PRあり

論語詳解387衛霊公篇第十五(9)注釈

論語集解義疏

原文

註孔安國曰無求生而害仁死而後成仁則志士仁人不愛其身也疏子曰至成仁 云志士仁人者謂心有善志之士及能行仁之人也云無求生以害仁者既志善行仁恆欲救物故不自求我之生以害於仁恩之理也生而害仁則志士不為也云有殺身以成仁者若殺身而仁事可成仁也則志士仁人必殺身為之故云有殺身成仁也殺身而成仁則志士所不恡也繆播曰仁居理足本無危亡然賢而圖變變則理窮窮則任分所以有殺身之義故比干剖心孔子曰殷有三仁也

書き下し

註。孔安国曰く、生き而仁を害なうを求むる無くして、死し而後に仁成る。則ち志士仁人は其の身を愛さ不る也。疏。子曰く、仁を成すを至(しる)すなり。志士仁人と云う者、心に善き志有る之士にして、能く仁を行うに及ぶ之人を謂う也。無求生以害仁と云う者、既に善き行いに志さば、仁恒に物を救わんと欲す。故に自ら我之生を求めて以て仁於害わ不、之に恩いるの理也。生き而仁を害わば、則ち志士為ら不る也。身を殺して以て仁を成す有りと云う者、身を殺し而仁の事成る可からば仁の若き也。則ち志士仁人必ず身を殺して之を為す。故に身を殺して仁を成す有りと云う也。身を殺し而仁を成すは、則ち志士の恡(おし)ま不る所也。繆播曰く、仁理に居りて本足りて危く亡う無し。然るに賢にし而変を図らば、変則ち窮を理め、窮則ち所を分ちて任し、以て身を殺す之義有り。故に比干心を剖かる。孔子曰く、殷に三仁有る也と。

現代語訳

注。孔安国曰く、生き恥をさらして仁を損なうぐらいなら、死んで仁を達成するのである。つまり志士仁人は我が身を愛さないのである。

付け足し。孔子様は、仁の達成の至りを仰ったのである。志士仁人というのは、心に善き志が有る者で、仁を行いうる者を言うのである。仁を害なうを以て生を求める無しというのは、もともと善い行いを志している者は、人を救おうと願うものである。だから生き恥をさらして仁を損なわず、仁を施そうと思うのは当然である。生き恥をさらして仁をないがしろにするような奴は、つまり志士ではないのである。

身を殺して以て仁を成す有りというのは、自分の身を殺して仁が達成できるなら、それは仁に近いというのである。だから志士仁人は必ず我が身を殺して仁を達成するのである。だから身を殺して仁を成す有りと言ったのである。我が身を殺して仁を達成するのは、志士ならば惜しみなくやることである。

繆播(ビュウバン)曰く、仁が理にかなっているなら、足下はしっかりしているのだから、危険な目に遭って我が身を滅ぼすことはない。となれば賢者が時代の流れを観察するなら、流れは行きつく所まで行って、行きついたら人に代償を求めるだろう。だから身を殺して仁を成すのは道理である。だから殷の比干は心臓を取り出されたのだ。孔子様も仰った。殷に三人の仁者がいた、と。


論語衛霊公篇9に戻る

論語内容補足
スポンサーリンク
九去堂をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました