論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
顏淵喟然歎曰、「仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮。欲罷不能、既竭吾才、如有所立卓爾、雖欲從之、未*由也已。」
校訂
武内本
唐石経未を末に作る。(本ページはこれに従って「未だ」に改める。)
定州竹簡論語
……[淵喟然嘆a曰]:「卬b之迷c高,□□迷c堅。瞻之在前,忽222……[然善牖d人,博]我以文,約我以禮,223……壐。雖欲從之,未由也[已]。」224
- 嘆、今本作「歎」。
- 卬、今本作「抑」。卬省亻旁。
- 迷、今本作「彌」。迷与彌音近仮借。
- 牖、今本作「誘」。二字可通。
→顏淵喟然嘆曰、「卬之迷高、鑽之迷堅、瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善牖人、博我以文、約我以禮。欲罷不能、既竭吾才、如有所立卓爾、雖欲從之、未由也已。」
復元白文
喟
嘆
卬
迷
鑽
迷堅 瞻
忽
循循
罷
※焉→安・牖→道・約→要・竭→匃・欲→谷。
論語の本章は上記赤字が論語の時代に存在しない。也の字を断定に用いている。本章は漢代の儒者による捏造である。
書き下し
顏淵喟然として歎じて曰く、之を仰げば彌〻高く、之を鑽れば彌〻堅し、之を瞻れば前に在り、忽焉として後に在り。夫子循循然として善く人を誘く。我を博むるに文を以てし、我を約するに禮を以てす。罷めむと欲して能はず、既に吾が才を竭す。立つ所有りて卓爾たるが如し、之に從はんと欲すと雖も、未だ由なき也已。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
顔回がため息をついて高ぶりながら言った。「先生を仰げばますます高く、キリをもみ込むように挑んでも益々堅い。目を上げてみれば前に居られ、そうかと思うと後ろにも居られる。先生はたくみに順序立てて人を導かれる。文化で私の見識を広め、礼法で行動の原則を示される。あまり美魅力的で教わるのを止める気がせず、すでに才能の限りを尽くして学んだ。その学識はそびえるようであり、教えに従おうにもとりつく手がかりすらない。」
意訳
同上
従来訳
顔渕がため息をつきながら讃歎していった。――
「先生の徳は高山のようなものだ。仰げば仰ぐほど高い。先生の信念は金石のようなものだ。鑚れば鑚るほど堅い。捕捉しがたいのは先生の高遠な道だ。前にあるかと思うと、たちまち後ろにある。先生は順序を立てて、一歩一歩とわれわれを導き、われわれの知識をひろめるには各種の典籍、文物制度を以てせられ、われわれの行動を規制するには礼を以てせられる。私はそのご指導の精妙さに魅せられて、やめようとしてもやめることが出来ず、今日まで私の才能のかぎりをつくして努力して来た。そして今では、どうなり先生の道の本体をはっきり眼の前に見ることが出来るような気がする。しかし、いざそれに追いついて捉えようとすると、やはりどうにもならない。」
現代中国での解釈例
顏淵感嘆地說:「老師的學問越仰望越覺得高聳,越鑽研越覺得深厚;看著就在前面,忽然卻在後面。老師步步引導,用知識豐富我,用禮法約束我,想不學都不成。我竭盡全力,仍然象有座高山矗立眼前。我想攀上去,但覺得無路可走。」
顔淵が感動して言った。「先生の学問は仰ぎ見れば見るほど高くそびえ、学べば学ぶほど深い。前に見えたと思ったら、あっという間に後ろにもある。先生は私を一歩ずつ導くのに、豊富な知識を用い、礼法で私を躾けるが、学ばないでおこうと思っても全く出来ない。私は全力で学んだが、やはり高山が眼前にそびえるようだ。私は登ろうとしても、方法が無いと悟った。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
顏/顔淵/渕
孔子の弟子、顔回子淵。詳細は論語人物図鑑・顔回子淵を参照。
喟然(キゼン)
「喟」(古文)
論語の本章では、”ためいきをつくように”。「喟」は”ため息”。この文字の初出は後漢の『説文解字』であり、論語の時代には存在しない。
『学研漢和大字典』によると「喟」は形声文字で、「口+(音符)胃」。嘆息の声をあらわす擬声語、という。詳細は論語語釈「喟」を参照。「然」は”…であること”という、修飾語に付く接尾辞。詳細は論語語釈「然」を参照。
甲骨文や金文では未発掘だが、『春秋左氏伝』などにも用例があり、論語の時代からあった言葉と考えられる。ただし古文(古い字書に載せられた古代文字)の中には、つくりが「貴」になっているものや、全く形が異なる文字が見受けられる。
歎→嘆
論語の本章では”感動する”。この文字の初出は後漢の『説文解字』であり、論語の時代には存在しない。「嘆」も同様。詳細は論語語釈「歎」を参照。
仰→卬
論語の本章では”仰ぎ見る”。この文字の初出は後漢の『説文解字』であり、論語の時代には存在しない。「卬」も同様。詳細は論語語釈「仰」を参照。
彌/弥→迷
論語の本章では”ますます”。「彌」は論語では本章のみに登場。初出は西周中期の金文。カールグレン上古音はmi̯ăr(平)。
『学研漢和大字典』によると形声文字。爾(ジ)は、柄のついた公用印の姿を描いた象形文字で、璽の原字。彌は「弓+(音符)爾」で、弭(ビ)(弓+耳)に代用したもの。弭は、弓のA端からB端に弦を張ってひっかける耳(かぎ型の金具)のこと。弭・彌は、末端まで届く意を含み、端までわたる、とおくに及ぶなどの意となった。▽弭(ビ)・(ミ)は、端に届いて止まる、の意に用いられる、という。
『字通』によると会意文字で、正字は镾に作り、長+爾(じ)。〔説文〕九下に「久長なり。長に從ひ、爾聲」とするが、声が合わず、長は長髪の象。金文に字をに作り、弓と日と爾とに従う。弓は祓邪の呪具として用いられ、日は珠玉の形。爾は婦人の上半身に文身(絵文(かいぶん))を施している形。これによってその人の多祥を祈る意であろう。ゆえに金文に「考命彌生(びせい)」のようにいう。金文の〔𦅫鎛(そはく)〕に「用(もつ)て考命
生ならんことを求む」、〔蔡姞𣪘(さいきつき)〕に「厥(そ)の生を
(をふ)るまで、霊終(れいしゆう)ならんことを」のように用いる。镾はおそらく後の譌字。〔説文〕はその字によって説をなしている、という。
「迷」の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はmiər(平)。『大漢和辞典』『学研漢和大字典』『字通』ともに”まよう・まよわす・みだれる”以外の語釈を立てておらず、前漢期独自の語法と思える。
鑽
論語の本章では”穴を開ける”。この文字の初出は後漢の『説文解字』であり、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「鑽」を参照。
堅
論語の本章では”固い”。この文字の初出は秦系戦国文字であり、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「堅」を参照。
瞻(セン)
(古文)
論語の本章では”見上げる”。この文字の初出は後漢の『説文解字』であり、論語の時代には存在しない。甲骨文・金文では未発掘で、戦国時代の文字も伝わっていない。ただし上掲の古い字書に見られる書体は、秦漢帝国より前の時代と思われる。
『学研漢和大字典』によると、目+詹(セン、もちあげる)の会意兼形声文字で、目を持ち上げるようにして見上げること。詳細は論語語釈「瞻」を参照。
忽焉
(金文)
論語の本章では”たちどころに”。「焉」は形容詞や副詞の後についた場合、物事のさまを表す記号。「忽」「焉」の初出は戦国末期の上掲金文であり、論語の時代に存在しない。
「忽」は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、勿(ブツ)は、吹き流しがゆらゆらして、はっきりと見えないさまを描いた象形文字。忽は「心+(音符)勿」で、心がそこに存在せず、はっきりしないまま見すごしていること。勿(ない)・没(見えなくなる)などと同系のことば。詳細は論語語釈「忽」を参照。
類義語の俄(ガ)は、きわだった断層が生じる意を含み、がくっと驚く、にわかに変化するなどの場合の副詞に用いる。なお怱(ソウ)(いそぐ、あわただしい)は別字、という。
「焉」は”…てしまった”という完了を示す。詳細は論語語釈「焉」を参照。
循循然
(秦系戦国文字)
論語の本章では”順序立てるさま”。「循」の初出は上掲秦系戦国文字であり、論語の時代に存在しない。
「循」は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、盾(ジュン)は、たてによりそって、目を射られないよう隠すことを示す会意文字。楯(タテ)の原字。循は「彳(いく)+(音符)盾」で、何かをたよりにし、それによりそって行くこと。遁(トン)(何かに身をよせつつ隠れて逃げる)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「循」を参照。
誘→牖
論語の本章では”誘う”。初出は秦系戦国文字であり、論語の時代に存在しない。「牖」”れんじまど・導く”も同様で、詳細は論語雍也篇10の語釈を参照。
我・吾
論語の本章では共に”わたし”。論語の時代、「我」は目的格と所有格に、「吾」は主格と所有格に用いられた。詳細は論語語釈「われ」を参照。
約
論語の本章では”まとめる”。この文字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、同音の「要」(締める)は存在した。詳細は論語語釈「約」を参照。
罷
論語の本章では”やめる”。初出は秦系戦国文字であり、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はbʰia(平)。上声の音は不明。論語では本章のみに登場。
『学研漢和大字典』によると会意もじ。「网(あみ)+能(力の強い者)」で、力ある者が、網にかかったように動けなくなる。力がつきてつかれるなどの意をあらわす、という。
『字通』によると会意文字で、网(あみ)+能。能は獣の形。獣に网して、その罷労するのを待つ意。〔説文〕七下に「辠(つみ)有るを遣(ゆる)すなり」とし、「网能に從ふ。网は辠网(ざいまう)なり。賢能有りて网に入り、即ち貰(ゆる)して之れを遣(つか)はすを言ふ」(段注本)と解する。卜文には网の下に鹿・豕(し)・雉など、鳥獣の形を加えるものが多い。罷労の意より、やむ、ゆるすの意となる、という。
竭
論語の本章では”つくす”。この文字の初出は後漢の『説文解字』であり、論語の時代には存在しない。論語時代の置換候補は部品の匃。詳細は論語語釈「竭」を参照。
卓爾(タクジ)
「卓」(金文)
論語の本章では、”高々とそびえ立つさま”。「卓」は論語では本章のみに登場。ここでの「爾」は「然」と同じで、形容詞や副詞の後ろについて、状況を示す記号。
『学研漢和大字典』によると「卓」は会意文字で、「人+早」。早は、ひときわはやく目だつ意を示す意符。卓は、人がぬきんでて目だつことを示す。抜擢(バッテキ)の擢(高くぬき出す)や目的の的(ひときわ目だつまと)と同系のことば、という。
『字通』によると象形文字。早(さじ)(匙)の大きなもので、卓大・卓高の意を表わす。〔説文〕八上に「高きなり、早匕(さうひ)を卓と爲し、匕卪(ひせつ)を卬(かう)と爲す。皆同義なり」とするが、会意とする意が明らかでない。早はスプーン。是(匙)はその柄の長く大きなもの、卓はその勺の部分が大きなもの。ゆえに卓に高大の意があり、のち卓出・卓異の意となる、という。
論語:解説・付記
論語の本章は、論語の中でも指折りに愚劣で幼稚な章で、『定州竹簡論語』にあるからには、文字の古さから言って董仲舒あたりの偽作だろう。孟子は自著で顔回を呼び捨てにし、荀子は顔回神格化に加担したと思しき記述が無いからだ。
それはともかく、一読して「気持ち悪い」と感じるのは訳者だけだろうか。どうして儒者というのはこうも、嘘ばっかりつくのだろう。そのくせ「我」「吾」を春秋時代の語法で用いて、古さを偽造している。悪質というしかない。
こういう卒業式の歌のようなことを言われても、「はいはいそうですか」としか思えないが、一つ気が付くことがある。それは、子貢ですら「とても及ばない」と言った顔回に、こういう賛辞を言わせたことにある。顔回は決して本の虫でもひょろひょろでもなく、体育や武芸を含んだ孔子塾の必須科目=六芸を身につけていたことを思う。
逆に言えば、当時の中華世界を股に掛けた子貢やそれに優れる顔回が、孔子の弟子であり続けたことに驚く。彼らから見ても孔子は、「仰げば尊し」でないと、儒者としては困るわけだ。そこで孔子は優れた弟子に恵まれ過ぎていると共に、彼らを引きつけて止まない何かを持っていた、ということにされた。
なお論語の本章について、武内義雄『論語之研究』では以下のように言う。


この章は雍也篇および顔淵篇の「博我以文、約我以礼」という句がもととなって構成され、さらに荘子田子方篇の藍本となっているように見える。従ってこの章は雍也篇などの文より後のものであろう。