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論語詳解184述而篇第七(37)温かにしてはげし*

論語述而篇(37)要約:後世の創作。温和だが厳格に、威厳は保ってもガミガミとうるさくなく、腰が低くて、そばに居ると安心されるようになりなさい。その通りですが、論語の時代の中国語ではありません。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子温而厲威而不猛恭而安

校訂

諸本

  • 武内本:釋文、子一本子曰に作り、皇本君子に作る。

東洋文庫蔵清家本

子温而厲威而不猛㳟而安

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

……曰a:「温而厲,威而b189……

  1. 曰、阮本・『釋文』作「子」、『釋文』云「一本作”子曰”」、皇本作「君子」。
  2. 而、皇本無。

標点文

子曰、温而厲、威而不猛、恭而安。

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 温 甲骨文而 金文厲 金文 威 金文而 金文不 金文 兢 金文而 金文安 焉 金文

※溫→(甲骨文)・恭→兢。論語の本章は、「猛」の字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。

書き下し

いはく、あたたかにしはげしかれ。おごそかにしたけかられ。うやうやしくしやすらかなれ。

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子別像
穏やかであるがいかめしく、おごそかだが怖くなく、うやうやしくて安らかでいなさい。

意訳

激しさ、厳しさ、を内に隠し持ったまま、温和で柔和で腰が低く、安らいで見えるよう努めなさい。

従来訳

下村湖人
先師は、温かで、しかもきびしい方であった。威厳があって、しかもおそろしくない方であった。うやうやしくて、しかも安らかな方であった。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子溫和而又嚴肅,威武而不凶猛,莊重而又安詳。

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孔子は温和でありつつ厳粛で、威厳がありつつ凶暴でなく、荘重でありつつ落ち着いていた。

論語:語釈

子曰(シエツ)(し、いわく)

唐石経・清家本ともに「子温而厲」で始まり、孔子に対する弟子の回想として記しているが、現存最古の論語本である定州竹簡論語は「曰」字を記す。このため論語の本章は弟子に対するいつもの孔子のお説教となる。

論語の伝承について詳細は「論語の成立過程まとめ」を参照。

原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→
             ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→
→漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓
       ・慶大本  └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→
→(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在)
→(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)

君子 諸君 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

溫(オン)

温 甲骨文 溫 温 字解
(甲骨文)

論語の本章では”温かい”。旧字体は「溫」。新字体は「温」。ただし唐石経も清家本も新字体と同じく「温」と記す。定州本も「温」と釈文する。字源からは旧字体を正字とするのに理がある。初出は甲骨文だが、金文は未発掘。「ウン」は唐音。同音に「𥁕」(カールグレン上古音不明)を部品とする文字群。字形は「水」+「人」+「皿」(風呂桶)の”風呂”を象形した会意文字。それゆえ”いでゆ”が原義。

水 甲骨文 人 甲骨文 皿 甲骨文
「水」「人」「皿」(甲骨文)

温 大漢和辞典

甲骨文からさんずいを伴う「溫」の字形が確認でき、”温泉”の意。部品の「𥁕」を、従来の説では甲骨文が初出と言うが、字形は全て「因」または「困」であり、「𥁕」に比定したのは儒者の出任せに過ぎない。詳細は論語語釈「温」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 論語 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”…であって同時に…”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

厲(レイ)

厲 金文 厲 字解
(金文)

論語の本章では、毒虫にかまれたような、あるいはガリガリこするような厳しさ・激しさ。原義は”隠れた毒虫”。敷物をめくったら毒々しい毒虫が現れてたまげるようなさま。あるいはうっかりすると手を切ってしまう、殻付きの「牡蠣かき」の感触を想起すればいいだろうか。ゆえに漢語で砥石といしを「レイ」という。

牡蠣

Photo via http://forest17.com/

初出は西周中期の金文。字形は「厂」”地面に隠れる”+「萬」”サソリやムカデ”で、めくると現れる毒虫の意。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「レイ」で”はげしい”を、「ライ」でハンセン氏病を意味する。初出の西周中期の金文に、諸侯の名として見える。つまりこの語が出来てからかなり過ぎていると思われ、今後の発掘と解読により、「厲」の字はさらに遡るだろうと予測できる。君主を「厲」と呼ぶのは死後のおくり名で、サソリやムカデのように、蛇蝎の如く家臣領民に忌み嫌われた暴君に名づけることになっている。西周中期から春秋末期まで、「萬」(万)として使われた。詳細は論語語釈「厲」を参照。

威(イ)

威 金文 威 字解
(金文)

論語の本章では”おごそかな”。初出は西周中期の金文。字形は「戈」+「女」で、西周中期の金文の時代に、「威儀」と記され、すでに”いかめしくする”の語義があった。詳細は論語語釈「威」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義。詳細は論語語釈「不」を参照。現代中国語では主に「没」(méi)が使われる。

『学研漢和大字典』によると「弗(フツ)(払いのけ拒否する)とも通じる」とあり、『大漢和辞典』の第二義に「なかれ。禁止の辞」とある。

猛(モウ)

猛 楚系戦国文字 猛 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”巨大で恐ろしい”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「犭」”けもの”+「孟」”一番年長の”。成獣したけもののさま。戦国の竹簡で、”激しく厳しい”・”たけだけしい”の意に用いた。部品の「孟」に”大きい”・”猛々しい”の語釈を『大漢和辞典』載せるが、「孟」の春秋末期までの用例は、全て地名・人名・”長子”の意であり、論語時代の置換候補になれない。詳細は論語語釈「猛」を参照。

恭(キョウ)

恭 楚系戦国文字 恭 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”つつしみ深い”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。字形は「共」+「心」で、ものを捧げるような心のさま。原字は「キョウ」とされ、甲骨文より存在する。字形は「ケン」”刃物”+「虫」”へび”+「廾」”両手”で、毒蛇の頭を突いて捌くこと。原義は不明。甲骨文では地名・人名・祖先の名に用い、金文では人名の他は「恭」と同じく”恐れ慎む”を意味した。詳細は論語語釈「恭」を参照。

安(アン)

安 甲骨文 安 字解
(甲骨文)

論語の本章では”安らがせるような”。初出は甲骨文。字形は「宀」”やね”+「女」で、防護されて安らぐさま。論語の時代までに、”順調である”・”訪問する”を意味した。疑問詞・反問詞などに用いるのは戦国時代以降の当て字で、焉と同じ。詳細は論語語釈「安」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は、第二句「威而不猛」を除き、春秋戦国時代を含む先秦両漢の誰一人引用も再録もしていない。「威而不猛」の再録は、前漢後期の劉向『説苑』。

孔子曰:「正其衣冠,尊其瞻視,嚴然人望而畏之,不亦威而不猛乎?」


孔子が言った。「衣冠を正し、目つきを厳しくし、いかめしく過ごせば人は恐れ入って敬う。これが”威はあっても猛でない”ということではなかろうか?」(『説苑』脩文8)

本章は定州竹簡論語にも無い。前章はあるのに、巻物の芯となって残りやすい本章がないのは不可解だ。事実上の初出は後漢から南北朝にかけて編まれた古注だから、本章は後漢儒による偽作と断じてかまわない。

解説

論語の本章、偽作の動機は上掲劉向の文から推測できる。儒者が偉そうに人を見下したような態度を取るのを正当化するためだ。つまり内面の虚弱を誤魔化すハッタリを、開祖の孔子に認定して貰った、かのように書いたのだが、通信教育の武道の段位と変わらない。

道場で稽古を積んだ人にケンカを売れば●チのめされて終わる。史実の孔子は武術を必須科目として教えた(射と御)。つまり武術の達人だったわけだが、日本武道は平素の温和を武道人に教える。対して現伝中国武術は、奇声を上げるなどハッタリが多くて見て呆れるしかない。

ハッタリもまた生存の有効な方法であることを中華文明は教えているのだが、後漢儒は真面目に勉強せず、うそデタラメとハッタリばかり言い募って国を滅ぼした。それはそれなりに歴史的背景があったが、だからといって論語の本章を、現代人が真に受けるのは間が抜けている。

論語の本章、新古の注は次の通り。

古注『論語集解義疏』

子溫而厲威不猛恭而安疏子溫至而安 明孔子徳也亦有云子曰者亦厲世也溫和潤也厲嚴也人溫和者好不能嚴厲孔子溫而能厲也又人作威者心事雄猛孔子威能不猛也又恭者好聳險不安孔子恭而能安也故王弼曰溫者不厲厲者不溫威者心猛猛者不威恭則不安安者不恭此對反之常名也若夫溫而能厲威而不猛恭而能安斯不可名之理全矣故至和之調五味不形大成之樂五聲不分中和備質五材無名也

古注 皇侃 論語 孔子家語 王粛
本文「子溫而厲威不猛恭而安」。

付け足し。先生は温和の極致で、安らかだった。本章は孔子の仁徳を明らかにしたものである。また「子曰く」の言葉がここには無い。溫とは、和み潤すことである。厲とは、厳しいことである。温和な人は好んで厳しい言動をせぬよう努める。ところが孔子は温和でかつ厳しくもあった。また威張りん坊は心が猛々しいものだが、孔子は威厳があっても猛々しくなかった。また腰の低い者は怯えがちで不安がるものだが、孔子は腰が低いのに安らかでいられた。

王弼「温和な者は激しくなく、激しい者は温和でなく、威張りん坊は猛々しく、猛々しくない者には威厳が無く、腰が低い者は安らかでなく、安らかな者は腰が低くない。これが普通の人間だ。もし温和でも激しくいられ、威厳があっても猛々しくなく、腰が低くても安らかで居られるなら、これは何とも理屈に合わないことである。だから調味の極致に至ると、五つの味覚のどれとも言えなくなり、至高の音楽は。五つの音階のどれとも言えなくなり、調和しながら実質を備えると、五つの物質要素のどれとも言えなくなるのだ。」

新注『論語集注』

子溫而厲,威而不猛,恭而安。厲,嚴肅也。人之德性本無不備,而氣質所賦,鮮有不偏,惟聖人全體渾然,陰陽合德,故其中和之氣見於容貌之間者如此。門人熟察而詳記之,亦可見其用心之密矣。抑非知足以知聖人而善言德行者不能也,故程子以為曾子之言。學者所宜反復而玩心也。

朱子
本文「子溫而厲,威而不猛,恭而安。」

厲とは厳しくいかめしいという事である。人間の道徳は素のままでは備わっていないから、性格は多分に生まれつきで、片寄りの無い方が珍しい。ただし聖人は別で、道徳のすみずみまでやってのけ、裏も表も自由自在だから、おのずとその内面が表情や立ち居振る舞いに現れる、それは本章に書いてあるとおりだ。門人はそういう見慣れた孔子のありさまを詳しく書き留めたのだが、この文から感情を粗雑に扱わない重厚さを見て取れる。そもそも聖人その人を知っているだけでは何の役にも立たないのであり、聖人のよい言葉よい行動を見習うことも出来ない。

だから程頤先生は、論語の本章を書き留めたのは、『孝経』を著すほど親孝行を実践した曽子ではないかと言ったのだ。儒学を学ぶ者はそれを心得て、よくよく本章の言葉を噛みしめるがよい。

毎度おなじみ宋儒のオカルトと高慢ちき。曽子は孔子の弟子ではなく、ただの家事使用人で、『孝経』は冒頭からもうボロボロと贋作の証拠が出て来る下らない説教本で、社会にハッタリをかますことで生活していた、宋儒にとって一方的に都合のいいメシの種に過ぎない。

余話

あんた首ないだろ

平素の温和を説くのは日本武道に限らないらしい。レスリング・オリンピック三連覇のアレクサンドル・カレリン氏は、日本の興行師に「類人猿最強」とか無礼な売り出しをやられたが、温厚な紳士として知られ、ソ連崩壊時にはロシア社会の荒廃を憂い、私財をなげうった。

「子供は国の宝」を実践し、レスリング教室を開いて子供に教えた。「君たちは首を鍛えなければならない」と稽古を付けているのを当時テレビで見たことがある。「あんた首ないだろ」と突っ込みたくなったのは、肩から直に頭が生えている超人だからだ。デュラハンではない。

氏はインタビューに答えて、「私はただ、クズネツォフ先生の仰る通りに稽古しただけです」と言った。どんな先生の言うとおりに稽古しようと、誰もが五輪で三度も金メダルをとれるわけがないが、人がものを学ぶ秘訣をこの言葉は、疑えない説得力で聞く者に迫る。

ダメな教師に何年従おうとダメが重なるばかりだが、優れた先生の言うことは、一挙一動まで仰せの通りにやってみせる決意と実践がなければ、人は技術を身につけられない。クズネツォフ先生は優れたレスリング指導者だったのだろうが、平素の温和を説いたかは分からない。

ロシアの剣術をそのつるぎと共に「シャシュカ」という。総合武器術でもある。その稽古の動画を見たことがある。師範も弟子も防具こそ着けているものの、師の途方もない強さに弟子が逃げ出したその背に、斧を投げつけていたのだが、温和な師範でも道場ではこうなり得る。

「子は温かにしてはげし。」訳者にも経験があるから、よ~く分かるのである。

『論語』述而篇おわり

『論語』述而篇:現代語訳・書き下し・原文
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