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『史記』現代語訳:仲尼弟子列伝(17)高柴・漆雕開・公伯繚・司馬耕

論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳

高柴子羔(こうさい・しこう)

高柴字子羔。少孔子三十歲。子羔長不盈五尺,受業孔子,孔子以為愚。子路使子羔為費郈宰,孔子曰:「賊夫人之子!」子路曰:「有民人焉,有社稷焉,何必讀書然後為學!」孔子曰:「是故惡夫佞者。」
高柴、字は子羔(コウ)。孔子より少きこと三十歳。子羔、長は五尺に盈たず。業を孔子に受け、孔子、以て愚と為す。子路、子羔をして費と郈の宰為らしむ。孔子曰く、「夫の人の子を賊う。」子路曰く、「民人有り、社稷有り、何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学と為さんや。」孔子曰く、「是の故に夫の佞者を悪む。」

高柴、字は子羔。孔子より三十歳年少。子羔の身長は五尺(≒1m)に満たなかった。孔子の教えを受けたが、孔子は「バカだ」と言った。

子路が季氏に仕えていた頃。弟弟子の子羔を、季氏の根拠地・費と、叔孫氏の根拠地・郈の代官に推薦した。聞いた孔子は子路に手紙を送った。
「前略。そなた弟弟子を思いやり、結構にそうろう。しかし学業途中でまだ早過ぎと思い候。かの者のためにならずと心配に候。草々。」
その返事。「謹啓。鳥鳴き山花盛りの時節、先生におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げ候。ご教示かたじけなく存じ候。しかれど治めるべき領地領民これあり候。かの者、現場働きで学べばよろしく候。本の虫ばかりが学者ではこれなく候。」
孔子「子路の奴言いよるわ。その口車が気に食わぬ。」

漆雕開子開(しつちょうかい・しかい)

漆雕開字子開。孔子使開仕,對曰:「吾斯之未能信。」孔子說。
漆彫開、字は子開。孔子、開をして仕えしめんとす。對えて曰く、「吾、斯れを之れ未だ信ずること能わず。」孔子説ぶ。

漆彫開、字は子開。孔子は漆雕開を仕官させようとした。答えて言った。「私は自分を考えると今なお信じることが出来ない状態です」。孔子は喜んだ。

公伯繚子周(こうはくりょう・ししゅう)

公伯繚字子周。周訴子路於季孫,子服景伯以告孔子,曰:「夫子固有惑志,繚也,吾力猶能肆諸市朝。」孔子曰:「道之將行,命也;道之將廢,命也。公伯繚其如命何!」
公伯繚、字は子周。周、子路を季孫に愬(うった)う。子服景伯以て孔子に告げて、曰く、「夫子固より志に惑うる有り。繚や、吾が力猶ほ能く諸を市朝に肆(さら)さん。」孔子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり、道の将に廃れんとするや、命なり、公伯繚、其れ命を如何せん。」

公伯繚、字は子周。公伯繚が、あるじの季孫氏に、同僚の先輩である子路の悪口を言った。その話を伝えに来た家老の子服景伯が孔子に言った。
「季孫家は公伯寮を、あまりよく思っていません。私が公伯繚をひっ捕らえて、市場に縛り付け、”この者はたわけである”と首に札掛けてさらし者にしましょうか。」
孔子「かたじけないが、やめなされ。季孫のご当主もたいがいです。子路の力で季孫家がまともになるもならないも、運命です。公伯繚にどうこうできる話ではありません。」

司馬耕子牛(しばこう・しぎゅう)

司馬耕字子牛。牛多言而躁。問仁於孔子,孔子曰:「仁者其言也讱。」曰:「其言也讱,斯可謂之仁乎?」子曰:「為之難,言之得無讱乎!」問君子,子曰:「君子不憂不懼。」曰:「不憂不懼,斯可謂之君子乎?」子曰:「內省不疚,夫何憂何懼!」
司馬耕、字は子牛。牛、多言にして躁。仁を孔子に問う。孔子曰く、「仁者は其の言や訒(ジン)なり。」曰く、「其の言や訒する、斯れ之を仁と謂う可きか。」子曰く、「之を為すこと難し、之を言うに、訒する無きを得んや。」君子を問う。子曰く、「君子は憂えず懼れず。」曰く、「憂えず懼れず、斯れ之を君子と謂う可きか。」子曰く、「内に省みて疚(やま)しからず。夫れ何をか憂え何をか懼れん。」

司馬耕、字は子牛。司馬耕は口数が多く、騒々しかった。

司馬牛が仁の要点を聞いたので、孔子が答えた。「仁者は言葉を、言いにくそうに言う。」「それだけですか?」「仁は実現しがたい。言いにくいのも当然だ。」

司馬牛が君子の要点を聞いたので、孔子が答えた。「君子は憂えない、恐れない。」「それだけですか?」「やましいことがなければ、憂いも恐れもない。どちらもないのが君子だ。」

『史記』仲尼弟子列伝・貨殖列伝:現代語訳
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