論語詳解256先進篇第十一(3)回や我を助くる*

論語先進篇(3)要約:孔子先生のお弟子の内、顔回先生はとりわけ偉い。何と言っても、孔子先生ですら畏敬するほどのお人だったのだから。という作り話。それは儒教を国教化させた男が、生存をかけてでっち上げた神格化の結果でした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「回也、非助我者也。於吾言、無所不說。」

校訂

定州竹簡論語

曰:「回[也非助我者也,於]吾言無所不說。」263

復元白文

論語 子 金文論語 曰 金文 論語 回 金文也 金文 論語 非 金文論語 我 金文論語 者 金文也 金文 於 金文論語 吾 金文論語 言 金文 論語 無 金文論語 所 金文論語 不 金文兌 金文

※說→兌。論語の本章は助が論語の時代に存在しない。さらに我を目的格に、吾を所有格に使い分けるなど、古い漢文の体裁を作って偽造を精巧にしている。本章は戦国時代以降の儒者による悪質な捏造である。

書き下し

いはく、くわいわれたすくるものあらざるなりげんおいよろこばざるところし。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子別像 論語 顔回
先生が言った。「顔回は私を助ける者ではない。私の話を聞いて喜ばないということがないのだから。」

意訳

ニセ孔子 顔回大明神
あー、これこれ顔回や。ちっとは私の仁や礼に批評でも加えてくれんかね。なに? ございません? んーまー、ありがたくはあるが、その何だ、付き合いもお父上の頃から長いのだし、私の欠点も目にしてるだろう。なに? ございません? 困ったねこりゃ。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「囘はいっこう私を啓発してはくれない。私のいうことは、何の疑問もなく、すぐのみこんでしまうのだから。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「顏回對我沒幫助,我所說的一切他都洗耳恭聽。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「顔回は私に対して何の助けにもならない。私が説教した一切を、彼は全て耳を澄ませて恭しく聞く。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 。」


論語 也 金文 論語 也 字解
(金文)

ここでは断定や詠嘆の意味ではなく、「A也B]=「AはBである」。『学研漢和大字典』による原義は、サソリの形。詳細は論語語釈「也」を参照。

「非助我者也」については武内本は、「也は邪と同じ。非の上豈の字をそえて読むべし」という。すると「回や豈我を助くる者に非ざらん邪」(顔回がどうして私の助けにならないことがあろうか、いやとんでもない)と読解できる。だがひいきの引き倒しと思う。

古典の原文に犬とあったらイヌ、猫とあったらネコと解すべきで、後世の価値観を古典に押し付けるのは、古来中国人がやらかし現在までに及んでいる、身勝手なご都合主義に自分まで加わることになる。どうしても意味が通じない場合に限って、古典の原文を疑うべきだ。

論語 助 古文 論語 助
(古文)

論語の本章では”手助けする”。論語では本章のみに登場。この文字の初出は秦系戦国文字で、論語の時代に存在しない。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、且は、積み重ねたさまを描いた象形文字。助は「力+(音符)且(シャ)・(ショ)」で、力の足りないとき、その上にプラスして力をそえてやること。祖(世代の重なり)・苴(ショ)(敷き重ねる草)・且(かつ。その上に重ねて)などと同系のことば。類義語の佑(ユウ)・祐(ユウ)は、かばう。佐は、ささえる。扶は、わきの下をささえる。援は、急場にゆとりをあけてやる。裨(ヒ)は、つけ足す。補は、つぎ当てる。救は、危険におちいらないようにひき止めること。輔(ホ)はぴったりくっついて力をそえる、という。詳細は論語語釈「助」を参照。

我・吾

論語 我 金文 論語 吾 金文
(金文)

論語の時代での一人称については、「吾」は主に主格と所有格に用い、「我」は主に目的語に用いた。ただし論語には孔子の在世当時の話から、前漢時代につけ加えられた部分まで、幅広い時代の言葉が収録されているので、必ずしもこの原則には従っていない。

詳細は論語語釈「我」論語語釈「吾」を参照。

說(説)

論語 説 金文大篆 論語 説
(金文)

論語の本章では”ものをいう”ではなく、音が通じる「悦」と同じく、”喜ぶ”。この場合は「セツ」ではなく、「エツ」と読むのが古来の慣習。人名としても、中行説(チュウコウエツ)という前漢時代の宦官カンガンがいる。詳細は論語語釈「説」を参照。

論語:解説・付記

顔回伝説

論語の本章が上掲の通り、後世の捏造であることは確実だが、時代は恐らく前漢時代だろう。定州竹簡論語にあることと、並外れた顔回称揚キャンペーンが始まったのは、漢代からだと思われるからだ。繰り返しで恐縮だが、戦国時代の孟子は顔回を呼び捨てにしている

