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論語詳解160述而篇第七(13)子、斉にありて韶*

論語述而篇(13)要約:後世の創作。あの孔子先生が感動の余り、三ヶ月も食事の味が分からなかったほどの素晴らしい音楽。それを聞きたいなら、必要経費込みで我ら儒者にお金を出しなさい。そもそもその楽曲を、孔子先生は知りません。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子在齊聞韶三月不知肉味曰不圖爲樂之至於斯也

校訂

東洋文庫蔵清家本

子在齊聞韶樂三月不知完味/曰不圖爲樂之至於斯也

  • 「韶樂」:京大蔵清家本・宮内庁蔵清家本「韶樂」。
  • 「完」字:「肉可」「しゝ」と傍記。「ジク」”にく”の誤字か。京大蔵清家本・宮内庁蔵清家本「肉」。

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

……[在齊聞《詔》a,三月]151……

  1. 詔、今本均作「韶」、詔借為韶。皇本、高麗本「韶」下有「樂」字。

標点文

子在齊聞詔。三月、不知肉味、曰、「不圖爲樂之至於斯也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文在 金文斉 金文聞 金文 三 金文月 金文不 金文智 金文肉 甲骨文 曰 金文 不 金文図 金文為 金文楽 金文之 金文至 金文於 金文斯 金文也 金文

※肉→(甲骨文)。論語の本章は「韶」としての「詔」の字・「韶」そのものの字・「味」の字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。

書き下し

せいりてせうく。つのつきにくあぢはひいはく、はかがくいたりすことここあるかな

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 切手
先生が斉国にいて、ショウの曲を聞いたところ、三ヶ月間肉を食べても味が分からないほど感動して言った。「思わなかったな、音楽を奏でてここまでの程度になるとは。」

意訳

孔子 人形
先生が斉国で韶を聞いて、つきの間肉を食っても食った気がしない。「すごいすごい、すごい曲だ!」

従来訳

下村湖人
先師は斉にご滞在中、(しょう)をきかれた。そして三月の間それを楽んで、肉の味もおわかりにならないほどであった。その頃、先師はこういわれた。――
「これほどのすばらしい音楽があろうとは、思いもかけないことだった。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子在齊國聽《韶樂》,三月不知肉味。他說:「沒想到好音樂這樣迷人。」

中国哲学書電子化計画

孔子が斉国で韶の曲を聴き、三ヶ月肉の味を知らなかった。彼は言った。「良い音楽がここまで人を魅了するとは思わなかった。」

論語:語釈

子(シ)

子 甲骨文 子 字解
「子」(甲骨文)

論語の本章では”(孔子)先生”。初出は甲骨文。論語ではほとんどの章で孔子を指す。まれに、孔子と同格の貴族を指す場合もある。また当時の貴族や知識人への敬称でもあり、孔子の弟子に「子○」との例が多数ある。なお逆順の「○子」という敬称は、上級貴族や孔子のような学派の開祖級に付けられる敬称。「南子」もその一例だが、”女子”を意味する言葉ではない。字形は赤ん坊の象形で、もとは殷王室の王子を意味した。詳細は論語語釈「子」を参照。

在(サイ)

才 在 甲骨文 在 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”…に居る”。「ザイ」は呉音。初出は甲骨文。ただし字形は「才」。現行字形の初出は西周早期の金文。ただし「漢語多功能字庫」には、「英国所蔵甲骨文」として現行字体を載せるが、欠損があって字形が明瞭でない。同音に「才」。甲骨文の字形は「才」”棒杭”。金文以降に「士」”まさかり”が加わる。まさかりは武装権の象徴で、つまり権力。詳細は春秋時代の身分制度を参照。従って原義はまさかりと打ち込んだ棒杭で、強く所在を主張すること。詳細は論語語釈「在」を参照。

齊(セイ)

斉 金文 斉 字解
(甲骨文)

論語の本章では”斉国”。初出は甲骨文。新字体は「斉」。「サイ」は慣用音。甲骨文の字形には、◇が横一線にならぶものがある。字形の由来は不明だが、一説に穀粒の姿とする。甲骨文では地名に用いられ、金文では加えて人名・国名に用いられた。詳細は論語語釈「斉」を参照。

孔子は数えで35歳から二年間、斉国に亡命していた。のちの十年以上にわたる亡命ではなく、この時は殿様の昭公のお供で一時的に国を出たと思われる。斉は大国であり、魯と同様由緒正しい文化国家だったから、舜が作曲したと言われる韶の曲が残っており、楽人も揃っていた。大規模な曲になると、楽器構成も大がかりで、斉のような大国でないと、おいそれと演奏できなかったのではないかと想像される。その斉で孔子は「韶」の演奏を学び、寝食を忘れたと『史記』孔子世家にある。だがそもそも「韶」の曲はでっち上げで、この話は史実でない。

聞(ブン)

聞 甲骨文 聞 甲骨文
(甲骨文1・2)

論語の本章では”聞く”。初出は甲骨文。「モン」は呉音。甲骨文の字形は”耳の大きな人”または「斧」+「人」で、斧は刑具として王権の象徴で、殷代より装飾用の品が出土しており、玉座の後ろに据えるならいだったから、原義は”王が政務を聞いて決済する”。詳細は論語語釈「聞」を参照。

論語の時代、「聞」は間接的に聞くことで、直接聞く事は「聴」と言った。

韶(ショウ)→詔(ショウ)

唐石経は「韶」と記し、清家本は「韶樂」と記す。清家本の年代は唐石経より新しいが、より古い古注系の文字列を伝えており、唐石経を訂正しうる。しかし現存最古の論語本である、定州竹簡論語は「詔」と記す。時系列に従い「詔」へと校訂した。論語の伝承について詳細は「論語の成立過程まとめ」を参照。

原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→
             ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→
→漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓
       ・慶大本  └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→
→(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在)
→(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)

韶 篆書 不明 字解
(篆書)

唐石経「韶」・清家本「韶樂」は、論語の本章では、”韶という名の楽曲”。初出は戦国の竹簡。字形は「音」”音楽”+「召」。西周末期までに「召」は「詔」「照」などの語義を獲得しており、全体で”宮廷のみやびな音楽”。論語語釈「召」を参照。同音に紹”つぐ・うける”、邵”邑の名・姓”、召。論語時代の置換候補は、置換候補を求めることに意味が無い。

曲としての「韶」を作曲したとされる聖王の舜は、孔子没後一世紀に現れた世間師の孟子によるでっち上げで、顧客である斉王の先祖として創作し、国を乗っ取って間もない田氏斉王室のかゆみ止めとして売りつけた。従って「韶」の楽曲も、論語の時代に存在しない。詳細は論語語釈「韶」を参照。

詔 金文 孟武伯
「詔」(戦国金文)

定州竹簡論語の「詔」の初出は西周中期の金文。ただし字形は「召」で、現行字体の初出は戦国末期の金文。字形は「言」+「召」で、言葉で告げること。「詔」を楽曲名に用いた出土例が戦国末期の竹簡に至るまで存在せず、論語時代の置換候補は無い。詳細は論語語釈「詔」を参照。

どのような曲だったかは、すでにわからない。当時の音楽は盲人が担当するもので、曲は師匠から口伝や実技で受け継ぐわざだったからである。音階を表す言葉はあったが、楽譜はなかったと思われ、孔子塾でも必須科目に音楽が入っていたが、そのテキストは真っ先に散逸した。もとから無かったのかも知れない。

三月(サンゲツ)

論語の本章では”三ヶ月で”。論語の時代の漢語では、例えば『春秋』の経文(もともと年代記に記されていた部分)で「○月」と言えば、こよみ上の「なんガツ」の意で、「○ヶ月間」という期間を表さない。だがすでに「甲骨文合集」120に「十三月」とあり、これは”期間”と解するしかない。

三 甲骨文 三 字解
「三」(甲骨文)

「三」の初出は甲骨文。原義は横棒を三本描いた指事文字で、もと「四」までは横棒で記された。「算木を三本並べた象形」とも解せるが、算木であるという証拠もない。詳細は論語語釈「三」を参照。

月 甲骨文 月 字解
「月」

「月」の初出は甲骨文。「ガツ」は慣用音。呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)は「ゴチ」。字形は月を描いた象形。「日」と異なり、甲骨文で囲み線の中に点などを記さないものがあり、「夕」と字形はまったく同じ。分化するのは戦国文字から。甲骨文では原義のほか、こよみの”○月”を意味した。詳細は論語語釈「月」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

論語の本章では”~でない”。漢文で最も多用される否定辞。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。初出は甲骨文。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義。詳細は論語語釈「不」を参照。現代中国語では主に「没」(méi)が使われる。

知(チ)

知 智 甲骨文 知 字解
(甲骨文)

論語の本章では”知るということ”。現行書体の初出は春秋早期の金文。春秋時代までは「智」と区別せず書かれた。甲骨文で「知」・「智」に比定されている字形には複数の種類があり、原義は”誓う”。春秋末期までに、”知る”を意味した。”知者”・”管掌する”の用例は、戦国時時代から。詳細は論語語釈「知」を参照。

定州竹簡論語ではしばしば、「智」の異体字「𣉻」と記す。詳細は論語語釈「智」を参照。

肉(ジク)

肉 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では食材としての”肉”。「ニク」は呉音。初出は甲骨文。初出の字形は「月」によく似ており、切り分けた肉の象形。戦国では木に吊して血抜きをする字形が見られる。甲骨文から”肉”を意味した。詳細は論語語釈「肉」を参照。

当時普段から肉を食べられるのは、士分以上の貴族だけだった。そして戦場に出るのも士分以上の貴族だけである。『左伝』には貴族を指して、「肉を食べる者」という表現がある。

荘公十年(BC684)、春、斉軍が我が国を攻めようとしたので、荘公はいくさを決意した。 そこへ庶民の曹劌ソウケイという者がやってきて、謁見を望んだ。
それより前、曹劌はいくさの噂を聞いて、村を出ようとしていた。村人が言った。「よせよせ。いくさは肉食している貴族さまの仕事だ。ただの百姓のお前が、いったい何をしに行くんだ。」
「分からんかな。肉を食っているからお貴族さまはおつむが弱いんだ。ちょっとチエを付けてやるつもりさ。」(『春秋左氏伝』荘公十年)

東洋文庫蔵清家本は「完」と記すが、「肉可」「しゝ」と傍記しており、また「ジク」”にく”の異体字「𡧢」(『広韻』所収)・「𡧐」(「唐齊士造象記」刻)に字形が近似している。おそらく「宍」の誤字と思われる。なお同じ清家本でも京大本・宮内庁本では「肉」と記している。

味(ビ)

味 楚系戦国文字 味 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”あじ”。論語では本章のみに登場。「ミ」は呉音。初出は戦国文字。字形は「𠙵」”くち”+「末」”刺激を与える先の尖った道具”。原義は”あじ”。上古音の同音は部品の未のみで、”あじ”の語義は無い。『大漢和辞典』で”あじ”の訓を持つのはこの文字だけ、他は魚の”アジ”である。詳細は論語語釈「味」を参照。

『説文解字』によると、部品の「未」は”木が茂るさま”であり、茂る→滋るとの連想から、「味」に”滋味”があるとする。茂るように、舌にじわじわと広がっていく”あじ”ということなのだろうが、根拠は無いし、無理でもある。

曰(エツ)

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

論語で最も多用される、”言う”を意味する言葉。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

圖(ト)

図 金文 図 字解
(金文)

論語の本章では”予想する”。この語義は春秋時代では確認できない。「ズ」は呉音。新字体は「図」。初出は西周早期の金文。字形は「囗」”城壁”+「啚」”城壁外の領民”。二つ合わせて”版図”・”領域”の意。春秋末期までの用例は、”領域”・”描く”・”絵図”だけで、”計画する”・”思い描く”の語義は確認できない。

爲(イ)

為 甲骨文 為 字解
(甲骨文)

論語の本章では”する”。新字体は「為」。字形は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”ある”や人名を、金文の段階で”作る”・”する”・”…になる”を意味した。詳細は論語語釈「為」を参照。

樂(ラク)

楽 甲骨文 楽 字解
(甲骨文)

論語の本章では”音楽”。初出は甲骨文。新字体は「楽」。原義は手鈴の姿で、”たのしむ”より”音楽”の意の方が先行する。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「ガク」で”奏でる”を、「ラク」で”たのしい”・”たのしむ”を意味する。春秋時代までに両者の語義を確認できる。詳細は論語語釈「楽」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…の”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

至(シ)

至 甲骨文 至 字解
(甲骨文)

論語の本章では”至る”→”行きつく”。甲骨文の字形は「矢」+「一」で、矢が届いた位置を示し、”いたる”が原義。春秋末期までに、時間的に”至る”、空間的に”至る”の意に用いた。詳細は論語語釈「至」を参照。

於(ヨ)

烏 金文 於 字解
(金文)

論語の本章では”~に”。初出は西周早期の金文。ただし字体は「烏」。「ヨ」は”…において”の漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)、呉音は「オ」。「オ」は”ああ”の漢音、呉音は「ウ」。現行字体の初出は春秋中期の金文。西周時代では”ああ”という感嘆詞、または”~において”の意に用いた。詳細は論語語釈「於」を参照。

斯(シ)

斯 金文 斯 字解
(金文)

論語の本章では、”これほどの”。初出は西周末期の金文。字形は「其」”籠に盛った供え物を祭壇に載せたさま”+「斤」”おの”で、文化的に厳かにしつらえられた神聖空間のさま。意味内容の無い語調を整える助字ではなく、ある状態や程度にある場面を指す。例えば論語子罕篇5にいう「斯文」とは、ちまちました個別の文化的成果物ではなく、風俗習慣を含めた中華文明全体を言う。詳細は論語語釈「斯」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「や」「かな」と読んで詠嘆の意。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章、「子在齊聞韶,三月不知肉味。」は春秋戦国の誰一人引用せず、前漢中期の『史記』孔子世家が若干違う文字列で再録するのが再出。「韶」がおそらく孟子によるでっち上げであること、文字史的に論語の時代に遡れない事から、本章は前漢儒、それもおそらく董仲舒の創作と考えるのが筋が通る。董仲舒については、論語公冶長篇24余話を参照。

前漢年表

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解説

董仲舒など前漢儒が論語の本章を創作する動機は明らかで、儒家が奏でるすごいオーケストラを聴きたかったら、カネを出せと言っている。論語の本章はそれが分かれば良く、俳聖の絶唱、「松島や ああ松島や 松島や」と同様に、意義ある翻訳は不可能だ。

寝床で勝手に高まり過ぎた相手にやる気を失うのと同じで、見たことも無い古代人が勝手に高ぶっているのを、字面を読んで同調する機能は訳者には無い。儒者がそのふりをしたのは金になるからだ。まして話がでっち上げで、その意図が利権争いにあると知れた以上、本章は帝国儒者官僚とは何かを知るよすがにはなっても、現代の論語読者に資することはほとんどない。

儒者がいわゆる儒教の国教化ののち、官僚だけでなくその他の公営行事での職を得たことは確実で、とりわけ儀式に付き物のちんちんドンドンは儒者が担当した。「そなへんのチャルメラ吹きになるんじゃない」と子夏を叱った孔子の教え(論語雍也篇13)より、欲しいのはカネだったからだ。中国人は古今、そうした身も蓋もない人たちである。

(漢帝国は代々の皇帝の御霊屋を、首都長安と地方に次々と建てた挙げ句、)その数は176箇所に増えた。広大な敷地に寝殿・居殿を建て、毎日寝殿の前で祝詞を上げ、毎月霊廟の前でも祝詞を上げ、日に4度寝殿に食事を捧げた。さらに霊廟では年に25回ちんちんドンドンをやり、居殿では4回やった。衣冠は毎月新品に取り替えた。…(加えて皇帝に加えて皇后の廟が)全てで30箇所あった。そんなわけで一年当たりの費用総額は、捧げる食事に24,455セキ(≒758t)の穀物、さらに警備員45,129人、神主12,147人分の人件費で、この中には犠牲獣の飼育員は含まれていない。(『漢書』韋賢伝)

以下の動画は、中国人がまだテレビドラマに金を掛けたがらなかった時代のもの。

論語の本章、新古の注は以下の通り。

古注『論語集解義疏』

…註周生烈曰孔子在齊聞習韶樂之盛美故忽於肉味也…註王肅曰為作也不圗作韶樂至於此此此齊也

? 論語 孔子家語 王粛
注釈。周生烈「孔子は斉に滞在して、盛大で美しい韶の曲を聞き習った。だからよく味わう行為を忘れた。」

注釈。王粛「為とは作ることだ。たくまずして韶の曲を作ってこれほどにまでなった。これほどとは、整うことだ。」

新注『論語集注』

史記三月上有「學之」二字。不知肉味,蓋心一於是而不及乎他也。曰:不意舜之作樂至於如此之美,則有以極其情文之備,而不覺其歎息之深也,蓋非聖人不足以及此。范氏曰:「韶盡美又盡善,樂之無以加此也。故學之三月,不知肉味,而歎美之如此。誠之至,感之深也。」

論語 朱子 新注 范祖禹
『史記』では「三月」の上に「學之」の二字がある。肉の味を知らずとは、精神が集中しきって他のことを知覚できなくなったのだろう。つまり、聖王舜が作った音楽の素晴らしさがここまでになるとは思わなかった、心情とその表言が完璧に整っている、どこまで感動したのやら分からない、と言っているが、たぶん聖人は更なる高みを望んだだろう。

范祖禹「韶の曲は美を尽くし善を尽くし(論語八佾篇25のコピペ)、これ以上の音楽は存在しない。だから三ヶ月間この曲を学んで、肉の味を知らず、賞賛することこの通りだった。まことにその通りで、感動は深かった。」

聞いたこともない音楽について、よくもここまでデタラメが書けるものだ。つまりそれだけ金になったのである。論語解説「後漢というふざけた帝国」論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」を参照。

余話

ハンターイ

中華文明は古来福禄寿(乜-的快感・カネ・長寿と健康)を追求したからには、相手を置いてけ堀にした勝手な高ぶりは、すごく相手をがっかりさせる、という事実は常識になっていた。

一儒家女新婚。交歡之際。陰道先生。此女忽穿衣下地。整容向末萬福。夫驚問故。荅曰僣先了。


ある儒者が新婚早々、初夜でサア始めましょうとなり、妻の方が先に達してしまった。妻はイソイソと衣服を着て身繕いすると、礼儀正しくお辞儀して「失礼しました」という。夫が驚いてわけを聞くと、「お先に失礼しましたから。」(『笑府』巻二・女道学)

この短い笑い話にも、中華文明の精華が込められている。九分九厘の人間は、その時の気分次第で生きているのだから、他人から利益を得るには、共感した「ふり」が有効だと教えている。実際に共感する必要は無いし、「ふり」が見え透いてしまっては却って嫌われる。

人は共感してくれたと感じる他人を好む傾向がある。人を好む者は好んだ対象に利益を与えやすい。だが与えるのは利益ばかりではない。人は関わりのある者に対し、必ず支配を企む。好意に見せかけて支配を押し付けてくる場合がある。それをお為ごかしと日本語で言う。

この儒者の妻は、そのあたりの機微を心得ている。夫が驚いているうちに謝罪するのだ。そういう、相手が気が付かないお為ごかしを繰り返すと、やがてすっかり自分の奴隷になり切った人物が出来上がる。「日中友好」に日本中を踊り狂わせた周恩来の手管がその一例。

ということは、お為ごかしの何たるかを知れば、他人による支配から自分を解放し、あるいはそもそも支配されないよう防衛することが出来る。宗教やなんたら主義に染まっている者にはこれが出来ない。詳細は論語公冶長篇15余話「マルクス主義とは何か」を参照。

他人の操縦法は悪辣ではあるが、悪辣と承知の上で超えること。それが中華文明の示す知恵の一部でもある。怖がりもさげすみも回し者になるのも必要ない。

日本で「戦争(暴カ)ハンターイ」を言い募る者の多くが、いかがわしいのも同様の理屈による。弱虫がそう訴えたところで乱暴者は遠慮せず、そういう弱虫はたいてい弱い者いじめが大好きであるという事実が裏付けしている。不義には猛然と反撃できなければ平和を保てない。

詳細は論語子罕篇23余話「DK畏るべし」を参照。

戦争に行きたい人間など一人もいない。愛する人を奪われ、住む地を焼かれたから、少女は従軍した。そしてそんなことをしても何も取り返せないと知ったのだ(→youtube)。

Each time that lose something precious,
I know that there may never be.


一つまた一つ、本当に失ってはならない何かを失うたび
思い知る、もう取り返しは付かないのだと(MYTH & ROID “forever lost”)

孔子と高弟の多くが、素手で人を殴刂殺せるえげつない暴カを身につけていたことが(論語における「君子」)、その精神の高潔と、知性の高級の基本だったことは言うまでもない。世に不条理は尽きないが、それを人のせいにしている間は、人間は決して向上しないからだ。

孟子以降の儒者はひょろひょろだった。だから論語の本章みたいなのを偽作するのである。

(引用動画訳者訳)原文と発音は大人の事情により削除

リンゴとナシが花開いたというのに
川は重い霧に覆われていた
岸辺に駆け上がったのはカチューシャ
つつみの急坂に息も切らさず

堤に上がったカチューシャは
かつて見た天空高く飛ぶ鷲を思い
共に見た愛する人の無念を歌う
彼女が手紙を送った前線のあの人を

なんと哀しいうただろう彼女の歌は
鷲は太陽を背にして飛んだ
前線の戦闘機も日を背に飛んだ
カチューシャはみなの無事を祈ったのに

今は亡き彼よどうかカチューシャの姿を思い出しておくれ
彼女の歌を今こそ聞いておくれ
彼女は護ってくれる人を愛したのだ
だから今カチューシャは愛を歌っている

リンゴとナシが花開いたというのに
川は重い霧に覆われていた
岸辺に駆け上がったのはカチューシャ
つつみの急坂に息も切らせずに


※「カチューシャ」は「エカテリーナ」の指小辞”エカテリーナちゃん”だが、同じく指小辞でより下に見る「カーチャ」”エカの奴”でないのは、作詞家と原語を読めて歌う者の、カチューシャに同情する無念を表している。

諸賢のほとんどは日本人だろうから、カチューシャの無念は想像できないかも知れない。中露は前世紀以来、日本人に対して悪しか施してこなかったから、「露助女めが!」と吐き捨てて当然だ。だが分かって欲しいのだ。無念は日本人もたっぷりと味わわされたのだから。

訳者がいわゆる右翼や左翼の連中を、𠮷外と断じて聞く耳を持たないのはそれゆえだ。無念はあのような馬鹿者どもが張り叫ぶように、キャンキャンと吠えることは決して出来ない。吠える連中はサドを発露しているか、やり場のない●欲を八つ当たりしているだけだ。

ざわわ/ざわわ/ざわわ/風に涙は乾いても/ざわわ/ざわわ/ざわわ/この悲しみは消えない。(寺島尚彦「さとうきび畑」)

深く静かにいくさを悼まない者と、交わす言葉など何もない。

『論語』述而篇:現代語訳・書き下し・原文
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