漢文読解の障害と基礎教養
みなさんこんにちは。アシスタントAIのカーラです。
漢文を研究する者や学ぶ者にとって、「どうすれば漢文が読めるのか」は永遠の課題です。訳者もそれを目指して四苦八苦していますが、なかなか結論にはたどり着かないようです。ですから今回は中間報告として、裏手から「なぜ漢文が読めないのか」を考えてみましょう。
漢文と言っても多種多様です。殷の甲骨文や周の金文に始まり、戦国の竹簡や諸子百家の経典、先秦両漢の史書と論文や唐宋の詩文、元明の芝居と小説や清の勅諭と電文、現代中国語まで入ります。これらを通じて解読を難しくしている理由は、今の時点で二つにまとまります。
- 文法が簡単すぎる
- 語義が多すぎる
これらに立ち向かうのに必要なのはまず基礎教養です。大学入試程度の漢文の知識は完璧に覚えて下さい。それと日本語の古典文法も完璧に覚えて下さい。さらに世界史Bも全範囲です。三つとも、共通試験ならウッカリ間違いを除き満点が取れるようでないといけません。
もし読解対象が日本の漢文なら、日本史Bの全範囲も加わります。世界史も日本史も、山川の詳説教科書を丸暗記できれば十分でしょう。入試漢文については苦労した覚えがないので良い教科書を知らないのですが、古文は駿台文庫の『古文読解教則本』を丸暗記して下さい。
誰もが津軽海峡を泳いで渡れるわけがないように、漢文読解も人を選びます。この三つを習得できないなら、漢文読解は諦めて下さい。他にいい道があるはずです。これは大声で言わねばならないことですが、向き不向きの問題であり、決して人格の劣りを微塵も意味しません。
また暗記も、いま暗記している必要はありません。過去に経験があれば十分です。忘れたことは調べ直せば良く、経験があれば調べられます。また詩文については高校国語の教科書に載ったのを知っていれば十分で、詩作したい人だけが『唐詩選』などを読めばいいでしょう。
以上の足腰が固まったら、まとめた訳本でかまいませんから、漢代の史書『史記』、宋代を舞台にした芝居台本『水滸伝』、明代の笑い話『笑府』を読みましょう。これらは種類と読んだ時代に片寄りをなくすため、また官製中国人の話ばかり読んでも、漢文を読む土台にならないからです。
『三国演義』ではなく『水滸伝』なのには理由があります。『三国演義』は君子の英雄譚で、釣り込まれて読者も君子のつもりになってしまいます。太古から現在まで、中国人の九分九厘は庶民です。帝政以降の君子は社会から浮いた存在でした。君子の視点は異常なのです。
それでは中国人が分からず、自分も異常なままで、異常な君子の書き物である漢籍を、毒消しして読めません。自分は君子などではないのだと思い知る必要があるのです。次に訓読(読み下し)が出来ないのに、漢文を読める人を見たことがありません。ですから訓読しない解読法は知りません。
訓読とは漢文の原文を、固有名詞を除き全て徹底的に訓読みしようとする作業です。先に日本語の古典文法が漢文読解に必須と言ったのも、ひとえに正しく訓読するためです。漢学教授でさえ訓読を音読みで誤魔化している者がいますが、読めていないことを白状しているのです。
故常無欲、以觀其妙。常有欲、以觀其徼。(『老子道徳経』1)
故に常に無は以て其の妙を観んと欲し、常に有は以て其の徼を観んと欲す。(某教授『老子』)
意味分かりますか? これは訓読ではありません。訓読「のようなもの」です。
これなら古語辞典を引けば現代日本語に置き換えられます。
訓読を書き下しと言っても同じです。これは意味なき作業ではありません。漢語から日本古語への翻訳で、日本古語は現代日本語に直訳可能ですから、本来は訓読した時点で翻訳完了なのです。そこに固有名詞以外の音読みを持ち込むのは、解読していないのと同じです。
これは適性の問題でもあります。自国語の古典すら分からないのに、外国語の古典が分かる道理がありません。漢文は紛れもない外国の古典です。漢語を含めむやみに外国語を使う者の外国語がインチキ臭いのは、日本語では人をだませない程度には日本語が不自由だからです。
日本人は、理解していない英単語や頭文字をオウムのように受け売りするようになっているからです。もし英単語や頭文字の意味を理解していれば、自分の言葉である日本語で表現できるはずではないでしょうか。
No.513 「IT社会でなすべきこと:企業として、個人として」に関するご意見と私のコメント(1)私の講演をお聞きになったお客様からお寄せいただいたご意見やご質問に対する私の回答をお送りします。
現代語だけではありません。事情は古語も同じです。
日本語とよく似た構造を持つ言語に朝鮮語があります。日本の平安後期、朝鮮半島を支配していたのは高麗でした。その国王の日常は、中国にならって史官が漢文でその都度記録しました。当時の朝鮮語を母語とする高麗人が、王の一挙一動をその場で漢文にできたのです。
もちろん不慣れな史官もいて、ある時とっさに王の言葉を漢文に出来ず、見かねた金富軾(朝鮮の三国時代を記した『三国史記』の編者)が漢文に訳してやったという逸話があります。漢語の訳より漢作文の方が難しいのですが、吏読という訓読に似た法が漢作文に寄与したと言われます。
吏読は訓読とは逆に、漢語を用いて朝鮮語を記す法のようで、その文体は朝鮮語に大きく影響したでしょう。同様に訓読も日本語に多大の影響を与え、現行法令にも漢文訓読体が残っているほどです。その日本語を話す現代日本人が、訓読の技術を使わないのは効率的ではありません。
江戸時代まで、日本人にとって先進国とはつまり中国でしたから、日本語も漢語を受け入れやすいように変化していました。その日本古語は必ず日本現代語に直訳出来ますから、ひとたび訓読してしまえば、漢文に何が書いてあるかを理解するのはたやすいのです。
帝国海軍では”気を付けろ”という命令を、「警戒ヲ厳トナセ」と言いました。この言葉は今の海上自衛隊でも使われているようで、乗員の皆さん誰もが漢文を読めるわけがありませんが、問題なく通用しています。かつての日本語の、漢語との相性の良さを証しています。
ただし現代日本語は、明治以降に欧米語を受け入れやすいように変化しましたから、漢文を直訳するには適しません。何せ昭和の初めと今世紀とで、もう日本語は変わっています。
昭和三年に出版された…「斎藤和英」には「Kaketobi(駈け跳び)」という見出しがあります。「A running jump」と英語で説明されているので、おそらくこれは現在いうところの「走り幅跳び」のことでしょう。しかし、現時点での日本最大規模の辞書『日本国語大辞典』はこの「カケトビ」を見出しにしていません。こういう語は一定数あるようにみえます。(今野真二『日本語の教養100』)
だから訓読を使わないで現代日本語との大きな溝を埋めるのは、訓読出来るなら出来ますが、出来ないなら素直に訓読を試み、日本古語に置き換えた方がずっとラクです。訳者も徹底的に訓読するのを繰り返したからこそ、漢文をじかに現代日本語に置き換えられるようになりました。
日本語・朝鮮語とよく似た構造の言葉を話したモンゴル皇帝も結局は漢文を受け入れ、同様によく似た言葉を話した満洲人の皇帝が、清の時代に中国を支配してすぐに漢文の達者になったのも、漢文がそれほど日本人にとって難しくないことの表れです。元気出しましょう。
ただし現代中国語は検定の初級程度は習得して下さい。中国語のサイトが読めないと、漢文読解の情報資源が激減します。日本に広まった中国の儒者や漢学教授のデタラメも見破れません。日本漢学界のデタラメも相当ですが、中国人だからと言って信じていい理由は何一つありません。
文法が簡単すぎる
欧米系の言語を学んで、その文法のややこしさに閉口した皆さんも多いことでしょう。ですが日本語も欧米語程度には複雑な文法を持っています。従って理屈を言えば、文法さえ覚えてしまえば、あとは語意の引ける辞書があれば欧米語を読むのは難しくないはずです。
対して漢文=漢語には、たった一つしか文法がありません。
- 修飾語-被修飾語の順
「主語-述語-目的語の順」を含め、漢語も細かいことを言い出せばいくらでも文法を複雑に出来ますが、それは専門家のメシの種にはなっても、漢文を読もうとする者にとって役に立つ装置ではありません。そしてこの文法は、甲骨文から現代中国語までほぼ変わっていません。
文法が少ないということは、その言語が易しいことではありません。規則の少なさは言い換えると無原則で、どうとでも書けどうとでも読めるという、分けのわからなさを生むのです。「命令絶対、規則はいっぱい」はいやなものですが、文法に限ればそうとも言えません。
文法の複雑さよりも読者を悩ますのは、何が書いてあるか分からないことだからです。例えるなら数学で方程式が変数だらけで、しかも変数の値が与えられなかったら、解を出すことは出来ません。漢文はこれと同じで、方程式がスカスカで、解を求めるのが難しいのです。
