論語詳解128雍也篇第六(11)賢なる哉回や*

論語雍也篇(11)要約:顔回は孔子先生の最も優れた弟子。貧乏も気にせず、人生を楽しんでいました。先生はそれを見て、とてもかなわない、年下の弟子であろうと顔回には、自分にも及ばないところがあると畏敬した、という作り話。

このページの凡例このページの解説

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「賢哉回也。一簞食、一瓢飮、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其樂。賢哉回也。」

校訂

定州竹簡論語

曰:「賢哉,回也!一單a食,一120……

  1. 單、今本作「簞」。單借為簞。

→子曰、「賢哉回也。一單食、一瓢飮、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其樂。賢哉回也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 賢 金文哉 金文回 金文也 金文 一 金文単 金文食 金文 一 金文飲 金文 在 金文巷 金文 人 金文不 金文其 金文憂 金文 回 金文也 金文不 金文改 金文其 金文楽 金文 賢 金文哉 金文回 金文也 金文

※論語の本章は上記の赤字が論語の時代に存在しない。「單」「巷」「其」の用法に疑問がある。本章は漢帝国の儒者による創作である。

書き下し

いはく、けんなるかなくわい。一たん、一ぺういん陋巷ろうかうり。ひとうれひへず、くわいたのしみあらためず。けんなるかなくわい

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

孔子 顔回
先生が言った。「えらいなあ、回は。竹茶碗一杯の飯に、ふくべ一つの飲み物で、いやしい横町に住んでいる。人はその不自由に我慢できないが、まことに回はそれを楽しんで止めない。賢いなあ、回は。」

意訳

孔子 人形 顔回大明神
顔回は大したものだ。一膳めしに茶碗一杯の水を飲み、スリや刃傷沙汰が絶えない貧民街に住んでいるのに、朗らかに生活している。全く大したものだ。

従来訳

下村湖人
先師がいわれた。――
(かい)は何という賢者だろう。一膳飯に一杯酒で、裏店(うらだな)住居といったような生活をしておれば、たいていの人は取りみだしてしまうところだが、囘は一向平気で、ただ道を楽み、道にひたりきっている。囘は何という賢者だろう。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「顏回真賢德!一籃飯,一瓢水,在陋巷,人人都愁悶,他卻樂在其中。顏回真賢德!

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「顔回はまことに賢者の徳を備えている。ひとかごの飯、ひとふくべの水を飲み食いし、貧民街に住んでいる。人々はその苦痛に耐えられないが、彼は却ってそれを楽しんでいる。顔回はまことに賢者の徳を備えている。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

子曰(シエツ)(し、いわく)

論語 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

子 甲骨文 曰 甲骨文
(甲骨文)

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

賢(ケン)

賢 金文 賢 字解
(金文)

論語の本章では”偉い”。初出は西周早期の金文。字形は「臣」+「又」+「貝」で、「臣」は弓で的の中心を射貫いたさま、「又」は弓弦を引く右手、「貝」は射礼の優勝者に与えられる褒美。原義は”(弓に)優れる”。詳細は論語語釈「賢」を参照。

哉(サイ)

𢦏 金文 哉 字解
(金文)

論語の本章では”…だなあ”。詠歎の意を示す。初出は西周末期の金文。ただし字形は「𠙵」”くち”を欠く「𢦏サイ」で、「戈」”カマ状のほこ”+「十」”傷”。”きずつく”・”そこなう”の語釈が『大漢和辞典』にある。現行字体の初出は春秋末期の金文。「𠙵」が加わったことから、おそらく音を借りた仮借として語気を示すのに用いられた。金文では詠歎に、また”給与”の意に用いられた。戦国の竹簡では、”始まる”の意に用いられた。詳細は論語語釈「哉」を参照。

回(カイ)

顔回

論語の本章では、孔子の弟子、顔回子淵のこと。BC521ごろ – BC481ごろ。いみなは回、あざなは子エン。顔淵ともいう。詳細は論語の人物・顔回子淵を参照。またもっと侮れない顔氏一族も参照。

亘 回 甲骨文 回 字解
「亘」(甲骨文)

「回」の初出は甲骨文。ただし「セン」と未分化。現行字体の初出は西周早期の金文。字形は渦巻きの象形で、原義は”まわる”。詳細は論語語釈「回」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「や」と読んで主格の強調に用いている。訳は”こそは”・”なんと”。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

本来は「回也賢哉」と言うべき所、「賢哉回也」と倒置して「賢」を強調している。

一(イツ)

一 甲骨文 一 字解
(甲骨文)

論語の本章では、数字の”いち”。「イチ」は呉音。初出は甲骨文。重文「壹」の初出は戦国文字。字形は横棒一本で、数字の”いち”を表した指事文字。詳細は論語語釈「一」を参照。

簞(タン)→單(タン/セン)

簞 隷書 簞 字解
(前漢隷書)

論語の本章では、”小さな弁当箱”。初出は前漢の隷書。同音に「單」(単)とそれを部品とする漢字群など。初出の字形はたけかんむりではなく「艹」+「單」で、草で編んだ「タン」と呼ばれる小さなはこを意味する。同音の「單」(単)は甲骨文から存在する。「単」に食器を意味する語釈は『大漢和辞典』に無いが、”かさなる・うすい”などの語釈があり、簞は草で作った重ねおきできる弁当箱のようなものを指すか。詳細は論語語釈「簞」を参照。

単 甲骨文 単 字解
「單」(甲骨文)

「單」の初出は甲骨文。「タン」の音で”一つ”、「セン」の音で”平らげる”を意味する。”はこ”の語義は春秋時代では確認できない。字形は猟具の一種とも言われるが詳細不明。甲骨文では氏族名・地名に用い、金文では国名に用いた。戦国の竹簡では”はばかる”、地名の「邯鄲」、”攻撃”の意に用いた。”ひとつ”の意が明記されるのは、後漢の『釈名』からになる。詳細は論語語釈「単」を参照。

食(ショク)

食 甲骨文 食 字解
(甲骨文)

論語の本章では”食べもの”。初出は甲骨文。『甲骨文の字形は「シュウ」+点二つ”ほかほか”+「豆」”たかつき”で、食器に盛った炊きたてのめし。甲骨文・金文には”ほかほか”を欠くものがある。「亼」は穀物をあつめたさまとも、開いた口とも、食器の蓋とも解せる。原義は”たべもの”・”たべる”。詳細は論語語釈「食」を参照。

瓢(ヒョウ)

瓢 篆書 瓢 字解
(篆書)

論語の本章では”ひょうたん”。初出は後漢の『説文解字』。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。同音は「飄」”つむじかぜ”と「摽」”叩く”。字形は「票」+「瓜」で、「票」は音符。原義は”ヒョウタン”。部品の「瓜」の初出は戦国早期の金文で、論語の時代にギリギリあったかどうかというところ。「票」の初出は戦国文字で、”ひょうたん”の語義は『大漢和辞典』に無い。詳細は論語語釈「瓢」を参照。

飮(イン)

飲 甲骨文 飲 字解
(甲骨文)

論語の本章では”飲みもの”。初出は甲骨文。新字体は「飲」。初出は甲骨文。字形は「酉」”さかがめ”+「人」で、人が酒を飲むさま。原義は”飲む”。甲骨文から戦国の竹簡に至るまで、原義で用いられた。詳細は論語語釈「飲」を参照。

在(サイ)

才 在 甲骨文 在 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”…に居る”。「ザイ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。初出は甲骨文。ただし字形は「才」。現行字形の初出は西周早期の金文。ただし「漢語多功能字庫」には、「英国所蔵甲骨文」として現行字体を載せるが、欠損があって字形が明瞭でない。同音に「才」。甲骨文の字形は「才」”棒杭”。金文以降に「士」”まさかり”が加わる。まさかりは武装権の象徴で、つまり権力。詳細は春秋時代の身分制度を参照。従って原義はまさかりと打ち込んだ棒杭で、強く所在を主張すること。詳細は論語語釈「在」を参照。

陋(ロウ)

陋 篆書 陋 字解
(篆書)

論語の本章では”いやしい”。初出は後漢の隷書。中国と台湾では、コード上「陋」を正字として扱っている。阝=𨸏(フ)は丸太を刻んで階段にした形、丙は祭壇などの台座、匚は箱などに入れて隠すこと。従ってたかどのに据えられた台座を隠すことで、取るべきではないいみじきものを隠し盗むこと。原義は”いやしい”。詳細は論語語釈「陋」を参照。

巷(コウ)

巷 金文 巷 字解
コウ 外字」(金文)

論語の本章では”横丁”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は戦国晩期の金文。ただし『字通』によれば、「コウ 外字」と書いて西周初期の金文にある。同音は「鬨」”たたかう”・「項」”うなじ”・「鬨」”戦う”。字形は「人」二人の間に「土」で、原義は”境界”。日本語で同音同訓の字には、論語の時代の文字が見つからない。詳細は論語語釈「巷」を参照。

人(ジン)

人 甲骨文 人 字解
(甲骨文)

論語の本章では”(世間の)ひと”。初出は甲骨文。原義は人の横姿。「ニン」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。甲骨文・金文では、人一般を意味するほかに、”奴隷”を意味しうる。対して「大」「夫」などの人間の正面形には、下級の意味を含む用例は見られない。詳細は論語語釈「人」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…でない”。漢文で最も多用される否定辞。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。初出は甲骨文。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義。詳細は論語語釈「不」を参照。現代中国語では主に「没」(méi)が使われる。

堪(カン)

堪 秦系戦国文字 堪 字解
(秦系戦国文字)

論語の本章では”我慢する”。論語では本章のみに登場。初出は戦国文字。論語の時代には存在しない。論語時代の置換候補もない。「タン」は慣用音。同音は「甚」を部品とする漢字群・「坎」”あな”など。部品の「甚」は”はげしい”の意で、”堪える”は『大漢和辞典』に見られない。字形は「土」+「甚」で、土の盛り上がったさま。原義は”土盛り”。詳細は論語語釈「堪」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”その”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。原義は農具の。ちりとりに用いる。金文になってから、その下に台の形を加えた。のち音を借りて、”それ”の意をあらわすようになった。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

憂(ユウ)

憂 金文 石川啄木 憂 字解
(金文)

論語の本章では”うれい”。頭が重く心にのしかかること。初出は西周早期の金文。字形は目を見開いた人がじっと手を見るさまで、原義は”うれい”。『大漢和辞典』に”しとやかに行はれる”の語釈があり、その語義は同音の「優」が引き継いだ。詳細は論語語釈「憂」を参照。

なお戦前の日本で「ぢっと手を見る」とか書いて謹直そうな臭いを漂わせた石川啄木は、女郎屋通いの金をその都度同窓生の金田一京助からせびり取った、家族の貧困が気にならないただの遊び人で、人格の壊れ物だったことが判明している。

改(カイ)

改 甲骨文 改 字解
(甲骨文)

論語の本章では”あらためる”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「巳」”へび”+「ホク」”叩く”。蛇を叩くさまだが、甲骨文から”改める”の意だと解釈されており、なぜそのような語釈になったのか明らかでない。詳細は論語語釈「改」を参照。

樂(ラク)

楽 甲骨文 楽 字解
(甲骨文)

論語の本章では”楽しみ”。初出は甲骨文。新字体は「楽」。原義は手鈴の姿で、”音楽”の意の方が先行する。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「ガク」で”奏でる”を、「ラク」で”たのしい”・”たのしむ”を意味する。春秋時代までに両者の語義を確認できる。詳細は論語語釈「楽」を参照。

論語:解説・付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章はほぼ全文が前漢中期成立の『史記』弟子伝に再録されている。定州竹簡論語にもあることから、前漢前半には成立していた。顔淵称揚運動を行ったのは、前漢中期の董仲舒で、いわゆる儒教の国教化と共に、顔淵を崇拝対象として重要人物に据えた。

顔回が孔子の愛弟子だったことは史実だろうが、論語を始め儒教経典で、繰り返し「偉かった。偉かった。」と讃えられるほどの人物とは考えがたい。どう偉かったか、何も伝わっていないからだ。仕官もせず没した顔回は、何一つ表立った社会的な業績を残せなかった。

だからせめて、本章のような、「何もしなかったこと」を、後世の儒者は顕彰せざるを得なかったのだろう。そうなると、本当に顔回が貧乏暮らしをしたのかということまで、疑わしくなってくる。後世の外国人である訳者さえそう思うからには、中国の知識人はなおさら。

ある人「顔回先生は、城壁近くの肥えた畑を三十ケイも持っていたのに、どうして窮死しちゃったんだろう?」
別の人「財産があるのに、これ見よがしに簞食瓢飲(タンシヒョウイン)=粗食を見せびらかしたからさ。」(『笑府』巻二、徳行

実際には顔回が何もせずに孔子に評価されたわけがなく、おそらく顔回は孔子一門の諜報部門を担っており、一門の政治活動には不可欠な人材だった(→孔門十哲の謎)。それだけに大っぴらに業績を誉めることも出来なかった。それに気付かないのは儒者が狂信者だからだ。

中国人に限ると、狂信は理性の一つでありうる。というのも、現世利益が無ければ決して狂信が起きないからだ。儒者は儒教の「センセイ」だから世間から金を吸い取れたわけで、顔淵を狂信する動機は十分にあった。

話はこれで終わりだが、「陋巷」を”スリや刃傷沙汰の絶えない貧民窟”と訳したところで、とある伝説を思い出した。本章が創作された前漢帝国での話だが、道ばたで大げんかがあって、人死にが出ているというのに、宰相から気にされなかった、という話。

吉又嘗出,逢清道群鬥者,死傷橫道,吉過之不問,掾史獨怪之。吉前行,逢人逐牛,牛喘吐舌。吉止駐,使騎吏問:「逐牛行幾里矣?」掾史獨謂丞相前後失問,或以譏吉,吉曰:「民鬥相殺傷,長安令、京兆尹職所當禁備逐捕,歲竟丞相課其殿最,奏行賞罰而已。宰相不親小事,非所當於道路問也。方春少陽用事,未可大熱,恐牛近行用暑故喘,此時氣失節,恐有所傷害也。三公典調和陰陽,職所當憂,是以問之。」掾史乃服,以吉知大體。

漢書
宰相の丙吉があるとき外出すると、貴人の露払いの者が互いに道を譲らず、大げんかになっており、道ばたで人死にが横になっている始末。ところが丙吉はそ知らぬ顔をして通り過ぎたので、お付きの者が首をかしげた。

さらに丙吉が車を進めると、牛を牽いた者に出会い、牛はあえぎながら舌を出していた。「オイ牛飼い!」と丙吉は呼び止めた。護衛の騎兵をやって、「ここまで南里連れてきた?」と問わせた。

お付き「閣下、何かお間違えではございませんか?」
丙吉「いや、まちごうておらん。民の者がケンカしているのは、町奉行が取り締まるべきで、宰相のワシは年末になってから、その裁きの善し悪しで点を付けるのが仕事じゃ。こんな道ばたのチマチマしたことに、いちいち関わってはおられん。」

お付き「ははあ、そんなものですか。」
丙吉「それより今はまだ早春で、牛があえぐほどの陽気ではあるまいし、大して道のりを行ったわけでもないのに、ああなっていたのは変事の発端とみるべきで、こよみが狂っておるのかもしれん。宰相格の者はそういう天下の大きな陰陽を司る身であるから、牛飼いを呼び止めた。」

お付き「恐れ入りましてございます。さすがは閣下でございます。」(『漢書』丙吉伝14)



関連記事(一部広告含む)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする