(検証・解説・余話の無い章は未改訂)
論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「君子貞而不諒。」
校訂
定州竹簡論語
子曰:「君[子貞而不梁a]。」455
- 梁、今本作”諒”。音同可通假。
※諒gli̯aŋ(去)、梁li̯aŋ(平)。
→子曰、「君子貞而不梁。」
復元白文(論語時代での表記)
書き下し
子曰く、君子は貞ひ而梁は不れ。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「諸君は天命を占っても信じるな。」
意訳
諸君は貴族を目指すのであるから、迷信に惑わされてはならない。天命を占ったところで、信じるに足りる理由は何もない。他人を納得させるために占いの真似を見せはしても、自分が信じてどうする。
従来訳
先師がいわれた。――
「君子は正しいことに心変りがしない。是も非もなく心変りがしないのではない。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「君子顧大節而不計小信。」
孔子が言った。「君子は大きな筋目はけじめを付けるが、小さな信頼を気にしない。」
論語:語釈
君子
論語の本章では”諸君”。論語では君子は
- 貴族(為政者)
- 教養ある人格者
- 諸君
の三通りで用いられるが、3.と解釈して文意が通じれば、”諸君”と理解していい。「諸君」は「諸君子」の略だし、論語の多くは孔子による弟子へのお説教だからだ。
なお2.の解釈”教養ある人格者”は、孔子より一世紀後の孟子がでっち上げた新説である。従って孔子の発言ではない。詳細は論語における君子を参照。
貞
(金文)
論語の本章では、”天命を占う”。初出は甲骨文。論語では本章のみに登場。甲骨文では「某貞う」と、「貞」=”(天意を)問う”の定型文として頻出。これが原義であることから、最古の古典である論語の本章が史実とするなら、この語釈にもっとも理がある。
『学研漢和大字典』によると形声文字で、もと鼎(テイ)(かなえ)の形を描いた象形文字で、貝ではない。のち、卜(うらなう)を加えて、「卜+(音符)鼎(テイ)」。聴(テイ)・(チョウ)(まっすぐにききあてる)・正(まっすぐ)・定(まっすぐたって動かない)などと同系のことば、という。
一方『字通』によると鼎を使って占うことで、日本の「盟神探湯」のように煮え湯の中に手を突っ込むか、ゆでられたいけにえの形によって占い、神意を問うことではないか、という。詳細は論語語釈「貞」を参照。
諒→梁
(金文大篆)
論語の本章では”信じる”。「諒」に”信ずる”の語釈が『大漢和辞典』にある。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。”あきらか”の意で同音同義に「倞」があり、初出は甲骨文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「言+(音符)京(キョウ)・(リョウ)(=亮。あきらか)」。明らかにものをいう。転じて、はっきりわかること、という。
一方『字通』によると「言+京」で、京は戦死者のなきがらを葬った凱旋門のようなアーチ状の門。そこでさまざまな呪術的儀式が行われた。その結果何らかの答えを得ることを言う、とある。また『学研漢和大字典』の語義に加えて”助ける”の意があるという。詳細は論語語釈「諒」を参照。
「梁」(金文)
定州竹簡論語の「梁」の初出は西周末期の金文。『学研漢和大字典』によると会意文字で、金文は「水+害(両がわに刃のついた刀)」からなる会意文字。篆文(テンブン)はさらに木を加えた会意文字。左右の両岸に支柱を立て、その上にかけた木のはしである。両岸にわたるから梁liaŋといい、両と同系、という。詳細は論語語釈「梁」を参照。
上掲定州竹簡論語の注釈には「諒」と同音とあるが、上掲の通りカールグレン上古音では違っているし、”あきらか”の語釈は『大漢和辞典』にもない。ただし”ただしい”の語釈で「諒に通ず」とはあり、出典が清代に書かれた『説文解字』の注釈(『説文通訓定声』)であることから、近代になってから音通とされたようである。
