論語の人物:冉求子有(ぜんきゅう・しゆう)

控えめだが政戦両略の才に長けた寡黙な実務家の弟子

至聖先賢半身像「冉求」
国立故宮博物院蔵

略歴

BC522-?。姓は冉、名は求、字は子有。『史記』によれば、孔子より29年少。『孔子家語』によれば、冉耕伯牛冉雍仲弓と同族。孔子からは政治の才を評価され、孔門十哲の一人。魯国門閥家老家筆頭の季氏に仕え、その執事を務めたほか、武将としても名をはせた。

wikipedia中国語版に、「孔子の執事を務めた」とあるが典拠不明で、おそらくは公西赤が斉に使いに出た論語の記述(論語雍也篇4)によると思われる。

孔子の諸国放浪にも同行したが、『史記』によれば途中で魯に戻り、季氏に仕え、孔子の帰国を促したという。

論語での扱い

子路と並んで政才を評価されただけあって、「多芸多才」と言われ子貢と並んで頼もしい弟子として描かれるが、「引っ込みがちで積極性がない」「せいぜい家老家の執事が務まる程度」と孔子に言われている。子路のような大言壮語はせず、子貢のように時として師をからかうようなこともせず、黙々と仕事をこなす実直な実務家の姿を想像できる。

だが冉有について最も重要なことは、論語の中でただ一人、孔子が破門を宣告したこと(論語先進篇16)。そのわけは、冉有が孔子の教説の中心である仁=フィギュア趣味について、「ついていけません」と言ってしまったこと(論語雍也篇12)。冉有はヲタになれなかったのだ。

だから孔子は冉有の多芸を讃えながら、「君子は多芸ではない」と言った(論語子罕篇6)。論語を読む限り、孔子は実に執拗な人であり、それが優れた教師になった理由でもあるが、反面では自分の帰国工作に最も貢献した冉有を、怒りにまかせて破門することにもなった。

冉有はいっそ、実直でなかった方が幸福だったかも知れない。

他の典籍での扱い

おおむね好意的に描かれている。『荘子』知北遊篇では、控えめな性格を逆手に取られて、天地以前の話を孔子に問う人物として登場する。

武将としての出陣話は、『左伝』『史記』に取り上げられている。以下は『史記』より。

冉有、季氏の将帥と為り、斉と郎に戦いて、之に勝つ。季康子曰く、子の軍旅に於けるや、之を学びたるか、性之をなす(生まれつき軍才があった)かと。冉有曰く、之を孔子に学ぶと。季康子曰く、孔子とは何如なる人かと。答えて曰く、之れを用いれば名有り(孔子を用いれば名が上がり)、之を百姓(ヒャクセイ、人民)に播きて(治めさせて)、諸(これ)を鬼神に質(ただ)すも憾み無からん(亡霊や神に対しても不都合はないでしょう)。之を求むれば此の道に至らん(登用すれば国が治まるでしょう)、千社を累(かさ)ぬると雖も、夫子は利とせざる也(領地を千与えても、欲に目がくらみません)と。康子曰く、我之を召さんと欲す、可なるかと。答えて曰く、之を召さんと欲さば、則ち小人を以て(凡人扱いして)之を固(くる)しめる毋(なか)らば、則ち可なりなんと。

論語での発言

1

家老の物見遊山を引き留められませんでした。(八佾篇)

2

この衛国のお家争いで、先生はどっちにつくのだろう?(述而篇)

3

先生のお話がつまらないのではありません。私に実践する力がないのです。(雍也篇)

4

教えて頂いたことは、全て実行すべきですか?(先進篇)

5

小さな国を治めてみたい。三年もすれば、民の生活を安定させられるでしょう。その他の作法や文化は、他の方にお任せしたい。(先進篇)

6

衛国には人がたくさん居ますねえ。先生、どうしてやりますか? …がまぐちを膨らますですって? では膨らんだあとはどうします?(子路篇)

7

季氏がいくさを望むのです。私めが望んだのではありません。…顓臾は魯に近く、今滅ぼさねば将来の禍根となります。(季氏篇)

