論語詳解160述而篇第七(13)子、斉にありて韶を*

論語述而篇(13)要約:孔子先生が最も好み、最も得意とした芸事は、音楽でした。古代中国の音楽そのものは、楽譜が無かったためもあってとうの昔に滅びましたが、それでもかなり大がかりだった事が分かります。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子在齊聞韶*。三月、不知肉味、曰、「不圖爲樂之至於斯也。」

校訂

武内本

清家本により、韶の下に樂の字を補う。

定州竹簡論語

……[在齊聞《詔》a,三月]151……

  1. 詔、今本均作「韶」、詔借為韶。皇本、高麗本「韶」下有「樂」字。

→子在齊聞詔。三月、不知肉味、曰、「不圖爲樂之至於斯也。」

復元白文

子 金文在 金文斉 金文聞 金文論語 召 金文 三 金文月 金文不 金文智 金文肉 甲骨文 曰 金文 不 金文図 金文為 金文楽 金文之 金文至 金文於 金文斯 金文也 金文

※詔→召・肉→(甲骨文)。論語の本章は味の字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による加筆である。

書き下し

せいりてせうく。三げつにくあぢはひらず。いはく、はからざりき、がくいたるやここせると。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 切手
先生が斉国にいて、ショウの曲を聞いたところ、三ヶ月間肉を食べても味が分からないほど感動して言った。「思わなかったな、音楽を奏でてここまでになるとは。」

意訳

論語 孔子 へつらい
先生が斉国で韶を聞いて、肉を食っても食った気がしない。「すごいすごい、すごい曲だ!」

従来訳

論語 下村湖人
 先師は斉にご滞在中、(しょう)をきかれた。そして三月の間それを楽んで、肉の味もおわかりにならないほどであった。その頃、先師はこういわれた。――
「これほどのすばらしい音楽があろうとは、思いもかけないことだった。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子在齊國聽《韶樂》,三月不知肉味。他說:「沒想到好音樂這樣迷人。」

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孔子が斉国で韶の曲を聴き、三ヶ月肉の味を知らなかった。彼は言った。「良い音楽がここまで人を魅了するとは思わなかった。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

子在齊(斉)

論語 在 金文 
「在」(金文)

論語の本章では、”先生が斉国にいた頃”。

孔子は35から二年間、斉国に亡命していた。斉は大国であり、魯と同様由緒正しい文化国家だったから、舜が作曲したと言われる韶の曲が残っており、楽人も揃っていた。大規模な曲になると、楽器構成も大がかりで、斉のような大国でないと、おいそれと演奏できなかったのではないかと想像される。その斉で孔子は韶の演奏を学び、寝食を忘れたと『史記』にある。

「子」は貴族に対する敬称で、論語ではほぼ孔子のこと。詳細は論語語釈「子」を参照。

論語 在 解字
『学研漢和大字典』によると「在」の原義は川の流れをとめるせきを描いた象形文字。詳細は論語語釈「在」を参照。

「斉」は孔子の母国、魯の隣国で、太公望を開祖とする大国。詳細は論語語釈「斉」を参照。

論語 聞 金文 論語 聞
(金文)

論語の本章では”聞く”。本来論語の時代、「聞」は間接的に聞くことで、直接聞く事は「聴」と言った。つまり論語の本章は、両者の区別がなされなくなった、後世の成立である可能性がある。詳細は論語語釈「聞」を参照。

韶(ショウ)

論語 韶 金文大篆
(金文大篆)

論語の本章では、”韶という名の楽曲”。詳細は論語語釈「韶」を参照。

どのような曲だったかは、すでにわからない。当時の音楽は盲人が担当するもので、曲は師匠から口伝や実技で受け継ぐわざだったからである。音階を表す言葉はあったが、楽譜はなかったと思われ、孔子塾でも必須科目に音楽が入っていたが、そのテキストは真っ先に散逸した。もとから無かったのかも知れない。

論語 肉 金文大篆 論語 生肉 腥
(金文大篆)

論語の本章では、”食べ物の肉”。

『学研漢和大字典』によると象形文字で、筋肉の線が見える、動物のにくのひときれを描いたもの。▽肩・肝などの字の月の部分や、祭・然の字の左上の部分は肉の字の変形である。柔(ニュウ)・(ジュウ)(やわらかい)などと同系のことば、という。詳細は論語語釈「肉」を参照。

当時普段から肉を食べられるのは、士分以上の貴族だけだった。そして戦場に出るのも士分以上の貴族だけである。『左伝』には貴族を指して、「肉を食べる者」という表現がある。

荘公十年(BC684)、春、斉軍が我が国を攻めようとしたので、荘公はいくさを決意した。 そこへ庶民の曹劌ソウケイという者がやってきて、謁見を望んだ。
それより前、曹劌はいくさの噂を聞いて、村を出ようとしていた。村人が言った。「よせよせ。いくさは肉食している貴族さまの仕事だ。ただの百姓のお前が、いったい何をしに行くんだ。」
「分からんかな。肉を食っているから貴族さまは頭が悪いんだ。ちょっとチエを付けてやるつもりさ。」(『春秋左氏伝』荘公十年)

論語の本章では”あじ”。論語では本章のみに登場。初出は戦国文字で、カールグレン上古音はmi̯wəd。同音は部品の未のみで、”あじ”の語義は無い。『大漢和辞典』で”あじ”の訓を持つのはこの文字だけ、他は魚の”アジ”である。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声。未は、細いこずえの所を強調した象形文字で、「微妙」の微と同じく、細かい意を含む。味は「口+(音符)未」で、口で微細に吟味すること、という。『字通』によると[形声]声符は未(み)。未に夭若なるものの意があり、そこに滋味を生ずる。〔説文〕二上に「滋味なり」とあり、五味をいう。〔老子、六十三〕に「無味を味とす」とあり、滋味は自然のうちに存するものとされた、という。

『説文解字』によると、部品の「未」は”木が茂るさま”であり、茂る→滋るとの連想から、「味」に”滋味”があるとする。茂るように、舌にじわじわと広がっていく”あじ”ということなのだろうが、根拠は無いし、無理でもあろう。

論語:解説・付記

もし本章が史実だとして、訳というもののバカバカしさを思う。俳聖の絶唱、「松島や ああ松島や 松島や」に、いったいどんな訳が付けられるというのか。

上記の検証結果に拘わらず、論語の本章は史実である可能性を残している。孔子にまつわる伝承として本章の内容があって、それをおそらくは漢帝国の儒者が論語に加筆した可能性がある。

孔子が音楽を好み、また得意とし、教説の根本に礼法と共に据えているのは、その効果を知っていたからだろう。古典が嫌いな者は山ほどいても、音楽を嫌う人間は、まずいないからである。

後世、漢帝国になると、礼法に従った儀式のたびに、奏でるべき音楽も決まっているとされた。つまり音楽は身分秩序を示すものになり、論語の八佾篇2は、それに権威づけるためのでっち上げである。

ニセ孔子
三家がまた身分違いの歌で祭祀を行った。♪名君賢臣あい揃い、天子様はお平らに、だと? 家老ごときがちゃんちゃらおかしい。(論語八佾篇2)

それでは枯れ木も山の賑わいと行こう。

古注『論語集解義疏』

子在齊聞韶樂三月不知肉味註周生烈曰孔子在齊聞習韶樂之盛美故忽於肉味也曰不圗為樂之至於斯也註王肅曰為作也不圗作韶樂至於此此此齊也疏子在至斯也 云子在齊開韶樂三月不知肉味者韶者舜樂名也盡善盡美者也孔子至齊聞齊君奏於韶樂之盛而心為痛傷故口忘肉味至於一時乃止也三月一時也何以然也齊是無道之君而濫奏聖王之樂器存人乖所以可傷慨也故郭象曰傷器存而道廢得有聲而無時江熙曰和璧與瓦礫齊貫卞子所以惆悵虞韶與鄭衛比響仲尼所以永歎彌時忘味何遠情之深也范甯曰夫韶乃大虞盡善之樂齊諸侯也何得有之乎曰陳舜之後也樂在陳陳敬仲竊以奔齊故得僭之也云曰不圖為樂之至於斯也者此孔子說所以忘味之由也圖猶謀慮也為猶作奏也樂韶樂也斯此也此指齊也孔子言實不意慮奏作聖王之韶樂而來至此齊侯之國也或問曰樂隨人君而變若人君心善則樂善心淫則樂淫今齊君無道而韶音那獨不變而猶盛耶且若其音猶盛則齊民宜從樂化而齊民猶惡不隨樂化何也侃荅曰夫樂隨人君而變者唯在時王之樂耳何者如周王遍奏六代之樂當周公成康之日則六代之聲悉善亦悉以化民若幽厲傷周天下大壊則唯周樂自隨時君而變壊其民亦隨時君而惡所餘殷夏以上五聖之樂則不隨時變故韶樂在齊而音猶盛美者也何以然哉是聖王之樂故不隨惡君變也而武亦善而獨變者以其君是周之子孫子孫既變故先祖之樂亦與之而變也又既五代音存而不能化民者既不隨惡王而變寜為惡王所御乎既不為所御故雖存而不化民也又一通云當其末代其君雖惡而其先代之樂聲亦不變也而其君所奏淫樂不復奏正樂故不復化民也 註忽於肉味 忽猶忘也

本文「子在齊聞韶樂三月不知肉味」。
注釈。周生烈「孔子は斉に滞在して、盛大で美しい韶の曲を聞き習った。だからよく味わう行為を忘れた。」

本文「曰不圗為樂之至於斯也」。
注釈。王肅「為とは作ることだ。たくまずして韶の曲を作ってこれほどにまでなった。これほどとは、整うことだ。」

付け足し。先生はこれほどの境地にいた。「子在齊開韶樂三月不知肉味」とあり、韶とは楽曲の名である。善と美を尽くしていた。孔子は斉に行き斉の国公が盛大な韶の曲を演奏させたのを聞き、心を痛めたその結果、一時肉の味を忘れた。三ヶ月というのはデタラメで実はいっときに過ぎない。どうしてそうなったかというと、斉の国公はバカ殿で、むやみに聖王の音楽を奏でさせたので、楽器は保存されたが人の心は離れていった。だから心を痛めたのである。

だから郭象が言った。「楽器は残っても道徳が廃れたら、四六時中音がするだけだ。」

江熙「宝石中の宝石である和氏の璧もガレキも、斉の連中には区別がつかなかった。卞子はそれらを見てどちらにもがっかりした。聖王舜の韶と、みだらな鄭衛の音楽とがごちゃ混ぜに演じられているのを聞いて、孔子先生は長いこと落ち込んだ。それが段々味を分からなくさせたのだが、実に有り難いお考えである。」

范甯「そもそも韶の曲は、聖王舜が善を尽くして作った曲なのに、一介の殿様に過ぎない斉公がどうして奏でられたのか。その種明かしは、斉公の地位を狙っていた陳氏が舜の末裔で、陳国に伝わっていた楽譜を陳敬仲が盗み出して斉に亡命した。だから勝手に演奏できたのだ。」

本文に「曰不圖為樂之至於斯也」とあるのは、孔子が味というものを忘れた原因である。圖とは”たくらむ”ようなことだ。為とは演奏することだ。樂とは韶の曲のことだ。斯とは”これほど”ということだ。此とは斉国のことだ。孔子が言った真意は、考えも無しに聖王作った韶の曲を演奏するようでは、斉公はその程度のバカ殿だ、ということだ。

ある人「音楽というものは、演奏させる君主によって変わるものだ。もし君主の性根がよろしければ曲もよく、だらしなければだらしなくなる。この時の斉公は無道だったから、韶の曲も無茶苦茶になるほか無かろう? もしその音色が盛大だったなら、斉国の民はそれで躾けられたはずだが、当時の斉国人は悪党ばかりで、躾けられていなかったではないか。どういうことだ?」

知るかバカ者。

皇侃「あーそれはだな、音楽が演奏させる主君によって変わるのは、諸侯ふぜいでは全然変わらず、その時在位している王が誰か、に限るのだ。なぜか? もうし周王が周を含めた六代の音楽を奏でたとして、周公や成王・康王のような名君だったなら、六代の音楽もよろしいように響くし、民は音色に頭がやられて、どんな悪党もすっかり大人しくなる。だがもし、幽王や厲王のような暗君が上に居れば、周の天下は滅茶苦茶になってしまった。だから周の音楽だけが、その時の主君によって天下をブチ壊しにし、暗君に見習って天下の民も悪党ばかりになった。だからそれ以前の殷や夏の聖王の曲を奏でたとして天下に影響はなかった。だから韶を斉で奏でた所で、きちんと美しく響くのだ。

どうしてそうなるかと言えば、まさに聖王の曲だからだ。バカ殿が出ようと変わるものではない。周の武王も名君だったが、自前で努力してそうなった。その子孫が周王を継いだから、子孫に暗君が出れば、先祖の曲を奏でてもおかしくなったのだ。それに周より前の五代の曲では、すでに民は大人しくならなくなっており、暗君の言う事は聞かない上に悪党ばかりになっていたのは、却って悪王の思いのままということではないか? 民がすでに言うことを聞かないなら、ちんちんドンドンと奏でた所で、民が大人しくなるわけがない。」

また、ある説に言う。「当時の世は行き詰まっており、上に立つのはバカ殿ばかりになっていったが、音楽は変わらなかった。バカ殿が如何わし音楽ばかり演奏させて、正しい音楽を聴きたがらなかったから、民も聞き惚れて大人しくなりはしなかったのである。」

注釈にある「忽於肉味」の、「忽」とは忘れることである。

気力が失せたので新注は気が向いたらまた。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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