論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳
高柴子羔(こうさい・しこう)
高柴、字は子羔。孔子より三十歳年少。子羔の身長は五尺(≒1m)に満たなかった。孔子の教えを受けたが、孔子は「バカだ」と言った。
子路が季氏に仕えていた頃。弟弟子の子羔を、季氏の根拠地・費と、叔孫氏の根拠地・郈の代官に推薦した。聞いた孔子は子路に手紙を送った。
「前略。そなた弟弟子を思いやり、結構に候。しかし学業途中でまだ早過ぎと思い候。かの者のためにならずと心配に候。草々。」
その返事。「謹啓。鳥鳴き山花盛りの時節、先生におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げ候。ご教示かたじけなく存じ候。しかれど治めるべき領地領民これあり候。かの者、現場働きで学べばよろしく候。本の虫ばかりが学者ではこれなく候。」
孔子「子路の奴言いよるわ。その口車が気に食わぬ。」
漆雕開子開(しつちょうかい・しかい)
漆彫開、字は子開。孔子は漆雕開を仕官させようとした。答えて言った。「私は自分を考えると今なお信じることが出来ない状態です」。孔子は喜んだ。
公伯繚子周(こうはくりょう・ししゅう)
公伯繚、字は子周。公伯繚が、あるじの季孫氏に、同僚の先輩である子路の悪口を言った。その話を伝えに来た家老の子服景伯が孔子に言った。
「季孫家は公伯寮を、あまりよく思っていません。私が公伯繚をひっ捕らえて、市場に縛り付け、”この者はたわけである”と首に札掛けてさらし者にしましょうか。」
孔子「かたじけないが、やめなされ。季孫のご当主もたいがいです。子路の力で季孫家がまともになるもならないも、運命です。公伯繚にどうこうできる話ではありません。」
司馬耕子牛(しばこう・しぎゅう)
司馬耕、字は子牛。司馬耕は口数が多く、騒々しかった。
司馬牛が仁の要点を聞いたので、孔子が答えた。「仁者は言葉を、言いにくそうに言う。」「それだけですか?」「仁は実現しがたい。言いにくいのも当然だ。」
司馬牛が君子の要点を聞いたので、孔子が答えた。「君子は憂えない、恐れない。」「それだけですか?」「やましいことがなければ、憂いも恐れもない。どちらもないのが君子だ。」
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