論語詳解176述而篇第七(29)仁遠からんか°

論語述而篇(29)要約:仁とは孔子先生の生前、弟子たちが目指すべき貴族と、それに相応しい教養・立ち居振る舞いでした。その始まりは、貴族になりたいと強く願うこと。その志が立たなければ、勉強も稽古も意味が無い、というお話。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「仁遠乎哉。我欲仁、斯仁至矣。」

校訂

定州竹簡論語

……曰:「仁遠乎哉?我欲仁,斯176……

復元白文

子 金文曰 金文 仁 甲骨文遠 金文乎 金文哉 金文谷仁 甲骨文 斯 金文仁 甲骨文至 金文已 矣金文

※仁→(甲骨文)・欲→谷・矣→已。

書き下し

いはく、じんとほからむ乎哉われじんほつさば、ここじんいたなん

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 切手
先生が言った。「貴族らしさは遠くにあるのではない。私が貴族らしさを求めれば、ここに貴族らしさが立ち現れる。」

意訳

論語 孔子 波濤
貴族になるのはそう難しいことではない。自分が貴族だと思えば、もう貴族だ。

従来訳

論語 下村湖人
 先師がいわれた。――
「仁というものは、そう遠くにあるものではない。切実に仁を求める人には、仁は刻下に実現されるのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「仁離我們很遠嗎?我想要仁,仁就來了。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「仁は我らからそんなに遠くにあるものか?私が仁を求めるとき、仁はすぐにやって来る。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 仁 金文大篆 論語 貴族
「仁」(金文大篆)

「仁」は一般に論語における最高の人徳とされるが、孔子の生前では、道徳的な意味は全くない。単に弟子が目指すべき”貴族(らしさ)”。説教臭い意味が付け加わったのは、孔子没後から一世紀のちに現れた孟子からである。詳細は論語における「仁」を参照。

論語 遠 金文 論語 遠
(金文)

論語の本章では、”遠くにある”。詳細は論語語釈「遠」を参照。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「辶+(音符)袁(エン)(間があいて、ゆとりがある)」。袁(エン)(ゆったりした外衣、ゆとりがある)・緩(カン)(ゆとりがある)・寛(カン)(ゆったり)と同系のことば、という。

乎哉(コサイ)

論語 乎 金文 論語 哉 金文
(金文)

二字で「かな・か・や」と読み、強い感嘆・疑問・反語を示す。

  1. (カナ)感嘆の気持ちをあらわすことば。「賜也賢乎哉=賜也賢なる乎哉」〔論語・憲問〕
  2. (カ)疑問の気持ちをあらわすことば。「若寡人者、可以保民乎哉=寡人(かじん)の若(ごと)き者は、もって民を保(やす)んず可きかな」〔孟子・梁上〕
  3. (ヤ)反問の気持ちをあらわすことば。「仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣=仁は遠からんや、我仁を欲すれば、斯に仁至る」〔論語・述而〕

論語:解説・付記

論語の本章は、論語八佾篇3「人にして不仁」と近い関係にあり、貴族に成り上がるには教養や態度も大事だが、まず志すことが必要だと説いた話。どことなくブッダの言う、「血統によってバラモンとなるのではない。行いによってバラモンとなる」に近いものを感じさせる。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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