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論語詳解122A雍也篇第六(4)子華、斉に使いす*

論語雍也篇(4)要約:後世の創作。ある時、孔子先生は弟子の子華を隣国への使いに出しました。先生を補佐していた弟子の冉求ゼンキュウが、子華に留守宅手当の支給を求めます。弟弟子に沢山出してやりたい冉求。支給額がどんどん膨らんで…。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子華使於齊冉子爲其母請粟子曰與之釜請益曰與之庾冉子與之粟五秉子曰赤之適齊也乗肥馬衣輕裘吾聞之也君子周急不繼富

  • 「華」字:〔艹〕→〔艹〕。

校訂

諸本

  • 論語集釋:史記弟子傳「冉子」作「冉有」。

東洋文庫蔵清家本

子華使於齊冉子爲其母請粟子曰與之釜/請益曰與之庾/冉子與之粟五秉/子曰赤之適齊也乗肥馬衣輕裘吾聞之也君子周急不継富

  • 「華」字:〔艹〕→〔艹〕。

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

……冉子與之粟五秉。子曰:「赤之適齊也,乘肥馬,112……[不]繼富。」113

標点文

子華使於齊、冉子爲其母請粟。子曰、「與之釜。」請益、曰、「與之庾。」冉子與之粟五秉。子曰、「赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘。吾聞之也、君子周急不繼富。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文華 金文使 金文於 金文斉 金文 冉 金文子 金文為 金文其 金文母 金文青 金文米 甲骨文 子 金文曰 金文 与 金文之 金文缶 金文 青 金文益 金文 曰 金文 与 金文之 金文論語 臾 金文 冉 金文子 金文与 金文之 金文米 甲骨文五 金文秉 金文 子 金文曰 金文 赤 金文之 金文適 金文斉 金文也 金文 乗 金文肥 金文大篆馬 金文 衣 金文裘 金文 吾 金文聞 金文之 金文也 金文 君 金文子 金文周 金文不 金文継 金文富 甲骨文

※釜→缶・粟→米(甲骨文)・請→靑・庾→臾・肥→(金文大篆)・富→(甲骨文)。論語の本章は「釜」「輕」「急」の字が論語の時代に存在しない。「爲」「其」「之」「秉」「適」「周」の用法に疑問がある。本章は戦国時代以降、恐らくは漢帝国の儒者による創作である。

書き下し

子華しくわせい使つかひす。冉子ぜんしははためたなつものふ。いはく、これひとかまあたへよ。すをふ。いはく、これひとたはらあたへよ。冉子ぜんしこれたなつものいつつかねあたふ。いはく、せきせいうまり、かるかはごろもたり。われこれ君子よきひとせまるをすくひて、めるにと。

論語:現代日本語訳

逐語訳

公西赤 冉求 冉有
子華が斉国へ使いに出た。冉子ゼンシが子華の母のためにアワを求めた。先生が言った。「彼女に釜一つ分与えなさい。」もっと下さいと言った。先生が言った。「俵一つ分を与えなさい。」冉子は五つ分を与えた。先生が言った。「赤が斉に行く時まさに、肥えた馬に乗り、軽い皮衣を着た。私はまさにこう聞いている。身分ある情け深い教養人は(他人の)急場を救うが、富んだ者には足さないと。」

意訳

冉有 孔子 人形
公西赤が斉国へ使いに出ることになった。冉有ゼンユウが留守宅手当にアワを下さいと言った。
孔子「一日にかま一杯分やりなさい。」「一日の生活費にぎりぎりじゃないですか。少ないですよ。」「俵一つ分やりなさい。」
冉有は独断で俵五つ分を与えた。

孔子「これ冉有や。公西赤めは立派な馬車に乗って、上等な毛皮羽織を着て出て行ったぞ。昔から言うだろう、紳士は困っている者は助けるが、金持ちに追い銭はしてやらないと。」

従来訳

下村湖人
子華(しか)が先師の使者として(せい)に行った。彼の友人の(ぜん)先生が、留守居の母のために飯米を先師に乞うた。先師はいわれた。――
「五六升もやれば結構だ。」
冉先生はそれではあんまりだと思ったので、もう少し増してもらうようにお願いした。すると、先師はいわれた。――
「では、一斗四五升もやったらいいだろう。」
冉先生は、それでも少いと思ったのか、自分のはからいで七石あまりもやってしまった。
先師はそれを知るといわれた。――
(せき)は斉に行くのに、肥馬に乗り軽い毛衣を着ていたくらいだ。まさか留守宅が飯米にこまることもあるまい。私のきいているところでは、君子は貧しい者にはその不足を補ってやるが、富める者にその富のつぎ足しをしてやるようなことはしないものだそうだ。少し考えるがいい。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子華出國當大使,冉子請孔子拿點米給子華的母親。孔子說:「給一百斤。」冉子說:「給多點吧。「加四十斤。」冉子給了兩千斤。孔子說:「子華在齊國,坐豪華車,穿名牌衣,我已聽說了。君子君子衹救濟窮人,不添加財富給富人。」

中国哲学書電子化計画

子華が国外に出て大使になった。冉子が孔子に、子華の母親にいくらか穀物を与えて下さいと頼んだ。孔子が言った。「百斤(50kg)与えよ。」冉子が言った。「もう少し多く与えて下さい。」「四十斤(20kg)増やせ。」冉子は二千斤(1t)与えた。孔子が言った。「子華は斉国で、豪華な車に乗り、ブランドものの服を着ていたと私は聞いた。君子はただ困窮している人を救うのみで、富んだ者に富を加えはしない。」

※君子君子→ママ

論語:語釈

子華

BC509?ー?。孔子の弟子。姓は公西、名は赤、字は子華。見た目が立派で外交官に向いていると孔子に評された。詳細は論語の人物:公西赤子華を参照。

子 甲骨文 子 字解
「子」(甲骨文)

「子」の初出は甲骨文。字形は赤ん坊の象形で、古くは殷王族を意味した。春秋時代では、貴族や知識人への敬称に用いた。孔子のように学派の開祖や、大貴族は、「○子」と呼び、学派の弟子や、一般貴族は、「子○」と呼んだ。詳細は論語語釈「子」を参照。

華 金文 華 字解
「華」(金文)

「華」の初出は西周早期の金文。字形は満開に咲いた花を横から描いた象形で、原義は”花”。金文では地名・国名・氏族名・人名に用いた。詳細は論語語釈「華」を参照。

使(シ)

使 甲骨文 使 字解
(甲骨文)

論語の本章では”使者として出向く”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「事」と同じで、「口」+「筆」+「手」、口に出した事を書き記すこと、つまり事務。春秋時代までは「吏」と書かれ、”使者(に出す・出る)”の語義が加わった。のち他動詞に転じて、つかう、使役するの意に専用されるようになった。詳細は論語語釈「使」を参照。

於(ヨ)

烏 金文 於 字解
(金文)

論語の本章では”~に”。初出は西周早期の金文。ただし字体は「烏」。「ヨ」は”…において”の漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)、呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)は「オ」。「オ」は”ああ”の漢音、呉音は「ウ」。現行字体の初出は春秋中期の金文。西周時代では”ああ”という感嘆詞、または”~において”の意に用いた。詳細は論語語釈「於」を参照。

齊(セイ)

斉 金文 斉 字解
(甲骨文)

論語の本章では”斉国”。初出は甲骨文。新字体は「斉」。「サイ」は慣用音。甲骨文の字形には、◇が横一線にならぶものがある。字形の由来は不明だが、一説に穀粒の姿とする。甲骨文では地名に用いられ、金文では加えて人名・国名に用いられた。詳細は論語語釈「斉」を参照。

冉子(ゼンシ)

冉 甲骨文
「冉」(甲骨文)

孔子の弟子、冉求子有のこと。ここでは冉子=冉先生と敬称になっている。それを含め冉有について詳細は論語の人物:冉求子有を参照。

「冉」は日本語に見慣れない漢字だが、中国の姓にはよく見られる。初出は甲骨文。同音に「髯」”ひげ”。字形はおそらく毛槍の象形で、原義は”毛槍”。春秋時代までの用例の語義は不詳だが、戦国末期の金文では氏族名に用いられた。詳細は論語語釈「冉」を参照。

論語集釋』が指摘する通り、『史記』弟子伝では「冉子」の表記にゆれがある。

欽定四庫全書本 爲其母請粟 與之粟五秉
武英殿二十四史本
南宋本(現存最古の『史記』)

「冉子爲其母請粟」の部分は定州竹簡論語から欠損している。ただし隋末には日本に伝わったと見られる古注は「冉爲其母請粟」「冉與之粟五秉」とどちらも「冉子」と記しているので、校訂しなかった。

爲(イ)

為 甲骨文 為 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…のために”。この語義は春秋時代では確認できない。新字体は「為」。字形は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”ある”や人名を、金文の段階で”作る”・”する”・”~になる”を意味した。詳細は論語語釈「為」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”その”という指示詞。初出は甲骨文。原義は農具の。ちりとりに用いる。金文になってから、その下に台の形を加えた。のち音を借りて、”それ”の意をあらわすようになった。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

母(ボウ)

母 甲骨文 母 字解
(甲骨文)

論語の本章では”母”。初出は甲骨文。「ボ」は慣用音。「モ」「ム」は呉音。字形は乳首をつけた女性の象形。甲骨文から金文の時代にかけて、「毋」”するな”の字として代用もされた。詳細は論語語釈「母」を参照。

請(セイ)

請 金文 請 字解
(戦国金文)

論語の本章では”もとめる”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は部品の「靑」(青)。字形は「言」+「靑」で、「靑」はさらに「生」+「丹」(古代では青色を意味した)に分解できる。「靑」は草木の生長する様で、また青色を意味した。「請」では音符としての役割のみを持つ。詳細は論語語釈「請」を参照。

粟*(ショク)

粟 燕系戦国文字 粟 字解
(燕系戦国文字)

論語の本章では”穀物”または”アワ”。初出は燕系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は部品の「米」。「ゾク」は慣用音、「ソク」は呉音。同音は存在しない。字形は「果」+「米」で、イネ科の穀物が実ったさま。原義は”穀物”。「粟」にも「米」にも、ともに”麦以外の穀物一般”の意がある。詳細は論語語釈「粟」を参照。

子曰(シエツ)(し、いわく)

君子 諸君 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

與(ヨ)

与 金文 與 字解
(金文)

論語の本章では”与える”。新字体は「与」。初出は春秋中期の金文。金文の字形は「牙」”象牙”+「又」”手”四つで、二人の両手で象牙を受け渡す様。人が手に手を取ってともに行動するさま。従って原義は”ともに”・”~と”。詳細は論語語釈「与」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では、「赤之」では”…の”、それ以外では”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”…の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

釜*(フ)・庾*(ユ)・秉*(ヘイ)

三つとも論語では本章だけで使用。穀物の量の単位。それぞれの量は本によって異なる。古代の度量衡を比定する作業は容易ではない(事例)。先行研究のほとんどは、論語の本章の古注に頼って量を計算している。

古注『論語集解義疏』

註馬融曰…六斗四升曰釡也…註苞氏曰十六斗為庾也…註馬融曰十六斛為秉五秉合八十斛也…註鄭𤣥曰非冉求與之太多也

馬融
注釈。馬融「六斗四升を釜という。」

包咸
注釈。包咸「十六斗を庾という。」

注釈。馬融「十六斛を秉という。五秉で合計八十斛になる。」

鄭玄
注釈。鄭玄「孔子が冉求に説教した理由は、与えたのが多すぎたからである。」

この結果例えば『学研漢和大辞典』では、「一釜は六斗四升(約十二リットル)」「一庾は一六斗(上古の一斗は約一・九四リットル)」「一秉は十六斛(コク)」とする。

だが、儒者には珍しいまじめ人間だった包咸(論語先進篇8余話「花咲かじいさん」)ですら孔子没後473年の生まれ、はなはだ不まじめな後漢儒(論語解説:後漢というふざけた帝国#ふらちな後漢儒)だった馬融(558年後生)、鄭玄(606年後生)が根拠無く書き散らしたことを、まともに受け入れるわけにはいかない。

ここで孔子が生きた春秋時代の史書である『春秋左氏伝』を参照すると、孔子と同時代、論語の本章で冉雍が向かった隣国斉の容量単位として次のように記されている。

我が斉の枡目は、豆(4升)・区(4豆)・釜(4区)・鐘(10釜)の順と決まっています。(『春秋左氏伝』昭公二十六年)

魯国の度量衡については記録がないからこれを準用すると、「升」の容量が分かれば「釜」が分かることになるが、字形から「升」は”柄杓一杯”であろうと想像できるだけで量としては確定できない(論語語釈「升」)。『学研漢和大辞典』は「一合の十倍。十升を一斗という。周代の一升は約〇・一九四リットル」というが論拠は何だろう。また仮に「釜」は分かっても「庾」「秉」はこの方法では分からない。

結論として、論語本章の「釜」「庾」「秉」を現代の度量衡として換算することを諦めねばならない。「釜」は”かま”だから”一釜”、「庾」は両手で倉庫に出し入れする姿だから”一抱え”→”一俵”、「秉」はイネ科植物をつかむ姿だから”たばね”と解するしかない。

また子華の任期、つまり「どのぐらいの期間留守宅手当を支給したか」はわからない。仮に総額五俵、現在日本の一俵≒72L、支給されたのが玄アワとして推計すると、カロリーと2026年の米価で換算すれば、玄アワ1kg591円×玄アワ比重0.7735kg/L×72L×5俵≒16万4千570円。古代経済の心細さを思うべきだが、これっぽっちで上等な衣類と車馬が買えたとは思えない。”一日に五俵支給してやった”と考えるのが妥当と思う。

江戸幕府が「一人扶持」を「五俵」と規定したのは、あるいは論語本章に拠ったのだろうか。

釜 金文 釜 字解

「釜」(戦国金文)

「釜」は論語の本章では”釜一つ分”。初出は戦国時代の金文。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は部品の「缶」。論語では本章のみに登場。字形は「缶」”液体の容器”+「戈」”ほこ”または「又」”手”。字形からの語義は未詳。原義はおそらく量をはかる大きな”ます”。戦国の竹簡では「斧」の意に用いた。詳細は論語語釈「釜」を参照。

庾 隷書 論語 臾 金文
「庾」(隷書)/「臾」(金文)

「庾」は論語の本章では”俵一つ分”。初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は部品で同音の「臾」。論語では本章のみに登場。同音は「臾」「俞」など多数。字形は「广」”屋根”+「臾」”人が両手で抱える”で、「臾」は音符でもある。『大漢和辞典』で音ユ訓くらに「㔱」があるが、初出は不明。同音「臾」に”あじか”の語義を『大漢和辞典』が載せるが、春秋時代に確認できない。詳細は論語語釈「庾」を参照。

秉 甲骨文 秉 字解
「秉」(甲骨文)

「秉」は論語の本章では数量詞としての”束ね”。『大漢和辞典』は「庾」の十倍という。初出は甲骨文。論語では本章のみに登場。字形は「又」”手”+「禾」”イネ科の穀物”で、原義は”手に取る”。金文では原義で(虢弔鐘・年代不詳/弔向父簋・西周末期)、単位でおそらく”一束”(曶鼎・西周中期)、”管轄する”(班簋・西周早期)、氏族名(秉觚・殷代末期)の意に用いた。詳細は論語語釈「秉」を参照。

益(エキ)

益 甲骨文 益 字解
(甲骨文)

論語の本章では”つけ加える”。初出は甲骨文。字形は「水」+「皿」で、容器に溢れるほど水を注ぎ入れるさま。原義は”増やす”。甲骨文では”利益”と解せる例がある。春秋時代までの金文では、地名人名、「諡」”おくり名を付ける”の意に用いられ、戦国の金文では「イツ」(上古音不明)”重量の単位”(春成侯壺・戦国)に用いられた。詳細は論語語釈「益」を参照。

曰(エツ)

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

論語で最も多用される、”言う”を意味する言葉。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

五(ゴ)

五 甲骨文 五 字解
(甲骨文)

論語の本種では数字の”ご”。初出は甲骨文。字形は五本線のものと、線の交差のものとがある。前者は単純に「5」を示し、後者はおそらく片手の指いっぱいを示したと思われる。甲骨文の時代から数字の「5」を意味した。詳細は論語語釈「五」を参照。

赤(セキ)

赤 甲骨文 奚 字解
(甲骨文)

論語の本章では、孔子の弟子、公西赤子華のこと。「赤」の初出は甲骨文。字形は「大」”身分ある者”を火あぶりにするさまで、おそらく原義は”火祭り”。甲骨文では人名、または”あか色”の意に用い、金文でも”あか色”に用いた。詳細は論語語釈「赤」を参照。

適(テキ)

適 楚系戦国文字 適 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”行く”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は西周の金文。ただし字形は「啻」。現行字形の初出は戦国文字。同音は存在しない。字形は〔辶〕+「啇」。「啇」の古形は「啻」で、「啻」は天の神を祭る禘祭を意味した。おそらく神意にかなうことから、「適」の原義は”かなう”。詳細は論語語釈「適」を参照。

乘(ショウ)

乗 甲骨文 乗 字解
(甲骨文)

論語の本章では”乗る”。初出は甲骨文。新字体は「乗」。「ジョウ」は呉音。甲骨文の字形は人が木に登ったさまで、原義は”のぼる”。甲骨文では原義に加えて人名に、金文では”乗る”、馬車の数量詞、数字の”四”に用いられた。詳細は論語語釈「乗」を参照。

論語の時代には騎馬の技術も習慣も無く、「肥馬に乗る」とは”肥えた馬に引かせた車に乗る”の意。仮に本章が戦国中期以降の偽作となると、騎馬と解するのにも理屈が付く。ただしそれなら「騎馬」と書いたはずで、「乗」の字に「車」が含まれているように、おそらくは”車に乗る”と解するのが妥当。例えば先秦甲骨金文簡牘詞彙庫で甲骨文・金文・戦国の竹簡白書の「乘馬」を引いた事例は、全て”車の引き馬(に引かせて乗車する)”と解せる。

中国人が騎馬を始めるのは、戦国時代の趙の武霊王(?-295)からとされる。一度滅びた儒家を復興した、戦国時代の孟子は、諸侯に取り入るためにうそデタラメを論語に書き加えたが、武霊王と同時代人であり、「馬に乗る」という作文を書いたかどうか。

肥(ヒ)

肥 晋系戦国文字 肥 字解
(晋系戦国文字)

論語の本章では”太った”。論語では本章だけで使用。初出は晋系戦国文字。ただし孔子と同時代の季孫家当主に季孫肥=季康子がおり、論語の時代に存在しないとは断定できない。カールグレン上古音はbʰi̯wər(平)。同音に非を部品とする漢字群など。字形は「月」”にく”+「㔾」で、太いもも肉のこと。原義は”(動物が)太った”。同音に語義を共有する文字は無い。『大漢和辞典』で音ヒ訓こえるは他に存在しない。詳細は論語語釈「肥」を参照。

馬(バ)

馬 甲骨文 馬 字解
(甲骨文)

論語の本章では馬車を引く”馬”。初出は甲骨文。初出は甲骨文。「メ」は呉音。「マ」は唐音(遣唐使廃止から江戸末期までに伝わった音)。字形はうまを描いた象形で、原義は動物の”うま”。甲骨文では原義のほか、諸侯国の名に、また「多馬」は厩役人を意味した。金文では原義のほか、「馬乘」で四頭立ての戦車を意味し、「司馬」の語も見られるが、”厩役人”なのか”将軍”なのか明確でない。戦国の竹簡での「司馬」は、”将軍”と解してよい。詳細は論語語釈「馬」を参照。

衣(イ)

衣 甲骨文 衣 字解
(甲骨文)

論語の本章では”着る”。初出は甲骨文。ただし「卒」と未分化。金文から分化する。字形は衣類の襟を描いた象形。原義は「裳」”もすそ”に対する”上着”の意。甲骨文では地名・人名・祭礼名に用いた。金文では祭礼の名に、”終わる”、原義に用いた。詳細は論語語釈「衣」を参照。

輕(ケイ)

軽 楚系戦国文字 軽 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”軽い”。新字体は「軽」。初出は楚系戦国文字で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。同音に傾など。語義を共有する文字は無い。字形は「車」+「巠」”たていと”で、「巠」は音符。原義は”軽い”。『大漢和辞典』で音ケイ訓かるいは他に存在しない。詳細は論語語釈「軽」を参照。

裘(キュウ)

裘 甲骨文 裘 字解
(甲骨文)

論語の本章では”かわごろも”。初出は甲骨文。「求」と同音。甲骨文の字形はかわごろもの襟元で、原義は”毛皮の服”。「求」は後に音を表すため付けられたと見える。甲骨文では地名に用い、金文では氏族名、また原義で用いた。詳細は論語語釈「裘」を参照。

吾(ゴ)

吾 甲骨文 吾 字解
(甲骨文)

論語の本章では”わたしの”。初出は甲骨文。字形は「五」+「口」で、原義は『学研漢和大字典』によると「語の原字」というがはっきりしない。一人称代名詞に使うのは音を借りた仮借だとされる。詳細は論語語釈「吾」を参照。

古くは中国語にも格変化があり、一人称では「吾」(藤堂上古音ŋag)を主格と所有格に用い、「我」(同ŋar)を所有格と目的格に用いた。しかし論語で「我」と「吾」が区別されなくなっているのは、後世の創作が多数含まれているため。

聞(ブン)

聞 甲骨文 聞 甲骨文
(甲骨文1・2)

論語の本章では”聞く”。初出は甲骨文。「モン」は呉音。甲骨文の字形は”耳の大きな人”または「斧」+「人」で、斧は刑具として王権の象徴で、殷代より装飾用の品が出土しており、玉座の後ろに据えるならいだったから、原義は”王が政務を聞いて決済する”。詳細は論語語釈「聞」を参照。

君子(クンシ)

論語 徳 孟子

論語の本章では”情け深く教養を身につけた人徳のある人”。論語の本章は用いた文字の怪しさから見て、戦国時代以降の成立が確実なので、孔子生前の意味”貴族”ではなく、孟子が商売の都合ででっち上げた意味で解すべき。詳細は論語における「君子」を参照。

周(シュウ)

論語 周 甲骨文 周 字解
(甲骨文)

論語の本章では”不足を補う”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。『大漢和辞典』の第一義は”いきとどく”。『大漢和辞典』でこの語義を持つ字は他に存在しない。初出は甲骨文。極近音に「彫」など。甲骨文の字形は彫刻のさま。原義は”彫刻”。金文の字形には下に「𠙵」”くち”があるものと、ないものが西周早期から混在している。甲骨文では”周の国”を意味し、金文では加えて原義に、人名・器名に、また”周の宗室”・”周の都”・”玉を刻む”を意味した。それ以外の語義は、出土物からは確認できない。ただし同音から、”おわる”、”掃く・ほうき”、”奴隷・人々”、”祈る(人)”、”捕らえる”の語義はありうる。初出は甲骨文。極近音に「彫」など。甲骨文の字形は彫刻のさま。原義は”彫刻”。金文の字形には下に「𠙵」”くち”があるものと、ないものが西周早期から混在している。甲骨文では”周の国”を意味し、金文では加えて原義に、人名・器名に、また”周の宗室”・”周の都”・”玉を刻む”を意味した。それ以外の語義は、出土物からは確認できない。ただし同音から、”おわる”、”掃く・ほうき”、”奴隷・人々”、”祈る(人)”、”捕らえる”の語義はありうる。詳細は論語語釈「周」を参照。

急(キュウ)

急 秦系戦国文字 急 字解
(秦系戦国文字)

論語の本章では”危機”・”苦境”。論語では本章だけに登場。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。上古音の同音に「彶」”急いで行く”・”あわただしい”があり、甲骨文から存在するが、”危機”の語義は春秋末期までに確認できない。初出の字形は「又」”手”の変形+「心」で、「又」の変形はおそらく右手。上側の一画は親指。原義はおそらく”動悸”。詳細は論語語釈「急」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

論語の本章では”~でない”。漢文で最も多用される否定辞。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。初出は甲骨文。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義。詳細は論語語釈「不」を参照。現代中国語では主に「没」(méi)が使われる。

繼(ケイ)

継 甲骨文 継 字解
(甲骨文)

論語の本章では”継ぎ足す”。新字体は「継」。初出は甲骨文。但し字形はいとへんを欠く「㡭」。現行字体の初出は前漢の隷書。甲骨文の字形は繋がった「糸」二つで、原義は”続ける・続く”。金文では原義で用いられた。詳細は論語語釈「継」を参照。

富(フウ)

富 甲骨文 富 字解
(甲骨文)

論語の本章では”富んでいる者”。初出は甲骨文。字形は「冖」+「酉」”酒壺”で、屋根の下に酒をたくわえたさま。「厚」と同じく「酉」は潤沢の象徴で(→論語語釈「厚」)、原義は”ゆたか”。詳細は論語語釈「富」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は定州竹簡論語に含まれ、全文が『史記』弟子伝に再録されている。それ以外は先秦両漢の誰一人引用も再録もしていない。話そのものは孔子生前にありそうだが、論語の時代に存在しない字があることから、本章は後世、それも文字史から前漢儒の創作と断じるしかない。

ただし偽作の動機が分からない。考えられるのは一つだけで、冉有がダメ男と世間に思わせることだ。冉有は子貢と並んで弟子の中では行政の才に長けた人物で、かつ弟子を取って学派を開くようなことをしなかった。従って後世に派閥を残していない。

董仲舒
ゆえに前漢儒はいくら冉有の悪口を書いても、どこからも文句が来ない。いわゆる儒教の国教化を図った董仲舒は、むやみに顔淵を持ち上げて神格化したから、顔淵を目立たせるため、冉有や子貢や、同じく政才に長け派閥を残さなかった子路をおとしめる動機は十分にある。

董仲舒についてより詳しくは、論語公冶長篇24余話を参照。

解説

古代中国の単位について、紀元前後に一升=約200cm3=0.2Lとwikipediaはいう。『大漢和辞典』のリットル換算はこれに従った。

宮崎本による一日分は1.28リットルになるが、約7合。三食に分けてもこんなには食べられない。これは食費以外の費用を含んだ一日分の生活費だろう。

2026年の日本の米価で換算すると(論語解説:孔子の年収はいくらぐらいか)、アワ1リットルは約457円。これに宮崎本の一日分を掛け算しさらに1年=365倍すると、つまり公西赤が受け取った留守手当はwikipedia換算で年額約213万5千円。これならなんとか、新品の馬や服が買えそうである。ただし子華の任期が1年を超えないと、この程度の手当は貰えない。

『学研漢和大字典』換算では、孔子ははじめ一釜=12L与えよと言い、次に一庾=31.04L与えよと言ったが、冉有は五秉=1,552L与えた計算になる。こちらを同様に現在の金額に直せば年額約2億6千万円。孔子の年棒が約5億円だったことを考え合わせると、これは「金持ちに追銭」どころではなく、度量衡の現在換算が大きすぎると言えるだろう。

大漢和辞典 宮崎本 学研漢和大字典
百六十斗(320L) 二百日分 十六斛
十六斗(32L) 二十日分 一六斗
コク・石 十斗(石の音はセキ) 十斗19.4L(石の音はコク)
六斗四升(12.8L) 十日分 六斗四升約12L
十六升 四豆=十六升
十升 十升1.94L
四升 四掬0.8L
十合 十合0.194L
キク 五合 0.2L
二龠/十龠 0.019L
ヤク 黍粒千二百 黍1,200粒

結論として上掲語釈で検討した通り、1日5俵≒16万4千570円貰い、「肥馬」「輕裘」が買える程度の任期で斉国に向かったと考えるしかない。

余話

算数は苦手でござる

ついでながら吉川本は、荻生徂徠の計算をコピペしており、以下の通り。

釜=日本の升目で五升七合五勺弱
庾=日本の升目で一斗四升三合七勺強
秉=日本の升目で七石一斗八升五合九勺強

再びwikipediaによると、日本の
1石 = 10斗 ≒180.390 684 L
1斗 = 10升 ≒ 18.039 068 L
1升 = 10合 ≒ 1.803 906 837 L
1合 = 10勺 ≒ 0.180 390 684 L

したがってすなわち

釜=6.23リットル弱
庾=25.92リットル強
秉=1296.27リットル強

玄アワは1L≒773.5gだから(詳細)、暇つぶしついでに計算してみる。なおwikipediaによると、コメ1俵は約72L、軽トラックの最大積載量は350kgだそうである。

『大漢和辞典』換算
大漢和辞典

釜=12.8リットル≒9.9kg
庾=32リットル≒24.8kg
五秉=1600リットル≒1,240kg≒22.2俵 軽トラック3.54台分

荻生徂徠換算
荻生徂徠

釜≒6.23リットル≒4.82kg
庾≒25.92リットル≒20kg
秉≒1296.27リットル≒1002.61kg≒18俵 軽トラック2.86台分

儒者の書いたお芝居では、20俵前後もドカドカと、公西赤の留守宅に俵が積み上がることになる。さぞ豪儀なけしきだったろう。

参考動画

『論語』雍也篇詳解:現代語訳・書き下し・原文
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