外の語義は、春秋時代以前には確認できない。詳細は論語語釈「夫」を参照。
其(キ)
(甲骨文)
論語の本章では”それ”。占い医者を行おうとする者。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詠嘆の意は西周の金文から見られ、派生して反語や疑問に解するのにも無理が無い。詳細は論語語釈「其」を参照。
德(トク)
(金文)
論語の本章では”能力”。初出は甲骨文。新字体は「徳」。甲骨文の字形は、〔行〕”みち”+〔丨〕”進む”+〔目〕であり、見張りながら道を進むこと。甲骨文で”進む”の用例があり、金文になると”道徳”と解せなくもない用例が出るが、その解釈には根拠が無い。前後の漢帝国時代の漢語もそれを反映して、サンスクリット語puṇyaを「功徳」”行動によって得られる利益”と訳した。孔子生前の語義は、”能力”・”機能”、またはそれによって得られる”利得”。詳細は論語における「徳」を参照。文字的には論語語釈「徳」を参照。
或(コク)
(甲骨文)
論語の本章では”場合によっては”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。「ワク」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。甲骨文の字形は「戈」”カマ状のほこ”+「𠙵」”くち”だが、甲骨文・金文を通じて、戈にサヤをかぶせた形の字が複数あり、恐らくはほこにサヤをかぶせたさま。原義は不明。甲骨文では地名・国名・人名・氏族名に用いられ、また”ふたたび”・”地域”の意に用いられた。金文・戦国の竹簡でも同様。詳細は論語語釈「或」を参照。
承(ショウ)
(甲骨文)
論語の本章では”受ける”。初出は甲骨文。字形は「卩」”かがんだ人”+「又」”手”2つ。生け贄の人を大勢で担ぎ挙げるさま。原義は”大勢でいけにえをささげる”。甲骨文の用例は語義が明瞭でない。西周の金文以降は人名のほか”うける”の意になったが、字形との関係は良く分からない。詳細は論語語釈「承」を参照。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”まさにこのような”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。
羞*(シュウ)
(甲骨文)
論語の本章では”はじ”。この語義は春秋時代では確認出来ない。論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。字形は〔羊〕+〔又〕”手”。ヒツジを供物に捧げるさま。甲骨文から”ヒツジの供え物”の意に用い、西周の金文で”追撃する”の意が加わり、”はじ”の語義は戦国時代から。詳細は論語語釈「羞」を参照。
占*(セン)
(甲骨文)
論語の本章では”占う”。論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。ただしその後戦国文字まで発掘が途絶えるので、一度絶えた漢語である可能性がある。字形は〔卜〕”うらない”+〔𠙵〕”口”。占いの結果を言葉で言うさま。甲骨文には周囲を〔囗〕で囲った形のものがある。甲骨文・楚系戦国文字ともに、”うらなう”の意に用いた。また「覘」”のぞき見る”の意に用いた。秦系戦国文字では、人名に用いた例がある。”ひとりじめする”の語義が見られるのは、宋代の『広韻』から。詳細は論語語釈「占」を参照。
而巳矣→而已矣(~ておわんぬるなり)
論語の本章では”~てしまう”。現存最古の論語本である定州竹簡論語は「而已矣」と記し、唐石経は「而巳矣」と記し、清家本は定州本と同様に記す。時系列に従い「巳」→「已」へと校訂した。唐石経の頃、「巳」「已」「己」字は相互に通用した。論語の伝承について詳細は「論語の成立過程まとめ」を参照。
原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→ ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→ →漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓ ・慶大本 └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→ →(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在) →(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)
(甲骨文)
「巳」(シ)の初出は甲骨文。字形はヘビの象形。「ミ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。甲骨文から十二支の”み”を意味し、西周・春秋の金文では「已」と混用されて、完了の意、句末の詠嘆の意、”おわる”の意に用いた。詳細は論語語釈「巳」を参照。
(甲骨文)
「已」の初出は甲骨文。字形と原義は不詳。字形はおそらく農具のスキで、原義は同音の「以」と同じく”手に取る”だったかもしれない。論語の時代までに”終わる”の語義が確認出来、ここから、”~てしまう”など断定・完了の意を容易に導ける。詳細は論語語釈「已」を参照。
(金文)
「矣」の初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。
論語:付記
検証
論語の本章は、「羞」の字の用法に大変な疑問がありはするが、文字そのものは論語の時代に遡れ、全文春秋時代の漢語として通用する。このため文字史からは史実の孔子の言葉と判断してよい。また内容的に、後世の儒者が偽作すべき理由も見当たらない。
解説
古代中国の医者が占い師の一分野であったことは、他の文明圏と変わらない。旧字体「醫」の下半分「酉」は薬酒を入れたとっくりであり、上半分は『字通』によると「殹(也)は呪医が矢で病気を祓うときに叫ぶ声を示」す。論語時代の医者も、多くは占い師との兼業と想像する。
というのも、いわゆる漢方の成立は後漢末の『傷寒論』まで待たねばならず、中国医学は鍼灸の方が先行した。殷墟からハリが出てきたことがその証拠で、灸の方は遺物として残るものではないから何とも言えないが、経験則的に押せば気持ちのよいツボが知られたのだろう。
しかし系統立った経絡の知識が論語時代にあったかとなると疑問で、最古の経絡書『黄帝内経』は前漢代の成立。しかも当の論語に、孔子が病気になった際、子路は祈祷で直そうとしている(論語述而篇34)。従って本章の「巫醫」を、巫女と医者に分けるのは合理的でない。
易については、中国古代では亀の甲羅や鹿の骨を使った占いの方が先行した。殷王朝が神権政治であり、そこでは甲羅や骨に焼け火箸を押し付け、出来たひび割れで神意を伺ったとされる。しかし吉凶の判断は王自身が行い、極めて恣意的で、かつあまり当たらなかったようだ。
論語時代も骨占いは残ったが、「甲羅が焦げてしまった」などの記述が『春秋左氏伝』に見え、あまり当てにされていなかったらしい。一方筮竹を操って天意を問う易は、しばしば『左伝』に見えるのみならず、論語時代の晋の実力者・趙簡子でさえ当てにしている。
趙簡子は政治のためならどんなことでもやってのける合理主義者だったが、勝ちに乗じて軍を転進させてはと提案されて、「占っていないからやらない」と言っている。論語時代、趙簡子以外の諸国の政治家も、また易に信頼を置いたことは、同じく『左伝』に見られる。
その中で孔子は、四十代の終わり頃になってやっと『易』を入手し、勉強を始めたことが論語述而篇16に見える。残念ながら偽作の章で、孔子ほどの学問熱心が、四十の終わりにならないと易の本を手に出来なかったとは考えがたい。
当時の『易』が現存する『易経』と同一でないことは明らかだが、『易経』から想像する限り、それは当時なりの数理であって、客観性を持っていた。従って占いに客観性を持たせるには占う者自身が客観的でなければならず、つまりは不動心・恒常心が必要だった。
余話
(思案中)
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