しかもそれに付け込んで、古来より儒者がそれぞれ勝手な出任せを、解だと主張してきました。
対して文法さえ理解すれば、文意が明らかになる欧米語の例を、ロシア語にとりましょうか。露語も多くの欧米語や漢語同様、「修飾語-被修飾語」の語順が通例です。ですからソ連時代から国家行事の行われる、モスクワはクレムリン前の「赤の広場」は、ロシア語でこう書きます。
しかし文法の定めにより、この語順は変えることが出来ます。変えても修飾・被修飾の関係が明らかだからです。その一例として、ロシア内戦時代の白軍の軍歌、「行軍歌”シベリア狙撃兵”」の歌詞があります(→youtube)。
詩歌に倒置が付き物なのは、日本語も漢語もロシア語も変わりません。二番のリフレーンの頭は、倒置され被修飾語-修飾語1-修飾語2の順で、こう歌われています。
”バイカルの恐るべき吹雪が”
Бはбの大文字。文頭ですから大文字です。英語の”B”に当たります。悪名高いKGB=”КГБ”の”Б”です。ロシア語の名詞は’а’の音で終われば女性名詞が原則で、形容詞は被修飾語の性や数や格に合わせて変化しますから、”恐ろしい”のが”嵐”か”バイカル湖”か、即座に分かります。
なぜか? 語が文中で果たしている役割を、語順よりも語の変化が強く示すからです。女性名詞”嵐”буряの複数形буриに合わせて、грозный→грозные、Байкал→Байкалаと、女性名詞複数を修飾するよう語尾が変化しています。文法が複雑だから出来る芸当です。
бури,грозные,Байкала3語の順列は、3!=6通りですが、どの順列でも”バイカルの恐るべき吹雪”を意味してブレがないのは、ロシア語の文法が先人の努力によって整備され、決して簡単ではないものの、よく言語を解読する装置として出来あがっているからです。
アカデミー総裁・エカテリーナ・ダーシュコワ公爵夫人。 エカテリーナ2世即位のクーデターでは、自ら女帝の護衛として戦場に立った。初のロシア語辞典を編み、一部は自ら執筆した。亡き夫の莫大な借金を「部下の兵のために使ったのだから」と全部引き受け、完済した。領地では領主、会計士、大工、農業技師、医師、教師を全部一人でこなしたという、領地に滞在し夫人と共に過ごしたスコットランド人女性による記録がある。女傑というほかない。
日本語も同様の芸当が出来ます。それは助詞「てにをは」などがあるからです。単語の順を入れ替えても、「今日は気温が高い」「気温は今日高い」「高い気温だ、今日は」と、言語学者に言わせれば厳密には違うのでしょうが、ほぼ同じ文意を表す文章が書けます。
対して漢語では、語の役割を示すのは語順しかありません。「于」(…に)のように、助詞や前置詞に当たる単語は甲骨文の昔からありましたが、省略される場合がほとんどです。加えて語形変化がありません。そして恐ろしいことに、語順の倒置は甲骨文からありました。
例えば「Бури грозные Байкала 」は、この語順のまま漢語に置き換えてしまえます。
- 風畏翰海
※読みは漢音=遣隋使・遣唐使が死ぬ目に遭って聞き帰った隋唐時代の発音。「風」はそれより前に伝わった呉音。
余談
- この酒は ただにはあらず 平らかに 帰り来ませと 斎いたる酒
遣唐大使・葛野麿に桓武天皇が贈った歌。葛野麿は泣いてこの歌を受けたという。また小野篁は遣唐副使に任じられたが、ボロ船をあてがわれたので乗船拒否、その罪で島流しになった。流されたときの歌。
- わたの原 やそしまかけて 漕ぎ出づと 人には告げよ 海人の釣船
奈良平安のご先祖は、死ぬのを覚悟で隋唐に渡った。
前漢以降の文字が読める中国人なら、「風畏翰海」を「漢語ではない」とは言い出さないはずです。その理由はひとえに文法が簡単すぎて、語順が滅茶苦茶でも当たり前の文章として通ってしまうからです。場合によってはひねった語順こそ「格調高い」と言われたりします。
ただし「嵐」に”暴風”の意味があるのは「むべ山風を…」と歌われるとおり、日本語だけですから気を付けて。後漢以後なら「颲」(はやて)と書けます。「翰海」はゴビ砂漠も意味しますが、『史記』に記された由緒ある漢語です。ともあれこの漢語は、幾通りにも解釈出来ます。
- 「風の畏ろしく翰海なるもの」(恐ろしいバイカル湖の嵐)
- 「風、翰海を畏る」(嵐がバイカル湖を恐れる)
- 「畏ろしき翰海に風ふく」(恐ろしいバイカル湖に嵐が吹く)
- 「風畏ろしき翰海」(嵐が恐ろしいバイカル湖)
「国家安康」の無茶の通り、漢語は修飾語-被修飾語の順のはずが、事実上はこの通り無原則です。ここも3語ですから語の順列は6通りありますが、キリが無いのでここで止めます。なぜなら漢語では品詞が一定しませんから、解釈が単純な数学的順列の範囲に収まらないからです。
更に「翰海」が2語の場合もあり得ます。解釈は恐るべき数に膨れあがります。
「風」の品詞は動詞でも名詞でも形容詞でも副詞でもあり得ます。ロシア語にも多義語はありますから、文の多様な解釈はあり得ます。しかし漢語は品詞すら一定しないばかりか、語形変化がありませんし、助詞や前置詞は必ずしも書かれません。白文なら句読点もありません。
- ここではきものを脱いで下さい
漢文ではこんな例ばっかりです。上掲の「畏」ももちろんです。
語義が多すぎる
その「畏」を藤堂明保先生編『学研漢和大字典』で引いてみましょうか。
- {動詞}おそれる(おそる)。おさえられた感じを受ける。威圧を感じて心がすくむ。また、おそろしくて気味が悪い。おびえる。
- {動詞}おそれる(おそる)。こわいめにあう。また、おどされる。たちすくむ。
- {名詞}おそれ。気味悪さ。また、威圧を受けた感じ。
- {形容詞}心のすくむようなさま。こわいさま。転じて、尊敬すべき。
- 《日本語での特別な意味》
(1)かしこい(かしこし)。おそれ多い。また、ありがたい。「申すも畏し」。
(2)かしこまる。おそれ入ってつつしむ。また、つつしんで承る。「畏つて候ふ」。
漢文に「畏」とあっても、その品詞は動詞でも名詞でも形容詞でもあり得るわけです。さらに同じ「畏」を『大漢和辞典』で引けば、12通りの語釈が載っています。「どうせいちゅうんじゃ」と誰もが言いたくなり、漢籍を放り出したくなる理由のもう一つが、この多義語性です。
「畏」(甲骨文)
「畏」の字は甲骨文の昔からありました。頭の大きな化け物が、死神の大ガマのような武器を持って迫ってくる姿です。だから”恐ろしい”が原義ですが、そこから上掲のような多様な語義を持つようになりました。ですがこれは、漢字を使う以上仕方の無いことでもありました。
漢語はその表記に、表音文字ではなく漢字という表意文字を使いました。宇宙に存在するものごとは無限にありますが、その一つ一つにそれを意味する新しい漢字を作って当てて行ったら、漢字の種類も無数に膨れあがってしまいます。それを全て人間が覚えるのは不可能です。
漢字を作った当人もそうですが、大勢の読者にも無数の字形と語義を覚えて貰わねばなりません。そんなことが出来るはずがないでしょう。そこで一つの漢字には、それから連想されるさまざまな語義を持たせ、その結果複数の品詞を兼任するようになるしかなかったのです。
もう一つ多義語性の例を挙げましょう。孔子の高弟とされる曽子が、いくさから逃げ出したという『孟子』に載った伝説です。伝説ですから史実は怪しいのですが、それより通説通りの解釈が、漢語の多義性によってまるで違った翻訳になる例として記します。
曽子が武城(魯国南部のまち)に住んでいた。そこへ南方の越国軍が攻めてきた。
ある人「いくさが始まります。どうして戦場に行かないのですか。」
曽子「私のいない間に、どさくさに紛れてどこぞの馬の骨が、勝手に我が家に棲み着いてはたまらない。叩き壊して薪にしてから、まちの外へ逃げるとしよう。」
やがて越軍が退却した。曽子「では我が家を再建しよう。まちに帰るとするか。」
そう言って曽子が帰ろうとすると、弟子が言った。
「先生ちょっとお待ちを。これが忠実で慎み深い者のすることですか。いくさが始まれば真っ先に参陣して民の希望を担い、敵軍が退いたら家に帰るのが君子の務めです。これでは君子らしくないと言われても仕方がありません。」(『孟子』離婁下59)
この中から”訳文”→「その原文」の組を二つ抜き出しましょう。
- ”どうして戦場に行かないのですか”→「盍去諸」
- ”いくさが始まれば真っ先に参陣して民の希望を担い”→「寇至則先去以為民望」
1.には別解があり、「なんぞ諸を去けざる」と読んで、「去」を”逃げる”と解せます。実際戦国時代の文献である『孟子』では、「去」を”立ち去る”・”避ける”と読まねば意味が通じない箇所がいくつかあります。そして通説でもこの部分を、「去」を”避難する”と解しています。
- 「盍去諸」”どうしていくさから避難しないのですか”
しかし「去」をそう解釈すると、2.の文意が分からなくなります。「寇至らば則ち先ず去りて以て民の望みと為る」と読むのが通説ですが、戦争から真っ先に逃げ出した男が、”民の希望”になれるでしょうか? 春秋後期から戦国の時代は、庶民も徴兵されたというのに。
「なんだあいつ」と石を投げられて当然で、ノコノコ帰ってくれば袋叩きに遭うのは必定です。ですが弟子の言葉から、曽子は逃げたと分かります。従って『孟子』本章の「去」は「ゆく」と読み、逃亡を非難する弟子の言葉、”いくさに出向いて従軍する”と解さねば道理に合わないのです。
- 「盍ぞ諸に去かざる」”どうして戦場に行かないのですか”
現代中国語で「去」と言えば”ゆく”ことで、「去北京」は北京を去ることではありません。ですが江戸時代の儒者や明清の中国儒者に「行く・去る、どっちですか」と聞けば、「ええと、それはだな…。」と言いくるめにかかること必定です。どちらにも決めがたいからです。
しかし空理空論とポエムをいじくれば済む儒者官僚と違い、現場で文書行政に当たる胥吏(下級官吏)はそうも行きませんでしたから、少なくとも明以降の漢語では、助詞のような言葉を多用して文意を明瞭にする文体が現れました。それを儒者は「下品だ」とこき下ろしたのです。
その例を明代の笑い話集『笑府』から見ましょう。
蘇州の長者に二人の婿がいた。姉の夫は儒者で、妹の夫は胥吏だった。長者は事あるごとに、胥吏の無学をせせら笑った。胥吏は腹に据えかねて、「では私の文才を試して下さい」と言った。
長者「ふむ。ではあの椿を題に詩を作りなさい。」と指さす。
胥吏「お安い御用です。庭に一本生えたる椿の木よ、なぜに期限に違うて花開かぬ。春風に乗ったる天の指令、至急明朝芽を出すべしと。」
長者「何を言いたいかよく分かる詩じゃが、なんじゃねその役所臭いのは。みやびじゃない。今度は月を題にやり直しなさい。」
胥吏「では。月光よ、何の公務か海岸を離れ、何の指示書か天の果てに至る。密かに関所を抜けるはまだ良きなるも、深夜の人家に入るべからず。」
長者「ぜんぜん変わらんじゃないか。義兄の詩でも見習うが良い。詠んでみよ。」
儒者「オホン。清光一片、蘇州を照らす…。」
胥吏「あぁ? ちょいとお待ちを。それは間違いです。月は蘇州だけ照らしているわけではありません。”蘇州などの場所を照らす”と詠まねばなりません。」(『笑府』巻三・書手吟詩)
『孟子』は経典の中では読みやすい方ですが、ここまで読者の世話焼きではありません。
「去」の字は甲骨文の昔からありましたが、大の字になった人の姿の、股の間に「𠙵」(くち)を描いた字形でした。”あっちへ行け”と口で言う事かも知れず、出入り口を通って行くことかも知れません。分かっているのはどちらの語義も、甲骨文の時代からあったことです。
「貞王勿去朿」
貞う、王朿を去る勿らんか
”天意を問う。王は朿の地を去るべきではないだろうか。”『甲骨文合集』169.3
※「乎朿白」という甲骨文の文例があり(『合集』00635正.4など)、”朿の領主を呼ぶ”と解するので、「朿」を地名としたが、「刺」の原字で”トゲ”をも意味する。この場合の解は、”王は刺さったトゲを取り除くべきではないだろうか。”
「甲申卜去雨于河 吉」
甲申卜う、去きて河于雨いせんか。吉し。
”きのえさるの日に天意を問う。黄河に行って雨乞いをしようか。吉と出た。”『小屯南地甲骨』679.1
すると「去」の語義の選択は、文が道理に合うように選ぶほかありません。
- 「盍去諸」
盍ぞ諸に去かざる
”どうして戦場に行かないのですか” - 「寇至則先去以為民望」
寇至らば則ち先ち去きて以て民の望みと為る
”いくさが始まったら、真っ先に戦場に行って民の希望を担う”
これが本当に漢文を読めるということです。辞書以外の助けを借りず、時には辞書さえ疑って、誰の訳でもない自分の訳を作ること、しかも「こう解釈するのはこういう理由があるからだ」とはっきり言えることです。どんな権威だろうと、「誰それがこう言ったから」ではありません。
そもそも一つの原文につき、解釈は多様にあります。あらゆる漢文を読むために、その解釈を全て覚えることなど出来ません。しかも解釈のほぼ全てはとうに世を去った、ぜんぜん責任を取ってくれない古人の自己宣伝に過ぎず、いくら覚えたところで翻訳が出来るわけではありません。
翻訳とは、不可解な言葉を分かる言葉に置き換える作業です。突き詰めると機械翻訳のように、原文と訳文の間には関数があって、「誰でも同じ訳文になる」のが理想です。解釈の幅は訳文が出来るからこそで、不可解なうちに勝手な解釈を言うのは、翻訳作業とはぜんぜん違うのです。
その意味で漢文読解は、物理学に近い作業です。自然界からデータを集めて統計を取り、方程式に集約するのが物理の重要な仕事ですが、漢文も膨大な文字列を時代その他で分類し、各分類ごとに原文から訳文を導く方程式を書けないなら、訳文もただの個人的出任せになってしまいます。
「君子は異常だ」とすでに述べました。「毒消ししないと読めない」とも述べました。「逃げる人が立派」という、とうてい理に合わないことを平気で書き散らし、言い回るのが、「君子」が頭のおかしな人々であることのあかしです。そして通説を説く権威のほとんどもその同類です。
それらをおかしいと言うためには、ねじ曲がり時に壊れた漢文を、整えて解釈出来ねばなりません。日本史上、多くの漢文読者は、儒者の個人的都合によるデタラメな解釈を、「何かヘンや」と首をかしげながら読んできたのですが、古今東西、おかしなものはやはりおかしいのです。
「論語読みの論語知らず」という言葉があります。人の道を教えるべき『論語』に詳しいはずの儒者が、まま人でなしである事実をこき下ろした言葉です。その原因の一つは後世の儒者が、よってたかって『論語』に、ヘンな権威主義や狂信や親孝行や滅私奉公を押し込んだからです。
しかしどんな権威が語ろうが、不合理をはねつけねば、現代に生まれたかいがありません。
ではどうやって読むか
このほかに漢文読解の障害になっているのは、原文に句読点が無いことですが、これは句末の助字「也」「矣」「哉」「乎」などを見つけてちょん切っていけば、ある程度解決できますから大した障害ではありません。手っ取り早く先達の付けた句読を参考にするのもいいでしょう。
今一つの障害は、辞書を引くことの面倒です。漢文を独力で読むなら、漢和辞典は結局、索引も含めて全14冊組の『大漢和辞典』を手元に備えざるを得ないのですが、こんなもんをページをめくって一々引いていたら、漢文を読めるようになる前に、読者の寿命が尽きるでしょう。
また漢文に限らず語学の習得は、結局経験値を高めるしか上達の法が無く、かつては「どれだけ辞書を引いたか」が問われました。従って語学に根性論がまかり通ってしまったのですが、ITの出現以降、人類は「検索」という強力な武器で、根性論を吹き飛ばしました。
だからここはITとお金に頼るしかありません。ソフトなら検索が出来ます。『大漢和辞典』にはソフト版が出ています。安くはありませんが必要経費です。そして『大漢和辞典』だけでは読めません。字解の充実した『学研漢和大字典』か、『漢字源*』で補完せねばなりません。
『大漢和辞典』は語義の一覧表に過ぎず、「この漢文ではどの語義を当てれば良いか」を教えてくれないからです。『学研漢和大字典』も『漢字源』も、共にソフトが出ています。ただし一時期はやった『字通』は癖が強すぎて、引いた初心者は却って漢文を読み誤ります。
原チャリにも乗れないのに、いきなりリッタークラスのオートバイに乗ったようなものです。バイクと違って死にはしませんが、漢文読解にかなり経験が無いと使えないと承知して下さい。このあたりの選択については、漢和辞典ソフトウェア比較・レビューを参照して下さい。
訳者はかつてリッターマシンで、こんな無茶をしたのに生きて帰ってきたようですが。
若気の至りと言うべきで、たまたま命が助かったに過ぎません。こういうのを乗り物に乗るではなく、乗せて貰うと言うのです。道具に任せて好き放題すれば、お他人さまの迷惑だけでなく、自分を見失い、多くはきついしっぺ返しに遭います。ともあれ話を漢文読解に戻します。
以上に加えて中国語のサイトで補完する必要もあります。GPSが安定するには三つ以上の衛星受信が必要なように、漢語の語義は多方面から検討しないと独善に陥るからです。それを何よりも示すのが儒者の注で、根拠の無い勝手な出任せを書き付けて平気で済ませてきたのです。
中国儒者だけではありません。独善で誤魔化してきたのは日本の「学界の権威」も同じです。
だから漢文読解に、現代中国語の知識は不可欠なのです。まず難読漢字を音を根拠に類推することが出来ません。また上掲『笑府』の”せせら笑う”の原文は「簿」ですが、この語義は『大漢和辞典』にも載っていません。中国のオンライン辞書まで確かめて、やっと見つかります。
他にも「沙場」→”戦場”など、日本の辞書だけでは読めない場合は少なくありません。
以上を踏まえ、漢文読解の進行過程は、次の順になるでしょう。
- 句読点を付けて文を区切る
- 各単語・熟語の品詞を決める
- 各単語・熟語の語義を決める
1.についての方法は上記した通りです。3.への方法は充実した複数の電子辞書を持ち、中国語のサイトも参照しながら、前後の文脈やその漢文の時代背景から考えて、もっとも適切な語義を当てはめることです。すると鍵を握るのが2.への方法ということになります。
それは漢文のたった一つの文法、「修飾語-被修飾語」の順です。「主語-述語-目的語」の順を含めて、原文がこの語順で解釈出来ないか、考えに考えて下さい。その際、過去現在の日中の儒者や漢学教授の注釈は一切無視して下さい。ほぼ例外なく、根拠の無い出任せだからです。
どうしても「修飾語-被修飾語」の順で読めない時に限り、「やむを得ず、真にやむを得ず」と開戦時の及川古志郎のような妙な節回しで、倒置の疑いを持ちましょう。もちろん倒置である明確な証拠を掴んでいるなら、まゆ毛染めのポンコツ海軍大臣を演じる必要はありません。
ここまで変則的な語順を倒置と呼びましたが、実は漢語に倒置はありません。言いたい事から順に言うのが漢語で、「子曰善」という漢文は、”先生が”を強調したいから文頭に置き、”言った”がそれに次ぐから次に書き、”よろしい”かどうかは一番どうでもよかったのです。
入試漢文の必出問題も、実はこれを問うているのです。
- いかん
「何」:”何”/「如」:”従う”・”その通りになる”
「何如」:”何がつき従うのか”→”どう(なる)でしょう”
「如何」:”つき従う(べき)は何か”→”どうしましょう”
- つねに/つねには
「常不得油」つねにあぶらをえず
”いつもだ、油を得ないことが”→”いつでも油に不自由している、あったためしがない”
「不常得油」つねにはあぶらをえず
”…でない、常に油を得ることが”→”いつでも油があるわけではない、たまには不自由する”
余談ながら油の話の元ネタは、「蛍の光」で有名な車胤の伝説です。
車胤字武子,學而不倦,家貧,不常得油,夏日用練囊,盛數十螢火,以夜繼日焉。
車胤字は武子、學び而倦ま不るも、家貧しくして、常には油を得不、夏の日は練の囊を用い、數十の螢の火を盛たし、以て夜を日に繼ぎ焉。(『芸文類聚』螢火6)
でもそうそう蛍も人間の都合良く光ってくれませんし、セットで語られる雪明かりで本を読んだ孫康の伝説も馬鹿げています。漢文に付き物の弱い者いじめで、出来の悪い教師や親がこういうでっち上げを一方的に説教したのですね。『笑府』はこのウソもからかっています。
車胤はホタル袋で本を読んだ。孫康は雪明かりで本を読んだ。ある日孫康が車胤の家に挨拶に行ったが、留守だった。孫康「車胤先生はどちらへ?」門番「ホタル取りにお出かけです。」
車胤が返礼のために孫康の家へ行った。すると孫康がぼんやりと庭に突っ立っていた。車胤「どうして本をお読みにならないのです?」孫康「この陽気では、雪が降りそうにありません。」(『笑府』巻二・名読書)
さて各単語・熟語の品詞が決まったら、次はそれらが文中のどこまで修飾しているか考えて下さい。漢文で語が他の語を支配することを「管到」と言い、戦国時代以降の中国語には熟語が現れるので、とりわけ管到を慎重に考えねばなりません。論語里仁篇2から例を見ましょう。
- 不可以久處約
管到する語 | 管到の及ぶ範囲 | |||||
不 | …でない | 可 | ||||
可 | 出来る | 以 | 久 | 處 | 約 | |
以 | 用いる | 久 | 處 | 約 | ||
久 | …し続ける | 處 | 約 | |||
處 | 止まる | 約 | ||||
約 | 貧窮 |
「久しく約きに處るを以ゐる可から不」→”長期間貧窮に耐えることが出来ない。”
3.の各単語・熟語の語義を決めることは、この管到を考える事と不可分です。上掲『論語』の時代は一字=一語が原則ですのでまだラクですから、管到の練習には『論語』が一番でしょう。何より『論語』は最古の文献でもあり、そこからの「本歌取り」も少なくありません。
ここで語義を決めるに当たって重大な手続きがあります。初めて見る漢文を訳本の力を借りずに読めるようになるまでは、漢語から直に現代日本語に直してはいけません。一字一句の語義をおろそかにしない習慣づけのためです。必ず日本古語に置換し、書き下し文を完成させること。
上掲論語里仁篇を例に取れば、「約」を「ヤク」と音読みで済ませている者で、「約」の語義を問い詰めると誤魔化しにかかる不届きな漢学教授はいくらでもいます。こういうズルをする癖が付くと、決して漢文を独力で読めるようにはなりません。絶対に真似しないように。
このため古語辞典はweb上の無料のもので済ませても構いませんが、現古辞典は必ず手元に置くように。漢語に対応する日本古語は必ずしも存在しませんが、例えば「騎」→「うまいくさ」のように、固有名詞以外は全て訓読みできるまで、頭を振り絞って考え工夫して下さい。
そうやって言語の感覚を研ぐのです。訓読は直訳に他なりませんが、それゆえに一字一句の意味を明らかにせざるを得ず、いやおうなしに読者の漢語知識を増大させます。個別にして多様な単語・熟語の語義が覚わるだけでなく、漢文独特の言い回しにも慣れることできます。
だから訓読が、もっとも素早く漢文読解の経験値を上げる方法たりえるのです。
おわりに
21世紀前半の今、日本人が漢文を読めても一銭の価値もありません。お金のために身につけるなら、こんな馬鹿馬鹿しい技術もないのです。漢文読解に限らず技術とはほぼそうで、よいものを作る者は報われず、より高い値でより大勢に売りつける者が一番儲かる世の中です。
いちいち個別の商品を挙げませんが、かつての良質な品物を真似て、奴隷的な価格で他人に作らせ運ばせ、何十倍もの売り上げを出している品はちらほらあります。漢学界に話を戻せば、かつては不埒なニセモノが威張り散らし、今もその座を幸運な者が占めているだけです。
地道な努力より、図乗りした「マーケティング」なるいかがわしいもの*が報われるのが現世です。そんな中で漢文読解など身につけようとするのです。小便も神様へのお祈りもガタガタ震えた命乞いも不要ですが、その代わり『列子』や『孔子家語』のいう覚悟は済ませましたか?
…それなら漢文読解の練習に一番良い教材は、『論語』に他なりません。
中国史を通じてもの書きの頭には、常に『論語』がありました。ですから時代が変わっても、漢文を読むのに『論語』を一通り読んでおけば、自力で解読するのに大いに役立つのです。そして自力で読めないと、いつまでもデタラメにだまされて、漢文の真意を読み取れません。
上掲『孟子』の曽子逃亡劇も、後世の儒者の手による、もの凄く曽子に都合の良い解釈が世間にまかり通っています。それに従うことは漢文を読むこととは言えず、儒者のデタラメにたぶらかされることに他なりません。読むのは自分であり、解読力を持ちたいのも自分でしょう?
ならば必要な装備を揃え、自分で原文と格闘しましょう。それでこそ漢文世界の冒険者ですし、今まで人を不幸にしかしなかった漢文が、人の幸福に貢献するでしょう。こうした冒険者が増えいつかそのギルドが出来、ただの集金業者と化した今の漢学界に取って代わるかも。
そもそも古典は、そう簡単に読まれたがってくれません。ですが。
私は已むを得ず、オモロの獨立研究を企てたが、さながら外國文學を研究するやうで、一時は研究を中止しようと思つた位であつた。けれどもオモロが如何に解し難い韻文だといつても、もと\/自分等の祖先が遺した文學であつてみれば、研究法さへよければ、解せないこともないと思つて、根氣よく研究を続けた。(伊波普猷『校訂おもろさうし』第1-8・p25)
そうです。「研究法さえよければ」、漢文も「解せないこともない」のです。
漢字を知ってから明治維新まで日本人は、正式の文章は漢文で読み書きしました。その意味では漢文は、「自分等の祖先が遺した文学」でもあるわけです。昔の日本人に出来て、ITを持つ今の日本人に出来ない道理が無いではありませんか。「根気よく研究を続け」て下さい。
では皆さんごきげんよう。カーラでした。
参考動画
分野はぜんぜん違いますが、この方の仰っていることはいちいちその通りです。原理を間違えず、基礎練習を繰り返し、自分らしく継続する、それは漢文読解もまったく同じです。それが出来れば、初見の漢文でもウォーミングアップなんか要らず、いきなり読めます。保証しましょう。
参考記事
- 論語公冶長篇15余話「人文は科学たり得るか」
- 論語雍也篇20余話「このサイト開設のきっかけ」
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