論語詳解127雍也篇第六(10)伯牛やまい有り*

論語雍也篇(10)要約:冉伯牛ゼンハクギュウは、儒者の言うような孔子先生の弟子ではありません。先生を不世出の教師で学問の開祖に押し上げた、援助者の一人でした。その伯牛が死病に取り憑かれ、見舞いに駆けつけた先生は心より悲しみました。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

伯牛有疾。子問之、自牖執其手。曰、「亡之、命矣夫。斯人也而有斯疾也。斯人也而有斯疾也。」

校訂

定州竹簡論語

牛有疾,子問之,自牖執]其手,曰:「末a之,命矣夫!118……有斯疾也!命也夫b!斯人也而有此c疾也!」119

  1. 末、今本作「亡」。末、有衰亡之意。
  2. 命也夫、今本無、『史記』仲尼弟子列伝有此三字。
  3. 此、今本作「斯」。

→伯牛有疾。子問之、自牖執其手。曰、「末之、命矣夫。斯人也而有斯疾也。命也夫、斯人也而有斯疾也。」

復元白文(論語時代での表記)

伯 金文牛 金文有 金文疾 金文 子 金文問 金文之 金文 自 金文執 金文其 金文手 金文 曰 金文 末 金文之 金文 命 金文矣 金文夫 金文 斯 金文人 金文也 金文 而 金文有 金文斯 金文疾 金文也 金文 命 金文也 金文夫 金文 斯 金文人 金文也 金文 而 金文有 金文斯 金文疾 金文也 金文

※論語の本章は、「牖」の字が論語の時代に存在しない。「問」「末」「夫」の用法に疑問がある。本章は少なくとも、戦国末期以降の儒者による改編が加えられている。

書き下し

伯牛はくぎうやまひり。これひ、まどる。いはく、これうしなはん、おきてなるかなひと、しやまひあるかなおきてなるかなひと、しやまひあるかなと。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳


伯牛が病気になった。先生は見舞いに行き、窓からその手を取った。言った。「これを失うのも運命なのか。よりによってこの人が、こんな病気になるとは。運命なのか。よりによってこの人が、こんな病気になるとは。」と。

意訳

論語 孔子 哀
ゼン伯牛が伝染病にかかった。先生が窓越しに伯牛の手を取って言った。「この人を失うのも運命なのか。これほどの人がこんな病気にかかるなんて。かかるなんて。」

従来訳

下村湖人
伯牛(はくぎゅう)(らい)を病んで危篤に陥った。先師は彼をその家に見舞われ、窓から彼の手をとって永訣された。そして嘆いていわれた。――
「惜しい人がなくなる。これも天命だろう。それにしても、この人にこの業病(ごうびょう)があろうとは。この人にこの業病があろうとは。」

下村湖人先生『現代訳論語』

現代中国での解釈例

伯牛生玻孔子去探問,從窗口握著他的手,說:「快要死了,命該如此嗎?這樣的人竟然會得這樣的病!這樣的人竟然會得這樣的病!」

中国哲学書電子化計画

伯牛が病気になり、孔子は行って見舞い、窓から彼の手を取り、言った。「もうすぐ死んでしまう。天命とはまったくこのようなものか?このような人が意外にもこのような病気にかかるのか!このような人が意外にもこのような病気にかかるのか!」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

伯牛(ハクギュウ)

孔子の最も初期の弟子とされてきた、冉伯牛のこと。生年をBC544、つまり孔子より7年少とwikipediaが言うが論拠不明。『史記』弟子伝・『孔子家語』七十二弟子解には年齢についての記事が無い。後世、徳行を子に評価された、孔門十哲の一人。冉雍・冉求はその一族。「伯」は長男を意味し、おそらく冉氏の長老だったと思われる。詳細は論語の人物:冉耕伯牛参照。

弟子ということになっているが、論語に孔子との問答が一つも無く、むしろ孔子の援助者だったろう。孔子に関係のありそうな者を、片端から弟子に仕立てて仕舞うのは、儒者の抜きがたいゴマスリで、漢文の本質的な虚偽の悪臭元になっている。詳細は前章の余話を参照。

