論語の人物:公西赤子華(こうせいせき・しか)

装束の着こなしが立派な謙虚で若き賓客応接役適任の弟子

至聖先賢半身像「公西赤」
国立故宮博物院蔵

略歴

BC509-?。孔子の弟子。姓は公西、名は赤、字は子華。魯の出身。『史記』『孔子家語』によれば孔子より42年少。『孔子家語』によれば魯国出身。孔子の直弟子の中でも若手で、衣冠を正して外交使節を務める才があると言われ、比較的裕福な家の出と思われる記述が論語にある。

論語での扱い

公冶長篇で「衣冠を正して国賓の応対をさせるにはいい」と孔子に評され、雍也篇では斉国への使いに出ている。先進篇では控えめに、「国際会議の下っ端役を務めます」と言っているから、孔子に対しては控えめな人物だったのだろう。

人となりは「仁であるかどうか分からない」と孔子に言われているが、馬子にも衣装だけで外交使節が務まったとは思えず、それなりに弁舌の才はあったと思われる。だが自ら弟弟子に説教を垂れる人柄ではなく、地味で控えめな弟子だったと想像する。

『小載礼記』檀弓上によれば、孔子の葬儀に立ち会い、周の礼法に従って、棺を飾り死に装束を整えた。

他の典籍での扱い

儒学関係にいくつか、礼法に関する孔子との問答を載せる。またいくつかの典籍に共通して、「賓客の礼は公西赤に学べ」と弟子が囃したとあるから、身なりが整い、客の応対でしくじりをやらない人物ではあったようだ。

論語での発言

1

先生は子路さんには「控えめにやれ」と言い、冉求さんには「どんどんやれ」と仰いましたが、一体どっちが正しいのですか?(先進篇)

2

仕事を全うできるとは思いませんが、国公の祖先祭や諸侯との会盟の際、実地に学びつつ、黒絹の礼服、黒色の冠を着けて、下働きをしましょう。(先進篇)

論語での記述

  1. 孟武伯問、「子路仁乎。」子曰、「不知也。」又問、子曰、「由也、千乘之國、可使治其賦也。不知其仁也。」「求也何如。」子曰、「求也、千室之邑、百乘之家、可使爲之宰也。不知其仁也。」「赤也何如。」子曰、「赤也、束帶立於朝、可使與賓客言也。不知其仁也。」(公冶長篇)
  2. 子華使於齊、冉子爲其母請粟。子曰、「與之釜。」請益、曰、「與之庾。」冉子與之粟五秉。子曰、「赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘。吾聞之也、君子周急不繼富。」原思爲之宰、與之粟九百、辭。子曰、「毋。以與爾鄰里鄕黨乎。」(雍也篇)
  3. 子曰、「若聖與仁、則吾豈敢。抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。」公西華曰、「正唯弟子不能學也。」(述而篇)
  4. 子路問、「聞斯行諸。」子曰、「有父兄在、如之何其聞斯行之。」冉有問、「聞斯行諸。」子曰、「聞斯行之。」公西華曰、「由也問、『聞斯行諸。』子曰、『有父兄在。』求也問、『聞斯行諸。』子曰、『聞斯行之。』赤也惑、敢問。」子曰、「求也退、故進之。由也兼人、故退之。」(先進篇)
  5. 子路、曾皙、冉有、公西華侍坐。子曰、「以吾一日長乎爾、毋吾以也。居則曰、『不吾知也。』如或知爾、則何以哉。」子路率爾而對、曰、「千乘之國、攝乎大國之閒、加之以師旅、因之以饑饉、由也爲之、比及三年、可使有勇、且知方也。」夫子哂之。「求、爾何如。」對曰、「方六七十、如五六十、求也爲之、比及三年、可使足民。如其禮樂、以俟君子。」「赤、爾何如。」對曰、「非曰能之、願學焉。宗廟之事、如會同、端章甫、願爲小相焉。」「點、爾何如。」鼓瑟希、鏗爾、舍瑟而作。對曰、「異乎三子者之撰。」子曰、「何傷乎。亦各言其志也。」曰、「莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人。浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。」夫子喟然歎曰、「吾與點也。」三子者出、曾皙後。曾皙曰、「夫三子者之言何如。」子曰、「亦各言其志也已矣。」曰、「夫子何哂由也。」曰、「爲國以禮、其言不讓、是故哂之。」「唯求則非邦也與。」「安見方六七十、如五六十、而非邦也者。」「唯赤則非邦也與。」「宗廟會同、非諸侯而何。赤也爲之小、孰能爲之大。」(先進篇)

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コメント

  1. […] 神事では厳しく自分を祓い清め、神を畏れ敬うことが出来、外交ではこちらの意図を分からせつつ、礼儀作法にかない、殿様方の間をうまく取り持ち、たいそう上品で作法にキビキビしている。これが公西赤コウセイセキ子華シカの行いです。先生は子華に作法を教えてこう言いました。 […]