だが同じく出典である後漢早期の『白虎通義』には「梁者信也」とあり、論語の本章はおそらく後漢になって「梁」→「諒」へと書き改められたが、なお「信」=”信じる”と解釈されていたことになる。なお『白虎通義』は時の章帝の勅裁による解釈で、つまり後漢の公式解釈。
論語:付記
論語の本章は短いだけに、文意が取りにくい。儒者も意味あることを記していない。
古注『論語集解義疏』
註孔安國曰貞正也諒信也君子之人正其道耳言不必有信也
孔安国「貞とは正しいことだ。諒とは信じることだ。君子たる者、ひたすら行動を正すべきで、人に信頼されるかどうかは必ずしも必要でない、と書いてある。」
貞,正而固也。諒,則不擇是非而必於信。
貞とは、正しい上に意志強固なことだ。諒とは、つまりその場の都合に合わせるのではなく、信念に基づいて行動する事だ。
だがこれらの注釈が言う通り、孔子が天命を重んじる頭の古くさいオカルト信者だと思っている限り、論語に何が書いてあるかは決して分からない。すでに論語八佾篇の一連の章で、そのことを示した。
祭るに在すが如くし、神を祭るに神在すが如くせり。子曰く、吾與らず。祭りて祭らざるが如ければなり。
(従来訳)
先師は、祖先を祭る時には、祖先をまのあたりに見るような、また、神を祭る時には、神をまのあたりに見るようなご様子で祭られた。そしていつもいわれた。――
「私は自分みずから祭を行わないと、祭ったという気がしない。」
(拙訳)
お供えの時には、祖先や神様がおわすと思ってお供えしていた。それを見た先生が言った。
「ワシはやらん。バカげとる。誰もおりゃあせんぞ。」(論語八佾篇12)
これ以外の例は「孔子はなぜ偉大なのか」を参照。孔子は古代人にもかかわらず、その目に神が見える人ではなかったのだ。加えて本章では、定州竹簡論語によって「諒」→「梁」だったことが明らかとなり、上掲古注と同じく「信」の意味。ただし”信頼・信念”ではない。
余話
官界でじたばたした挙げ句
話はこれで仕舞いだが、『史記』日者(=易者)列伝の訳を、論語述而篇16より引き続けて記しておく。なお日者列伝に偽作の説が有ることを承知しつつ、その真偽を確かめがたいのでとりあえず措く。
(漢が天下を平定した頃、そこそこ出世していた役人・宋忠と賈誼の二人。ある日いちまちの易者・司馬季主の店に入り、その博識に感じ入ったので、「あなたほどの賢者がどうして卑しい易者稼業なんて」と言った。)
司馬季主曰:「公且安坐。公見夫被髪童子乎?日月照之則行,不照則止,問之日月疵瑕吉凶,則不能理。由是觀之,能知別賢與不肖者寡矣。
「賢之行也,直道以正諫,三諫不聽則退。其譽人也不望其報,惡人也不顧其怨,以便國家利眾為務。故官非其任不處也,祿非其功不受也;見人不正,雖貴不敬也;見人有污,雖尊不下也;得不為喜,去不為恨;非其罪也,雖累辱而不愧也。
司馬季主「ホホホ。まあお楽にお聞き下さい。お二方は、子供が天気の良い日に遊びに出掛け、雨降りには引き籠もっているのをご存じでしょう。ですが子供に、天の運行が分かっているわけではありません。ですから知っているように見える者と、本当に知っている者を見分けるのは容易ではありません。
本当の賢者は、本当の事を言って間違いを指摘しますが、三度言っても聞かれなければ見放します。誉めるにも本当に偉いと思って誉めるので、ゴマをすろうとは思いません。こき下ろすにも本物の悪党をこき下ろし、その悪党から恨まれて当然だと思っています。そうやって社会のために尽くすのです。
だから自分に務まらない官職には就きませんし、稼ぎもしない俸禄を貰いません。お偉方だろうと悪党ならバカにしますし、貴人だろうとクズなら敬いません。貰っても喜ばず、追い払われても恨みません。無実の罪なら牢に放り込まれても、ちっとも恥ずかしいとは思わないのです。
「今公所謂賢者,皆可為羞矣。卑疵而前,孅趨而言;相引以勢,相導以利;比周賓正,以求尊譽,以受公奉;事私利,枉主法,獵農民;以官為威,以法為機,求利逆暴:譬無異於操白刃劫人者也。初試官時,倍力為巧詐,飾虛功執空文以罔主上,用居上為右;試官不讓賢陳功,見偽增實,以無為有,以少為多,以求便勢尊位;食飲驅馳,從姬歌兒,不顧於親,犯法害民,虛公家:此夫為盜不操矛弧者也,攻而不用弦刃者也,欺父母未有罪而弒君未伐者也。何以為高賢才乎?
お二方は今の高官らを貴いと仰るが、どいつもこいつもクズばかりではないですか。貴人の前で這いつくばり、耳障りのいい事ばかり言い、互いにつるんで虚勢を張り、利権を仲間内だけで独占する。まともな事を言う者を仲間外れにし、やりもしない名誉を求め、お官僚様だと敬われる。
私利私欲に走って法を曲げ、農民からは搾り取り、権力で人々を脅しつける。裁判沙汰があればワイロが取れると喜び、ワイロ次第で無実の者をいたぶる。まるで刃物を振り回す通り魔ですな。
採用時の面接では出来もしない技能を言い立て、うそデタラメで皇帝陛下をたぶらかし、そのおそばで虎の威を借りて悪さをする。官職を得るためには有能な人を蹴落とし、見せかけの功績を言い立て、ありもしないものをあると言い、針小棒大を事とする。それで高位高官に成り上がったのです。
そして成り上がって何をしたか。うまいものをたらふく食い、高級車を乗り回し、美人をはべらせ合唱団に歌わせ、親族が飢えようとほったらかし、法は踏みにじる民はいたぶる、これではお上の権威を、ドブに捨てるも同然だ。自分で手を下さないだけで、強盗団とおんなじだ。
つまりは、親をだまし主君を殺しても、ただ捕まらないだけの連中ですよ。そんな奴らを、なんで貴いと仰るのですかな?
「盜賊發不能禁,夷貊不服不能攝,姦邪起不能塞,官秏亂不能治,四時不和不能調,歲穀不孰不能適。才賢不為,是不忠也;才不賢而託官位,利上奉,妨賢者處,是竊位也;有人者進,有財者禮,是偽也。子獨不見鴟梟之與鳳皇翔乎?蘭芷芎藭棄於廣野,蒿蕭成林,使君子退而不顯眾,公等是也。
こんな奴らが上に居るから、盗賊は捕まらないまま世にはばかり、蛮族は暴れ回って手が付けられず、悪党は詐欺のし放題でますます増え、行政は滞って放置され、天候までおかしくなり、不作が続いているのです。
才ある者が上に立てないのは、お上への不忠と思いませんか。無能な欲タカリが徒党を組んでいるのは、給料泥棒以外の何者ですか。派閥人事が横行し、昇進にワイロが必須となるのを、インチキと言わずに何と言います。
悪賢いフクロウと気高い鳳凰は、同じ空を飛び回りますし、香草と雑草は同じ地面に生えますが、人界では賢者が追い払われてゆくえが知れない。さてお二方はどちらですかな?
「述而不作,君子義也。今夫卜者,必法天地,象四時,順於仁義,分策定卦,旋式正棋,然後言天地之利害,事之成敗。昔先王之定國家,必先龜策日月,而後乃敢代;正時日,乃后入家;產子必先占吉凶,后乃有之。自伏羲作八卦,周文王演三百八十四爻而天下治。越王句踐放文王八卦以破敵國,霸天下。由是言之,卜筮有何負哉!
”古人の言葉を誠実に伝えて、自分の勝手な意見を言わない”。孔子様もそう仰いました。それが知識人の道徳というものです。お二方は易者を卑しいと仰るが、易者は誠実に天地に従い、道具を定め通りに操って、世の吉凶を申すのです。いにしえの帝王が易によって、国と一族を勃興させたのもそれゆえです。その発祥は由緒正しい神代の昔である上に、歴代の賢者が改良を重ねました。それでも易者が卑しいと仰るのですかな?
「且夫卜筮者,埽除設坐,正其冠帶,然後乃言事,此有禮也。言而鬼神或以饗,忠臣以事其上,孝子以養其親,慈父以畜其子,此有德者也。而以義置數十百錢,病者或以愈,且死或以生,患或以免,事或以成,嫁子娶婦或以養生:此之為德,豈直數十百錢哉!此夫老子所謂『上德不德,是以有德』。今夫卜筮者利大而謝少,老子之云豈異於是乎?
今お二方の座席を整え、折り目正しく迎え申したように、我ら易者は礼儀作法を知らない、そこらのオッサンではありません。しかも語るのは世の道理であり、それで社会に尽くすのです。それに見料と言っても、たったの百銭ほどしか頂戴しません。それで世の困った人々を助けているのです。安いものだと思いませんか。
老子様も仰いました。”本当の奉仕というのは、ちょっと見ただけでは奉仕に見えない”と。我ら易者は、老子様の教え通りに商っているのです。
「莊子曰:『君子內無饑寒之患,外無劫奪之憂,居上而敬,居下不為害,君子之道也。』今夫卜筮者之為業也,積之無委聚,藏之不用府庫,徙之不用輜車,負裝之不重,止而用之無盡索之時。持不盡索之物,游於無窮之世,雖莊氏之行未能增於是也,子何故而云不可卜哉?天不足西北,星辰西北移;地不足東南,以海為池;日中必移,月滿必虧;先王之道,乍存乍亡。公責卜者言必信,不亦惑乎!
