論語詳解164述而篇第七(17)子の雅言する所は*

論語述而篇(17)要約:孔子先生は古語で授業を行いました、というお話。授業内容に古典が多かったから、との理由だけではなく、おそらく当時の人にも、日常の会話で使う俗な言葉より、みやびに聞こえたのでしょう。ただし…。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子所雅言、詩、書。執禮、皆雅言也。

校訂

定州竹簡論語

所雅言],《詩》、《書》、執禮疾a,皆雅言也。158

  1. 疾、今本無。為執礼激揚之声。

→子所雅言、詩、書。執禮疾、皆雅言也。

復元白文

子 金文所 金文牙 金文言 金文 論語 辞 金文 論語 書 金文 執 金文論語 礼 金文論語 疾 金文 論語 皆 金文牙 金文言 金文也 金文

※雅→牙・詩→辭。論語の本章は也の字を断定で用いている本章は戦国時代以降の儒者による加筆である。

書き下し

雅言がげんするところは、しよれいこゑみな雅言がげんなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

先生が古語で発音したのは、『詩経』、『書経』。儀式の号令も、みな古語だった。

意訳

論語 君子 諸君 孔子
先生は古典解説や祭典では、古語を使った。

従来訳

論語 下村湖人
先師が毎日語られることは、詩・書・執礼の三つである。この三つだけは実際毎日語られる。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子有時講普通話:讀詩、讀書、舉行典禮時,都用普通話。

中国哲学書電子化計画

孔子は講義の際には共通語を使った。詩を読み、書を読み、儀式を行うとき、全て共通語を使った。

論語:語釈 →項目を読み飛ばす


論語 雅 金文大篆
(金文大篆)

初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はŋɔで、同音に牙とそれを部品とする漢字群。『大漢和辞典』によると、牙は雅と音通。詳細は論語語釈「雅」を参照。

雅言

論語 言 金文
「言」(金文)

論語の本章では、”みやびなことば”。孔子は授業や典礼では、周の都で使われる標準語で発音したということ。武内本では「標準語を使う意」という。

もっとも、古都・鎬京(コウケイ)のあった陝西の言葉なのか、当時の首都だった洛邑・河南の言葉なのかはわからない。おそらくは陝西の言葉を周の東遷とともに持ち込んだろうから、陝西としていいと思う。

また新注によると、「雅」=「常」であって、孔子はいつも詩経や書経を語った、と従来訳のように解するが、根拠が無く賛成できない。

論語 雅
「雅」は『学研漢和大字典』によると形声文字で、牙(ガ)は、交互にかみあうさまで、交差してすれあうの意を含む。雅は「隹(とり)+(音符)牙」で、もと、ガアガア・アアと鳴くからすのこと。

ただし、おもに牙の派生義である「かみあってかどがとれる」の意に用いられ、転じて、もまれてならされる意味となる。御(ならす)・午(ゴ)(もちをつきならすきね)などと同系のことば、という。

なお論語の時代には「言」と「音」は区別せず、同じ文字で表した。
論語 言 金文 論語 音 金文
「言・音」(金文)

論語 詩 金文 論語 詩 字解
(金文大篆)

論語では、孔子が編纂したとされる歌集『詩経』(『毛詩』)のこと。それまでの歌詞三千から、孔子が三百編を選んで収めたとされる。また個々の詩は孔子の手により、加筆・削除・改編されたと思われる。

『詩経』について論語では、博物学知識にも役立つと言い(論語陽貨篇9)、外交交渉では必須だったことが知れる(論語子路篇5)。石頭の子夏が詩についてトンチンカンな問答を孔子と交わしたのは、論語八佾篇8に見られる。

初出は戦国文字。カールグレン上古音ɕi̯əɡで、論語の時代に存在しない。当時の置換候補は、「辭(=辞)」。詳細は論語語釈「詩」を参照。

論語 書 金文
(金文)

論語では『書経』。『書経』はそれまでの政治文書や政治家の発言集。ともに孔子塾の教科書。『書経』についても孔子の編纂とされてきたが、孔子が生まれてすぐの襄公二十五年(BC548)にも引用があり、論語では孔子自身がその成立について語っていないため、現在では否定する見解が主流。漢字について詳細は論語語釈「書」を参照。

執禮疾

論語の本章では”儀式の号令”。「疾」の原義は急性の病気で、転じて”早い”の意がある。『大漢和辞典』に「禮疾」の項目は無いが、「疾呼」を立てて”急速の音調・激しく叫ぶ”とある。「立て!拝礼!」などの号令を意味するのだろう。

上掲定州論語の校勘、「為執礼激揚之声」=”儀式執行時の鋭い掛け声である”を否定する理由が無い。

漢字について詳細は論語語釈「執」論語語釈「礼」論語語釈「疾」を参照。

論語:解説・付記

本章は上記の検証に拘わらず、そのような伝承を伝えた、史実だった可能性を残している。

中国は広いだけあって方言もまた多様で、例えば現在の北京と香港では、もう会話が通じない。当時もまた同様で、南方の大国・楚の人名、たとえば「トウコク」などを見るたびに、これは中国人なのだろうかと首をかしげたくなるようなことがある。

論語 雅
孔子塾の塾生の出身地はさまざまであり、むろん地元の魯が一番多かっただろうが、例えば子貢や子夏は衛の出身だったりする。そのような環境で授業を行うのに、孔子が当時の華北=北中国の方言を用いたことが論語述而篇32からわかるが、古典の読み上げや儀式では、古語、もしくは当時の標準語を使っていたわけ。

例えるなら上の段落を、下記の通りしゃべったようなものだ。

孔子塾なる塾生の生ひ出づる地はくさぐさあれど、もとなる魯国の人おほからむとなすこといふにおよばず。子貢・子夏は衛ひとにて、かかるやうなるにてものを講じたまふにあたりては、先師孔子時の北唐やうなることのは用ゐたまふと論語述而篇より知りおはんぬ。むかしなれるふみ、まつりにては、むかしのことのは用ゐたまふとぞおぼゆる。いさことあぐれば…。

論語の当時も現代も、古典を読もうとするならまず自国語の古文が読めなければならない。明治人は西洋の古典も古文で訳したが、それは書き下しの伝統があったからだ。漢文=古典中国語から直に現代日本語に訳すのもよいが、日本人にとっては却って効率が悪いと思う。

とりわけ詩歌の場合は、古文で読んだ方がいい。

國破山河在 城春草木深(杜甫「春望」)

論語 春望
国破れて山河あり 城春にて草木深し


国が戦乱に負けても山や河はもとのままです。まちは春になって草木が生い茂りました。

西洋の言語でも、同じではないだろうか。以下はプーシュキンの詩「青銅の騎士」Медный всадник。本を無くしてしまったので、うろ覚えで木崎良平先生の訳を借り申して対比すれば以下の通り。

И думал он:
Отсель грозить мы будем шведу、
Здесь будет город заложен
На зло надменному соседу.
Природой здесь нам суждено
В Европу прорубить окно、
Ногою твердой стать при море.
Сюда по новым им волнам
Все флаги в гости будут к нам、
И запируем на просторе.

論語 青銅の騎士
かくてみかどの思えらく
この地より脅かさんかなスウェーデン
傲岸不遜な隣国に
立ち向かうべき都そ建てん。
いざさだめに従いて
ヨーロッパへの窓こそ開くべき。
さかまく波も何せんと
新たなる時の至るべし。
まろうどら旗をば打ち立てて
至らばうたげを開くべし。


そして彼は考えました。
ここから我々はスウェーデン人に直面しよう
ここに街を築こう
邪悪な高慢な隣人に。
自然は私たちに運命づけています
ヨーロッパへの窓を開くには、
立つにも困る海岸でしかありません。
ここで新しい波に乗って
すべての旗が私たちを訪れます
そして宴会場は開いています。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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