おそらく冉伯牛は、冉一族の長老として、まず孔子の人物を見極め、その上で族内で将来を嘱望されていた若者、冉雍仲弓と冉求子有を弟子入りさせた。下っ端役人に過ぎない孔子にとって、例えば教習用戦車や引き馬の提供などは、有りがたかったはずである。

詳細は孔門十哲の謎を参照。新興氏族である冉氏は、冉雍が孔子に”身分の低さを悩む必要は無い”と慰められているように(論語雍也篇6)、封建的身分は低かったのだろう。だがすでに、魯国の門閥に兵力を提供する侮れない氏族で、身分向上のための、教養面での教師を欲していた。それがまさに孔子だったわけ。

白 甲骨文 百 字解
「白」(甲骨文)

「伯」の字は論語の時代、「白」と書き分けられていない。初出は甲骨文。字形の由来は蚕の繭。原義は色の”しろ”。甲骨文から原義のほか地名・”(諸侯の)かしら”の意で用いられ、また数字の”ひゃく”を意味した。金文では兄弟姉妹の”年長”を意味し、また甲骨文同様諸侯のかしらを意味し、五等爵の第三位と位置づけた。戦国の竹簡では以上のほか、「柏」に当てた。詳細は論語語釈「伯」を参照。

牛 甲骨文 牛 金文
「牛」甲骨文/牛鼎・西周早期

「牛」の初出は甲骨文。字形は牛の象形。原義は”うし”。西周初期まで象形的な金文と、簡略化した金文が併存していた。甲骨文では原義に、金文でも原義に、また人名に用いた。詳細は論語語釈「牛」を参照。

有(ユウ)

有 甲骨文 有 字解
(甲骨文)

論語の本章では”持つ”→”(病に)かかる”。初出は甲骨文。ただし字形は「月」を欠く「㞢」または「又」。字形はいずれも”手”の象形。原義は両腕で抱え持つこと。詳細は論語語釈「有」を参照。

疾(シツ)

疾 甲骨文 論語 疾 字解
(甲骨文)

論語の本章では”急性の病気”。漢文では、”にくむ”の意味で用いられることも多い。初出は甲骨文。字形は「大」”人の正面形”+向かってくる「矢」で、原義は”急性の疾病”。現行の字体になるのは戦国時代から。別に「疒」の字が甲骨文からあり、”疾病”を意味していたが、音が近かったので混同されたという。甲骨文では”疾病”を意味し、金文では加えて人名と”急いで”の意に用いた。詳細は論語語釈「疾」を参照。

子(シ)

子 甲骨文 子 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”(孔子)先生”。初出は甲骨文。字形は赤ん坊の象形。春秋時代では、貴族や知識人への敬称に用いた。季康子や孔子のように、大貴族や開祖級の知識人は「○子」と呼び、一般貴族や孔子の弟子などは「○子」と呼んだ。詳細は論語語釈「子」を参照。

問(ブン)

問 甲骨文 問 字解
(甲骨文)

論語の本章では”見舞う”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。「モン」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。字形は「門」+「口」。甲骨文での語義は不明。金文では人名に用いられ、”問う”の語義は戦国時代の竹簡以降になる。詳細は論語語釈「問」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”これ”。冉伯牛を指す。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義は”これ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”…の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

自(シ)

自 甲骨文 吾
(甲骨文)

論語の本章では”…から”。初出は甲骨文。「ジ」は呉音。原義は人間の”鼻”。春秋時代までに、”鼻”・”みずから”・”…から”・”…により”の意があった。戦国の竹簡では、「自然」の「自」に用いられるようになった。詳細は論語語釈「自」を参照。

牖(ユウ)

牖 秦系戦国文字 牖 字解
(秦系戦国文字)

論語の本章では”窓”。論語では本章のみに登場。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「片」”ベッド”+「巨」+「用」で、おそらく原義は”寝室の窓”。詳細は論語語釈「牖」を参照。

『大漢和辞典』の第一義には”壁をうがち木を交えて作った窓。連子窓”とある。
櫺子窓
そうなるとその隙間から手を取ったことになるが、第二義に”南向きの窓”とある。伝染病を恐れて、壁ごしに手を取ったのだと言われている。

執(ショウ)

執 甲骨文 執 字解
(甲骨文)

論語の本章では”手に取る”。初出は甲骨文。「シツ」は慣用音。字形は手かせをはめられ、ひざまずいた人の形。原義は”捕らえる”。甲骨文では原義で、また氏族名・人名に用いた。金文では原義で、また”管制する”の意に用いた。詳細は論語語釈「執」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”その”。初出は甲骨文。原義は農具の。ちりとりに用いる。金文になってから、その下に台の形を加えた。のち音を借りて、”それ”の意をあらわすようになった。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

手(シュウ)

手 金文 手 字解
(金文)

論語の本章では”て”。初出は西周中期の金文。「シュ」「ス」は呉音。甲骨文では一般に「又」と記すが、金文になって「手」の字形が現れた。字形は五本指を持つ手の象形で、原義は”て”。金文では原義に、”くび”の意に用いた。詳細は論語語釈「手」を参照。

曰(エツ)

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

論語で最も多用される、”言う”を意味する言葉。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

亡(ボウ/ブ)→末(バツ)

亡 甲骨文 亡 字解
「亡」(甲骨文)

論語の本章では”失う”。初出は甲骨文。「ボウ」で”ほろぶ”、「ブ」で”無い”を意味する。字形は「人」+「丨」”築地塀”で、人の視界を隔てて見えなくさせたさま。原義は”(見え)ない”。甲骨文では原義で、春秋までの金文では”忘れる”、人名に、戦国の金文では原義・”滅亡”の意に用いた。詳細は論語語釈「亡」を参照。

末 金文 末 字解
(金文)

定州竹簡論語の「末」の初出は春秋末期の金文。「マツ/マチ」は呉音。字形は「木」の先に一画引いて”すえ”を表したもので、原義は”末端”。金文では”卑しい”の意に、また人名に用いた。漢代の帛書では、”先端”の意に用いた。漢文では、「無」mi̯wo(平)の意に用いる事があるが、初出は不詳。詳細は論語語釈「未」を参照。

命(メイ)

令 甲骨文 令字解
「令」(甲骨文)

論語の本章では”運命”。初出は甲骨文。ただし「令」と未分化。現行字体の初出は西周末期の金文。「令」の字形は「亼」”呼び集める”+「卩」”ひざまずいた人”で、下僕を集めるさま。「命」では「口」が加わり、集めた下僕に命令するさま。原義は”命じる”・”命令”。金文で原義、”任命”、”褒美”、”寿命”、官職名、地名の用例がある。春秋末期、BC518ごろの「蔡侯尊」には、「蔡𥎦󱠜虔共大命」とあり、「つつしんで大命を共にす」と訓める。これを”天命”と解せなくもない。詳細は論語語釈「命」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”…である”。断定の意。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。

夫(フ)

夫 甲骨文 論語 夫 字解
(甲骨文)

論語の本章では「かな」と読んで詠歎の意。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。論語では「夫子」として多出。「夫」に指示詞の用例が春秋時代以前に無いことから、”あの人”ではなく”父の如き人”の意で、多くは孔子を意味する。「フウ」は慣用音。字形はかんざしを挿した成人男性の姿で、原義は”成人男性”。「大夫」は領主を意味し、「夫人」は君主の夫人を意味する。固有名詞を除き”成人男性”以外の語義を獲得したのは西周末期の金文からで、「敷」”あまねく”・”連ねる”と読める文字列がある。以上以外の語義は、春秋時代以前には確認できない。詳細は論語語釈「夫」を参照。

斯(シ)

斯 金文 斯 字解
(金文)

論語の本章では、”この”。初出は西周末期の金文。字形は「其」”ちりとり”+「斤」”おの”で、ばらばらに切り裂くさま。同じ「これ」「この」と読んでも、春秋時代までは意味内容の無い語調を整える助字で、”…は”のような助詞の用法は、戦国時代の竹簡にならないと現れない。詳細は論語語釈「斯」を参照。

人(ジン)

人 甲骨文 人 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ひと”。初出は甲骨文。原義は人の横姿。「ニン」は呉音。甲骨文・金文では、人一般を意味するほかに、”奴隷”を意味しうる。対して「大」「夫」などの人間の正面形には、下級の意味を含む用例は見られない。詳細は論語語釈「人」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「有斯疾也」では「かな」と読んで詠嘆の意に、「命也」では「なり」と読んで断定の意に用いている。断定の語義は春秋時代では確認できない。「斯人也」では「や」と読んで主格の強調に用いている。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”そして”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”…と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

斯人也而有斯疾也

ひと、しやまひあるかな」と読む。前の「也」は主語の強調で、”よりによって”この人が、の意。「而」はこの場合逆接で、”それなのに”。後ろの「也」は詠嘆で、”~であることよ”の意。

「斯人」と眼前の伯牛をあたかも三人称であるように呼ぶのは、一種の敬称と解する以外にない。”これほど優れた人”の意を込めているだろう。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

検証

論語の本章は、若干言葉を変えて、前漢中期に成立の『史記』弟子伝に再録がある。

伯牛有惡疾,孔子往問之,自牖執其手,曰:「命也夫!斯人也而有斯疾,命也夫!」
伯牛悪疾有りて、孔子きて之を問い、まどり其の手をりて曰く、「メイかなの人し而斯のやまい有るは、命也る夫。」

春秋戦国では誰一人引用も再録もしていない。『史記』の次に再録されたのは、後漢章帝期の『白虎通義』になる。

冉伯牛危言正行而遭惡疾,孔子曰:「命矣夫!斯人也而有斯疾也!」

白虎通義
冉伯牛は言葉を正し行動を正していたのに、悪性の病気にかかった。孔子が言った。「天命であることよ! まさかこれほどの人に、このような病気がとりつくとは!」(『白虎通義』寿命2)

また冉伯牛が病に倒れたことを、『白虎通義』とほぼ同時期の王充『論衡』も記している。本章は定州竹簡論語にあり、『史記』にも再録があること、儒者が偽作する動機が無いことから、「牖」の字に目をつぶれば、何らかの史実を伝えたと考えてよい。

後漢年表

後漢年表 クリックで拡大

解説

重複を恐れず記せば、冉耕伯牛は孔子の弟子と言うより、むしろ援助者で、新興軍事氏族でまだ封建的身分を獲得していない、冉氏一族の長老だった。孔子が塾を開くに当たっては、当時の君子=貴族に必須の戦車教練を必要としたが、中堅役人の孔子に戦車を持てるわけがない。

さらに引き馬を二頭か四頭必要とした。加えて馬丁も雇わねばならない。現在でも「馬主」と言えばちょっとした財産家だが、それを四頭となると、到底孔子に所有や維持が出来るわけがない。それを提供したのがおそらく、冉氏一族だった。

詳細は孔門十哲の謎を参照。孔子は父親の縁故から、父の戦友たちに戦車術や弓術と言った技能を教えて貰えただろうが、教習用の戦車と馬が無ければ開塾できない。その意味で冉伯牛は孔子を孔子にした恩人の一人と言ってよく、心からその死を惜しんでも不思議は無い。

その冉伯牛を孔子の弟子にしてしまったのは、後漢の不真面目な儒者である。

古注『論語集解義疏』

…註馬融曰伯牛弟子冉耕也子…註苞氏曰牛有惡疾不欲見人故孔子從牖執其手也

馬融 包咸
注釈。馬融「伯牛とは弟子の冉耕である。」
注釈。包咸「伯牛に悪性の病気がとりつき人に見られたがらなかったので、孔子は窓から手を取ったのである。」


…註孔安國曰亡喪也疾甚故持其手曰喪也…註苞氏曰再言之者痛惜之甚也

孔安国 包咸
注釈。孔安国「亡とは失うことである。病がひどくて、それで手を取って失うと言ったのである。」
注釈。包咸「なげきの言葉を繰り返したのは、嘆きが甚だしかったからである。」(『論語集解義疏』)

馬融の言う「冉耕」という言葉は論語の中にただの一言も書かれておらず、『史記』が弟子伝で「冉耕字伯牛。孔子以為有德行」と書いたのが最初。論語先進篇2でいわゆる孔門十哲を挙げた中に、「冉伯牛」とはあるが、「冉耕」とは記されず、そもそもこの部分は子の偽作。

それはさておき、孔安国が言う通りなら、孔子は伯牛の手を取って「もうすぐ死ぬよ」と言ったことになる。死にそうな人にそんなことを言うのだろうか。孔安国が高祖劉邦の名を避諱ヒキしないなど実在が疑わしいことを含め、後漢儒の情け容赦の無い偽注と断じてよかろう。

論語の本章に関しては、「命」を天命ととらえてもったいぶった講釈を記す本が珍しくないが、本章での「命」を、孔子は人力ではどうしようも無い”さだめ”と捉えているだけで、人間社会における何か重大で宗教的な「天命」などとは思っていない。

そもそも孔子は、自然界に道理はあると思っていたから、疫病の際にジャブジャブと水浴びはしたが(論語述而篇12)、いわゆるカミサマのたぐいが天にいて人界を支配しているなどとは全く考えなかった。詳細は孔子はなぜ偉大なのかを参照。

論語 君子 諸君 孔子
諸君は貴族を目指すのであるから、迷信に惑わされてはならない。天命を占ったところで、信じるに足りる理由は何もない。他人を納得させるために占いの真似を見せはしても、自分が信じてどうする。(論語衛霊公篇37)

なお伯牛の病気をハンセン氏病と解するのが古来よりの通説だが、それらの論拠である朱子の新注では、「昔の儒者がそう言ってました」と責任を投げている。

新注『論語集注』

夫,音扶。伯牛,孔子弟子,姓冉,名耕。有疾,先儒以為癩也。牖,南牖也。禮:病者居北牖下。君視之,則遷於南牖下,使君得以南面視己。時伯牛家以此禮尊孔子,孔子不敢當,故不入其室,而自牖執其手,蓋與之永訣也。命,謂天命。言此人不應有此疾,而今乃有之,是乃天之所命也。然則非其不能謹疾而有以致之,亦可見矣。

論語 朱子 新注
夫は扶の音で読む。伯牛は孔子の弟子で、姓は冉、いみ名は耕。有疾というのを、昔の儒者はハンセン氏病だと言った。

牖とは南むきの窓である。礼法の規定によると、病人は北向きの窓の下に寝かせる。主君が見舞いに来ると、必ず南向きの窓の下に移って横になる。そうすると主君は君主らしく、北から臣下を見下ろすことが出来る。伯牛の家では礼法を重んじ孔子を尊んで、南の窓の下に寝かせたのだが、孔子は主君の振りをするつもりが無かったから、部屋に入らず、窓から手を取った。多分今生の別れと思っただろう。

命とは天命のことだ。こんな病気はこの人にはふさわしくないが、今この通りだから、これも天命だと言った。となると、健康に気を付けなかったから病気になったのではないということで、ここもまた論語から読み取るべき教訓である。


侯氏曰:「伯牛以德行稱,亞於顏、閔。故其將死也,孔子尤痛惜之。」

侯仲良
侯仲良「伯牛は人徳をたたえられた人なのに、ひどい有様になって、まことに気の毒だ。だからその死の間際になって、孔子は甚だしく悲しんだ。」(『論語集注』)

その責任を投げられた初めの儒者は後漢の王充で、『論衡』に次のように記す。

夫子不王,顏淵早夭,子夏失明,伯牛為癘,四者行不順與?何以不受正命?比干剖,子胥烹,子路葅,天下極戮,非徒桎梏也。

王充
孔子先生は王になれず、顔淵は若死にし、子夏は失明し、伯牛はハンセン氏病を患った。四人の行いの、どこに天を恐れぬ悪行があったというのか? 殷の比干は胸を切り裂かれ、呉の伍子胥は釜ゆでに遭い、子路は漬物にされた。天下の無残とはここまでひどいもので、手かせ足かせなど手ぬるい方だ。(『論衡』刺孟27)

