論語:原文・書き下し
原文
子曰、「志士仁人、無求生以害仁*、有殺身以成仁。」
校訂
武内本
唐石経、仁を人に作る。皇疏正義によるに仁に作を是となす。
定州竹簡論語
子曰:「志士仁人,無求生以[害仁,有殺]身以成仁。」422
復元白文(論語時代での表記)
志
※仁→(甲骨文)。論語の本章は「志」の字が論語の時代に存在しない。「身」の用法に疑問がある。
書き下し
子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害ふ無し、身を殺して以て仁を成す有り。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「志ある立派な男と常時無差別の愛を身につけた人は、生きることを求めて愛からはみ出すことがない。身を殺して、愛を実現することがある。」
意訳
諸君。志士と情け深い者は、命を惜しまず、常時無差別の愛を体現してみせる。我が身を殺してでも、常時無差別の愛を貫徹する。その覚悟でいて欲しい。
従来訳
先師がいわれた。――
「志士仁人は生を求めて仁を害することがない。却って身を殺して仁を成しとげることがあるものだ。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「志士仁人中,沒有貪生怕死出賣正義的人,卻有捨生忘死維護正義的人。」
孔子が言った。「志士や仁者のうち、死を恐れて命惜しみせず正義を選び取る人は、それだからこそ命を捨て死を忘れ、正義を貫き通す人だ。」
論語:語釈
志(シ)
(金文)
論語の本章では”こころざし”。『大漢和辞典』の第一義も”こころざし”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は”知る”→「識」を除き存在しない。字形は「止」”ゆく”+「心」で、原義は”心の向かう先”。詳細は論語語釈「志」を参照。
志士仁人
論語の本章では、”志に燃える立派な男と、情け深い者”。「志士」は論語では本章のみに登場。「仁人」は論語堯曰篇1にも一例あるが、孔子から一世紀後に提唱された堯舜が出てくるなど、読むそばからニセモノとわかる下手くそな作文である。
孔子生前の中国語には原則として熟語が無いから、読み下すと「士を志す仁の人」。孔子生前の「仁」は”理想の貴族の姿”をいい(論語における仁)、すでに「仁人」ならば士=下級貴族を志す理由がない。
従って本章では後世の創作と解し、「仁」の語義も孟子が提唱した「仁義」=”情け深さ”と解釈するより仕方がない。
害
(金文)
論語の本章では”ダメにする”。初出は西周末期の金文。漢音(遣唐使の持ち帰った音)は「カイ」、呉音(それより前に日本に伝わった音)は「ガイ」。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「宀(かぶせる物)+口または古(あたま)」で、かぶせてじゃまをし進行をとめることを示す、という。詳細は論語語釈「害」を参照。
身(シン)
(甲骨文)
論語の本章では”自身”。初出は甲骨文。甲骨文では”お腹”を意味し、春秋時代には”からだ”の派生義が生まれた。詳細は論語語釈「身」を参照。
論語:付記
論語の本章は上記の通り、文字史的には史実を疑えないのだが、熟語を使っていることと、何より孔子が言いそうもない話であることを理由に、後世の創作と思われる。定州竹簡論語にあるからには、前漢初期までに創作されたのだろうが、内容から戦国時代のニオイがする。
中国の春秋時代と戦国時代の違いは、技術の発達によって他国を滅ぼし自領に組み入れることが出来るようになった点で、それには孔子も一枚噛んでいる。広大な領地の統治には、中央政府の意のままに働く官僚が不可欠だが、史上初めて官僚を養成したのが孔子塾だった。
軍事面でもこれは当てはまり、確かに兵器の改善で弩(クロスボウ)という画期的発明があり、平素の軍事教練が無い庶民でも、徴兵すれば強力な打撃部隊となり得たが、戦争の前には膨大な基礎研究が必要で、それは例えば戦場予定地の地理や敵地情勢の調査などが含まれる。
プロイセン参謀本部もそれをそっくり真似た日本の陸軍参謀本部も、仕事の第一は測量と地図の作図だった。現在の国土地理院は、敗戦によって参謀本部が廃止されても、地理部門だけは生き残って今に至っている。科学技術の乏しい中国古代では、地理研究は一層重大だった。
それを平時から行う参謀本部を設けたことで、プロイセンがすさまじい軍事大国と化したのは世界史的常識だが、それより二千年以上前に、そうした平時のスタッフワークの必要性を、孫武が『孫子兵法』で説いている。「敵を知り、己を知らば、百戦あやうからず。」
こうした軍事参謀と、平時の政治参謀が分かれていないのが中国古代の特徴で、ゆえに「軍師」が、君主の政治参謀たり得た。従って孔子塾が養成したのは、ただの下っ端役人だけではない。政治軍事両方に通じた人材を、庶民からでも養成し得ることを証した所に意義がある。
現に有力弟子の冉有は政治面だけでなく、武将としても活躍した。そして孔子より前の時代、公職とはすなわち家職であり、世襲するものだった。孔子塾の出現によってそれが一部崩れたが、完全に置き換わらなかったことは、戦国時代も下った孟嘗君の言葉に表れている。
君用事相齊,至今三王矣,齊不加廣而君私家富累萬金,門下不見一賢者。文聞將門必有將,相門必有相。
父上が斉の宰相になってから、三人の王殿下が代替わりされました。その間斉国は全く領土を広げず、父上と我が家のみが万金の富を貯えております。なのに一族一党、ボンクラばかりです。将軍の家には将才のある者が生まれ、宰相の家には政才のある者が生まれると聞きますのにね。(『史記』孟嘗君伝)
君主を例外に、全ての公職から世襲を排除したのは、始皇帝による統一を待たねばならない。しかし厳密には秦帝国にも世襲貴族がいたし、原則としてその廃止を企てたから、秦帝国は貴族という支持層を失ってあっけなく滅んだ。君主制には世襲貴族がつきものなのだ。
現代日本で、当たり前の相続税を考えればあり得ないはずの富豪が、現実には居るのと軌を一にしている。それはさておき、諸侯国同士の潰し合いが激しくなった戦国時代には、忠の字と共に忠義の概念が発明され、領民を洗脳して従わせるのが流行った。
論語の本章もその一環として捉えるべき話で、志のある者は命を捨てて正義を全うしろ、と、権力者によってのみ都合のよい図々しいことを、孔子という権威の口を借りて言わせたでっち上げである。戦争中に若者を煽って特攻隊に追いやった、クズどもと言っている事は同じ。
そして古注を書いた儒者どもも、もちろん「お前だけ死ね」と人を煽った。
古注『論語集解義疏』
注。孔安国曰く、生き恥をさらして仁を損なうぐらいなら、死んで仁を達成するのである。つまり志士仁人は我が身を愛さないのである。
付け足し。孔子様は、仁の達成を記した。志士仁人というのは、心に善き志が有る者で、仁を行いうる者を言うのである。仁を害なうを以て生を求める無しというのは、もともと善い行いを志している者は、人を救おうと願うものである。だから生き恥をさらして仁を損なわず、仁を施そうと思うのは当然である。生き恥をさらして仁をないがしろにするような奴は、つまり志士ではないのである。
身を殺して以て仁を成す有りというのは、自分の身を殺して仁が達成できるなら、それは仁に近いというのである。だから志士仁人は必ず我が身を殺して仁を達成するのである。だから身を殺して仁を成す有りと言ったのである。我が身を殺して仁を達成するのは、志士ならば惜しみなくやることである。
繆播曰く、仁が理にかなっているなら、足下はしっかりしているのだから、危険な目に遭って我が身を滅ぼすことはない。となれば賢者が時代の流れを観察するなら、流れは行きつく所まで行って、行きついたら人に代償を求めるだろう。だから身を殺して仁を成すのは道理である。だから殷の比干は心臓を取り出されたのだ。孔子様も仰った。殷に三人の仁者がいた、と。
ひええ。「則ち志士仁人必ず身を殺して之を為す」だって。他人事だと思えば、儒者は平気でこういうことを言い出す。戦争中に特攻兵器の桜花を作って、「私も続く!」とかアジ演説をぶって、若者を次々と死に追いやった当人が、敗戦後は逃げ回ったのとよく似ている。
まず自分が死んでから言って欲しいものだ。誰も死ねと言えなくなるから。
また本章の要である「志士仁人」は、頭が真っ赤な教授センセイの都合に悪いことに、『毛語録』に入っている。「为了全中国彻底解放」(中国全土から徹底的に旧弊を捨て去り共産党が支配する)を言って大量虐殺を繰り返した毛沢東が、ちゃっかり論語をパクっているのだ。
要使几亿人中的中国人生活得好,要把我们这个经济落后、文化落后的国家,建设成为富裕的、强盛的、具有高度文化的国家,这是一个很艰巨的任务。我们所以要整风,现在要整风,将来还要整风,要不断把我们身上的错误东西整掉,就是为了使我们能够更好地担负起这项任务,更好地同党外的一切立志改革的志士仁人共同工作。
いく億という中国人にりっぱな生活ができるようにさせ、経済的にも立ちおくれ、文化的にも立ちおくれたわれわれの国を、富裕で、強大な、高い文化をそなえた国に築きあげること、これはなみなみならぬ任務である。われわれが整風をおこなわなければならず、現在も整風をおこない、将来も整風をおこなわなければならず、われわれの身についている誤ったものをたえずはらいおとさねばならないのは、われわれがこの任務をよりよく荷ないうるようにするためであり、改革をこころざす党外のすべての人びととよりよく協力して仕事をやりうるようにするためである。(『毛主席語録』1-10)
下段の日本語訳は訳者によるものではなく、北京外文出版社版に載った中共官製の日本語訳だが、都合の悪い「志士仁人」は無かったことにしている。
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