論語詳解380B衛霊公篇第十五(2)陳にて糧を*

論語衛霊公篇(2)要約:中国南方で陰謀をたくましくしていた孔子先生。復讐されて包囲され、食糧が底を突いてしまいます。怒った子路が先生に食ってかかりますが、先生は政治工作をする以上、こうした困難はつきものと諭したのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

在陳絕糧*。從者病莫能興。子路慍見曰、「君子亦有窮乎。」子曰、「君子固窮。小人窮斯濫矣。」

校訂

武内本

粮、唐石経糧に作る。釋文、糧音粮、鄭本に作る。蓋し粮は糧の俗字、粻糧同義。

定州竹簡論語

在陳絕糧。從者]413……

復元白文

在 金文陳 金文絶 金文糧 金文 従 金文者 金文疒 金文 莫 金文能 金文興 金文 子 金文路 金文慍 金文見 金文曰 金文 君 金文子 金文亦 金文有 金文究 金文乎 金文 子 金文曰 金文 君 金文子 金文股 金文究 金文 小 金文人 金文究 金文斯 金文已 矣金文

※病→疒・窮→究・固→股・矣→已。論語の本章は濫の字が論語の時代に存在しない。本章は少なくとも、漢帝国の儒者による改変が加えられている。

書き下し

ちんりてかててり。したがものみてし。子路しろうらまみえていはく、君子くんしまたきうするいはく、君子くんしもとよりきうす。小人せうじんきうすらばここみだるるなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 子路 論語 孔子
陳で食糧が無くなった。孔子に従う者は苦しみ、立ち上がる事が出来る者はいなかった。子路が怒って言った。「君子も行き詰まることがあるのですか。」先生が言った。「君子はもともと行き詰まる。凡人は行き詰まると乱れる。」

意訳

孔子一行が陳で兵糧攻めに遭った。一行は飢えに苦しみ、立ち上がる力もない。

論語 子路 怒り 論語 孔子 せせら笑い
子路「君子君子と日頃先生は仰るが、君子もこんな目に遭うのですか!」
孔子「そうだよ。君子は世の中を変えようとする者だから、反発にあって苦しむのは当然だ。その覚悟がない凡人が追い詰められると、誰かさんのように怒って怒鳴り出すがね。」

従来訳

論語 下村湖人

陳においでの時に、食糧攻めにあわれた。お伴の門人たちは、すっかり弱りきって、起きあがることも出来ないほどであった。子路が憤慨して先師にいった。――
「君子にも窮するということがありましょうか。」
すると、先師がいわれた。――
「君子もむろん窮することがある。しかし、窮しても取りみださない。小人は窮すると、すぐに取りみだすのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子在陳國斷糧時,跟隨的學生都餓得走不動路。子路埋怨地說:「君子也有窮困潦倒的時候嗎?」孔子說:「君子雖窮,但窮不失志;小人一旦窮了,就自暴自棄、一蹶不振了。」

中国哲学書電子化計画

孔子が陳国で食糧を断たれたとき、従った弟子たちは皆飢えて道を歩けなくなった。子路が恨みを含んで言った。「君子でも困窮し落ちぶれる事は有りますか。」孔子が言った。「君子だろうと困窮する。ただし困窮しても志を失わない。小人はひとたび困窮すると、すぐに自暴自棄になり、ひとたび失敗すればそれでおしまいだ。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

陳(チン)

論語 陳 金文
(金文)

論語時代に中国南部にあった諸侯国の一つ。BC11C-BC478。想像上の古代の聖王、舜の末裔とされる者に周王朝が領地を与えた小国で、南方の大国・楚に取り囲まれて翻弄されていた。

『史記』によると、孔子は60歳の時陳に滞在し、4年ほど隣国で同じく小国のサイとの間を行き来した。相当活発に政治工作をしたらしく、陳・蔡両国の政界から総スカンを食らい、論語の本章のように兵糧攻めに遭った。『史記』ではその理由を、孔子が楚に招かれたので、それを恐れた両国の家老連が、結託して阻止したのだという。だがそうではあるまい。

糧 金文
(金文)

論語の本章では”食料”。論語では本章のみに登場。初出は西周末期の金文。「ロウ」は呉音。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。「米+(音符)量(はかる)」で、重さや分量をはかって用いる主食。▽良(きれいにした穀物)と同系とみてもよい、という。詳細は論語語釈「糧」を参照。

論語 病 金文大篆
(金文大篆)

論語の本章では、”飢えて苦しむ”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。同音は存在しない。部品の疒(ダク・ソウ・シツ)に”やまい”の語釈を『大漢和辞典』が載せ、甲骨文から存在する。詳細は論語語釈「病」を参照。

「病」の語義は、気に病む事や、体に苦痛があったり意のままにならないこと全般を指し、老いや飢えなど、必ずしも病気を意味しない。

論語 興 金文
(金文)

論語の本章では”立ち上がる”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意文字で、舁は「左右の手+左右の手」で、四本の手でかつぐこと。興は「舁+同」で、四本の手を同じく動かして、いっせいにもちあげおこすことを示す、という。

「おきる・おこる」と読んでおくと、漢文ではたいてい間に合う。詳細は論語語釈「興」を参照。

慍(ウン)

慍 金文
(金文)

論語の本章では”怒る”。語義は鬱屈した”不愉快な感情”一般。へんはりっっしんべんで”心”を意味し、旁は「温」=”温泉”と共通する。心が熱くなること。藤堂説・白川説共に、最古の甲骨文を参照しないで字解を書いており、正しくない。詳細は論語語釈「慍」を参照。

窮(キュウ)

論語 窮 金文大篆
(金文大篆)

論語の本章では”追い詰められる”。「きわまる」と読み、いい事も悪い事も”行き着く”の意。漢字での「キュウ」という音には、”締める・押し迫る”の意がある。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。同音多数。部品の「躬」に”行き詰まる”の語釈は『大漢和辞典』に無い。近音同訓「究」の初出は西周中期の金文。ただし究 外字という大変複雑な字形。詳細は論語語釈「窮」を参照。

論語 固 金文
(金文)

論語の本章では、”元から”。原義は”固い”。初出は戦国時代末期の金文で、論語の時代に遡れない。同音「古」は甲骨文より存在する。

語源は、『学研漢和大字典』では周囲を囲まれて動きのとれないこと、『字通』では、祈禱に外囲を加えること、という。詳細は論語語釈「固」を参照。

濫(ラン)

論語 濫 金文大篆
(金文大篆)

論語の本章では、”乱れる”。論語では本章のみに登場。

初出は後漢の説文解字。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はglɑm(去)。同音に藍、覽(覧)、攬”取る”。近音同訓「乱」lwɑn(去)初出は西周末期の金文。ただし発生から見てまるで違う字であり、音素の共通率は40%で音通を断言しがたく、置換候補とはし難い。

g l ɑ m
l w ɑ n

ただし漢帝国の儒者が本章の元となる伝記に改変を加える際、「乱」に音が近いようで遠い「濫」に書き換えて古さの演出をしたことは考えられる。空耳アワーで人を笑かすのでなく、だまくらかした。濫=”けしからん”連中である。

「濫」は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。「水+(音符)監(水鏡)」で、外に出ないように押さえたわくを越えて、水がはみ出ること、という。詳細は論語語釈「濫」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章は、さまざまな文献に引用されていることから、兵粮攻めの事件そのものはあったと見てよい。ただし儒者が筋肉ダルマとして描きたがる子路を引き出し、怒り狂って孔子に食ってかかる「バカ」として描いたのは、おそらく史実ではないだろう。

本章より引き続く、孔子の一連の弟子との対話は、最後には「顔淵偉い」の筋書きになっており、『公羊顔氏記』なる伝記をでっち上げて顔淵神格化キャンペーンを行った、前漢武帝期の董仲舒によるお芝居と思われる。

論語の本章の模様を、『史記』孔子世家は以下のように言う。

論語 司馬遷
孔子が蔡に移って三年後、呉が陳を討った。楚は陳を救援し、城で陣営を張った。孔子が陳と蔡の間にいると聞き、楚は人をつかわし孔子を招いた。孔子はすぐに行って楚王に拝礼しようとした。

ところが陳と蔡の家老連は、互いに悪だくんで言った。「孔子は賢者であり、言挙げする内容は全て、諸侯のなやみに当てはまる。今は長いこと陳と蔡の間に留まっている。我ら家老がしていることは、ことごとく孔子の主張と反している。なのに今、大国の楚が孔子を招いている。孔子が楚で用いられれば、陳、蔡の権力を握る我ら家老は危なくなるだろう。」

そこで結託して動員令を出し、孔子を原野で包囲した。孔子一行は進み行くことが出来ず、食料が尽きた。従者は飢えに苦しみ、起き上がれなくなった。しかし孔子は書物を講義し詩を口ずさみ、琴を弾いて歌い元気だった。

素直に『史記』を受け取るなら、孔子楚に採用される→楚が陳と蔡に干渉し、家老の権力剥奪を強要する→家老困る→じゃあ殺しちゃえ、という論理になるが、楚は大変に歴史の古い国で、家老たちが領地を持って半独立した連合国家で、孔子が採用されるとは考えにくい。

なぜなら孔子の要求は、「政権をごっそり寄こせ」だったからだ。中規模の衛国でも受け入れられなかった孔子が、大国の楚の政権内に割り込めるはずがない。そんなことは陳と蔡の家老連も当然分かっていたはずで、楚に行くから阻止した、というには動機が不十分だろう。

訳者の感想では、孔子が呉とつるんで陳と蔡を潰しにかかったから、復讐されたのだ。

上掲『史記』にもあるように、陳と蔡は楚と呉の争乱の地で、陳は楚につき、蔡は呉国についた。地理的位置から言って妥当な選択だが、蔡は楚に攻められて政権崩壊を起こし、ほとんど滅びて呉に取り込まれている。(『春秋左氏伝』)。

論語 左丘明

哀公元年(BC494・孔子58歳)、春、楚王が蔡を包囲し、柏挙の戦いの報復をした。蔡の都城から一里の場所に、楚の宰相・子西の計画により、厚さ一丈、高さ二丈の城壁を築き、昼夜問わず九日間で完成させた。蔡の住民は男女別々に捕らえられ、楚は長江と汝水の間に国境を確定して引き上げた。一方蔡は呉に、国を移すための土地を求めた。

哀公二年(BC493・孔子59歳)、蔡は州来に移動した。呉の洩庸セツヨウが蔡への使者に出向いた時、少しずつ呉軍を蔡に入れて、住民が気付いた時には占領されたも同然になった。蔡の国君は移転に反対した家老の公子駟を殺し、呉の機嫌を取ったが、哭きの礼は行った。先祖の墓と共に、冬には蔡は州来に移った。
哀公三年(BC494・孔子60歳)、蔡は家老の公孫猟を呉に追放した。…孔子は陳に居て、魯の火災の知らせを聞いた。
哀公四年(BC495・孔子61歳)、春、王の二月の庚戌、蔡侯の申が流浪人の集団に殺された。あとを継いだ蔡公孫辰は、呉に逃げた。夏、蔡は家老の公孫姓と公孫カクを殺した。
春、蔡の昭侯が呉に行こうとすると、家老連がまた国を移されるのを恐れて、追い掛けて矢を射かけた。昭侯は民家に隠れたまま死んだ。

陳もまた哀公元年に呉に一旦占領され、その後六年にも攻められて、楚が救援の軍を出した。そして軍を率いた楚の昭王は、城父の地に止まったが、そこで謎の死を遂げている。『史記』によれば孔子一行が包囲されたのはこの年で、蔡には包囲するような余裕は無さそうだ。

すると一行は陳の軍勢に襲われた事になるが、呉に攻められている最中もしくはその前に、孔子を襲ったということは、孔子が呉を手引きしたからだと考えるのが妥当だろう。脱出出来たのは楚の救援があったからだとされるが、その楚王が変死したのもうさんくさい話である。

論語 笑府 馮夢竜
そして論語本章の話もまた、『笑府』で笑いものになっている。『笑府』現代語訳を参照。

なお「小人みだる」の類語として、「貧すれば鈍す」を知っておくと論語の本章をよりよく理解できる。”貧乏すると頭まで悪くなる”の意だが、必ずしも当を得た言葉ではない。金回りが良い社会とは、つまりは爛熟期のローマのように、「パンとサーカス」の世でもあるからだ。

現代日本でそれに当たるのはバブル期だろう。だが日本人の判断力がまともであったとは到底言えない。例えばたかが球蹴りの試合に負けたのを「ドーハの悲劇」とか、まるで歴史的大事件のように言い回った。そしてこの騒ぎに同調せぬ者を平然と差別して恥じなかった。

サッカー愛好者の愛好に水を差すつもりは無い。だが愛好せぬ者だって世の中にはいるのだ。するもしないも同等の権利を持ち、尊重される。それが現代の原則というものだ。あるいは感情に反するだろう。だがそれを乗り越えて原則に従うのが、つまりは論語に言う仁である。

いはく、おのれちてれいむをじんす。(論語顔淵篇1)

仁とは貴族らしさを言う(→論語における仁)。それを持たぬ者を小人と言う。孔子は小人を差別しなかったが、区別はした。マスコミに踊らされた馬鹿どもが出るのは現代の常だが、バブル期は社会の馬鹿の程度が無意識の差別にまで及んだ。およそろくでもない時代である。

訳者も当時と比較すれば、今の方が頭が良くなったように実感する。加齢に伴う脳の劣化という物理的事実から見て、あり得べからざる珍事だ。ついでに言えば当時の自分に出会い、時運の赴く所でケンカに及んでも、九分九厘瞬殺できる。これも肉体の劣化に反している。

貧すれば鈍すの真の意味は、金がないので手段が制限されるということだ。愚かと分かっていても、そうせざるを得ない事情を指す。愚かを愚かと分からないまま愚行に走る、パンとサーカスとは全然違う。ゆえに世の金回りが悪くなったとて、人が利口になるわけではない。

あるいはこう言ってもよかろうか。東京の個人土地持ち家持ちに、まともな人間はめったに居ない。そやつ等のほとんどは先祖が百姓だっただけで、今や生涯働かず、客を無意識に見下している。人品が大いに伴わない。かかるヤカモチどもの愚劣さは、馬鹿すぎて話にならない。

つまり小人は常に濫れている。窮するかどうかには関係が無い。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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