PRあり

孔子の年収はいくらぐらいか

孔子の収入はいかほどだろうか。結論を先に言えば年に約五億円。下世話な話だが、結局世の中カネは古今東西人類の共通項で、人物像を知るにあたりゼニの有る無しを知らないと実像に迫れない。春秋時代にゼニの物証はか細いのだが、現代人の訳者にはゼニ勘定でないと分からない。

そこで『史記』孔子世家を見ると次のように言う

衛靈公問孔子「居魯得祿幾何?」對曰「奉粟六萬。」衛人亦致粟六萬。


衛の霊公は孔子に問うた。「魯での俸禄はどれほどか。」答えて言った。「(宰相代行としての)俸禄、粟六万です。」そこで霊公は同じく粟六万を支給した。

『史記』本章に言う「粟六萬」というのが、現在の価値でいくらになるか推計してみよう。

  1. 孔子が衛霊公から俸給をいくら受け取ったか、その記録の初出は『史記』本章になる。言い換えると、時間的に孔子の生前に最も近い俸給の記録は本章ということになる。孔子没後約620年に生まれた司馬遷の記述が、どこまで正しいかはもう分からないが、今の所もっとも事実に近いであろう記録という点で、「粟六萬」を前提にするしかない。
  2. 「粟六萬」には単位が記されていない。従来は「斗」とされてきた。

    索隠曰若六萬石以太多當是六萬斗亦與漢之秩禄不同〇正義曰小斗計當今二千石也周之斗斗斤兩皆用小也


    唐の司馬貞による注釈「六万石ではすごく多い。これは六万斗とすべきだ。また漢の俸給表*とも合わない。」
    唐の張守節による注釈「”小斗”ますで計れば今の二千石とすべきだ。周の体積や重量はみな”小さい”ますや分銅で計った。」
    (国立歴史民俗博物館蔵『宋版史記』孔子世家。現存する世界最古の『史記』版本)


    *『漢書』百官公卿表に「郡守,秦官,掌治其郡,秩二千石。」とあり、漢の郡国は春秋時代の一国に相当するから、これと比較したのだろう。

    しかし、紀元前五・六世紀の人物である孔子について、おおむね紀元後八世紀の唐儒が根拠無く言っている個人的感想を、信用できるだろうか? 司馬貞・張守節ともに生没年は不明だが、後者による『史記正義』の成立は唐開元二十四(736)年とされている。
    『史記』の編まれた前漢時代における官吏の俸給が、「石」単位で支給されたことを考えると、「粟六万」の単位を素直に「石」とすべきだろう。

    中国歴代王朝年表

    中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

  3. 孔子の同時代人に、楚国出身で呉国王の最も近しい重臣となった伍子胥がいる。その『史記』の伝記に、貴族にふさわしい俸禄の単位として、次の記述がある。

    至江,江上有一漁父乘船,知伍胥之急,乃渡伍胥。伍胥既渡,解其劍曰:「此劍直百金,以與父。」父曰:「楚國之法,得伍胥者賜粟五萬,爵執珪,豈徒百金劍邪!」不受。


    (楚国の追っ手から逃げる伍子胥は)長江の岸にたどり着いた。川の中に一艘、漁師の乗った船があった。漁師は伍子胥の危機を知って、すぐさま乗せて対岸まで渡した。伍子胥は対岸に上がると、腰の剣を外して言った。「この剣には百金の値打ちがある。危機を救ってくれたお礼に、おやじさんに差し上げよう。」漁師は「楚国の手配書に、『伍子胥を捕らえた者にはアワ五万と、貴族の位を与える』とあります。それに比べれば百金の剣など、はした金にしかなりませぬわい。」と言って、受け取らなかった。(『史記』伍子胥伝)

    この記述にならうなら、「粟六萬」の単位を「石」と考えるのには無理がない。

  4. 念のため、「石」以外の単位についても検討しておく。孔子の生きた春秋時代の記録、『春秋左氏伝』武英殿十三經注疏本(清乾隆十二=1746年刊)では、「粟」の単位として「石」を用いた例が無く、「斛」は用例そのものが無い。その十分の一である「斗」は星座か地名としての用例しか無い。
    近年、春秋時代の史料として再評価されつつある『国語』の士禮居叢書本(清嘉慶五=1800年刊)では、体積・重量単位としての「石」は用例が無い。「斛」は用例そのものが無く、「斗」は星座か人名としての用例しか無い。四庫全書本、四部叢刊本も「石」を重量として記していない
    先秦甲骨金文簡牘詞彙庫で「粟&石」「粟&斛」を検索しても結果は0。つまり甲骨文・金文・戦国の竹簡帛書を含めて用例がない。ただし「石」を重量単位として、「斛」を体積単位として用いた例は戦国時代から見られる。「斗」は春秋中期の金文「秦公𣪕」(集成04315)に「西たひらにはかる元器。一斗七升。小半升。𣪕。西。一斗七升大半升。」とあり、後半八字は秦漢時代の追刻らしいが、ともあれ「斗」は孔子と同時代、西方の秦国で体積単位として使われた。
    だがそれで、「六萬」を「斗」とすべき根拠とはならない。
  5. 『学研漢和大辞典』によれば、「石」は「斛(コク)に当て、コクと読む」「周代には一九・四リットル」という。下掲角川『新字源』でも「斛」の十分の一である「斗」(典拠は『漢書』律暦志)について1.94Lとしており変わるところが無い。中国 度量衡 変遷
    別に「石」を重量の単位として120斤とする解釈もある。後漢に編まれた『説文解字』に対する、清の儒者である段玉裁が付けた注によるが、孔子や司馬遷の時代からあまりに時代が下っており、あえて「石」重量説に従う理由が無い。また日中ともに穀物を計る道具は枡が基本だろう。
  6. 孔子とすれ違うように春秋末から戦国初期を生きた墨子の言行を記した書籍『墨子』正統道藏本(民国十四=1925年刊)に「任五十石之重」とあり、重さの単位として「石」を用いているが、現存する『墨子』がどの程度まで時代を遡れるか不明なため、また「水缶,容三石以上」ともあり、体積の単位としても用いていることから、『史記』に記された孔子の俸禄に付けるべき「石」を、重量とする根拠としては採用できない。なお「二百石之吏」「三百石之吏」ともあり、官吏の俸給額として「石」を用いた、文献史上は最古の例となる。
  7. wikipedia石(単位)条に「本来「石」はセキと読み、質量の単位であった」という。しかし春秋時代の基本史料である『春秋左氏伝』に、次のように言う。

    齊舊四量,豆,區,釜,鍾,四升為豆,各自其四,以登於釜。釜十則鍾,陳氏三量,皆登一焉,鍾乃大矣,以家量貸,而以公量收之。


    斉国ではもともと四つの体積単位があり、豆、区、釜、鍾という。四升で一豆であり、釜までは、おのおの四単位で上の単位に繰り上げた。それ以上は十釜で一鍾としたが、権勢家である陳氏は三単位で上の単位一単位へと繰り上げることとしたので、一鍾での誤差は大きくなった。この私的な単位で陳氏は民に貸し付け、公的な単位で税を取り立てた。(『春秋左氏伝』昭公三年ほか。詳細は昭公二十六年現代語訳を参照。)

    これによるなら、春秋時代では穀物を重さでなく体積で計っていたことになる。
    また『春秋左氏伝』襄公二十九年に、鄭国での飢饉に際し、「鍾」で「粟」の配給を行ったという記事がある。wikipedia中文版鍾条百度百科鍾条は容量と解しはしても重量としてはいない。先秦甲骨金文簡牘詞彙庫での「鍾」は、鐘や容器の器名の例しか無い。
    googleのAIが「鍾」を「『孔叢子』など…転じて、酒などの重さを量る単位としても使用されました」と2026年5月現在いうのはAIらしい早とちりで根拠が明瞭でないし、『孔叢子』はどう頑張っても秦末より古くには遡れない。
    従って粟六萬「石」は体積「斛」とするのが理にかなう。結果、「粟六萬」×19.4L=アワ1,164,000L。

