論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「誦詩三百、授之以政不達、使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲。」
校訂
定州竹簡論語
子曰:「誦《詩》三百,受之政a,不328……奚以為?」329
- 受之政、今本作”授之以政”。
※定州竹簡論語は一般に、政→正だが、本章の例外の理由は不明。
→子曰、「誦詩三百、授之政不達、使於四方、不能專對、雖多亦奚以爲。」
復元白文
※誦→頌・詩→辭。
書き下し
子曰く、詩三百を誦ふる、之に政を授くるも達らず、四方於使して、專ら對ふる能はざらば、多しと雖も、亦だ奚をか以て爲さむ。
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逐語訳
先生が言った。「『詩経』の歌詞を三百全て暗誦した者に、政治を任せてしくじり、四方に使いに出して独力で交渉できないようでは、多く覚えたと言っても、まったく何の役に立つだろうか。」
意訳
『詩経』を全部暗記しました、と自慢する奴が、政治はしくじる使いは務まらずでは、全くの役立たずだ。
従来訳
先師がいわれた。――
「詩経にある三百篇の詩を暗(そらんず)ることが出来ても、政治をゆだねられて満足にその任務が果せず、諸侯の国に使して自分の責任において応対が出来ないというようでは、何のためにたくさんの詩を暗んじているのかわからない。」
現代中国での解釈例
孔子說:「讀了許多書,讓他乾工作,卻完成不了任務;讓他搞公關,卻完成不了使命。這樣的人,書讀得再多,又有什麽用?」
孔子が言った。「あまたの本を読んだというので、その者に仕事をさせても、かえってやり終えることが出来ない。交渉事を任せても、まとめることが出来ない。このような人は、もっと本を読んだ所で、今さら何の役に立つのか?」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
誦
(金文大篆)
論語の本章では”暗誦”。暗記して口に出せる事。
初出は秦の篆書。論語の時代に存在しない。詳細は論語語釈「誦」を参照。同音の「頌」に”となえる”の語義があり、西周末期の金文から存在する。論語語釈「頌」を参照。
詩三百
「詩」(金文大篆)
論語の本章では『詩経』のこと。孔子は従来三千あまりあったと言われる古詩を、約三百にまとめて『詩経』を編集したとされてきたが、それも後世の儒者によるでっち上げ。
漢字「詩」の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はɕi̯əɡ(平、ɕはシュに近いシ)。近音近義の「辞」(辭)は春秋時代の金文で確認できるが、カールグレン上古音dzi̯əɡで、仮にこれを論語時代の置換候補とする。詳細は論語語釈「詩」を参照。
達
(金文)
論語の本章では”良く理解して適切に処理する”。原義は届く・通る・通用する”。武内本は「暁る意」という。詳細は論語語釈「達」を参照。
專對(専対)
「対面をもっぱらにする」。一人で決断して交渉する事。「専」は論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声。叀は、つり下げたまるい紡錘(ボウスイ)を描いた象形文字。專は「寸(て)+(音符)叀(セン)・(タン)」。紡錘は、何本もの原糸を一つにまとめ、かつ一か所にとどまり動揺しないので、そこから専一の意を生じた、という。詳細は論語語釈「専」を参照。
奚(ケイ)
論語の本章では”何を…するのか”。人・物・事を問う疑問・反語の意を示す。目的語となる。詳細は論語語釈「奚」を参照。
亦(エキ)
論語の本章では「奚以爲」全体を修飾し、”全く…だ”。強い限定の意味を示す。詳細は論語語釈「亦」を参照。
雖多亦奚以爲
ろんごん本章では、”いくら(詩を)よく知っていても、全く何の役に立つのか”。ここでの「以」は指示詞ではなく接続詞で、”それで”の意。「爲」(為)は何かを”する・作る”。詳細は論語語釈「以」・論語語釈「為」を参照。
論語:解説・付記
『左伝』など論語時代の史書を読むと、説得や交渉では詩の一節が頻繁に引用されている。実際はどうか知らないが、欧米の責任ある地位の者が会話に聖書やキケロ、シェークスピアを引用すると言われているのと似ている。日本では『平家物語』とかがあたるのだろうか。
孔子塾の門を叩くのは、勉強によって身分差別を乗り越えたい、主に低身分の若者たちだったが、目的が仕官だっただけに、詩経の暗誦に励んだのだろう。しかし暗記力と交渉力・政治力は別物で、こんにちの社会で政治家と官僚は分業している事情がそれを物語る。
知識をいくら詰め込んでも一人前の君子にはなれない、とするのが孔子の教説で、詩の暗記などは徳=人格に伴う技能を高めるためで、つまりは今日で言う外国語の役割に過ぎなかった。それを勘違いした弟子がいたから、このようなお説教になったと想像できる。
しかし訳者の思う所、もっとドス黒い意図がありそうだ。
意地悪く考えれば、論語の後半に影響を残した孔子塾の政治派=子貢の派閥が、小人派=曽子などの派閥をくさしていると見る事も出来る。本の虫で口だけは良く回るが、同じ口を回すなら子貢のように、五カ国を一挙にひっくり返すぐらいの事をやってみろ、ということだろう。
対して論語の前半には、子貢をおとしめる言葉がいくつかある。「君子は器ならず」と「瑚璉なり」の組み合わせはその代表例。ただ歴史上の中国人も、どちらかと言えば暗記だけの人物を重く見なかった点では同じで、それが高級官僚採用試験=科挙の歴史にも反映した。
科挙はのちに進士科だけが残ったが、宋代までは明経科と言って、儒教経典の暗記度合いを試すコースも存在した。明経科もまた細分化され、五経=易経・詩経・書経・礼記・春秋全部を試すものから、三経・二経を試すもの、さらに学究と言って一経だけ試すコースもあった。
よほどの暗記力が無ければ五経など無理で、勢い人気は学究に集まったが、その代わりただの暗記屋と見なされ、場合によっては科挙合格者の数にさえ入れて貰えなかったという。対して進士は経典の暗記の他、詩の作成に時事論文も課されたから、これが科挙の本道になった。
詩だけ暗記しても尊敬されない。それは中国史を通した通念だったと言っていい。
なお「孔子が古詩を編集して現伝の詩経を編纂した」という儒者のでっち上げに対し、清の梁章鉅は、自身も科挙を突破し、それも優等で合格した(合格と同時に翰林院=帝国高等研究所入りしている)れっきとした儒者にもかかわらず、論語の本章への注釈で次のように書いている。
『史記』孔子世家は、「古詩三千編から、孔子が重複を取り除いて、礼法のためになるもの三百五編を選んで『詩経』を編纂した」と言うが、これはでっち上げだ。古詩はたったの三百十一編あったに過ぎない。だから三百編暗記できたら、それで十分だと本章では言っているのだ。昔の人は竹簡に、手で文章を書いたから、三百編の詩集だけでも恐ろしく場所を取るし面倒くさいと言ってよい。後世の人間は紙に文字をぱんぱんと印刷し、そんなページをいくらペラペラめくった所で、大した読書と言えないが、そういうのとは違うのだ。(『論語旁證』巻十三・誦詩三百章)
梁章鉅は政府高官としても出世し、それも世渡りではなく実務を評価されたかららしい。文官として一省の順撫(知事)を務めたり、武官として西洋列強との防戦にも当たった。訳者は清朝考証学をこき下ろしてきたが、清儒のみながみな、バカでないことはもちろんである。