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『史記』現代語訳:仲尼弟子列伝(10)子貢E

論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳

端木賜子貢(たんぼくし・しこう)その五

報吳王曰:「臣敬以大王之言告越王,越王大恐,曰:『孤不幸,少失先人,內不自量,抵罪於吳,軍敗身辱,棲于會稽,國為虛莽,賴大王之賜,使得奉俎豆而修祭祀,死不敢忘,何謀之敢慮!』」後五日,越使大夫種頓首言於吳王曰:「東海役臣孤句踐使者臣種,敢修下吏問於左右。今竊聞大王將興大義,誅彊救弱,困暴齊而撫周室,請悉起境內士卒三千人,孤請自被堅執銳,以先受矢石。因越賤臣種奉先人藏器,甲二十領,鈇屈盧之矛,步光之劍,以賀軍吏。」
呉王に報じて曰く、「臣、敬みて大王の言を以て越王に告ぐ。越王、大いに恐れて、曰く、『孤、不幸にして、少くして先人を失い、内は自ら量らず、罪に呉に抵り、軍敗れて身辱められ、会稽に棲み、国は虚莽(キョモウ)と為る。大王の賜に頼り、俎豆を奉じて祭祀を修むるを得しむ。死すとも敢て忘れじ。何の謀をか之れ敢て慮らんや。』」後五日、越、大夫種をして頓首して呉王に言わしめて、曰く、「東海の役臣の弧句踐の使者臣種、敢て下吏を修め左右に問う。今、窃かに聞く、大王、将に大義を興し、彊きを誅し弱きを救い、暴斉を困しめて周室を撫せんとす、と。悉く境内の士卒三千人起こし、孤、請いて自ら堅を被り鋭を執り、以て先んじて矢石を受けんことを請う。因りて越の賎臣種、先人の藏器・甲二十領・鈇(フ)・屈盧の矛・歩光の剣を奉じ、以て軍吏に賀す。」

子貢は呉王に報告して言った。
「私め、敬んで大王の言葉を越王に告げました。越王は大いに恐れて言いました。私め越王は天の情けも得られず、人徳が少いために先祖のご加護を失い、国内では身の程を知らず、呉国に罰せられるようなことをしでかし、軍は敗れてこの身は辱められ、会稽に住んで、国は廃墟同然となりました。呉の大王のお恵みに頼って、供え物を先祖の霊に奉って、祭祀を正しく行えるようになりました。このご恩は死んでも忘れません。なのにどうして、悪だくみをたくましくしましょうか。と。」

その五日後、越は家老の種を呉に使わし、這いつくばって呉王に言せた。
「大王様の東海のしもべ、勾践の使者臣種、下っ端の分際ではございますが、思い切って大王様のご家来衆に伺います。今、もれ伺う所に拠りますと、呉の大王は今にも大いなる正義を盛んにするため、強きをくじき弱きを助け、横暴な斉国を困しめて周王室のみ心を安んじようとなされている、と。

そこで越国内の兵三千人をこぞって、越王め自らお願いして、鎧を着、鋭い武器を手に取り、呉軍の先を進んで、敵の矢や石を受け防ごうと思います。ですからこうして越の賤しき家臣の種めは、越が先祖から受け継いだ宝物・鎧二十領・斧・名器屈盧の矛・名剣歩光の剣を差し上げ、呉のいくさ奉行様の行く末をお祝い致します。」

 

吳王大說,以告子貢曰:「越王欲身從寡人伐齊,可乎?」子貢曰:「不可。夫空人之國,悉人之眾,又從其君,不義。君受其幣,許其師,而辭其君。」吳王許諾,乃謝越王。於是吳王乃遂發九郡兵伐齊。
呉王、大いに説び、以て子貢に告げて曰く、「越王、身ら寡人に従い斉を伐たんと欲す。可(許可)ならんか。」子貢曰く、「不可なり、夫れ人の国を空しくして、人の衆を悉くし、又其の君を従うるは、不義なり。君、其の幣を受け、其の師に許し、而して其の君を辞せよ。」呉王、許諾し、乃ち越王に謝す。是に於いて呉王、乃ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。

呉王夫差は大いに喜び、子貢に言った。
「越王めは自らワシに従って斉を伐つと言う。よいだろうか。」

子貢「いけません。そもそもよその国を空っぽにして、よその人々を根こそぎ動員し、その君主を従えるというのは、正義ではありません。呉王様、越のよこした物資だけ受け取り、越軍の参戦は免除し、越王の参戦も断って下さい。」

呉王は子貢の言葉に従い、すぐさま越王に感謝した。こうした呉王は、すぐさま全国九郡から徴兵して斉を伐とうとした。

『史記』仲尼弟子列伝・貨殖列伝:現代語訳
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