論語:原文・書き下し
原文
子曰、「已矣乎。吾未見好德如好色者也。」
*論語子罕篇18とほぼ同文。
校訂
定州竹簡論語
[子曰:「已矣夫a!吾未見好德]如好色者乎b。」428
- 夫、阮本作”乎”、皇本無。
- 乎、今本作”也”字。
→子曰、「已矣夫。吾未見好德如好色者乎。」
復元白文(論語時代での表記)
※論語の本章は、「色」の用法に疑問がある。
書き下し
子曰く、已ん矣夫、吾未だ德を好むの色を好むが如き者を見ざる乎。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「終わってしまった。私は徳を好むことが色を好むような者を見たことがない。」
意訳
世も末だ。異性より自分のもつ力を磨いて高めたがる者を見たことがない。
従来訳
先師がいわれた。――
「なさけないことだ。私はまだ色事を好むほど徳を好むものを見たことがない。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「這個社會完了?我沒見過喜歡美德如同喜歡美色的人。」
孔子が言った。「この社会は終わったのか?私は美人を喜ぶように美徳を喜ぶ人を見たことが無い。」
論語:語釈
已矣乎(イイコ)→已矣夫
(金文)
伝統的には「やんぬるかな」と読み、”もうおしまいだ”と解す。愚直に読み下すと、「已り矣乎」となり、”終わってしまったか”と解せる。定州竹簡論語の「已矣夫」も意味は同じ。
大漢和辞典が示すように、「已矣」だけで”やんぬるかな”の意があり、「乎」も「夫」も詠歎のため息を意味する。
德
(甲骨文・金文)
”生物の持つ機能”。初出は甲骨文。新字体は「徳」。『学研漢和大字典』によると、原字は悳(トク)と書き「心+(音符)直」の会意兼形声文字で、もと、本性のままのすなおな心の意。徳はのち、それに彳印を加えて、すなおな本性(良心)に基づく行いを示したもの、という。しかし『字通』によれば目に濃い化粧をして見る者を怖がらせ、各地を威圧しつつ巡回すること。ここから日本語で「威に打たれる」と言うように、「徳」とは人格的迫力のことだ。詳細は論語における「徳」を参照。
論語では偽作を除き、人徳や道徳の意味では使われない。少なくとも孔子の発言では、それら道徳的なことを意味しない。機能は普段は発揮されないから、目に見えない。ただし言いようのない圧力を他者に及ぼすことはあるが、感じない者は全く感じない。
少し訳者の趣味に引き寄せてしまうが、武道も有段者になると、わずかながら気を発することが出来る。手に武器をもつでなく、肩をいからせるでもないが、わずかに気を発して歩くと、人混みをすいすいと通っていけることがある。しかし、全く通じない者もいる。
話を論語に戻すと、機能は発揮されると具体的な作業となって現れる。その結果生み出された事物も徳に含まれる。日本史で言う有徳人はその意味で、人間の機能を発揮して金持ちになった人のことを言う。有徳人はたまにカネを配ることがある。豊臣秀吉の金賦りが代表例。
配られた者は配った者に徳を感じる。また配られた者にとって徳とは得でもある。論語では多くの場合、徳を得と考えると解釈出来ることがある。人間は物心いずれかの利益を感じない者に徳を感じない。論語為政篇1で言う徳治とは、千古不易の政治の機能、利益配分を言う。
語源から言って徳は静的な威圧を言うのであり、徳の解釈について、日中の儒者や多くの漢学者は、全く意味を取り違えている。また論語特有の意味が徳にはあり、仁の実践を言う。ただし本章ではその意味では用いられていない。
好(コウ)
(甲骨文)
論語の本章では”好む”。初出は甲骨文。字形は「子」+「母」で、原義は母親が子供を可愛がるさま。春秋時代以前に、すでに”よい”・”好む”・”親しむ”・”先祖への奉仕”の語義があった。詳細は論語語釈「好」を参照。
色(ソク)
(金文)
論語の本章では”異性との色事”。この語義は論語の時代では確認できない。初出は西周早期の金文。「ショク」は慣用音。呉音は「シキ」。金文の字形の由来は不詳。原義は”外見”または”音色”。詳細は論語語釈「色」を参照。
孔子の教説の中心が仁であることは言うまでもないが、その定義を孔子は、「自分に打ち勝って礼に戻る」と顔回に教えた(論語顔淵篇1)。打ち勝つべき自分には、当然色の欲が含まれる、というより、それに勝つことが最大の難関だった。
この点孔子は、その欲について極めて淡泊であり、息子は一人だけ、娘は最低一人と、当時の貴族にあるまじき子の少なさ。この点も同時代の賢者・ブッダと共通しており、おそらく孔子は異性が嫌いだったに違いない。「ただ女子と小人は養い難しと為す」(論語陽貨篇25)と言った言葉に、それが表れている。
論語:付記
論語の本章は上掲の通り、論語子罕篇18とほぼ同文。従って発言の背景についてはそちらをご覧頂きたい。本章では、この言葉がどのように解釈されてきたかを記す。
古注(本章)
子曰已矣吾未見好德如好色者也疏子曰至者也既先云已矣則乆已不見也疾時色興德廢故起斯歎也此語亦是重出亦孔子再時行教也
子曰已矣吾未見好徳如好色者也。疏。子曰く者を至す也。既に先に云いて已え矣。則ち乆しく已みて見不る也。時の色興りて徳の廃るるを疾み、故に斯を起して歎く也。此の語亦た是れ重ねて出ずるは、亦た孔子再びの時に教えを行う也。
付け足し。孔子様は人間を記した。すでに以前にも言った。つまり長い間、徳のある者を見なかった。時代の風俗が色事に傾いて徳が廃れたことをいとい、だから言葉を起こして嘆いた。この言葉が重ねて論語にあるのは、時を置いて再び孔子が教えを垂れたのだ。
古注(子罕篇)
子曰吾未見好德如好色者也註疾時人薄於德而厚於色故以發此言也疏子曰至者也 時人多好色而無好徳孔子患之故云未見以厲之也云責其心也
子曰吾未見好徳如好色者也。註。時の人徳於薄くし而色於厚きを疾むなり。故に以て此の言を発する也。疏。子曰く、者を至す也。時の人多く色を好み而徳を好む無し。孔子之を患う。故に未だ見ざると云い、以て之を厲ます也。其の心を責むるを云う也。
注釈。当時の人が徳が薄くて色事をいたく好む事を憎んだのだ。だからこの言葉を言ったのだ。付け足し。孔子様は、人間を記した。当時の人の多くが色事を好み、徳を好む者はいなかった。孔子はこれを憂いた。だから徳のある者を見たことがないと言い、弟子を励ましたのだ。その心を叩き直すことを言った。
新注(本章)
好,去聲。已矣乎,歎其終不得而見也。
好は去声なり。已矣乎は、其の終に得而見不るを歎く也。
好は去声である。已矣乎は、徳のある者をとうとう見ないままだと嘆くを言う。
新注(子罕篇)
好,去聲。謝氏曰:「好好色,惡惡臭,誠也。好德如好色,斯誠好德矣,然民鮮能之。」史記:「孔子居衛,靈公與夫人同車,使孔子為次乘,招搖市過之。」孔子醜之,故有是言。
好は去声なり。謝氏曰く、「色を好むを好み、臭いの悪しきを悪むは、誠也。徳を好むこと色を好むが如きは、斯れ誠に徳を好む矣。然るに民能く之れをなすは鮮し。」史記いわく、「孔子衛に居り、霊公与夫人に同車せり。孔子を使て次乗為らしめ、市を招揺りて之を過ぐ。」孔子之を醜み、故に是の言有り。
好は去声である。謝氏曰く、「色好みを好み、くさい臭いを嫌うのは、人のさがである。徳を好むこと色を好むと同様なら、これが本当に徳を好むと言うことだ。しかしこれが出来る民は少ない。」史記いわく、「孔子が衛に滞在中、霊公と夫人の外出に同行した。孔子は後ろの車に乗せられ、市場をうろうろして通り過ぎた。」孔子はこれに怒って、だからこの言葉を言った。
コメント