論語詳解171述而篇第七(24)子は四を以て教う*

論語述而篇(24)要約:とある弟子による、孔子先生についてのごく短い回想。例によって「はあそうですか」と読み飛ばしても構わないお話。それにしても、どうせでっち上げるなら、もう少し面白い回想を作れなかったんでしょうかね。

このページの凡例このページの解説

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子以四敎、文、行、忠、信。

校訂

定州竹簡論語

以四教:文,行,忠,信。168

復元白文(論語時代での表記)

子 金文㠯 以 金文四 金文教 金文 文 金文 行 金文  信 金文

※論語の本章は忠の字が論語の時代に存在しない。本章の内容は全くのデタラメであるため、忠の字を中の字へ遡り得ると判定できない。「行」の用法に疑問がある。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

書き下し

は四をもつをしふ、あやおこなひ、しんだうまこと

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

先生は四つを教えた。文化、行動、忠誠、信義。

意訳

孔子 人形
先生は四つを教えた。古典や礼法など文化教養。礼法に沿った行動。主君への忠誠。人と交わるための信頼。

従来訳

下村湖人
先師は四つの教育要目を立てて指導された。典籍の研究、生活体験、誠意の涵養、社会的信義がそれである。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子教學有四項內容:文獻、品行、忠誠、信實。

中国哲学書電子化計画

孔子の教学は四項目の内容だった。文献、品行、忠誠、信義。

論語:語釈 →項目を読み飛ばす


四 甲骨文 四 金文2
(甲骨文・金文)

論語の本章では”四つのことがら”。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、古くは一線四本で示したが、のち四と書く。四は「囗+八印(分かれる)」で、口から出た息が、ばらばらに分かれることをあらわす。分散した数。呬(キ)(ひっひと息を分散させて笑う)の原字。

死(生気が分散し去る)・西(昼間の陽気が分散し去る方向)と同系のことば、という。

文 金文 遠山の金さん
(金文)

論語の本章では、”文化芸術”。

「文」はもともと、体に入れた入れ墨だったが、転じて入れ墨の”模様”、次いで”文字”の意になった。漢字の源泉は象形文字だったから、模様が文字の意味になるのはもっとも。そして文明が進んでくると、一文字ごとの記号に過ぎなかったのが組み合わされて文章になり、さらに文章で表される文化一般を指すことばになった。詳細は論語語釈「文」を参照。

行(コウ)

行 甲骨文 行 字解
(甲骨文)

論語の本章では”行動(規範)”。初出は甲骨文。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。「ギョウ」は呉音。詳細は論語語釈「行」を参照。

忠 金文 ピーマン肉詰め 忠
(金文)

論語の本章では、”忠誠”。『学研漢和大字典』による原義は”中身が充実していること”。初出は上掲戦国時代の金文で、論語の時代に存在しない。春秋時代にも存在した二文字で、「中心」=”まごころ”と解せなくも無い場合があるが、本章の場合は内容そのものがデタラメで、孔子塾の史実と反している。従って”まごころ”の意ではあり得ない。詳細は論語語釈「忠」を参照。

信 金文 信
(金文)

論語の本章では、”他人を偽らないこと”。「信」は人+言。『字通』によれば言は神に誓う言葉であり、そこに嘘があってはならないから、まことの意味になった。詳細は論語語釈「信」を参照。

論語:解説・付記

孔子が弟子に、文化芸術、礼法、ひたむきさ、正直を説いたのはもちろんだろうが、それだけでは論語の時代の貴族になれない。素手で人を殺せるようなえげつない暴力もまた、貴族に必須の教養だったからだ。そして忠誠という概念は、論語の時代の中国語にはない。

個人が具体的な個人に対して、真心を捧げる事は人間である以上当然知られていたが、国のような仮想共同体に対する「忠誠」が出土文献として中国に現れるのは、諸侯国の戦争が激化し、負ければ国が取り潰され、それゆえ領民に軍国主義をすり込まざるを得なくなった、戦国末期まで時代が下る。

孔子の生きた春秋時代後半では、役人の意識も国に仕えているという意識は無く、代々相続された家職に対する熱意や、主君に対する個人的誠意があり得るだけだった。政変のたびに執権のみならず国公まで殺されるのがざらだった当時、斉の晏嬰が平家老から執権まで上り詰めたのは、世間のそうした常識に反して、主君でなく国に仕える、と公言したからだ。

