論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「若聖與仁、則吾豈敢。抑爲之不厭、誨人不倦*、則可謂云爾已矣。」公西華曰、「正唯弟子不能學也。」
校訂
武内本
唐石経惓倦に作る。
定州竹簡論語
子曰:「若聖與仁,則吾幾a敢?印b為之不厭。誨人不卷c,則183……已矣。」公西華曰:「誠d唯弟子弗e能學也。」184
- 幾、今本作「豈」。二字可通。
- 印、今本作「抑」。『説文』云、「抑従反印」、作「印」誤。
- 卷、今本作「倦」。
- 誠、阮本作「正」、鄭注云「魯読”正”為”誠”、今従古」、則”誠”従魯。
- 弗、今本作「不」。
→子曰、「若聖與仁、則吾幾敢。印爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。」公西華曰、「誠唯弟子不能學也。」
復元白文
※仁→(甲骨文)・矣→以・誠→正。論語の本章は、也の字を断定で用いている可能性がある。少なくとも公西華の発言には、戦国時代以降の儒者による捏造の疑いがある。
書き下し
子曰く、聖與仁との若きは、則ち吾幾敢てせむや。印之を爲びて厭はず、人を誨へて倦まざるは、則ち謂ふ可しと云爾ひて已む矣。公西華曰く、誠に唯。弟子學ぶこと能はざる也/也。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「万能と貴族らしさは、全く私にはなろうとしてなれない。それでもこれらを学んで嫌がらず、人を教えて飽きないことだけは、出来ると言ったりしたりする事ができるだけだ。」公西華が言った。「全くそうですね。私は学ぶことが出来ませんねえ。」
意訳
孔子「私が聖人・仁者だって? とんでもない。ただその道を学んで教えるだけは、やってるつもりだ、としか言えぬ。」
公西華「仰る通りですが、私ら弟子にはそれすら真似できないのですよ。」
従来訳
先師がいわれた。――
「聖とか仁とかいうほどの徳は、私には及びもつかないことだ。ただ私は、その境地を目ざして厭くことなく努力している。また私の体験をとおして倦むことなく教えている。それだけが私の身上だ。」
すると、公西華がいった。――
「それだけと仰しゃいますが、そのそれだけが私たち門人には出来ないことでございます。」
現代中国での解釈例
孔子說:「如果說到聖人和仁人,我豈敢當?不過,永不滿足地提高修養,不厭其煩地教育學生。則可以這麽說。」公西華說:「這正是我們做不到的。」
孔子が言った。「もし聖人や仁者について言うなら、私はなれているか?いやとんでもない。自己修養にこれでいいのだと慢心しない、面倒くさい弟子の教育にあきない。といったようなことについては、出来ると言える。」公西華が言った。「それはまさしく我らができないことだ。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
聖・仁
(金文)
論語での「聖」は神に近い神聖ではなく”万能”。詳細は論語語釈「聖」を参照。
「仁」は一般に論語における最高の人徳とされるが、孔子の生前では、道徳的な意味は全くない。単に弟子が目指すべき”貴族(らしさ)”。説教臭い意味が付け加わったのは、孔子没後から一世紀のちに現れた孟子からである。詳細は論語における「仁」を参照。
豈(キ)→幾
強調の助辞。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はkʰi̯ərで、同音は存在しない。藤堂説では、「其」と音通するという。詳細は論語語釈「豈」を参照。
「幾」には「あに~ならんや」と読み、「どうして~であろうか(まさかそのようなことはあるまい)」と訳す語法がある。強い肯定となる反語の意を示す。詳細は論語語釈「幾」を参照。
抑→印
(篆書)
論語の本章では”それでも”。『大漢和辞典』の第一義は”押さえる”。詳細は論語語釈「抑」を参照。
「印」もまた判子のように”上から押さえつけること”であり、共に話を一度おさえて、話題や内容を転換する意を示す。上掲『定州竹簡論語』が言うような、誤字ではない。
[会意]爪(そう)+卩(せつ)。〔説文〕九上に「執政持する所の信なり」とし、字を爪と卪(卩)とに従い、卪を節にして印璽(いんじ)、これを爪でおさえて押捺(おうなつ)する意とする。次条に「卬は按なり」とし、「反印に從ふ」とするが、卬は抑の初文。それならば印も人をおさえる形で、印璽とは関係がない。爪は指先。手で人を上からおさえる形。印璽は後起の義。
「反印に從ふ」とは、”ひっくり返った印の字である”という意味。「抑」は扌+卬で、”卬を行う”の意だが、白川説では「卬」は「抑」の古形であり、卪=卩は”人の跪いた形”と解するから、印=爪+卪も、”手で人を押さえる”というわけ。
厭(ヨウ・エン)
(金文)
論語の本章では”いやがる”。『大漢和辞典』の第一義は”押さえる”。『学研漢和大字典』による原義は、脂っこい食物にもたれること。詳細は論語語釈「厭」を参照。
誨(カイ)
(金文)
論語の本章では”おしえる”こと。知識が無く暗い者に、明かりを付けるように教える事。詳細は論語語釈「誨」を参照。
倦(ケン)→惓(ケン)
「倦」(篆書)
論語の本章では”うんざりして飽きる”。「惓」の字は『説文解字』にすら載っていない。カールグレン上古音は不明。本章に限れば、唐石経の改竄は正しいと思われる。「倦」の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はghi̯wanで、同音に権・巻など多数。巻に”あきる”の語釈があり、論語時代以前の金文に存在する。詳細は論語語釈「倦」を参照。
云爾已矣(しかいひてやむなり/しかいふのみ)
(金文)
従来の解説では、「爾已矣」三文字で”のみ”と読み、詠嘆のこもった強い限定を示すとする。すると「云」が宙に浮く。そこでそれは「置き字だ」とか言って、なかったことにする。実に図々しいご都合主義で、古墳時代以来の、おじゃる公家どもの怠慢を引きずっているだけ。
「云爾」は「のみ」「しかいう」などと読み下し、「上の文を収める辞」とか辞書に書いてある。なんじゃそりゃ、日本語にせえよ、と言いたくなるのは訳者だけだろうか。”とか言った”・”などと言った”の意。「已矣」は強い断定で、「のみ」と読み下される。愚直に読み下せば、「やむなり」。”…だけだ”の意。
論語語釈「云」・論語語釈「爾」・論語語釈「已」・論語語釈「矣」も参照。
正→誠
「誠」の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はȡi̯ĕŋ(◌̥は無声音、◌̯は音節副音=弱い音を示す)で同音に成・盛・城。「正」のカ音はȶi̯ĕŋで、近音と言えるし音通すると判断する。詳細は論語語釈「正」を参照。
唯(イ)
(金文)
論語の本章では、”はい”という普通の返事を言う。論語時代のYesに当たる言葉としては、ほかに「諾」(音はダク)があり、こちらも目上に対して使う。目下に対しては、「可」(よし、と読む)がある。詳細は論語語釈「唯」を参照。
公西華
(金文)
論語では、礼服の着こなしが立派で、使者に向いていると表された弟子。詳細は論語の人物:公西赤子華を参照。
正唯
武内本に「正は誠なり、唯は為と同じ」とある。
論語:解説・付記
論語の本章で孔子が言っていることは、実質的に論語述而篇(2)と同じであり、それをもとに、後世になって公西華の活躍が全くないことに不満を持った公西華派がでっち上げたか、哀れに思った孟子か漢帝国の儒者が、枯れ木も山の賑わいということで、ねじ込んだのだろう。
ただし公西華派の存在は、戦国時代末期に荀子が儒家他派閥の悪口をまとめて書いたのにも載っていないから、そんなものは無かっただろう。この論語述而篇は、孔子の発言ではなく弟子の回想録が多いから、孟子か漢帝国の儒者のしわざで論語を膨らませたその結果である。
論語の本章はざっと流し読むと、老人の愚痴と弟子のおべんちゃらで、読んでも面白くない。もっとほかに入れてもいい言葉はなかったのだろうか、と思うが、論語の教説の中心である、仁とは何かを知るのに非常に重大な言葉。孔子ですら「私は仁者でない」と言っている!
出来もしないことを教えているのか、と言いたくなるが、事実は全くその通りで、しかも理由がある。仁とは孔子が社会の底辺からはい上がる過程で、あこがれるようにして夢想した理想の貴族像だから、届いたかと思えばまだ先にあるという、移動式サッカーゴールの如きもの。
それはあこがれだからで、あこがれは手に入ってしまえばたちまち色あせる。まさに理想の異性と同じで、一夜を共にしてがっかりした経験は誰にでもあるだろう。孔子は弟子と共に、生涯を掛けて仁者を目指した人で、その意味に限ってはとてつもない理想家で、夢想家だった。
だが別の視点から見れば、本章は孔子の痛恨の言葉で、政界では結局失敗者だった、という述解と取れる。社会の底辺から身を起こして宰相格になったのは驚天動地の大出世だったが、おまわりをうろつかせて庶民に嫌われ、根城を壊して貴族の反感を買った。結果、国を追い出された。だから「ワシのようになってはいかんよ」という若者への教訓とも受け取れる。