  8. 「粟六萬」が年俸か月給かそれとも日給か、それを定めるべき史料を訳者は知らない。だがアワ六万石=アワ1,164,000Lは、日本の標準的な風呂桶の容量を200Lとすると、5,820杯分となる。現行日本の1俵の容量約72Lで割れば、16,167俵。そんなかさばるものを毎日にせよ毎月にせよ受け取っていたら、屋敷がアワ俵だらけになって置き場に困るだろう。虫が食ったら屋敷じゅう虫だらけ。貯えた穀物の虫食いに経験のある人はご存じだろうが、あれは愉快な体験ではない。加えてネズミが出たら伝染病のおそれがあり、春秋時代にペニシリンなどない。今なお治療薬のないネズミ原因の死病、ハンタウイルス伝染が伝えられる2026年5月のこんにち、ここでは年俸として考える事にする。
  9. wikipedia秩石条によると、『史記』や『漢書』『後漢書』の記述に見られる通り、同じ「石」でも「中…石」「石」「比…石」では俸給額が違う。例えば単なる「千石」であれば、年俸は960石になるとwikipediaは言う。しかしこれを孔子にまで遡って適用すべき情報を持ち合わせないため、ここでは「石」を年俸1石として計算する。
  10. 支給された「粟」は通説では”アワ”と解する。だが籾付きか玄アワか精白アワかを定めるべき史料を訳者は知らない。ただし話が冷蔵技術のない古代であること、食糧事情の悪い時代にあえて精白して栄養価を落とすとは考えにくいこと、あえて籾付きと解すべき根拠を知らないことから、ここでは玄アワとして考えることにする。論語郷党篇8に「食はしらげを厭はず」とあるが、”精白したご飯を避けなかった”の意で”精白でないと食べなかった”の意ではないし、なによりこの章は文字史から後世の創作が疑われる。
  11. ここで小鳥の餌屋さんから、玄アワを取り寄せた。届いてみるとインド産だった。

    体積1Lの重さを計ったところ、773.5gと出た。結果、「粟六萬」=玄アワ1,164,000L=玄アワ900,354kg。
  12. こちらのページによると、玄アワの100gあたりカロリーは346kcal。こちらのページによると、玄米100gあたりカロリーは同じく346kcal。よって玄アワと玄米を等価とみなすことにする。ちなみにこちらのページによると、精白アワのカロリーは100gあたり346kcal、精白米は342kcal。アワのふすまは実と同程度のカロリーがあるが、米ぬかはそれよりちょっと少ないようだ。
  13. 令和8年2月17日農林水産省発表記事によると、令和8(2026)年1月の相対取引価格は、全銘柄平均価格で35,465円/玄米60kg。結果、「粟六萬」玄アワ900,354kg÷玄米60kg×35,465円=532,184,243.5円。玄アワ六万石=5億3,218万4,243円50銭。
    なお粟一石=19.4L=15.0059kgあたりに直すと、8,869.7372円。約九千円。1L=773.5gあたりだと457円20銭。1kgあたりだと591円8銭。現在の日本の一合180mlだと82円30銭。一俵72Lだと3万2千919円61銭。
  14. 国税庁による令和6年民間給与実態統計調査によると、1年を通じて勤務した給与所得者の、その平均給与は478万円という。上掲孔子の年収をこの数値で割ると111.3356157949791人分となる。孔子がどの程度の人数、弟子を連れ回したかは分からないが、弟子百人程度はプータローでも養ってやれた計算になる。
  15. なお取り寄せた玄アワは、あとでご飯に炊いて春秋時代を知るよすがとする予定。→5/20実行

以上、この金額は算数の出来ない私立文系バカの訳者による、ものすごく大雑把な数値だとご理解願いたい。春秋時代の「粟」と、訳者が手にしたアワが同質である保証はどこにもないし、現在の米価格にももちろん相場の騰落があるからだ。訳者の計算違いもあるだろう。

さらに『左伝』に「齊舊四量」とあったように、春秋時代の諸侯国ごとに、度量衡が違っていたことはほぼ確実だし、「石」=「斛」という前提が間違っていれば、「石」はやはり重量単位だと解するべきだからだ。かくのごとく、古代の研究とは心細い。

なお内閣官房の資料によると、平成30年の日本国総理大臣年俸は、約4,032万円だという。

さて、この推計は以前にもしたことがあり、本サイト論語憲問篇20では「1,200,000リットル、2,568.5人が食費とそれ以外含め一年間生活できる俸給。2018年の日本の平均年収で換算すると、110億9,592万円」つまり約111億円としてきた。

これは漢学教授の諸説をいろいろやりくりした値で、現物を介していないから気にはなっていた。だが今日まで改めないままズルズル引きずってきたのだが、こうも値がちがうとは。本サイトのあちこちで言及した金額でもあり、それぞれを全部ひっくり返して書き直さなければならない。

うわーい、大変だ。

論語解説
スポンサーリンク
シェアする
九去堂をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました