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論語詳解178述而篇第七(31)子、人と歌うて’

論語述而篇(31)要約:孔子先生は誰かと歌ったとき、うまく歌えたと思えたときには、相手にもう一度繰り返してもらい、和音で共に歌いました、という弟子による思い出話。ただそれだけのことで、何かのお説教ではありません。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子與人歌而善必使反之而後和之

校訂

東洋文庫蔵清家本

子與人歌而善必使反之而後和之

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

……[之,而後和]之。181

標点文

子與人歌而善、必使反之、而後和之。

復元白文(論語時代での表記)

子 金文与 金文人 金文歌 金文而 金文善 金文 必 金文使 金文反 金文之 金文 而 金文後 金文和 金文之 金文

※歌→訶。論語の本章は、「必」の用法に疑問がある。

書き下し

ひとうたからば、かならこれかへ使のちこれなごみうたへり。

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 切手
先生は人と歌っていいと思ったら、相手に(一人で)歌って貰って、それから相手に調子を合わせて歌った。

意訳

上に同じ

従来訳

下村湖人
先師は、誰かといっしょに歌をうたわれる場合、相手がすぐれた歌い手だと、必ずその相手にくりかえし歌わせてから、合唱された。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子和別人一起唱歌,如果別人唱得好,就必定要他再唱,然後自己跟著唱。

中国哲学書電子化計画

孔子は人と共に歌うとき、もし人が歌って上手ければ、すぐに必ず再度歌わせて、その後で自分も共に歌った。

論語:語釈

子(シ)

子 甲骨文 子 字解
「子」

論語の本章では”(孔子)先生”。初出は甲骨文。論語ではほとんどの章で孔子を指す。まれに、孔子と同格の貴族を指す場合もある。また当時の貴族や知識人への敬称でもあり、孔子の弟子に「子○」との例が多数ある。なお逆順の「○子」という敬称は、上級貴族や孔子のような学派の開祖級に付けられる敬称。「南子」もその一例だが、”女子”を意味する言葉ではない。字形は赤ん坊の象形で、もとは殷王室の王子を意味した。詳細は論語語釈「子」を参照。

與(ヨ)

与 金文 與 字解
(金文)

論語の本章では”~と”。新字体は「与」。初出は春秋中期の金文。金文の字形は「牙」”象牙”+「又」”手”四つで、二人の両手で象牙を受け渡す様。人が手に手を取ってともに行動するさま。従って原義は”ともに”・”~と”。詳細は論語語釈「与」を参照。

人(ジン)

人 甲骨文 人 字解
(甲骨文)

論語の本章では”他人”。初出は甲骨文。原義は人の横姿。「ニン」は呉音。甲骨文・金文では、人一般を意味するほかに、”奴隷”を意味しうる。対して「大」「夫」などの人間の正面形には、下級の意味を含む用例は見られない。詳細は論語語釈「人」を参照。

歌(カ)

歌 金文 歌 字解
余贎乘兒鐘・春秋晚期

論語の本章では”歌う”。初出は春秋末期の金文。ただし字形は「謌」または「訶」。「訶」は『大漢和辞典』は”うた”ではなく”しかる”の意とするが、春秋末期に“うたう”の用例がある。現行字体の初出は戦国最末期の「睡虎地秦簡」。字形は「言」”声を出す”+「哥」(音符)。「哥」に”こえ・うた”の語義はあるが、初出は戦国最末期の「睡虎地秦簡」。「謌」の略体と思われる。現行の字形は「哥」”うた”+「欠」”口を開けた人。同音に「柯」”斧の柄”・「哥」”こえ・うた”・「哿」”よい”・「笴」”矢柄”。春秋末期の用例に”おと”・”うたう”がある。詳細は論語語釈「歌」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”…であって同時に”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

善(セン)

善 金文 善 字解
(金文)

論語の本章では”よい”。「善」はもとは道徳的な善ではなく、機能的な高品質を言う。「ゼン」は呉音。字形は「譱」で、「羊」+「言」二つ。周の一族は羊飼いだったとされ、羊はよいもののたとえに用いられた。「善」は「よい」「よい」と神々や人々が褒め讃えるさま。原義は”よい”。金文では原義で用いられたほか、「膳」に通じて”料理番”の意に用いられた。戦国の竹簡では原義のほか、”善事”・”よろこび好む”・”長じる”の意に用いられた。詳細は論語語釈「善」を参照。

必(ヒツ)

必 甲骨文 必 字解
(甲骨文)

論語の本章では”必ず”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。原義は先にカギ状のかねがついた長柄道具で、甲骨文・金文ともにその用例があるが、”必ず”の語義は戦国時代にならないと、出土物では確認できない。『春秋左氏伝』や『韓非子』といった古典に”必ず”での用例があるものの、論語の時代にも適用できる証拠が無い。詳細は論語語釈「必」を参照。

使(シ)

使 甲骨文 使 字解
(甲骨文)

論語の本章では”~させる”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「事」と同じで、「口」+「筆」+「手」、口に出した事を書き記すこと、つまり事務。春秋時代までは「吏」と書かれ、”使者(に出す・出る)”の語義が加わった。のち他動詞に転じて、つかう、使役するの意に専用されるようになった。詳細は論語語釈「使」を参照。

反(ハン)

反 甲骨文 反 字解
「反」(甲骨文)

論語の本章では”返す”。二人で歌った歌を、相手が自分に「返事するように」歌うこと。初出は甲骨文。字形は「厂」”差し金”+「又」”手”で、工作を加えるさま。金文から音を借りて”かえす”の意に用いた。その他”背く”、”青銅の板”の意に用いた。詳細は論語語釈「反」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それ”。本章の場合歌を指す。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

後(コウ)

後 甲骨文 後 字解
(甲骨文)

論語の本章では”そのあとで”。「ゴ」は慣用音、呉音は「グ」。初出は甲骨文。その字形は彳を欠く「ヨウ」”ひも”+「」”あし”。あしを縛られて歩み遅れるさま。原義は”おくれる”。甲骨文では原義に、春秋時代以前の金文では加えて”うしろ”を意味し、「後人」は”子孫”を意味した。また”終わる”を意味した。人名の用例もあるが年代不詳。詳細は論語語釈「後」を参照。

和(カ)

和 金文 和 字解
(金文)

論語の本章では”唱和する”。いっしょに歌うが相手の音階と和音になるように歌うこと。初出は春秋末期の金文。字形は「」”イネ科の植物”+「口」。「和」と「禾」は上古音同じ。原義は食糧が十分行き渡ったさま。「ワ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。詳細は論語語釈「和」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は、下掲前漢初期の賈誼『新書』に似たような文字列があるほか、『史記』孔子世家にも一部文字列が違う記述があるのを除き、春秋戦国時代を含む先秦両漢に引用や再録が無い。

前漢年表

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夫民之為言也,暝也;萌之為言也,盲也。故惟上之所扶而以之,民無不化也,故曰民萌民萌哉,直言其意而為之名也。夫民者賢不肖之材也,賢不肖皆具焉,故賢人得焉,不肖者伏焉,技能輸焉,忠信飾焉。故民者,積愚也。故夫民者,雖愚也,明上選吏焉,必使民與焉。故士民譽之,則明上察之,見歸而舉之。故士民苦之,則明上察之,見非而去之。故王者取吏不妄,必使民唱,然後和之。故夫民者,吏之程也。察吏於民,然後隨之。夫民至卑也,使之取吏焉,必取其愛焉。故十人愛之有歸,則十人之吏也;百人愛之有歸,則百人之吏也;千人愛之有歸,則千人之吏也;萬人愛之有歸,則萬人之吏也。故萬人之吏,選卿相焉。


そもそも民が政治に不満を持ったとき、はっきりと口にすることは無い。不安を覚えたときも何か根拠があるのではなく、ただ感情で言っているだけだ。だから為政者に救って貰えば喜んで従い、言うことを聞かない民はいない。だから「民が不安であるぞ、不安であるぞ」と昔から言うのは、民の本心を言い当てて言葉にしたものだ。

そもそも民は賢い一方で、賢者の教えを聞きたがりはしない。賢くかつ、聞く耳の無い愚か者でありながら、それで世の中を生きている。だから賢者がわざを見せると、愚か者でも言うことを聞く。技能が問題を解決するので、忠義や信頼など言葉の飾りでしかない。

だから民は、放っておくとどんどん愚かになる。だから民というものは、愚か者でありながら、為政者が適所適材に役人を配置し指導させれば、民は一生懸命働いて、世の中を豊かにする。

だから民や浪人衆が誉めるような人材なら、優れた為政者はじっと観察し、成果を見計らって登用する。民や浪人衆がけなす者なら、優れた為政者はじっと観察し、間違いを仕出かしたらクビにする。

だから王者たる者、いい加減に役人を採用してはならず、必ず民が褒めそやすのを待って、それに同調して採用するのだ。だから民というのは、良い人材を選ぶための道しるべであり、民の要求に沿う役人を配置して、やっと民が政府の言うことを聞くのだ。

そもそも民は俗物に決まっているが、その要求通りに役人を採用すれば、必ず政府を支持してくれもする。民の十人が「これはいい人だ」と言う者が成果を上げるなら、つまり十人をよく治める役人を採用できたのに他ならない。百人でも、千人でも、万人でも同じ。万人をよく治められるような人材なら、閣僚に任じるのがよろしい。(『新書』大政下4)

だが文字史的に論語の時代に遡れるから、本章は史実の孔子に対する思い出話と考えてよい。

解説

徒然草
ただそれだけの話。『徒然草』六十五段に、「このごろのかぶりは、昔よりは遙かに高くなりたるなりとぞ、ある人おほせられし。古代の冠桶を持ちたる人は、端をつぎて今は用ふるなり。 」とあって、冠が高くなり、入れる桶を継ぎ足したことしか分からないのと同じ。

多芸な孔子が諸芸の中で音楽を最も得意とし、孔子塾の必須科目に音楽を含め、一般教育の基本に礼楽として礼とセットにしたのは、孔子の母が巫女だったことと無関係とは思われない。冠婚葬祭に音楽はつきものであり、儒家は葬儀であっても、盛んに鳴り物を鳴らした。

母もまたよく歌っただろうし、孔子はそれを聞いて育ち、母の属する呪術者集団の楽師から、音楽の手ほどきを受けただろう。一般的な論語の解説では、孔子は魯の師ジョウ子に音楽を学び、周の都城・洛由に留学した際、チョウ弘という大臣からも音楽を教わったことになっている。

前者はともかく後者は怪しいが、孔子にとって音楽は、赤の他人と自分とを結ぶきっかけでもあった。石の打楽器を孔子が打った際、その音を聞いて賢者とおぼしき人が評論して門の外を通り過ぎる話が論語憲問篇42にあり、本章のように見知らぬ人とも歌ったのだろう。

かように孔子塾で重視された音楽でありながら、中国人は物持ちが悪く、孔子が歌ったり奏でたりした曲は何一つ残っていないのは残念である。現存する最古の論語は日本に残った本であり、『史記』に至っては一旦中国で全滅し、日本から逆輸入している。

以下、論語の本章の新古の注釈。

古注『論語義疏』

子與人歌而善必使反之而後和之註樂其善故使重歌而後自和之也疏子與至和也 此明孔子重於正音也反猶重也孔子與人共歌若彼人歌善合於雅頌者則孔子欲重聞其音曲故必使重歌也重歌既竟欣之無己故孔子又自歌以荅和之也衛瓘曰禮無不荅歌以和相荅也其善乃當和音不相反故今更為歌然後和也

論語 古注 何晏 古注 皇侃
本文「子與人歌而善必使反之而後和之」。
注釈。善い音楽はそれを理由に繰り返し歌わせてその後で自分も合わせて歌ったのである。

付け足し。先生は一緒に合わせるに至ったのである。これは孔子が正しい音楽を重んじたことを明らかにしたのである。反とは重ねるようなことだ。孔子は人と歌って、もしその人が歌うのが上手く、みやびな歌によく叶っていれば、すぐさま孔子はその曲を重ねて聞きたがった。だから必ず重ねて歌わせたのである。重ねての歌が終わってその余韻を楽しんで忘我の境地にあった。だから孔子はもう一度自分で歌って、歌って貰った事へのお返しにした。

衛瓘「礼法の定めではお返しに歌わないということはなく、歌い返すことで互いの応答とする。善い歌声とは必ず音が調和し争わない。だからもう一度繰り返してその後で合わせて歌ったのである。」

新注『論語集注』

和,去聲。反,復也。必使復歌者,欲得其詳而取其善也。而後和之者,喜得其詳而與其善也。此見聖人氣象從容,誠意懇至,而其謙遜審密,不掩人善又如此。蓋一事之微,而眾善之集,有不可勝既者焉,讀者宜詳味之。

論語 朱子 新注
和は尻下がりに読む。反とは繰り返すことである。必ず繰り返して歌わせたのは、歌の詳細を知りその善き所を会得するためである。その後で合わせて歌ったのは、詳細が分かったことを喜びその善き所を共有しようとしたためである。ここから聖人の気性が穏やかで、真心があり懇ろであり、そして謙遜して詳細を知りたがることがわかる。人の善き所を覆い隠したりしないのもその一つである。思うにたった一つの善いことでも、それが集まれば、数え上げることが出来ないほどになる。論語を読む者は、このあたりをよく味わわねばならん。

論語の本章と『史記』孔子世家で、どちらが元ネタかと言えば、文字史上は本章が元ネタと言える。

  • 子與人歌而善、必使反之、而後和之。(論語の本章)
  • 使人歌、善、則使複之、然後和之。(『史記』孔子世家)

「複」の字が中国語に現れるのは戦国最末期の「睡虎地秦簡」で(論語語釈「複」)、「然」の字は春秋時代に存在するが、”しかるに”の意ではなく、”焼き鳥”の意だった(論語語釈「然」)。ただし「反」に”繰り返す”の意は論語の時代に無く、「複」の部品「复」には”繰り返す”の用例が、すでに甲骨文から見られる。

復 甲骨文 復 字解
「复」(復)・甲骨文

  • 貞戌勿复

「とう、いくさふたたびするなからんか。」
”天意を問う。戦争を再開すべきではないだろうか。”(「甲骨文合集」19358)

見ての通り、麺やパンの生地を伸ばす麺棒で往復を表し、下に「スイ」”あし”を記して、行ったり来たりするさまを表す。詳細は論語語釈「復」を参照。また上記の通り論語の本章「必」に”必ず”の語義は論語の時代に無く、史記の「則」は金文から”すなわち”を意味した。

詳細は論語語釈「則」を参照。

余話

ウダレーニエ

論語の本章から、孔子は歌うことも好きだったし、聞くことも好きだったと見える。世に歌の嫌いな人はそうそう居ないだろう。だが聞くのは好きでも歌うのは嫌いな人も、その逆や両方の人もいるだろう。訳者の場合は、歌うのも聞くのも好きだが、どちらも人前では好まない。

だからカラオケのたぐいは好きでない。聞かせるように歌える能は無いからだ。歌うときには一人で、人に聞かせるためではないから好きな歌を歌う。訳者が歌える言語は日本語と、あと中国語とロシア語だけだが、以下は病膏肓に入る者のたわごと。

ふと気付けば歌っているのはロシア語が多い。圧倒的に音が美しいからだ(→引用動画1)。前世紀末までは、日本にもいわゆるロシア民謡愛好者が目立った。それはredの流行と無関係ではないが、無関係と思い込んでしまえば、音の美しさが好まれたからだ、と思い込める。

ロシア歌曲の美しさは、むかしビザンツから正教会を受け入れたたために、楽器を使わない聖歌が普及したからだとあるのを読んだことがある。もっともながら訳者は別の意見も持っている。ラテン系ゲルマン系と違って、ロシア語のアクセントが高低アクセントでないからだ。

時に英語が軽薄に聞こえるのは、一つに日本人には珍妙な高低アクセントのせいだ。rとlを訳者が一生懸命発音し分けようとするのを、オックスブリッジのイギリス人はせせら笑いもした。対してかつてのタモリ芸のモスクワ放送の真似は、低調一本線でぼそぼそとしゃべった。

全くその通りで、平叙文と疑問文を分けるために音の高低を用いても、ロシア語の単語そのものには高低は無い。代わりに強弱があり、アクセントの母音をはっきりと若干長く発音する。そうでない母音は弱く発音する。だからoと書いてあってもaと聞こえるのが普通だ。

またロシア語でもrとlは区別する。もちろん文字は違うし、rはそりゃもう盛大にルルル!と舌を震わす。「ヴォルガの舟歌」1番2節、「ラザビョーム ムィ ベリョーズゥ」”我が白樺の筏を解こう”の冒頭は、ロシア人が歌うと「ルルルラーザビョーォォムィ」とはっきり聞き取れる。

引用動画(2)

子音をはっきりと発音する上に音の高低の縛りが無いから、楽曲的に美しい歌に、自由に歌詞を当てても違和感が無い。こうしたロシア語のアクセントを「ウダレーニエ」という。”強調点”を意味する中性名詞で、類語に駆逐艦の艦級として知られた「ウダロイ」が知られる。

対してrとlをはっきり言わないイギリス人のいじわるもよく知られている。

昔「俺がハマーだ!」という米国の刑事ものコメディドラマがあった。イギリスに逃亡した犯人の引き渡し交渉の回だったか、主人公がスコットランド・ヤードの刑事と日を変えて何度も電話するのだが、いつも雨が降っており、何を言っても「ホッホッホ」としか返事しない。

このいじわるがまかり通る理由は、いくさと海が得意だからだ。大英帝国建設の元手は、新大陸で乱暴狼藉の限りを尽くし先住民を奴隷にして掘り出した銀を積んだスペイン船を襲って作ったとされている。遊牧民が全員騎兵のように、イギリス人は全員海賊なのだろうか。

イギリス人ばかりでない。伊予国愛媛県は藤原純友村上水軍の本拠地で、日本史上一国こぞったような海賊ばたらきをした。前世紀でも帝政日本が敗滅したと知るや、ただちに瀬戸内海で海賊を始めた。本卦帰りしたと言うべきで、被害者以外がどうこう言ってもしょうがない。

伊予出身の友人によると、戦前の娘がお相手を選ぶとき、陸士に行ったのより海兵に行ったのを喜んだらしい。「あのじいさんは陸士やけん」と鼻で笑うおばあさんが居たそうだ。確かに海兵の方が制服は格好良いと訳者も思うが、ただ海国だなあと感じた方が納得がいく。

日本も意外に広いし、そして多様性に満ちている。

話をロシア語と歌に戻すと、美しく歌うためならロシア人は、平気で音を省略する。ドイツ語で戦車を正式にはPanzerkampfwagenパンツァーカムプフワーゲン”装甲戦闘車”とwikiに言う。ロシア語も同様に語をくっつけて、外国人には「どうやって発音するんだこれ」と言いたくなるような長いのがある。

行軍歌・シベリア狙撃兵」4番最終節、「トゥウォイ パクローン ピェリェダジム」”あなたにさよならを送る”は、愚直に発音するととうてい歌えない。だが訳者が初めて読んだロシア語本の書き手だった東郷正延先生は、愚直でなくていいのだよと言う。

あるソ連人に日本語のてほどきをしてあげることになりました。…「ちがいます」というのをおしえました。…ロシア語には「オンガクの」がない…。相手はこれを、「ちいます」と発音することによって、みごと苦境を脱してしまったのです。

ロシア語の単語を発音するときには、全体を「あますところなくはっきりと」読もうなどと心がけてはならないということです。これに逆行すると自然さをそこなう結果となります。(『ロシア語のすすめ』p.101-102)

だから訳者は開き直り、「ちないます」のロシア語の歌を楽しめるわけだ。最後に引用動画(1)の歌詞と訳を記す。この歌の歌詞にはいくつかのバリエーションがある。大人の事情により原語は記せず、訳者の駄文などどうでもいいから、ぜひ引用動画をお聞きになって頂きたい。

ロシア語の音の美しさを、諸賢のどなたかお一人でも、理解して頂けると嬉しいのだが。

ポーリュシュカ ポーレ(曠野よ、曠野よ)
ポリュシカ シローカ ポーレ(果てしない曠野よ)
イェードュト ポ パリュー ゲローイ(勇士たちが征く)
エーダ ルースカイ アルミィ ゲローイ(ああそうだ、ロシア軍の勇士が)

ディエウシキー プラチュート(少女たちは泣く)
ディエウシュカム シェウォードニャ グルースナ(少女たちは今日の日を悲しんでいる)
ミーリィ ニェナドールガ イェハル(愛しい人があっという間に遠ざかっていく)
エーダ ミーリィ ウ アルミニュ イェハル(ああそうだ、愛しい人は戦場に行く)

ディエウシキー グリャーンチェ(お嬢さんたち、見ておくれ)
グリャーンチェ ナ ダローグ ナーシュ(我らの征く道を)
ビョーツァ ダ ダリナヤー ダローガ(うねり続くまことにはるかな道を)
エーダ ラズウイェ シェラーヤ ダローガ(ああそうだ、心躍る道を)

トールカ ムィ ウィージム(我らは気付いている)
ウィージム ムィ シェドゥーユ トゥーチュ(気付いているのだ我らは、灰色の雲に)
ウラージヤ スローバ イズ ザ レーサ(森に潜む敵の悪意に)
エーダ ウラージヤ スローバ スローウナ トゥーチャ(ああそうだ、敵の悪意は雲のようだ)

エイ!(えい!)

ディエウシキー グリャーンチェ(お嬢さんたち、見ておくれ)
ムィ ウラーガ プリニャーチ ガトーウィ(我らは敵を迎え撃つ用意ができている)
ナーシ ダ コニ ビィストラノギィ(我らの馬はまことに駿馬)
エーダ ナーシ シャシキ ピーキ アストリー(ああ実に、我らの騎兵刀の刃は鋭い)

ディエウシキー グリャーンチェ(お嬢さんたち、見ておくれ)
ディエウシキー ウトリーチェ スローズィ(お嬢さんたち、泣くのはおやめ)
プースチ シリニェー グリャーニェト ピェースニャ(いよ高く歌ってみせよう)
エーダ ナーシャ ピェースニャ バイェワヤ(ああそうだ、我らの勇ましい歌を)

*一番繰り返し。ただし「ルースカイ」(造格)”ロシアに属して”は2回目だけで以外は「ルースキィ」(生格)”ロシアの”に聞こえる。ロシア語の造格は手段や過去や一時的状態など無数の働きがあるので、辞書を引くのがやっとの訳者には、何が何やら分からない。

ニェナドールガ:надолго”長い期間”の否定ненадолго”あっという間”だが、バージョンによってはнадолгоになっている歌詞がある。

参考記事

『論語』述而篇:現代語訳・書き下し・原文
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