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論語詳解095公冶長篇第五(3)賜や何如*

論語公冶長篇(3)要約:後世の創作。弟子の中で最も政才商才に優れた子貢は、どういうわけか後世の儒者に嫌われ、数々の悪口が論語には記されています。本章もその一つで、「君子は器ならず」なのに子貢を器だとおとしめます。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子貢問曰賜也何如子曰女器也曰何器也曰瑚璉也

校訂

諸本

東洋文庫蔵清家本

子貢問曰賜也如何子曰女器也/曰何器也曰瑚璉也

  • 「如何」:京大本・宮内庁・龍雩本・正平本同。文明本・足利本・根本本「何如」。

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

貢問曰:「賜也何如a?□□:「女,器也。」曰:「何器也?」曰:「□77……

  1. 何如、高麗本作「如何」。

※訳者注:「貢」字、定州本の他の箇所は「貢 外字」なのだが、ここでは貢のママ。元の竹簡の画像は公開されていないので、検証のすべがない。

標点文

子貢問曰、「賜也何如。」子曰、「女器也」。曰、「何器也。」曰、「瑚璉也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文貢 甲骨文問 金文曰 金文賜 金文也 金文如 金文何 金文子 金文曰 金文女 如 金文器 金文也 金文曰 金文何 金文器 金文也 金文曰 金文瑚璉也 金文

※「貢」→(甲骨文)。論語の本章は「瑚」「璉」の字が論語の時代に存在しない。「問」「也」「何」「如」の用法に疑問がある。本章は後世の儒者による創作である。

書き下し

子貢しこううていはく、何如いかならんと。いはく、なんぢうつはなりいはく、なんうつはいはく、瑚璉たまのうつはなりと。

論語:現代日本語訳

逐語訳

子貢 孔子
子貢が問うた。「自分、は何者ですか」。先生が言った。「お前は器だ」。「どういう器ですか」。「瑚璉コレンだ」。

意訳

ニセ子貢 孔子 人形
子貢「私はどの程度の出来ですかね。」孔子「道具としては役立つな。」
「何の道具ですかね。」「お供え用の立派なやつだな。」

従来訳

下村湖人
先師が人物評をやつておられると、子貢がたずねた。――
「私はいかがでございましょう。」
先師がこたえられた。――
「お前は見事な(うつわ)だね。」
子貢がかさねてたずねた。――
「どんな器でございましょう。」
先師がこたえられた。――
瑚連(これん)だ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子貢問:「我怎樣?」孔子說:「你啊,象器皿一樣,衹有一種用途。」問:「什麽器皿?」答:「璉瑚。」

中国哲学書電子化計画

子貢が問うた。「私はどうでしょう。」孔子が言った。「お前はな、茶碗や皿と同じだ。一つの役にしか立たない。」問うた。「どんな茶碗や皿ですか。」答えた。「玉で作ったりっぱなやつだ。」

論語:語釈

、「 。」 、「 」。、「 。」、「 。」


子貢

子 甲骨文 貢 隷書
「子」(甲骨文)/「貢」(前漢隷書)

論語では孔子の弟子。論語の人物:端木賜子貢参照。「子」は貴族や知識人への敬称。詳細は論語語釈「子」を参照。「貢」は論語時代に通用の金文は未発掘だが、それ以前の甲骨文が出土している。詳細は論語語釈「貢」を参照。

問(ブン)

問 甲骨文 問 字解
(甲骨文)

論語の本章では”問う”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。「モン」は呉音。字形は「門」+「口」。甲骨文での語義は不明。西周から春秋に用例が無く、一旦滅んだ漢語である可能性がある。戦国の金文では人名に用いられ、”問う”の語義は戦国最末期の竹簡から。それ以前の戦国時代、「昏」または「𦖞」で”問う”を記した。詳細は論語語釈「問」を参照。

曰(エツ)

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

論語で最も多用される、”言う”を意味する言葉。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

賜(シ)

賜 金文 子貢 問い
(金文)

孔子の弟子、子貢の本名。論語の人物:端木賜子貢参照。文字的には、論語語釈「賜」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「賜也」では「や」と読んで主格の強調に用いている。「器也」では「なり」と読んで断定の意で、この語義は春秋時代では確認できない。「何器也」では疑問の意。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

如何→何如(いかん)

中国伝承の定州竹簡論語・唐石経は「何如」と記す。日本伝承の清家本~龍雩本(本サイトでの仮称。正平本とほぼ同時期と思われる版本)は「如何」と記し、文明本以降は中国伝承と同じ「何如」と記す。時系列から見ても、語法から見ても「何如」とするのが妥当。

何如 字解 如何 字解

中国語は皇女つ分の甲骨文の昔から一貫してSVO型の言語だから、

  1. 「何如」はある事物について「何が如(従う)か」を示し、”どうでしょう”の意。
    訓読は「いかにあらん」
  2. 「何如」はある事物について「何に如(従う)べきか」を示し、”どうしましょう”の意。
    訓読は「いかにせん」

これを日本の怠惰なおじゃる公家や坊主が、区別せず「いかん」と読み下したものだから混乱の元となった。本サイトでは熟語として扱わず二字それぞれに読み下すか、区別がつくよう訓読を分けた。「いかん」と読み下す一連の句形については、漢文読解メモ「いかん」を参照。

日本伝承本が改正されたのは本願寺坊主の手に成る文明本から。文明本は中国伝承にも無い勝手な改竄が多くて油断がならないが、本章のこの部分に限れば、正しい文字列に直したと評価できる。なお『論語集釋』によれば、江戸儒・山井崑崙『七経考異』(『七経孟子考文』)の補遺に『古本作「如何」』とあるという。山井は根本武夷と共に足利本を校訂して根本本の編集を手助けした人物で、文明本・龍雩本以前の版本も参照していたことが窺われる。

論語の伝承について詳細は「論語の成立過程まとめ」を参照。

原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→
             ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→
→漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓
       ・慶大本  └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→
→(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在)
→(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)

何 甲骨文 何 字解
「何」(甲骨文)

「何」は論語の本章では”なに”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「人」+”天秤棒と荷物”または”農具のスキ”で、原義は”になう”。甲骨文から人名に用いられたが、”なに”のような疑問辞での用法は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「何」を参照。

如 甲骨文 如 字解
「如」(甲骨文)

「如」は論語の本章では”…のような(もの)”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「口」+「女」。甲骨文の字形には、上下や左右に部品の配置が異なるものもあって一定しない。原義は”ゆく”。詳細は論語語釈「如」を参照。

子(シ)

子 甲骨文 子 字解
(甲骨文)

論語の本章では「子謂」では”(孔子)先生”。「子賤」・「君子」は後述。初出は甲骨文。字形は赤ん坊の象形。春秋時代では、貴族や知識人への敬称に用いた。季康子や孔子のように、大貴族や開祖級の知識人は「○子」と呼び、一般貴族や孔子の弟子などは「○子」と呼んだ。詳細は論語語釈「子」を参照。

女(ジョ)

女 甲骨文 常盤貴子
「女」(甲骨文)

初出は甲骨文。字形はひざまずいた女の姿で、原義は”女”。甲骨文では原義のほか”母”、「毋」として否定辞、「每」として”悔やむ”、地名に用いられた。金文では原義のほか、”母”、二人称に用いられた。「如」として”~のようだ”の語義は、戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「女」を参照。

汝 甲骨文 汝 字解
「汝」(甲骨文)

「汝」の初出は甲骨文。字形は〔氵〕+〔女〕で、原義未詳。「漢語多功能字庫」によると、原義は人名で、金文では二人称では「女」を用いた。そのほか地名や川の名に用いられた。春秋時代までの出土物では、二人称の用例は見られない。詳細は論語語釈「汝」を参照。

器(キ)

器 金文 器 字解
(金文)

論語の本章では、”道具”。初出は西周早期の金文。新字体は「犬」→「大」と一画少ない「器」。字形は中央に「犬」、周囲に四つの「𠙵」”くち”。犬を犠牲に捧げて大勢で祈るさま。原義は大規模な祭祀に用いる道具。金文で人名に用いられた例がある。詳細は論語語釈「器」を参照。

「なんじは器なり」とは、もちろん「君子は器ならず」(論語為政篇12)を元ネタにして、子貢を「お前は君子ではない」とおとしめたもの。

瑚璉(コレン)

論語の本章では、”祭礼に用いる美々しいうつわ”。共に論語では本章のみに登場。

璉 篆書
「瑚」(篆書)

「瑚」の初出は後漢の『説文解字』。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。同音は壺、胡を部品とした漢字群、乎、戸など。字形は「王」”たま”+「胡」で、「胡」は音符。サンゴを意味する。詳細は論語語釈「瑚」を参照。

璉 隷書
「璉」隷書

「璉」の初出は後漢の隷書。『説文解字』に見られない。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。同音は蓮、連、聮(=連)、漣”さざなみ・つらなる”、輦”てぐるま”。字形は「王」”たま”+「連」で、「連」は音符。玉で作った器を指す。詳細は論語語釈「璉」を参照。

武内本では「宗廟の祭器」という。『大漢和辞典』によると、宗廟(祖先祭殿)に穀物のめしを盛って供える器のことで、夏のそれを瑚といい、殷のそれを璉というとある。玉へんがついているからには玉器だったのだろうが、周代には青銅でも作られた。宇野本では「周にはという。宗廟の祭にもちきびうるちきびを盛る器物で、玉で飾ってある。器物の中の貴重で華美なものである」という。

伯公父瑚(高19.8cm 径28.3×23cm 深6.5cm 重5.75kg) 宝鶏市周原博物館蔵

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

前漢年表

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論語の本章は、春秋戦国の誰一人引用していないが、前漢中期に成立した『史記』仲尼弟子伝に再録されている。「瑚璉」の字が無いのにどうやって記したのか不明だが、「胡連」とたまへんを欠いて記した可能性はある。だがもう一つの可能性もある。

それは『史記』の記述に後世の創作の疑いがあることで、「日者列伝」などは後世の創作説が有力になっている(現代語訳は論語述而篇16解説に掲載)。『史記』は南宋滅亡時に中国では一冊残らず焼き払われ、現伝の『史記』は日本の直江兼続が持っていた版を祖本とする。

だがそれ以前に儒者の手が加わらなかったと言える可能性は皆無に近く、『論語』ですらこのように半分以上が偽作であることを考えると、『史記』もどこまで信用してよいやら怪しいものだ。定州竹簡論語も「瑚璉」の部分を欠いており、史実を証明できない。

定州竹簡論語の本章部分を記したふだは、横書きにすれば以下の通り。…は簡の欠損部分。

子貢問曰賜也何如□□女器也曰何器也曰……(簡77号)

定州竹簡論語の「紹介」によると、簡1枚には19-21字が記されていたという。また文頭の「子」の字は簡の最初に記されていたようだから、「何器也」「曰」のあとにあと3文字までの余裕があったことになる。また次章の簡78号の頭に、次章の書き出し「或」が記されていたようだから、本章の簡77号末尾は「瑚璉也」であった可能性を否定する材料は無い。

だからといって「瑚璉也」だった証拠にはならず、真相は古代の闇の中に去った。なお論語の本章には、前漢前期の孔安国と、新から後漢初期を生きた包咸が古注を記しているが、孔安国は高祖劉邦の名を避諱ヒキ(はばかって使わない)しないなど、実在が疑わしい。

いずれにせよ本章は、早くとも前漢儒による創作の可能性が高い。内容的にも、「君子は器ならず」(論語為政篇12)に対して子貢を器と言い切っており、意図的に子貢をおとしめた文章と読み取れる。史実としては、子貢は弟子の中でも最も有能で、君子らしい男なのだが。

解説

漢以降の帝国儒教では、なぜか子貢は悪党とまでは言わないまでも、好ましくない弟子とされる。それは帝国儒教=孟子教の祖師に当たる曽子の神格化や、そうでも無いのに神格化された顔淵の地位向上と反比例している。そして孔門子貢派はおそらくいち早く絶えた。

子貢が学者ではなく、政治家であり実業家だったからで、お金に縁遠い学者や教師稼業からは、笑いながらさっさとおさらばしただろう。加えて政治も商売も博奕が付き物で、人に教えようが無い。生まれ持った感覚の有無で適否が決まってしまう。

ともあれ、帝国儒教で子貢の株が暴落したのは間違いない。帝国儒教の開祖である孟子は、2章ほどで子貢に言及しているが、取り立てて悪口は言っていないからだ。荀子も子貢を孔子に凹まされる間抜けに描いた章はあるものの、帝国儒者ほどは悪く言っていない。

一番ひどい創作を挙げておこう。

子貢觀於蜡。孔子曰:「賜也樂乎?」對曰:「一國之人皆若狂,賜未知其樂也!」子曰:「百日之蜡,一日之澤,非爾所知也。張而不弛,文武弗能也;弛而不張,文武弗為也。一張一弛,文武之道也。」

論語 子貢 驚き 論語 孔子 疑問
子貢がウジムシを観察していた。そこへ孔子がやって来て、「子貢よ。そんなもんを見て楽しいか」と聞いた。「何言ってるんですか。今の世の中、みんな頭のおかしな人ばかりじゃないですか。何が本当の”楽しい”かなんて、私の知ったことではありません。」

孔子「ウジムシも一生懸命百日生きていれば、一日ぐらい楽しい日があろう。お前が知らないのはこの道理だ。努力を続けて休まない。それでは文武のいずれも長続きしない。休んでばかりで努力しない。それでは文武のぶの字も出来はしない。努めるべき時に努め、休むべき時に休む。これが文武を身につける秘訣なのだ。」(『小載礼記』雑記下125)

「百日之蜡,一日之澤」が「百日之勞,一日之樂,一日之澤」”百日間の苦労に、一日の楽しみと幸福がある”になっているだけで、同文が『孔子家語』にも載る。子貢が何か商売ネタのために虫を見ていた可能性はあるが、ヒラに読むとどんだけ子貢は嫌われたんだ、と思う。

儒者の感想文を見ておこう。

古注『論語義疏』

子貢問曰賜也何如子曰女器也註孔安國曰言汝是器用之人也曰何器也曰瑚璉也註苞氏曰瑚璉者黍稷器也夏曰瑚殷曰璉周曰簠簋宗廟器之貴者也疏子貢問至璉也 云子貢問曰賜也何如者子貢聞孔子歴評諸弟子而不及己已獨區區已分故因諮問何如也云子曰汝器也者孔子答曰汝是器用之人也云曰何器也者器有善惡猶未知己器云何故更問也云曰瑚璉也者此荅定器有善分也瑚璉者宗廟寳器可盛黍稷也言汝是器中之貴者也或云君子不器器者用必偏瑚璉雖貴而為用不周亦言汝乃是貴器亦用偏也故江熙云瑚璉置宗廟則為貴器然不周於民用也汝言語之士束脩廊廟則為豪秀然未必能幹煩務也器之偏用此其貴者猶不足多況其賤者乎是以玉之碌碌石之落落君子皆不欲也 註苞氏曰至貴者也 云瑚璉者黍稷器也者用盛黍稷之飯也云夏曰瑚云云者禮記云夏之四璉殷之六瑚今云夏瑚殷璉講者皆云是誤也故欒肇曰未詳也然夏殷各一名而其形未測及周則兩名其形各異外方內圓曰簠內方外圓曰簋俱容一斗二升以簠盛黍稷以簋盛稻粱或問曰子貢周人孔子何不云汝是簠簋而逺舉夏殷器也或通者曰夫子近捨當時而逺稱二代者亦微有㫖焉謂湯武聖徳伊呂賢才聖徳則與孔子不殊賢才與顔閔豈異而湯武飛龍伊呂為阿衡之任而孔子布衣洙泗顔回簞瓢陋巷論其人則不殊但是用捨之不同耳譬此器用則一而時有廢與者也

孔安国 包咸
本文「子貢問曰賜也何如子曰女器也」。
注釈。孔安国「汝は器なりと言ったのは、仕事の出来る者だと言ったのである。」

本文「曰何器也曰瑚璉也」。
注釈。苞氏「瑚璉はキビの類を盛る器である。夏では瑚といい、殷では璉といい、周では簠簋といい、祖先祭殿の器の中でも高級品である。

付け足し。子貢が問うて璉を記したのである。子貢問曰賜也何如というのは、子貢が孔子に弟子連中の評価を尋ねたが、自分について言及が無かったので、私はどうですかと尋ねたのである。子曰汝器也とは、孔子が答えて”お前は使える奴だ”と言ったのである。曰何器也とは、器にも善し悪しがあるから、自分はどの器なのか問うたのである。曰瑚璉也というのは、よい器だと答えたのである。瑚璉とは祖先祭殿に供える器で、キビのたぐいを盛るのである。

器の中でも高級品だと言った心は、あるいは君子は器であってはならないから、器になってしまうと必ず片寄りが出て、それは瑚璉のような高級品だろうと同じである、何でも出来るわけに行かない、ということだ。だから高級品だといった裏で、単能しか無い奴とも言った。

だから江熙が言った。「瑚璉は祭殿に置けば高級品だが、民の暮らしの一々に使うわけに行かない。本章の心は、お前のような口車の達者な奴は、朝廷で政務を処理するのは得意だろうが、こまごまとしたした仕事までこなせるわけではない。器の高級品は万能ではない。普及品は言うまでも無い。だから玉のようなチマチマも、石のようなガラガラも、器になってしまうのを君子は嫌うのだ、ということだ。」

注釈。苞氏「貴いとは何かを記したのだ。」瑚璉はキビの類を盛る器であり、キビ飯を盛り付けた。

云夏「瑚うんぬんについて、礼記には”夏には四璉があり、殷には六瑚があり”とある。今夏の瑚や殷の璉についてウンチクを垂れる連中は、皆間違っている。」

だから欒肇が言った。「実はどんな器かよく分かっていない。ただし夏・殷それぞれ器の言い伝えがあるが、その形は伝わっていない。周になると二種類になり、外が四角くて中が丸いのを簠といい、その逆を簋という。どちらも一斗二升入りである。簠はキビを盛るのに用い、簋は米を盛るのに用いる。」

ある人「子貢は周代の人なのに、なんで孔子は”お前は簠簋だ”と言わないで、古くさい夏や殷の器の名で呼んだんでしょうね。」
もの知り「先生は当時の言葉を使いたがらなかった。夏や殷の言葉で言ったのには、微妙な意味を込めている。殷・周には聖王や名臣が出て、孔子と変わらないほど徳に優れ、顔回や閔子騫と変わらないほど能に秀でていた。そうした聖王が名臣に政治を任せていたのだが、孔子は一介の塾の先生で、顔回は粗衣粗食したまま死んでしまった。人間の出来は変わらなかったのに、世間での地位は全然違った。ちょうど器には一つの機能しか無いが、時の運には上がり下がりが有るようなものだ。」

「ある人」以降で巧妙なゴマスリを言っているが、問いへの答えになっていない。読みようによっては、孔子がものすごくひがみ根性に満ちているように解せる。かように儒者はワケの分からぬ事しか言わない禅坊主と似ているが、案外禅坊主が、儒者の真似をしたのかも。

新注は以下の通り。

新注『論語集注』

女,音汝。瑚,音胡。璉,力展反。器者,有用之成材。夏曰瑚,商曰璉,周曰簠簋,皆宗廟盛黍稷之器而飾以玉,器之貴重而華美者也。子貢見孔子以君子許子賤,故以己為問,而孔子告之以此。然則子貢雖未至於不器,其亦器之貴者歟?

論語 朱子 新注
女は汝と同じ音である。瑚は胡と読む。璉は力-展の反切音である。器は、役に立つ道具という事だ。夏では瑚といい、殷では璉といい、周では簠簋といい、みな祖先祭殿に供えてキビを盛る器で、玉で飾ってあった。器のなかでも貴重で華美なものである。子貢は孔子が前章で子賤を「君子だなあ」と誉めたのを聞いて、「ボクはどうですか」と聞いた。そして孔子はこのように答えた。つまり子貢は器の段階に止まってはいるが、その中でも出来がよいものだ、ということになるだろうか。

余話

世の有象無象だってさ

清の盛時、康煕帝時代の陸ロウは、本章にこと寄せてひどいことを書いている。

大抵天下人才最怕是無用。不但庸陋而無用,有一種極聰明極有學問的人,却一些用也没有。如世間許多記誦詞章虚無寂滅之輩,他天資儘好,費盡一生心力,只做成一箇無用之人。故這一箇器字,亦是最難得的人。到了器的地位,便是天地間一箇有用之人了。


世の人々のほとんどは、自分が出世出来ないのを恐れるが、何の能も無い者に用がないのは当たり前で、とびきり頭が良くよく勉強した人の方が、かえって出世出来ないことがままある。

だから世の有象無象が一生懸命経典を暗記したところで空しく生を終えるのは当然で、生まれ持った才能の限りを尽くし、一生かけて努力したところで、何の能も無い者になれるだけだ。

論語の本章で「器」と言うのは、鐘や太鼓を叩いて探し回っても見つからないほどの逸材を指している。そういう境地にまで至ってやっと、世にも稀な有用な人材と言えるのだ。(『松陽講義』六至卷七)

陸隴其(1630-1692)は貧窮から努力を重ねて科挙を二甲(準優等合格者)で通り、真面目な役人で監察官を務めたが、こんな人が監察官では、息苦しいと思うのは訳者だけか。カチカチの朱子学者でもあったようで、つまり宋儒特有の独善をしっかり受け継いじゃったわけ。

論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」を参照。

『論語』公冶長篇:現代語訳・書き下し・原文
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