論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳
公西赤子華(こうせいせき・しか)
公西赤、字は子華。孔子より四十二歳年少。
子華が斉国へ使いに出た。冉有が子華の母のためにアワを求めた。孔子が言った。「彼女に六斗四升与えなさい。」もっと下さいと言った。先生が言った。「十六斗与えなさい。」冉子は八百斗を与えた。孔子が言った。「公西赤が斉に行くには、超えた馬に車を牽かせ、軽い皮衣を着た。私はこう聞いている。君子は急場を救うが、富んだ者には足さないと。」
釜・庾・五秉は、宮崎市定説によると、十日分・二十日分・千日分に当たるという。それを元に計算すると、俵で二十俵ほどになる。詳細は論語詳解122A雍也篇第六(4)「子華、斉に使いす」を参照。
人物の詳細は論語の人物:公西赤子華を参照。
巫馬施子旗(ふうばし・しき)
巫馬施、字は子旗。孔子より三十歳年少。
陳の司敗が問うた。「昭公は礼を知る人でしたか。」孔子が言った。「礼を知っていました。」孔子はその場を去った。司敗は巫馬期にお辞儀して、近寄せて言った。「私はこう聞いている。君子はつるまないものだと。君子もまたつるむものなのか。魯の君主は同姓の呉から嫁を取って夫人にし、これを呉孟子と呼んだ。孟子の姓は姫である。昭公は同姓を名乗らせるのをはばかった、だから夫人を孟子と言った。魯の君主が礼を知るなら、誰が礼を知らないだろう。」巫馬期はこの言葉を孔子に告げた。孔子が言った。「私は幸運だ。もし間違いがあれば、人は必ずそれを知らせる。臣下は君主や親の悪口を言うべきではない。それを理由に言葉をはばかるのは、礼法にかなっている。」