論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子謂顏淵曰、「用之則行、舍之則藏。唯我與爾有是夫。」子路曰、「子行三軍、則誰與。」子曰、「暴虎馮*河、死而無悔者、吾不與也。必也臨事而懼、好謀而成者也。」
校訂
武内本:憑、釋文唐石経馮に作る。
定州竹簡論語
……謂顏淵曰:「用a則行,舍之則臧b,唯]144……路曰:「子145……子曰:「暴虎馮c河146……[吾弗]d與也。必也臨事而懼,好謀而成者□。」147
- 今本「用」下有「之」字。
- 臧、今本作「藏」。二字可通借。
- 馮、皇本、高麗本作「憑」、『釋文』云、「”馮河”亦作”憑ママ”」。
- 弗、今本作「不」。
→子謂顏淵曰、「用則行、舍之則臧。唯我與爾有是夫。」子路曰、「子行三軍、則誰與。」子曰、「暴虎馮河、死而無悔者、吾弗與也。必也臨事而懼、好謀而成者也。」
復元白文
※藏→臧・悔→毎・懼→虞。論語の本章は吾と我を混同し、也の字を断定で用いている。少なくとも「子路曰」以降は、戦国時代以降の儒者による捏造である。
書き下し
子顏淵に謂ひて曰く、用ゐらるれば則ち行ひ、舍て之ば則ち臧る、唯我與爾と是有る夫。子路曰く、子三軍を行らば、則ち誰を與にせむ。子曰く、虎を暴ぎて河を馮り、死し而悔なき者は、吾與にせ弗る也、必ず也事に臨み而懼れ、謀を好み而成さむ者也と。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が顔淵に言った。「自分が用いられれば確かに仕事をし、自分が捨てられれば確かに隠す、ただ私とお前だけにあることだなあ。」子路が言った。「先生が三軍を率いるなら、とりわけ誰を連れて行きますか。」先生が言った。「虎を見れば襲いかかり、川を見れば飛び込み、死んでも悔いのない者とは、私は共に行かない。間違いなく、目の前のことに慎重になり、計画立案を好んで達成する者とだ。」
意訳
孔子「顔回や、職に就けたらまじめに働き、就けなければ世間から隠れる。これが出来るのは、私とお前だけだな。」
子路「でも出征するなら私を連れて行くでしょう?」
孔子「いやだね。お前は虎を見れば殴りかかり、川を見ればザブザブと飛び込む。死んでもかまわないと思っている。そうじゃなくて、連れて行くなら事態を前によく考え、計画を立ててからやり遂げる者の方がいいに決まっている。」
従来訳
先師が顔渕に向っていわれた。
「用いられれば、その地位において堂々と道を行うし、用いられなければ、天命に安んじ、退いて静かに独り道を楽む。こういった出処進退が出来るのは、まず私とお前ぐらいなものであろう。」
すると子路がはたからいった。――
「もし一国の軍隊をひきいて、いざ出陣という場合がありましたら、先生は誰をおつれになりましょうか。」
先師はこたえられた。――
「素手で虎を打とうとしたり、徒歩で大河をわたろうとしたりするような、無謀なことをやって、死ぬことを何とも思わない人とは、私は事を共にしたくない。私の参謀には、臆病なぐらい用心深く、周到な計画のもとに確信をもって仕事をやりとげて行くような人がほしいものだ。」
現代中国での解釈例
孔子對顏淵說:「受重用時,就展露才華;不受重用時,就韜光養晦。衹有我和你能做到!」子路說:「您帶兵作戰時,讓誰輔助?」孔子說:「徒手斗猛虎、赤腳過深河,至死不悔的人,我不需要。我需要的是那種小心行事、以智謀取勝的人。」
孔子が顔淵に言った。「重く用いられたときは才能を尽くして働き、重く用いられないときは爪を隠してくらます。私とお前だけができることだな。」子路が言った。「先生が兵を連れて戦をするとき、誰に補佐させますか?」孔子が言った。「素手で猛虎と戦い、裸足で川を渡り、死んでも悔いの無い人は、私には要らない。要るのは気を付けて事を行い、知謀で勝利を得る人だ。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
子 謂 顏 淵 曰、「用 之 則 行、 舍 之 則 藏。惟 我 與 爾 有 是 夫。」子 路 曰、「子 行 三 軍、則 誰 與。」子 曰、「暴 虎 馮 河、死 而 無 悔 者、吾 不 與 也。必 也 臨 事 而 懼、好 謀 而 成 者 也。」
顔淵(渕)
(金文)
論語では、孔子一門中、唯一仁者と評された弟子。本章では「顔回」でなく、敬称の「顔淵」と記されている。本章の目的が、顔回神格化にあると知れる。詳細は論語の人物:顔回子淵を参照。
用之則行、舍之則藏(蔵)
「蔵」(金文)
論語の本章では、”用いられたら行い、捨てられたら隠れる”。
ここでの「之」は、直前が動詞であることを示す記号で、客語(≒目的語)としての意味内容を持たないと共に、受身を表している。この受身の語法は『大漢和辞典』にも『学研漢和大字典』にも記載が無いが、そう解さないと、「則」の前後で主語が入れ替わることになる。
全く寡聞にしてこのような用例を他に知らないが、本章が捏造であることを思うと、漢代の儒者が文に古味を持たせるため、デタラメを作り上げたのかと想像する。論語語釈「之」も参照。
「蔵」は『学研漢和大字典』によると形声文字で、艸は、収蔵する作物を示す。臧(ソウ)は「臣+戈(ほこ)+(音符)爿(ソウ)・(ショウ)」からなり、武器をもった壮士ふうの臣下。藏は「艸+(音符)臧」で、臧の原義とは関係がない。倉(ソウ)(作物をしまいこむ納屋)と同系のことば、という。
「臧」は「蔵」の原字で、同じく”しまいこむ”を意味する。詳細は論語語釈「臧・蔵」を参照。
舍
(金文)
論語の本章では手偏の付いた「捨」と同じ。漢文的には、ほかに”おく”の読みを記憶しておくと読みやすくなる。論語の時代の「捨」の字は未発掘で、「舎」と書き分けられていなかった可能性がある。詳細は論語語釈「舎」を参照。
子路
(金文)
論語では、孔子一門中最も早期の弟子で、武芸自慢。詳細は論語の人物:仲由子路を参照。
三軍
(金文)
論語の本章では、”全国軍”。「軍」の詳細は論語語釈「軍」を参照。
礼法の規定では、天子は六個軍、大諸侯は三個軍、中諸侯は二個軍、小諸侯は一個軍を持つ。一軍は兵力一万で五旅からなり、一旅は十卒、一卒は四小戎、一小戎は十伍、一伍は五人から成る。
孔子の母国である魯は、論語当時では中程度の国だったが、立国当初は君主に周王の弟で摂政を務めた周公旦を据えた大国だったので、三軍を持った。一方当時の大国である晋は六軍を持ち、礼法の規定は廃れていた。と言うより、礼法なるものが後世のでっち上げである。
魯国も同様で、すでに三軍の半分を家老家筆頭の季氏が持ち、残りを叔孫氏と孟孫氏が半分ずつ分け合った。ここでは漠然と、「軍を率いるなら」程度の発言。
暴虎馮河(ボウコヒョウガ)
論語の本章では、素手のまま、虎に立ち向かい、広大な黄河を歩いて渡ること。無謀で、命知らずな行動にたとえる。意味は上記の通りだが、音読みして”無茶な行い”の故事成句になっている。
(金文)
『学研漢和大字典』によると「暴」は会意文字で、金文では、もと「日+動物の体骨+両手」で、動物のからだを手で天日にさらすさま。篆文(テンブン)からのち、その中の部分が「出+米」のように誤って伝えられた。
表(外に出す)と同系で、曝(バク)(むき出してさらす)の原字。のち、勡(ヒョウ)(手あらい)・豹(ヒョウ)(あらく身軽なひょう)・爆(バク)(火の粉があらくはじける)・瀑(バク)(しぶきがあらあらしく散る)などの系列の語と通じて、手あらい意に用いる、という。詳細は論語語釈「暴」を参照。
『字通』には上掲の金文を載せるが年代未詳。
「虎」(金文)
「虎」は象形文字で、とらの全形を描いたもの、という。詳細は論語語釈「虎」を参照。
「馮」(金文)
「馮」は論語では本章のみに登場。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、冫の古い形は、氷がぶつかって割れめのできたさまを描いた象形文字。氷の原字。馮は「馬+(音符)冫」。向こうみずな馬のように、ぽんとぶつかっていくこと。また、両方からぶつかりあうこと。氷(ぶつかって割れるこおり)と同系のことば、という。
『字通』によると形声文字で、声符は仌(氷)(ひよう)。〔説文〕十上に「馬行くこと疾(はや)きなり」とあり、馬が競うように疾走することをいう。馮怒・馮盛の意は、その引伸義であろう。また古く憑依の意に用いる。おそらく馮怒・馮盛の状態が、神の憑依するエクスタシーの状態と似ており、馬のその状態を一種の憑依現象とする考えかたがあったのであろう、という。
「河」(金文)
「河」は会意兼形声文字で、原文字は「水の流れ+┓型」の会意文字で、直角に┓型に曲がったかわのこと。黄河は西北中国の高原に発し、たびたび直角に屈曲して、曲がり角で、水はかすれて激流となる。
のち、「水+(音符)可」。可(のどの曲がりめでかすれ声を出す)・訶(カ)(かすれ声でどなる)・歌(屈曲したふしをつけてうたう)・渇(のどがかすれる)などと同系のことば。
類義語の川は、穿(セン)(うがつ)と同系で、低い所をうがつようにして通るかわ。江は、まっすぐ大陸をつらぬく長江(揚子江)。畎(ケン)は、細く曲がって貫流するみぞ、という。詳細は論語語釈「河」を参照。
悔
(金文)
論語の本章では”後悔”。この文字の初出は上掲戦国時代の金文で、論語の時代には存在しない。同音同訓に詯があるが、甲骨文・金文ともに存在しない。ただし部品の「毎」には”くらい・おろか”の語義があり、「悔」→”くらい気持”、と考えれば音通すると言える。
詳細は論語語釈「悔」を参照。
吾弗與也
「弗」の語法には時代性がある。
『学研漢和大字典』
漢代以前は、「弗+動詞」=「不+動詞+之」と目的語を省略した動詞の否定の場合に用いる。漢代以後は、「不」と同じ用法で、形容詞や動詞を否定する。
つまりここでは、「死して悔いなき者」を示すべき「之」の類が省かれている。言い換えると、「不(動詞)之」よりもぶっきらぼうな物言いであり、もし本章が史実とするなら、孔子が子路をたしなめるにはふさわしい。
懼(ク)
(金文)
論語の本章では、同じ「おそれる」でも、細かく気を配ること。この字の初出は戦国末期の中山王の青銅器に鋳込まれた金文で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は「虞」。詳細は論語語釈「懼」を参照。
好謀而成者
「謀」(金文・篆書)
論語の本章では、”はかりごとを好んで行う者。”ここから孔子一門の、革命政党的性格を読み取ることが出来る。また「君子」とは本の虫ではなく、戦乱の世では一旦事あったら出陣する戦士であったことも表れている。
(金文2)
『学研漢和大字典』で「謀」は、よくわからない先のことをことばで相談すること。詳細は論語語釈「謀」を参照。いずれにせよ後ろ暗い事であるには違いない。
論語:解説・付記
論語の本章は儒者の卑劣さの、特徴の一つを捉えている。総じて儒者はひ弱であり、体を使うことや肉体労働する者をひどくいやしんだ。孔子一門きっての武人である子路も儒者の魔の手にかかり、とてつもない筋肉バカに描かれることが多い。
また、本章でも顔回を孔子と同級に引き上げる記述により、顔回の神格化が行われているが、論語為政篇9で検討したように、顔回神格化は漢代に始まる。従って論語の本章は、文字的に孔子生前まで遡れないばかりか、内容的にもあり得ない話だと言っていい。
既存の論語本では吉川本で、一軍を一万二千五百人とする。だが当時の兵法書では編成に違いがあり、上掲の語釈は『国語』斉語の記述による。論語と同時代の『孫武兵法』では同じく一万だが、『太平御覧』の記述では吉川本の通りになる。ただし『孫武兵法』では別に輜重部隊を数えるので、『太平御覧』とほぼ同じになると考えていい。
なお孔子は弓術など古人武芸にも優れていたが、戦術戦略に当たる兵法も心得ていた事が、弟子の冉有(=冉求)の証言から分かる。東方の大国・斉の侵略軍を撃退した冉有が、家老にどこで戦術を学んだかを聞かれ、孔子から教わったと答えた話が、『史記』・『左伝』に見える。
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[…] 子路「でも出征するなら私を連れて行くでしょう?」 孔子「いやだね。お前は暴虎馮河=虎を見れば殴りかかり、川を見ればザブザブと飛び込む。死んでもかまわないと思っている。そうじゃなくて、連れて行くなら事態を前によく考え、計画を立ててからやり遂げる、顔回の方がいいに決まっている。」(論語述而篇10) […]