論語での記載

  1. 季氏旅於泰山。子謂冉有曰:「女弗能救與?」對曰:「不能。」子曰:「嗚呼!曾謂泰山,不如林放乎?」(八佾)
  2. 冉有曰:「夫子為衛君乎?」子貢曰:「諾。吾將問之。」入,曰:「伯夷、叔齊何人也?」曰:「古之賢人也。」曰:「怨乎?」曰:「求仁而得仁,又何怨。」出,曰:「夫子不為也。」(述而)
  3. 冉求曰:「非不說子之道,力不足也。」子曰:「力不足者,中道而廢。今女畫。」(雍也)
  4. 德行:顏淵,閔子騫,冉伯牛,仲弓。言語:宰我,子貢。政事:冉有,季路。文學:子游,子夏。(先進)
  5. 閔子侍側,誾誾如也;子路,行行如也;冉有、子貢,侃侃如也。子樂。「若由也,不得其死然。」(先進)
  6. 子路問:「聞斯行諸?」子曰:「有父兄在,如之何其聞斯行之?」冉有問:「聞斯行諸?」子曰:「聞斯行之。」公西華曰:「由也問聞斯行諸,子曰『有父兄在』;求也問聞斯行諸,子曰『聞斯行之』。赤也惑,敢問。」子曰:「求也退,故進之;由也兼人,故退之。」(先進)
  7. 季子然問:「仲由、冉求可謂大臣與?」子曰:「吾以子為異之問,曾由與求之問。所謂大臣者:以道事君,不可則止。今由與求也,可謂具臣矣。」曰:「然則從之者與?」子曰:「弒父與君,亦不從也。」(先進)
  8. 子路、曾皙、冉有、公西華侍坐。子曰:「以吾一日長乎爾,毋吾以也。居則曰:「不吾知也!』如或知爾,則何以哉?」子路率爾而對曰:「千乘之國,攝乎大國之間,加之以師旅,因之以饑饉;由也為之,比及三年,可使有勇,且知方也。」夫子哂之。「求!爾何如?」對曰:「方六七十,如五六十,求也為之,比及三年,可使足民。如其禮樂,以俟君子。」「赤!爾何如?」對曰:「非曰能之,願學焉。宗廟之事,如會同,端章甫,願為小相焉。」「點!爾何如?」鼓瑟希,鏗爾,舍瑟而作。對曰:「異乎三子者之撰。」子曰:「何傷乎?亦各言其志也。」曰:「莫春者,春服既成。冠者五六人,童子六七人,浴乎沂,風乎舞雩,詠而歸。」夫子喟然歎曰:「吾與點也!」三子者出,曾皙後。曾皙曰:「夫三子者之言何如?」子曰:「亦各言其志也已矣。」曰:「夫子何哂由也?」曰:「為國以禮,其言不讓,是故哂之。」「唯求則非邦也與?」「安見方六七十如五六十而非邦也者?」「唯赤則非邦也與?」「宗廟會同,非諸侯而何?赤也為之小,孰能為之大?」(先進)
  9. 子適衛,冉有僕。子曰:「庶矣哉!」冉有曰:「既庶矣。又何加焉?」曰:「富之。」曰:「既富矣,又何加焉?」曰:「教之。」(子路)
  10. 子路問成人。子曰:「若臧武仲之知,公綽之不欲,卞莊子之勇,冉求之藝,文之以禮樂,亦可以為成人矣。」曰:「今之成人者何必然?見利思義,見危授命,久要不忘平生之言,亦可以為成人矣。」(憲問)
  11. 季氏將伐顓臾。冉有、季路見於孔子曰:「季氏將有事於顓臾。」孔子曰:「求!無乃爾是過與?夫顓臾,昔者先王以為東蒙主,且在邦域之中矣,是社稷之臣也。何以伐為?」冉有曰:「夫子欲之,吾二臣者皆不欲也。」孔子曰:「求!周任有言曰:『陳力就列,不能者止。』危而不持,顛而不扶,則將焉用彼相矣?且爾言過矣。虎兕出於柙,龜玉毀於櫝中,是誰之過與?」冉有曰:「今夫顓臾,固而近於費。今不取,後世必為子孫憂。」孔子曰:「求!君子疾夫舍曰欲之,而必為之辭。丘也聞有國有家者,不患寡而患不均,不患貧而患不安。蓋均無貧,和無寡,安無傾。夫如是,故遠人不服,則修文德以來之。既來之,則安之。今由與求也,相夫子,遠人不服而不能來也;邦分崩離析而不能守也。而謀動干戈於邦內。吾恐季孫之憂,不在顓臾,而在蕭牆之內也。」(季氏)

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コメント

  1. […] 孔子の弟子で、季氏に仕えていた冉有が、そのまま孔子に告げた。孔子はため息をついて言った。 […]

  2. […] 孔子は衛にいた。弟子の冉求が筆頭家老の季孫に言った。「国に万能の人(聖人)がいるのに、用いることができないで、政治が回るのを求めるのは、歩きもしないで前の人に追いつこうとするようなものです。出来る訳がありません。今孔子は衛にいます。すぐにでもこれを登用しましょう。自国の人材を隣国に仕えさせるのは、智とは言い難いでしょう。願い上げます、篤く手土産を整えて、お迎え下さい。」 […]