(検証・解説・余話の無い章は未改訂)
論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「君子矜而不爭、群*而不黨。」
校訂
武内本
群を羣に作る。
定州竹簡論語
子曰:「君子a而不爭,群而[不黨]。」435
- 、今本作”矜”。音近、借為矜。『説文』有”鯕”字。
→子曰、「君子而不爭、群而不黨。」
復元白文(論語時代での表記)
矜
※爭→(甲骨文)・黨→當。論語の本章は矜()の字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。
書き下し
子曰く、君子はくし而爭はず、群れ而黨まず。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「諸君は誇り高くあって争うな。群れても結託するな。」
意訳
甲
諸君は誇り高くあることで、つまらない争いを避けよ。必要に応じて団結するのはいい。だがそれでも自分の判断を人任せにするな。
乙
「君子は矜み而争わず」
諸君は情け深くあることで、つまらない争いを避けよ。必要に応じて団結するのはいい。だがそれでも自分の判断を人任せにするな。
従来訳
先師がいわれた。――
「君子はほこりをもって高く己を持するが、争いはしない。また社会的にひろく人と交るが、党派的にはならない。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「君子舉止莊重,與世無爭;團結群衆,又不結黨營私。」
孔子が言った。「君子は立ち居振る舞いが荘重で、世間と争わない。群衆を団結させるが、派閥を作って私利私欲に走らない。」
論語:語釈
君子
論語の本章では”諸君”という、孔子の弟子に対する呼びかけ、または”憐れみ深い教養人”。論語の本章は後世の創作が確定しているため、孔子生前の意味である”貴族”ではない。詳細は論語における君子を参照。
矜(キン/キョウ)→
(金文大篆・篆書)
論語の本章では”誇り高い”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。同音も存在しない。
『学研漢和大字典』によると形声文字で、篆文(テンブン)では「矛+令」、楷書(カイショ)では、「矛+今」。「あわれむ」という意味は、憐(レン)に当てたもので、「矛+〔音符〕令(レイ)・(レン)」。矛の柄や自信が強いの意に用いるのは「矛+〔音符〕今(キン)」。
今では両者を混同して同一の字で書く。矜はかたく締めてとりつけた矛の柄。かたく固定することから、自信のかたいことをもあらわす、という。
『字通』では原義は矛の柄で、音が多様な漢字に仮借されて、敬に通じて慎む・敬うの意が、緊に通じてにわか・そばだてる・苦しむの意が、鰥に通じてやもおの意が生まれた。憐れむの意は斉・魯の方言と言い、「矜持」のようにほこる・おごる・おごそかの意については説明がない。詳細は論語語釈「矜」を参照。
一方『論語之研究』によると「矜」を”憐れむ”の意で用いるのは『方言』に「斉魯之間曰矜」とあり、要するに魯や斉の方言で、つまりは斉の言葉だという。だとすると本章は根本から解釈のやり直しとなるので、意訳を二つに分けた。
定州竹簡論語は「」(上下に其+魚)と記し、注釈に「音近、借為矜」と言うが、『大漢和辞典』に載っていないので当否は判断しかねる。また「『説文』有”鯕”字」というが、その説文の条は下掲の通り。
「魚の名前である。部首は魚。音は其」という。「其」(→語釈)のカールグレン上古音はɡʰi̯əɡまたはki̯əɡ(共に平)。もう少し詳しいことが『大漢和辞典』に書いてある。クリックで拡大。
「」の音が「其」であるという説を受け入れるとして、日本語音キ訓”あわれむ”には「嘳」があるが、カールグレン上古音は不明。また同訓で音キンに「鹶」があるが、やはりカ音不明。訓”ほこる”にキの音の漢字は『大漢和辞典』になく、音キョウに「憍」があり、カ音はki̯oɡ(平)。従って「」の語釈は一つに定めかねる。今仮に「矜」の異体字としておく。
またオシキウオについては、次のように言う。
オシキウオ:コイ目コイ科の淡水魚トガリヒラウオ。頭がとがって小さく、からだは青白い。疲労すると尾が赤くなるという。
http://xn--i6q76ommckzzzfez63ccihj7o.com/honbun/zoukan-7237.html
爭/争
(甲骨文・篆書)
論語の本章では”争う”。初出は甲骨文だが、なぜか論語の時代に通用した金文が発掘されていない。
『学研漢和大字典』によると会意文字で、「爪(手)+━印+手」で、ある物を両者が手で引っぱりあうさまを示す、という。一方『字通』によると、杖形のものを両端より相援(ひ)いて争う形。〔説文〕四下に「引くなり」とし、字形を𠬪(ひよう)(両手)と𠂆(えい)とに従うとするが、両手の間にあるものは杖形の棒。爰(えん)と相近く、爰は援引の意、爭は相争うことをいう、という。詳細は論語語釈「争」を参照。
群
(金文・篆書)
論語の本章では”群れる”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、君(クン)は「口+〔音符〕尹(イン)」から成り、まるくまとめる意を含む。群は「羊+〔音符〕君」で、羊がまるくまとまってむれをなすこと、という。一方『字通』では原義は獣が集まる事=むれで、羊が群れ集まっているさま、という。詳細は論語語釈「群」を参照。
黨(党)
(金文・篆書)
論語の本章では”結託する・ぐるになる”。この文字は論語の時代に存在しない。当時の置換候補は當(当)。詳細は論語語釈「党」を参照。
論語:付記
論語の本章が、孔子の言葉ではないことは、上記の検証通りだが、役人が結託して利権の独占を図ったのは、古くとも史料上に見えるのが漢帝国成立以降であることから、恐らく論語の本章は、前漢初期に論語の水増しが行われた際、董仲舒によって創作された話だろう。
董仲舒についてより詳しくは、論語公冶長篇24余話を参照。
時代が後漢になると、役人はほぼ儒者によって独占されるようになるが、同時に儒者官僚が党派を作り、これを「党人」と呼んだ。黨(党)という言葉は党派と言うより、上党という地名としてまず史書に現れ、しかもその初出は『史記』であり、春秋戦国時代の言葉ではない。
文字そのものが現れるのも、戦国時代も末になってからのことで、官僚制が未発達の時代には、縁のある言葉ではなかった。中国史上最初に見られる「党」は、高祖劉邦の没後漢帝国を乗っ取った呂氏の打倒を画策した、陸賈とそれに焚き付けられた政軍の幹部の一派である。
司馬遷は記す。
丞相陳平、太尉周勃等使人迎代王。代王問左右郎中令張武等。…中尉宋昌進曰:「今大臣雖欲為變,百姓弗為使,其黨寧能專一邪?」
宰相の陳平と陸相の周勃が使いをやって、代王を皇帝に迎えようとした。代王は側近の張武らに、受けたものかどうか相談した。…陸軍次官の宋昌が進み出て言った。「いま、大臣どもが勝手に呂氏の根絶やしをくわだてていますが、民衆は全く無関心です。世論を背景にしないその党が、どうして結束できるでしょうか。」(『史記』文帝紀2)
だが代王は招きに応じて文帝となるのだが、ここでの「党」は言わば一時的な目的のための機動部隊で、常設で利権を牛耳る後世の党派ではない。それは後漢になって党人と宦官が利権争いの果てに、互いに殺し合う「党錮の禁」が起こって始まり、高校教科書にも載っている。
以後後漢帝国から中世の隋唐帝国まで、中国政界はその儒者派と帝室派と宦官派と貴族派が、四つどもえになって熾烈な政争を繰り広げた。最初に脱落したのは貴族派で、北朝軍閥の血統しか誇るものが無く、時代に淘汰された。その最終期の貴族だった李徳裕は、こう嘆く。
…人にはそれぞれの正義があるのだから、つるんでいると必ずいさかいが起こる。漢王朝の役人はつるんで互いにケンカして、とうとう国を滅ぼしてしまった。今も科挙上がりの儒者は互いにつるんで、悪いことをしながら仲間内でかばう。
だからとんでもない悪党が、君子としてまかり通っている。官職を独占し、犬をけしかけるようによそ者を追い払い、知恵者も勇者もその使い走りになってしまった。こんなバケモノが横行するようでは、この太平の世も長くはないぞ。(『朋党論』)
しかし貴族派は官僚採用試験=科挙を通った儒者派に圧倒され、唐が滅び五代の混乱期の中で貴族は事実上中国から消え去り、宋代には儒者派の天下となった。しかし党派は強力な戦略であり、儒者派は勝者となっても結託をやめなかった。その一人欧陽脩は言う。
世の学のない者どもはだな、君子と小人の区別がつかぬものだから、正義の党派と小人の集まりの区別がついておらん。小人は利益目当てにつるんでおるのであって、世に正義を行おうとする、我ら賢い儒者とは違うんである。
我らのような賢者がだな、団結して政治に取り組まなければ、どうやって世の中が治まるというのだ。古代の聖王も、我ら賢者に助けられて、太平の世を実現させたのだ。ところがこれを勘違いして、唐王朝は我ら儒者派を弾圧した。
それであっさり、唐は滅んだのである。思えば古代の悪王も、我らのような者が団結すると、忌み嫌って弾圧した。だから悪王になり、国を滅ぼしたのだ。これは歴史の事実である。だから皇帝だろうと頭を下げ、我らの言うことを聞きなさい。(『朋党論』)
儒者の高慢ちきが宋代に史上最高となったのはこうした背景がある。しかし儒者派は貴族派こそ圧倒できたものの、政界には帝室派や宦官派が生き残っており、しかも帝政を取る以上この派閥は無くならない。明清帝国になると皇帝の独裁権が強化され、儒者派は弾圧された。
清の雍正帝は言う。
全くお前ら儒者あがりの役人と来たら、父上の時代にもつるんではならんと諭されたに、いまなおつるんで悪さばかりしておる。だから最後の機会をやる。つるんではならん! 二度と言わせるな。今度つるみやがったら、根こそぎ処刑してやるからそう思え。
だいたいお前ら役人は金ほしさに、つるんで官職を独占し、ワイロを取り、都合の悪い話はワシの所へ持ってこない。それでどうやって、ワシが天下を治められるというのだ。ワシは日夜よい世の中を作ろうと、精出して働いておるというに。
よいか! 二度とは言わんぞ。今すぐつるみをやめよ。まじめに働け。欧陽脩のようなタワケの意見など聞くでない。あやつがもし今の時代におったら、ワシがぐったりするまで説教してやろうぞ。よいな! 二度とつるんではならんぞ!(『御製朋党論』)
だが雍正帝も儒者派の解党を強行できなかった。中国の帝政が滅びても、役人の結託は解消していない。中国に限った話でもない。役人に限らず結託は、構成員の生存を保証するからだ。社会保障の機能を持つ現代国家も、結託と言えば結託である。
現代は孔子の生きた論語の時代とは違う。結託しないで生きていくのはほぼ不可能だ。ただしそれでも、個人の徳=能力を高めて、残忍には断固として手を染めない足場を作るのは可能だろう。論語の言葉がそのまま現代に応用出来るわけではないが、基本精神はなお有効だろう。
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