論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳
端木賜子貢(たんぼくし・しこう)その一
端木賜,衛人,字子貢。少孔子三十一歲。
子貢利口巧辭,孔子常黜其辯。問曰:「汝與回也孰愈?」對曰:「賜也何敢望回!回也聞一以知十,賜也聞一以知二。」
子貢既已受業,問曰:「賜何人也?」孔子曰:「汝器也。」曰:「何器也?」曰:「瑚璉也。」
子貢利口巧辭,孔子常黜其辯。問曰:「汝與回也孰愈?」對曰:「賜也何敢望回!回也聞一以知十,賜也聞一以知二。」
子貢既已受業,問曰:「賜何人也?」孔子曰:「汝器也。」曰:「何器也?」曰:「瑚璉也。」
端沐賜は、衛の人なり、字は子貢。孔子より少きこと三十一歳。子貢は利口巧辞にして、孔子常に其の弁を黜く。問いて曰く、「汝と回とや孰れか愈(まさる)るか。」對えて曰く、「賜や何ぞ敢て回を望まん。回や一を聞き以て十を知る、賜や一を聞き以て二を知る。」子貢、既に業を受け、問いて曰く、「賜は何人ぞや。」孔子曰く、「汝は器なり。」曰く、「何の器ぞや。」曰く、「瑚璉(コレン)なり。」
端沐賜は、衛の人である。字は子貢。孔子より三十一歳年少。子貢は口車が回り、言葉が巧みだった。孔子はいつも、その口車に苦言を言った。
孔子「お前と顔回は、どちらが出来るかな。」
子貢「私如きがなんで顔回と。顔回は一を聞いて十を知りますが、私はせいぜい二を知るだけです。」
子貢がほぼ学び終えた頃、孔子に問うた。
子貢「私って何ですかね。」
孔子「道具だな。」
子貢「どんな道具ですかね。」
孔子「祭礼に用いる立派なやつじゃよ。」
陳子禽問子貢曰:「仲尼焉學?」子貢曰:「文武之道未墜於地,在人,賢者識其大者,不賢者識其小者,莫不有文武之道。夫子焉不學,而亦何常師之有!」又問曰:「孔子適是國必聞其政。求之與?抑與之與?」子貢曰:「夫子溫、良、恭、儉、讓以得之。夫子之求之也,其諸異乎人之求之也。」
子貢問曰:「富而無驕,貧而無諂,何如?」孔子曰:「可也;不如貧而樂道,富而好禮。」
子貢問曰:「富而無驕,貧而無諂,何如?」孔子曰:「可也;不如貧而樂道,富而好禮。」
陳子禽、子貢に問いて曰く、「仲尼は焉くにか学べる。」子貢曰く、「文武の道は未だ地に墜ちず、人に在り。賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文武の道有らざる莫し。夫子焉くにか学ばざらん。而して亦た何の常師か之れ有らん。」又問いて曰く、「孔子、是の国に適くや、必ず其の政を聞く。之を求むるか、抑々(そもそも)之を與うるか。」子貢曰く、「夫子、温、良、恭、倹、譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸れ人の之を求むに異なるなり。」子貢問いて曰く、「富みて驕る無く、貧しくして諂(へつら)う無きは、何如。」孔子曰く、「可なり、貧しくして道に楽しみ、富みて礼を好むに如かず。」
子貢の弟弟子、子禽*が子貢に問うて言った。
子禽「孔子先生ってどこで勉強したんですか。」
子貢「周初期の聖王、文王と武王の残した政道は、まだ消え尽きずにいろいろな人の心に残っている。賢者はそこから偉大なものを学び取る、凡人は下らないかけらしか気付かない。だから見る者が見れば、世界のどこにだって文王武王の遺訓は残っているのだ。先生はそのどこからでも学べるのだ。だから、これと言って決まった師匠がいないのも当然だ。」
また子禽が問うた。
「孔子先生はどこの国に行っても、必ずその政治に関わります。ご自分から望んだのでしょうか、それとも望まれて政権に就いたのでしょうか。」
子貢「先生は、温厚で、善良で、謙虚で、慎重で、控えめだ。だから政権に就いた。先生が政権を求めたのは、世間の権力亡者とは違うんだ。」
子貢が孔子に問うた。「富んで威張らず、貧しくして人に媚びない、こういう人はどうですかね。」
孔子「悪くないが、貧しくてもその人生を楽しみ、富んでも礼法を好む人には及ばないな。」
*論語の子張篇では、衛の公孫朝が質問したことになっている。
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