後漢儒はどうやら、孔子が王になりたがっていたと思ったらしい。それって天命を恐れぬもの凄い僭上で、後漢儒の言い回る礼法を踏みにじる行為だが、その整合性をどう考えていたのだろう。こんな所からも、漢文が読めるにつれ、まじめに読むバカバカしさが分かると思う。

余話

変なヒゲやヘルメット

令 甲骨文
「令」(甲骨文)

「命」は古くは「令」と書き分けられず、一説には「シュウ」=地上の全てを覆う天の意向を、跪いて伺い従うさまとされる。古代人らしい発想で、天変地異も疫病饑饉も、人力ではどうにも解決できない天の差配だと諦めるしかなかった。だが人間はそれほど従順でも知的でもない。

「天道」=天の運行原則を知れば、幸福を増し不幸を減らせると考えた。ゆえに世界の古代文明でこよみが作られたのだが、古代中国の暦はかなり正確で、前漢より以前に、すでに1年を365.25日とした暦が使われたという2015年時点で365.242 189とされるのにかなり近い。

だが中国古代の自然科学はそこでおしまいだった。世界がどんな要素で構成されているかは、古代中国では万物は木火土金水の五要素からなるという、五行説に落ち着いた。だがそれは世間師の思い付きがたまたま流行っただけに過ぎず、世界のうわべしか説明できなかった。

だから諸子百家で五行を唱えた陰陽家は、どうとでも取れるようなことしか書かなかった。占いのたぐいと同様に、人にハッタリを掛けて金を巻き上げるのが目的だからで、自然を解釈するための手段ではなく、自然法則を知っていると客に信じ込ませる手段だったからだ。

孔子はこういうオカルトを説かなかった。儒家も長い間、五行をオカルトと位置づけて愚弄した。だが宋儒が大々的に五行を取り入れ、儒教にオカルトを混ぜ込んだ。孔子が当時ありもしなかった、易を熱心に学んだと言ううそデタラメが、論語述而篇16に押し込まれたりもした。

詳細は論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」を参照。

だがこれは中国特有の現象ではない。オカルトの流行らなかった地域は、世界のどこにもないだろう。現代にまで害を及ぼしているオカルトを取り上げるなら、一連の近代ドイツの哲学がそれに当たるだろう。開祖のカントはまだ真面目だったが、やはり空理空論に過ぎなかった。

訳者の身近なT大理系出身者の思い出話だが、教養課程でカント哲学の講義を聴かされたものの、理系の学生がゲラゲラ笑い出して一種の学級崩壊になったらしい。だがカント先生の人の善さは疑えない。なぜかと言えば、ハッタリをかますような装いをしていないからだ。

だが多くのドイツ哲学者は、偉そうなひげを生やすのを通例とした。国外逃亡した龴儿𠂊の肖像もよく見てみると、ただのハゲ親父がヒゲで誤魔化しているのがよくわかる。「ヒゲでいいならヤギでも学者」という言葉が、当のドイツにあると聞く。まともな人もいたらしい。

丸x ウィルヘルム2世
パレードが凛々しい軍隊ほど弱いという。ドイツ皇帝の変なヒゲやヘルメット、北朝鮮軍人のベタベタと貼り付けた勲章同様、コケ脅しはおのずから、ニセモノであることを白状している。文章もまた同じで、難しい言い廻しは読者の責任ではなく、徹頭徹尾書き手の責任だ。

ニーチェもさっさとモップヒゲを剃り落とせば、発や妹を奴隷化せずに済んだかも。

哲学はバートランド・ラッセル以降、数学無しではありえない学問になった。日本で今なお文学部に哲学科が置かれているのは、世間が哲学に何も期待していないからだろう。数学を使わない哲学はすでに哲学ではなく、説く者の個人的感想か、商売道具に他ならない。

がんもどきは雁ではない。儒者の説く哲学もどきも、ハッタリの商売道具に他ならない。

参考記事



広告

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする