『史記』現代語訳:仲尼弟子列伝(9)子貢D

論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳

端木賜子貢(たんぼくし・しこう)その四

越王除道郊迎,身御至舍而問曰:「此蠻夷之國,大夫何以儼然辱而臨之?」子貢曰:「今者吾說吳王以救魯伐齊,其志欲之而畏越,曰『待我伐越乃可』。如此,破越必矣。且夫無報人之志而令人疑之,拙也;有報人之志,使人知之,殆也;事未發而先聞,危也。三者舉事之大患。」
越王、道を徐(はら)い郊迎し、身から御して舎に至り、問いて曰く、「此れ蛮夷の国なり。大夫、何を以てか儼然として辱(かたじけな)くも之に臨める。」子貢曰く、「今者(このごろ)、吾、呉王に説くに魯を救い斉を伐つを以てす。其の志は之を欲さんとするも越を畏れて、曰く、『我が越を伐つを待たば乃ち可なり。』此くの如くならば、越を破らんこと必せり。且つ夫れ人に報ゆるの志無くして人をして之を疑わしむるは、拙なり。人に報ゆるの志有りて、人をして之を知らしむるは、殆きなり。事未だ発せずして先づ聞こゆるは、危きなり。三つの者は事を挙ぐるの大患なり。」

〔子貢が来ると聞いて〕越王の勾践は道を掃除して城門の外まで出迎え、手ずから馬車を御して迎賓館に連れて行き、問うて言った。
「このようなむさ苦しい蛮族の国に、閣下はなにゆえ威儀を整え、有り難くもお出でになったのですか。」

子貢「先日、私は呉王に説いて魯を救わせ斉を伐たせようとしました。呉王は同意しましたが、越国の復讐を恐れて、先に越を伐つからそれまで待て、と言いました。もしその通りになれば、越を破滅させるのは間違いありません。

越が復讐するつもりもないのに、呉王を疑わせたのは、まずい。復讐するつもりでも、呉王に察知されたのは、失敗同然。実行に移す前に噂が広がったのは、危険この上ない。この三つは、はかりごとの成功を阻む、大いなる心配事です。

句踐頓首再拜曰:「孤嘗不料力,乃與吳戰,困於會稽,痛入於骨髓,日夜焦脣乾舌,徒欲與吳王接踵而死,孤之願也。」遂問子貢。子貢曰:「吳王為人猛暴,群臣不堪;國家敝以數戰,士卒弗忍;百姓怨上,大臣內變;子胥以諫死,太宰嚭用事,順君之過以安其私:是殘國之治也。今王誠發士卒佐之徼其志,重寶以說其心,卑辭以尊其禮,其伐齊必也。彼戰不勝,王之福矣。戰勝,必以兵臨晉,臣請北見晉君,令共攻之,弱吳必矣。其銳兵盡於齊,重甲困於晉,而王制其敝,此滅吳必矣。」越王大說,許諾。送子貢金百鎰,劍一,良矛二。子貢不受,遂行。
句踐、頓首再拝して曰く、「孤、嘗て力を料らず、乃ち呉と戦い、会稽に困しみ、痛み骨髄に入り、日夜唇を焦がし舌を乾かす。徒だ呉王と踵を接して死せんと欲す、孤の願いなり。」遂に子貢に問う。子貢曰く、「呉王の人と為りは猛暴にして、群臣堪えず、国家以て数々戦うに敝れ、士卒忍びず。百姓、上を怨み、大臣、内に変ず。子胥は諫を以て死し、太宰嚭、事を用い、君の過ちに順い、以て其の私を安んず。是れ国を残(そこな)うの治なり。今、王、誠に士卒を発し之を佐け以て其の志を徼(むか)え、重宝以て其の心を説ばし、辞を卑くし以て其の礼を尊くせば、其れ斉を伐たんこと必せり。彼、戦いて勝たずんば、王の福なり、戦いて勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん。臣請う、北して晋君に見えて、共に之を攻めしめん。呉を弱くせんこと必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しむ。而して王、其の敝を制せば、此れ呉を滅ぼさんことは必せり。」越王大いに説びて、許諾す。子貢に金百鎰・剣一・良矛二を送る。子貢は受けず、遂に行く。

越王勾践は這いつくばって子貢を再度拝み、言った。
「私めは、かつて身の程知らずにも呉と戦い、会稽でひどい目に遭い、その苦痛が骨髄にまで届き、日夜唇を焦がし舌が乾くような思いです。願いはただ一つ、呉王に肉薄して斬り死にしてやろうと思っています。」とうとう本音を言い、子貢に計略を問うた。

子貢「呉王の人となりはケンカ早くて横暴で、並み居る家臣はこらえきれず、国は幾度もの戦いに疲れ、兵士の我慢も限界です。民衆はお上を怨み、大臣は内心呉を見限っています。賢臣の伍子胥は諌めましたが死んでしまい*、宰相の伯嚭は政治に携わっても、呉王の間違いに順うばかり、それで私腹を肥やしています。こういうのを、亡国の政治というのです。

今、越王たるあなたが実際に軍勢を整えて、呉国軍を助けて呉王の機嫌を取り、宝物を贈って呉王を喜ばせ、言葉を丁寧にして礼儀正しく振る舞えば、必ず呉は斉を伐つでしょう。そこで呉王が勝てなければ、それはあなたの幸福です。もし勝っても、呉は必ずそのまま晋を伐つでしょう。

(その時こそ越は呉を伐てばよろしい。)そこで私が晋に行って、晋公を説いて、共に呉を攻めさせましょう。呉軍が弱り果てているのは目に見えています。精鋭部隊は斉との戦いで全滅し、重装部隊は晋軍に苦しむでしょうから。その時に越王様が、くたびれた呉軍を伐てば、必ず呉国を滅ぼせます。」

越王は大いに喜んで、子貢の計略を受け入れた。子貢に金百鎰・剣一・良矛二を送ったが、子貢は受け取らずに、その後呉に行った。

*伍子胥はまだ死んでいないと注にある。

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