論語詳解106公冶長篇第五(14)孔文子は何の*

論語公冶長篇(14)要約:孔子先生は油断のならない人物評論家で、それは他国や過去の人物についても変わりません。ワルのわりに死後立派なおくり名(戒名のようなもの)を貰った隣国の家老を、子貢が不審がって論評を乞います。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子貢問曰、「孔文子、何以謂之文也。」子曰、「敏而好學、不恥下問、是以謂之文也。」

校訂

定州竹簡論語

貢 外字問]曰:「孔文子何以謂之『文』也?」子[曰]:92……[下問,是以謂之『文』也。」93


→子貢 外字問曰、「孔文子、何以謂之文也。」子曰、「敏而好學、不恥下問、是以謂之文也。」

復元白文

子 金文江 金文問 金文曰 金文 論語 孔 金文論語 文 金文子 金文 何 金文㠯 以 金文謂 金文之 金文論語 文 金文也 金文 子 金文曰 金文 敏 金文而 金文論語 好 金文論語 学 學 金文  不 金文論語 下 金文問 金文 論語 是 金文㠯 以 金文謂 金文之 金文論語 文 金文也 金文

※貢→江。論語の本章は恥の字が論語の時代に存在しない。也の字を断定で用いている本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

書き下し

子貢しこうふていはく、孔文子こうぶんしなにもつこれぶんいはく、くしがくこのみ、ひをくだすをぢず、これこれぶんなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 子貢 論語 孔子
子貢が問うて言った。「孔文子は、なぜ文と呼ばれたのですか」。先生が言った。「行動が素早くて学問を好み、目下に質問することを恥じなかった。それで彼を文と呼ぶのだ」。

意訳

ニセ子貢 ニセ孔子
子貢「亡くなった衛国の家老、孔ギョどのは、なぜ文という立派な戒名を貰ったんですかね。

孔子「仕事が速くてよく学び、目下であろうと賢者にはものを聞いたからだな。」

従来訳

論語 下村湖人
子貢がたずねた。
孔文子(こうぶんし)はどうしてというりっぱなおくり名をされたのでありましょうか。」
先師がこたえられた。
「天性明敏なうえに学問を好み、目下のものに教えを乞うのを恥としなかつた。そういう人だったから文というおくり名をされたのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子貢問:「孔文子憑什麽獲得『文』的稱號?」孔子說:「靈敏又好學,向比自己學問差的人請教時,不覺得沒面子,所以稱為『文』。」

中国哲学書電子化計画

子貢が問うた。「孔文子はなぜ”文”の称号を獲得したのですか?」孔子が言った。「神経が敏捷で学問を好み、自分とは学力に差がある人にものを教えて貰うとき、メンツを失うのを気にしなかった、だから”文”と呼ばれた。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 。」 、「 。」


子貢

論語 子 金文 論語 貢 金文
(金文)

孔子の弟子。論語の人物:端木賜子貢参照。

孔文子

論語 孔 金文 論語 文 金文 論語 子 金文
(金文)

?ーBC480。衛国の大夫(家老)で、姓は孔、名はギョ、文は諡(おくり名)。国公の霊公の娘婿で家臣。のちに反乱を起こす太子・蒯聵カイカイの姉の夫に当たる。孔子の弟子の子路は孔圉に仕えた。息子は孔カイ。渾良夫という出来が良くて見た目の良い家臣が居たが、孔文子没後にその妻と私通したという。このようにあまり評判の良くない人物で、それなのに文とおくり名された。史実の子貢も不審に思っただろう。

ただし孔文子が生きている間は、蒯聵も衛国に魔の手を伸ばせず、孔文子がやり手の政治家であったことは確か。衛国は孔子が最初の亡命先に選ぶなど、論語との関係が深い国だが、論語時代に国公の座にあったのは、蒯聵の父である霊公で、これまた論語に悪口が載っているものの、大国晋の侵略から小国の衛を守り抜いた、やり手の殿様でもある。

孔子は霊公から年俸111億円を貰いながら、あまりよく言っていないが、それでも霊公と家老たちの政治手腕は認めており、論語憲問篇20で讃えている。また孔文子について言えば、その妻が剛の者で、自ら武装して蒯聵を引き入れ、息子の孔悝を脅して協力させている

なお「孔」の字について、『学研漢和大字典』によると会意文字で、「子+乚印」。「説文解字」は乙(つばめ)をまつって子を授かる意と解するが従いがたい。「子(小さい)+乚印(曲げて通す)」を組みあわせて、細いあなが通ったさまを示す。一説に孔雀(クジャク)をあらわすとも、子授けの吉祥をもたらす鳥のことともいう。普通は空(あな)に当てる、という。

論語 文 金文
(金文)

論語では、没後に名付けられる「おくりな」の中でも最高級の名。

中国の貴族は死後におくり名(諡号、シゴウ、「おくりな」と訓読みする)を付けられるが、文はその中でも最高の美称とされる。孔子時代=周王朝の開祖も、文王とおくり名された。死後に勝手な名前を付けられるのを嫌がった始皇帝が、秦の皇帝に関しては一端廃止したが、秦が滅ぶと復活した。

論語 遠山の金さん 論語 己 土器
「文」の原義は『大漢和辞典』『字通』によると体に入れた彫り物をいう。一方『学研漢和大字典』では、土器の縄文という。詳細は論語語釈「文」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章はものすごく図々しい作文で、要するに皇帝だろうと国王だろうと、大金持ちだろうが大将軍だろうが、頭を下げて我らカシコイ儒者に教えを受けろ、そうでないとのちの世から賞賛されないぞ、という脅しである。

話しが遠回りだが、現中国政権による侵略と併合まで、チベットには農奴制が敷かれ、労働はほぼ農奴が担った。農奴はほとんどあらゆる自由を奪われた上に、ラマ教をすり込まれて、奴隷暮らしに満足しないと、来世で地獄行きだぞと脅された。それで反抗を押さえ込んだ。

共産中国がいいとはいわないが、まだましと言うべきか。本章はそれと同じ。論語にも度々記されているように、中国人は無名を恐れ、死後の名誉を狂おしいまでに欲しがった。「文」とは最高のおくり名だが、それが欲しけりゃ儒者を崇めろ、そう言っているのである。

おくり名=諡号は、始皇帝の時に皇帝に限っては廃止されたが、秦の滅亡とともに復活した。その後も文という諡は有り難がれ、既存の論語本から吉川本を孫引きすれば、唐の韓愈は文公、宋の司馬光は文正公、欧陽脩・蘇東坡は文忠公、以下文人墨客の例を吉川本に挙げる。

論語 曽国藩 論語 李鴻章
訳者の知識としては、清の曽国藩が文正公、日清戦争当時の事実上の宰相・李鴻章は、文忠公とおくりなされた。両人とも軍功で名を挙げた人なのだが、おくり名は事情が別らしい。

なお前世紀末当たりから、中国はチベット人の絶滅を図りだしたように見える。少なくとも、生活水準や教育水準の低いチベット人を、奴隷労働させることに何の規制も敷いていない。歴代のダライラマ政権も、現中国も、残忍な政府という意味では同じと言うべきだ。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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