論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳
子贛既學於仲尼,退而仕於衛,廢著鬻財於曹、魯之閒,七十子之徒,賜最為饒益。原憲不厭糟糠,匿於窮巷。子貢結駟連騎,束帛之幣以聘享諸侯,所至,國君無不分庭與之抗禮。夫使孔子名布揚於天下者,子貢先後之也。此所謂得埶而益彰者乎?
子贛、既に仲尼に学び、退きて衛に仕う。鬻ぎたる財を曹・魯之間に廃つること著し。七十子之徒にありて、賜は最も饒(と)み益(ま)せりと為る。原憲は糟糠を厭わず、匿れて巷に窮しむに、子貢結うに駟つたりの騎を連ね、束帛之幣は以て諸侯に聘(まね)かれ享(う)く。至る所、国君の庭を之と分かち、抗禮せ不るもの無し。夫れ孔子を使て名を天下に布き揚ぐらしむる者は、子貢之を先後とする也。此れ所謂(いわゆる)埶(いきお)いを得て益(ますます)彰かなる者か。
子贛*は孔子塾を卒業して、衛国に仕えた。稼いだ財産を曹国や魯国あたりでおびただしくバラ撒いた。六芸を学び終えた高弟七十人の中で、子貢は最も富み栄えた。原憲が穀物のくずやぬかを美味しそうに食べて暮らす一方で、子貢は四頭立ての馬車を乗り回し、諸侯から招かれて雨あられと褒美を貰った。子貢の行く所、諸侯は政治を子貢に分担させただけでなく、対等の礼を認めない者はなかった。そもそも孔子が天下に有名になったのも、子貢から始まったことである。こういう人を、いわゆる時流に乗ってますます有名になる人、というのだろうか。
*子贛=同音同義の「子貢」。ただし「贛」には「貢」にはない、”おろか”の意がある。詳細は論語の人物:端木賜子貢を参照。
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