『漢書』芸文志は、前漢の時代『公羊顔氏記』なる書物が十一篇あったという。公羊とは春秋時代の史書『春秋』の注釈者の一つ、『春秋公羊伝』を指すが、誰が書いたかははっきりしない。ただし史上初めて言い回ったのが、前漢の董仲舒だったことは史料上明らかだ。

…故漢興至于五世之閒,唯董仲舒名為明於春秋,其傳公羊氏也。(『史記』儒林伝)

…そういうわけで、漢帝国建国から五代の皇帝の閒、董仲舒だけが『春秋』を明らかに読むことが出来た。その読み方は、公羊氏の学問を受け継いだのである。

董仲舒とは、いわゆる前漢代の儒教の国教化を提唱した儒者で、言わば当時の儒学界のボスの一人である。政治的には必ずしも他を圧してはいなかったが、後世に与えた影響は甚大で、いわゆる現伝の儒教経典の多くが、一旦董仲舒の手を経ているとみてよい。

ゆえに『公羊顔氏記』なる書物も、董仲舒の手に成るとみるのが妥当だろう。現に芸文志には、公羊伝の思想で司法を述べた董仲舒の書、『公羊董仲舒治獄』十六篇の直前に記されている。そして『公羊顔氏記』以外、顔氏にかかわるとみられる書物は『漢書』芸文志に無い

『公羊顔氏記』は、もちろん現在では失伝しているし、他の書籍に引用された部分も、見つけることが出来ない。中国哲学書電子化計画の「先秦両漢」「漢代之後」のどちらで引いても、「顏氏記」「顏記」では結果は0。シュワルツシルト半径の向こう側に消え去った。

現代人は物理学上の現象同様、シュワルツシルト半径上に永遠に貼り付いたように見える後ろ姿=書名が分かるだけ。だがこうは言える。もし顔回の神格化を言い始めた儒者がいたなら、それは董仲舒以外に証拠が無い。そして董仲舒は、前漢儒教の大立て者だった。

次に学界のボスが言い出したことは、事実の如何を問わず、その当時の常識となる。森鴎外というクズ医者のせいで、大勢の日本兵や国民が壊血病でバタバタ死に、そうじゃないという説が出るたび、鴎外は威圧して黙らせた。黙らなかったのは武装していた海軍だけである。

このでんで行くなら、顔回の神格化は董仲舒に始まり、いわゆる儒教の国教化と共に進展した。一つの証拠が顔回の称号で、「顔子」=顔回先生という呼び方は、『孟子』に三例あるのを除き、全て後漢以降になる。『孟子』該当部分は以前も引用したが再度記す。

禹、稷當平世,三過其門而不入,孔子賢之。顏子當亂世,居於陋巷。一簞食,一瓢飲。人不堪其憂,顏子不改其樂,孔子賢之。孟子曰:「禹、稷、顏回同道。禹思天下有溺者,由己溺之也;稷思天下有飢者,由己飢之也,是以如是其急也。禹、稷、顏子易地則皆然。今有同室之人鬬者,救之,雖被髮纓冠而救之,可也。鄉鄰有鬬者,被髮纓冠而往救之,則惑也,雖閉戶可也。」(『孟子』離婁下57)

現代語訳はこちらを参照して頂きたい。一読しておかしいと思えるのは、「顔子」のうち二つが地の文であること、孟子が科白の中でかたや「顔回」と呼び捨てにし、かたや「顔子」と敬称していることで、これは後世の儒者が中途半端に文をいじった結果だろう。

その証拠に、孟子はこれ以外の箇所では顔回を「顔淵」と呼ぶ。姓+あざ名の呼び方で、「宰我」「冉有」、後世の「諸葛孔明」と同様、ふつうに先達を敬称する場合の物言いに過ぎない。編集の粗雑から見て、『孟子』をいじくったのはおそらく頭の悪い後漢儒者だろう。

要するに孟子は顔回神格化に手を貸さなかった。その後の前漢時代に董仲舒が『公羊顔氏記』を書いた。その後の後漢時代に、儒者は揃って「顔子」=顔回先生と言い始めた。董仲舒の使用前と使用後で、このような効果が! いかがでしょうか、奥さま! 今なら大バーゲン!

というわけで、顔回神格化のニオイの元は、前漢の董仲舒である。実は「顔子」の使用後の初出は、前漢宣帝期の易の注釈書である『焦氏易林』で、宣帝は儒教の国教化を進めた武帝の、事実上の後継者である。だからますます董仲舒下手人説が深まるようで、そうでない。

肝心の『焦氏易林』が、『漢書』芸文志に載っていない。記し漏れたのだと言い張ることは出来るが、そもそもあやしい占い本だから、もったいを付ける必要があり、「いにしえからの言い伝えじゃぞ」ということででっち上げられた可能性もある。

だがそれでも、顔回神格化董仲舒下手人説は揺るがない。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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