荘子様も仰いました。”本当の賢者というのは、飢えたり凍えたりしないし、外に出てもひどい目に遭わない。地位が高ければ敬われ、低くても小突き回されない。自由自在、これでなくては賢者でない”と。
我ら易者はまさにそうで、仰々しい道具も、仕舞い込む蔵も、家移りする荷車も、重い荷物も要りません。どこでもパッと店を開いていつでも仕舞えます。実に身軽に世を渡り、荘子様の教え通りに生きておりますのに、お二方は易者を詐欺師か何かのように仰る。果たしてこの世の道理をご存じですかな?
よろしいか、天は西北の柱が折れたままだから、星はそちらに動いてゆき、地は東南の止め綱が切れたままだから、川はそちらに流れて海になっているのです。日は上り詰めれば落ちていき、月は満ちれば必ず欠ける。どんな名君の治世も、永久に続いたことなどありません。
かように変転極まりないこの世の中で、お二方は易者の占いが、百発百中でないとお責めになる。ご自身の間違いに気付きませんか。
「公見夫談士辯人乎?慮事定計,必是人也,然不能以一言說人主意,故言必稱先王,語必道上古;慮事定計,飾先王之成功,語其敗害,以恐喜人主之志,以求其欲。多言誇嚴,莫大於此矣。然欲彊國成功,盡忠於上,非此不立。今夫卜者,導惑教愚也。夫愚惑之人,豈能以一言而知之哉!言不厭多。
お二方は、朝廷で羽振りの良い者が、どんなデタラメを言っているかご存じでしょう。皇帝陛下のお気持ちも察せず、二言目には昔の名君を持ち出す。批判できない古人を持ち出して、陛下を脅しつけ、自分のいいように振り回しているのです。偉そうな物言いをする連中は、一人残らずそういう奴です。本当に国を思い陛下を思う者は、朝廷にただの一人もいません。
そこへ行くと易者は、世間の間違いを正してやっているのですから、たとえ口数が多くとも、たちの良い知識人だと言ってよろしいでしょう。
「故騏驥不能與罷驢為駟,而鳳皇不與燕雀為群,而賢者亦不與不肖者同列。故君子處卑隱以辟眾,自匿以辟倫,微見德順以除群害,以明天性,助上養下,多其功利,不求尊譽。公之等喁喁者也,何知長者之道乎!」
お二方は車でおいでになりましたが、ためしに駿馬と駄馬を混ぜて、四頭立てにしてご覧なさい。とうてい走れますまいて。それは鳳凰とザコ鳥はつるまず、賢者とばか者が仲間になれないのと同じです。こんな腐ったお上の世では、賢者だからこそ、いちまちに隠れているのです。そうやって社会に奉仕し、金も名誉も求めないのです。だがお二方はそれが分からないと仰る。ならば誰が賢者か、お分かりにはなりますまい。」
宋忠、賈誼忽而自失,芒乎無色,悵然噤口不能言。於是攝衣而起,再拜而辭。行洋洋也,出門僅能自上車,伏軾低頭,卒不能出氣。
居三日,宋忠見賈誼於殿門外,乃相引屏語相謂自嘆曰:「道高益安,勢高益危。居赫赫之勢,失身且有日矣。夫卜而有不審,不見奪糈;為人主計而不審,身無所處。此相去遠矣,猶天冠地屨也。此老子之所謂『無名者萬物之始』也。天地曠曠,物之熙熙,或安或危,莫知居之。我與若,何足預彼哉!彼久而愈安,雖荘氏之義未有以異也。」
久之,宋忠使匈奴,不至而還,抵罪。而賈誼為梁懷王傅,王墮馬薨,誼不食,毒恨而死。此務華絕根者也。
宋忠と賈誼の二人は返す言葉も無く、しょげかえってお辞儀をし、司馬季主の占い店を出た。よろよろと車に近づいてよじ登り、座席にうつむいて揺られ、まるで気を失ったように帰って行った。それから三日、二人は宮門の前で会ったが、互いにこう言い合った。
「清貧に生きた方がいい。官位が高いと命が危ない。威張り返っても一時のことだ。易者が見立て損なっても、見料を返せとは言われないが、お上にいい加減な事を言えば、それこそ命が無い。
易者と役人では、身の安全が雲泥の差だ。老子様が”何も無い、これが全てを生む”と仰った通りだ。この世はあまりに複雑で、どうすれば安全か計りがたい。我らはあの易者のようには生きられないが、あれはこんな世の中で、のうのうと生き延びていくだろう。荘子先生の言った通りに。」
そののち、宋忠は匈奴への使いをしくじって獄に繋がれ、賈誼は主君に死なれて鬱になり、とうとう死んでしまった。二人とも官界でじたばたした挙げ句に、そう言う目に遭ったのである。
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