その発言を司馬遷は「忠」と記したが、上記考古学的所見から、おそらく晏嬰は「中」、つまりお中の心=まごころとして言ったはず。晏嬰の信念は時代を大きく先取りするものだったが、ことばは語義が世間に共有されないとたちどころに消えてしまう。「忠」も同様である。

晏嬰は後世「忠」と解釈されるようなことを語ったかも知れないが、聞き手は誰もそう思わなかった。だから主君に殉じる者は出ても、国に殉じる者は珍しかっただろう。秦の穆公に殉じた家臣が大勢出た結果、一時秦の国勢が衰えたのは、そうした春秋の世を象徴している。

穆公は孔子より一世紀前の人物で、当時は戦に勝っても相手の国を滅ぼす例が少なかったから、事例にはなりにくいかも知れない。国の取り潰しが起きるようになったのはまさに孔子在世中のことであり、れっきとした周の同族である曹国は、殷の末裔宋国に滅ぼされた。

春秋諸国と諸子百家
その際、国に殉じた者は出なかった陳国も滅んだが同様だった。「忠」はやはり戦国時代の産物である。

蛇足ながら、儒者や漢学者に限ると日本帝国にも忠の概念は無かった。おおざっぱには日本儒教史で書いたが、個別の話を書いておこう。戦前、𠮷外儒者の巣窟だった大東文化学院の教師は、大勢の若者を煽って前線や大陸に送り込んだが、帝国滅亡に殉じた者は出なかった。

ただの一人も聞いたことが無い。その一人清田清は、ど腐れ東大教授だった宇野精一のマブダチだったのを明徳出版社・中国古典新書『孔子家語』で自慢しているが、ついでに死に追いやった若者達への追悼をしおらしい文章で書き、続けてその言い訳を延々と書き綴っている。

言い訳の方が分量が多い。国家主義とはどこの国でもこんなものだろう。やたらと日本人を持ち上げる連中でも、生物として死ぬのが怖いのは同情できるが、せめて「申し訳ないから坊主になる」ぐらいはしてはどうか。だが坊主になった話も寡聞にして聞かない。全く。

せいぜい近いのは戦下手の井上成美提督だろうか? 人はクズがデフォルトなのだ。

それは現在、中共から金を貰って売国に走る連中と同じである。理由は単純で、頭が悪くて底が浅いのだ。重複を恐れず記せば、敗戦直後まで文学部は帝大だろうと、金があれば誰でも入れた。大東に至っては小遣い銭まで国が呉れた。日本中の馬鹿が集まっていたのである。

読者諸賢、思ってもみられよ。バカのくせに、汗流して働くのを嫌がり、汗流した人の生き血を我先にすすろうとした連中が競ったあげく、罪のない生まれたばかりの赤ん坊まで丸ごと焼き殺された地獄がかつて、この国にはあったのだ。こんな無残は二度とあってはならない。

それでは枯れ木も山の賑わいで、儒者の感想文を記そう。

古注『論語集解義疏』

子以四教文行忠信註四者有形質可舉以教也疏子以四教文行忠信 孔子為教恒用此四事為首故云子以四教也李充曰其典籍辭義謂之文孝悌恭睦謂之行為人臣則忠與朋友交則信此四者教之所先也故以文發其䝉行以積其徳忠以立其節信以全其終也

本文「子以四教文行忠信」。
注釈。この四者は形も中身もあるから、取りあげて教える事が出来る。

付け足し。先生は文行忠信の四つを教えた。孔子は教える時に言うもこの四つを基本項目として用いた。だから”先生は四つを教えた”というのである。

李充「教科書や言葉の意味を文という。孝行・年下らしい態度・慎み・和みを行という。家臣らしさを忠という。友人にウソをつかないのを信という。この四者は教えの先頭に立つべきものである。だから文で啓蒙し(論語子罕篇11)、行で徳を積ませ、忠でけじめを付けさせ、信で生涯をよき者として終わらせた(論語衛霊公篇24)のだ。

新注『論語集注』

行,去聲。程子曰:「教人以學文脩行而存忠信也。忠信,本也。」

行の字は尻下がりに読む。

程頤「人に教えるのに読書と行いを修めることを手段とするから、忠義と信頼が生まれるのだ。その忠信が、教育の目的である。」

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思えば全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。空港の刃物検査通過は、やったことがあるが存外簡単だ。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。朴ったら○すぞ。それでもやるなら、覚悟致せ。



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