論語詳解152述而篇第七(5)甚だしいかな吾が衰え°

論語述而篇(5)要約:論語は前半・後半で、全く別の本の合冊と言われます。述而篇がつまらないのは、編集した弟子にもそろそろネタ切れで、「そう言えばああだった」という、弟子たちだけの楽屋ネタが多くなったのが原因と思われます。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「甚矣、吾衰也。久矣、吾不復夢見周公*。」

校訂

武内本

清家本により、文末に也の字を補う。

復元白文

子 金文曰 金文 論語 甚 金文已 矣金文 吾 金文論語 衰 金文也 金文 旧 金文已 矣金文 吾 金文不 金文復 金文夢 金文見 金文周 金文公 金文

※矣→已・久→舊。

書き下し

いはく、はなはだしいかなおとろへたるひさしきかなわれゆめみて周公にまみゆるをふたたびせざる。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 ぼんやり
先生が言った。「はなはだしいな、私の衰えは。長くなったな、私がもう夢で周公のお目に掛からなくなってから。」

意訳

論語 孔子 寝る 論語 周公旦

どうも歳を取るといかん。ずいぶん長いこと周公の夢を見なくなった。

従来訳

論語 下村湖人
 先師がいわれた。――
「私もずいぶん老衰したものだ。このごろはさっぱり周公の夢も見なくなってしまった。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「我衰老得多嚴重啊!很久沒再夢見周公了。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「私の老衰は激しくなったな!非常に長い間改めて周公の夢を見なくなってしまった。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

甚(ジン)

論語 甚 金文 論語 甚
(金文)

論語の本章では”はなはだしい”。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、匹とは、ペアをなしてくっつく意で、男女の行為を示す。甚は「甘(うまい物)+匹(色ごと)」で、食道楽や色ごとに深入りすること。深・湛(タン)(深く水をたたえる)・探(深く手を入れてさぐる)・貪(タン)(深入りしてむさぼる)などと同系のことば、という。詳細は論語語釈「甚」を参照。

矣(イ)

論語 矣 金文大篆 論語 見返り美人図 矣
(金文)

論語の本章では、詠嘆の言葉として用いられている。原義は人の振り返った象形で、断定を意味する。孔子在世当時に無い字だが、恐らく論語の当時は「已」と書かれていただろう。詳細は論語語釈「矣」を参照。

衰(スイ)

論語 衰 金文 論語 衰
(金文)

論語の本章では”衰える・老衰する”。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「衣+みのの垂れたさま」で、みののように、しおたれたの意を含む。力なく小さくしおれること。蓑(サイ)(みの)の原字。砕(サイ)(小さい)・摧(サイ)(小さくくだく)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「衰」を参照。

論語では病気と老いとを区別しておらず、老いは病気の一種と捉えられていた。

論語 久 金文 久 解字
(金文)

論語の本章では”~が続く”。原義は人を後ろからつっかい棒で支える姿で、”ひさしい・ながい”という伝統的な語釈は、「旧」と音が通じて後世に生まれた語義。最古の古典である論語に適用していいかは慎重に検討すべき。詳細は論語語釈「久」を参照。

吾不復夢見周公

論語 夢 甲骨文 論語 夢
「夢」(甲骨文)

論語の本章では、”私は周公の夢を二度と見なくなった”。

「夢」は論語では本章のみに登場。『学研漢和大字典』によると会意文字で、上部は、蔑(ベツ)(細目)の字の上部と同じで、羊の赤くただれた目。よく見えないことをあらわす。夢は、それと冖(おおい)および夕(つき)を合わせた字で、夜のやみにおおわれて、物が見えないこと。

『字通』によると会意文字で、萈(かん)+夕(せき)。萈は媚蠱(びこ)などの呪儀を行う巫女の形。目の上に媚飾を施している。その呪霊は、人の睡眠中に夢魔となって心をみだすもので、夢はそのような呪霊のなすわざとされた。〔説文〕は夕部七上に夢を録して「明らかならざるなり」と夢夢の意を以て解し、また㝱部七下に㝱を録して「寐(い)ねて覺むること有るなり」という。夢夢の義は瞢(ぼう)、〔説文〕四上に「目明らかならざるなり」とあるものがその字義にあたる。〔周礼〕に夢に㝱の字を用い、〔春官、占夢〕に「六㝱の吉凶を占ふ」として、その法をしるしている。㝱は神霊の啓示として睡眠中にあらわれるもので、媚女がその呪霊を駆使した。それで字は瞢に従う。瞢の廟中にある姿を寛という。しどけなき姿をしていたのであろう。歳終に堂贈(どうそう)という大儺(たいだ)の礼を行い、夢送りの行事をして年間の悪夢を祓(はら)った。夢魔に逢って、にわかに没することを薨(こう)という。貴人にその死にざまが多かったのであろう、という。

「復」は”ふたたび”。詳細は論語語釈「復」を参照。

周公

論語 周公旦
論語の本章では、周公旦。姓は姫、名は旦。周王朝開祖の文王の四男で、事実上の初代武王の弟。魯に封じられ(=領地を与えられ)たが、武王が早くに死んだので、まだ幼かった後継の成王の補佐を、燕に封じられた召公(ショウコウ)と共に行った。

副都洛邑ラクユウを建設し、叛乱を鎮圧し、礼法を定めたとされる。

孔子にとっては文武両道の政治家で周の文化の開祖であり、聖人として崇めていた。

論語:解説・付記

周公はおそらく、孔子在世中には最古の聖人として崇められた人物。堯舜といったそれより古い聖王は、孔子没後に諸学派の抗争の中で、互いに屋上屋を架すからくりで次々とでっち上げられた人物で、ゆえにその伝承は人間離れしている上に、非常に似通っている。

孔子の生国魯は、周公の子が開祖とされ、周公は周の開祖武王の弟という事になっている。早世した武王を補佐し、その没後は二代成王を補佐した名臣という事になっている。孔子にとって理想の貴族=仁者であり、論語における仁を考える上では欠かせない人物。

ただし後世のでっち上げ伝説があまりに多く貼り付けられており、その史実を明らかにするのは容易なことではない。現代の中共政府でさえ、ニセモンのホンモン化計画を国家プロジェクトとして行ったほどの呆けぶりだから、とうてい一個人の研究対象にならない。

せめての比較材料として、似たような人物で時代が下るのに、清朝の開祖ヌルハチの子、ドルゴンがおり、二代君主で兄のホンタイジの没後、幼君順治帝の摂政を長く務めた。引退は穏やかでなく、狩猟中の事故死という事になっている上、近親には過酷な処罰が行われた。

要するに権力の委譲とは、そう明るい話にはならないと言うことだが、周公と成王の場合は結婚式の新郎新婦紹介みたいなぬるい話になっている。周公の同僚だった太公望が斉に引き籠もった事を考えると、そんな日当たりのいい話では無かったと考えるのが妥当だろう。

さて本章から取れる情報は、孔子が周公を慕っていた、ということだけである。架空の事物が夢に出てきたことのない訳者には、孔子の気持ちは想像するしかない。「他人の夢の話ほど聞いてつまらないものはない」と聞いたことがあるが、それは孔子であっても変わらない。

弟子たちはそれでもこれをメモに残し論語に載せたと考えるべきなのか、枯れ木も山の賑わいで入れたのか。もし有力な説の言う通り、論語の前半は曽子→孟子派の影響が強いとすると、枯れ木に山と言うより、孔子の神格化のために載せたように感じる。

それを敏感にかぎ取って後世笑い話にした話は、論語公冶長篇9に記した。孔子が周公を礼法の祖と崇めた理由は、こんにちもう伝わらない記録に、周公曰く、で始まる礼法書があったのかも知れない。しかしそれが論語にいう礼と一致するかどうかは、訳者にはわからない。

だが恐らく一致しないだろう。以下は想像だが、孔子はあこがれの人物像として仁者を想像したからには、入手できるあらゆる古記録から、仁者にふさわしいスペックを貼り付けていったと思うからだ。例えば『史記』でのシュンのように、家族に殺されかけても笑顔だったとか。

仁者もまた孔子の夢想である以上、それを体現した顔回の人となりも、想像する手がかりがない。夢の話を言葉に置き換えようとして、歴代の儒者は頭を絞ったが、それは所詮、その儒者の想像に過ぎない。従って顔回の実像を、現伝の『礼記』類からは復元できないだろう。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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