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論語詳解392衛霊公篇第十五(14)臧文仲はそれ*

論語衛霊公篇(14)要約:孔子先生が生まれる70年ほど前。魯に柳下恵という賢者がいましたが、上司はその才能を知りながら、推挙してやりませんでした。目下の才能を活かさない者は大嫌いだ、と後世の儒者に孔子が言わされた言葉。

論語:原文・書き下し

原文

子曰、「臧文仲、其竊位者與。知柳下惠之賢、而不與立也。」

校訂

定州竹簡論語

曰]:「臧文中a其竊立b者與!知柳下惠之賢而弗與立[也]。」429

  1. 中、今本作”仲”。
  2. 立、今本作”位”。古立同位。

→子曰、「臧文中、其竊立者與。知柳下惠之賢、而弗與立也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 臧 金文文 金文中 金文 其 金文立 金文者 金文与 金文 智 金文柳 金文下 金文恵 惠 金文之 金文賢 金文 而 金文不 金文与 金文立 金文也 金文

※論語の本章は竊の字が論語の時代に存在しない。「與」「也」の用法に疑問がある。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。

書き下し

いはく、臧文仲ざうぶんちうは、くらゐぬすめるもの柳下惠りうかけいさかしきをり、しともたざるなり

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 肖像
先生が言った。「ゾウ文仲は、地位を盗み取った者だろうか。柳下恵の賢明を知りながら、同じ地位に引き上げなかった。」

意訳

孔子 人形
臧文仲は税金泥棒だ。部下の柳下恵が賢者だと知っていたのに、引き上げてやらなかった。

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
「臧文仲は位をぬすむ人というべきであろう。柳下恵の賢人たることを知っていながら、彼を推挙して共に朝廷に立とうとはしなかったのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「臧文仲是竊居官位的人嗎?明知柳下惠品德高尚,卻不推薦他做官。

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孔子が言った。「臧文仲は地位を盗んで居座っていた人か?柳下惠の人柄が高尚だったことをはっきりと知っていながら、それなのに彼を官職に推薦しなかった。」

論語:語釈

仲→中

論語の本章では、”次男”。個人名「臧文仲」の一部だが、「仲」は「伯仲叔季」の順で次男を意味する。「文」は死後のおくり名か、あるいは生前のあざ名。「仲」のカールグレン上古音はdʰ(去)。「中」は声母のt(平/去)のみ。藤堂上古音も仲dɪoŋ:中tɪoŋで同音ではない。

臧文仲(ゾウブンチュウ)

臧 篆書 文 金文 仲 金文
(金文)

?ーBC617。孔子誕生より70年ほど前に没した魯の大夫。姓は臧孫、名は辰。覇者の名をはせた晋の文公、宋の襄公と同時代人。関所を廃止して通商の便を図ったことで、賢人とされていた。孔子は論語公冶長篇17で「ニセ智者」と評してもいる。論語憲問篇15の臧武仲は子。

子の臧武仲の代までは、魯国の家老職を勤めていたが、孟孫氏・季孫氏の圧迫によって亡命を余儀なくされ、魯国での臧氏は壊滅した。

竊(窃)(セツ)

竊 窃 金文大篆
(金文大篆)

『大漢和辞典』の第一義は、”盗む”。この文字の初出は戦国文字で、異体字の「窃」と共に論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はtsʰiatで、同音は存在しない。近音同訓も存在しない。

『学研漢和大字典』によると、会意兼形声文字。原字は「穴(あな)+廿(両手を示す形の変形)+米+虫」の会意文字で、穴にしまった米を、虫が人知れず食いとることを示す。窃は「穴+〔音符〕切」で、すばやく一部を切りとること、という。詳細は論語語釈「窃」を参照。

位→立

論語の本章では”地位”。白川説によると金文の頃から「立」は「位」を意味していたという。詳細は論語語釈「位」論語語釈「立」を参照。

柳下惠(恵)(リュウカケイ)

柳 金文 下 金文 恵 金文
(金文)

BC720-BC621。姓は姫、氏は展、いみ名は獲、あざ名は禽、または季。孔子が生まれる70年前に世を去った、魯国の貴族。先祖は魯の孝公。「柳下」の名乗りは、彼の領地から。死後、生前の功績をたたえて「惠」とおくり名された。柳下季とも呼ばれる。

カタブツの裁判官として聞こえ、年頃の娘を一晩抱いても誰も怪しまなかったという伝説がある(『孔子家語』好生6)。職を辞した後は隠遁生活を送った。孔子が論語の本章で柳下恵を讃えたほか、孟子も「聖之和者」と讃えた。

『荘子』の寓話では、当時の大盗賊・盜セキは、柳下恵の弟と言うことになっている。

與(ヨ)

与 金文 與 字解
(金文)

論語の本章では”~と”。新字体は「与」。初出は春秋中期の金文。金文の字形は「牙」”象牙”+「又」”手”四つで、二人の両手で象牙を受け渡す様。人が手に手を取ってともに行動するさま。従って原義は”ともに”・”~と”。詳細は論語語釈「与」を参照。

立(リュウ)

立 甲骨文 立 字解
(甲骨文)

論語の本章では”(地位に)立つ”。初出は甲骨文。「リツ」は慣用音。字形は「大」”人の正面形”+「一」”地面”で、地面に人が立ったさま。原義は”たつ”。甲骨文の段階で”立てる”・”場に臨む”の語義があり、また地名人名に用いた。金文では”立場”・”地位”の語義があった。詳細は論語語釈「立」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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論語の本章は、要するに儒者を優遇しろと図々しいことを言っているだけで、現代の論語読者が教訓にすべき何物も記されていない。柳下恵が本当に賢者だったのかの保証も無く、論語公冶長篇14と同じく、後世の儒者によるでっち上げである。

ニセ子貢 ニセ孔子
子貢「亡くなった衛国の家老、孔ギョどのは、なぜ文という立派な戒名を貰ったんですかね。
孔子「仕事が速くてよく学び、目下であろうと賢者にはものを聞いたからだな。」(論語公冶長篇14)

本章によく似た話は論語憲問篇にもあり、こちらも全き史実と断じられない。

むかし衛国の家老・公叔文子の家臣だった僎は、文子の推薦で、同じ家老格の地位についた。先生がそれを聞いて言った。
孔子 褒める
「なるほど公叔どのには、文というおくり名がふさわしい。」(論語憲問篇19)

柳下恵については、論語微子篇に記載があるが、黜の字の使用から、読むそばからニセモノと分かる話。

柳下恵が役人のお目付役になり、三度免職された。ある人が言った。「あなたはまだ去ることが出来ないでいるのですか。」柳下恵が言った。「筋を通して人に仕えるなら、どこに三度免職にならない場所があるだろうか。筋を曲げて人に仕えるなら、どうして必ず父母の国を去るだろうか。」(論語微子篇2)

また微子篇にはもう一つ言及があるが、これもまた慮の字の使用からニセモノである。

先生が…柳下惠と少連を論評した。「志を曲げ、自分をおとしめたが、発言は人の道にかない、行動は思慮の範囲内だった。ただそれだけだ。」(論語微子篇11)

また『孔子家語』は次のような伝説を伝えるが、柳下恵偉かった説が前提にある創作だろう。

魯人有獨處室者,鄰之釐婦亦獨處一室。夜,暴風雨至,釐婦室壞,趨而託焉,魯人閉戶而不納。釐婦自牖與之言:「子何不仁而不納我乎?」魯人曰:「吾聞男女*不六十不閒居。今子幼,吾亦幼,是以不敢納爾也。」婦人曰:「子何不如柳下惠然?嫗不逮門之女,國人不稱其亂。」魯人曰:「柳下惠則可,吾固不可。吾將以吾之不可、學柳下惠之可。」孔子聞之,曰:「善哉!欲學柳下惠者,未有似於此者,期於至善,而不襲其為,可謂智乎。」

魯に一人住まいをする男がいた。隣に一人住まいの未亡人がいた。ある夜、急に風雨が激しくなって、未亡人の家が壊れた。未亡人が走って隣家の男に助けを求めると、男は戸を閉ざして入れなかった。

未亡人が窓から言った。「なぜ入れてくれないのです。」 男「六十になるまで、男女は同居してはいかんと聞いている。私もあなたもまだ若い。だから入れるわけには行かない。」

未亡人「あの柳下恵様のようにはしてくれないのですか。門限に遅れた女を一晩抱いて温めたのに、国中誰もみだらだとは言いませんでしたが。」 男「柳下恵様ならよろしいが、私はダメだ。ダメだからこそこうやって、柳下恵様が抱いて非難されないことわりを学ぶのだ。」

孔子がこの話を聞いて言った。「まことによろしい。柳下恵どのに学んだ者で、このように振る舞った者はまだいない。究極の善事を行おうとして、その真似をしないというのは、智恵ある者だと言ってよろしい。」(『孔子家語』好生6)

なお論語の本章に関して、別伝と思える孔子の発言が『左伝』にある。

仲尼曰,臧文仲其不仁者三,不知者三,下展禽,廢六關,妾織蒲,三不仁也,作虛器,縱逆祀,祀爰居,三不知也。

孔子「臧文仲には貴族らしくないところが三つ、もの知らずな点が三つある。賢者の柳下恵に冷や飯を食わせたこと、六カ所の関所を”廃”したこと、召使いの女にムシロを編ませたことは貴族らしくない。無意味な道具をこしらえたこと、国公廟の位牌の順序を勝手に変えさせたこと、爰居という鳥を拝んだことは、もの知らずのあらわれだ。」(『春秋左氏伝』文公二年)

だが仮に孔子が本当にこう言ったとしても、臧文仲が愚人とはとても言えないことについては、論語公冶長編17の付記を参照。おそらく左伝の発言も、後世のでっち上げだろう。

『論語』衛霊公篇:現代語訳・書き下し・原文
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