論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。」
校訂
定州竹簡論語
……」[黑而職a,學b不厭,誨人不]卷c,何有於我哉?」139
- 黑而職、今本作「默而識之」。『釋文』云、「默、俗作嘿」。默也通黑、見『爾雅』釈器。職、識二字経典中互作。
- 今本「學」字下有「而」字。
- 巻、今本作「倦」。巻借為倦。
→子曰、「黑而職、學不厭、誨人不卷、何有於我哉。」
復元白文
書き下し
子曰く、默し而職し、學びて厭はず、人を誨へて卷まざる、何ぞ我於有らむ哉。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「黙って記し、学んで嫌がらず、人を教えて飽きない。私に何があるだろうか。」
意訳
文句を付けず過去の文化をよく書き残し、学んで嫌がらず、人を教えて飽きない。こんな事は私にとって、何でもない。
従来訳
先師がいわれた。――
「沈默のうちに心に銘記する、あくことなく学ぶ、そして倦むことなく人を導く。それだけは私に出来る。そして私に出来るのは、ただそれだけだ。」
現代中国での解釈例
孔子說:「將知識默記在心,學習時,不感到滿足;教人時,不感到疲倦,對我來說沒什麽問題。」
孔子が言った。「知識を黙って心に記し、学んでも、満足しない。人に教えるとき、疲れを感じない。私にとっては、何の問題でも無い。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
默/黙→黑/黒
(金文大篆)
論語の本章では”異議を言わない”。論語では本章のみに登場。初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はməkで、同音に墨、纆”なわ”。墨の字に”だまる”の語義があるが、初出は戦国時代早期の金文で、論語の時代に存在したと断定できない。「毎」”暗い”wəɡと近音。
本章では語義をただ”黙る”と取るか、”言葉=異議を発しない”と取るかで訳は変わる。前者なら従来訳の通りとなり、後者なら意訳のようになる。ここでは前章の「述べて作らず」と合わせ考えて、意訳の通りとした。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「犬+〔音符〕黑(くらい、わからない)」。黑(=黒。くろい)・晦(暗い、よくわからない)・謀(どうしたらよいかわからない→さぐり求める)と同系のことば、という。
『字通』によると形声文字で、声符は黒(こく)。黒に墨(ぼく)の声があり、その古音であったらしい。〔説文〕十上に「犬、暫く人を逐ふなり」とあり、〔唐本説文〕に「犬、潛(ひそ)かに人を逐ふなり」に作る。犬が黙って人を追うことから、その字を作るとするのは疑問とすべく、この字は喪事に犬牲を用いることを示す字であろう。〔国語、楚語上〕「三年默して以て道を思ふ」とは諒闇(りようあん)三年の服喪をいう。〔論語、憲問〕「高宗(殷の武丁)諒陰(りやうあん)、三年言(ものい)はず」とあり、服喪の三年間、ものいうことはタブーであった。犬牲はその修祓のために用いたものであろう、という。
黑/黒の初出は甲骨文。”だまる”の語釈は『大漢和辞典』に無いが、定州論語のような物的証拠がある以上、黙→黒を認めざるを得ない。カールグレン上古音は黙mək→黒xməkで、語頭のxは落ちうるのだろう。
識→職
「識」のカールグレン上古音は、”しる”ではɕi̯ək、”しるす”ではȶi̯əɡ、「職」はȶi̯əɡ。この部分の読みは恐らく、”しるす”である。詳細は論語語釈「識」を参照。
「職」は論語では本章のみに登場。”詳しく記す”の語釈を『大漢和辞典』が載せている。
之(シ)
(甲骨文・金文)
論語の本章では、直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持たない。あえて意訳すれば、直前の動詞を強調して、”よく…する”に相当する。詳細は論語語釈「之」を参照。
誨(ケ・カイ)
(金文)
論語の本章では”教える”。毎=物事に暗い人を、言=言葉で教え諭そうと努力すること。詳細は論語語釈「誨」を参照。
倦→卷
論語の本章では”あきる”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はghi̯wanで、同音に権・巻など多数。巻に”あきる”の語釈があり、論語時代以前の金文に存在する。詳細は論語語釈「倦」を参照。
何有於我哉
「何」の解釈によってこの句の訳は変わる。前句までの内容=何なら従来訳の通りとなり、”何の苦労”ととれば意訳のようになる。どちらでもいいと思う。
論語:解説・付記
孔子が「黙ってよく書き記し、学んで嫌がらず、人を教えて飽きない」のはその通りで、前章の「述べて作らず」と合わせ、孔子の言葉の信憑性を裏付ける決まり文句になっている。しかしだからといって、孔子が作り事をしないわけではない。こんな例もある。
晋国の筆頭家老に趙盾(チョウジュン、チョウトンとも)という人がいて、幼くして国君になった霊公の守り役だった。成長した霊公は手の着けられないバカ殿になり、諌めた趙盾を殺そうとした。人望のあった趙盾はさまざまな人の助けを借りて逃亡したが、国境を越える手前で霊公が暗殺された。急いで都城に戻った趙順を、史官の董狐(トウコ)が書いて、でかでかと朝廷に貼り出した。いわく、「趙盾が主君の霊公を殺した。」
趙盾「なんだこれは。でたらめじゃないか。書き直しなさい。」
董狐「いいえ。あなたは宰相で、暗殺の時、国境を越えていませんでした。都城に戻っても、下手人を処刑していません。これはあなたの責任です。だからあなたが殺したも同然です。」
趙盾「やれやれ。何と言うことだ。”心を込めた行いが、かえって身のあだになる”とは私のことだ。」
孔子「いにしえの董狐は見上げた史官だ。法を守って隠さず書いた。趙盾も立派だが、法には従わなければならない。国境を越えなかったのが残念だ。」(『春秋左氏伝』宣公二年)
『春秋左氏伝』の筆者がいきさつを記さなかったら、趙盾は主君を殺した悪人として伝わったことになる。孔子の言う「述べて作らず」はこのでんで、史実と受け取っていいかは注意が必要。また孔子にとっての法とは、成文法ではなく運用者の勝手にできるものだった。
詳細は論語における「法」を参照。
コメント
[…] 後世の儒者は、孔子は聖人であって生まれつき何でも知り何でも出来たから、何事も学ばないで知りたもうたのに、「学んで厭わず」とのたまったのは、人を励ます謙遜の言葉だという。これは大きな間違いだ。全て礼楽は学びごとであって、師匠の教えが無ければ、聖人も知りたまうことが出来ないのだ。 […]