論語詳解199泰伯篇第八(15)師摯の始*

論語泰伯篇(15)要約:呉国使節を接待中の孔子先生。楽師がミサゴの歌を奏でます。音楽にことのほか造詣の深い先生は、その聞き所を使節に解説します。文化的に遅れた呉国の使節も、もの珍しげに、歌に聞き入った事でしょう。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「師摯之始、關雎之亂、洋洋乎、盈耳哉。」

復元白文

子 金文曰 金文 師 金文摯 甲骨文之 金文論語 始 金文 關雎之 金文亂 金文 洋 甲骨文洋 甲骨文乎 金文 嬴 金文耳 金文哉 金文

※摯・洋→(甲骨文)・盈→嬴。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。本章は漢帝国以降の儒者による捏造である。

書き下し

いはく、師摯ししはじめ關雎くわんしよらん洋洋乎やうやうことしてみみてるかな

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 肖像
先生が言った。「魯の楽団長・師摯(シシ)が関雎(カンショ)の歌を演奏し、曲の盛り上がりの部分に至ると、音が広々として耳に充ちるなあ。」

意訳

(同上)

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「楽師の摯がはじめて演奏した時にきいた関雎の終曲は、洋々として耳にみちあふれる感があったのだが――」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「從音樂大師開始獨奏,到結尾的合奏,美妙的音樂充滿了我的耳朵!」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「宮廷楽団長が独奏を始め、最後の合奏に至ると、美しい音楽が私の耳に満ちあふれる。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

師摯(シシ)

論語 師 金文 論語 摯 金文大篆
「師」(金文)・「摯」(金文大篆)

論語の本章では”音楽師の摯”を意味し、論語当時の魯の宮廷楽団長と言われる。「摯」は”つかむ”の意で、甲骨文は現存するが、金文は未発掘。

論語 始 金文 論語 以 字解
(金文)

武内本には、「始は治に通ず」とある。「治」は「始」と異なり、秦系戦国文字までしか遡れない。

『学研漢和大字典』によると「治」は会意兼形声文字で、古人は曲がった棒を耕作のすきとして用いた。以の原字はその曲がった棒の形で、工具を用いて人工を加えること。台は「口+(音符)㠯(イ)(=以)」の会意兼形声文字で、ものをいったり、工作をするなど作為を加えること。

治は「水+(音符)㠯」で、河川に人工を加えて流れを調整すること。㠯・以・台・治などはすべて人工で調整する意を含む、という。

すると「師摯之始」は、”師摯による演奏”と解せる。

關(関)雎(カンショ)

論語 関 金文 論語 雎 金文大篆

論語の本章では『詩経』に歌詞が収められた楽曲。「雎」とは鳥のミサゴのこと。歌詞は論語八佾篇20を参照。關(関)の字の初出は戦国早期、雎の字は後漢の『説文解字』にすら記載が無い。

關雎の歌が現伝の『詩経』に載っているからと言って、必ずしも論語の時代にあったとは言えない。また『定州論語』には、八佾篇を含め關雎の歌の記述が無い。その部分の簡が欠けてしまった可能性はあるが、ともあれ現伝最古の論語に記載が無い。

亂(乱)

論語 乱 金文大篆 論語 乱 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では、音楽の終わり頃を指す。詳細は論語語釈「乱」を参照。

洋洋乎

論語 洋 金文大篆 論語 乎 金文
「洋」(金文大篆)・「乎」(金文)

論語の本章では、海洋のように広々としたさま。孔子は音楽の演奏について論語八佾篇23で、「各楽器の音が出そろったら、音を伸ばして伸ばしてスッと終える」と秘訣を語っている。なるほど広々とした感じになるだろう。

古代の楽曲はおそらく、オスマン軍楽隊のように演奏したのではなかろうか。

なお『学研漢和大字典』は、「洋洋」の意味として以下を挙げている。

  1. 広々として果てしないさま。「牧野洋洋=牧野洋洋たり」〔詩経・大雅・大明〕
  2. 水がいっぱいに満ちているさま。「善哉、洋洋兮若江河=善い哉、洋洋として江河のごとし」〔列子・湯問〕
  3. 人や物などが、多いさま。「万舞洋洋=万舞洋洋たり」〔詩経・魯頌・罘宮〕
  4. りっぱで美しいさま。「聖謨洋洋=聖謨洋洋たり」〔書経・伊訓〕
  5. 一面に満ちているさま。「其喜洋洋=其の喜び洋洋たり」〔范仲淹・岳陽楼記〕
  6. いくあてもないさま。よるべのないさま。「焉洋洋而為客=ここに洋洋として客と為る」〔楚辞・哀郢〕
  7. 胸中にわだかまりがないさま。「洋洋乎与造物者遊而不知其所窮=洋洋乎として造物者と遊びて其の窮まる所を知らず」〔柳宗元・始得西山宴游記〕
  8. ゆったりするさま。「少則洋洋焉=少くすれば則ち洋洋たり焉」〔孟子・万上〕

盈(エイ)

論語の本章では”満ちる”。初出は後漢の『説文解字』だが、カールグレン上古音はdi̯ĕŋで、同音に嬴”満ちる”が存在する。

論語:解説・付記

本章もまた、もし本物なら、呉の使いの接待の場面と解釈したい。

論語 孔子 へつらい
ほれお聞きなされ。摯どののミサゴの歌の演奏は、ここからの終わり頃が聞き所ですぞ。わだつみのように広々と、何ともすばらしいではござらぬか。

論語 呉王夫差
呉はその王・夫差こそ、「呉王有墨」(『春秋左氏伝』哀公十三年)とあるように、野蛮な入れ墨をしていたが、文化人がいなかったわけではなく、季札(公子札・延陵季子とも)という王族は、孔子8歳の時魯・斉・衛・晋を巡り、作法にかなった発言や教養を披露している。

魯国では、季札に次々と由緒ある名曲を聴かせたが、それぞれごとに適切な批評を言い、『春秋左氏伝』に長々と記録されている(襄公二十九年・BC544)。孔子はもちろんその故事を知っていただろうから、論語本章の接待時にも、音楽で使節をもてなしたのかも。

しかしこの使節がどのような発言をしたかは、『史記』孔子世家に孔子と骨についての問答が載るだけで、もちろん音楽批評も記されていない。本章から想像できるのは、論語八佾篇での言及と共に、孔子がこのミサゴの歌を好んだことで、好きな曲を選んで接待したのだろう。

ただしミサゴの歌そのものが後世の捏造の可能性があり、軽々に断言できない。

当時の楽師は盲人が務めた。孔子は音楽の手ほどきを、師襄子から受けたと『史記』にある。しかし本章に名が残る楽師は摯であり、師襄子はすでに世を去っていたのかも知れない。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶった○る。覚悟致せ。

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